メシヤ講座no.195本部(平成29年6月)

<今月の学び>

「太陽神について」

【メシヤ講座 本部】 

責任者の覚り

光の森出張所責任者

6月度月次祭、おめでとうございます。

4月の月次祭から5月5日の本部竣成記念大祭を経て、本日までの覚りの御報告をさせて頂きます。

本当に時間が過ぎるのは早いもので、楳木代表がお亡くなりになられてから2ヶ月以上が経ちました。

その間、各支部に於いては、楳木代表から戴く御垂示のもと「世界メシヤ教を復興する為には『開教の辞』の内容の理解が基礎になくてはならない。」ということで、『開教の辞』に付いての学びと、「神様の御用とは何か、御用をさせていただくとは何か。」を分かる為に『霊層界』に付いての学びを深められていました。

私も御垂示を戴いている一人として、この内容を学ばせていただいたのですが、『開教の辞』を深く理解する為には神観を分からないといけないし…ということがありますので、殆ど毎日御教えに求めさせて頂きました。そのように御教えに答えを求める経験をさせて頂いている御蔭で、以前の私は全く神観が分かっていなかったことに気が付きました。

神様のことを少しでも分かろうとするということは、それだけ神様に近づくことになります。そして神様と太く結ばれることになり、又神様から戴く御力が強くなってくるのだということを覚らせて頂いています。

先月は5日に本部竣成記念大祭を執り行わせて頂き、御本部での月次祭はありませんでしたので、残念ながら私達は共に『開教の辞』と『霊層界』に付いての学びは出来ませんでしたが、メシヤ様を信仰していく上に於いて重要な内容ですので帰られてから、本部ホームページにアップされている、岡山支部又は広島支部のメシヤ講座を是非開いて学びに繋げて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致します。

それから、今年の3月3日箱根での祭典の日から私達は、楳木代表から頂いた「なぜ昭和29年6月15日の祭典は『メシヤ降誕仮祝典』だったのか。そしてその祭典でなぜメシヤ様に『天照皇大御神様』として御奉誦申し上げたのか。」という課題の答えを其々が求めて参りました。

なにぶんにも神様のことは知りたいし分かりたいのですが、御教えに求めて行くほど捉えにくく絶対にこうだというお答えは未だに頂けていません…。

私の覚った範囲内で「なぜメシヤ様に『天照皇大御神様』として御奉誦申し上げたのか。」ということと「なぜ、メシヤ降誕仮祝典だったのか。」ということに付いてお話させて頂きます。

このことを考える上に於いて、先ず熱海の意義を考えてみました。

講話篇の8巻P.112で『今度は体的に―ここ(箱根)は霊の中心になるのですから、これが熱海に写るのです。ここ(箱根)が霊界の経綸で、熱海は現界の経綸になるのです。ですから熱海ができて、それからだんだん拡がるのに、現界的に拡がっていくわけです。」「箱根は霊界、熱海は現界の経綸だ。」と仰っています。

そして、6月15日は「地上天国祭」として毎年祭典を執り行わせて頂いておりますが、昭和6年6月15日に日本寺へ天照皇大御神様を御迎えに行かれ、昭和9年の6月15日には日枝神社へ御鎮祭なさり、この日からが昼間の第一歩だと仰っています。

メシヤ様が文明の創造の中の『霊界に於ける昼夜の転換(P.305)』の御論文中に大転換の時期としては、『昭和6年6月15日から始まり、昭和36年6月15日で一段落がつく事になっている。』とお書きになられていますが「夜昼転換の重要な具体的な意味」としては『火素の増量だ。』とも仰っています。

主神様の神御魂が太陽の黒点であり、宇宙の支配力の中心です。天照皇大御神様は、主神様の代現神であり、太陽神であらせられるわけですから、メシヤ降誕仮祝典でメシヤ様に対し奉誦された御神名が『天照皇大御神様』であったということは、御神名は働きを表すのですから天照皇大御神様の日、火(火素)の御働きが熱海で「御神様として御迎えすることにより」の御働きを現界に拡大させ霊界にも反映させるということと、縦=火の神=天照皇大御神様(霊)と緯=熱海地上天国(体)を結んだ地上天国の型としての御意図ともおありだったのではないかなと思いました。

御神名をあえて太陽神であらせられる(伊都能売大御神様でもなく、国常立尊様でもなく)天照皇大御神とされたのも霊的な光(火素、浄化力)を拡大するような、そういう御意図ではなかったのでしょうか

それから仮祝典ということで、先ず天の岩戸の例えにあるように岩戸を少しだけ開けられたということだと思います。全開にしてしまうと火素が急に増えることになり急激な浄化が始まるというような…ことです。

神様が総てのことを司っておられますから、私達人間が心からメシヤ降誕を祝福でき、自然にお迎えする準備が整う、平成30年3月3日に向けて…調度良い具合に時期を調整されたのではと思いました。

昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」から先達の方々は約2ヶ月の間メシヤ様と御称えされていたという状況は、今の私達にお許し頂いている状況と同じように感じます。

そのような意味合いも含め「体的な現界の経綸」の熱海地上天国でメシヤ様に対し「天照皇大御神」と御称えされ、人間側が“メシヤ様をメシヤ様として”自覚して自然にお迎え出来る形が整いその資格を戴けるようになる、平成30年3月3日迄、本祝典の時期 (天の岩戸開き) を待たれていらっしゃるのではないでしょうか。

この頂いた課題に取り組むことによって、私達が御許し頂いている信仰とは昼の宗教であり、太陽の力が主なる「主神様、メシヤ様に真向かうもの。」だという肝心な部分を、御蔭様で腹に落とすことができました。これからも日々研鑽させて戴きながら進ませて頂きます。

分かりにくい内容だったのでは…と思いますが…。以上で終わらせて頂きます。

有難うございました。

(この後、「太陽神についての学び」として研鑽資料を拝読。)

 

「太陽神」の研鑽資料について

菅谷支部長

皆様、月次祭おめでとうございます。

今日は初めて御本部の月次祭に参拝させて頂きまして、こういう時期に参拝をさせて頂いたというのも非常に意味があるのではないかなと思ったのですけれども…。

今、拝読して頂いた内容は御神格のこととか太陽神、天照皇大御神のことなどを整理する為に岡山支部長が纏めて下さったものなのです。この資料は今読んで頂きましたが、繰り返し何度も読んで頂きたいのと…新潟出張所責任者が纏めて下さっているものとを併せて読んで頂くと、先程光の森出張所責任者からも報告がありましたが、「なぜ6月15日に天照皇大御神様と御称えするのか。」という部分がもっとクリアになってくると思います。

それから、地上天国祭に御参拝出来ない方もいらっしゃると思いますので、その日は各家庭、又は支部、出張所の方で御参拝の時間を合わせて頂いて共にお祈りして頂けたらと思います。

次は、代表よりメッセージを頂きましたので、お伝えさせていただきます。

 

楳木代表からの皆さんへのメッセージ

「(菅谷支部長の代読)先ず、神様をお出しするには自分達の心の岩戸が開けていないと出来ない。だから、これから3月3日に向けて自分の中の岩戸を開く事を目指して、そこに意識を向けてやって欲しい。分かる様になるという事はそれだけ岩戸が開けたという事なんだから。

御参拝でも勉強会でも何でも言える事だけれども、ただやった、参加した、集まったという事に満足するのではなく、自分がそこに身を置かせて頂いた、又は何かをさせて頂いた事によって自分の岩戸は果たして開いたのか、開かせて頂けたのかどうか、そこが一番問われる話なので…。自分の中の岩戸を開かせて頂ける様な、そういう御参拝をして下さい。

祭典形式はある程度整えたんだし、後は本当に神様がそこにいて下さるか、そして自分達が心を神様に合わせて一つになれるかどうか、それが出来るかどうかなんだから。

自分達人間がそれが出来るまでになっているかどうかによって神様がお出ましになるかどうかが決まると言ってもいいのだから。祭典とは本来そういうものなんだ。

神様をお迎えするとはそういう事なんだから、ここまで厳しいのかと言ったってそうなのだから、やるしかないよ。神様を求めない人間が集まったって、もう神様は目の前に表れて下さらない。

(2月の立春祭の霊視にあったお話を指して)少しだけしか開いてない扉というのは、自分達の中にある岩戸でもあるんだから。だからしっかり今回の6月15日に自分達がお迎えする神様はどういう神様なのかを勉強しないと、誰をお迎えするのか分からないんじゃ迎えられないでしょ。

どこにいても、きちんとそこに集中して自分達が神様を世にお出しする役割としての働きをさせて頂ける様に、自分自身への準備が必要なんだから。

資料がない、勉強が出来ないと言うなら、自分達から各支部や各拠点に問い合わせをして資料を提供してもらうなり教えてもらうなりして、当日まで諦めないで、神様に「今自分がさせて頂ける最高のところまでやりたいので、どうかお力を頂けます様に。」とお願いして、準備をして当日を迎えて下さい。」

 

菅谷支部長

非常に細かく…、いつもそうなのですが…、色々と私達にお伝え下さるんですよね。

 

「惟神霊幸倍坐せ」の重要な意味ついて

菅谷支部長

神様に対して理解をした方が勿論、御光を戴けるというのは日々の礼拝もそうなんですが…。実は前回の御垂示で、私達は祝詞を奏上させて頂いていますけれども、主神様に対して御祈りさせていただき最後の「惟神霊幸倍坐せ」という部分なのですが、この「惟神霊幸倍坐せ」ということを皆が流してしまっているという御指摘がありました。

それはどういうことかと言いますと、「惟神霊幸倍坐せ」というのは魂を大きくして頂くということです。我々の魂は小さいんですね。ですから、御力を戴きたいとかそういうことも含めて、もっともっと魂を太らせて大きくして戴きたいと…、そして御心のままに御使い頂きたいと…。そういうような思いを込めて、最後まで気を抜かずに祝詞を奏上して積み上げていって貰いたい…ということでした。

実は私は以前、代表から「惟神霊幸倍坐せ」の意味は御教え頂いていたのですが…、最後の方は気を抜いてしまっていて…。それでこのことに対し“色々と教えて頂いていたのに、余りにも申し訳なかった”と思いまして、御神前で涙ながらに御詫びをさせて頂きました。

それからというもの毎日「惟神霊幸倍坐せ」に力が入り過ぎてしまいまして、御近所の人があの家からは「惟神霊幸倍坐せ」ばっかり聞こえてくると(笑い)…思われていると思うのですが、それぐらい気持ちを込めて御参拝をさせて頂いています。

 

惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)とは

「二つの言葉がくっついて『惟神霊幸倍坐せ』になるのです。所謂(いわゆる)これはね、信者としては決意を述べる言葉なのです。ですから『主之大御神守り給へ幸給へ』というのは“尊い御神名を唱えさせて頂きます”という姿勢で唱えるのですけども、今度、『惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)」と唱える時には、“私は神様の御心のまにまに進ませて頂きます”という決意を以って『惟神(かむながら)』というふうに言わないといけません。

そして、霊幸倍坐せ(たまちはへませ)、“魂を大きくして頂いて幸せにして頂きますように”というのが霊幸倍坐せ(たまちはへませ)だからね。この想念を凝縮して惟神霊幸倍坐せ(かむながらたまちはへませ)という言葉になっているから、『かむながら/たまちはへませ』と区切ってしまうとおかしいですが、その位の気持ちで唱えると、どんどん御心に我々の姿勢が近づいていくと思いますので、意識してお参りして頂けると良いと思います。」

[メシヤ講座特選集no.122より抜粋]

 

菅谷支部長

先程の報告にもありましたが、昭和29年にメシヤ様がメシヤ降誕仮祝典を執り行われたということなんですが…。今回は平成29年なんですが、そもそも神様の御計画というのはこの平成29年にあったわけなんですね。昭和29年の仮祝典がこの平成29年に写つるのですよね…。それからが「本当の意味でのメシヤ様の御救いが始まる」のです。それから平成30年3月3日にメシヤ様を御迎えさせて頂き…、それが許されると「三六九の世」に向かって、救いと立て分けとが進んでいくのですね。

そして私達の使命というのは…、代表が生まれさせられたのが和30年2月15日ということで、メシヤ様が御昇天になられた5日後だったのですが、そこから代表の人生が始まりまして…、代表が救世学院で学ばれていた時のことなのですが、その宿直の時にメシヤ様が中島先生と渋井先を従われバスから降りてこられた時に、「楳木、開拓布教に行くぞ」と言われた夢をみられました。そこからが代表の宿命が動き出したということです。

そしてメシヤ教を立ち上げられて因縁のある私達を全国を廻られて集められました。今は神界から始終私達をみておられますし、不思議と思える位のメッセージも頂きます。

これはどういうことかといいますと、代表の宿命というものは未だ未だ続いているわけですね。そして代表が御亡くなりになられた3月25日以降は私達と共に進まれるということになりました。

ですから今、私達其々が思ったり感じたりして日々の生活をしていると思いますが、その総てのことに代表と共にメシヤ様へ繋がっていくという意味があります。色々なことに対して自分は出来るとか出来ないとかいう様々な思いも有りますが…。

そういうことではなくて、自分自身が生まれて来て、この時期にメシヤ教に御縁を頂いたということは非常に大きな役割があって、それがこれから先の霊界に響いて世界を救うという大きな型となっていくと言えます。ですからなにが大切かと言いますと、やはり先程の御参拝です。

毎日しっかりと主神様、メシヤ様に対しての御参拝を積み重ねて御教えを拝読して、そして御浄霊です。御浄霊は、神様はカ(火素)とミ(水素)で私達が土(土素)なんですが、私達人間を通して必ず救いをされますので、私達人間を通してメシヤ様の本当の御力が発揮されて行くということです。

ですから、6月15日に天照皇大御神様を現界に御迎えさせて戴くということは、今回の天照皇大御神様は…今ミクラタナの神様が地球を覆っておられますので天照皇大御神様は太陽神であり主神様の表現神であられますので、それを太陽(○)としますと地球の大きさのミクラタナの神様がチョン(ゝ)になるわけですから、今までの天照皇大御神様より更に強大に力を行使されますので、その天照皇大御神様から私達は御力を戴いてこれからの救いに進ませて戴くという大事な祭典なんです。

こういうようなことを今勉強させていただき纏めていますので…このことは祭典ぎりぎりまで詰めて纏めていきます。そしてこのことと平行して大切なことは、代表から頂いた先程のメッセージそのものだと思います。

 

天の岩戸を開ける鍵としての感謝の思い

菅谷支部長

私は大切なことは感謝の気持ちだと思います。信者さんの中には御自分が生まれて来られてから長く信仰されている方、短い方もいらっしゃいますが、やはりメシヤ様と繋がって沢山の御守護をいただいたとか…様々なことがあると思うのですが、総てのそういうことが有り難いというか…御浄霊の体験にしてもそうですが、自分自身が本当に救われて…その感謝の思いを拡げて一人でも多くの人を救わせて頂くという思いが根本にある上でこのような学びも大切になって来ます。

6月15日まであと11日間ですが、仮に御神体を御奉斎されていなくても…、○○さんの御奉斎は未だでしたよね。そうしたら御奉斎される壁に向かわれて、しっかりと御祈りして頂ければと思います。

とにかくこの1ヶ月間感じさせて頂いた事は、御教えを拝読し勉強をするということは大前提なんですね。このことは本当に必要なんですが…、色々な方と接し思ったのですが、やはり代表のメッセージにあるように「心の岩戸という部分を、自分でどうやって開けばいいのだろう…。」ということだと思うんです。

それは本当に感謝の思いだと思うんです。大事な部分は感謝の気持ちの中にあるのだと思うんですよね。ですから「心の岩戸を開かせて頂きたい」ということを神様に勿論お祈りさせて頂きながら、自分自身が一度その部分を振り返ってみられて、その上でもう一度お祈りさせていただけば何かを感じて来ると思うのです。

私は自分が変わらせていただけた決定的な要因の一つは御参拝だったのです。参拝中に真剣に御祈りさせていただいた時に、その日色んな事が起きてきたんです。例えば、偶々開いた御教えが自分に必要なところだったりとか…、必ず神様の方で何かを用意して下さっているのですよね。その答えを。ですから、何もかも準備して下さっているのだということが言えます。

それが一番分かるのはどういうことかと言いますと、日々の御奉仕なんです。例えば御本部に来て掃除をさせて戴くとか…、たかが掃除じゃないか…と思うのですが…。

掃除をさせて戴くと汚れが次から次へと出て来るのですが、ここを掃除しようと思っていてもあっちが汚れているとか…、しゃがんでみたらこのテーブルの裏が汚れていたな…とか、気が付いたら全く違う所を掃除していることがあるんですが、その積み重ねによって総ては準備されているというようなことがなんとなく分かってくるんですよ。ですから、焦ったりするとかは絶対にいけないです。焦るというのは一つには奉仕が足りないということが言えるんです。

来年の3月3日まで短い時間しかないんですが…、焦らずに着実に日々積み上げていくということが一番の近道だと思いますので、先ずは感謝の気持ちを拡げながら毎日取り組んでいけたらと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

司会者

以上をもちまして月次祭を終わらせて戴きます。有難うございました。

 

[メシヤ講座no. 195 本部 2017(平成29)年6月4日]

この投稿へのお問合せ