<今月の御教え>
『文明の創造』科学篇 下半身の病気と痔疾(文創 昭和二十七年)
【メシヤ講座 浜松支部】
下半身に薬毒が溜まるような薬を服みましたか?
楳木代表
痔が悪いという方に出会ったときに、まず尋ねないといけないことは、「下半身に薬毒が溜まるような薬を服みましたか?」ということと、「手術をしたことがありますか?」ということです。
そうすると、薬毒が集溜する場所がだいたいわかりますので、その薬毒の集溜する場所と痔を浄霊すれば良い、ということです。
それから、痛みがあるかどうかということを聞いてみると、痛みがある場合は薬毒が中心であり、痛みがない場合は先天性薬毒が中心ですので、この場合は脳天から脊髄をよく浄霊することが大事だということになります。
「私、今、痔が悪くて困っているの」という相談を受けた場合は、まず「痛むか痛まないか」を聞くのと、痛んでいる場合は「過去下半身でどんな病気をしたか?」「手術をしたか?」「薬を服んだか?」そういうことを尋ねて浄霊をする場所を決めておいていただきたい、と、それをまずお願いしたいことであります。
便所の構造は天国化している
楳木代表
次に、メシヤ様は便所の構造について触れております。そうするとここにいる、高校生、中学生、小学生は便所の構造と言っても、生まれた頃から一緒だったね。
参加者
うん。
楳木代表
和式のトイレには行ったことはないでしょ?
参加者
外出先では…。
楳木代表
外出先ではたまにあった?
参加者
河原とか…。
楳木代表
キャンプとか…。
参加者
ソフトの試合とか。
楳木代表
ああ、そうか。そういうときには和式にどうしても行かざるを得ないけれども・・・。
公衆便所でもそういうところがあるね。しゃがんでしないといけないところがあるね。
参加者
学校もそう。
楳木代表
学校もそう?
まあ、その点、今は洋式トイレになっているので、そういう便所の構造で痔になるという問題は現在解消していますので、痔について一つは、便所の構造は天国的になっているということです。
ただトイレが綺麗か汚いか、掃除が行き届いているかいないかという問題はあります。
ですから、天国化しているのは・・・、構造は天国化しているけれど、トイレが天国になっているかは毎日の掃除が行き届いているかどうか?お花が一輪でも挿しているかどうか?・・・というようなことが次に加わってきますけれども、物質的には天国化になっているということになります。
『放っておけば治るのだ』
楳木代表
それから、メシヤ様は5分以上座っていると痔には良くない、と。5分以下だと痔にならないとおっしゃっていますから、メシヤ様は非常に几帳面に、トイレの分数に至るまで時間を計っておられたということです。非常に几帳面な方だったというです。
そういう教祖を私たちは教祖として仰いでいるわけですので、我々もそういう点においては非常に几帳面を目指していくべきであろうというふうに思います。ただ単に「5分以上はよくない」とか「5分以下なら良いのだ」ということだけではなくて、メシヤ様は人々の病気を治すために、こういうことも併せてずっと経験されておられたのだ、ということを、こういうところから学んでおいていただきたいと思います。
それから、この『文明の創造』の前半からずっとメシヤ様が一貫して言っておられることは、『放っておけば治るのだ』ということです。
肛門に毒素が集溜して、疣痔でも何でも、溜まってきて破裂して毒素が全部出てしまえば治る、ということであります。
ただ、現代人はそこを我慢することができず、治療に走ってしまうために、治療をしてしまうと新たに毒素が加わってくるので悪循環を繰り返してしまうのです。
昔の人の方がやはりその点、辛抱強かったので、こういうものは腫れて、腫れきって出てしまえば治るという考えを持つことのできる人が比較的多かったようです。現代人はなかなかそこまでいけないところがあるので、一旦痔となった人は焦る人が多いので「根気よく治していきましょう」と声をかけて、しっかり浄霊をしてあげてほしいと思います。
それから浄霊をする場合には、家族や非常に親しい同姓の場合はお尻を高く持ち上げてもらって、肛門を後ろから浄霊すると非常によくなります。光がよく当たるので。
しかし、あまり親しくない人にそのような格好をさせて浄霊するというのは奇異に映ってしまいますので、なかなか浄霊しにくいということがあります。その場合には浄霊力を拝受していただいて、自分で浄霊するということを心掛けていただくと非常に良いのではないのかな、と思います。
それから、最後に『駆梅療法』というものが書かれていますが、今はほぼないので、最後のことについて今、悩んでいる方はあまりいらっしゃらないのではないか、と思いますが、昭和27年当時はこういうこともあったのだというふうに受け止めておいていただきたいと思います。
最初に、・・・今回の痔疾については、メシヤ様がこのように御解説くださっておりますので、確認をしながら拝読を重ねていただきたいというふうに思います。
それでは、そういうことを確認させていただいて、いつものように質疑応答に入らせていただきたいと思います。
日本人の良い特性について
楳木代表
それから、今回はメシヤ講座・特選集の最後に・・・。一度読んできていただいていますかね?
最後に浜松支部で話したことをまとめて、日本人が今、思い出さないといけない、取り戻さなくてはいけない、日本人のいわゆる良い特性というものを見つめなおしていただきたい、という話をして、そして、引用してくれた御教えを最後に掲載させていただきました。
今日、報道2001を見た人はいますかね?
参加者
JR九州の話ですか?
楳木代表
JR九州についてです。他に見た人はいませんか?
JR九州では明後日から「ななつ星」という世界一を目指した豪華な特急が通るようになりまして、二人で40万から100万くらいの料金らしいのですが、そこに携わった・・・車両を設計した人とJR九州の社長とで列車を作り上げてきた過程を話していたのです。そのなかで、もう残念ながらお亡くなりになった、14代柿右衛門氏の焼物をその列車に設えるという場面が出ていて、ちょうど遺作のような形になってしまったのですが、各部屋の手洗いの水を流す、この鉢を14代の柿右衛門氏が焼き上げて、それを各部屋に設えているということであります。
なかなかいいデザインのね、ななつ星ですから代表作が七角形の焼物かと思われました・・・。
その14代目の柿右衛門氏が、何故そこに参加しようとしたのかと言うと、世界一の列車なので、14代柿右衛門氏は人間国宝ですから、人間国宝が作陶した焼物を日常的に使ってもらいたい、使うためにあるのだ、と。当然そうですね。洗面台の水を受けるところなので・・・最高傑作品を毎日手洗いに使ってもらいたい、と。
これが地上天国の要素の一つである芸術的生活です。
世界一の一要素ですので、そういうところを私たちの日常生活の中でも、良い物を買って、それを大事にしまっておくのではなくて、それを日常的に使えるような、そういう天国的生活を目指していただければ、大変良いのではないかなと思います。
14代柿右衛門氏が亡くなったので、本部にも14代の作った香炉と香合があるのですが、廊下の奥の御床に香合を常時飾ってあります。
それから『神世界』と『大光明如来』様の前には香炉を飾っております。
そういうものに日々触れて生活ができるように、少しずつ目指していくと、形からですが天国的生活になっていくのではないかなと思います。
生きている当時の柿右衛門氏がテレビで話をしていたので、非常に良い取り上げ方をしてくれたなと思いながらテレビを観ていたのですが・・・。
ゲームと怪我
楳木代表
あの親指はいつ怪我をしたのかな?
参加者
先週の試合のときです。バッターの打ったファールボールがかすったか、直撃したか。
楳木代表
ファールボールが直撃した。
参加者
そのあとも痛かったけれど、試合に出て投げていて・・・。
楳木代表
続行したの?
参加者
キャッチャーなので・・・。
楳木代表
それは頑張ったね。続けた分、痛みが増したけれどね。
参加者
医者に行って診てもらったけれど、手術とかもなく固定だけで済み、痛み止めも「出しません」と言われて、良かったです。
楳木代表
それは良かったね。あと一週間ぐらい我慢しないといけないの。
参加者
学校の合宿もこのまま出かけます。
楳木代表
家でゲームはやるの?あまりやらない?
参加者
やります。
楳木代表
一日どのくらいやっているの?
参加者
最近はよくやります。
楳木代表
どのくらい?1時間以上やっている?
参加者
やっている。
楳木代表
そうか。もうね、ボールがくる瞬間に、ファールチップするでしょ。そのときに角度がちょっと変わってパーンとくるから、捕ろうとした瞬間の頭の判断が一歩遅れてしまったのです。一歩と言っても何分の1よりももっと小さいほんのちょっとした判断が狂ったために、指にガーンと当ててしまったのです。ミットで捕らないといけないのを捕れないかもしれないと手を添えたのでは?そういうことを考える暇もなかった?
参加者
ミットも添えなかった?
楳木代表
ミットも動かせなかった?怪我の状況を思い出して?
参加者
バットの下に当たったのが、地面に跳ね返って。
楳木代表
そうか。
これね、ゲームをやりすぎると当たった球が下に行ってドーンと跳ね返ってこの角度でくるという、その感覚が鈍ってしまうのです。
参加者
していない。
楳木代表
していても、していなくてもキャッチェーは一番よく見ておかなくてはいけないわけだから。できれば捕ったほうが、バウンドしないまま捕った方がアウトにできるけれども、そのほんの瞬間の判断が、ゲームをしていると目から入ってきた光線が、この後ろ首から頭をコチンコチンにさせるわけだからね。そうするといくら鍛えていても、練習をしっかりしていても、その判断が狂ってしまうわけです。
これがゲーム自体は楽しいけれど、ゲームをやりすぎると怪我のもとになってしまうのです。だから、その辺を少し考えておいて、ゲームの時間をどのように配分するかを考えてくれると良いと思うね。それから怪我をするときには頭が曇っているので、頭をお母さんからよく浄霊してもらってね。
○○さんはスポーツやっていないでしょ?
参加者
やっていません。
楳木代表
だからゲームをやってもあまり差し障りはないけれど、重要なポストで頑張っている人間はゲームをやりすぎると怪我に繋がってしまうのでね。ゲームの時間を減らしておかないと活躍できにくい。一瞬の判断が、せっかく重要なポジションで守っていても、とっさの判断がそれで鈍ってしまうということがあるのでね、参考にしておいて・・・。仁鶴ではないけれど。子供に言ってもわからないだろうけれど(笑い)
参加者
やっぱり僕はゲームやらない。
楳木代表
よろしい。そういう気持ちでいると、能力を発揮できるからね。
参加者
私はゲームがないと生きていけない。えらいね。
楳木代表
尊敬されたよ。お姉ちゃんから。
まあしかし、ゲームをする人はそっちの世界へ・・・、今、トヨタが自動運転の車を公表していましたね。ハンドルを放して運転できると。それはゲームと密接に繋がって開発が進んでいるので。
私も驚いたことに、この車を中古で買ったのですが、ちょうどディストロニックプラスというのが搭載されていてね。レーダーが5つ・・・前に3つ、後ろに2つ備えていて、高速道路でも一般道でもディストロニックプラスのスイッチを入れると、一般道では最高60キロとか70キロに設定しておくと、前の車と適度な車間距離を保ちながら移動して、前の車が停まるとこちらも停まると。前の車が出るとスイッチを押すとまた進みだして、一定の安全な距離を保つ状態で走り続けるという装置がついているのです。これをヤナセも知らなくて、私が解説書を見ながら年月を調べていったら搭載された直後の車とわかったので、試してみたら機能したので、今、非常に高速道路でも一般道でも楽に走れます。事故が起きないように走ることができますので、ありがたいなと思います。高速道路は200キロくらいまで設定ができて、そのかわりものすごく車間距離をとって走るので、非常に良心的な運転ができます(大笑い)。
それから、後ろのレーダーでは・・・走行車線から追い越し車線に移動しようとしたときに、すごいスピードで車が後ろから来ると、ウインカーを出したときに警告音がなって、追い越し車線にでないように警告を与える装置でもあります。レーダーが5つで周辺を監視しながら、そういうものがついているので、段々歳をとっていって判断力が鈍るので、それをレーダーが補助してくれているというような・・・。
そのあと現在出ている車では、高速道路では左端に白線がありますが、それをゆっくりオーバーしていくとハンドルがゆっくり修正してくれるという装置がついているものもあります。
こういうものをCMで盛んにアピールしているのがスバルで、ほとんどの乗用車についているアイサイトですね。それは障害物があるとブレーキが自動的にかかる、と。そういう装置がついていますので、各メーカーが競ってそういう安全性を追求してくれているので、そういう点はさらに進化してくれると良いなと思いますね。
□□さんはここまで移動してくるのに疲れは出ないかね?
参加者
だいぶ訓練していますので、今日も楽しみにしていました。
楳木代表
今日もここまで来られるようになったので良かったですね。
参加者
ありがとうございました。
楳木代表
それからメシヤ講座でこの文章がおかしいのではないか、と気づいたら、私に直接メールをください。そうしたら早く対処できるのでね。私に送るのと、支部責任者に送るのと、2つ一緒に送ってくれれば、私が確認しますので、そうしてください。
今回はコピーして貼り付けたのが多かったので、私も確認しきれなかったのが多かったので、今朝だいたい訂正はしてきましたが。
これからも気づいたらどんどんメールを入れておいていただきたいと思います。
御神名について
参加者
あの、字が読めなかったんですけど。
楳木代表
うん、何ページ? 12分の何ページ?
参加者
えーと、11分の8ページ。何とかと日本民族?
楳木代表
うん。瓊々杵尊(ににぎのみこと)ね。
参加者
にに・・・
楳木代表
ににぎのみこと。
参加者
ににぎの・・・
楳木代表
それが読めたら大体意味がわかった?
参加者
な、何となく。
楳木代表
うん。まあ神武天皇と言ったのは後で言ったのでね。最初、一番、神武天皇の親とか、それから神武天皇になって、征服して後年天皇系を整理したときに神武天皇で、後で命名したので、その前は神様の名前だったのでね、それでこういういっぱい御神名が出てくると。
今、言ったところのもうちょっと下の方に、神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)が神武天皇のことで、その親が鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)ということですね。
そこだけを振り仮名を振って、読み方がちょっと難しいので。
おばあちゃんぐらいは大体読めるね、この御神名は。習ったでしょ?尋常小学校で習ったでしょ?
(参加者一同笑い)
鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)とか、ね。
参加者
習った?
参加者
知らない。
楳木代表
いや、お母さんは若いから。(参加者一同笑い)
お母さんが習っていたら大変なことになる。(参加者一同笑い)
おばあちゃんぐらい。(参加者一同笑い)こちらの、いま80代のおばあちゃんぐらいが、大体昔、小学校でちょっと習った。
参加者
小学校、交替交替で行っていたから、双子で。
楳木代表
ああ、そうか。
参加者
知らないときもあるかも。
楳木代表
うん。神様のこと随分習った時期があるのでね。70代の人は知らないね。
参加者
90代なら知っている?
楳木代表
90代の人はもっと知っている。
遠隔浄霊について
参加者
前にも伺ったかもしれませんけど、〇〇さんの報告のところですけど、「自己浄霊をさせていただきつつ祭典時の遠隔浄霊をお願いさせていただくことにより」という、その祭典時っていうのは、どのように解釈したら良いですか?
楳木代表
解釈じゃなくて、毎日皆さんにしている浄霊ですよ。
参加者
あ、毎日じゃああの、10時・・・
楳木代表
うん。だから例えば、□□さんがちょっと危ない時期があったよね、病院で。
参加者
はい。
楳木代表
あの時は、浜松支部に関わる方々に光が行き届くように祭典時に遠隔浄霊しているんだけども、「□□さんが危ない」という報告があった時には□□□□を特別にメシヤ様にお願いをして光が行くように、個人を特定して・・・。そういうことです。
参加者
はい。
楳木代表
それから、△△さんがひどい時があったでしょ?あの時も△△という名前を特別にあげて、それで浄霊をしている。
参加者
はい。
楳木代表
毎日、私は皆さん方に2回浄霊していますので、集団浄霊の時に。だから御守護・・・とりわけメシヤ教はですね、メシヤ教がつぶれるともうメシヤ様の御理想を達成することができなくなるので、そこに繋がってきている人達に日々光を送っとかないと邪神界から狙われてくるので、それで支部ごとにずーっと順番に浄霊をしているけれども、体が具合悪い人だけはそういう個人名を挙げて浄霊を・・・報告をして、もう名前を挙げなくても大丈夫だろうという状態になったらもう名前を挙げないようにして浄霊しているので。
この〇〇さんの場合はこんなに腫れて、そして、まあこれぐらい腫れて、蓄膿の手術の時の消毒液がこう溜まってきているので、その出る時の痛さというのはものすごいので、その時一回だけはお祈りしてすると出てしまったので。元の状態に戻りましたということだったので、一回浄霊しただけで良くなった、と。まあ出始めて痛いので、これは早く治るので、蓄積されて具合悪くなるのとちょっと違うので。だからまあ、支部のほうへ、非常に危ないというような症状になった時には連絡していただければ、集団浄霊の時にはそういうお祈りをさせていただきますので、力をいただきつつ進んでいっていただきたいと思います。
参加者
ありがとうございます。感謝申し上げます。
楳木代表
だから結構、教団代表は大変な日々を送って・・・(笑い)
参加者
そのように、心、気を配っていただいてありがとうございます。
癖について
参加者
今回、メシヤ講座に物事を悪い方に考えてしまう癖があるので、取り除きたいっていうことで入会されましたが、今回私も日々いろいろなことがありますが、取り組ませていただきたいなあというふうに考えました。ありがとうございます。
楳木代表
日々いろいろなことがある、片棒を担いでいる人がいるかね。(参加者笑い)
参加者
ただいまの楳木代表の、本当、お気持ちというか、神様もお願いしてくださってるっていうのをね、自分がこうして浄化をいただいたことで、本当に尊い命を、再びこう与えていただいた事が本当に嬉しくて感謝申し上げたんですね。だから病院にいる間も、やはり、神様のお蔭、いつも何か守っていてくださるっていうそんな気持ちで、もう信じて、とにかく自分が今までの至らないことを、しっかりこれから自分を見つめていかなければいけないっていうのが、日々その入院時の中で自覚したというか、もうこれから自分も変えていかなきゃいけないっていうのが非常にありましてね、いまありがたい言葉をお聞きすることができまして、やはりしてくださっていたっていうのをね、本当に感謝申し上げて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
楳木代表
まあ、そういうふうに気づいたことをこれから確実にね、実践してってください。
参加者
はい。本当にいろいろ気づかせていただきましてね、もう自分の自我というか自己中心的な考え方と、それから主観にとらわれやすいっていうそういうことがあったり、それから『我と執着』、とにかくあの御教えの中でも『我を取り去れ』ということをおっしゃってくださっていまして、御教えを集中して自分の腹におさめていくっていうお話もありましたので、それをしていかなければ自分はこれから救っていただけないっていうか、自分のことだけではなくてね、やはり他人にも、今はまだ目がちょっと不自由なんで無理ですけれど、でも見えないながらも家族にはやはり浄霊をさせていただいてね、少しでも良くなるようにお願いして、そういう気持ちを持っていま本当に自分がいけなかったところに気づかせていただいたことがね、とてもねありがたく嬉しいです。
楳木代表
うん。それは良かったですね。
参加者
はい。ありがとうございます。
私たちは神様から尊い命をいただいている
楳木代表
やっぱり神様からですね、私達は尊い命をいただいているということは、やっぱりこういう機会に、重々わかっておかないと。
今月5日に、〇〇教の管長で、〇〇教団理事長が急逝したのです。
参加者
あ、そうですか。
楳木代表
まだ70そこそこですよ。で、非常に元気で、教団一元気と言われた人です。
参加者
ああ。
楳木代表
しかし、会議中に、くも膜下出血起こして、そのまま救急車で病院に運ばれたけど、もう運んだ時は死んでいた・・・お亡くなりになっていたということです。
参加者
そうですか。
楳木代表
ええ。まあ、私が一番闘って来た相手の一人ですけどもね。まあ、〇〇教を混乱に陥れた張本人の一人ですから。ですから、その人が結局牛耳って管長職に就いちゃったわけですからね。で、それに対して誰も異論を唱えることができなくて私はずーっと、和解が成立すると言いながらも、〇〇化委員会というのは絶対許されるべきではないということを主張していたのに教団におれなくなったという、まあ背景があるんですけども、出たからでもやっぱり、そういう人がトップにいてはどうしても〇〇教が本来の『メシヤ様の願っている方向』に進むことができないということを、こういうメシヤ講座とかで主張していたわけです。
しかし、元気がいいので中々大変だなあと思っていたのですが、〇〇様が9月にお亡くなりになって、そして、その葬儀を9月30日に執り行って、10月5日に御帰幽してしまったわけです。しかも、その直前まで元気だったのが、会議中に突然倒れてお亡くなりになったそうです。これは神様しか・・・神様しかその御意図はわからないけれども・・・。
まあ、こういうことが〇〇様とその理事長が手を結んで教団を押さえたという時代がありましたので、それをどうにも変えることができなかったのが、そういうお二人の方の逝去で、これから大きく変わっていく時代を迎えていきますので、それだけにですね、今回こうして神様に真向かう姿勢というのを皆さん方に、念には念を入れて今回は書いているわけなので、今月のメシヤ講座だけは、何回も、読んでもらって、確認をしてください。息子さんに読んでいただいてね。
参加者
はい、はい。
楳木代表
で、大きく時代はこれからまた御神業上も変わっていきます。○〇〇教団も理事長が私も知らないような人間が理事長になったりしているので、それぞれの教団で大きく変わっていっているので、これからやはりより一層、メシヤ様の御心に基づいた教団改革というのを、その中身を発信して、皆さん方に気づいていただきたいというふうに、まあそういう御神業も併せて、より力強く進めさせていただきたいというふうに思っています。
それから、一層個人でおいては、メシヤ様という方を認識してメシヤ様に繋がっていけば、我々は御守護の生活に溢れるという、日常生活は御守護に溢れるということを、そういうことを、一層お知らせしながら、大勢の方々が幸せになっていくように取り組んでいきたいと思います。いくら焦っても時間は進むなと。(参加者笑い)
参加者
まさに楳木代表それですよ。今の心境は。本当、自分はどうすることもできませんから、もう神様にお任せーっていう気持ちで、今は大乗的な考え方っていうのが非常に自分はできてなかったので、これからもっと大きな気持ちで、細かいことにとらわれないようにしようと、そんなふうにも思いました。
楳木代表
うん。そうですね。メシヤ様にね、お任せするように、メシヤ様ということをいつも考えて進んでいっていただきたいと思います。
参加者
はい。でも、御教えは本当に素晴らしいと思いました。以前はもう御教えをね、拝読ということもできてなかったのでね、楳木代表がああいったいいものをしてくださったのでね、もう毎日自由な時間に、ほとんどもうそれは時間とって、同じところを何度も何度も、繰り返し繰り返し、本当に肚に落ちるまでっていうお話があるのでね、それは、御教えはやっぱり今まで自分がなまけていたから、ありがたいなーと思って今は本当に、力になっています。
楳木代表
うん。そういうふうにですね、重ねてって下さい。
参加者
はい。ありがとうございます。
再び癖について
楳木代表
で、△△さんが「癖を取らないといけない」というような話では癖が取れていかない。
参加者
まだまだです。
楳木代表
まだまだ・・・「まだまだ」って書いているそのまだまだを・・・(笑い)
参加者
ここに書いてあったこれ、ははははは。
楳木代表
まだまだって書いているまだまだを・・・
参加者
もっと先・・・(笑い)
楳木代表
具体的に考えないと癖は取れない。
参加者
あ、具体的に・・・
楳木代表
うん。具体的に。「まだまだ」の「まだ」とはいったい何のことを言っているのかっていうのが明確にならないと。癖、癖と言っていても、大まかな癖しか認識してないから。何処なのかという、私の何処の癖が一番問題なのかっていうのを特定していかないと変えることができないです。
参加者
はい。
楳木代表
何処なのかと。はい、どうぞ。
参加者
自分の…、いろいろありすぎて何処が根本的に間違っているかがわかんない。
楳木代表
いや、だから、そこせっかく今日ノート持ってきているでしょ。ノートの中にいろいろあってというのがあるでしょ。
参加者
はい。
楳木代表
自分の癖の「色々あって」のどれが根本かわからないといった時に、どういう作業をしないといけないのか。
参加者
それぞれを書き出す。
楳木代表
いろいろ書き出していかないと。そして「私はこの癖が一番くせ者だなあ」と。「もう人から見たらもう嫌でしょうがないだろうなあ」とか、あるいは「家族から見たら嫌でしょうがないだろうなあ」というのを特定して、「このことを変えていく」ということをやってかないといけない。そうしないと永遠に、「私、癖がありましてねえ」という・・・(参加者笑い)
参加者
いろいろありましてねえ・・・
楳木代表
そう。それで・・・
参加者
まだまだなんですよって。
楳木代表
今度、70歳ぐらいになった時、いやーあの時に話し合いしましたけど、まだまだですねとこれで終わってしまう。(笑い)(参加者笑い)
参加者
そうか、実際に行動に移さないといけない。
楳木代表
それで、70になって80になって、で、私がその頃になるともう100ぐらいヨボヨボしていて、で、「楳木代表、久しぶりですねー」って私に言って、「癖どうだい」ってたずねたら、「まだまだですね」って。(笑い)
こんなことでは人間はね、地上天国になっていかないので、その癖を細かく書き出して、これから解決していこうと、変えていこうということの作業をやっていかないと・・・。だから子供にいくら「勉強しろ、勉強しろ」と言っても、自分が、勉強がそういう形でしていかないと子供の勉強にならないわけ。例えばテストを取ってきて、○が入ったり×が入ったりいろいろしているけど、それは正しいから○が入っているんで、間違っているから×が入っているわけだから、これを自分の人生に当てはめた場合に、○が入るか×が入るかっていうその癖を・・・
参加者
×の部分を・・・
楳木代表
テスト問題にしていけばいいわけ、自分で。で、自分に課すテストだね、それが。
参加者
すごく厳しい。
楳木代表
いや、「厳しい」と言ったら、やりたくないから厳しいので。
参加者
そんなこと。いやいや、そんなことないです。でも現実を見ないといけない。
楳木代表
そう。だから今日は参考書みたいに話しているわけだから、参考書に基づいて自分は挑戦していきましょうと・・・
参加者
はい。
楳木代表
いうふうにやってくれると、もう毎月が楽しいね。
参加者
帰ったらすぐに自分の思いつくまず癖を抜き出して、もう思い出したらそのたびに、あ、こっちの方がくせ者だなと思ったら、そっちを書いて。
楳木代表
そうそうそう。そういうふうにして自分を改善していけばね、人間が完成されていくわけだから。で、完成されていった分、曇りが発生しないから。浄霊をいただいても曇りを発生していると、具合悪くなるわけだから。
浄霊をいただきつつ、そういう曇りを発生させない生活というのが、これが信仰生活だから。曇りをもうバカバカまき散らしながら、「浄霊しましょう」とか「浄霊してください」とか言ったって、これ幸せになっていかない。曇りを発生させないようにしつつ、浄霊をいただき浄霊を取り次ぐという生活をしていかないと地上天国になっていかないから。浄霊しながら子供に小言を、「何やってんのあんたはー」とか言っていたら・・・
参加者子供
ああー
楳木代表
これ曇りが出ているわけだから。
参加者子供
いま言われたかと思った。
楳木代表
はっはははは。□□さんの息子さんの方もあれだけ、間違い字に気づいたんだから相当読み込んだでしょ?
参加者
パソコンで一通り読んだんですけど、印刷してから読むとまた落ちているところがあったんで。
楳木代表
だからそういう誤字脱字に気づくほど読み込んでいるから、中身について深く理解を示したか疑問点が更に沸いたかというところを聞いてるわけ。
参加者
ああ、そうですね・・・
参加者
息子が気づいて、こういう言葉なんだけれどおかしくない?とかって言われるんですね。そこは多分前からのね、つながりがあるでしょうから、もう一度読んでみたらっていうことで、私も勉強になります。また自分も何回も読み直したら、またここがちょっと落ちていたとかって言っていますけれど。
楳木代表
だからその前後をコピーして、この言い回しはちょっとおかしいですとか言ってメールを送ってくれればいいから。しかし、それだけ気づくほど読んでいるのだから中身はどうかということ。
参加者
御神体はまだまだ遥か遠くだなと思って。
楳木代表
うん。じゃあ、遥か遠くと言った場合に、何故遥か遠くなのかというのをさっきのように書き出して、それを克服するというのが自分の日常生活では大切だということなのでね、そういうふうに具体的に考えをしてくださいよ、ということをいま○○ちゃんにも話しているわけなので、みんなね具体的にまだまだな理由を出して、そしてそれを改めていってもらいたいということですね。
参加者
それも気づかない。(笑い)
楳木代表
気づかないっていうことは、自分が完璧だと思っているということだね。
参加者
いやいやいや、そんな。でも今回は本当に今まで信仰、少しずつさせていただいて、本当すごくいい参考っていうか、今までの自分は・・・、ただ単にお祈りさせてもらっただけで、ちゃんとまたこういうふうに復習させていただいてすごい良かったです。
霊線について
参加者
で、今度はやっぱし自分が何しろ浄められれば、霊線が繋がっている人達が幸せになるっていうことで、もう本当、気を入れて、気を入れてっちゅうか、お参りさせて祝詞を奏げさせていただきたいと思っています。
楳木代表
こうやって今日大勢の方々が集まって浄霊をいただくと、それだけ強い光を神様からいただけるので、その霊線に繋がっている、皆さん方に繋がっているところにも、光がみんないただけてるわけなんですよね。だから、月次祭に参拝するということは如何にありがたいかということなので、これからも月次祭をね、大事にして取り組んでいただきたいな、と。
参加者
楳木代表、○○がいただくと、○○が学校に行くとやっぱり学校のみんなにも繋がっているってことですか?
楳木代表
そうそう。だから○○ちゃんが家でもいつもお祈りしているともっともっとそれが・・・
参加者
みんなも幸せに。
楳木代表
うん。そういうふうに繋がっていくということ。自分がやった分、霊線に繋がっている人達が。ただ、霊線だから、仲の悪い人には中々、霊線が細いから、そういう人には光があまり行きにくい。でも仲のいい人は霊線が太いから光が行くということ。だから大勢の人と仲良くなっていった方が、みんなに光を間配ることができるということ。
参加者
それはその人の、例えば私に繋がっている霊線ありますよね?私が感じている仲のいいっていうので、自分は仲がいいと思っていても相手がどう思っているかわからないようなときには・・・
楳木代表
相手も思ってくれないといかん。(参加者笑い)相思相愛じゃないといけないね、男でも女でも。やっぱりあの人は私にとって大切な人とか思ってくれている方が霊線が太いわけだから。
参加者
じゃ、お互いのこの気持ちの通じ合いは霊線を大きくしてくれる?
楳木代表
そうそう。そういうことだね。
参加者
わかりました。
【御教え『天国の福音書』(昭和二十九年八月二十五日)より】
『霊線に就いて』
『霊線という言葉は今日迄あまり使われないようである。というのは、霊線というものの重要性を未だ知らなかった為で、空気より稀薄な目に見えざるものであったからである。処が人事百般、この霊線による影響こそは軽視すべからざるものがあり、人間にあっては幸不幸の原因ともなり、大にしては歴史にまで及ぶものである。故に人間はこの霊線の意義を知らなくてはならないのである。
抑々(そもそも)霊線なるものの説明に当って、前以て断っておきたい事は、これは科学であり、宗教であり、将来の学問でもある。相対性原理も、宇宙線も、社会や個人に関する凡(あら)ゆる問題も、霊線に関係のないものはないのである。先ず人間と霊線の関係から述べてみよ
う。
茲(ここ)に一個の人間がある。先ず読者自身と思ってもいい。その自分は、自分に繋っている霊線なるものが、何本か、何百本か、何万本か、計り知れない程あるものである。霊線には太い細いがあり、長い短いがあり、正もあり邪もあって、それが絶えず或程度の影響、変化を人間に与えている。故に人間は霊線によって生存を保っていると言っても過言ではない。その中で夫婦が繋っている霊線が最も太く、親子はそれに次ぎ、兄弟、伯父、甥、従兄弟、友人、知己等順々に細くなっている。昔から縁(えにし)の糸とか、縁が結ばれるとか言うのは、この事を言ったものであろう。そうして霊線は常に太くなったり細くなったり変化しており、夫婦仲睦(なかむつま)じい時は太く光があり、争う時は或程度細くもなり光をも失うのである。親子兄弟その他も同様であるが、これ以外霊線が新しく作られる事がある。それは新しく出来た知人友人特に恋愛等の場合であって、恋愛が高潮に達するや無制限に太くなり、両方の霊線が激しく交流する。それが一種微妙な快感を与え合うと共に、一種の悲哀感(ひあいかん)、寂寥感(せきりょうかん)をも反映し合うのである。遂には霊線は極度に強力化し、到底別離し能(あた)わざるに到るのは右の理に由るので、こういう場合第三者が如何に説得しても何等効果がないばかりか、反って熱度を増すようになるのは誰も知る通りである。相愛は丁度電気の陰陽が接触して電力を起すようなもので、その場合電線の役目をするのが霊線である。私は以前同性愛に陥(おちい)った女学生が情死をしようとした一歩手前で助けた事がある。それは一方の陽電の方を霊的に
消滅さしたのである。凡(およ)そ一週間位で成功し、陽電女性は愛着の情熱が冷却し平常の如くなったと共に、相手の女性も平常に復したという経験がある。併(しか)し乍(なが)ら、他人の霊線は打切る事が出来るが血族は打切る事が出来ない。次に親子の霊線には注意すべき事がある。それは、絶えず親は子を思い、子は親を思うので、双方反映し合っているから、子供の性質は霊線を通じて親の性質を受入れる事になるので、親が子を良くせんとする場合、先ず親自身の心を良くしなければならない。世間よく親が道に外れた事をし乍ら子に意見をしても、余り効果が無いのはその為である。併しこういう例もよくある。それはあんな立派な親であり乍ら、息子はどうしてあんなに不良であるのかと言って不思議がるが、この親は功利的善人で、外面は善く見えるが魂は曇っている為、それが子に反映するからである。次に兄弟で一方が善人で一方が悪人の場合がある。
これはどういう訳かというと、前生の関係と、親の罪の原因とがある。これに就いて説明してみよう。
この説明に当って人間再生の原理から説かなければならない。先ず簡単に説明すれば、人間は死後霊界に往(ゆ)く、即ち霊界に生まれるのである。仏教で往生(おうじょう)と言うのは「生まれ往く」と書くが、霊界から見ればそう言える訳である。然るに霊界は、その人が現界に於て犯した種々の罪穢に対し浄化作用が行われ、或程度浄化された霊から再生する。然るに前生に於て悪人であった者が、刑罰やその他の事情で死に際して悔悟し、人間は悪い事は決してするものではない、この次生まれ変った時は必ず善人になろうと強く思うので、再生するや大いに善事を行うのである。この理によって、現世生まれ乍らの善人であっても、前生は大悪人であったかも知れない。そうして、人間は生前に死後の世界有るを信じない人が多いから、死後霊界に於て安住が出来ず、生の執着によって浄化不充分の儘(まま)再生する。
その為に罪機が未だ残存しているから、その残存罪穢に対し現世に於て浄化作用が行われる。浄化作用は苦しみであるから、生まれ乍らの善人であり乍ら不幸であるのは、右の理に由るのである。又生まれ乍らにして不具者がある。例えば盲目とか聾啞、畸型とかいうのは、変死に因(よ)る死の為、その際の負傷が浄化半途にして再生するからである。この再生に就いて今一つ顕著な事実を書いてみよう。嬰児が出産するや、その面貌が老人のようなのがよくある。これは老人が
再生した為で、二、三ヵ月経ると初めて赤児らしき面貌になるもので、これは経験者は頷(うなず)くであろう。
次に親の不正な心が兄弟の一方に反映して悪人となり、親の良心が反映して善人となる事もある。又こういう例もよくある。親が不正の富を積んで資産家になった場合、祖霊は、その不正の富を蕩尽(とうじん)しなければ一家の繁栄は覚束(おぼつか)ないから、その手段として子の一人を道楽者にして、金銭を湯水の如く使わせ、遂に無財産にまでするのである。この場合道楽息子に選ばれた者は、実は家を救うべく立派な役をしている訳で、それを知らない人間は親の財産を潰(つぶ)した怪しからぬ奴と看倣(みな)すが、寧ろ気の毒な訳である。
霊線は、人間に於ては生きている近親者のみではない。死後霊界に於ける霊とも通じており、正神に連結している霊線もあり、邪神に連結しているそれもある。正神は善を勧(すす)め、邪神は悪を勧める事は勿論で、人間は常に正邪何(いず)れかに操られているのである。そうして霊界に於て或程度浄化されたるものが守護霊に選抜され、霊線を通じて人間の守護をする。即ち危難の迫れる現界人に対し、危険信号を伝えて救おうとする。この例として、汽車などに乗車せんとする場合、時間が間に合わなかったり、故障があったりして乗り損(そこ)ね、次の汽車に乗る。すると乗り損ねた汽車が事故に遭い、多数の死傷者が出る等の事があるが、これらは守護霊の活動に因るのである。守護霊は現界人の運命を前知し、種々の方法を以て知らせようとする。
霊線は人間の階級に従って数の多少がある。数の多い人、例えば一家の主人なれば、家族、使用人、親戚、知人。会社の社長ならば社員全部。公人ならば村長、町長、区長、市長、知事、総理大臣、大統領―国王等、何(いず)れもその主管区域や、支配下に属する人民との霊線の繋りがあり、高位になる程多数となる訳である。この意味に於て、各首脳者たるべき者の人格が高潔でなければならない。首脳者の魂が濁(にご)っていれば、それが多数に反映し、多数者の思想は悪化するという訳であるから、一国の総理大臣などは智慧証覚に富むと共に、至誠事(しせいこと)に当るべき大人格者でなくてはならないのである。然るに国民の思想は悪化し、道義は頽(すた)れ、犯罪者続出するが如きは、為政者の責任となる訳である。特に教育者の如きは、`自己の人格が霊線を通じて学徒に反映する事を知ったなら、常に自己の霊魂を磨き、師表(しひょう)として恥ずかしからぬ人とならなければならないのである。
特に宗教家であるが、一宗の教祖、管長、教師等に至っては、多数の信徒から生神様の如く讃仰(さんぎょう)される以上、その霊魂の反映力は著(いちじる)しいものであるから、大いに心すべきである。然るにその高き地位を利用して面白からぬ行動のあった場合、信徒全般に反映し、遂にはその宗教は崩壊の止むなきに立到るので、このような例は人の知る処である。
霊線は人間ばかりではない、神仏からも人間に通じさせ給うのである。只人間と異なる処は、神仏からの霊線は光であり、人間の霊線は上根の人で薄光(うすひかり)位であり、大抵は光のない灰白線(かいはくせん)の如きもので、悪人になる程黒色を帯びるのである。世間よく友人を選ぶ場合善人を望むが、それは善に交われば善となりで悪に交れば悪になるという訳で、全く霊線の反映によるからである。
神仏と雖も正邪があり、正神からの霊線は光であるから、常に仰ぎ拝む事によって人間の霊魂は浄化されるが、邪神からは光処(どころ)か一種の悪気を受ける事になるから、思想は悪化し不幸の人間となるのである。故に信仰する場合、神仏の正邪を判別する事が肝要である。又正神と雖も、神格の高下によって光の強弱がある。
そうして高位の神仏程その信徒に奇蹟の多いのは霊線の光が強いからである。以上、人間に関する霊線の意義を概説したが、人間以外の事象にも霊線の活動がある。それは人間が居住している住宅、平常使用し愛玩している器物、特に愛玩の物ほど霊線が太く、衣服装身具等もそうである。こういう話がある。以前米国の心霊雑誌中にあった記録であるが、或る一婦人は不思議な能力を持っている。それは、器物によってその持主の人相、年齢、最近の行動等が判るそうで、その場合器物を熟視すると、その器物の面に写真の如く現われているとの事であって、これは霊線によって印画されたものである。これによってみても、霊線の活動は如何に幽玄微妙であるかが知らるるのである。
近来宇宙線なるものを科学的に研究しているが、これは私の見る処によれば、星と地球と連結している霊線である。元来地球が中空(ちゅうくう)に安定しているという事は、地球周囲の衛星の霊線が地球を牽引(けんいん)しているからである。故にその霊線の数は何万、何億あるか測り知れない程の数で、地球の中心部にまで透過_しているのである。序(ついで)だから、私は天体と地球との関係について聊(いささ)か述べてみよう。
元来天体と地球とは合鏡(あわせかがみ)の如くになっている。そうして星には明暗(めいあん)二種あり、即ち光星と暗星である。暗星は全然光がないから人間の目には映らないが、年々光星に変化し、増加する。何故暗星が光星に変化するかというと、それは宇宙物質の硬化作用によるので、硬化の極点に達した時光輝(こうき)を発し始めるので、地球にある最硬化の鉱物が最も光るダイヤモンドであるのと、同一の理である。従って地球の創造当時は、星の数は暁の星の如く少かったもので、星の数の増加と地球上の人類の増加と正比例しているのである。故に向後(こうご)、星の数も人類の数も、如何程増加するか測り知れないものがあろう。よく天文学者が新星を発見するが、これらは暗星が光星に変化し、人間の目に映じ始めた為である。又流星は星の分裂作用であり、隕石はその際の破片である。星にも木火土金水の巨星を初め、大中小無数の星があるが、これらも悉(ことごと)く地球人類に反映しているので、右の五星はその時代に世界的人物五人ある訳である。人間を星に準(なぞら)え、著名な人物に対し、巨星往来とか巨星墜(お)つとか言う事も、面白いと思うのである。
泰西(たいせい)に於ても、星占の頗る盛んな時代があって、僧侶がそれを行い、人間の吉凶禍福(きっきょうかふく)、病気判断等に利用したりして一世を風扉したという事が史実にある。支那(しな)の易学にも九星を本義とした等、反って古代人が星に関心を有(も)っていた事
は無意味ではなかったと思うのである。
又火星の生物説であるが、これは誤りである。私の解する処によれば、生物はこの地球だけであって、然も大宇宙の中心が地球であり、万有は人類の為の存在であるから、人間は如何に尊いものであるかを思うべきである。』
楳木代表
まあそういうことも課題にしながらですね、日々の浄霊もしっかり取り組んでいただきたいというふうに思います。では、そういうことをお願いさせていただいて、ちょうど時間となりましたので、終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
[メシヤ講座no.153浜松支部 2013(平成25年)10月]