メシヤ講座no.185大阪(平成28年7月)

<今月の御教え>

『はしがき』

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』1ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 大阪支部】

「はしがき」への御垂示

楳木代表

本日は18ページの『世界救世(メシヤ)教教義』までを拝読をする予定ですけれども、『世界救世(メシヤ)教教義』は祭典の中で拝読をさせていただきましたので、ここで終わらせていただきます。そして来月から19ページ『「本教誕生」世界救世(メシヤ)教早分かり』から拝読させていただきますのでよろしくお願いしたいと思います。

それでは本日はですね、地上天国祭でお取り次ぎさせていただいた内容に追加分としてホームページの中で「ミクラタナの神様」の御垂示について触れると共に「ミクタラナの神様」が『早くこの「主神様とメシヤ様」の勉強を開始しなさい』というふうに言われたので、言われたというと非常に失礼な言い方になるのですけれども、御指示をされましたので、「それではこの「はしがき」は読まずにすぐに御教えから学びを始めたらいいでしょうか?」とお尋ねしたところ、『この「はしがき」に、論理的構築がなされた証がここに書かれているので、これをまず十分信者の方々がしっかり肚に入れて、それから御教えの拝読に入るように。』という、そういう御指示でしたので今日はあえて私の文章を拝読という形で読み上げていただきました。

それで地上天国祭の時にも私の頭の中が十分整理されていなかったために、皆さん方にご心配やらお気づかいをいただきました。ようやく頭の中が整理されて来て、今回の一連の御啓示に対する認識がしっかりしたので、今日はそのことをまずお話しをさせていただきたいと思います。とにかく頭の中がですね、すごいものが入って来るので、それを整理して考えて行くと頭が熱くなる、それで髪を刈り上げてしまいました(笑)。もう暑くてしょうがないからね、それでこんな短い髪にしてしまいました。だいたい収まってきましたので、これからの御神業に対することをお話しさせていただきたいと思います。

 

「ミクラタナの神様」の御垂示のお取り次ぎ

楳木代表

まず今回の御啓示の入り方というのは、私に対して直接ではなく、メシヤ様が源義経の時代にですね、メシヤ様の意向を受けて、私がある武将の首を刎ねております。その刎ねられた相手にその意思が伝わって来て、そしてそれを私に伝えるという、間接的な伝え方をずっと今回はしております。「なぜそんな大事な事を直接伝えないのでしょうか」というふうに、その方は「ミクラタナの神様」に尋ねたところ、『直接伝えると言われたからやるという姿勢になるのが一つと、もう一つは指示待ち人間になってしまう。次は何をすればいいか?ということを指示を受けるまで動かないような、そういう御神業姿勢になってしまうので、間接的に伝えて楳木の肚の中から沸き立つような御神業姿勢が生まれるように、それであえておまえの仇である、(私がその人の仇ですので、首を刎ねたわけですので)そういう人間に対して神界の意図を伝えるということになると恨みもあるので、その恨みに基づいて冷静に言われたことだけを伝えるという姿勢で伝えることになる。それであえてそういう関係者を選んだのだ。』ということでありました。

まぁ、なぜその人の首を刎ねたかというと・・・、(詳細は割愛させていただきます。)聞かされたこととは言え、非常に深刻な前世を知らされました。

 

メシヤ教の大きな分かれ道

楳木代表

その上で聞かされている内容なので、こちらもよっぽど慎重に受け止めていかないといけないと。またその人は昨年の3月3日の「メシヤ降誕本祝典記念大祭」の祭典直後にメシヤ教に繋がってきて入会をしたわけなのですけれども、初めて月次祭に参列した時には、『今メシヤ教というのはメシヤ降誕本祝典記念大祭をやれたということでホッとしている。だからそのホッとしたところから、これからどのような御神業を進めていこうとしていくかによって、田舎宗教に終わってしまうか、真に「世界救世(メシヤ)教」を復興する集団になれるかが分かれ道になって行く。しばらく神界から様子を見ながら進めていって、ある時期が来てこれでやれるだろうと言う時には再度神意を伝達する。』というふうに言われたそうです。

その人は東方之光教団で悩みに悩んで、初めてメシヤ教の月次祭に出て喜んだのもつかの間、その帰りにそんなメッセージが突然入ったらしいのです。“なんで・・・。私がせっかく救いを求めて来たのに、田舎宗教で終わるかもしれないような教団という、そのようなメッセージを送って来るんだ・・・”ということで、最初は随分腹立だしかったそうです。せっかく求めて来たのに、そんな状態だということなので・・・。しかし、必要があってその時に私との関係を明かされてですね、そういうものを現界で清算する機会になっていくので、『この機会を利用しなさい』ということだったので、月次祭にその人はずっと続いて来るのです。しかし、なんとなく晴れない、一生懸命勉強はするのですけれども、心の中にそういうものがあると、自らの首を刎ねた人が話していると(笑)。それは“その人複雑だったなぁ”と思うのですよね。

 

楳木代表へのこれまでの御導き

楳木代表

しかし、その間接的に知らされる内容というのが、非常に私が思ってもいないような内容でした。というのはどういうことかと言いますと、私は昭和48年に世界救世(きゅうせい)教の救世専門学院に入学しまして、そして、そこから専従生活が始まっているのですけれども、この救世専門学院というのは、外部講師は主として京大と阪大の教授と、それからそこを退任した京都産業大学の教授達が中心になって講義をずっとしてくれましたので、その講義を聞いていると御教えと全く反対の話も滔々とするわけですね。私はその時に悩みに悩んで、“御教えをこれだけ拝読をしてきたのに、こういう講義を何で受けないといけないのか”ということで悩みきった時に、京都平安郷の警備に当たりました。夜の警備です。そして警備をして、一通り回って来て、警備の人間が泊まる部屋で仮眠をとった時に、これは以前にもお話したことがあると思いますけれど、池畔亭の前のバス停にですね、当時の古いバスが到着したら先達のお歴々がずっと乗って窓からこっちを見ていて、メシヤ様はそのバスのステップに片足をかけて振り向いて、『おい開拓布教に行くぞ』と私に声をかけて、私が「はい」と言った瞬間に目が覚めました。“この夢は一体何か?”というふうに考えたところ、やはり今支部長代理がやってくれているように、“御教えに日本の最高学府、日本の一位二位の教授達が話している論理立てをどのようにくっ付けていくか、あるいはどのように学問と御教えとを照らし合わせて、この世の中が間違った方向にきた理由と、これから地上天国建設して行く内容というのを繋ぎ合せてずっと論理立てしていくか、それをしていかないといけないということであろう”というふうに肚に落ちました。

それから御教えと違うことでも、優秀な教授の中には京大の酒井教授という哲学者ですけれども、日本で5本の指に入るという、その教授の内容が最も高度な内容だったのです。そういうものと御教えを照らし合わせていくという作業をずっと重ねていくことができたので、ここまで来れたのではないかなと思います。当時の救世専門学院には、高学歴ではなく専従者で現場から入ってきたりとか、大卒とか、弁護士の資格を持った人も来ておりましたので、いろんなレベルの人が集まってくるのですけれども、その酒井教授の専門はヤスパースだったので、時としてその論理を話していくと、やっぱり分からなくて、ウトウトとして来る人もいたのです。すると、そのウトウトしている人を指差して「きさま、何のためにここに来てるんだ。わしの講義を何と考えている、そんじょそこらじゃ決して聞けない講義なので、寝るんならもう退学していけ。ここの学校にいる必要はない。」というふうに叱りつけて講義をしてくれたような、そんな人だったので、学問に対する姿勢というのは、そこで初めて日本の一、二という教授達の姿勢を、そういうような姿で見せていただきました。

一方ではですね、京大の生物学の割と若手のご婦人の教授だったのですけれど、私その日たまたまピンクのYシャツを着ていたので、開口一番「そのピンクの君、生命とは一体何ですか?論理的に答えなさい。」と言われたので、私も(霊主体従の法則に沿ってみればどいうふうに言おうか?)考えていたら、「あーもういいです。」というふうに言われて、「生命とは呼吸のことを生命というのです。酸素を吸収して二酸化炭素を出すという、この細胞の燃焼活動が生命なのです。その細胞が集まって来ると、こういう人間という肉体になってくるのです。」というような物事の根本的なことを一番最初に指差しされて答えられなかったのですね。もう衝撃的にその教授の話が生物学の根っこになっています。生物学については、私は東大の模擬試験を全部満点でずっと受けて来たぐらい生物学については精通していたつもりだったけれども、根本的なことがほとんど分かっていなかったということをその教授から教えてもらいました。自分の、学問をしていく姿勢を、その教授達によって整理することができました。それができたのもメシヤ様直接の御垂示によって自分の勉学に対する姿勢を整えられたので、そういうことができたわけですよね。

それから現場に出る前は本部に5年間居てですね、当時の地上天国誌と栄光紙を編集する部署にいて、そして全国の信者さん方に取材をする機会があったので、信者さん方がどんなことを考えて御神業に臨んでいるか、あるいはその当時の教師達はどのような指導をしているのかというのを客観的にすべて見る機会を得ることができました。そして“これからの布教というのは、相当、今の状態では、日本を救うということは愚か、何もできないな、しっかりしてやらないといけないな”と思って、5年後に現場に出ました。現場に研修があったりして、26才の時に布教所長になりまして、そうしたところ、今度私が今日も祝詞をあげましたけれども、少し甲高い声で言葉をはっきりしていくので、その布教所というのは村会議員とそれから50人位の中小企業の社長と、自然農業をやっている人と、町工場の板金塗装をやっている社長、この4人が布教員として、一番大きい人が100世帯ぐらいの世話をして、一番小さい人が30世帯ぐらいの世話をしているような、そういう布教員が支えてくれている布教所を、大きい布教所から分けて少し田舎の町に設立したのです。その作った後、みなさん信仰については先輩ですので、一番先に言われたのは、「あなたの祝詞の奏上の仕方は有難味がない。」と。何故かというと「神社では祝詞というのは言葉が分からないように上げる。そういうふうに上げるから有難味が出てくるのだ。」と。「あなたの祝詞はハッキリし過ぎてて有難味がないので、祝詞の奏上の仕方を変えてくれ。」というのが、最初の要望でありました。私も「何を言うんだ、言霊(ことたま)というのはハッキリ上げない限り、この世の中、言霊界から変えていくことができないので・・・。」というふうに言っても、「何が若造が!」という感じでですね・・・。いろんな、集会に行くたびに言われて私も悩み切ってしまいました。常子じゃないですけれど(笑)、“どうしたもんかの~”と考えてたところで、メシヤ様が夢にお出ましになって、こういう紋付き袴の後ろ姿で、天津祝詞を最後まで上げて下さいました。その「天津祝詞」を奏上して下さった、それを私の自分の見本に、目指す所の祝詞奏上にして行こうということで、それからずっと祝詞を奏上したので、それからいくら言われても、「おまえは・・・。」と言われても、「そうですね、私の地声ですし我慢して下さい。」というふうに大らかに答えられるようになって、しかし、御参拝の度にメシヤ様のその御姿と御声を求めてずっと祝詞を奏上するという姿勢で参りました。私の節目節目で、そうしてメシヤ様直接に御姿を見せていただいたり御声をかけていただいて、私は今日まで御神業にずっと臨んできました。

 

「神界で御神業の根本システム決定」の御垂示 その1

楳木代表

しかし、それとは違って今回は全く別の人間を通して伝えて来るので、その伝えて来る、地上天国祭の時にはもっと厚い資料をお見せしましたけれども、それを整理したのがこれぐらいの、それでもまだこれぐらいの内容があります。それを一から考えて、“果たしてこの伝達されてきたものは邪神からのものではないか?”というのを、まず検証していかないといけないので、御教えに照らしてずっとその内容をつぶさに見ていかないといけないところがあるので大変時間がかかったのと、地上天国祭の時にはまだ十分肚に落ちる前の段階で皆さん方にお話したので、ご心配をおかけしました。

その伝えられてきた内容の根幹というのは、この『主神様の御神体をメシヤ教に許可したことによって、世界救世(きゅうせい)教3派の組織にはもう力が行かなくなったのだ。』と。『そしてメシヤ教一極に力を与えるようになったので、他では組織上奇蹟が出なくなったのだ。』と。そしてメシヤ教でみなさん方が日々体験しているように、御守護が厚い教団が出来あがって、その中で支部とかが増える毎に、大きくその証というのを手にしながら、勿論その他教団の中でもメシヤ様のことをシッカリと見つめて祈る人の浄霊には奇蹟がでております。しかし組織の方針に沿ってやった場合には奇蹟が出なくなっている。そういうようなシステムにしたのだそうなのです。『十分証が見せられたので、ここで次の段階に入らないといけない。』ということで昨年からずっと見らている時に、メシヤ教は様々なことを整えました。法難もあったので、様々なものを整えて新しい体制を・・・。さらに私もメシヤ様の御心に叶う教団の体制を整えて御神業を進めて行こう”ということで、昨年末を迎えたら、その人に次の段階のメッセージがドーッと入りだしたのが、この前お見せした内容です。

 

「神界で御神業の根本システム決定」の御垂示 その2

その内容というのはですね、今機関紙がもうすぐ2号ができますので「天恩地惠」の2号ができます。大阪支部と松原出張所にそれぞれ送るようにしておりますけれども、この「天恩地惠」という言葉に集約されているのだと。この「天恩地惠」を選ぶにあたって、メシヤ教の本部とそれから各支部、出張所にある御直筆の御文字がある中から、どの御文字にしようかということをずっと考えていたのですけれど、“「天恩地惠」が天の恩が地に恵みとして降りて来るという、そういう機関紙にしていくというのがいいんじゃないか”と選んで、私がそういうのを決定して、濵口さんに後のことは頼んだわけなのです。

ところが『この「天恩地惠」は楳木が十分に分かった上で決めたわけではない。この「天恩地惠」がすべてである。要は宇宙の中心の意図が太陽に映って、その太陽から地球に対しては地球に一番ふさわしい熱と光を送るようなシステムになっている。そして水の働きは月によって与えるので、これは月はその地球の周りを回しておけばいい。こういうシステム全体が「天恩地惠」である。』と。だからメシヤ様は太陽の黒点が主神様の現れだというふうにおっしゃっているのはそういうことだ、と。それからこの『⦿』という御文字が天界から降りて来た時に、この地球上に映された時にこの回転が始まって、そしてすべての恵みが行われて行く。これを「天恩地惠」という。』と。

だから私が考えていた「天恩地惠」よりも、宇宙大の大きい文字が、あの意味なのだと御垂示いただいたわけです。それを進める時に、メシヤ教がこの『⦿』という御文字を考えた時に、宇宙全体を○とした時には太陽系が・になる。そして、その中の・が地球になってくる。

だから『ミクラタナの神様がメシヤ様の腹中に光の玉に宿ったからメシヤ様に御出世遊ばされたということが分からないと、メシヤ様に直に繋がるということを言っても本当の意味が分からないので、これからそうしたことを皆さん方に伝えていかないといけない。』と。

そして『これからそういう決意を以っていただければ、幾重にもこのメシヤ教に力をさらに授けていくので、何も心配することはない。安心してそういう取り組みを進めて行きなさい。』と言われたので、“そうは言ってもまだ小さい教団なのに、そんなことはできるかな?”と思って、メシヤ様の進めた御神業の代わりのような、後を継いだようなことをやるので、私がちょうど大腸から直腸が物凄く浄化していたので、“私のお腹の中に光の玉を宿してくれるんかな~?”と思って(笑)、まぁそれぐらいのことをやってくれないとこれからの御神業は進めることはできませんよという想いでずっと御参拝をしていたら、そちらから伝わって来た内容は、『楳木はメシヤ様の御昇天に対する認識を人間的に捉えている。』と。それは御法難によって脳貧血を何度も起こされたのでそれが後遺症となって脳溢血を起こして、そして120歳まで生きるとおしゃっていた御命が73歳で御昇天されたので、だからこのメシヤ様の御命を縮めたのは先達の不始末で御命を縮めたという論理立てをして受け止めている、と。『これは人間的な受け止め方としては正しい。しかし、本当からいくと昭和25年6月15日に腹中の光の玉にミクラタナの神様、チョンが入ってそれが順次成長されていくと、』その光は絶大な威徳を発揮するという御教えがあるのですけれど、『その光がずっと成長したので肉体の中に留まることができなかったので、メシヤ様という岡田茂吉教祖の肉体が散ったのが御昇天だ。これが本当の散花結実である。散った後、光の、そのミクラタナの神様の成長はどうなっているかというと、御腹の中に収まりきれないで広がっているので、今、人類全体に偏在化されている、その大きさが全員に行き渡っている。』と。『だからこれからの御神業というのは、何々教とか何々宗とかそういうことを越えて、すべての人類にメシヤ様の御存在、ミクラタナの神様の御存在を教えてあげて、それを認識さえすればみんなその恩恵に浴することができるのだということを伝えていく時期を迎えている。』と。われわれは布教として、メシヤ教に案内してくるというこうことをどうしても考えてしまうのですけれども、どこにいる人に対しても話ができるようになって、メシヤ様という御存在を認識させてあげるということで、『これがこれからの布教である。そういうことを取り組んで行くように。』と。

 

月次祭のメシヤ講座のあり方を御垂示

楳木代表

そう言われても、“ふ~ん”という気持ちになりますよね、お互いに。だからそういうことが肚に落ちるためにも、この御教えをひとつひとつ拝読をしながら、来月からはこれを1項目読み上げたら、まず支部長代理から「この御教えを通して私はこういうことを覚っています。」とか、「覚りました。」ということを報告していただいて、それから松原出張所の○○さんも「私はこれを読んでこういう覚りを得ました。」と。それから今集会所を許されている○○さんが「私はこういう悟りを許されました。」、それから豊中集会所の○○さんも「私はこういうことを覚りました。」ということを言って、みんなの覚りを喚起するような、そういう勉強会にしていきたいと思います。『そういう覚りをお互いに語り合う中で霊性が高まっていくようにしていってもらいたい。』ということですので、私がやろうとしたのは実は夏からこれをやる予定だったのですが、実は勉強会の仕方を、『みんなの中から湧き立つような勉強会にしないといけない。』ということが大きな変更点であります。その辺をくみ取っていただいて、“よし覚るぞ!”(笑)、というような気持で勉強していっていただければ大変有難いと思います。それで各責任者が報告した後、「私はこういうことを覚りました。」というのが沸き立ってきたら、それも皆さん方から報告をしていただいて、その報告の後で私がまとめをさせていただくというようなことで、積みあげさせていただきます。

 

「御守り」をつくられた理由などを御垂示

楳木代表

まぁ原稿を作って話そうとしたのですけれども、いろいろ飛び飛びになって話します。何故120歳まで御長命であられる予定だったメシヤ様の御肉体が散ったかというとですね、これは『天の数歌』に匹敵する内容なんですけれども、『ひと~ふた~み~よ~』という時の『ひと~』という『一』という時にはですね、『昭和初期から30年までの間は、まだその時の人々の神性が眠ったままであったので、岡田茂吉教祖という肉体を以って示して上げないと分からない人達ばっかりだったのだ。』と。だから『メシヤ様が朝御起床になられて御就寝になられるまでの動きを、御姿を側近奉仕者達はずっと拝してそれをみんなに伝えることによってメシヤ様という御存在を認識して、信仰のあり方をそうして見つめるようにしてきた。』ということと、『それからメシヤ様が体力の限界に挑むように、猛スピードで御光を書かれたように、そういう御姿を見せて皆の中に神性が蘇るような形をとってきた。』と。『だから御守りも必要だった。』と。そういうものを見せてみんなの中の心を育てて行くという取り組みをしたのだと言うことです。

しかし、メシヤ様が昭和29年に御浄化に入られて、御守りの御文字が書けなくなった時に、『もう本当は御守りはなくていいんだけどな。』と仰ったのは、『その時から御守りというものを見なくても、あるいはそういうものを首にかけなくても、メシヤ様を認識できる人間が出始める。』というところから、そういうことになったということです。

だから、『人間全体のレベルが上がって来ているので、御守り無しの御浄霊という体制を敷いた。』ということです。(それと共に、天の数歌の二に移り分裂が始まったそうです。これから三に入り、再びまとまるのが世界救世(メシヤ)教復興事業の中身だということです。)

 

「世界救世(メシヤ)教」復興事業形態を御垂示

楳木代表

だから、『これから認識してもらいたいのは、メシヤ様を教祖と仰ぐもの(組織)を○に譬えるならば、メシヤ教がチョンにならないといけない。そのチョンになって求心力を以ってみんなをそこへ集めてきて、そして世界救世(メシヤ)教を復興してもらいたい。』ということですので、しかし、これは、『組織の代表者とか、あるいは偉い先生方を呼び込むとかではなく、どこまでも神性が甦った人が世界救世(メシヤ)教を再構築していく。』ということです。

権力に奪われている人とかですね、「自分のところの教団が世界救世(メシヤ)教の正当な系統だ。」とかいうようなことを言っている人は、勿論入って来れないと思うので、『心底メシヤ様の教えを拝読し、そしてその御力の恩恵をいただいたことによって神性が目覚めてきた人間が、そこに集合して、世界救世(メシヤ)教が出来あがっていく。』ということです。

 

「大浄化」と「期限」と「進め方」を御垂示

それから同時に日本の中では浄化が始まっております。子どもたちの列に、車ごとわざと突っ込んで行って撥ねるような人間が出てきたり、親子で殺し合いが行われて、被爆の問題は重くのしかかっています。(詳細は割愛)とりわけ今2人に1人は癌に罹患しておりますので、そういう形で日本全国非常に酷い状態になっていきますので、このメシヤ教を中心にして、そういう人達を救いながら、日本がある程度浄化が収まってきた時に、その時に「世界救世(メシヤ)教」を復興しといてもらわないと、次に世界が浄化に入ってくるので、世界に浄化が入った時には「世界救世(メシヤ)教」という状態になっておかないと世界を救っていくことはできないので、『急速に、求心力を高めて取り組んでもらいたい。』と。

『楳木のやってきたことは、論理的に積み上げた内容なので、これは間違いは全くないのだけども、論理的だけなので冷たさがあるので、そこに心底それが本当だという情熱、霊性の高まりによる熱が加わっていって、光の塊にしていかないといけない。熱がこもるような状態にしていかないといけない。』ということが、今私の課題です。『今まで、先達もこういう論理的な組み立てができたのは誰もいないので、お前だけがやったので、これの中に熱がこもるようなことをやってもらいたい。』と。『そして、それに必要な人間はもう既に集めてる。』と。皆さん方のことですよ。そういうことをやれる人間しか集めてないわけ。『できる人を集めているので、その人達とこれから共振していきなさい。(指示ではなく、説得ではなく)共鳴していきなさい。そうすれば、みんなの中に湧き立つものができるので、その湧き立つものが高まってくると求心力が生まれてくるので、この求心力を生むためには、来年の3月3日の「メシヤ降誕本祝典記念大祭」までにやってもらいたい。』ということです。

『それが期限である。来年の3月3日の「メシヤ降誕本祝典記念大祭」の祭典までに皆の心が高まってくれば、一挙に求心力が生まれて「世界救世(メシヤ)教」復興という事業が大いに進んでいく。凄く楽に進む。』ということです。

「いや、まだ信者数が三桁は続けているけれども、四桁までまだ行っていませんので、これでは難しいのではないでしょうか?」と言ったら、『いや、小さいからいいんだ。』と。『まずは芯になるのは、小さいから徹底できる。この者たちが全員徹底して高まれば物凄い渦が起きて来るので、そうすれば物凄く楽になる。これほど楽なことがないぐらいに進んでいく。そういうふうになる。』ということです。

それでは、具体的にどうしていくかということなのですけれども、我々の想念はより一層、ご参拝によって正していくということと、御教えを拝読をしてメシヤ様の御心をさらに求めていかないといけないので、これからは、御神体御奉斎申し込みの形式を変えていきます。変えていくというのはですね、今まで通りなのですけれども、御神体を申し込んだ方には、必ず全御論文、全御講話、全詩歌の電子書籍版を下付するということにします。すでに御神体をお迎えしている人には無償で下付していきますので、支部長代理にお願いするか、松原の○○さんにお願いして、USBメモリーを持っていって、4ギガでは入りきれませんので、8ギガ以上のUSBメモリーを持ってですね、支部、出張所に行って下さい。(この後、御神体の申し込みについて触れましたが、詳細は割愛します。)

これはミクラタナの神様が『是非そういう体制を整えて、そして、皆さん方の魂が高まるように、そういう配慮をしていくように。』ということですので、そういうふうにさせていただきます。

実はですね、本部の月次祭は3日に執り行われたのですけれども、こういう非常に大変な使命に対する話ですので、私も硬く話したのです。そしたら、その晩、ミクラタナの神様から『話というのはあんなに硬く話すと、みんなも硬くなってしまうので入っていかない。だからほぐすように、笑いを3つぐらい入れて話をするように。』と・・・(笑)。だから“今日は、どうやって少し笑わすかな”と・・・笑。笑いが無いとほぐれないと。で、ほぐれないとスーとこの大事な話しが入っていかないので、と言われるぐらい、私も今日こうやって話しているのは、じっと見られているわけで・・・(笑)。

 

受講者 (笑)

 

楳木代表

肚の底とか・・・、そして、いちいち『今日の話し方は良かった。』とか、『お前の高まりが、肚がまだきちんとなってない。』とかというのを、地上天国祭後はずーっとそんなやり取りをしているのです。お見通しです。しかし、これは皆さん方にずーっと話してきたことでもあるわけ、神様は全てお見通しで、大黒様の場合は肚の底をみて、この人間にお金をやったら必ず御神業に使うという肚のある人にしかお金をあげませんよ、と。「そう大黒様の御心としてはありますよ。」と言っておきながら、自分の肚を見られると嫌なものでね。見られている私がどういう想いで話をしているとか、逐一、その人を通して言ってくるので、「非常に言いにくいのですけど。」と言って、その人が伝えてくるので、皆さん方の肚も全員見られているので、どうか今日の話を受けてですね、一発で完璧に分かる必要もないですから、『御教えを拝読をしながら分かった分だけ覚りが開けていくので、焦らず、毎月の月次祭の、この時間を大事にして勉強して、そして帰って少し自分の整理をして、また翌月来て皆と勉強して、また帰って整理するということを積み上げてくると、来年の3月3日までには、皆その所まで高まっていくから、根気よくやってもらいたい。』ということでありますので、そういう所を受け止めていただいて、これからまた「新たな御神業」ということになりますけれども、一つよろしくお願いしたいと思います。そういうことをお願い致しまして、時間が過ぎましたけれども、これで終わらせていただきます。

ありがとうございました。

 

受講者

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

『「本教の誕生」 世界救世(メシヤ)教早わかり』

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』19ページに記載されています。

『本教の誕生 世界救世(メシヤ)教早わかり』は平成28年8月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.185 大阪支部 2016(平成28)年7月7日]