宗教のもつ意味

日田市 佐藤直美

 

母が突然の吐血

平成11年3月、私の母は何の前触れもなく突然吐血し、救急車で運ばれ、そのまま入院しました。何度も検査を重ね、胃癌と診断されました。

私は、‘母を何とかしなければ’と考え、その当時親しくしていた先輩の同僚に相談しました。その方は、フェニックスパワ-や宝地院というところを紹介してくれました。

その当時の私は、‘母が完治して長生きできるならば、どんなに高額なものでも借金をしてでも宗教グッズを購入しよう’と思いました。グッズを手に入れ、手術の日を迎えました。母の病状は、思った以上に悪く全身に癌が転移していました。

また、「半年後には再発し、延命はとても無理」と、医者から説明がありました。私は、さらに益々お金と時間をかけ、グッズを購入するために走り回りました。しかし、母は医者の予告どおり半年後に再発し、12月に再入院することなりました。

私は、また同僚を頼って、生命活性酵素水、ライト・セラミックの腰巻を購入する機会を得ました。宝地院へも足を運び祈願をし、グッズを購入しました。しかしながら母の症状は全く良くなりませんでした。

 

浄霊との出会い

そして年の瀬も押し迫った頃、同僚が「120%信頼できる人」と言って楳木先生を紹介してくれました。話を聴いた時、正直言って‘手かざし?’‘新興宗教?’と心の中で思いましたが、その時の私は‘何でも良くなりさえすれば…’との考えで、お会いする機会を約束しました。

12月30日、年末の忙しい中先生は母の病室まで来てくださいました。母は30分ほど浄霊をいただきました。するとどうでしょう。それまで自分の力では起き上がれなかった母がス-ッと上体を起こし「あらっ」と驚きと共ににっこり笑ったのでした。

その時先生は、母に次のことを話してくださいました。

・人としての役割

・宇宙や地球の仕組み

・メシヤ様と浄霊

浄霊により、家族の最後の願いが叶えられました。それは、‘お別れの旅行’の実現です。正月に親子兄弟全員で旅行に出かけ、思いもよらぬ幸せな一時を過ごすことができました。旅行から帰ってきて皆で「チャンポンを食べよう」ということになり、母は「美味しい」と言って一口食べました。忘れられないひとコマです。

しかしながら、人間の欲求は限がないもので、母の全快を願いました。旅行を終えるとまた母の病状は悪化しました。私は、’どうしてここまでいろいろグッズを買ったのに・・・’また‘教えられた通りに浄霊をしているのに・・・’と思いました。母の命が「後20日」と医者に言われても尚、私は別のお寺へ祈願に行きました。

そんな中、先生は次のことを話してくださいました。

「長女である直美さんに、今、分かってもらっておきたい事がある。今のお母さんの身体で延命することは難しい。(胃、膵臓、胆のうを切除しており、全身に癌が転移して体力がない。)現界でのお母さんの役目は終わって、お母さんはこれから霊界での役割がある。直美さんがこれまで生きてきた時間よりも長く、お母さんの供養が現界でできる。肉体が滅んでも魂は永遠である。」

これらの内容は、私にとってはひどく辛く悲しいもので、すぐには受け入れることができませんでした。何故ならば、他の宗教とは違って、先生の言われたことはあまりにも現実的、真実的、誠実的だったからです。

母は、痛み止めの注射を打たれ、たくさんの管を刺されながらも、痛みに何日間も耐え抜いてこの世を去りました。最後の最後まで人間らしく生きたと思います。

もしも、先生にお会いできていなければ、モルヒネを多用し、他界後は分骨をしたりと、恐ろしいことを重ねていたと思います。

 

宗教の概念の変化

もっと早く楳木先生に出会えていたら母は助けられただろうか、という考えが頭を巡り涙でいっぱいになることもあります。しかしこれはどうしようもないことです。

私は仏教系の大学を出て教員資格を得ましたが、幾つかの宗教も遍歴し、不思議体験も重ねてきました。しかし、宗教というものを深く考え、人生を問い直すということは少なかったように思います。

メシヤ教にご縁をいただいてからは、真剣に考えるようになりました。また、母の供養のことを始め、人生上のわからないことを何でも先生に質問できることは幸せなことです。もし先生に出会えていなかったら、母の死と共に私は錯乱し、お酒か何かにのめりこんでいたかもしれません。

『親への孝行は、死後本当にできる』という教えを基に供養の仕方を教えていただいたことは、大きな救いでした。

「〇〇%延命する」と告げたり、希望ありげな言動を重ねた他の宗教関係者と違って、私に‘母の死’を自覚させてくださり、来るべき時が来ても狼狽しないように心の準備をさせてくださった教え方こそ本物の宗教と言えると思います。

私は、それから二児を授かり、復職もして慌しい毎日を過ごしていますが、本来の人生のあり方を、その都度その都度丁寧に教えていただき歩ませていただいております。母が残してくれた‘人生の宝物’がメシヤ教です。

ありがとうございました。

 

[御蔭話(家庭・家系の悩み) メシヤ講座no.33 2003(平成15)年10月]

この投稿へのお問合せ

[print_link]