お世話の御用を通して信仰の醍醐味を味わう

岡山支部 原田多津子(元世界救世教東方之光教団所属)

 

皆様、メシヤ様御降臨祭、誠におめでとうございます。岡山支部の原田多津子と申します。

今日は、二年前の八月に支部としての御用をお許しいただいて以来、メシヤ様の御教えにピントを合わせて御神業させて頂く事により、メシヤ様よりいただきました御守護の報告をさせていただきます。

 

本来の信仰がわからない中でのスタート

私はちょうど二年前の御降臨祭で、支部専従者として「私の歩んできた道」と題して、これまでの経過と決意を発表させていただきました。

その時の発表の最後の内容は、『信者は常に魂を磨き言霊を練り上魂の人間たることを心掛けねばならぬ。』の御教えに常に返り、日々の御教え拝読を怠ること

なく、自分の夜の時代の癖を取るべく御浄霊をいただきつつ、「メシヤ様との共同作業ということ、寝食を忘れて人を助けること、恩は着るべし着せるべからず」という「布教三訓」、「怒るナ、威張るナ、早まるナ」の「るナ三訓」を心掛けながら、支部へ繋がって来られる方々が本来の信仰に目覚め、生甲斐ある人生を送っていかれる様に誠心誠意導かせていただけるように努力していきたいという思いの決意発表でした。

しかし、その時は、自分の夜の時代の癖とは一体どんな所なのか、また、本来の信仰のあり方とはどういうことなのか、自分がはっきり分かって書いた部分ではなくて、はっきりとしたことが十分つかめていない、曖昧な部分を残したままでスタートしていました。

 

自らの癖、信仰体質に気付く

それが、支部として時間を決めて行う日々の朝夕拝や一日祭、月次祭という今までの信仰生活の中では十分徹底が出来てなかった、時間などの日時を神様に合わせて日常生活を送っていくことや、毎月のメシヤ講座での先生のお話を繰り返し学ぶこと、さらには人のお世話を通して、少しずつ自分の癖に気が付いてきました。

それは、相手の事を思う余りに、先々に自分の考えを口に出して言いすぎてしまっていました。また、自分で考えてそれを御教えに照らし合わせて行動するということではなくて、以前入会していた宗教の信仰体制の中で構築されている、指導されたことをしていれば良いとか、言われないと動けないとか、自分で考えなくても良い受身の部分に拍車をかけてお互いに変わっていけないし、今までと同じことをしていることに気が付きました。

それで、このままではいけないと思い、御神業に行き詰ったので、先生にご相談させていただきました。先生は、「人が喜んで楽しみながら、本来の信仰に気付いていただけるようにお世話してあげて下さい。そして、一軒でも多く、御神体がお許しいただけるように導いてあげてください。私達は天国を作っていくんですよ。天国的に行きましょう。絶対に出来ますから・・・」と言って下さいました。

 

今までの考え方を切り替えると・・・

それをお聞きして、地獄的な気持ちから一気に天国に引き上げられたみたいで、気分も楽になりました。本当の幸せを掴んで欲しい、心が魂が救われていく本当の事を解ってもらいたいというのが常に私の心にあったので、先生が言われた事を素直に受け入れて、させていただけばいいんだと思え、これからの御神業が楽

しみになりました。 小乗的な自分の枠の中だけで決め付けて、人をその枠の中に当て嵌めて見て来た事によって、自分で自分を苦しめ、また、人をも苦しめ、また、その苦しむのを見て自分も苦しむという負の連鎖を作っていたことに気が付きました。自分自身が楽しんでいなかったのです。

それからは、メシヤ様がどのようにお使い下さろうとしているのかと思うと、その人その人の良い部分が見えてきて、その良い部分がもっと活かされていくようにとの思いが持てて、ゆっくりとその時期を待てるようになりました。そして、皆さんの喜ぶ姿を楽しみながら、『怒るナ、威張るナ、早まるナ』の「るナ三訓」を実行しながら、じっくりとお話をお聞きし、アドバイスできることはさせていただいていました。

そうした中、心ある人々の努力によって、メシヤ様より倉敷出張所をお許しいただきました。そして、岡山のメシヤ講座を読んでいただければお分かりになるとも思いますが、誰でも持っている夜の時代からの癖の転換は、大変難しいのですが、個々の方々の周辺に起きている事象や、それぞれの方々の直面している問題について、代表先生より継続して指摘されることによって、それぞれの受け止め方が少しずつ変化してきて、自分の癖に気付いて来られ、自分を見つめることが出来るようになりつつある様子を見ることで、私自身もたくさん気付かされる事があります。また、笑顔が増えて、顔が明るくなってこられているのを見ると、私も嬉しくなります。

その内容は、それぞれの方々に発表していただいた方が良いと思いますので、今回は私の身内の変わってきた内容を一つ報告させていただきます。

 

本来の御教えを取り次ぐ

それは、主人の妹のことですが、妹は浄化した時に浄霊を頼んできたのですが、以前、同じような浄化をいただいた時に、毎日浄霊を自ら受けに来て良くなっていった経験があるので、毎日人から受けないと良くならないと思っていたのと、家に浄霊に来て欲しい感じでした。それで、浄霊は、本来は自分で出来ることや、浄化の状態に応じて対応はするけど、自分で来られる状態なら求めて来ることなどを伝えると、自分の浄霊では効果がないように思うとか、前は浄霊に来てくれていたのにどうしてかと言われました。

私が送迎をすれば来られるけど、これでは以前と同じ信仰になってしまって御守護いただけないと思いました。それで、どのように導いていったらよいのかと思い、先生に相談させていただきました。先生は、私の話をじっくり聞いてくださり、メシヤ様は「這ってでも来なさい」と仰っておられます。その方が御守護いただきます。だから、迎えにも行かない方がいいです。それと、頭に曇りがあるからその浄化をいただいているので、これからも頭に曇りを作らないために次の事を伝えてあげて下さいと言われました。

一つ目は、嘘をつかないこと。

二つ目は、人に迷惑を掛けないこと。人の時間を使ったり奪ったりしないこと。

三つ目は、自分の事は自分ですること。これは、分からないとか難しいとか言ってそのことから逃げないということです。

こういうことを伝えてあげて下さいと言われました。それで、妹に今まで私達のお世話の間違いを謝り、メシヤ様がそのように言われていると伝えると、難しくてよく分からんけど・・・お兄さんやお姉さんを尊敬しているので、浄霊をいただきたいです。ということで、一週間に一回浄霊を受けに来て、後は自己浄霊と夫からいただいています。

それで現在、御浄化も御守護いただいてよくなってきています。そして、献金のことなど何も話していないのですが、前の信仰の時よりも感謝献金が増え、自ら月の終わりまでには支部にお届けするようになりました。ささやかな事のようですが、メシヤ様の言われている通りに伝えることで、色々な事が変わってきています。本当に今までの信仰は、メシヤ様の信仰ではなかったとつくづく思わされました。

 

御教え拝読を通して覚る

先日、夕拝後、お仏壇を拝んで「信仰の手引き」にある御教えを拝読させていただいていた時のことです。その御教えをご紹介させていただきます。

一つ目は「大乗宗教」の御教えの抜粋、

「(前略)抑々大乗とは大自然という意味である。大自然とは、万有一切の生成化育のあり方をいう事は勿論である。故に大乗とは一切を包含して余す処がない。此意味に於て、今私の説く大乗は大乗仏教ではなく、大乗道である。即ち宗教も哲学も、科学も政治も、教育も経済も、芸術も、その悉くが含まれている。そればかりではない、戦争も平和も、善も悪も包含されているのは勿論である。(後略)」

二つ目は、「宗教に自由はあるか」の御教え、

「世間一般の宗教観は、宗教というものは、非常に自由がないように思い、窮屈を恐れて触れない者も相当あるようである、処が之は大きな誤りで、斯ういう誤りの原因は全く既成宗教の中の小乗信仰に因るのである、小乗信仰は難行苦行と禁欲主義を実行する事によって、魂が磨け悟道に徹するという建前であるから、吾々からみると一種の宗教地獄に落ちるのである、之は何によって起ったかというとその信仰の本尊である神仏に力が足りないからで、本来なればその本尊の御光によって左程苦しまずに悟りを得、安心立命の境地になるのが本当である、とすれば、小乗信仰は自力であり、大乗信仰は他力という事になる、そして此小乗道は印度のバラモン宗から起った物である。

以上によっても分る通り、小乗信仰は自由がなく、大乗信仰は無碍の自由がある訳である、といってただ単なる自由ではない、叡智が働かなければ我儘的自由となる危険がある、真の自由とは他人の自由を尊重する事であるから、そこに自らなる限度がある、所謂一定枠内の自由で、此自由こそ真の自由である、何となれば

他人に些かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海濶的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。」

という部分を拝読させていただき、この時に、このような御教えを戴けた事に感動し、涙が止め処も無く溢れてきました。本当にこの御教えは全てのことに通じると思いました。私自身救われた思いがしました。メシヤ様、御先祖様に感謝しました。そして、代表先生は、この御教えを実践されていて、今回私を導いて下さったのだと分かり、感謝で一杯になりました。

思えば、前の信仰では信仰しているのに何故こんなに信仰者同士の争いがあり、苦しいことばかりなのか分かりませんでした。それと、教団がメシヤ様の御教えと段々とかけ離れた方向に向かっていくことを話しても、分かってくれる人もいませんでした。本当に残念でなりませんでした。

しかし、そんなことがあったお陰で、本来のメシヤ様の信仰のあり方を模索してメシヤ様関係の他教団を研究する中で、メシヤ教と巡り合う事が出来、本来の御用にお使いいただける道が許されました。

そうして、支部をお預かりして、お世話する中で、メシヤ様の本来の信仰に導くには、「るナ三訓」の実践は必要不可欠であるという事を、身を持って分からせていただきましたことを、主神様、メシヤ様、代表先生に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

これからも、この気持ちを忘れずに、努力精進させていただきます。

 

[御蔭話(御神業の変遷) 御降臨祭  22013(平成25)年12月23日]

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