メシヤ講座no.132浜松(平成24年1月)

<今月の御教え>

『文明の創造』 科学篇 病気とは何ぞや 感冒 (文創 昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

楳木代表

それでは改めまして、皆さん、新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

それでは、初めに御論文を拝読していただいて、それから始めさせていただきたいと思います。ではよろしくお願いします。

 

楳木代表

はい、ありがとうございました。今日はみんな咳が出ている人もいるので、ちょうどわかりやすい御教えになるのではないかな、と思います。

 

二元論と三元論

楳木代表

まず1行目から。

『現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做(みな)して、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐(お)うてかいてみるが』というふうに書かれていますね。この『人体を単なる物質と見なして唯物療法を進歩させてきた医学』ということの、この現代医学の一番もとは何? ○○さん。

参加者

・・・

楳木代表

人体を単なる物質と見なしてきた出発の学者。二元論はどっから出た?

大学時代の基礎講座で習ったやろ? メシヤ講座でも何回か話しているけど。二元論の出発点。こう言うと思い出すかもしれんけど。頭に浮かんでこない?

参加者

はい。

楳木代表

これはデカルト以来だね。デカルトが出発点になっている。大体。で、そこから二元論でスタートしている。じゃあ、メシヤ教は何元論?

参加者

三元論?

楳木代表

三元論。大体、三元論と見ておけばいいね。だから普通の神社へ行くと拍手は2回だけど、メシヤ教は3回拍手をする。まあそういうことが、みんな繋がっているということですね。

で、メシヤ様が今回ご指摘されている『人体を単なる物質と見なして』という現代医療の出発点はそこからきているので、長い歴史に照らしてもメシヤ様は御指摘されているというふうに見ておかないと、とりわけ若い人達の頭の中が膨らんでいかないのでね。御教えは御教え、それからずーっと大学時代から習ってきたことは習ってきたこと、というふうに、別個に考えているといけないので、これがいつも繋がっていくような頭の思考形態を持っておかないといけないですね。そういう習慣を付けておいていただきたいと思います。

 

風邪とインフルエンザ

楳木代表

それでは、そこからさらに2、3行いくと

『寒冒の原因は医学では今以(もっ)て不明とされてをり』というふうに書かれていますね。

『近来僅か(わずか)に発見されたのが、ヴィールスによる空気伝染とか、アレルギー性によるとか言はれてゐる位で、吾等からみれば問題とするには足りない稚説(ちせつ)である』という、この稚説ということを指摘する一番の理由は・・・。

例えば○○くんは、いつから始業式? 10日?

参加者

もう金曜日から始まりました。

楳木代表

あ、もう始まっているの。で、クラスは何人?

参加者

う~んとねぇ、26人。

楳木代表

26人で風邪は何人ひいいてる? 誰もひいてない?

参加者

ひとりぐらい。

楳木代表

じゃ、年末は風邪ひいていた? みんな。

参加者

うん。ひいている人もいた。

楳木代表

学級閉鎖もあった?

参加者

それは無かった

楳木代表

それは無かった。

じゃ、例えばクラスにね、風邪引ひいた子が入ってくるとうつるやろ。

その時全員にうつる? うつらないよね。これなぜうつる人とうつらない人がいるか?

参加者

う~んとねぇ、近くにいる人はうつるけど、近くにいない人はうつらない。

楳木代表

ブ~。はずれ。

そういう風にね、決まってない。咳している人のすぐ隣にいても、うつらない人はうつらないやろ。うつる人は離れていてもうつる。これ何で違うの?

参加者

知ら~ん。

楳木代表

知らないよね。知らないで当たり前なんだ。医者が説明してないから。

これをメシヤ様は『稚説』だと仰っているわけ。しかしメシヤ様はきちっと教えられている。

ここには書かれてないけども、要するに風邪はうつると言わないのだと。

風邪の浄化は誘発すると言われているのですね。

だから、浄化すべき毒素を持っている場合は風邪によって浄化をいただくけども、浄化すべき毒素を持ってない場合は風邪をひかないのだということ。この違いがメシヤ様の教えの非常に素晴らしいところで、医者はそういうことを説明してない。

それから、今年は、インフルエンザはどんなのが流行りそうだとかっていう説明は何か出ている? まだ出てないよね。

参加者

でも、Aが?

楳木代表

Aが多いと?

参加者

新聞に、その傾向ではないですけど、静岡県でも1医療機関当たりの人数が1人を超えたと書いてあったような気がするんですけど・・・。

楳木代表

じゃあ、毎年ね、そのインフルエンザの型はどうして違うの?

参加者

・・・

楳木代表

ね、こういうのを説明は聞いたことないでしょ?

インフルエンザの型は毎年なぜ違うかと。これ聞いたこと無いよね。

これだけ医療が進歩したと言っても、インフルエンザの型が毎年なぜ違うかということを厳密に説明できる学説は何も無いわけですね。たまたま発見したらどうもこういうのだと。それからもう一つは耐性菌の影響じゃないでしょうかというような言い方もするけどもなかなかない。

で、先週の水曜日の「カーネーション」見た人います? カーネーションが問題じゃなくて、カーネーションのすぐ後の「あさイチ」見た人いる?

参加者

・・・

楳木代表

そこでオーロラの話を毛利さんとかが出てきて。

参加者

あ~、見損なったなぁ~。

楳木代表

見損なった? ビデオ録った?

参加者

録りました。

楳木代表

録った? で、見た? 録ったものを。

参加者

まだ見てないですね。

楳木代表

ん~、で、自分は見たの?

参加者

途中までチラッと見ただけです。

楳木代表

じゃあ、オーロラの説明聞いたやろ? オーロラは人工衛星から見ると、どういうふうに見えるかっていうこと。

参加者

あ~、何か言っていたなぁ。

楳木代表

あ~、何か言っていたじゃなくて。

参加者

前見たけど。

楳木代表

どうやって見える?

参加者

忘れちゃった。

楳木代表

地上から見るとカーテンみたいに見えるわね。で、人工衛星から見るとどういうふうに見えるかっていうのを、誰か聞いた人いないですか?

参加者

丸く見えるって言わなかったかしら?

楳木代表

お~、よく覚えているじゃん。丸く見える。ね、円形に見える。

なぜ、円形に見える? この説明が一番大事。人工衛星から見ると、なぜオーロラは円に見えるか。何て言ったっけ? 何か思い出して、少し。

どうしてオーロラは起きるかっていうのを説明していたでしょ?

太陽から太陽風がきて、そして、それが磁場によって分かれるけども、地球の北と南があったときに、磁力がこういうふうに働いているっていうのは知っていますよね?(図解しながら)

リンゴのようにこういうふうに北と南と磁力がこう出ていると。そのため、太陽から太陽風がきて、太陽風というのは、この磁場によってフワッと分かれて、そして彼方へ飛んでいくので、危険な物質は地球には到達しないということは、まあ皆さんおぼろげながらでも聞いていますよね?で、その中には様々なものがきているわけですね。で、電子がきているけれども、このように地球の北と南だけは磁場がこういうふうになっているので、太陽風がきてこういうふうにフワッと分かれるんだけども、なかにはこう入ってくるのがあるわけね。磁場の出るところにこう入ってくるのがある。これが入ってくるので北極と南極しか見えないわけね。寒いから見えるんじゃないわけ。北極と南極だけ、太陽からきた電子がスーッと入ってこられるから、そこで大気圏に入ってくる時に衝突してああいうふうにみえるわけね。だから上から見ると、ちょうど、北極の上と南極の上はこういうふうに円形にそういうのが見えるわけ。こういう磁場との衝突なわけですね。

で、なぜこんなことを言うかというと、太陽と地球の関係の一部分としてそういうことを知っておかないといけないのと、ある学説によると、インフルエンザの型は太陽の黒点から出ているという学説を唱えている人もいます。

それは、じゃあ太陽の黒点とは一体何かっていうと、主神様の代表が黒点だというふうにメシヤ様はおっしゃっているので、毎年毎年、今年はこの型によって人体を浄化させるという御神意があるということが考えられるということですね。

だから、一年のうちインフルエンザにかからなかった人は、その浄化作用を受ける必要のなかった人だということ。しかし、インフルエンザにかかった場合には、今年は、この主神様の御計画の上で浄化を頂かなければいけなかった人だというふうに、解釈することができます。

これは御教えにはない内容です。しかし、それは辻褄(つじつま)がよく合っているので、おおよそ私達が風邪をひいたりインフルエンザにかかったりするというのは、主神様の浄化作用の計画の中に身を置いたときに起きる浄化作用だと考えることができるわけなのです。そういうことを考えることができると、風邪をひくというのは非常にありがたい。かかっているときにはうるさいけれども「なんでこんなに長引くのだろう」とかなるけれど、非常にありがたいことだという点をこのところから少し覚えておいていただきたいと思います。

 

働いている人の浄霊

楳木代表

では今読んだとこからさらに4、5行下にいきますと、『そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(その)場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである』というふうに書かれておりますね。そうするとこの『毒素が集溜する場所』というところと、それから『神経を使ふ処程多く集まる』というふうにしたときに、例えば、○○さんの場合はご主人の毎日“どこを浄霊してやらないといけないか”っていうことは、ここを拝読しながら決めていくとうことですね。ご主人の仕事は何だったかね。

参加者

自動車部品の製造です。

楳木代表

部品の製造のどの部分を担っているわけ?

参加者

事務系と現場と両方です。

楳木代表

両方やっているわけ? 事務をやる場合もあるし、それから現場に出る場合もあると。そんな器用なことやっているの?

参加者

器用じゃないですけど、中間管理職ですかね。なのでみんなのいろんなものの採点をしたり現場に出て様子を見たり。

楳木代表

そうすると、その日の仕事がいつもコロコロ変わっているっていうことだよね。

参加者

あんまり詳しく聞いたこと無いのですが。

楳木代表

それ詳しく聞かないといけない。これから。

この部分を拝読したからには自分の主人の部署、それから仕事の内容というのをよく聞いておかないと。毒素が集溜する場所がその仕事の内容によって変わるっていうことです。一番神経を使うところ、事務の場合はおおよそ目と、それから電卓を打つかパソコンをやるかということによって、指先の何処を使うかっていうのが決まってくるので。

そうすると、おおよそ事務の場合は目をしっかり使うということであると、目から入ってくる刺激がこの後ろ頭に毒素が集溜しやすいとうことと、指先を使うと肩に毒素が集溜しやすいので「今日のあなたの仕事は何だったの?」っていうふうに聞いて、事務の場合はそこを重点的に夜に浄霊してあげとかないといけないわけです。

現場に出た時にその自動車部品の製造過程のどこを見たかということと、みんなの動いているところに気配りしたり、あるいは機械の動き方を調整したりするのか、そういうところまで聞くと頭のどこを使ったか、まあ目は当然使っていると思うんだけれど、それとどういうものを自分の身体の中で一番使っているかっていうと、神経の使い場所によって毒素の集溜する場所が変わってくるので、その毒素が集溜したところをよく浄霊してあげとかないと、浄霊をしたことにはなりません。だからいつも、家に帰ってきたら、「おかえりなさい。今日のお仕事はどういうことをやったの?」と必ず聞いて、コミュニケーションをきちんととっておかないと、浄霊する場所が違ったところを浄霊しているということになってしまうので、コミュニケーションをよくとっておかないと。□□さんの場合は自分で働いて帰ってきているわけだから、自分の仕事をやった内容を見て自己浄霊するのと、ご主人に「浄霊ここして」ってお願いする場所が、自分で判断をしてお願いしないといけないということになってくるからね。

そういう点においては、この文章はメシヤ様が大雑把に書かれているようだけれども、これを自分の生活に当てはめていく、自分の家庭に当てはめていって拝読するという習慣を付けておかないと、御守護にあふれる生活ということに繋がっていかないということですね。そういう見方をしといていただきたいと思います。

 

人間本来の使命

楳木代表

それでは次にですね、皆さんは何ページかわかりませんが、2ページ目にいきますと『固結の為(ため)、血行が悪くなり、肩や頸(くび)が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、嗅覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩』そういうのが出ているところがあります。

その次にですね、『浮腫等々により、活動力が減殺されるからで、それが為(ため)人間本来の使命が行はれない事になる。それで造物主は病気といふ結構な、浄化作用を作られたのである。』ということですので『それが為(ため)人間本来の使命が行はれない』というところに大きくチェックをしておいて下さい。

造物主、主神様は、人間本来の使命が遂行される為にこの浄化作用を作ったんだということですね。

毒素が集溜して身体のいろんなところに症状が出てきたりすると人間本来の使命が遂行させられないので、人間本来の使命が行われる為に浄化作用を起こしたということですので、この『人間本来の使命』というところを、もうね、もう真っ赤に塗りつぶしておいて頂きたいと思います。

だから、主神様の御目的というのは、そこにね『祈りの栞に寄せて』 があるでしょ。それ、ちょっと後ろから3ページ目開けて。御教えが出ているでしょ。で、そこに『人間とは』 というのがあるでしょ。『人間とは』というのをちょっと読んでみて。

参加者

『人間とは』を声に出して拝読

『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

楳木代表

ここを拝読した時にはこの御教えに繋げて、そして拝読していかないといけない。そして、無病息災愉快に働けるためにこういう浄化作用があるのだと。

しかも、この浄化作用で自分の身体が美しくなればなるほど・・・。今の拝読の後半のところに何て書いてあった?

参加者

『そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

楳木代表

ということが実現していくっていうことですね。だから浄化なしにはこれが実現していかないっていうこと。そういうふうにくっつけて拝読をしていただきたいと思います。

そうすると、そのことが段々段々積み重なっていくと、因縁使命ということが自覚できるということです。だから言葉で因縁使命、因縁使命というのを何回も聞いてきても、この繋がりで構築されていかないと、自分自身の因縁使命を悟るということに繋がっていかないということです。ひとつそういうふうに、ここのところは拝読していただきたいと思います。

 

浄化作用は神の恩恵中最大のものである

楳木代表

で、そのすぐ後ろに

『右の如く、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用』病気は浄血作用なのだと。『健康上最も必要なもの』 なのだと。『神の恩恵中最大なものといふべきである』

と。

これね3つ出てきています。

『浄血作用』というのと『健康上最も必要なもの』『神の恩恵中最大なもの』。

だから、こうやって月次祭にお参りにきたときに、神様に色々皆さん御祈願したりしてお参りするでしょ。で、神様の方は恩恵を下さる。しかし、その恩恵の中で、神の恩恵中最大のものとおっしゃっているので、このところがわからないとメシヤ様の教えというのは理解したことにならない。恩恵中最大のものがこの浄化作用なのだということです。そして、しかも、だからこそ健康上最も必要なものであるのだ、と。それはどういうことかっていうと、浄血作用だからなのだ、と。ま、これをですね、この非常に短い文章だけれども、ここは非常に我々の信仰生活、メシヤ様から力を頂いていく信仰においては最も大事なことだということで、3つとも大きく印を付けておいていただきたいと思います。

 

浄霊によって溶けた毒素は筋肉も骨も透過してしまう

楳木代表

それから、今のところからさらに8行くらい読んでいきますと『自然は固結毒素の排除を容易ならしめんが為(ため)、熱で溶解させ液体化させる。此(この)液毒は速(すみや)かに肺に侵入するが、此(この)作用は実に神秘であって、例へば吾等が浄霊(之は療病法の名称)によって、固結毒素を溶解するや、間髪を入れず肺臓内に侵入する。其(その)場合筋肉でも骨でも透過して了(しま)ふのである。』ここがまた大事なところです。

筋肉でも骨でも透過してしまう。溶けた毒素というのは、浄霊をした場合には筋肉でも骨でも透過してしまうということですね。だから、急所ということとは別に、浄霊をいただくと、そこの溶解した毒素がスッと筋肉や骨を透過して、胃に入った場合はもどすということ。腸に入った場合は下痢で出てくるということですね。肺に入った場合は咳が出てくる。で、痰で出てくる。この出方はその人その人によって、その時によって違うので、出方は異なるのだけれども、この場合浄霊を頂くと骨でも筋肉でも透過してしまうというところが『実に神秘』だというふうにメシヤ様はおっしゃっていますので、浄霊をいただきながら、そうしたことを一つ一つ感じながら、悟っていっていただきたいと思います。普通は物が通過するときには、細胞と細胞の細胞壁の浸透圧によってずっと伝わっていきます。しかし浄霊をいただいたときの溶けた毒素の浸透のしかたは、そういうものを超えていくのだと。だから瞬間に御守護をいただいていけるのだということですね。ここが非常に神秘中の神秘ですので、ここのところもチェックしておいていただきたいと思います。

 

自然な流れと合理的

楳木代表

それでは今線を引いたところから12,3行ほどずっと拝読していきますと『此(この)様に浄化作用なるものは最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』というところに線を引いて、『最も自然に合理的に行われるもので』と書かれています。

これが浄化作用の起こり方です。自然にということは、さっき○○くんに話したように、風邪が引いた人が一人クラスにいると、自然な形で毒素を溶解しなくてはいけない人に風邪がうつっていくと。しかもその毒素に応じて合理的にうつっていくのだと。この『自然な流れ』というのと『合理的』にというところをよく印を付けておいて、これをいろいろなところに当てはめていきますと、「私は今こういうことを考えていますが、そういうことをやっていくべきでしょうか」というように質問されることがよくあります。

例えば若い子が職を変えたいときに、「私は今、仕事のこういうところに限界がきているので、職を変えたいと思いますが、どうでしょうか?」とたずねられたときには、それが自然な流れになっているかということが、回答の一つの目安になっていきます。それから変えることが合理的、合理的というのはつじつまが合っているかということになりますが、つじつまが合っていればOKなのです。だから自然な流れということと合理的というところがいつも判断の基準になっておかなければいけないのです。

だから私がいろいろと電話がかかってきたりするときに答えなかったりするときには、まだこの自然な流れと合理性というのがわからないのかと思ったときには答えない場合があるのですね。笑った人は理由がよくわかったと思うのだけれどね。だからいつも自然な流れだろうか、つじつまが合っているのだろうかということを自分が生きていくうえにおいては大事にしておいていただきたいと思います。これが、主神様に日々祈りを捧げている人間の判断の基準になっていかないといけないということです。あるいはメシヤ様の御教えを拝読していく人間は、そういうことをいつも判断の基準に持っておいていただきたいということです。それから問題を解決するときにも、その解決の答えというものが、自然な流れでこういう答えに到達するということと、理屈が合っているということ。これはメシヤ様の御教えでも『神様といえども理屈が合わなければどうにもなりませんよ』とおっしゃっています。理屈が合わなければだめなのです。

 

【御教え 『相応の理と其他の事』栄光百八十一号(昭和二十七年十一月五日)より】

『凡そ真理とは、分り易くいえば相応の理であって、相応の理とは一切万事合理的で、釣合がとれ、何等破綻のない事をいうのである。従って人間生活とすれば円満で自然順応をモットーとすべきである。譬(たと)えば衣食住にしても、衣は夏が来れば薄いものを着、冬が来れば綿入を着るようなものであり、食は穀物、野菜、獣鳥肉等々、其(その)土地に生産された物を成可(なるべく)食うようにし、季節もそうだが其(その)土地に多く生産されるものは多く食うようにし、中位は中位、少ない物は少なく食うようにすればいいので、之が自然である。一例を挙げれば米麦の如きも甘い辛いの味がないが、年中食っても飽きない言うに言われぬ味がある。だから斯(こ)ういう物は一番多く食えばいいのである。又強い味のもの例えば極く甘い物、塩辛い物、苦(にが)い酢っぱい辛いというような剌戟の強いものは、少なく食えばいいので、之が完全な食餌法である。

それを知らない人間は、何が栄養になり、何が薬になるとか、ヤレ鉄分を含んでいるから可いとか、蛋白がどうだとか言って、薄っぺらな机の上の学問で作り上げた理屈を信じて、好みもしないものを食ったり、食いたいものを我慢して食わなかったりするのを衛生に適(かな)うなどとしているのだから全く馬鹿気(げ)た話である。そういう考え方こそ実は不衛生極まるもので困ったものである。勿論薬などもそうで、近頃流行のストマイなどは原料は青苔というのであるから、斯んな箆棒(べらぼう)な話はない。青苔は先ず川魚の食物か、庭の色どりとしての役目で、人間が口へ入れるべきものでない事は常識でも分る筈である。従って斯(こ)んな理屈に合わないものを腹へ入れたら、毒にはなっても薬にならないのは分り切った話である。

次は住であるが、之は経済上の関係もあるから自由にはならないが、之とても現代人は非常に空気のいい悪いを気にするが、之なども善いに越した事はないが、悪い空気でも左程健康に影響はないものである。

之等も医学が幼稚の為、大いに健康に関係があるように思っているので、若し空気がそれ程関係があるとしたら、田舎には結核がなさそうなものだが、近頃は都会と余り異いがないそうである。又都会生活者なども塵埃(じんあい)を馬鹿に恐れるが、之も大して悪いものではない。相当吸い込んでも翌日になれば痰になって、全部出て了うものであるから、左程気にする必要はない。又人間が吐く炭酸瓦斯(ガス)を有毒としているが、事実は人混みの中で働いている映画館の女給なども、別段普通人より健康が劣っているとは思えない。

以上ザットかいてみたが、反って悪いのは医学で唱える如く、空気の善悪、徽菌の恐ろしさ、食物の良否などを知らされる為、それを恐れる神経作用の方が余程健康に害があると思うのである。右の如く近頃のような予防衛生の行り方をみても、余りに微細に亘り注意の行き過ぎの為脅え通しで、都会人の大部分は生活恐怖症に罹っているといえよう。

そこで昔の方がどの位暢気(のんき)であったかは、思い出さずには居れないのである。そこへゆくと吾々は実に幸福である。何しろ医学衛生の底の底迄判っているから、以上のような不安など些かもなく、真の安心立命を得ているからである。』

 

【御教え 御教え集二九号(昭和二九年一月十五日)より】

『十一月五日

〈略〉いま読んだような具合で、どっちかというと、私は遊びながら仕事をしているようなものです。苦しみながらしている気はしないのです。道楽みたいなものです。観音様の中に「遊行(ゆぎょう)観音」というのがありますが、ちょうどそういうようなものです。それで、そういうようにやっているとうまく行くのです。それでいろいろ苦しんだり、気がいかないことをやっているとうまくゆかないのです。この点がいままでの世の中の人と反対です。これは信者の人でも同じわけです。だからいやいややったり、苦しんでやったりしたときにはロクなことはないです。病人の所に頼まれて行く場合にも、楽しみながら行くときは、きっと治りが良いし、治るから行くわけで、またそうだから良いわけです。だから楽に行けばゆくほど発展するのです。ここがいままでの世の中と違うわけです。ところがどうも人間という奴はいろんな癖がついて、どうも苦しむのを平気で、それをあたりまえのように思っているのです。私も始終そういうことがありますが、どうも思うようにゆかない、うまくゆかないというときには、「オレは苦しんでやっていた」ということに気がつくのです。それでそれをほうり出して、他のことをやるということがあります。それからまた時節というものがたいへんなもので、たとえうまくゆくことでも、良い計画でも、時節が早いとやっぱり思うようにゆかないのです。それはやることが悪いのでなくて、時節が来ないのです。そこを見通すだけの智慧証覚がなくてはならないのです。それからまた順序ですが、これがまた実にたいへんなものです。うまくゆかなければならない、こうならなければならないのがどこかつかえている、うまくゆかないのですが、そういうときによく考えてみると順序が違っている場合があります。それで順序を良くするとスラスラとゆくのです。ですからそういうようなことを早く発見するということが智慧証覚です。この智慧証覚というものがまたたいへんな意味……というよりか、物事に影響するのです。それで智慧証覚があると気がつくのです。

一番分かりやすい話が、浄霊してどうもうまく治らない、おかしいなと思うと、見当が違うとか順序が違うとかいろいろあります。それで順序というものは、やはり理屈に合うことです。合理的なものです。だからその病人なら病人が、まだいろいろ反対者があったり、その人の想念がおそろしく食い違ったりするときにはうまくゆかないのです。そのうまくゆかないというところにまた一つの理由があるのです。それは、その病人がなにも分からないうちは疑いもし、反対もし、物は試しだぐらいにやるのですが、それはそれで神様から許されます。それはあたりまえです。ところがそうとうに話を聞いたり、御神書を読んだり、中には信仰に入ったりする人がありますが、入っていながら、それに合ってゆかない想念でやってもらうと、そのときは治りが悪いのです。うまくゆかないのです。そういうことに対してチャンと合理的の理屈があるのです。だからかえって疑ぐっていた人が馬鹿に治り、それからそうとうに信じている人で治りが悪いということがありますが、それはそういうわけです。ぜんぜん知らない人はいくら疑ぐっても、それはあたりまえのことで許されるのです。理屈に合っているのです。ところがそうとう事実を見せられながら、なお疑ぐっている人は思うようにゆかないのです。そういうことをよく考えてみると、チャンと理屈に合っているわけです。その合っている理屈を早く発見し、早く知るということが智慧証覚です。心の鏡に写るわけです。ですから鏡が曇ると写りが悪いから、始終鏡を磨いているとよく写るから、早く発見するということになるのです。ここに信仰の、あんがい軽く見ていることで、実は非常に重要な点があります。このことについては、仏教で、お釈迦さんが言ってますが、「智慧」ということをよく言います。これはそのことです。それでその智慧がある程度まで働いたのが覚者と言うのです。それで大覚者というと一番偉いのです。それで、お釈迦さんが言ったのに「証覚を得れば菩薩にする…… 「証覚者」が「菩薩」であり、「大覚者」が「如来」である」ということを言っているのは、やはり覚りということは智慧です。ですからいろいろとなにか気がつき発見の早い人があるが、それは覚者なのだから、覚者というものは心の曇りが少ないわけです。そこでその曇りを少なく、心の鏡がきれいに澄んでいるというためには、御神書をたくさん読むということが一番よいわけです。ですから御神書を読んでも、前にはよく分からなかったのが、その次に読んだら、あるいはしばらくたってから読むと、「これだ」「こんな良いことがある」「こんなはっきりしているのにどうして自分は分からなかったか」ということがあるが、前に読んだときには曇っていたからです。だからだんだん曇りが除れてゆくにつれて、だんだん分かりが良くなるということは、そういうわけです。』

 

楳木代表

それでは最後のところにいきますと、借金のことを事例にしながら、浄化作用とそれに対する医学的な治療の問題点ということを的確に表していらっしゃいますので、とりわけ未信者さんに浄化作用のことをお話しするときにはこのことを例題にしながら、たとえ話に使いながらお話していけば、割とわかっていただけると思いますので、そのことをお願いして、いつものように質疑応答に入らせていただきたいと思います。

今月のメシヤ講座はみんな御降臨祭で聞いた話ですので、充分わかりやすいのではないかなと思いますが、○○さんは朝来て帰ってしまったので、読んでわからないことがあったら聞いてもらいたいと思います。

 

大黒様について

楳木代表

さっきの大黒様の台ですが、お父さんの知り合いであるようでしたら、丁寧に作ってもらうといいと思います。今の大きさ(先程の指示通り)に切ってもらって、角を縁取りしてもらうと格好良くできるので。「大黒様を置く台なので格好良くして作ってくれ」と頼むというように頼む。そして磨きをかけてもらう。家にぬかはある?ぬか粉を布で包んで、最初に磨いておくと、油がしみこんで、木が非常にきれいになるので、それをやっておいてから台にすると良いです。そして大黒様の掃除は、御神体の神床や三宝とかをふきあげたあと、大黒様をふきます。日ごろはからぶきで良いですから。それで60日に一度、もう1月は終わったので、次は3月になりますが、ご馳走をお供えをして、大黒様のお祭りをしますが、そのときには布巾を濡らして、隅々までよくふきあげて、それからしてください。どうしても乾いた布巾ばかりでふいていると、隅々までほこりがとれないことがあります。60日に一度は濡れたタオルでよく拭いて、おまつりをしてください。

参加者

濡れたタオルでよく拭いたら、からぶきをしたほうが良いですか?

楳木代表

いや。からぶきはしなくては良いから。

今月は4日だったから、次は、2月は今年は29日あるから、一日減って一日増やすから、同じ日かな。

参加者

もう一度あとでカレンダーをみてみますね。

楳木代表

そうだね、あとで教えてもらって。次は3月だということを覚えておいてね。ご馳走の作り方も教えてもらって。

大黒様ほど有難い神様はなくってね、「お金を運んでください」とお願いしても良いのだから。主神様やメシヤ様にはそういうお願いはできないけれど、大黒様にはお願いができるのでね。

参加者

お祈りは主神様に祝詞をして・・・。

楳木代表

そうそう、そして大黒様はご神名だけで。『メシヤ大黒天 まもりたまえさきはえたまえ』とお唱えすれば良いからね。

参加者

主神様にお参りした後に・・・。

楳木代表

主神様にお参りして、大黒様に『メシヤ大黒天 まもりたまえさきはえたまえ』とお唱えして。それから朝はお茶をあげてね。だから湯のみを新しいのを買って用意してください。

そして60日に一回はお酒もあげて。お酒プラス鯛プラスご馳走をね。だから料理の作り方は近づいてきたら、聞いて作ってください。少し多めに作れば、終わった後、みんなでいただけるから。大黒様の日が、その家で一番ご馳走を食べられる日になるね。(笑い)有難いことだね。

参加者

大黒様は毎回作っていただくのですか?

楳木代表

この大黒様自体はね、古い大黒様が、おおよそ鎌倉に集ってくるので、その御神前にふさわしいものを選んで、御下付します。今、メシヤ教の中で一番古いのは鎌倉時代の大黒様です。勿論、腕の良い仏師がいればその人に彫ってもらっても・・・。

参加者

今はそういう方が少ないということですか?

楳木代表

少ないね。だからここの支部の大黒様は新しいものを彫ってもらって、新しい大黒様を祀っています。■■さんと□□さんも新しい大黒様を彫ってもらって祀っています。あとは古い大黒様です。うちの大黒様もだいたい江戸時代の大黒様であろうと言われています。

メシヤ教ではこの形の大黒様が一番多いです。本部の大黒様もこの形です。だいたい系統がいっぱいあるのですが、一番この系統が多いです。△△家にはありますか?

参加者

ありません。

楳木代表

○○の光の御神体があるのかね?

参加者

それもありません。

楳木代表

そういうものは一切いただいていないということですね。御神体をいただくようになったら、大黒様も考えてみるとね。そのときに予算と大きさを言っていただければ、鎌倉にあるもので、それにふさわしいものを決めてくるからね。本部にも3つくらい、その中の一つがここに来たのだけれど、まだ2つくらい行き先を待っているものがあります。あと2体は小さいです。一つは彫りが良いので、少々高いのですが。1万くらいのものから、10万超えるものや20万超えるものなどあります。

参加者

自分で骨董屋さんをのぞいて探しても良いですか?

楳木代表

それでも良いですよ。まわってみて気に入ったものを見つければ良いでしょう。そしてその見つけるときの基本は俵が二つがあれば良いけれど、その俵はこんもりとしていてパンパンに張っているものが良いです。

それから袋が大きくて少し前かがみになるくらいのほうが割りと良いです。姿勢が良いのでね。お祈りの対象としては、あまり前かがみ過ぎるよりも、姿勢がまっすぐしているほうがお参りしやすいのでね。そういうことを基準にして。それから笑い顔が自分にとって良い笑い顔がいいのでね。そういうことをみながら、骨董屋に良いのがあればよいですよ。

その中では、この大黒様はね、値段的にも形的にも良い大黒様なので、○○さんのところに良いだろうと思ったわけです。

参加者

大黒様を大きくしたいというときには、その都度楳木代表に相談すれば良いですか?

楳木代表

良いよ。まあ1メートルの大黒様というのはなかなか見つからないから、45センチくらいまでは常時あるからね。

参加者

どういうきっかけで大きくするのでしょうか?

楳木代表

大きいのは神床がないとできないので、そういうものを作るときとか、改装して神床を作れるようになったときとかに大きいのにすれば良いのでね。大改装ができたときに大きい大黒様にすれば。

参加者

大きくなると重くなるよね。

楳木代表

□□さんの大黒様はよく乾いた木でできているので、軽いと思います。あれはそういう木の質なのでね。□□さんの家はもう少し大きくても良いかなと思いますがね。

参加者

お正月もお供えをしたら、御姿が見えなくなってしまったのですが。

楳木代表

台を10センチくらいの厚さの台にすると良いね。大黒様の話をすると楽しくなりますね。

参加者

御神体と大黒様というのは対になっているのでしょうか?家には御神体がないので、大黒様だけおまつりするというのは・・・。

楳木代表

それは良いですよ。それは良いのだけれど、大黒様を私が御開眼する場合は、御神業のために働いてもらうというのが主にあるのでね、そうすると御神体と一体のほうが理想的ですね。しかし未信者さんでどうしても商売上大黒様が欲しいという方には御下付しているのですが。

参加者

大黒様も2階のほうが良いですか?

楳木代表

働いてもらおうと思えば、2階のほうが良いですね。このまえ三重で御神体ご奉斎を許された家庭は、2階の御神前に大黒様があって、1階にも自分の好きな大黒様があるので、1階にも大黒様が祀ってあるという家庭もありますが、2階の大黒様をメインで祀って、置物としての大黒様という取り扱いで1階に置いているという家庭もあります。

参加者

私の家はご先祖様をお移りいただくということが決まっていないので、まず家庭内を浄化していくように良い風を入れていけたらという思いがあるので、大黒様を先にいただけるのかと思いましたが、御神体をいただいてからのほうが流れてとしてはいいのかなと思うようになりました。

楳木代表

流れとしてはまず仏壇を整えて、御神体をお迎えする、お迎えすると同時に大黒様もお願いするというようにしたほうが良いと思いますね。

参加者

流れがまだできていないので、そうなるように考えていはいるのですが。

楳木代表

できるときが来たらそうさせていただいたら良いですからね。

参加者

そうなるように待っているだけではいけないと思うので、家族でどうしたら良いか話し合っていきたいと思います。

楳木代表

その根本に、御降臨祭のときにお話した、メシヤ様の御決心というところを大事にしていただいて自分自身の決心、それから次にわかった人間の決心、そういうようなことで固めていって、自然な流れをより促進させていただけば良いと思いますね。

 

歯の治療

参加者

歯が取れてしまい、歯根とその上の台座が残っています。今学ばせていただいていると、歯医者さんでの治療の薬ということがとても気になっています。歯医者さんに行くと麻酔も消毒も使う、それから歯根のほうに前使った薬がもうなくなっているから、そこの歯根に薬を入れますということでした。できたら消毒をしたくないと話をしたら、それは無理だという話でした。

楳木代表

その歯がないと不便ですか?

参加者

不便ではないですが、話をするときに息が抜けてしまいます。

楳木代表

不便でなければ、もう少し治療は先送りしたほうがいいと思います。

参加者

消毒についてはどうなのでしょうか?それから歯根に薬を入れるということはどうなのでしょうか?

楳木代表

歯の下に薬を入れるのは歯医者さんがやりたいことなので、それは入れないほうが良いですね。だから入れなくても良いという歯医者をさがすしかありません。私の判断からすると、根っ子も抜いて差し歯か何かにしたほうがいいと思いますがね。その抜くときにもメシヤ様は麻酔を使えとおっしゃっているのでね。そうしないととてもでないと抜けないのでね。そのときに、歯を治療したときの浄霊体制だけきっちっとしておいてください。歯医者で治療したらすぐ、病院で浄霊をするか、車の中で浄霊をするかして、薬毒をとっていけばいいので、その体制だけを整えておけば、少々薬を使ってもメシヤ様も歯だけは仕方がないとおっしゃっていますので。ただ薬を下に詰めることだけは絶対にやらないほうが良いですから。だから歯医者はそれをやりたがるのでね。それが次の病気が起きた時に、最近では訴えられることが多いので、それを防ぐために予防薬をいれておきたいのです。だいたい黴菌というのはないわけですから。ちゃんといつもご飯を食べた後、口をゆすいだり、歯磨きをしたりすればなんともないのですから。

参加者

浄霊はどこですか?

楳木代表

首と肩です。それとその部分をすれば良いです。上の場合も同じです。だからメシヤ様時代でも、薬が悪いということで、麻酔をしないで歯を抜いた教会長がいて、その話をメシヤ様が聞かれて『次からは麻酔をしなさい』と言われた教会長がいるくらいですから、歯だけは神経にさわるので、とても我慢できないことがあるので、最低限のことはすぐに浄霊をするという対応をしておけば良いということです。

 

【御教え 御教え集五号(昭和二七年一月一五日)より】

『一二月十一日

御伺い

満四歳の女児、昨年七月疫痢の際、上乳歯が三本根本から折れました。それより上唇が腫れ、本年九月ごろより、折れた歯の上方より外側に向かって尖(とが)った歯が見え、かなり肉を破っております。毎朝上唇より膿が出ており、現在もう一本出かかっており、また奥歯下側二本目が内側に倒れ、新しい歯が外側に向かって出ております。上乳歯三本とも歯根が残っております。御浄霊は毎日続けております。薬毒のためでございましょうか。前世の因縁に因(よ)るのでございましょうか。また自然に歯根が抜けましょうか。両親は四年前入信。御神体、御屏風観音様は御奉斎させていただいております。

御垂示

これは、単に薬毒ばかりではないですね。一種の罪ですね。これは歯医者に行って抜いてもらったほうが良いですよ。早いです。それはかまいませんよ。歯を抜くとか入れ歯するとかいうのは、別に悪いことはない。けれども、こういう歯が…… 口の中が順調にいかないということは、やはり原因があるんだからね。だから、早く信仰に入っていればそんなことはないが、いまとなっちゃ歯医者の御厄介になるよりないから、そうしたほうが良いですね。

御伺い

四つですが、麻酔などいたしますが。

御垂示

かまいませんよ。ここ(歯部)だけやるんですからね。そんなことはなんでもない。歯の注射はしばらくすると、歯に出ちゃうから別に心配することはない。それから、麻痺の注射はあまり害にはならないですよ。ふつうの薬毒と違って一時的だからね』

 

【御教え 御垂示録八号(昭和二七年四月二五日)】

『三月一日

(略)

―― 歯医者でございますが、信者の場合は、歯を取るときに薬を使いませんので。

薬を使っちゃいけませんね。また痛みますよ。

-― 神経が出ている場合には

神経を殺すんでしょう……亜砒酸(あひさん)でね。それはやっても良いです。麻痺剤を注射してね。

-― 神経を取りました後に、御霊紙を詰めますのは。

そんなことしなくても、薬さえつけなければ……そのとき消毒薬を使わないようにするんです。

-― オキシフル、アルコールもいけませんので。

アルコールはかまいません。オキシフルはいけません。

-― 未信者の場合には。

未信者の場合もその通りです。いま言った通りです。

-― 腫れた後、御浄霊をいたしますと来なくなるのがおります。

結構じゃないですか。つまり治って来なくなるんでしょう。ああそうか、おかしいと思って来なくなるのですか。そういうのは、止(よ)したほうが良いです。ただ、未信者でも非常に痛がるのは、これは薬でやるよりか、私が他の方法で痛みを治す方法を知っているからと、一応、そう言ってやったら良いでしょう。それは、あなたが断れば良い。痛いのは毒が固まって溶けているんだから、腫れれば腫れるだけ結構だからと、理解させてやったら良い。それで解らなければしかたがない。』

 

参加者

歯の治療をすると次から次へと悪いところが出てくるのですが、今まではそういうことがなかったのですが。

楳木代表

それはもう仕方のないことです。それは老化です。その歳になって、まだ1つ治したらあとは完全だというほうがおかしいわけです。ですからかえってもう触らないで、歯磨きだけキチンとしておいたほうが良いと思います。私も2つ歯がかけて穴が開いていますが、そのままにしてあります。自然に任せておいたほうが良いです。そういうふうにしておいてください。

それでは時間が来ましたのでこれで終わらせていただきます。

 

[メシヤ講座no.132 浜松支部 2012(平成24年)1月]