鎮痛剤、精神安定剤と決別

豊橋市 松井美登

 

母と姉が、一昨年頃から浜松の増田牧子さん宅で開かれる「メシヤ講座」に参加するようになりました。私も神様のことには興味がありましたので、‘行ってみようかな’とは思いました。しかし‘よし行こう’という気分にはなれず、当日になると気持ちが重くなったり、体調が悪くなったりして参加できない状態でいました。

そんなことを繰り返していた時、母が脳梗塞で倒れ入院するという事態が起きたのです。 ‘浄霊をしてあげると良いよ’と増田さんが話してくださったので、初めて 平成13年8月のメシヤ講座に参加しました。その日の体調は最悪でしたが、何とか勉強して浄霊の仕方も教わりました。

入院している母のところへ行き、言われた通りに‘光が母を貫いていく’想念で浄霊を取り次ぎました。‘訳わからず’といった状態でしたが、少しすると、火にでも近づけているかのように手の平が熱くなりました。同時に、ものすごく眠たくなりました。その時点では‘何でこんなに熱くなるの?’‘あ~眠っちゃった!’くらいにしか思いませんでした。

次回のメシヤ講座で、『メシヤ様から流れてくる光が身体を通過したのだよ』と知らされ、不思議な思いでした。そのような体験がきっかけとなり、私もメシヤ講座に毎月参加するようになりました。行く時は気分が優れず、しぶしぶ付いて行くという感じでした。‘訳のわからない難しい話しをしているなあ~’と思いながらも、夢中で耳を傾けていました。そして帰る頃には、いつも気分がスッキリしました。

 

母への浄霊で価値観が一変

また、私は時間のある限り病院へ出向き、母へ浄霊を取り次ぎました。母は、倒れる時点より半年も前から症状が出ていたらしく、検査の結果で数十箇所に及ぶ毛細血管の切れた痕や血液の詰まった痕が見つかりました。世間で話題になっているように、信号のような症状が出ていたのでした。

物忘れが多くなったり、言葉数が少なくなったり、動きが緩慢になったり、台所の片付けが雑になっていたのでした。後から聞いた話では、トイレで2~3回つまずいていたり、包丁を握れなくもなってもいたそうです。そんな深刻なこととは露知らずに、甘く認識していたのでした。反省の意味もあり真剣に浄霊を取り次ぎました。お蔭様で短時日で退院でき、後遺症も軽く済みました。

退院後は、浄霊力に確信がある訳ではありませんので、定期検査の結果を見ては薬の量を減らし、浄霊を継続しました。2年過ぎた今では、一切薬を飲まなくても数値は安定しております。そして何よりも、母はすっかり後遺症が消え、以前よりも活き活きしております。しばらく休んでいた本業にも精を出せるようになり、そんな前向きな母を目にすると、浄霊の素晴らしさを実感することができます。

こんな素晴らしい世界があるのだなあ~と驚きでいっぱいです。そしてこのことから私の価値観が一変していったのです。

 

仕事の過労による精神不安

お蔭をいただいたのは母だけではなかったのです。浜松でのメシヤ講座は私に数々の変化をもたらしました。私は、‘行く時は憂うつだけど、良いお話が聞けるし、気分が良くなるから行こう’と思いました。また、メシヤ講座やメシヤ教の書籍の内容は私にとって難しく、辞書を引きながら理解を深めました。

ある時先生は「『メシヤ講座・特選集』を毎日読みなさい」と言われました。毎日なんとなく読んでいると、1ヶ月位経つ頃には頭の中にス-ッと入るようになり、自然と会話の中に内容を引用しており、そんな自分の変化に驚いてしまいます。と言うのも、私は幼い頃からわがままいっぱいで育ちました。

周りの人たちが手をかけてくれ、思っていることを口に出して喋らなくても何でも自分の思い通りになっていました。‘私のことは誰かが何とかしてくれるものだ’と思い、気に入らないことや思い通りにならないことがあると、すぐ怒ったり泣いたりして、29年間好き勝手に過ごしてきました。

高校卒業後などは、夜遊びの癖がつき家にも帰らずフラフラしていました。就職は卒業の2年後です。憧れの職業(エステ)だったので、懸命に勉強をし働きました。しかし、気分にむらがあるので、気が向かないと無断欠勤で遊ぶというありさまでした。

それでも東京に移ってからは仕事に熱中していました。努力しましたので評価も上昇し、次第に忙しくなりました。しかし、私は遊ぶ割には根がまじめなところがあり、お客さんの反応ばかりが気になり、‘満足してもらえたかなあ~?’‘ありがとうと言ってくださるが、本当かなあ~?’ということが、いつも頭にありました。

また、仕事が過密になると、鎮痛剤を一時間おきに飲んでは、身体をごまかして働くようになりました。その頃、周囲の忙しい人も同じような事をしていましたので、当然なことだと思っていました。しかしこうした生活は、やがて破綻しました。

私の仕事は評判を呼び、全国でトップクラスに入ってしまいました。ところが、心底喜べないのです。‘こんな私が?・・・間違いじゃないの’‘もっとまじめにやっている人がいるのに申し訳ない・・・’と思えるのです。

思えば、この頃から精神不安定になっていたのです。気分の浮き沈みが激しくなり感情が収まらず、自分の身体を傷つけて、その痛みで収めたりもしていました。やがて人の目を見ることができなくなり、声が怖くなり、身体も重くなり、自殺すら考えるようになってしまいました。ついに仕事を止め、ひどい状態で実家に戻りました。

戻ってからの生活もひどく、何をすることもせず日を過ごしました。また話し掛けられることがとても怖く、喋ろうとすると声が出なくなり、心の中でつぶやいていました。自分ではどうしようもなくなり、母に精神科へ連れて行ってもらい、精神安定剤を処方してもらうまでになりました。外出もできなくなり、1時間も外出すると疲れで熱が出て寝込むというような状態でした。

2年間の闘病生活が続きましたが、精神安定剤などの薬を止めることでかえって元気が出てきました。そしてやっと体力が付き、再就職しました。しかし、悲劇はまだ続き、就職した先々が倒産しました。それからはまた逆戻りで、‘やりたいことだけやっていればいいじゃん’という思いに浸り、適当にアルバイトをして好き勝手なことをするという自堕落な生活を重ねていたのでした。

 

メシヤ講座で人生の意義を学び、生きる楽しさがこみ上げる

そんな自分を180度転換させてくれたのが「メシヤ講座」だったのです。参加者の方々がする質問、それに対する先生の解答。それらは私にとって驚くべき内容でした。‘何でこんな素晴らしいことに触れることが今までなかったのだろう?・・・’という思いが頭の中にいっぱいになりました。

その一つひとつに触れる中で、私は人生について深く考えることができました。人生の意義について知ることができました。今まで誰も教えてくれなかった新鮮な内容でした。そして私の中に生きる意欲が芽生えてきたのでした。

今、毎日が楽しくて仕方がありません。‘生きるって、こんなに楽しいことなんだあ!’と、初めて思いました。全てにおいて行動的になり、‘誰かにしてもらおう’とか‘自分だけよければ’とか思わなくなり、気に入らないとすぐに怒るということもなくなりました。お蔭で、希望通りの仕事にも就けました。

また、以前は距離を置いて人と接していた私ですが、今では人が集まってくるようになり、中には私を頼ってくる人もあり、戸惑う場面すらあります。しかし、かつての私のように悩みを抱えている人が多く、その方々の少しでも役に立ちたいと思えるまでになりました。そのためには、これから更なる勉強が必要です。一層メシヤ講座を学び、先輩の方々から教えを受けてまいりたいと考えています。

御守護くださった大御神様、メシヤ様、そしてお導きくださった楳木先生に感謝申し上げます。また、お世話をしてくださっている増田さんはじめ、人生経験豊富で教養豊かな先輩方にお礼を申し上げます。さらに、ハラハラしながらも温かく見守っていてくれた父、支えてくれた母、メシヤ講座に引っ張ってくれた姉に感謝でいっぱいです。

ありがとうございました。

 

[御蔭話(精神疾患)地上天国祭 2003(平成15)年6月15日]