精神障害を克服、充実した高校生活に

豊橋市 松井友希

 

私には保育園、小学生のときの楽しかったこと、悲しかったことなどの記憶がほとんどありません。思いだしたくても思い出せません。

何故かと言いますと楽しい思い出よりも”寂しい”や”悲しい”思い出のほうが多く残っているからです。私は子供の頃母親が仕事でいつも帰りが遅くて祖母の家か自分の家で留守番をしていました。いてほしいときにいない、そんな毎日でした。

そして、中学2年生のときにある事情で自殺願望やリストカット、携帯依存、人間不信など様々な形で精神障害に陥ってしまいました。成績も最悪なものになり、水泳の部活もサボリがちになりました。

そしてついに、その年の秋に、母親と大ゲンカをして家出をしました。

結局はすぐに見つかりましたが、自転車で道路を走っているときに私を見つけてくれたのは母の妹で、母は捜しにもきてくれませんでした。

それから楳木先生を通して話し合い、母と別居することになりました。

母の妹の家のほうで住みはじめましたが、そこは新鮮なものばかりでした。手作りの料理、家に誰かがいる幸せ、たくさんの家の手伝い、自分の話をちゃんと聞いてくれる人がいる喜び…。私はこの家でたくさんのことを知り、たくさんのことを学びました。

中学3年生になって、受験のことについて家族と納得するまで話し合い、初めて自分で自分のことを決められるようになりました。そのときの喜びは今でも忘れていません。

学業の遅れを取り戻すために私は家庭教師をつけたり、母の妹から”勉強は毎日するものだから、少しずつでいいから復習をしなさい”と言われながら、理解できない問題は教えてもらいました。

別居してから一年がたち、私は高校に入学することができました。

高校に入ってからは、自分の意志をちゃんと言えるようになり、正しいことを正しいと言えるようにもなりました。友達関係においても、今までは一対一では話し合いができませんでしたが、今はそういったこともできるようになりました。喜ばしいことばかりです。

これは、メシヤ講座に参加して話の聞き方や掃除をする意味などを学んだから得られた喜びなのです。

また、母の妹から”掃除の仕方がなっていない”とか”やることはしっかりやれ”など毎日厳しく言われております。

そして今後の課題は自分に染み付いた悪い癖を改善していくことです。十何年として(続けて)きた癖は改善はとても困難なことです。それは母親の嫌なところが、自分にそのまま染み付いていることや嫌なことからすぐに逃げてしまうところです。

しかし、すぐにめんどうくさがったり、気に入らないことを言われたら不機嫌になるなどの癖は将来の自分のためには改善しなければなりません。なので楳木先生がおっしゃったように、これからも自分のためにも周りの人たちのためにも”掃除”や”家の手伝い”を徹底してやりたいと思っています。

 

[御蔭話(精神疾患)御降臨祭 2009(平成21)年12月23日]

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