メシヤ講座no.185鎌倉(平成28年7月)

<今月の学び>

「はしがき」

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』1ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 鎌倉支部】

 

学びを通して覚りの機会に

楳木代表

皆様、支部月次祭、誠におめでとうございます。

今月は、『主神様とメシヤ様』P18の御教えから出発しようと思っていたのですが、

『「はしがき」から読むように』

と、神界から御指示を賜りましたので「はしがき」から始めます。それはなぜかというとですね、この「はしがき」の中に、メシヤ様の進められようとした御神業と、御論文に対する解釈の整理がきちんとされていて、今まで偉大な先達と言われた方も各教団も、こういう整理ができないために宗教組織の運営ばかりに追われて、「地上天国建設」ということを真に進めることができなかったので、このことをまず信者さん方が明確にわかった上で、『それで本文に入っていくように』と、そういうことでありました。私の文章ではありますが、今日は、あえて拝読という形で読んでいただきました。

来月からは、19ページの『本教の誕生』『世界救世(メシヤ)教早わかり』から拝読を始めます。これを拝読した後に、お互いに、自分の中にはどのような覚りを得ることができたのかと考えながら読んでいただきたいと思います。それで、その代表者として菅谷さんが、「私は、今月の御論文からこのようなことを覚りました。」と言ってくれるので、それについて「私たちも同感です。」と言ってくれればそれでいいし、「いや、私はこういうことを覚りました。」と添えていただきたいと思います。そういうことを聞いた後で、私が、地上天国祭でお見せしましたが、膨大な御啓示内容を少しずつ紐解いて、御論文内容と併せてお取り次ぎをさせていただきたいと思います。

地上天国祭の日は、私はまだ覚り半ばでしたので、睡眠不足も重なって、ご心配をおかけしたり、皆さん方からお気遣いを頂きまして、いろいろな声をかけていただきましたけれども、だいたいの整理がつきましたので、本日は、その前提となる話をさせていただきたいと思います。

 

仲介者のある「神界通信」で時間を要する

まず、今回、私が非常に悩んだ理由は、メシヤ様から直接の御啓示ではなかったことです。直接私に伝えてくる内容ではなく、ある人を介して伝えてくる内容だったので、その内容そのものが、正神からのものか、邪神からのものかというのを、かなり精査をしなければならなかったのです。そのまま受け入れることができなかったので、4月から伝わってきてはいたのですけれど、皆さん方にお伝えするというところに至らないまま地上天国祭で急にお話をしましたので大変驚かれたと思います。

どういう人が伝えてきたかというと、メシヤ様が、「義経」の時代にですね、その意を私が汲んで首をはねた相手でした。(詳細は割愛)

じゃあ、そんな大事な事をなぜ私に直接伝えなかったかというと、直接伝えると、メシヤ様から言われたからやるんだという、頼まれたからやる、あるいは、御指示されたからやるという人間になると同時に、やがては指示待ちになってしまう。全部次のことを言われないとやらないような、そういう御神業の進め方になっていくので、御神業に創造性がなくなっていく。『だから、直接今回は伝えないんだ』ということを聞いて、とても初めは聞いても、受け入れることができない内容でしたので、かなり時間を要したというのは、そういうことがあります。

わかりやすい話をしますと、直接メシヤ様から教えられる内容ということは、まず昭和48年に、私は世界救世教の「救世専門学院」に、その頃は京都にありましたけれども、2期生として入学してですね。そして、専従生活を始めたわけなのですけれども・・・。その当時、大学へ進学をするか、その専門学院に入るかということを考えたときには、とりわけ京都大学の教授と、大阪大学の教授が、松本明重外事対策委員長(当時)の人脈によって集められて、その当時、上から5本の指に入るようなお歴々が何人かいらしたので、そっちに行ったほうが、お金も、信者さんからの真心によって、年間一人頭年間300万が充てられて、行き届いた学業に臨むことが出来るので、その道を選んで入ったのです。

ところが、入ると同時に、悩ましいことがありました。とりわけ、京都大学の哲学科からきた教授は、ヤスパースを研究する日本の第一人者で酒井という教授が教えてくれたのですけれども、その方は、こうやって授業をやって、その頃40数名の知的レベルに幅のある生徒がいて、授業が開始されたので、哲学の論理をずっと話されるとですね、わからないでウトウトする人も出てきます。

ウトウトすると、「そこのお前!何をやってるんだ。」というふうに、「わしの講義を受けることができるのは、京大生と、あとは限られた人間しか受けられないんだ。その講義を眠るとは何事だ!お前はもう退学せえ~っ!」こういうふうに、怒るような素晴らしい教授でした。だから、この論理を習得しようとそう思ったものです。

もう一方は、農業経営学の柏という教授が最初の授業の時なんといったかというと、「我々は、戦後の食糧難を、農薬と化学肥料によって乗り越えてきたんだ」と。「そういうわれわれにとって自然農法とは、とんでもないことを言う宗教だ。」と。“世界救世教の中で、自然農法を否定するような講義を2年間も聞かないといけないのか・・・”ということで、その他、様々な特徴のある優秀な教授たちがきたので、その教授の講義を聴いているうちに私も、“ここで果たして勉強していくことが自分の将来のためになるのか”と悩んだことがあります。初期の2ヶ月間、相当悩んだのですけれども、その時に平安郷の夜警の奉仕が回ってきたので、平安郷をズッと懐中電灯を照らしながら、警備をして、そして、仮眠をとるのにウトウトとした時に、これは古い方にはお話したことがあるのですが、いづのめ教団の研修棟が出来ているところがあります。そこの前に、停留所があります。そこにバスが一台スーッと到着して、窓には先達のお歴々が見えて、メシヤ様を今やお迎えしようとバスの中に乗っていて、メシヤ様がバスのステップに片足をかけて、振り向いて、『おい、開拓布教に行くぞ。』というふうに、私に声をかけてくださったので、「はい。」と従って後ろをついて行った時に、目が覚めたのです。

“この夢というのは、一体何か”と考えたときに、こういう話をするとまたその当時の感動が蘇ってくるので涙が溢れてくるのですが、そのメシヤ様の御教えと、学問体系を積み上げてきた学問内容とをつなぎ合わせるところはつなぎ合わせるのと、それから社会をきちんとリードしてきた論理と、社会をミスリードしてきた論理を見分けて、御教えを基にしてそういうことをまとめあげていくことが、将来の開拓布教につながるのだと私はその時そういうふうに腹におさめて、それから一層勉学に励む、そういう一つの契機になったということがあります。

それから、卒業後は、総本部で御用したわけなのですけれども、その時、編集部で「栄光」紙と「地上天国」誌を編集する部署に所属して、現場の信者さん方が、メシヤ様の御教えと御力に基づいて、“どのような布教をしているのか”、“どのような信仰をしているのか”と北から南までつぶさに取材を通して見ることができた。これではメシヤ様が進めようとされていた信仰でないものが現場には出来上がってしまっている、と。このままでは地上天国建設はおろか、この組織に所属して幸せになっていくことにも繋がらないような教団になってしまっているという現実を見聞することができ、このままではいけないと思って、思っているうちに現場に出るように、というのは思っていることをことごとく私が上司に報告するので、おそらく上司が嫌になって現場に放り出されたのですけれども・・・。

それから初めての布教所長になった26歳の時に高知県の高知市というところに、東西の布教所と南という、3箇所あって、当時の教団方針としては統合整備をするという取り組みをしたので、それを統合して、そして周辺の市町村には小さな布教所を作ることになって、いの町というところの布教所設立担当になったのですけれども、その時に支えてくれた布教員というのは、村会議員と、それから50人くらいの従業員を抱える中小企業の社長と、板金塗装業の町工場の社長と、それから農業を手広くやっているという、そういう人たちが支えてくれておりました。社会的には、立派な方がそれぞれの地域の布教員として支えてくださったのですが、なにせ私がまだ20代の人間なので、ことごとく意見をされました。意見された中で一番困ったのは祝詞奏上に関することです・・・。その頃はみんなで奏上しておりましたが、私のキーの高さについてこれないというのが一つと、それから、言葉をはっきり上げすぎる、と。「祝詞というのは、はっきりと上げるとありがたみが消えるので、もうちょっと神社の神官が上げるようなやり方をして欲しい」と言われ、私はもう悩み果てた時があるのです。

その時に、メシヤ様が夢に出てこられて、後ろ姿でしたが、天津祝詞をメシヤ様が上げてくださいました。メシヤ様の御声というのは、テープレコーダーなどで聞いた方はわかりますが、少し甲高い声で、とうとうと奏上してくださったので、その時に私はこの祝詞奏上の仕方を絶えず求めて奏上してゆこうと決心したのです。それ以後、いろいろ言われても、「すみません。私の地声なので我慢してください。」と軽くあしらいながら乗り越えることができたので、メシヤ様に直接いろいろ頼んだことはないのですけれども・・・、信者さんの御守護願いを頼んだことはありますが、私のことについて頼んだことは一度もないのですけれども、私が困りきった時には、メシヤ様はそういう御姿なり、御言葉なりで、今日まで導いてくださいました。

だから私はズーと専従者としてより御神業が発展するように取り組むことができたわけなのですが、そういういきさつで、メシヤ様と私の関係があるにも関わらず、今回だけは、人を使ってくるので、これで私は多少腹も立てたし、信じられないことがあったので、ずっと疑いつつ聞いていたわけですけれども、その人自身も、私から首をはねられたということで、ここ(首)に白い痕が残っているらしいのですね。それは、平成28年のこの春にそのことを伝えた時に、そのしるしを持って、そのことを信じさせるために印を残して生まれてきたということですので、私もその話を聞いて、もうこれ以上疑うこともできないなということで、それから色々と真剣に送られてくる内容を読むようにいたしました。

 

御垂示内容は責任重大

送られてくる内容とは、一体何かと言うと、『この主神様の御神体をメシヤ教に御奉斎することを許可した時点で、メシヤ様から振るわれる力はメシヤ教に集約したんだ』と。『だから他の教団は組織的には御守護のない状態になったはずだ』と。しかし、『信者さんが明主様を求めた時には御守護はいただくけれども、組織が進めることはうまくいかなかったはずだ。それはもうそこに力が行かないように神界の方でそういう処置をしたから。そしてこのメシヤ教の中に溢れるような奇蹟をずっとみんな頂いてきたはずだ』と。『そのことをまず再認識してもらいたい。そして、今までやってきたことはずっと見つめてきたので、そこに楳木のもとにこれから伝えることを全てわかる人を集めている。』皆さん方のことですね。『優秀な魂の持ち主を集めているから、この話を少しずつしていけばみんなわかる』と。『わかると渦となって、各教団の中で疑問に思っている人とか、「本来のメシヤ様の進められる御神業はこういうものではない」という、そういうことに気づいた人たちが吸い寄せられてくるので、そういう取り組みをこれからして欲しい』というのが、第一の話でありました。

それから、そういうふうに決心して、私が話をし始めると、みんなも決心し始めるから、どんどん神界から力を送ってくる。だから、その後は非常に楽に進むから、『楽な気持ちで進めていくように』と、そういうふうに言われました。

 

光の玉は全人類に遍在

私が、ちょうどその頃、大腸から直腸が非常に痛かったので、”これは腹の中を相当きれいに掃除して光の玉を入れてくれるのかな・・・”と(笑)、真剣に思ったのです。なぜなら、光の玉がなければ、そんな力を行使することは・・・、メシヤ様は腹中に光の玉があったからできたわけなので。いくらメシヤ教に力をやるといっても、私の中に光の玉を入れてくれなければ、それはダメだろうと思っていたら、それは、『お前は、メシヤ様の御昇天の理由がわかっていない』と。メシヤ様が御昇天した理由は何かと言うと、メシヤ様が御法難に遭われて、その取り調べの中で何度も脳貧血を起こされて倒れられているので、その後遺症で脳溢血を起こして昭和29年の4月に脳溢血を起こして、それで命を縮められたので、これは当時の先達がメシヤ様をしっかり支えられなかったのであり、それで御昇天が早くなったのだという解釈をして皆さんにもそういう話をしました。

これは、『人間的な考え方としては、正しい』と。『その通りなんだ』と。そういうふうにメシヤ様を貶めていく方に選ばれた人間と、メシヤ様の御神業をなんとか護っていこうという人間とに、因縁によって、そういうふうに分けられて使われてしまっているので、そういう人間的な捉え方は正しいと。しかし、神界からすると、昭和25年6月15日にメシヤ様の光の玉に「ミクラタナ」の神様が御宿りになって、その時のメシヤ様の御言葉は、これは、『一厘の種だ。』というふうに仰っておられます。そして、

『この種は、成人を迎えるにずっとご成長になって、成人を迎えると大威徳を発揮される。』

とお述べになっております。これが実は急速にご成長したので、メシヤ様の御身体(御肉体)では足りなくなったのだ、と。それで、メシヤ様の御身体は散ったのだ、と。これが、「散花結実」の本当の意味なんだ、と。そして、今メシヤ様の身体は肉体的に散って、光の玉は、地球全体を覆って、全人類に遍在していると。だからこれからの御神業は、もう光は全人類に遍在しているので、あとは認識さえすれば、奇蹟がどんどんどなたにも頂けるようになる、と。だから、みんなに、メシヤ様の御存在を認識させるということが、これからの御神業の根幹になってくる、と。どこの国の人でも、どのような宗教の中にいる人でも、メシヤ様の御存在を認識さえすれば奇蹟をいただけるようになる、と。そういう時代を、今、迎えているのだ、と。

今まで、メシヤ教は、ホームページのトップに、「メシヤ様という御神格を認識して、そこへ直に太く繋がりさえすれば、メシヤ様の恩恵に浴することができる。そういうことを述べ伝えている教団です。」と話しましたけれど、これは、ほぼ浄霊に特化したような話になっております。しかし、これからはどのような人にもそういう話をしていくことによって、浄霊だけではなくて、祈りもすぐ御守護いただけるような、そういう時代を迎えているということであります。あとは認識できるかどうかということです。

 

「ミクラタナの神様」の御存在の再認識

そして、信者さん方にとってもう一度再確認しないといけないことは、光の玉に「ミクラタナの神様」が御宿りになったことによって、「メシヤ様」になったのだ、ということです。このことがみんなの想念の中に明確に持つことができなければ、その任を担うことができないので、『このことを何度も話してあげなさい』ということです。光の玉というのは、メシヤ様が大本教時代に奇蹟を頂けるようになった時に、既にメシヤ様の腹中に光の玉が御宿りであったわけですね。ですから、最初は、観音様からお力を頂いているので、善言讃詞を読んでいくと、『敬しく 惟みるに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給い・・・』という時が、その光の玉が宿った時ですね。そして、『光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主とならせ・・・』この救世主(メシヤ)とならせというところが、昭和25年の6月15日ということです。そして、この善言讃詞を奏上するときにそういうことを認識して、御神前の前で祝詞を奏上していくと、言霊界に響く力が一層増してくるので、『みんなをそのように導いてもらいたい。』ということです。

以前は、『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され・・・』の前に、今読み上げた『世尊観世音菩薩此土に天降らせ給い 光明如来と現じ 應身彌勒と化し・・・』という文言がここで省略されているから、「それを思い出して『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され・・・』というところを奏上してください」というふうにお願いしましたけれども、ここで大事なことは、光の玉に「ミクラタナの神様」が御宿りになって、メシヤ様という御神格に御出世遊ばされた、『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され・・・』という想念を、ここで最後しっかり認識して祝詞を奏上するようにしてもらいたい、と。特に御神体を頂いているご家庭などは、そうして善言讃詞を奏上するようにという話です。

『「ミクラタナの神様」が宿ったということを認識してない者が、「メシヤ様に直に繋がる」といっても、直に繋がったことにならないのだ』と。そこのところが一番大事なところなので、「ミクラタナの神様」が事細かく、そういうふうにその仲介者を通して私に教えてくださっているわけなのです。

実は、今日、皆さん方を2回笑わせましたけれども・・・、3日に本部で月次祭をやったときはですね、こんな重たい責任のある話ですので、ずっと順番に話をして、1回も笑わせないで話したら、「ミクラタナの神様」が、『あれは、硬すぎる』と。(笑)要するに、固く話すという私の気持ちとしてはわかると思いますが、いざという時には非常に邪念のない姿勢で話すので、固く話すのはよくわかるけども、固く話すと、どうしても相手も固く受け止めるので、相手の魂に入っていかないそうです。だから『ほぐせ』と。『何回か笑わせてくれ』と。それから私は少しくだけた話も織り交ぜながら話していこうということで、少しほぐしながらお互いに進んで行ったほうがいいということなので、少し冗談を交えながら話したわけなのですけれども。私としては、こうして月次祭でお話したことなども、絶えずチェックが入っております、「ミクラタナの神様」から。今日の話はよかったとか、もう少し言い足りなかったとか、その晩に仲介者からメールが来るわけです。ここ2、3日来てないので良かったんじゃないかな、と。何もなければ言ってこないので。言ってこないというとおかしいのですけれども、腹の底を見られているので気持ち悪いんですよね。神様から、腹の底の底を見られているので・・・。皆様方には大黒様にお参りするときに、「大黒様は皆さんの腹を見ているので、お金をこいつに渡しても、御神業に使うという腹を持っている人にしかお金を渡しませんよ」というふうに話をしているので、人にはそうやって言っているのですけれども、自分の腹もそこまで神様から見られているという自覚が少し薄かったので、今回ほど嫌になったことはありません。御神業、できれば担いたくないという・・・。腹の底まで見られてます。それで、さっきのように内容が本当かどうかということを御教えに照らして考えていかないといけないので、それで、頭の中がもう高熱が発してくるわけで、考えていると。それで頭を何回も洗わないといけないので、もう今回刈り上げてしまって。ここ5ミリしかない。(笑)頭が整理できたら、また少し伸ばしていきますけれども・・・。刈り上げて、頭の整理をしてまいりました。そういうことが、いきさつとしてありますので、そのことを受け止めて頂ければ、大変ありがたいと思います。

 

霊性を高める在り方として

そして、地上天国祭の時にお話したように、じゃあどうしたら霊性が向上するかということになりますので、霊性が向上するためには、メシヤ様の御論文と、御講話をすべて拝読するしかないという面がありますので、それから人々を救わせていただいて、徳を積んでいくというこの2つが必要ですので、今月から御神体を既に頂いている方には、全御論文、全御講話、全詩歌の電子書籍版、先ほど読んだ中に入っております、電子書籍版を、無償で下附します。菅谷さんに御神体を頂いている方は、USBメモリー8ギガを持ってきてください。(御神体申し込みの詳細は割愛します。)

以上をもちまして終わらせていただきます。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

『「本教の誕生」 世界救世(メシヤ)教早わかり』

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』19ページに記載されています。

『本教の誕生 世界救世(メシヤ)教早わかり』は平成28年8月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.185 鎌倉支部 2016(平成28)年7月10日]