視力の改善と共に緑内障にも御守護

岡山支部    徳田研理

 

皆さま、地上天国祭おめでとうございます、岡山支部の徳田研理と申します。
私は、平成26年6月15日の「地上天国祭」に於いて「脳溢血の麻痺に御守護をいただく」という題で名前をT.Kとして色々な都合上イニシャルで体験発表させていただきましたが、もう問題無くなったので、この度は実名で発表させていただきます。よろしくお願い致します。

 

以前報告した概要

以前報告させていただいた内容を簡単にお話しすると、平成24年2月、仕事中に脳溢血で倒れ、病院で手術。その後、左半身麻痺で感覚は完全に無くなり、左手左足は動かなくなり、その上左目の視野範囲は狭くなり左耳は聞こえず、ロレツは回らなくなり言葉がしゃべりにくく自分が話している言葉を相手は聞き取れないという状態でした。

その為、○○○○○の信者だったので浄霊を受けましたが、何の変化もないまま1年が過ぎ、貯金も底をつき、先行き不安で死を意識するようになっていた時、メシヤ教岡山支部へメールしたことがきっかけで繋がり、支部へ参拝させていただいて浄霊をいただきましたが、初めての浄霊で頭に痛みを感じ、すぐに「浄霊力拝受」をお願いして以来、自己浄霊に務めると共に、定期的に支部へ浄霊をいただきに行く内に御守護をいただき身体が段々と改善して、10km程度は自分で歩けるようになったり、手も握力が30~40程度出てある程度動くようになると共に、就職についても御守護をいただき、前途に光明が見えるようになりましたことを、報告させていただきました。

本日はその後の経過報告をさせていただきます。

 

市営住宅に入居が出来た経緯

さて、現在では市営住宅に一人で住んでいますが、以前は姉の家に同居させてもらっていました。その当時から私は先祖を祀りたいなぁと思っていましたが、中々出来ませんでした。そして実家に帰えらないといけない事情になったのですが、ちょうどその頃、岡山市の市営住宅の募集時期だったので、岡山市営に入居申込みをしました。その理由は、私の父親はコチコチの唯物主義者で、家に仏壇はありますが、仏壇に手を合わすと気が狂ったように怒ります。

親父曰く“死んだらゼロなんじゃ!もうそこにはおらんのんじゃ!”と言って仏壇にご飯さへお供え出来ませんでした。そういう人でしたので、これでは、ダメだ!と思い岡山市営に申込みをしたのが平成25年の9月、そして10月に抽選会がありましたが、その時は落ちました。その時、何故落ちたのか分かりませんでした。今思えば執着が強すぎたのでしょう、あの当時は自分の事ばかりでご先祖様の事は二の次だったように思います。

その時はまだ○○○○○の信者だったので、○○○○○岡山支部へ行った時に、そこの準責任者に先祖を祀りたい思いや、それに伴い市営住宅に入居したい願いがあることなど話したところ、「御先祖様は今の状態に満足してるから市営に入れないのだと思うよ、○○○○○の支部から離れた場所の市営住宅に申し込んでも入れないようになってるから無理だと思うよ。」と言ってましたが、それなら、最初岡山市営に申込みした場所は△△団地と言う○○○○○岡山支部から百メートルしか離れてない場所で、私は“それなら何故そこの市営に落ちたんだ?”とその準責任者には不信感しか生まれませんでした。

それで仕方なく実家へ帰り、父親と同居しながら、メシヤ教岡山支部へ浄霊をいただきに通っていました。そうして約9ヶ月後の平成26年6月に地上天国祭にお参りが許され、体験記迄発表が許されましたが、その時にはメシヤ様に市営住宅入居の件は時間が足りなくてちゃんと御祈願というか、お願いできませんでした。その後、岡山支部責任者の原田さんのアドバイスをいただいて、ちゃんとお願いができたのが8月の支部月次祭の時でした。

そうしたらすぐに御守護いただいて、それまで無職で失業手当で生活していましたが、備前市の方へ仕事が決まり、備前市の市営住宅に入居申込み出来るようになりました。(備前市営への入居条件は、備前市へ仕事に行っておれば権利を得られます)しかし、備前市の市営は毎月募集してましたが、私のように障害を持っていたり、車を持ってない人には生活しにくい場所しか空いていませんでしたので、適当なところが見つからず、私は段々イライラしていました。

 

入居に当たっての色々な御守護

その時また原田さんから、「執着を無くしたら直ぐに決ると思うよ」と言われましたので、私は出来る限り市営の事を忘れていました所、9月に入り備前市○○団地に平屋3DKに空きが出来、募集が始まりました。するとここで一つ御守護いただきました。それは、岡山市から備前市営に入るには市が違うので書類がたくさん要り、岡山市東区役所迄書類を取りに行かないといけない事になり、仕事が終わってから書類を区役所迄取りに行きました。区役所は5時閉館で、電車は駅に閉館20分前に到着します。区役所は駅から約600~700m程ある場所なので、その時の私の足ではどんなに頑張っても20分近くかかるはずなのですが、その時追い風が吹きまして、そのお陰でなんと5分~10分で着いてしまいました。この時「御守護だ、神様の力だ、祖霊様が力を貸してくれたんだ」と思いましたが、なんとも言葉になりませんでした。そして無事書類をいただいて帰りました。

また、備前市の「△△△」で働いていると言う証明書を働き出した頃にもらっていたのですが、これが、「○○○○○△△△」と入ってないと備前市で働いている証明書にはならないのですが、「○○○○○」迄しか入っておらず提出したら使えない事が分かり、その事を直ぐに会社に連絡しました、その時は応募締め切り二日前でしたので私は“あぁ、やっぱり駄目かなぁ”と思っておりました所、翌朝責任者が、「出来たよ、これでダメならもう無理かも・・・でもいけるはずだよ」と言って「○○○○○△△△」の印鑑スタンプの入った書類を渡してくれました。ここでもまた一つ御守護をいただきました。以前に証明書を出してもらった時は2週間かかったのですから・・・そして市営住宅の募集申し込み迄スムーズに事が進みました。

 

交通事故に遭うも市営住宅に入居が許される

その後、市営住宅の抽選日までに次のようなことがありました。それは、9月14日、支部での勉強会の日のことです。私が駅から支部へ行くのに歩道を歩いている時に横道から本道へ出ようとする車に接触しました。私は、バランスを崩して転倒して車道へ身体は出ましたが、通行車両も無く、当たった瞬間いつも肩に掛けてあるバックがクッションになり、ほぼ無傷で大きな御守護をいただきました。

以前の私ならその運転者に怒鳴り付けていたであろうと思います。確かに腹はたちましたが、「堪忍袋が破れたなら何度でも縫え」という御言葉や、原田さんから「人から怨まれたら駄目だよ」と言われていた言葉を思いだし、落ち着いて相手に話をしてその場から立ち去りました。以前の私だと、絶対怒鳴っています。○○○○○の浄霊では心や身体に何の変化もなかったのですが、本物の本当の浄霊ではここまで違うのです。

私の心が変わってきていることに私自身が一番驚きました。その事は支部に到着してすぐに報告しました。これは私の勘ですが、ここで、怒鳴っていたら市営の抽選には落ちていたのではないかと思います。あの接触事故は、私の曇りを取って下さるために御先祖様が準備して下さったのだろうと思いました。

というのは、その頃少し感謝が薄くなっていた私に、再認識させるために用意して下さったのだと、この文章を書きながらハッとしました。そして、その二日後、抽選会がありまして、お陰様で抽選に当たって、家賃の安い市営住宅に入居出来ることになり、一人暮らしの生活が出来る程度に身体も回復して、仏壇も整えて今に至っております。

ここで学んだ事は、「御教え通り執着を棄てるということ」「神様にお願いしたら後はお任せするということ」「神様は正しい願いは叶えて下さること」、そして「感謝を忘れないこと」でした。

 

高血圧に御守護をいただく

それから以前の私は、高血圧でした。普通の時で上188、下123程度で高い時は200を超えたことも度々ありました。

それで、私が脳溢血になって入院、そして退院後、○○○岡山支部(現○○○○○岡山支部)に行った時、(いつのものであったか失念しましたが)たまたま○○○発行の会報を見たら、そこに高血圧についての会長指導が載っていました。御教えでは、浄霊の急所は首で、確か、御垂示録での表現は、「首のここ」という書き方だったと思いますが、○○○会長の解説は「これは明主様が間違ってます、首のところは人それぞれだから、絶対ではありません、真の急所は心臓と腎臓です」と、書かれていました。

その理由は、「心臓は火で血を送り出すが、心臓の力が強すぎて腎臓が制御しきれないから云々・・・」と書かれていましたが、その当時の私は、『ん?なんか御教えと違うなぁ?』(この当時位から○○○に不信感を抱き出した頃)・・・と思ったので、直ぐに○○○岡山支部の責任者に「御教えと違いますよ?」と聞いたところ、責任者の言葉は、「それは明主様も元人間でおられたから、間違いもするよ」というような内容で、今の自分なら間違いがわかる程の馬鹿な答えでした。しかし、当時(平成24年12月位)の私は、それでほぼ納得していました。

そうして、メシヤ教に繋がった最初の頃に、私がメシヤ教岡山支部責任者の原田さんに一番最初に浄霊の急所を聞いたのは、高血圧の急所だったと思います。その時、教えて下さった急所は咽喉のすぐ下辺り、頸動脈付近でした。「あぁ、御教え通りだ」と私はその時思いました。

今まで余裕がなく、自己浄霊も、高血圧の急所はしていませんでしたが、平成27年5月頃職場での診断の結果、血圧は上180下130台でしたので、会社がやかましく血圧のことを言うようになってきたので、高血圧の急所と首肩の時間を少し増やしました。そしてその後の約半年の自己浄霊、支部で浄霊の御取り次ぎをして下さった方々始め原田さんのお蔭で、11月頃、耳たぶからの出血が3日ほどあってその後140台に血圧が下がり、その後は、会社の管理責任者が納得出来る数値(一キロ位歩いてから直ぐの計測で、上150下87。少し休憩して、上123下87。更に少し時間置いて、上118下83。連続計測で、上108下67)が出るようになりまして、大きな御守護をいただきました。

 

緑内障と視力回復に御守護をいただく

また、眼についてですが、私は以前から緑内障があり、それがかなり進行していて免許の更新は絶対無理だから諦めるように医師に言われており、さらにこの度の脳溢血の影響で視野範囲が狭くなっていて、免許を再取得するには、視野範囲が狭すぎておりました。視力も、平成27年5月の時は、右目0.1左目0.08で乱視もありましたが、その約半年後の10月~11月頃は、右目0.5左目0.4とかなり回復しておりました。この時、眼鏡を掛けたら両眼視力1.2迄見えたので、免許がパスできる範囲になりましたが、眼科の医師からは「あなたには乱視があるから誤差範囲だ!」と言われました。そして、緑内障の進行も止まってしまい、医師は「分からん原因不明だ!こんなことは初めてだ!」と言って、「数ヶ月に、一回視野範囲を測りに来てな?」と言っていました。

視力の回復が見られるのに“誤差範囲”だという、そういう眼科医は信用ができない(何故信用が出来ないかと言えば、緑内障が治りつつあったらしく、緑内障は絶対治らないと診断した医者としては面白くないのでしょう、今年の2月の計測時には180度態度が変わりました。普通医者なら、患者が治りつつあるのならば、“良かったですね”とか声をかけるのが本当でしょうが、この医者は患者を馬鹿にしてきました)ので、眼科を変えて2月29日に再検査したら、新しい眼科医曰く、「緑内障なんてありませんよ。視力は裸眼で両眼とも0.6で、視野範囲は可とも不可とも言えない結果(左目の左側視野範囲を一番左迄見えてる範囲を③として、その次の可とも不可とも言えない範囲を②、ほぼ見えてない状態を①全く見えてないのを0とした場合、私の現在の視野範囲は②辺り)なので判断に困りますが、もしかしたら、もう少ししたら、見えるようになるかも知れませんよ?」ということでした。昨年11月の耳たぶからの出血が緑内障の毒素を出してくれたのかもしれません。

現在医学では、緑内障は不治の病なので、私はその新しい眼科の医師に、「前の眼科では緑内障と診断されましたが、緑内障はないですか?」と聞いたところ、医師曰く、「ええ、緑内障は全くないです。前の眼科で緑内障と診断されたのは・・・何ででしょうね?・・・もしかしたら、視野範囲が狭くなってるから緑内障と間違えたのかも?」という返事でした。

此方が聞いているのに・・・と思いましたが、思い出せば、眼圧は相当上っていたと記憶しています。障害者の就労の場合は免許は関係ないですが、一般就労として就職する場合には私の住んでいる田舎では免許が無いと就職ができないので、希望が持てるようになりました。以前の視力は両眼共0.1~0.08位だったのが現在では両眼共0.6、そして緑内障は治り、視野範囲は改善しつつあるということで、まさに驚異の回復力です。“これが本物の浄霊だ!”と思わずガッツポーズが出ました。“やっぱり明主様とお呼びしている○○○ではダメだったんだ”とも思いました。

 

現在の様子

現在は、平成26年11月より左足親指から、平成28年4月より右足指先から、膿とも血膿ともつかないようなものが現在までずうっと排毒を許されています。左足の排毒血膿は、最初の頃はお風呂にはいると湯の色が黄色になるくらい凄かったです。現在はそこまでなりませんが、排毒ある毎に少しずつ体の方も障害の度合いが、薄皮を剥ぐように軽くなり体重も代表先生に指摘された時の体重よりもずっと減り(当時は100㎏以上)、現在では73㎏前後で推移しています。

そして、麻痺していた左手は、軽い物、中身の入ってないコップや500mlのペットボトル、ペン等なら左手で持ち上げて移動させたり、なにも置いてない軽い物を棚の上から取ったり上げたりすることが出来るようになり、爪切りも左手でなんとか右手の爪を切ることも出来るようになりました。

また、足は膿が一時期出ない時がありましたが、それまでは以前所属していた○○○の御霊紙を使っていました。それで役不足を感じて、原田さんにメシヤ教で御霊紙を作ってもらいまして、それを貼ったところ、翌日から以前に比べ膿が出るようになった上に、○○○の御霊紙だと痛みが出なかったのに、結構激しい痛みまで伴うようになりました。現在も、ある時は激しく痛み、またある時は軽くなったりと、常に痛みを伴いながら排膿しています。原田さんからは、「膿や痛みがある間はまだまだ改善するから」と言われていて、更に良くなることを願って日々自己浄霊に取り組みつつ、月に2度ほど支部で浄霊をいただいています。

メシヤ様、これまでの様々な御守護、誠にありがとうございました。少しでも会社や近くの人に自らの体験と浄霊の話をして、メシヤ様のお役に立たせていただき、恩返しをさせていただくことと、自分自身、精一杯精進して更なる高みに行けるように努力していきたいです。ありがとうございました。

 

[御蔭話(眼病) 地上天国祭 2016(平成28)年6月15日]

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