リストラ、相次ぐ苦難から脱却

浜松市  國立末子

 

平成7年8月に私の主人は網膜色素変成という病気を宣告されました。それより以前から主人は小さな自動車事故を繰り返すようになっており‘変だなあ’と思っていたのですが、手術もできない、薬もない、原因もわからないという大変な病気だったとは思いもよりませんでした。

医者の話では、発病は平成2年頃で、ほとんどの方が失明するそうです。目の前が真っ暗になりました。さらに、追い討ちをかけるように勤め先から休養を取らされました。その後半年ほどでリストラされました。本当にどうして良いかわかりませんでした。

当時住んでいた家は社宅でした。先代の社長からは「退職する時は、退職金代わりにこの家をやる。」と言ってもらっていましたが、バブル後で会社の業績も決して良くなく、運転資金の抵当物件になっているありさまでした。約束を交わしていた先代の社長が他界していましたので、いただくことは困難さを極めていました。

私は、二重の不安で夜も眠れませんでした。当然主人はもっと落ち込んでいました。元気がなく、ため息ばかりをついていました。

 

ため息ばかりだった主人に変化

その頃信仰を持っているには持っていたのですが、ただなんとなく参拝をさせていただく程度でした。病院では治らないので、神様に縋る以外には方法はないと思いました。そして当時浜松にいらした楳木先生にご指導を願ったのでした。先生は次のように話してくださいました。

「網膜色素変成は視野の中心から悪化する例が多いが、その逆なので‘不幸中の幸い’でしょう。そのように受け止めて、そのことに感謝できれば道は開ける。そしてその素晴らしい想念を礎として、正しい願いを持って神様に縋れば必ず良い結果を許される。

具体的には、①浄霊を取り次ぐ場合、眼はもちろんのこと後ろ頭も念入りにする。②問題を解決するには霊性の向上に取り組む必要がある。土日を除いて毎日通ってくること。③家のことは、この機会に新築する方向で考えて外部者(業者)を絡めて話を練っていけば良い。理に叶って具体的に進めれば、必ずうまくいく。」

主人はそれから弁当持ちで通い始めました。私は週に二回としました。不思議なことに、主人は日を重ねる内に元気が出てきました。また参拝の折りの祝詞の声が力強くなり、友人にも浄霊を取り次ぐようになったのでした。落ち込んでいたことが嘘のようで、頼もしくさえ感じました。

同12月から新たな仕事に付くことになりました。そして家のことは、先生から事細かくご指示をいただきながら夢の実現に向かって取り組み始めました。

先生のところへ参拝した折、業者の方と定期的に打ち合わせを行なうようになりました。まず設計図を作り始め、家相方位を先生に見ていただいてはやり直しを重ねました。時には‘まだはっきりとしていないのに、こんなに具体化しても仕方ないのでは・・・’と、戸惑う場面もありましたが、ご指示通りに取り組んでゆきました。

設計図が出来上がると会社の社長へ報告し、少しずつ話し合いを重ねてゆきました。それから盆暮れの挨拶の折には、必ず新築に関する様々な計画書を持参し相談しつつ打診をしました。

また、予算的なことも入念に詰め、退職金代わりとして譲渡を受けた場合の納税額を業者の関係者(税理士)に算出してもらい、イザというときの準備も重ねました。時間は掛かりましたが、驚くような緻密な手順でした。

 

見事に新築が実現

そして迎えた平成11年3月、社長から‘名義変更ができたから書類を取りに来るように’と連絡が入りました。‘奇跡が起きた!’と思いました。

大御神様、メシヤ様のお蔭です。また時間は掛かりましたが、社長に感謝いたしました。そして何より、先代の社長と共に社業に励み、40年近くまじめに勤めた主人に感謝でいっぱいでした。

家の方は準備万端整えてありましたので、すぐに着工しました。そして11月、見事に完成いたしました。家など建つなんて私にとっては夢のまた夢でしたのに、実現してしまったのです。感謝でいっぱいです。

また主人の目は、組織が壊れている部分は治りませんが、現状維持で過ごさせていただいています。この現状維持ということは、この病気では奇蹟的なことだと伺っています。浄霊のお蔭だと思います。ありがたいことです。

今、我が家の一部をメシヤ教の祭典施設に活用していただいています。私が絶望的だった時に救いの場であったのが、楳木先生のいらした宗教施設でした。これから我が家の御神前が‘救いの場’となり、一人でも多くの方が、幸せになっていただきたいと願っています。

神様のお役に立たせていただいていることがこの上ない幸せですし、主人や子供たちとこの家で恙無く過ごさせていただけることに感謝しております。ありがとうございました。

 

[御蔭話(家庭・家系の悩み)メシヤ講座・特選集no.28 2003(平成15)年5月]

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