メシヤ講座no.194広島(平成29年5月)

<今月の御教え>

開教の辞世界救世教(メシヤ)の誕生に就いて』」(昭和二十五年)

本文は『天国の福音書続篇(三)信仰観 入門と奥座敷』55ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 広島支部】

原田支部長

それでは宜しくお願い致します。

 

支部責任者

月次祭おめでとうございます 宜しくお願い致します。

開教の辞を拝読し、昼の時代を作る実行機関として宣言されたにもかかわらず実現できなかったように思われますが、実はこの平成29年の時の為に 御準備下さっていたように思います。

メシヤ様を教祖として仰いでいても、その御神格を判らなかった事も大きな原因の一つではなかろうかと思います。

神様の仕組みは計り知れない事ばかりですが、時を待たれての平成29年、世界的にもベールに包まれていた事なども露見し解らなかった真理に目覚め、メシヤ様こそ救世主であると理解する事の出来る人も増えてきているのではないかと思うのです。

私たちが向かう先は当然 地上天国の完成ではありますが、その前に私達が国常立尊様を押し込めたのだという事の認識とその罪のお詫びが徹底して腹に落ちないのでは出発も許される事は無いだろうと思います。今こそ犯した罪の払拭 徳積みをするチャンスでありますが、受け取れない者、思えない者は大清算されても親子であろうと仕方ないのであろうと思います。

 

この10年、楳木代表に真理を教え育て頂いた事を表すときであると思います。

私達の認識がサークル的であってはなりません。人類救済のための御教え 浄霊を真に生かす時は今しかありません。地上天国を信じられる魂の集まりとなり、私たちの使命を改めて認識しメシヤ様の御手足となって向かう決意がなければ、来年の3月3日本祝典をお迎えすることは出来ません。

広島支部全員が参拝するようにと今年2月の月次祭の時に代表がお話下さいましたが、かつて一度も参拝を強要されたことはありませんでした。この意味をしっかり心に抱き、ともに利他愛溢れる信徒として向上させて頂きたいと思います。其の為にお力頂ける参拝であって頂きたいと思います、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

有難うございました。

 

山口 受講者

5月度月次祭おめでとうございます。『開教の辞』を拝読して、『宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現・・・。之は、非常に重大な意義があり、・・・』とありますように、いよいよ夜の世界から昼の世界に入ったのだなとこの頃特に痛感します。今までは分からなかったことが新聞やニュースで見聞きし、日々色々な事が起こっている事を思うとじっとしていられないと思う反面中々行動に移せない自分に腹立たしくもあります。

 

しかし『・・・霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於いては、夜の文化は当然不要なものは滅び有用な物のみが残る事になるのは当然な事である。それのみではない。長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない。右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、而もそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである。』とありますように、一人一人の中にある悪の部分を見つめ其れを反省し日々取っていくようにと今、覚りの時間を与えて下さっています。今こそ楳木代表の思いを実行に移し日々向上する様に心掛け、皆で一丸となって向かって行きたいと思います。焦らず、甘えず日々努力して行きたいと思います。皆様どうかよろしくお願いします。

昼の文化の建設は日々目まぐるしく進んでいる様に思います。携帯から始まり乗り物から昔では考えられない世の中に成って来ています。何の為にこのような素晴らしい物が出来たのか考える時やはり地上天国建設の為であり、之を平和の為に使えるよう間違った使い方をしない様心掛けなければいけないなぁと思いました。最後の行にありますように『愈々地上天国が目前に迫り来た、今日茲に善悪を立別け、善を育てて悪を滅しなければならない事になった。所謂悪のトドメである、従って救いの力も決定的でなくてはならない。その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。』とありまようにこの素晴らしい御力を賜っている事に感謝し、向かわせて頂きます。有難うございました。

 

原田支部長

今支部長代理と信者さんの方からご報告頂きましたけど、私の『開教の辞』を通しての覚りと学びを発表させて頂きます。

今回5月は『開教の辞』を学んで欲しいという事が代表のメッセージとしてありました。それから6月は「太陽神」についての学びをして欲しいという事がありましたけども、どうしてこういうふうな内容で5月と6月学ばないといけないのかという事を考えたのですけれど、6月の「太陽神」の学びについては天照皇大御神(あまてらすすめらおおみかみ)様の事についてですね、仮祝典の時に奏上させて頂きましたけれど、何故、天照皇大御神様と奏上されたのかという事について「太陽神」の学びを知って欲しいという事でした。

それから仮祝典について何故、仮祝典だったのかという事も「太陽神」の学びをする事で少し分かってくると思うのですけども、来月の月次祭には私が来られませんので月次祭を早目に・・・6月15日の前に開催して頂いて、今日「太陽神」の学びについて用意して来ていますので、その学びとそれから○○さんが代表の指示の基に作って下さった資料がありますので、その資料を皆さんにお配りして、○○さんを中心にして、大事な所を反芻(はんすう)しながら学びあって、お互いが意見を交換しながら確認して進めて頂ければ有難いなと思います。

 

 

開教の辞と世界メシヤ教復興教団

原田支部長

今回の『開教の辞』についてはですね、何故『開教の辞』をこの時に学ばないといけないのかという事を考えた時に、メシヤ教の本来の使命という物が何処にあるのかなあという事を考えた時に、世界メシヤ教の復興推進教団という事で代表がメシヤ教を立ち上げて十数年になりますけども、復興する教団の眼目の中には大事な事が実は3つ有りますね。

1つはHPを皆さん何回か見て頂いていると思うので目にはしていると思いますが、頭には残っているか知りませんけれど・・・教典と言いますかね、御教えの編纂を通して、メシヤ様の関連する団体・個人と共に共有して行くという事が1つ有ります。

そういった意味で、メシヤ教としては「文明の創造」を出版させて頂いたし、「主神様とメシヤ様」という神観についても、出版させて頂いて今があると共に学ばせて頂いている時ではあるのですけれども、それから「入門と奥座敷」・・・これも信仰観についての学びになっていますけれども、こういった物を出版させて頂いて多くの人に本来のメシヤ様の御神業というものを理解して頂こうという事で進めて行っています。

それから2点目は今日読ませて頂いた『開教の辞』で示された事を具体的に、やって行くという事が推進教団としての2点目の大切な部分なのです。

そういった意味で仮祝典、本祝典に向かう今だからこそ、改めてもう一度その事を徹底して、自分達はどういう事を目標に進めて行くのかという事を自覚して貰うという事ではないのかなぁと思わせて頂いております。

それから3点目ですねこれは当然の事ながら、具体的な救いの救済事業をやって行くという事ですけれども、責任者の方からも報告がありましたけれども、浄霊を中心にして、そして食生活を改善して、本来の綺麗な魂に、濁った魂から綺麗な魂になって頂く様に之からのミロクの世はおう事ですから、ですから自分の魂という物を上魂にして行くような営みが今非常に求められているという事だと思うんですね、この3点について世界救世(メシヤ)教復興推進教団として、世界救世(メシヤ)教復興を事業としてやっていますので、その中核を担う『開教の辞』を今日改めて学ばせて頂いたという事です。

 

東洋と西洋を含めた前世界を救う世界メシヤ教

原田支部長

そういった意味で、此の内容を具体的に精査していきますと、どういう事が書かれているかという事になるのですけれども、1点目には55ページの後ろから6行目の所に

『標題の如き宗教法人世界救世教の創立出現となったのである。』

とありますね、これはですね、2月4日に世界救世(メシヤ)教が創立出来たのですけれども、1月末までは実はですね、日本観音教団の中島先生が合併にというか統合に非常に反対されておりまして、そうした中で急に一夜のうちに亡くなられるという事がありましたけれども、その事についてメシヤ様は御神意に逆らった神罰だというふうに発表されました。

そういった事で反対されて出来なかったものが御神意によってですね、急転直下で「世界救世(メシヤ)教」を御許し頂いたという事なのですけれども、その次の行に

『非常に重大な意義があり、勿論神の深き御旨(おぼしめし)に由るのであって』

という事がここに書かれています。

その事を考えた時に「世界救世教」と書いて「世界メシヤ教」というふうに読まれていますけれども、メシヤ様は片仮名で書く事に依って実は東洋と西洋を含めた全世界を救うという意味合いを持っているんだと・・・要するに世界救世教というふうに言うと、東洋的な働きしか無いんだと、そこに横文字で片仮名でメシヤ教と入れる事によってですね、西洋も含めて全世界を救っていくという、そういう働きになるという意味でメシヤという事をここで入れられたのであるのではないかなと・・・それからもう一つ「メシヤ」というのは何かというとですね、世界中で最高の位をもっているのだと、「王の王」、「キングオブキングス」といってその位をもっているんだと、そして『私が出て初めて人類が救われるんです』という事を29年の時に言われていますけど、やはりそういったメシヤとしての働き、要するにメシヤが世界の世の中を救っていくというですね、そういう教団なのだと、或いはそういう教えなのだという・・・そういう意味合いでここにメシヤというふうに片仮名でうたれたのではないのかなぁと・・・。

 

分裂した本当の意味と“散花結実”

原田支部長

そういう事を考えていきますと、二代様になって世界救世教にしてしまったという事は何処までも横の働きが出来ない縦の働きしか出来ないので、広がりがないですね、小さな教団になってしまうと・・・そういう事で、二代様になってから教団幹部が次々と別れて行ったり教会長が分かれて行ったりして分裂して行きましたけども、そういう事が一つ今迄の流れになっておりますけれども、それというのもこの57ページの後ろから3行目の所に

『従而(したがって)各般に渉って漸次組織形態は固より、活動の形式も新しく生まれるのは勿論である。』

というふうにあります。実はこれは昭和25年から30年のメシヤ様がご在世中迄の事を言っているのではなくて、実は御昇天後、教団が色々分裂していって、そしてその中で神○○○会とか天○○○会とかそういう教団も出来、そして世界○○教から更に三派が分裂していって、そうした中で本当の物が出来ない、之も散花結実という一つの意味合いを持っていると思うのですけども、色んなメシヤ様の御縁の強い方々が分裂する事によってですね、花が散る事によって種があっちこっちに行きますよね、その種から又花が咲いていくという事で、色々分裂して行ったのも散花結実ではないかなぁと・・・。

 

メシヤ教の意義

原田支部長

そういった中でも軸になる教団が無かったという事なんですね、何処までも教えを中心にしてやって行っている教団が無かったという事で、最後にメシヤ様がメシヤ教にそういう使命を与えられたと、いう事だと思うんです。

それが代表がずっと十何年間やってこられた活動の中身だと思うのです、だからこそ、その今という時にこの仮祝典でなくて本祝典に、世界救世(メシヤ)教の復興という事を中心にしたメシヤ教にその活動を軸に成る事を託して、託したというよりは一つやらしてみようという事で、その任命を受けたというふうに思って頂ければいいのではないかなぁと・・・そういう中で何処までも私達がメシヤ様をお出しする事によってですね、物事が変わって行くという事で最後に生まれたのがメシヤ教でありますし、そのメシヤ教に皆さん方は繋がって来たという事は皆さん方にチャンスを・・・(メシヤ様を)お出しするチャンスを頂いたんだというふうに此処では一つ理解していけばいいのかなぁと・・・。

 

そして、メシヤ様の御神業の中で一番大きなのは『私を出す事によって三千年来の、要するに国常立尊様を押し込めた罪が消えるんだ』という事を言っておられますけれども、罪を減ずると・・・メシヤ様をお出しする事によって罪を減じるという事ではなくて、罪そのものを許されて行くんだという事です。

要するにミロクの世になる住民として、未来永劫に亘って、子子孫孫に亘ってですね、その時所位を得て許されて行くのだと、それくらいメシヤ様を出すという事は大変な事で、だから、メシヤ降誕という事については大祝祭日になっていくとメシヤ様は仰っていられると思うのですね。

そういった意義がある本祝典に向かって、今生存を許されている自分達一人一人であると・・・又今という時に許されているという事が非常に大切な事であると思います。昭和三十年の三月三日に本祝典をするとメシヤ様はお決めになられていましたけれども、しかし昭和三十年の三月三日というのは当然メシヤ様が御昇天した後ですから・・・メシヤ様は、予言はしないと言われていますけれども、予言が出来るのですよね、だから予言が出来るのに何故、昭和三十年の三月三日に本祝典をすると決めたのかという事なのですけれど、之は個人的な受け止め方なので、そういう考えもあるなぁと思って受け止めて頂いて、自分達一人一人もどういう・・・何故そういうふうに、日にちを設けたのかなぁという事を考えてもらうといいのですけれど、御釈迦様ですね五十六億七千万年後にミロクがくるというふうに仰っています。

それはメシヤ様が五六七の数字を表わすのに、わざわざ言っているのだと、実際にそんな先の予言をしても仕方がないと、仰っていますよね、とすればもし、昭和三十年の三月三日に本祝典であったら、多分私も含めて皆さん方は命がなかったのだろうと思います。

要するに徳を積んでいませんからね、実は人間の想念というのはそんなにクルッと、一瞬で180度変えていくという事は出来ないと思うんです。ですから実はですね、昭和三十年の三月三日というのはこの度のですね、平成三十年の三月三日の事だなぁと自分なりに覚らせて頂いていまして、結局その期間が人間に対する執行猶予期間であったのだなぁと・・・要するに信者が本来の信者である我々が、心、想念を切り替えていかなければいけない器官として、その何十年間というものをわざわざ設けて下さったんだなぁと・・・それが二代様以降、実は○○教という事で御教えを押し込めてしまってですね、物事が進んで行かない、そういう状況の中にあって、最後の審判という言葉は聞いてはおりましたが実際に何時来るのかというね、自分達の番になっても未だずっと先の事だというような意識がね、あったんですけれど、ご在世中の方々というのは最後の審判というのは本当にもう目の前に来ているという状況だったと思うのですよね。

 

大きな転換期

原田支部長

そういう事を考えた時に、本当に昭和三十年の三月三日から平成三十年三月三日までのこの間というのは本当に一つの大きな転換期だったと・・・その最後にメシヤ教に残って皆さん方、繋がっているという事ですから、この時にね、年齢的にも病気や事故等で亡くなっていてもおかしくないし、年齢的に高齢になっていても生存を許されているしね、そういう今という時に、自分達が生かされて、今迄の教団に居てもおかしくないのに、わざわざメシヤ教に繋がって来ているという因縁という事も考えた時に、これから三十年の三月三日にどのように私達が(メシヤ様を)御迎えさせて頂かないといけないのかなぁと、今我々一人一人に突きつけられている課題なのだと思うのですよね。

この事が明確に分かって、平成三十年の三月三日に極端にコロッと変わるという事は無い、峠ですから其処から徐々として審判が・・・今も審判の最中ですけれども、もっと具体的にはっきりした物が出て来るというのは・・・光の玉というものは今世界大に拡大されていますから、その拡大された光の玉が今ですね・・・天岩戸は閉まっている状況で、二月の時の霊視によりますと数センチしか開いてないと・・・だけどその中から燦々と光がこちらに漏れていたといった事があったと思うのですけれども、そういった事を考えた時に平成三十年の三月三日、我々がメシヤ様をお迎えさせて頂く事でこの天岩戸が開くと、その事に由ってこの御光が燦々と許されていきますけれども、愈々本格的な浄化の・・・大浄化時代に入って行くのだと・・・。

 

今という時と魂の高さ

原田支部長

だから我々も魂の高さというものが、少しでも上がってないと非常にそこでですね、亡くなる者・・・信者であっても亡くなる者も出て来るし、非常に苦しみながらも何とか乗り越えられるだろうしと、そういう事で、代表が去年からずっとやって下さっているこの覚りの学びという事はその魂の高さを一人一人に身に付けて頂きたいからという事でやっているのだなぁという事を思うわけですね。だからこれは支部長代理とか責任者が報告していますけれども、それを他人事のように捉えて、只聞いているだけでは何にも向上しませんので、それは自分達が何回も同じ様に読み込んでですね、自分はここの部分はこの様に受け止めたという様なものを持ってですね、この月次祭に臨んで頂くと更なる自分達が光と御力を頂ける。

それによって、もっともっと一人一人が魂の底から力を頂いて、変わっても行けますし、徳も頂けて力も頂け人を救う力も許されて来るというふうに思いますので、そういった一人一人にならして頂く為にも、どうしても今という時の認識をして頂けると有難いのではないのかなぁというふうにここで思わせて頂きました。

 

一神にして多神

原田支部長

それからですね。55ページの所の最後の行のところに

『観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論である。』、『御本体である神の御働きとなり給うのである。」

いうふうにあります。何故仮祝典だったかという事にヒントは今言いましたよね。話の中で、それから此処で「御本体である神のお働きとなり給うのである」というこの二行ですよね。

観世音菩薩の御働きからメシヤになると・・・で、観音様というのは何かというと・・・これは伊都能売大神様が人間を救うために観音様に変身、分霊されてですね、この世の中に菩薩として、一切衆生を救おうとして出て来られている訳ですよね。

何故、そういうふうにされたかというと国常立尊様のお働きというのは裁きの働きがあるので、裁き一方では人間が可哀想だという事で、主神様は伊都能売大神様に命じて観音様に委ねられたということですよね。ですから観音様が、神の位になって行く伊都能売大神様になって行くという事はここでお分かりになりますよね。

それでは、国常立尊様と伊都能売大神様の関係は何かというと、これは観音講座の中で有りますけれども、天照皇大御神様(あまてらすすめらおおみかみ)がですね、分霊をされて国常立尊様になられて裁きを司る働きをなされますよね、その一方伊都能売大神様に霊分身といいますか分霊されて、そして大慈大悲を持ってですね、可能な限りの人間を救って行こうという両面の働きをされていますよね。でそうなってくると、メシヤという御存在は先程も責任者の方からも有りました様に、国常立尊様の働きを持って進めておられるという事は、どういう事になるかというと、当然、救い主でもありますから伊都能売大神様の働きも兼ね、国常立尊様の働きも兼ねという事になるとお立場的には天照皇大御神様になると・・・天照皇大御神様というのは、主神様の表現神であって最尊最貴の御魂を持たれていてですね、統一の中心なのだと・・・要するに物事を進めて統一して行く中心のお働きをされる御方だと、ただ位が高すぎてですね、火の働きをされるのだと、それが太陽神だという事になっていますよね。

だから、主神様の○というのは太陽の御働きを示すと、チョンというのは何かというとミクラタナの神様のお働きを示すとしますと・・・だからメシヤ様の腹中に宿られたチョンというのはミクラタナの神様だったですよね・・・そういう所から流れが来ていますので・・・只一神にして多神という事で、神様も御神名が違う事によって働きが違うのだというふうに仰っておられますから、そういった意味で、この御位を示される意味で天照皇大御神様というふうにお唱えしたのではないかなぁというふうに私の今の段階での受け止め方はそういう部分をちょっと感じております。

これも参考にして頂いてですね、又6月の月次祭の時にはもっと深い部分が、分かるかもしれない資料を用意しておりますので、そういう事を学びながらですね、自分達の信仰の整理といいますか、これから進めていく本祝典に向けた一つのプロセスとしての6月15日を迎えて頂ければいいのではないかなぁと思わせて頂きました。

 

三千年来の魂の癖をとる為の学び・霊層界について

原田支部長

それから先程も責任者の方から言われていましたけれども、56P前から5行目の所

『不用なものは滅び有用な物のみが残る事となる。』

とありますね。次の行の所には

『人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行われなくてはならない』、『右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである

』とありますね・・・ですから、ここで夜の文化当然不用な物は滅ぶとありますけれども、文化もそうですけれども、人間もそうです。

人間も不用な物を持っていると滅ぶのだと、それが一人一人、何時も代表が言っておられた夜の時代に身に付いた物なのだと、それが実は不用な物なのだという事です。

一日も早くその夜の時代に付いた癖、要するに三千年間生き変わり死に変わりしながら自分が良い生活をしたりですね、良い時所位にいる為に自分に邪魔な者は落として行ったり、又は嫉んだり恨んだりして、罪をなすり付けたり色んな形で処世術を身に付けて生きて来ています。

そういった物が自分達の中に、本来であれば信仰に入信してから、そして信仰生活を続けて行く間に実は取って行かないといけないのですけれども、実は色んな教団の中にはですね、教団を運営して行くという事が主になってですね、信者を増やす事とか献金を呼び掛けるとかいう事だけで、信者の魂の向上という所に中々行かずに進んで来たという面も多々あります。

だからこそ、メシヤ教が本来の人間として、人間らしい人間になって頂く為にですね、御教えの実践という事を、御教えの通りにやる事によってですね、物事が変わっていくと・・・それによって霊層界が変わっていくと・・・今日は、昼から霊層界の学びをさせて頂きますけれども、浄霊の学びを切替えて今回は霊層界の学びにさせて頂きますけれども、その霊層界を変えていくポイントというのは何かという事ですよね、その時に学んで頂ければ良いのではないのかなぁと思うのですけれど、それから既に霊層界の話になったので言わせて頂きますけれども、代表の方からですね、どうして霊層界の学びをするのかという、その意味のメッセージが来ているかというとですね、

「霊層界の学びが充実して来ると兎に角ひたすら神様の為に他の人の為に御用をする事、そして又自分自身が人間の罪を解かしていく、失くしていく救いの業を行使さして頂いているという事がどれだけ有難い事なのかが見えてくるので、だから御教えを拝読するのも自分が分かりたいという気持ちの他に、他の人を救う為に学ばせて頂いているのだという一面も有るのにも気付くのではないかな」

という事仰ってます。それから更に付け加えられてですね、

「単に霊層界の霊界の構成を勉強するという事だけではなく、何故その魂の重さで上下するシステムなのか?その重さとは何なのか?そしてそのシステムにある神意とは何なのか?その中にある自分の存在とは何なのか?という所まで読み込んで行かないと結果として霊界が主で現界が従であるという感覚は得られないと、そして本当の神様の御力の凄さや有難さも分からないよ」

というメッセージがきまして、そういうふうに言われてですね、私も霊層界の御教えを引っ張り出してずっと読んでみましたけれども、あ~っ、やはり確かにその通りだなぁと感じたものですから、急遽ね・・・岡山支部でも5月の勉強会では違う御教えを準備していたのですけれども、急遽霊層界の御教えに切替えて話をさせて頂いたという様な事で、ですから広島でも本当なら浄霊の学びを続けてやりたかったのですけれども、そんな事を言っている時じゃないという事で、皆様にも是非共、この霊層界の学びを一緒に学んで、共有して頂こうかなぁという事で今日、午後からの時間をちょっと一時間か二時間とって頂いて学ばせていただくようにさせて頂きましたので、ご理解頂ければなぁと思っております。

 

自分自身を自覚する

原田支部長

それからまたその不用なものというのは今言った夜の時代の癖ですね、ですけれど、この有用な物のみが残るとあります。この有用な物は何かという事を考えた時に、神様は一人一人に、特徴を持たせ生き変わり死に変わりして今があるのだという事です。

だから皆さん方、一人一人はですね、他人に無いものを一人一人ですね、特徴を持っているのだという事、良い物を持っているのだという事です。その良い物を出すと・・・これが有用な物になって行くのではないのかなぁと思っているのですね。

だから、自分の長所も理解して自分の欠点も理解して、そしてその中で自分の長所を伸ばす努力をする。そして又その自分の欠点という物を少なくしていくという努力が、人間としての価値を生んで行くのだと思うのですね、ですからそういう事をするのが本当の今の時なのだというふうに理解をして頂いて、だから自分を見つめて頂くという事が実は非常に大切で、自分はこうなんだ、ああなんだという欠点ばかりが目につくと、ついそこから逃げようとする心が人間には出てきます。

それからそこに蓋をしてしまおうという、そんな思いも出てきます、ですけれども、それをして行くと、実は物事が変わっていきませんので、敢えてそういう物を見て自分の事を自覚して、自分にはこういう所が有るのだという事を自覚してですね、そしてそれを改めていくというのが、人間の人間たる由縁であるのではないかなぁと思わせて頂いていますので、そのような姿勢で御教えを拝読し、また生活の中に生かして取組んでいくというふうにして頂けると非常に有難いかなぁと思わせて頂いております。それが56ページの最後の行の所に

『大規模な世界的破壊と創造が行はれる』、『重大時期に際会しつつある今』

とありますね。だからこの今という・・・この平成三十年三月三日を迎えようとする、また昭和二十九年の六月十五日が、この平成二十九年の六月十五日とだぶった様な状態で来ている今という時に皆さん方が生を許されて、ここに有るという事の認識ですね、一寸先は分かりませんけどね、この事を自覚するという事が非常に大事ではないかなぁと、そしてですね、自覚すると共に自分達が、切替えて行く、行動に表わして行く事が次の行の所にある『一切が滅ぶものと生き残るものとの何れかに決定さるる』というふうに切り替わって行くのだと・・・だから今という時に、大本の御筆先にも「色々と言ってきているけれども、その事に関心を持たずに、ボサッとしていたら、いざという時、審判の時が来た時に泣いても後悔しても、臍(ほぞ)を噛んでも如何しても間に合わないぞ」というような感じの御言葉があったと思いますけれども、今という時という認識と、今しか出来ないというそういった意味で本当に、三月三日をね、一人一人がどの様に自分の心の中で精一杯お迎えさせて頂くか、徳を積ませて頂くかという事も併せてですね、どうやったら徳が積めるのかという事は又午後からの学びになりますけれども、その事をよく理解して進めていって頂けると有難いのかなぁと思います。

 

本教使命とメシヤ様御出現の理由

原田支部長

それから次の行の所に

『然し乍ら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多くの滅ぶるものを救わせ給はんとして、神の代行を選び救世の大業を行わせ給うのである、又、その使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである、此の意味に於いて愈々切迫せる最後の時期に当っての活動こそ括目すべきものがあろう』

とありますね、その結果あらゆる物が地上天国なのだというふうにありますけれども、これは今読ませて頂いた部分というのが、メシヤ様がこの現界に御出現になられた理由でもあり、世界救世(メシヤ)教を創られた理由でもあるのだというふうに思います。

そしてですね、3行目の所に『その使命達成の機関として運用されるのが本教である』というふうにありますけれども、この部分を「使命達成の為に選ばれたのが信者である」というふうに、この部分を置き換えて読んで頂ければなぁと、そうして「信者の使命たるや実に大なりというべきである」というふうに読み替えて頂いてですね、そういった自分も一人一人なのだというふうな御理解と共に自分の霊線で繋がっている人が先祖も含めてね 自分のお友達も含めてどれだけいるか分からない、そういった人を救っていく自分達が一人一人なので、自分の霊性が高まる事によって実は家族もそうですけれども、そういった縁の繋がる方々とかですね、救われて行くのだと・・・だから、自分の想念次第、御神業の仕方しだいで、物事が動いて行くのだという自覚ですね。

 

最後の時期に当たっての活動

原田支部長

それが次の行の所にある『最後の時期に当っての活動』という御言葉・・・活動と言うと変ですけれども、どういうふうに自分達がこれからそこを目指して行くのか、その後の生きざまというものをどうしていくのかという事が括目すべきということは、注意して見ていく事ということになりますから・・・そういう事になるのではないのかなぁと、だから先程も支部長代理と話をして、今迄色んな事を浄化一つしても代表に電話して聞いてですね 答えを頂いて直ぐに取組んでいたという・・・今は代表がいないので、そう言った意味では御教えに求め、メシヤ様に御神前で額づいて求めて行くというメシヤ様と霊線を太くしていく、非常にある意味では良い時期と言いますか、そういうふうな時を迎えています。

その事で自分達がメシヤ様との霊線を太くする事によって代表が動いてくれますのでね、そういった意味では本当に自分とメシヤ様というものを常に意識して太くして行って頂ければ有難いと思わせて頂いております。

我々生きた人間が之をしなくてはいけない部分が有りますから、その為にも今信者でいるのだという、そういう意識を持って頂けると良いのではないかなぁと思わせて頂きました。

それから58ページの所ですね、最初の行『御名は異なれど同一の御神霊である』ありますよね、次の行の所に『御神霊の活動範囲が拡充する』とありますよね、一神にして多神という事を最初に言いましたけども、主神様の御分霊をもって色んな神々様が生まれさせてですね、其の神々様の一人一人の御働きが違ってくるのだという事を御理解して頂けると弥勒大神の御働き、メシヤ様の御働き、伊都能売大神様の御働き、国常立尊様の御働きというものが理解出来ていくのではないのかなぁというふうに思っております。

 

そういった意味では最初に観音様から光明如来様、光明如来様からメシヤ様というふうにこれは当然名前で働きが変わっていっておりますよね、其の事は皆さん良く御存知だと思うのですが、「御神業の活動範囲が拡充する」という所ではですね、三月三日は桃の花が咲くという節句だと言う事で三月の時に確か代表が最後に言葉で言われたと思うのですけども、そして五月五日は桃の実が成ると端午の節句だと言う事を言われていますけれども、此の桃の実というのは聖王母の桃の実という事で三千年に一度咲く桃の実であってですね、これは桃太郎の事なのだというふうにメシヤ様の御教えの中にありますけれども、この桃太郎が実は観音様なのだという事がありますけれど、その観音様が実は千手観音様なのだという事がありますけれども、この桃太郎が五月五日からですね、桃太郎の鬼退治をする働きをするのが五月五日からなのだという事になっています。

だから五月五日に皆さん方の中には、御参拝を御本部に参拝された方もおられると思いますけれども、愈々その御働きをする時期を迎えていると・・・ではその鬼とは何かというと、先ず自分達の心の中にいる、先程も自分の心の中にある悪ということを責任者の方が言われていましたけれども、先ず自分の中の副霊といいますか、本当にその悪を絶っていく努力という事を退治するなら、それが先ず鬼退治になっていくというふうに思います。で桃太郎がメシヤ様であられたらですね、犬猿雉というのが御供に就いていましたよね、何故犬猿雉なのか?何故牛や馬でないのか?鳥はいないのか?という事なのですけれども、何故犬が選ばれているのかというのはどういうふうに皆さん考えておられますかね?犬というのは忠犬ハチ公というくらい忠実なのですね、という事はメシヤ様の御言葉に忠実である、御教えに忠実であるのかという事を求められているのではないかなぁと・・・この忠実であればメシヤ様の御用に御使い頂けるのだと思うのですね。猿は何故か?というと、猿というのは知恵なのですね、今こうやって学びをして一つ一つ覚ろうとしていますね、これは御教えを通して知恵証覚を頂くという事なのですよね、猿の働きは知恵ということですから、この知恵を戴こうと努力する人間がやはりメシヤ様のお弟子として御用を担って行けるのではないのかなぁと・・・それでは雉は何か?という事なのですけれども、雉というものはスバシッコイですね、代表が何時も言っていた即時性という事ですね、考えて思った事を直ぐに実行に移そうとする即時性、そういうスバシッコサという事になってきます、じゃあそう言った三つの内のどれかを自分が身に付けていけば、メシヤ様の弟子として、充分御用に御使い頂けるのですけれども、そういう自分になっているか?という事を一つ考えて頂きたいですね。もしそういうふうに成っていなければ、そういうふうに成って行く努力をしていくと、いう事が大事な事でしてね、観音様の御働きというのは夜の時代では正法妙如来という働きがありましてですね、之は教えもって正しい教えをもって救っていくという御働きが正法妙如来様(せいほうみょうにょらい)のお働きなのですけれども、今現代では何か?というと、これが光明如来様の御働きだという事をメシヤ様は仰っていて、これは普光山王如来の御働きなのだという事も仰っておられるのですけれども、それでは未来の御働きは何か?というと、最勝妙如来様の(さいしょうみょうにょらい)御働きだという事で最勝妙如来様のお働きは何か?というと、どんな事をしてでも勝っていくお働きなのだと、又どんな事をされてでも勝っていくという御働きが最勝妙如来様の働きなのだという事で・・・国常立尊様の御働きにメシヤ様の御働きに未来が之からがなっていく、そういう時を迎えているのだという事ですね、ですから最勝妙如来様っていうのは私の事なんだと・・・メシヤ様のお働きになっていくのですけれど、そういうふうな時を迎えていると、どんなに悪が強く頑張っても勝っていく時代を迎えていると、それが三十年三月三日以降ですねそういう働きに愈々我々が、そのメシヤ様をお出しする事によってそういう働きに変わって行くという事になってきます。ですから我々は何処までも魂の高さという事を求めてですね、コツコツとやらして頂くという事が非常に大切事になってくるのかなぁと。

 

霊性の向上

原田支部長

そして霊性の向上という事では、どういう事をすれば霊性の向上が出来るのかというと三つ有ります。その中の一つはですね、御教えを学んでいくという事がまず一点ですね、そして御教えを学んだ御教えを実践するという事が二点目です。そうして三点目は何かというとね、自分自身の人格を磨くという事です。この三点が自分の霊性を高めて行く一番急所の部分になっていきますので・・・そういった部分を自分達は本当にコツコツで良いのです。一度に変わるという事は、それは中々出来ません。

 

時期が来ないと働かれない

原田支部長

だから、メシヤ様は昭和三十年三月三日じゃなくて、それを一世代伸ばして下さっている、その転換期を・・・。だけども、それが目前に迫っているので、その事について色々メッセージが来ているという事です。で58ページの所に前から4行目に『時期の推移に従って漸次発表する段取りとなる』という御言葉がここにありますよね、神様というのは時期が来なければ又時が来なければね、神様というのは何も言われないですし、動かれないしですね、働かれないので・・・所が今という時だからこそですね、代表も霊界に還られた時期というのも皆さんにも伝えて来られて、どれだけ大切な時期かという事で、的確に学びのポイントを絞って皆さんにその事を学んで欲しいという事でメッセージが来ていて、我々責任者に対してもこの部分を直しなさいとかこうしなさいとか言う細かなご指示があるというのは、この『時期の推移に従って漸次発表する』という霊界からの一つのメッセージだと思っているのですね・・・これを御教えに照らし合わせて、もし違っていれば、又これはおかしいなぁと考えていけばいいんですけれども、来る一つ一つを確認してみても、大した物だなぁと・・・大した物と言えば神様にたいして大変申し訳ないのですけれど、本当に的確なポイントでもってピンポイントでもって教えて頂いている部分がありますのでね、そう言った意味では兎に角、来年の三月三日迄は色んな思いがありましょうけれども、一つまっしぐらに、このメシヤ降誕本祝典という事を頭に置いて進んで頂けると有難い事だなぁというふうに思わせて頂いております。

 

善悪の立分け・トドメ

原田支部長

それで最後の所の58ページですね後ろから4行目の所からの責任者の方にも言っていただきましたけれども『今一つは観音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、愈々地上天国が目前に迫り来た、今日茲に善悪を立分け、善を育て悪を滅しなければならない事になった。所謂悪のトドメである』ここにトドメという御言葉がありますけれども、トドメという言葉は艮(うしとら)の金神様のですね、艮を実はトドメというふうに読みます。これはメシヤ様の御讃歌の中にも艮と書いてトドメというふうに書かれている御讃歌がありますので、だから当然、艮金神様の御働き、国常立尊様の御働きが愈々世に出て来るのだと・・・ですから国常立尊様の御働きと伊都能売大神様の御働きとが混ざったその力という物がここでいう大神力なのだというふうな受け止めて、これがもう本当に我々に許されて来る。メシヤ様は千人の浄霊が一分で出来るというふうに亡くなる前に仰られていましたけれども、我々はそこまでいかなくても、それに近づく様な御光が、これからどんどん頂けてきますので救いを求めて来る方が多く出て来ます。ですから、そういった意味でも多くの人を浄霊して頂けるような一人一人になって頂く為にもっともっと浄霊力を身に付けて頂きたいし、急所の事もよく分かっておいて頂きたいしという事でもっとですね、これから更に学んで頂ければ有難いかなぁと思っています。

 

メシヤ様から御答えが頂ける一人一人になる

原田支部長

それから最後にメシヤ様はですね、メシヤ教の教えは厳しくなる。少しの間違えも許されないという事を二十九年の終わり頃だったと思うのですけども仰っておられますので、兎に角、御教えから目を離さないように、それが五月五日の時の霊視で、高い塔のトップは見えなかったのだけれども、その麓に代表がおられて代表の手に御教えが有ったと・・・代表が手に御教えを持ってね、我々に差し出していたという事を教えて頂きましたけれども、本当にそういった意味でね、兎に角御教えを頼りに一人一人が・・・我々に相談して答えを聞くのも良いですし、支部長代理に相談して答えを頂くのも良いですけれども、本当にメシヤ様と真向かって、何の為に御神体が家庭の中にあるかという事で、兎に角メシヤ様に真向かってメシヤ様からお答えが頂ける様な一人一人になって頂きたいという事をお願いさせて頂いて時間になりましたので終わらせていただ

きます。

質疑がありましたら、午後からの時に仰って頂けばお答え出来る範囲で答えさせて頂こうと思いますので、宜しくお願いしたいと思います。有難う御座いました。

 

<来月の御教え>

太陽神についての学び(御教えより抜粋)

太陽神についての学び」は平成29年 6月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.194 広島支部 2017(平成29)年5月21日]