メシヤ講座no.182大阪(平成28年3月)

<今月の御教え>

『開教の辞』(昭和二十五年三月十一日)

本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』55ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 大阪支部】

楳木代表

本日は『開教の辞』、『世界救世(メシヤ)教の誕生について』というところを拝読させていただきました。これは、2月4日の世界救世(メシヤ)教の開教記念大祭並びに3月3日の『メシヤ降誕本祝典』記念大祭でもお話しをさせていただきましたように、その昭和22年8月30日に日本観音教団として進め、それから昭和23年10月30日に日本五六七教会としで進めて行く時に、日本観音教団教義と五六七教教義というのをそれぞれの主宰者がお作りになって進めていたものを、昭和25年の2月4日に世界救世(メシヤ)教が開教した時に『世界救世(メシヤ)教教義』としてメシヤ様がまとめられてスタートした訳であります。

この2つの教義に共通しているのは、やはり神観というものを『主神様』というところにみんな重きをおいて御神業を進めていたということです。ですから中島一斎先生も渋井總斎先生も『主神様』に対する認識を持って、その『主神様』が現界経綸において観音様としてお働きになっているというような認識で、それぞれの教義を作っております。

しかし、この昭和25年2月4日世界救世(メシヤ)教を開教した時に、先程○○さんが拝読をして下さったように、明確に『抑々世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、この地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである。』ということでメシヤ様が確定されたということであります。ですから、私達が信仰させていただく時にこの『太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである。』という、この『太初』をどこにおくかということが非常に大事になってきます。大きい意味では先月もお話しさせていただきましたように、この宇宙が約138億年前にできた時からを『太初』と、まず大きい『太初』とする。それから地球においては約45億年前に地球が生まれた時のことを『太初』とする。まぁそうしたことを私達の信仰の対象である『主神様とメシヤ様』に対する概念をそういうところに持っておいていただきたいと思います。

まず、最初にそのことをお願いさせていただいて、しかも、このことは5行目に

『勿論神の深き御旨に由るのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、何時も吾等が唱える処の、霊界に於ける夜昼転換の時期に愈よ入ったからである、之も吾等が常に言う処の仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従而、観世音菩薩のお働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論である、すなわち化身仏であらせられた観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。』

この一文を理解するために『文明の創造』をずっと拝読させていただいたということです。『文明の創造』を先々月まで拝読をしてきた、そのことによってこの一文をよく理解できる、というふうに思います。しかも、この『化身仏であらせられた観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。』というのは『文明の創造』にきちんと詳説して下さっておりますので、そこのこと思い出しながら、この文章を拝読させていただければ、より理解が深まるのではないかと思います。

そして、話は戻りますけれども、日本観音教団の流れがですね、現代では東方○光になっております。それから日本五六七教会の流れが今のいづ○め教団になっております。しかし、これらの教団、日本観音教団教義と五六七教教義をですね、ほとんど引き継いでいるとは言えない状態にあります。そういうことも合わせて見て置いていただきたいと思います。この両教団の教義を拝読したい人があれば支部の方へ問い合わせていただきたいと思います。

それから、次に

『以上の如く霊界が昼となる以上、これが現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不要なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である。』

ということでありますので、ここがですね善言讃詞を現在も使い続けている、いづ○め教団は『多寶佛塔』というのを消して『神殿玉楼』というふうに書き換えているというのは、この文章の『夜の文化は当然不要なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である。』ということにおける仏教が、いくら仏滅を迎えたにしても仏教美術というのは残っておりますので、それが『多寶佛塔』にあたる訳ですし、日本の建築技術の粋がそこに結集されて作られたものばかりでありますので、そうした意味ではこの『夜の文化は当然不要なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である。』という一文を理解していない指導者が現在のような教団を作り上げてしまっているところにも、分析の目を向けていただければありがたいと思います。

『それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない。』

この清掃作用が現在の我々の上に起きている浄化作用に当たっていく訳でありますので、3月3日には御守護いただいた方が2人発表して下さいましたけれども、顕著な御守護のいただき方をしています。その過程で排泄される毒素というのは、この『長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない。』という、この一文によって浄化を許されているということです。そして、お二人とも今布教に向かって準備を整えて、○○さんは今月から半月を広島の福山市というところに行って布教するように今月から動き始めます。それからもう一人の○○さんも今ちょうど勤めていたところを辞められるということで2,3カ月の間支部でご奉仕をして、次の御神業に臨む姿勢作りをしていくということで、今早速取りかかり始めておりますので、この『清掃作用』を受けて次の御神業に臨むということを進めているというふうに、あの体験記を通して理解をさせていただければ大変有難いと思います。

そして、引続き読んで行きますと

『右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、而もそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである、斯の如き空前絶後の一大転機とは、何を指すのであらうか、全く何千年否何万年以前より決定してゐた神のプログラムなのである。』

この『神のプログラムなのである。』というところを、昨年の秋から今年の1月まで学ばせていただいた内容にあたりますので、私達は『昼の文化』の建設を開始しているのだ、というふうに受け止めていただいて、日常生活も社会生活も『昼の文化』の建設というところに向けて動いているのだ、という認識を持って生活をしていただければ有難いと思います。

この『昼の文化』の建設というところが『世界救世(メシヤ)教教義』の最後の『病貧争を根絶し、真善美の全き恒久平和の理想世界』そうしたものを建設していくのが私達の日常生活だ、ということです。先月も重々お願いさせていただきましたように、自分の生活の、特に衣食住の中で病気を生む、そういうものを生活の中に持ち込まない努力を積み重ねていただきたい。あるいは貧に繋がるような生活をしない。争い、争に繋がるような生活をしない、ということが『昼の文化』の建設ということです。その中でも『争』が一番難しい訳ですね。家庭生活の中でもですね。身近なものであるが故に、昨日も随分と「自分の夫の言動にすごく腹が立つ」とかいうような話が出ておりました。「自分の家内の言動に腹が立つ」という話も出ておりました。そうした時に、じゃあ、どうして争いを無くすのかということについては、先月は血糖値の話もしましたが、実はメシヤ様が『私というもの』という御論文の中に『私は朝起きるとまず家族の者の御機嫌はどうかという事に関心をもつので、』とお述べになっていらっしゃいます。例えば○○さんは腹が立つことはあまりない?

受講者

いや~立ちますけどね。(笑)

楳木代表

腹立った時、どう対処していますか?

受講者

いや~どう対処しているか・・・いや~あんまり腹立たないかなあ~。

楳木代表

メシヤ様が朝起きた時家族の者の機嫌がどうかとても気になるということは、機嫌が悪い時は何を言っても腹を立てる、そうでしょ?皆さん方も機嫌が悪い時に褒められても「何、嫌味を言うの!」というふうになるでしょ。機嫌の悪い時にいくらいいこと言われても、まぁ悪い事言ったらもっと腹立つのだけれど・・・。まぁ機嫌がいいかどうかということをまず争いの時には、家庭の中ではまず頭に浮かぶことがあるのね。だから相手の機嫌が悪いのか、こっちの機嫌が悪いのか、ということをまず頭の中に浮かべて、“今の腹立つのはこっちの機嫌が悪いのだ”とか、“向こうの機嫌が悪いのだ”ということをまず二つ浮かべる、と。そして、次は言った言葉が、あるいは頼んだ事をやらない、という時に、そのやるかやらないかということが、“すぐやれる内容”なのか“やれない内容”なのか、“時間がない”のか”、そういうことを分析しないといけない訳なのです。実は頭を使わないと争というのは無くしていくことはできないのです。

私が若い時に、専従して現場で布教したかったけれども、本部に配属になって編集部というところに入った時に・・・、今新聞を全国紙など開くとだいたい2面に人の欄が来ますね?これぐらいの人を取り扱った欄があるでしょ?そういう3段組が2段組ぐらいの囲み記事が載っています。この人物を取り上げる時に、あれを書く専門の記者は質問をいくつ用意して相手に会うと思いますか?目が合ったから、どうですか?いくつこの人のことを掌握するために質問を用意していくでしょうか?

受講者

五つぐらい。

楳木代表

五つぐらい、昨日も最初の人は五つって言っていたね、五つで相手のことが掌握できるか?・・・。だいたい50~150と言われております。じゃあ○○さん「○○家ってどんな家なの?」と聞いた時に、答えをどれぐらい頭の中に浮かびますか?

受講者

え~と、三つか四つ・・・。

楳木代表

三つぐらいね、そうするとほぼ頭を使っていないということですね。日常生活の流れで会話をしているということですね。「○○さん家はどういうお家なの?」と聞かれた時に、まず私に「実家はこういう家で、嫁いだ先の○○家は、先祖はこういうことをやっていて、今はこういうことをやっています。そして、私の夫は、職業はこうで、年齢は○歳で、その人と私は何年前に結婚したのよ」と、まず家系と夫について答える材料が五つか六つはあるでしょ。それから「結婚しても私の体が悪かったので子供がすぐ出来なかったのよ」と。「だけど信仰して御神体を申し込んだ時にすぐに妊娠できてね、長男が生まれて、長男はこういう性格で、このように学校では今何年生で、そして、学校ではこういうことが得意で、家に帰って来たらこういうふうに行動している」と。ここでも五つくらい長男について説明して、次男も五つくらい、少なくとも説明して、そして、長女についても五つくらいは説明して、そして「私はね、今はこういうことをやっていてね」というふうになってくると、「○○さんのお家ってどんなの?」と聞かれた時には、5人×少なくとも五つの回答で25の回答があって、そして○○家の家系を話すので30ぐらいの回答が頭の中にワァ~ッと本来は浮かばないといけない。

受講者

使ってないですね、頭を・・・。

楳木代表

そういう頭の使い方をしていかないと、ただ普通のおしゃべりで全部が終わっていってしまう。それでは争がなくなっていかない。メシヤ様はこの争の原因は何かというと、戦争の原因は精神病とおっしゃっている。この精神病の原因は薬だとおっしゃっているので、薬を排除するということが私達の念頭にはあるけれども、次はこの精神病ではない状態にどうしたらいいかというと、メシヤ様は精神病ではない状態というのは一番分かりやすいのは、礼をする時には相手に真っ直ぐ向いて礼をしているかどうかというのを基準にすると、まず事例に取り上げて御話しされています。そうしたら、礼は相手に向かって真っ直ぐ礼をしているということは、同時に相手から聞かれたことをきちんと答えられるかどうかということが、次にくる訳なのです。きちんと答えられる時には少なくとも答えが30ぐらいワァ~ッと頭の中に生まれて、相手が聞きたい事に対して答えていかないといけないということになってくる。

こういうことを積み重ねていかないと、この争ということが決して無くすことができないのだ、と。メシヤ様の御論文を拝読していくと、御論文の場合は『文明の創造』の冒頭に私が書いているように、口述筆記をされる時には前の日に口述した最後の数行を筆記者に読ませると、『うん、分かった』ということで、続きを滔々とテープレコーダーのように口述されたというふうに・・・。その時に、この後ろ頭のこの辺りを御自分で何秒か浄霊されて、そういうふうに口述された、と。そして、口述したものに徹底して赤字を入れていって、皆がどうしたら分かるだろうかということで、何回も文章を書き直されて御論文をつくり上げていかれました。

その一方で講話というのは、質疑応答で質問者に対してメシヤ様がお答えになったことをずっと筆記した人達の中で、もう1回メシヤ様にご確認した内容と確認せずにそれをそのまま印刷したものとが、今度は二つに別れます。そのあまり手を入れていない質疑応答の場合、メシヤ様は『え~』とか『まぁそれはね~』というふうに間を置きながら・・・、しゃべるスピードは速いのだけれど、この間を置きながらおしゃべりになった。この間を置く時になぜ間を置くかというと、メシヤ様は相手の質問に対して必要な答えが頭の中に何十も出てくるのだけれども、その中からこれが相手に必要だというのを選んでしゃべるので、その合間が『え~』とかいう時間だというふうに受け止めていかないと、何故こういうしゃべり方をされているのかというのが理解できないということがあります。そういうメシヤ様がお答えになっている背景には答えがいくつも頭の中にあった、その中から一つを引っ張り出して今の質問にふさわしいものをおしゃべりになっているのだ、という考え方をしていかないと、私達がメシヤ様に近づいていくということはほぼできない状態になると思います。

いろいろ質問を受けた時には、どうか頭の中にいくつも答えが浮かぶような生活をしていって下さい。そうすると、今日本人の場合は亡くなる時にだいたい頭脳を平均で20分の1使って死んでいくということですので、20分の19は使わずに死んでいることになります。昨年ノーベル賞を受賞した方々は、10分の1は使って一生を終えると言われています。ですから、自分達が「平均値まで頭を使って死ぬか」ということをいつも課題にしておかないと、ほぼ勿体ない生涯を送っている可能性が出てきます。だから、とにかく頭を使う練習は、「頭の中に具体的に答えをいつも持っている」ということです。これを病貧争絶無の世界を造る時の、争を無くす、無くし方の過程での「訓練」と思って下さい。

今日も○○さんが「娘が八尾に行きたいと言っているのだけれど、無理やり保育園に送って来てしまって、来月は入学式なのでここに来られない」と。その時に“どうしてこの子はそういうことを言うのか”ということを頭の中でバァ~と考えれば、“あっ来月は私も来られないから、娘と一緒に来て一杯光をいただいて、来月は入学式に臨もう”というぐらい組み立てがそこまでできれば、「じゃあ今日は休んで支部へ月次祭に行こうか」という話が組み立てられる。しかし、そういう頭の使い方をしていないと、「今日しつこく言ったのだけれど、送って来たのよ。」という話で流れていってしまう。こういう頭の使い方は非常に勿体ないので、その基準に、一番根幹にメシヤ様の御教えをおいて、そしてそのメシヤ様の教えに基づいて、“相手は何故そういうことを思ったのか?言ったのか?”ということをまずは考えて、そして、それに対して答えがいくつも頭に浮かんで、その中から“これが御教えに照らすと一番正しい”と思って対処していく、というような仕方を、今日を起点に・・・、○○さんの非常にいい事例があったのでそういうふうに考えて対処していただきたいと思います。

そういうふうな訓練をしていくと、今度は相手の機嫌と自分の機嫌を客観的に見つめて、“今日は自分の方の機嫌が悪いから口答えしたのだ”とか、あるいは“無視したのだ”とかいうような、聞こえないふりをしてしまう・・・、あるでしょう?時々あるのですよ。いくら言っても聞こえないふりをして無視している、とか。それでまた、カッカッカッカッと来るということが起きるので、そうしたことをじっくり見つめて対処していかないと、この病貧争を根絶して『昼の文化』を建設していくということには繋がっていきません。私達の御神業というのは、実は頭をしっかり使って行かないといけないことなのだ、と。メシヤ様みたいにですね。「メシヤ様には到底及ばないのですけれども、メシヤ様を見習って私達も向上に努めていくということが大事ですよ」ということをここで再確認させていただきたいと思います。そして

『今一つは観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、愈よ地上天国が目前に迫り来た、今日茲に善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった。所謂悪のトドメである、従而救いの力も決定的でなくてはならない。その力こそメシヤの揮はせらるる大神力である。』

と、このですね、善悪を立て別け、いわゆる悪のトドメというところ・・・、これを嫌がる人達が『世界救世(メシヤ)教』を「世界救世(きゅうせい)教」にしてしまったということです。そして、その流れの中で現在「世界救世(きゅうせい)教」は3つに割れているのと、分裂教団が一杯できているということです。『悪のトドメ』をメシヤ様の御意志を受けてやり続けるということであれば、『世界救世(メシヤ)教』という教団をずっと進展していかれたはずなのですけれど、そのトドメをすることが嫌だった方々によって「世界救世(きゅうせい)教」が作られ、そして「世界救世(きゅうせい)教」ができたので分派が生まれてしまった、というふうに解釈をしておいていただきたいと思います。

ですから、私達が『世界救世(メシヤ)教』を復興するという、そういう取り組みをするということはこの『世界救世(メシヤ)教の誕生について』という、この『開教の辞』をしっかり受け止めさせていただいて、御神業に臨ませていただくことなのだ、というふうに今日は受け止めていただいて、新たなスタートをしていただければ大変有難いと思います。最初にそういうことをお願いさせていただいていつものように質疑応答に移らせていただきたいと思います。

 

質疑応答

楳木代表

○○さんはこのまま行けば20分の1は使い切って死んで行けるかい?

受講者

20分の1は・・・、あ~そうですね。最近パソコンをさせてもらって、また違うところ使わせていただいて、“いいな”と思っているのですけれど。この争っていうのに、今向き合ってないなと、すごい無視している(笑)。家族のことを、答えを言わないものだから、それは争の原因やね、みんな腹立てているから、すごく反省させられ、“まずいなぁ”と思いました。

楳木代表

じゃあ、頭の中では、答えとか原因とかをずっーと浮かべるというほどお互いに頭は良くないので、ノートに書き出してみるとか、手帳とか。

受講者

はぁ~。

楳木代表

いつもね。ノートに書いて、いつも整理するということが大事ですね。

受講者

そうですね、あまり機嫌を見てないのだよね、きっと。メシヤ様みたいに、怒る事はあまりしないけど、あんまり様子をうかがってない、だからノートに書く・・・うん・・・。

楳木代表

最高最貴の御存在で、救世主の御存在の御方が、まず朝起きたら家族の者の御機嫌はどうかということに気を配られているのだから、凡人がそういうことに気を配らないでどうするのだ、と。

受講者

そうですね。

楳木代表

ましてや弟子がね。

受講者

そうですね。“非常に問題があるなぁ”とすごく思わされました、今頃ですが(笑)笑ってられないか・・・。

支部長代理

今気付いて良かったね~。

受講者

はい、そうですね。そしたらそれを書いていくと。

楳木代表

どっか出かける時に二代様がいつまでも化粧したりしていたでしょ?メシヤ様は随分イライラされていたけれども、じっと待っていらした訳です。女は時間がかかるものだ、ということで・・・。あれだけ大きな体でしたから着替えるもの大変だったろうと思うのです。

受講者

のんびりしてらしたのでしょうね、きっとね、性格がね。また戻りますけれど、思った事を書き留めておいたらいいということですね。何か聞かれたら、それに対して自分なりに答えを考えて、書いてみるということですか。

楳木代表

だから、すぐ答えんといかんことはすぐ答えないといけないので、あとでゆっくり答えてもいいようなことは書き出してみるとか、それか答えた内容が正確だったかな~というのを、あとで振り返った時にノートで整理してみるとかね・・・。

受講者

家族の質問ってね、パッとなかなか答えられない内容が多いのですよね。だからいつもそのまま。なんか結構難しいのだよね。

楳木代表

じゃあ、一つ言ってみて。難しい質問って家族が何を聞いてくるの?

受講者

え~、今普段家族いないのですけれど、え~と、例えば何聞かれてかな~・・・(笑)昨日も「岡田茂吉論文はどこで見られる?」と聞かれて何も答えないでうやむやにして、そういうような感じなのですよ。(笑)

楳木代表

だって、自分のアイパッドで見られるでしょ?

受講者

はい、アイパッド入れているのですけれど、それを考えるんです。一杯あるけれども、それを見て、“求めているのはそれじゃないかな~”と思って、“求めているのはどこにあるかな~”と考えるのですよね。“アイパッドの御論文をそのまま見たからって、どうかなぁ~”と思う訳です。

楳木代表

だから、自分で考えて、勝手に答え出しているからね。「岡田茂吉全集というのを、電子書籍版を私は持っているよ」というふうにまず答えればいいじゃない。

受講者

あ~、とりあえず・・・。

楳木代表

そうすると、今度それに対して何を言うのか・・・。「そうなの、そんな書籍だったら読めないわね」と言ったら、じゃあそれに対してどうしようかと。自分の中でぐるぐる答えを見ていても、相手に答えないといけない。自分に答えている訳だからね。

受講者

それで、相手が怒っていますわ(笑)いっつも・・・。

楳木代表

(笑)これで争がだいぶん解決するね。

受講者

それで「いつもちゃんと説明しろ」と主人に怒られるしね、面倒くさくて何もちゃんと答えてないから。

楳木代表

要するに“面倒くさい”と思った瞬間に頭が固まっているということです。頭を軟らかくしていく時には、具体的にいくつも答えを頭の中に浮かべて、“主人が聞いていることはこれだ”というふうに思って答えていく。

受講者

そうですね。なんか、いろんなことがバァーと浮かぶのですね、それでちょっと“いい返事ができないなぁ”と思って、そのままになってしまうのですけれど。

楳木代表

じゃあ「ちょうどいい返事が出来ないわ」と、言っている?

受講者

いや~、あんまりちゃんとは・・・。

楳木代表

「今の質問に対しては、私は今いろいろ考えてみたけれど、適切な答えがでないので、ごめんなさい」と言ってしゃべっておけばいい。

受講者

そうか、そういうふうに答えればいいのですね。う~ん、そうか、なんか無視したみたいになって終わるのです。

支部長代理

だから相手を怒らしちゃう。

受講者

そうそう。

楳木代表

それで都合の悪いことは、違う話題にふったてみたりするのでしょ?

受講者

そうそう。いろいろ考えると、すぐになんか答えが出ないと、う~んってなって。他人だったらまだ考えるけれど・・・。

楳木代表

答えが出ない時は「適切な返事ができなくて、ごめんなさい」と言わないといけない。

受講者

あ~なるほど、そうですね。今度からそうします。

受講者

争の話で、家庭のことなのですけれど、最近上の子が思春期で1日中機嫌が悪いのですよ、家の中では・・・。外ではそこまで酷くないと思うのですけれど、いつも朝から機嫌が悪くて、「クソばばー」とか言うようになったので、私も倍以上怒ってしまって、「うっさい!」と言ってドアを閉めて出ていくというのが毎日なのですよね。

そうしたら、昨日学校の先生から電話かかってきて、友達にジャレ合っていてお友達がポンッと蹴ったらしいんです。そうしたら、蹴った友達に対してブチッと来て友達を殴ってしまった、と。「鼻血が出て顎がちょっと折れているかもしれない」と。目も腫れてしまって、それで本人は「先にやって来たのは向こうや」と。「だからやったんや」という感じなのですけれど、あまりにも相手にケガさせたので、「首から上はあかんよ」と言い聞かせたのですけれど、ちょっと荒れているといいますか・・・。

楳木代表

それは悪くないよ、相手が蹴って来たのを殴り返したのだから。昔だったら、殴り返さずに帰ってきたら、「おまえもう一回殴りに行ってこい」と言って育てていたよ。

受講者

知り合いのママ友だったので、「MRIかを撮らないと骨にヒビが入っているか分からないから。1~2日・・・今は何とも言えないから謝りに来なくてもいいし、電話もいいです」と向こうは言ってくれたのですけれど、“じゃあ別にいいかな”と。“分かってから謝りに行こう”と思っていたのですけれども、今はもう先生の方が「すぐに謝りに行きましょう」と設定されて、「その方が現在はうまくいく」と。「親御さん同志が気持ちいいので1回行った方がいいです」と、車に乗せられてすぐ謝りに行ったのですけれど、本人同志も別にあっけらかんとして、普通だと思うのですけれどね。まぁ“日々そうやってイライラしているから、プチッと切れてしまうのかな”と、“悪循環なのかな”と思いまして・・・。

楳木代表

それは、母親の姿勢をちゃんとしておかないと。送り出す時だけは気持ちよく「いってらっしゃ~い」と言わんといかん。「何バカなことやってんの!」と・・・。

受講者

“お腹減ってんのかなぁ”と思いながら

楳木代表

いやいや・・・。寸前まで怒ってても玄関出る時だけは、「はい、いってらっしゃ~い」と「機嫌直していくのよ」と、こう言わないと。これが母親なの。

受講者

あ~。

楳木代表

それが母親なの。「クソばば~」と言っていても「クソばばで悪かったわね。」とかいいながら、「機嫌直していくのだよ~」と。

受講者

なんかね~、腹立ちません?そんなん言わなかったのにね、いきなりね(笑)

楳木代表

いや、「クソばば」と言ったら腹の中で拍手しとかんといかん。男はそれを言えたらもう成長するのだから、それを言わない男が問題なんだから。

受講者

そうなんですか!

楳木代表

それを言わないで育つと、大きくなっておかしな人生を歩む訳。そういう時に母親が包みこんであげないといけない。

受講者

「クソばば」と言われて腹立ちながら・・・。(笑)

楳木代表

いや、「クソばばが産んだんだよ、お前を」と。(笑)

受講者

あ~そっか、そっか、なるほどですね。それで上に部屋があるのに、下の子たちと私は寝てるのですけれど、上に部屋があるのに、何回言っても一緒に寝るのですよね。

楳木代表

それでいいじゃない。

受講者

いいのですか。

受講者

甘えていたいのじゃないですか、まだ。

受講者

甘えたいのか・・・。?

楳木代表

いや本当は甘えたいのだけれど、学校へ行くとはずかしい訳。甘えていると。だからその辺を突かないようにしないといかんと、「いつまでも甘えるんじゃないよ」とかそういうふうに言わない。

受講者

言わない?

楳木代表

黙って包みこんでおかないと、家ではね。

受講者

はぁ~。

楳木代表

「クソばば」と言えた男は、もういいの。成長したから。

受講者

あ~、そうなのですね。

楳木代表

“良かった~”と思わないと。言えない子が一番の問題点なのだから。

受講者

じゃあ、息子はいいのですね?

楳木代表

うん、“良かったな~”と思って・・・。

受講者

今度、私の機嫌が悪くなるのですけど、「クソばば」と言われると。

受講者

そりゃそうやわね。

受講者

我慢しとけばいいのですか?

楳木代表

我慢じゃない。「クソばば」と言われたら、メシヤ様に「今日もクソばばと言われました」と・・・。

会場 (笑)

受講者

そうですよね。

楳木代表

それが、女性が信仰する最大の理由な訳なの。訴えるところがないから、神様に聞いてもらって心が落ち着いていく訳。だから世の中で男性より女性の方が信仰心の育つのは、そういうところがある。それが母親の役割でもあることなの。全部受け止めてあげる訳。女性の身体の構造っていうのはそういうふうになっているの。受け止められるように。男性は受け止められない、男性は受け止められる臓器を持っていない。女性は受け止められる臓器を持っている。しかも人を育てる臓器も持っている。受け止めて育てる臓器を女性は持っている訳なので、その女性の利点を発揮していかないといけない。良かったね~。(笑)

会場(笑)

受講者

でも、ホッとしました。教育もまた違うのでね、学校側と。また保護者との考え方も変わってきていますので、主人に話したら「いいやんけ、別にケンカぐらい」みたいな、「やり返しただけやろ?」みたいな感じでね。まぁそういうのは“そうだなぁ”と思っていますけれども・・・。

楳木代表

男同士はね、殴ったり殴られたりすると、その痛みを覚えていくと「人を殴ってはいけない」ということを分かり始めるの。それがないと、後で成長した時に凶暴になっていくのね。人を平気で殺せるような人間になってしまうのでね。

受講者

はぁ~。

楳木代表

ケンカしてない子がそういうところに陥ってしまうの。私も中学一年生の時に、今、ある組の組長になった男と殴り合ったことがあるの。

受講者

え~!

楳木代表

もの凄く痛かった。相手も痛かったと思う。私はこの拳が痛くて、頬が痛くて、“それ以上絶対殴ってはいけない”と。向うは殴り続けているみたいだけれども。

会場 (笑)

楳木代表

私のパンチが効かなかったのじゃないかな。(笑)

受講者

今だったら、先生とか保護者とか言ったのですけれど「やっぱり目はやめてね」みたいな、「失明したらどうすんの?」みたいな・・・教師からも。

支部長代理

あれっ?武道やっているんじゃなかったっけ?

受講者

いや、やりたいのですけれども、「多分ね、凶器になるから止めといた方がいいわ」って止めさせたので、「空手もボクシングもしたい」と言っていたのですけれども、私が怖くって。それをわざわざ使いそうなので・・・。

楳木代表

いや、わざわざ使わないよ、そこで習うと。

支部長代理

そう。

受講者

そうなんですか。

楳木代表

うん。

受講者

逆に習わせた方がいいのですか?

楳木代表

うん。

支部長代理

絶対「そういうことは凶器だ」と教えられるので。段を取ったら法律的にも罰せられます。

受講者

それはなんでもいいのですか?キックボクシングでも・・・。

楳木代表

それは、本人が「習いたい」と言えば、その代わりきちんとしたジムなり道場に通わせないと。精神を教えてもらわんといかん。弁えること。そうすると習った以上は、「これが殺人の凶器に直接繋がっていくので、絶対素人を相手にしてはいけない」と。

支部長代理

組手とかやっていたら痛いのが分かりますから、しません。

受講者

あ、そうですか。

楳木代表

うん。

受講者

今、サッカーもやっているんです。やらせても良かったのですね。

楳木代表

うん。だから、そういうふうに、教育方針を変えた方がいい。

受講者

はい。

楳木代表

男の子を育てるのは大変だけどね、いつも母親というのは太陽のように全部照らしていかないといけないので、そういうことを心掛けていこうというふうに思って、いくら言い合いになっても、玄関を出て学校に行く時だけは「機嫌直して行くのだよ」と。

受講者

逆に子供に言われます。取っ組み合いのケンカになって、私を殴らないのですけれども、そうなってんのに20分後ぐらいに、「マッマー」って来るんですよ。「なんやねん、さっきのは!・・・」って言ったら「いいかげん、ネチっこいねん」って言われて、「もう終わったやん」って逆に慰められてるんです。(笑)

支部長代理

旦那さんに性格が似てないですか?

受講者

性格・・そうですかね。どうなんだろう?

楳木代表

だから、その時に○○さんが親から受けていない愛があるので、その時に本来の愛を発揮できない訳なので、その時にもう一度息子を抱きしめてあげればいい。

受講者

逃げるんです。「気持ち悪いわ~」って言って・・・。

楳木代表

いや、「マッマー」って来た時に・・・。

受講者

いや、「マッマー」って言うだけで・・・。

楳木代表

あっ、そう。

受講者

「何?何?何?」って言うと、「きしょいねん、あっちいけ」って言われて(笑)やっぱり逃げるので、それは嫌みたいで・・・。

楳木代表

さっきの「マッマー」って言ってきた時に、「なんやねん」とか言わなきゃいい。

受講者

あー「何?」って言えば良かったのですか?

楳木代表

そうそう。

受講者

コロッと開き直りが早いので、あんだけ言って・・・。

楳木代表

それが親だから。

受講者

それが親・・・。

楳木代表

親に言うということはそういう事だから、それをネチネチ親が思っていたら、子供の立つ瀬がないから。

受講者

「しつこい」って言われます

楳木代表

それはもうダメだね。

会場 (笑)

楳木代表

「ママ」って言ってきたら「な~に?」と切り返していかないと。

受講者

分かりました。

楳木代表

マジシャンにあるでしょ?こう回しながら、ああ~いう切り返しをしていかないと、スッと変えて行くぐらいの。そういう切り返しができないという事は、自分の首肩が凝っているということなので、しっかり浄霊をして、その凝りを取っていけば、いつも母親に戻れるから。同級生みたいになっちゃうからね、ケンカすると・・・。

受講者

あっ、そうなんです。

楳木代表

ケンカする時、同級生みたいになるでしょ?

受講者

なります、なります!

楳木代表

なるやろ!それじゃダメなので、すぐに母親に戻らないといけない。

会場 (笑)

受講者

忘れちゃうのですよね、そん時は・・・。

楳木代表

まぁ、今日は、よくみんなの前でね、そこまで赤裸々に喋ってくれて良かった・・・。どうぞ、母親を貫いて下さい。

受講者

空手の絡みで聞いていいですか?

楳木代表

うん。

受講者

うちの娘一人なので、女の子だから何か習わせようと思っていたのですけれど、主人が「空手は攻撃を、人を傷つける術を知ることだからやらせない」って言うのですよ。「合気道だったらいい」みたいな・・。空手は痛みが分かるからやらせた方がいいですか?

楳木代表

本人は何を「やりたい」って言っているの?

受講者

「お友達が空手をやるって言っているから自分もやりたい」とそんなノリで・・・。

楳木代表

女性の空手は型が中心なので、物凄く綺麗な型を求めていくので、割りといいとは思うけれど・・・。だから、そういう場合はご主人と一緒に空手の道場とかに見学に行けばいい。どんなことを教えるのか、と。そして、もう一回二人で判断しよう、と。「どういうことを教えようとしているのか見に行こう」というふうに言って、女性の場合、理想は合気道だよね。

受講者

そうですか・・・。

代表先生

大本教だから合気道は・・・。大本教の信者が、植芝という方が言霊から合気道を作り出していった訳なので。

受講者

家の近所にある合気道は天理教と書いてあるのですよね。

楳木代表

あ~、今はその別れている・・・別れている、というか元々が大本教なので、しかし、どんな宗教でも習ってもいいという合気道はそういう精神なので、それは色んな宗教に後から入っていっても、それは問題ないと思うのだけれど。まぁ、一番いいのは合気道だね。

支部長代理

柔道もいいっていいますね。

楳木代表

合気道をやり過ぎると手首が太くなってくるので、女の子にとっては、空手の方が綺麗な子になっていく。合気道の腕立て伏せって知っている?こうやって腕立て伏せしないといけない。そうしないと、これを持って投げる時に耐えられないといけないので、そういう基礎練習をしていくので、物凄くこの辺が太くなっていくのでね。女性には厳しいところがある。だから道場巡りをしたらいい。そして、どんな教え方をしているのかを見て、「これだったら家の娘を通わしても大丈夫だね」いうふうにご主人と話し合いをして、行かせたらいいと思う。

受講者

はい、ありがとうございます。

楳木代表

夫婦仲がいいみたいだね。

参加者

ですかね・・・。

楳木代表

じゃあ、時間になりましたので、これで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

支部長代理

以上もちまして、メシヤ教大阪支部三月度月次祭を終了させていただきます。

会場

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

『天地創造記』(昭和二十五年十一月二十日)

本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』34ページに記載されています。

『天地創造記』は平成28年4月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.182 大阪支部 2016(平成28)年3月10日]