毒と神様は舐めたらいかん

日田市 久民広喜

 

「メシヤ講座・特選集no.30」6月分の体験談で掲載をしていただきました「指の切断を免れる」の中でケガをした本人の久民と申します。

今回のケガを通して初めて浄霊のすごさを体験いたしました。それは、大分県日田市の病院から救急車で福岡市内の病院に搬送される車内で同乗してくれた妹が傷口に向い浄霊をしてくれているとき、全く痛みを感じなかったからです。地元日田市内の病院で左手人差し指の第一関節が皮一枚で繋がっていることは知らされていました。約90分くらいで福岡市内の病院に着き、担当の医師が傷口を診断し、「時間はかかるかもしれませんが大丈夫です」と言われました。

手術室に入り、左の脇から局部麻酔をされ、左手の指1本1本の感覚が麻痺していくまでははっきりと覚えていましたが、その後は覚えていません。意識が戻ったときは、病室のベッドの上で麻酔が切れ掛かって本当は痛みがあるはずの傷口がポカポカする感じで目が覚めました。その感じは、うまく言葉では表現できませんが、このときも妹が浄霊をしてくれていました。そしてまた眠ってしまいました。自分のなかで半信半疑であった浄霊の力を再び強く感じることができたのは言うまでもありません。

入院して2日間、妹は側で浄霊をしてくれましたが、傷口の痛みは全くと言ってよいほど感じませんでしたし、気持ちも楽になりました。一番心配されていた指先の色も問題なく、4日目に医師から「もう心配しなくて良いですよ。指先まで血液は流れていますよ」と言われた時、直ぐに妹へ携帯で伝え、妹から「良かった」と言われた時、知らずに涙があふれてしまいました。

入院して3日後、自分の指先のケガの状態がどれだけ悲惨であったか術前の写真を見せられて解りました。これが本当に自分の体の一部かと思うくらい目を疑いました。毎日、傷口の消毒をしてもらう時、少しずつ指先に感覚が戻っていることも感じるようになり、「動くようになれ」と願いながら、自分で指先に向って浄霊を続けました。ベッドで1日過ごすことや、右足から点滴を受けているためにトイレに行くのでにも看護師さんに車椅子で連れて行ってもらうことが本当に情けなく感じました。「自分1人では本当に生きていけない。人間は助け合って初めて生きていける」と思いました。

入院して5日目、医師から退院の日が告げられた時、父親より先に妹に連絡をしたのは無意識のうちでした。そして、そのあと楳木先生にも連絡しました。指先の切断を免れたのも、退院できるのも、楳木先生、妹のお蔭であるという感謝の気持ちで一杯になりました。

退院後、「仕事復帰まではリハビリを行っても約2ヶ月は必要」と言われたとき、正直“本当に仕事ができるのか?”という思いで不安になりました。しかし、今回のケガの原因は自分の不注意なので早めに復帰したい気持ちになり、週に1度の通院を続けました。退院後、10日間で骨を固定していた針金が取れたとき、予定より1週間も早いのには自分でも驚き、これもメシヤ様、御先祖様のお蔭である、そして浄霊のお蔭であると改めて実感し、感謝しました。

自分の中で早く仕事に復帰したいという気持ちが高ぶる中、5月の中旬ごろ病院に行ったとき、担当の医師に確認したら「無理をしなければ来月からでも良いですよ」と言われ、本当にありがたいと感じました。

 

今回のケガを通して信仰に対する考え方が変化

そして、今回のケガを通して指の切断を免れ、仕事復帰を許されたことで信仰、そしてメシヤ講座で報告されていた数々の体験談や浄霊に対しての考え方が変わりました。

冒頭で浄霊に対して“半信半疑”と書きましたが、信仰をする気持ちも当初はありませんでした。“信仰に対する不信感”というような表現を用いたりもしましたが、結局は勉強不足以外の何物でもありませんでした。

楳木先生にお世話になりだして8年以上が経過します。面談を受けるようになったのは、大学以降つい最近まで自分が歳相応の精神年齢に達していなかったからです。面談を通して数多くのことを学びました。

4人妹弟の長男として生まれ、喧嘩をしても”兄ちゃんが一番”と親から育てられました。地元の県立高校を卒業するまでは、何も問題を起こさず育ってきました。しかし、大学進学のとき、自分の中で親元から離れて自由な生活をしたいと思うようになり岡山の大学に行きました。それから自分の精神年齢は止まってしまったと思います。2年から3年に進級するときに留年してしまい、時間に余裕が出来、パチンコをはじめたのは、長男である自分が厳しく育てられ、親の目の届かない場所で自由な生活を送るようになったからです。

毎月の仕送りでは足りなくなり、返す当てもないのに借金をしてしまいました。結局、母が父に内緒で返済してくれ、どうにか大学を卒業し、再び自宅から通える会社に就職しました。そして33歳の時に結婚。親とは同居せず暮らしはじめました。結婚して1年後長男、そして翌年次男が生まれ4人で楽しい生活を送っていましたが、そのころからまた仕事帰りにパチンコをするようになってしまいました。このときの原因は、子育てに夢中で自分に余りかまってくれなくなった妻に対して欲求不満となり、そのはけ口をパチンコにもっていったのです。

楳木先生との面談でパチンコが原因で借金を繰り返すのは、自分では気付かなかった依存症であると教えてもらいました。勝ったときは気分が良くなり、負ければ、それを取り戻してやると思い、借金をしてしまった自分の考え方、2人の子供の将来など何ひとつ考えることなく、自分の欲求不満を解消していただけだと思います。これは、自分の育った環境、「長男だから一番」、そして自分の中でも「何かあっても親がどうにかしてくれる」とすぐに考えてしまうことを先生からは面談で幼児性であると教えてもらいました。

結婚して4年目、母が突然血を吐き、入院。検査の結果、胃がんであることがわかりました。母がこのような大病になった原因は、自分の大学時代、そして社会人になってどれだけ苦労をかけてきたかなど忘れてしまい、父が原因であると思い込んで自分にはなんら原因は無いとそのころは思っていました。

手術を受け、胃を摘出。回復に向かいかけていた矢先、再発転移し再び入院。その時、妹が「助けたい」という一心で楳木先生に浄霊をお願いいたしました。この時の様子は妹の体験記に以前記述していますが、当時は四つの臓器を摘出していたので、時既に遅く帰らぬ人になりました。

私は責任転嫁をして、“浄霊では治らないじゃないか”と逆恨み的な感情を持ったのです。自分では何も努力をしないで、楳木先生、いや宗教、信仰に対して不信感を強くいだきました。

また、母親の罹病に伴い親と同居をはじめましたが、先程の理由で離婚。このときも先方は裁判を起こし親権を得る手段に出ようとしましたが、長男を引き取ることが出来たのも先生が仲裁してくださり、協議離婚にしてくれたおかげなのです。しかし、お世話になりながらも“宗教にたいする不信感”と称して、勝手な感情でごまかし心から感謝することはありませんでした。

それから妹が自分の幼児性やパチンコ依存症を取り除くためにはどうしたらよいかを考え、先生との面談をお願いしてくれました。最初はいやいやながら受けていた面談でしたので自分には、何ひとつ指導されることの意味が理解出来ず、面談でそのことを指導されたときはわかったように感じても、時間が経過すると忘れてしまうことを繰り返していました。

子供の保育園、そして小学校で大役を平気で引き受け、その都度問題を起こしては親が尻拭いをしてくれて自分では何一つ解決できずに時間が過ぎました。楳木先生から「歳相応の精神年齢に達していない」と繰り返し指導を受けましたが、最初は“違う”と心の中で否定し、“親が厳しいからだ”と呟(つぶや)いていました。

 

窮地に追い込まれて面談内容を理解

しかし、あることで数ヶ月間別世界に隔離され、その時少しずつ自分の中で「いい年になって同じあやまちを繰り返して親、妹弟に心配をかけるのは、自分の考え方が本当に精神年齢に達していない。大学時代に習得すべきことをパチンコに熱中して怠ったからだ」という、先生からの指導の意味がわかるよになりました。

”お前が一番”という育て方をされ、自分の中でも”どうにかなる。いざとなれば親がどうにかしてくれる”という思いを捨てきれずに無意味な人生を送って来ましたが、どうしても自分が生まれかわらなければいけないと思うよになりました。

そのためには自分では、何もできないから先生との面談で本当に生まれ変わるためには、なにをすればいいのかを指導してもらわないといけない。このままでは残りの人生を有意義に送れないと思い、先生からは見放されそうになっていましたが、頭を下げてお願いして面談を続けてもらいました。「毒と神様は舐めたらいかん!」と幾度となく言われていましたが、自分が窮地に追い込まれてはじめてその意味がわかったような気がしました。

自分では、絶対にばれないと思っても必ず妹の耳に入り、ばれてしまう。そのとき妹からは、「夢に必ず母が出てきて教えてくれる」と口うるさく言われていました。

“隠し事やごまかしはできない”と自分に言い聞かせながら、生まれ変わりたいと思うようになって、自分が長男であるということも思わずに生活しはじめました。妹からの指摘も、“兄”“妹”という概念を捨てて素直に聞き入れるようにしました。

そうした心になって初めて、楳木先生との面談を通して本当の意味で生まれ変わるために必要な事が、理屈ではなく心底わかるようになってきました。自分一人では決して生きていけない。しかし生きていくうえで人間として最低限やらなければいけないこと、それは普段の掃除と整理整頓である。これは、妹からの指摘を受けながら毎日続けられるようになりました。また、隠し事も全くなくなりましたので自分自身日々気持ちよく過ごせることができています。心が初めて晴々として、明るくなったと言われるようになりました。

人間とは、不思議なもので後先のことを何も考えず、自分の欲求、そして幼児的な考え方しかできなかったころ、パチンコをやりたいがために借金をつくり、隠し事やごまかし事をしてきましたが、今、楳木先生との面談を通して本当に生まれ変わりたい気持ちが強くなり、そのことを言い聞かせる事で自分も日々気持ちよく過ごせることが出来ています。自分の行動に対してあれだけ口うるさかった妹から最近、「兄ちゃん、明るくなった、元気が出てきた」と言われるようにもなりました。しかし、自分がここまでこれたのは、何があっても見捨てずにいてくれた妹夫婦のお蔭であると感謝しています。

今回のケガを通して自分の過去を振り返ることができ、楳木先生との面談を通して大学時代で止まっていた精神年齢が少しずつですが歳相応になっていると感じられるようになりました。

切断を免れた指先、傷口の後は決して消えませんが仕事に復帰できて、自分では予想もしていなかったチャンスを与えてもらいました。それは、新設備の導入が決まり、責任を任されたことです。それを確実に自分のものにするには、今後どうしていけば良いかを楳木先生に面談を通して指導を受け確実に実行しています。

「毒と神様は舐めたらいかん!」このことを肝に銘じて残りの人生を有意義に過ごしていきたいと思います。本当にありがとうございました。

 

[御蔭話(家庭・家系の悩み)メシヤ講座・特選集no.32 2008(平成20)年9月]

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