名作・三題
一、映画「千と千尋の神隠し」
受講者
「千と千尋の神隠し」を鑑賞しましたが、美しい心の内面を描き出した作品で、感動しました。目の前の見える金、物、全てを自分のものにしたいと求め続け、それでも満足感を得ない生活、分相応以上のものも必要だと思ってきた自分を反省しました。
楳木代表
作者の宮崎駿さんのことを、世人に語り掛けをする数少ない思想家の一人、と評する記事を読んだことがあります。ご本人は、〝映画を見た子供たちが大人になっても、また見たくなるような作品を作りたい〝というような意味のコメントをしていたと思います。
宗教が教えていく事や、家庭で躾けていく事を、なんとなく伝えているところが非常に良いですね。説教臭くないが、見ている人に考えさせるところがあって見事な作品ですね。私が見た映画館では、エンディングになっても誰も立ち上がりませんでした。これは、今年の驚いた出来事の一つでした。
人は、他の人のために生きる時、生きる価値を見い出し、生き甲斐を持つことができます。そして、力も発揮できます。映画に登場する千尋は、ろくに挨拶もできず、懶(ものぐさ)な子供として登場しますが、不思議の国で豚にされた両親のために奮闘し始めます。千と名を変えさせられた千尋は、涙を流し、汗を流し、知恵を出し、誠意を尽くします。勿論様々な助けもあり、徐々に人としての特性が表面に出て、輝いてきます。これを育てるということだと誰もが気付いたことでしょう。
それから、アニメだから上手に表現できたところと、少々不満に感ずる描写もありました。『人間には、最大の自由が与えられている』というメシヤ様の教えを確認しておきたいと思います。登場している諸善仏神、天魔羅刹は、確かに様々な法力や能力を持っていますが、自由は制限されています。よくよく見つめると、そうなのです。一方、人間は、それらから様々な影響を受ける弱い存在のように見えますが、人生の歩み方の選択は人間の自由なのです。そこにこそ人間に最大の自由が与えられている、とメシヤは教えられています。
メシヤは、『天国を 作るも地獄を作るのも 心のままなり人とふものは』とも詠まれています。天国を作るのも、地獄を作るのも、人間の自由なんだよ、ということですね。これは個人から、家庭、国家、世界に至るまで全てに当てはまります。ですから、神の名の下に戦争をする事も、先祖に原因を求めて努力しない事も、全ては責任転嫁に外なりません。その意味から、真善美完き恒久平和の理想世界実現、つまりは天国を作る事への決意を強くもって、行動していかねばなりませんね。そして、私達の日常においては責任転嫁をしない生き方をしなくてはなりませんし、子育てもこうした事を肚において取り組まねばなりません。
ニ、「へなちょこ妊婦の 楽チンお産」
受講者
私は、二人目の懐妊を許されたので、助産院へ参りましたら、一冊の本を紹介されました。助産院で出産した体験記なのですが、何時も先生から伺っている内容そのままという感じで、納得の連続でした。私は最初も助産院でしたが、著者は、第一子を産婦人科で出産し、第二子を助産院で出産しています。両院で体験したことの比較がありますので解りやすいですね。
・・・「へなちょこ妊婦の楽ちんお産(喜多桐スズメ著・株式会社メタ・ブレーン)」
楳木代表
私は読んだことがありませんので、ちょっと見せてください。会陰切開は人権侵害、というところが良いですね。医学迷信の最たるところですね。少し読んでみましょう。
(見学日に、助産婦ターナーさんが、「あれは本当に必要のない愚かな行為です。人権侵害です」と、力強く訴えました。(中略)会陰切開をすれば骨盤底の障害と子宮脱の予防ができるという理論は、なんの科学的根拠のないまま、しかも有効性の研究もされないまま医学書に「推論」として登場。それから何十年もたった現在も医学書には常識として載っているそうです。ええ~、推論って、「たぶんいいんじゃないかな」ってことでしょう。人の身体にハサミを入れて大怪我を負わせる行為を、「たぶんいいんだよ」ですませるわけ?!)
全部読みたいところですね。私がまだ若い頃、出産してオッパイが張っているのにお乳が出ないで苦しんでいる人がいましてね。やはり切開している訳です。メシヤ様の教えに『子宮とオッパイは繋がっている』というのがあることを思い出し、足を開いてもらって、浄霊したのですね。三十分もしないうちに、寝巻きの胸の部分が濡れてきたのです。開(はだ)けてもらいますと、お乳が噴水のように噴出しまして、慌てて赤ちゃんの口を持っていって吸わせたことがありました。それ以来その人はズーッとお乳が出ましたね。今、鮮明にその時の情景が浮かび上がりました。若き日の、メシヤ様の教えに対する確信を深めたひとコマです。
ついでながら、オッパイを赤ちゃんに吸ってもらうことで、母体の子宮が元通りに収縮するのですよ。オッパイの部分も良いですね。読んでみましょう。
(ターナーさんも山田先生も、「うちに入院している赤ちゃんは、ほとんど泣きませんよ」と言いました。すわ、サイレントベイビーか。「いえいえ、そうではなくて、母親とぴったりくっついて寝ている赤ちゃんは、不安を感じることなくすやすや寝ているだけなのです。(中略)そういえば、一人目のときも、退院してからベビーベットに寝かせていたら夜泣きがひどく、一週間目にたまりかねて同じ布団で添い寝をしたら、ぴたりと泣きやんだっけ。ああ、忘れてた。)
(強い力で吸われ続けたおっぱいが、さすがに悲鳴をあげました。うえ~ん、痛い。(中略)「哺乳力の強い子だからちょっと大変ね」と助産婦の永野さんがおっぱいを見てくれます。「母乳には殺菌作用もあるし傷を治す力もあるのよ」と、にじんだ母乳を傷のところに塗ってくれます。病院ではおっぱいを清潔にするため清浄綿で消毒します。それだとおっぱいの脂まで拭きとってしまうので、皮膚を保護する力も弱ってしまうそうです。(中略)2時間ほど寝たあとおっぱいを見ると、傷が塞がっていて、びっくり。早く治るにもほどがある。母乳の力って、すごい。)
この部分には説明の必要はありませんね。この本は直木賞ものですよ。この本を皆に紹介していきましょう。それにしましても、最近の日本人には、最も大切な部分を人任せにする癖があります。先程の、責任転嫁の問題と合わせて、注意したいですね。
三、「声に出して 読みたい 日本語」
受講者
本の話題が出ましたが、推薦図書というものがございますか?
楳木代表
そうですね。親子で読むと良い本が出ましたね。9月に出て、もうかなり刷を重ねている「声に出して読みたい日本語(齋藤孝著・草思社)」という本、これは良いですよ。帯に記された「鍛え抜かれ、滋養にみちた言葉を暗誦・朗誦すると心と身体が丈夫になる。」ということを、体得できる内容ですね。
例えば、本文中に出てくる〝付け足し言葉〝があります。これを生活の中に活かしてみてください。子供に用事を言い付けたがグズグズして腰を上げない時など、「こういう時は、おっと合点承知之助、と大きい声で言って立ち上がるんだよ」と言ってあげてみてください。面白がって、すぐ動きます。また、「ねぇ~ママー」とか「パパー」と甘えてきた時に、「うるさいわねぇ」と言わずに、「何か用か九日十日」と言ってあげてみてください。すぐ元気になりますよ。
子供はすぐに覚えますから、こちらが何か頼もうとして子供の名前を呼ぶと、「何か用か九日十日」と切り返してきますから、「あたりき車力よ車曳き」と言う。生活に活気が漲ってきますよ。また、こうした言葉は年輩の方のほうが数多く知っていますから、教えてもらったら良いですよ。著者の齋藤さんは、「おわりに」で、(私は七十代の方々のゼミを数年間担当していたことがあるが、その方々が子どもの頃に覚えた言葉を今でもすらすらと言えることに驚いた。そして、そうした言葉を朗誦しているときの、その方々の顔が喜びにあふれているのを目の当たりにした。)と記述しています。
私が、以前札幌から夜行列車の「北斗星」で上野に向かう時に、乗り合わせた電化製品の開発者と談笑したことがありました。彼女らは、IHジャーの開発研究を専門としていましたが、開発の段階では美味しいご飯を目指して様々な試行錯誤をしたそうです。そして最終的には、やはり「初めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣くとも蓋取るな」が一番良い、という結論に辿り着いたそうです。そして、その言葉を目指して技術開発に勤しんだ、と話してくれました。現代技術に口承文化が応用された話から、日本に残る様々な口伝についてその素晴らしさを語り合ったものです。
美しい響きを持った日本語は味わい深いですね。そして魅力を感じるごとに、人間に生まれてきて良かったなあ、と思いますね。以前にもお話致しましたが、七十五声全ての発声を許されている訳ですからね。他の動物は制限を受けています。牛はマ行のみですし、猿はカ行のみですし、犬はワ行のみ発声を許されています。
犬が登場しましたので少し余談になりますが、しし座流星群を見られましたか?「牛に惹かれて善光寺参り」という言葉がありますが、私の場合、「犬に惹かれてしし座流星群鑑賞」といったところです。正確には犬の吠える声です。町中の犬が吠えて〝これは大変なことになっているな〝と思い、午前三時過ぎに窓のカーテンを開けてみました。その瞬間に、西の方角へ光の帯が浮かび上がりました。慌てて身支度をして、家の前の機関庫(旧国鉄・現在京都と玖珠の二箇所に残っている)の広場に行き見上げました。放射状に流れる光の数々は、幻想的でもあり、神秘的でもあり、寒さも時の過ぎるのも忘れ見入っていました。
四時を過ぎた頃、玖珠盆地特有の朝霧が四方から天空を覆ってきました。すると、犬たちも静かになり、やがて素晴らしい天体ショーもそれこそ静かに終わりを告げました。犬たちよ、ありがとう。思わず言ってしまいました。そして流星の本体である彗星へ想いが馳せました。四十数億年前、元始の地球に衝突して水蒸気を生み、大気を形成することに大きく寄与した彗星。その存在を想い出させるためとも思える流星群でした。地球の存在、太陽系の恙無い運行、宇宙の経綸へと思考は広がり、感謝の念が沸々と湧き出て来ました。この深遠なる仕組を想い出すと、何とも言えない清らかな心になります。あなたの質問のお蔭です。そして良い本のお蔭ですね。
医療制度改革に異論
受講者
痛みを伴う、と謳われた改革が少しずつ形になってきているようですが、医療制度改革には賛成しかねます。いかがでしょうか?
楳木代表
精神を忘れているということと、運用方法が間違っていますね。私は、以前、世界救世教に在籍していた若い頃、自民党幹部の方と会食をした折に〝医療保険制度ができたのは世界救世教のお蔭だ〝と言われたことがあります。戦後、「おひかりさま」と言われて多くの人々を救済し、とりわけ医療を受けられない貧しい人々を救ったのですが、逆に医者や医療族議員は危機感を募らせてしまった。そこで考え出されたのが、医療保険制度だと言うのです。あの時に法難等が起きず、御神業の空白がなければ、時代は大きく変わったのでしょうがね・・・。
まあ、その制度で誰でも医療を受けられるようになったことは確かです。ところが運用については必ず悪用が生まれる。これも以前の話ですが、老人医療が無料の頃です。病院に住民票を移して、そこからパチンコに通う人々がいました。それが許される。ある支持基盤によって。医療自体も、先程の「へなちょこ・・・」の中に出てくるような不必要な検査、治療が多過ぎる。それらを抜本的に見直さねばいけません。情けない内容ですから、これくらいにしておきましょう。
メシヤ降誕祭の斎行
受講者
今年も余すところ一ヶ月余となりました。昨年もお話いただきましたが、メシヤ降誕祭の意義についてお伺いしたいのですが・・・?
楳木代表
信仰読本の?ページを参考にして意義を求めてください。基本は『メシヤというのは人間の名前です。神様は主(ス)の神ーエホバですね』という教えにあります。神の坐にある方が降臨されて、私達に救いの力と真理の教えを授けてくださいました。浄霊力と御教えですね。しかし、授け始めるまでの、いわば準備期間は、人としてのあらゆる苦労をされ、辛酸を嘗められました。それは、人々に解りやすい教えを垂れるための苦労です。有り難くて言葉もありませんね。浄霊力を授かった感謝は勿論のこと、一人の人間が人類のために苦労を担ってくださった、ということに感謝申し上げたいですね。
もとより、浄霊力は「二一世紀を善導する神恵の御力」ですし、浄霊をする行為は「理想世界を建設する上で鍵になる行為」です。その意味からも、十二月二十三日は、浄霊力を授かったことへの感謝の念を深め、一層浄霊力を強めていただく日にしたいですね。
また、古(いにしえ)より冬至を「一陽来復」と称しまして、その翌日である十二月二十三日を「陰が極まって陽に転じた日」、「善い方に向かい始めた日」としてお祝いする慣しがありました。正月よりも、むしろこの日を大切にする向きがあったようです。クリスマスも、この日に合わせて設けられたという説もあるぐらいですし、日本でも「一陽来復」のお祝いにツリーを飾り付ける習慣があったという文献があるくらい意義のある日ですね。
各地において、そうしたことを踏まえて「感謝」と「門出」の心をもって「メシヤ降誕祭」を斎行させていただきたいと存じます。