メシヤ講座no.122浜松(平成23年3月)

<今月の御教え>

『文明の創造』総篇 既成文化の謬点(びゅうてん)(文創 昭和二十七年)

 

【メシヤ講座 浜松支部】

「メシヤ様の弟子は反省しなくてはならない」

楳木代表

ただ今拝読していただいた御論文に、先ほどお渡しした中(通達文「メシヤ様の弟子は反省しなくてはならない」)に引用した箇所があります。

『即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経(たて)は緯(よこ)とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。』

この部分を・・・、三重支部で『動体中の不動体』についての問答のやりとりを随分しましたが、その後に大地震が起きたので、その後随分考えさせられたのです。夕べもずっと考えて、それでやはりきちんとしたことを主神様、メシヤ様に奉告しないといけない、お詫びをしないといけない、ということで、今朝この文章を作った訳です。

このような大震災が起きたのでそのことにも触れないといけないのですが、まだまだ一万人以上の所在がわからないことをはじめとして全体が全くわからないので、なかなか話す事が難しいのですが、言葉を口に出しただけでも表現が適格ではなく虚しくなるような事態です。各機関が全力を尽して救済に取り組んでいただければありがたいと思います。

そして、元々はここの東海沖大地震の警告が出されていたことなので、やはりこういうことを通して、犠牲になった方々にお見舞いを申し上げて、お亡くなりになった方々のご冥福を祈りながらも、自分達は自分達として大地震が来たときにはどうあらねばならないかということを、家族を中心に話し合いをして、備えをきちんとさせていただきたいと思います。

それから、救援に動く自衛隊やレスキュー隊などの隊員の志は尊いと共に、動く経費は全部税金です。こういう機会にもう一度子供たちに、「精一杯勉強をして立派な社会人になって、税金を一円でも多く支払えるような人間になって、国家のために役立つ人間にならなくてはいけないのだよ。」という納税の意義をよく教えてあげて欲しいと思います。

 

義務面の教育の大切さ

楳木代表

戦後教育の中で一番の問題点は権利ばかりの教育をしていて、義務面の教育をほとんどしていなかったことです。やはり、いかに良い所に就職をしてあるいは自分で仕事を持って、その収入の中から税金を納める、その税金を納めることが世の中をよくしていくのだと。そういう人間観、世界観を教育していかないといけないけれど、ほとんどしてこなかったのです。学校でも納税の意義の話をほとんどしません。しかし、馬鹿なことに「誰にでも〈さん〉付けをしましょう。」とか言うような事を「男の子でも女の子でもみんな〈さん〉を付けて呼びましょう。」「みんな平等に扱いましょう」なんて馬鹿な考え方ばかりしています。やはり男性は男性、女性は女性として生れて来た以上、その役割をキチンと認識させるために呼び方を変えていくべきです。男の子は〈くん〉を付けて呼べば、男として自覚していくし、女の子には〈さん〉と呼んだほうが自覚をしていくのです。そういう役割を明確にする教育をしない限り、国家としては駄目になっていくのです。ヘリコプターで人を救っているのも税金で救っているのです。彼らが動いて救ってくれているけれど、我々の納税が人々を救っているのだという認識を絶えず持っていかないと、何のために税金を払っているのかという意義がそこには生まれてこないので、こういう機会に自分達は直接手を出す事は出来ないけれど、我々の納めた税金によって、自衛隊が動いている、レスキュー隊が動いている、そして茫然自失にいる人たちに少しでも光明を当てているのだ、と。そういうような精神構造を自分もこの機会に持つし、子どもにも持たせていくと。そういうような家庭教育を徹底していただきたいと思います。

そして、また同時に、与野党が国会を休会するかどうかというようなことを盛んにやっていますが、税金を納めるからこそ、その税金を有効に使う政治家に投票しないといけないという、そういうような精神が芽生えてくるので、選挙に対する考え方もまた変わってきます。我々が身を削って納めた税金をあの人だったら必ず有効に使うように動いてくれると思うからこそ、その人に投票する、と。世の中の事を考えれば考えるからこそ、納税と選挙に対して真剣になっていくのです。そういうことを我々、直接被害を受けていない人間がこの次の世の中をよくするためにそうしたことを家庭でよく話し合うということを今日はお願いしておきたいと思います。

また、そういう話をする時には我々には叡智をいただかないといけないので、より一層御教え拝読に取り組んでいくということをお願いしたいと思います。過去繋がっていた救世教関係の人たちに、この文章を必ず伝えてください。浄霊力と御教えに出会った人間はどうもボーっとしているのでね。こうやってメシヤ教に出会った人たちは一生懸命勉強をしているけれど、何々楳木代表の指導とかそんなことばかりやっているところもありますから。そんなことでは天国建設に繋がっていかないし、こうした大きな大浄化が起きた時に適切に対応できないからね、一つみんなに知らせてあげてください。出来るだけ関係者を調べて、「今月、月次祭でこういう話が出ましたので・・・」と言って知らせてあげてください。

<御教え拝読のための機器の説明・・・う~ん素晴らしい>

参加者

夜、寝る前に読みたいと思って読んで眠くなったら置いておけば自然に(電源が)切れるし、途中で目が醒めてもすぐ読むができるということですね。家族が寝ているところでも電気を点けなくても読めるということですね。すごいですね。

 

因縁を知る

楳木代表

それでは質疑応答に入りましょう。

○○さんは古代文字は初めてでしょう。これが3000年前の日本の文字だからね。

だけど、先ほどの大地主としての財産がなくなったということは本当はありがたいことなのです。なくなるということが子孫繁栄することだから。我が家も昔庄屋だったので、集落一帯のすべての田畑を持っていて、そこの水路の使用料として「畦料」を各小作の人たちに支払わせていたのです。そうするとみんなが苦労して作った中から徴収する訳だから拠出するたびにみんな恨んでいたと思います。汗水たらして作ったものをどうして払わなくてはいけないのか、とか、あそこの家だけ良い思いをしているのに私たちはこんな苦労をして・・・とか。何百年もずーっとうらんできたと思います。記録を残し領主との折衝など貢献度もありますが、差し引き「負」の割合、それが罪穢れというものになっていくのです。本来罪穢れというものが多く深いと、子孫が許されません。だから代々子どもが出来ないという事が出てくるのです。

うちのここに書いてある、生まれてから死ぬまでの記憶を持っていた祖父というのは子どもがありませんでした。だから私の親が養子で入って私が生れて来たのです。だから子どもが出来ない原因というのは一つにはそういうこともあるのです。

だから、まず、そういう因縁を知ると、結婚して子どもができたということは大変ありがたいことなのだ、ということになります。そうするとその大地主だった土地を全部なくしてしまったから、我々の結婚があって我々の子供をいただいているのだと。だからその子どもを大切にしなくてはいけないという風に組み立てなおしていかなくてはいけません。“どうしてこの子がこんな状態なのかしら”と思うとその問題ばかりに自分の頭の焦点が行ってしまうので、“実はこのことを通してこうしためぐりを教えて貰えるために、この子はこういう症状になっているのだ”と言う風に考えて、この子に感謝していかないといけません。問題の最中は大変だったけれども、しかし、こうやって整理をして聞くと“この子のおかげで縁を結ばれることが出来たので、感謝していこう”と言う気持ちでまた浄霊をしていく。そうすると、今度良くなり方に加速度がついていきます。ぐーっと良くなっていきます。そうして良くなってくると“もう支部へは毎月行かなくてもいいんじゃないか”と思い始めるから。それを思うとまた逆戻りをしてしまうから、これは“しばらく継続するぞ”と言う気持ちでやっていったほうが、光がどんどんその子に入っていって、ご当家にまつわる因縁が良い方向へ向かっていきます。

子どもがそういうように具合が悪い時には、母親が気付かなくてはいけないことがいっぱいあって、そのことを心配する母親も気が付かなくてはいけないことがいっぱいあるのです。その気づくべき事がそのことなのだということです。

今はそういうものを全部切り替えるためにこうやって信仰を広めていっているのです。前に学んでいた時には、△△さんも大切な役割を担っていたので、そこで出てきた神界からのお伝えをメシヤ教の中には少し入れてありますから。メシヤ講座を遡っていくと「神界通信」というものが出てきます。その中に△△さんを通して出てきた「神界通信」があります。しかし、そのとき出てきた「神界通信」は神様から公開を止められていました。で△△さんが亡くなったあとに、□□さんによって公開のお許しが出たということだったので、それでホームページに載せたのです。それによってまたみんなの学びになっているので、その△△さんのところがぱったりと今止ってしまっているので。そこに熱心に通って支えていた人たちが、霊的な話が出てこないと動かない程度の信仰心だから駄目なのです。だから、今回○○さんがいよいよ孫を通してここに呼ばれたわけなので、今まで空白だったものを思い出して、勉強していってもらいたいですね。

その勉強する根幹がちょうど先月の勉強と今月の勉強というように、始まった時に来るということは不思議な事だから、前回のメシヤ講座と今回、そして、これから来月もそうだけど、非常に内容の濃い、究極的な勉強を始めたところだから、そこへ来たというのは△△さんの霊界からの願いが非常にあると思いますので、これは毎日毎日繰返し読んでください。

参加者

何回も読んでみましたが、難しいのでね。

楳木代表

難しいと思って読むとわからないので、「△△さんから聞いていたことをもう一回思い出しながら読んでいくとわかる」と思って読むと段々わかり始めますから・・・。

参加者

△△さんは自分の亡くなる日までわかっていたようで、拝んでいた時に「これで終わりと、すっ」と言った、その日に倒れて、一週間後に亡くなりました。天国に自分の席が一つあると言っていましたので、そこに今行っているのですよね。

楳木代表

だからそれだけの役割を担った人のことが消えてしまっているから、○○さんがそれを担ってください。あのような事をしなくても良いから、ここで勉強をして勉強した事をみんなに伝えていけば良いのです。△△さんは神界から言葉がおりてきていたけれど、御教えを全部把握していなかったので、その繋がりをきちんとすることはでき得なかったところがあります。あなたは若いから御教え拝読をして、△△さんがずっと自動書記したものとつき合わせて、“こういう意味だったのだ”という事を整理して、ここでみんなに教えてあげてください。

今回のメシヤ講座を一通り読んだ最後に宿題みたいな文章がありましたが、どういうものかわかりましたか?

参加者

わかりません。

 

宗教と科学の一致

楳木代表

我々がずっと歩んできて間違いなかったというところが、今回拝読した中にあったでしょう。

この『謬点(びゅうてん)』を読むと。結局この一年くらい宗教と科学の一致ということをずっと課題にして皆さんに話してきましたので、宇宙の話や生命誌の話をしてきたわけです。そうするとメシヤ様は二段落目に『今日迄の科学者の頭脳である。それは彼等は宗教と科学とを別々のものとして扱って来た事で』とあります。科学者はそのように別々に考えるのは当然ですが、宗教家も宗教と科学が別々と考えているので、今の〇〇教や〇〇〇が変な方向に行ってしまっているのは、そういう原因なのだという事です。だから今、皆さんに意識してもらいたいことは、宗教と科学の一致をメシヤ様は目指しているのだ、ということです。ということは、やっと今、科学が、メシヤ様がおっしゃっていたことに追いついてきたということです。

楳木代表

それがさっき読んだ『不動体』『綾状的』とかいうような内容です。そのような説明の一つが、偏西風がなぜ蛇行するかということです。偏西風は東へ向かって吹いているでしょ。それが何故蛇行するのか?どうして今年の冬は非常に寒かったのか?ということを考えてみてください。蛇行している位置が、今年は北風が全部日本列島に吹き込むような蛇行になったから、非常に寒かったのです。冬が暖かい年は偏西風の蛇行で北風が入ってくる地点がずれると南風が入ってくるから冬でも暖かいのです。

そこで、何故偏西風が蛇行するか?地球は自転しているでしょ。しかし中のマントルは違う動きをしているのです。マントルは同じスピードで回っていないのです。中がドロドロしたマントルは。これが同じスピードで回っていないためにその周りの偏西風は実験すると蛇行し始めるという事です。これは気象学がやっと今、見つけて、偏西風は中のマントルと地表の動きが違うから、偏西風は蛇行するという事がやっとわかったのです。しかも、メシヤ様は昭和27年に『即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不体である』と仰っていますが、これはそういうことを説明しているのです。しかしその説明したことを、当時の人たちは誰もわからなかったからこれで終わって

いるのです。しかし現在は科学が進歩してきたのでこの意味がやっとわかってきたのだけれど、これを結びつける人が誰もいなかったために、メシヤ教で結び付けているという話です。この御論文と気象庁の発表したこととがくっつくようなところまで論理が展開できる人がいないので、メシヤ教で今論理をくっつけていっているのですよと。

これが《『文明の創造』を作り上げる》という根幹になるのですよ、と言う話です。

参加者

『見真実の境地』はどういうことですか?

楳木代表

過去、現在、未来が全部透視できたということです。

参加者

空前絶後の一大福音とはどういうことですか?

楳木代表

前回、文化の切り替えが空前絶後である、とあったでしょ。前回説明した内容の全体像として、最後の審判の前に宣べ伝える内容が空前絶後の一大福音だ、という事です。

参加者

仮の文明が文化と言うことですか?

楳木代表

3000年来の夜の時代に作られた文化を切り替えていくということだから、それを切り替えていくための福音なのです。だから空前絶後なのです。

 

御教えを読んで、正しいこと間違っていることの判断をする

参加者

私の御教えの読み方はやはり表面だけで、へーで終わってしまっているという事がわかりました。一言一言にはたくさんの事が含まれていてのその言葉であるということですね。

楳木代表

だから今日の、あの文章になっているのです。読み方が浅薄だということです。だから信者さんが浅薄なのは仕方がない。けれどトップの人が浅薄だから、今回このように書いてあるのです。

参加者

環境科学研究所というところはどういうことを調べていたところですか?

楳木代表

環境科学です。

参加者

環境科学を調べて、御教えと照らし合わせていく事はしていなかったということですか?

楳木代表

構想はそういう構想だろうけれども、その前に私が書き込んだでしょ。座談会に。そこになんて書きこんであった?私が〇〇専門学院に入った時に、教授に丸投げで、教団でこういう方針にそって積み上げていきますということはなかったのです。方針はあるけれど、具体的にその指示はしていなかったのです。実際やったことは琵琶湖での食物の備蓄でした。その報告を目にした際には唖然としました。

参加者

別の意味で学んだ、と楳木代表は書かれていましたが。

楳木代表

それは相手の戦術がわかるからよかった、という事です。だから信者が賢くなって「先生、今のはおかしいですよ」と言えるようになれば良いのです。「先生、そんなこと御教えには書いてありませんよ」と言う人が増えれば良いのですが、当時みんな御教えを読んでないから正しいか間違っているかもわからず、「そうなんだ~!」ということになってしまうのです。

参加者

動体とか綾状的気流とかよくわからないのですが…。

楳木代表

そのためには科学を勉強しないとわからないでしょ。動体中の不動体とか言ってもわからないでしょう。

参加者

ここの部分をもっと理解したいと思って勉強する場合は?

楳木代表

地学を勉強しないとわからないでしょう。地学と宇宙学を勉強しないと。だって地球はなぜ浮いているの?宇宙で。

参加者

当り前に思っていますが、浮いていること自体とても不思議ですね。

楳木代表

真空だから浮いているのかというと真空だから浮いているわけではない。太陽の周りを回転しているから浮いているのです。じゃあ太陽は何故浮いているのか?太陽は銀河系の中を回っているから浮いているのです。では銀河系はなぜ浮いているのか?銀河系は宇宙の中を回転しているから浮いているのです。太陽としては不動体だけれども、しかし動いているから、そこに存在し続けるのです。地球も月も動いているから、そこにあり続ける事が出来るのです。しかも引力で支えあっているのです。だから私が書いたのは、小学校5年生のレベルでみんな理解できることなのだと。引力は中学生くらいのレベルならわかるのです。

参加者

地震でプレートという話が出ますが、それは本当にあるのでしょうか?

楳木代表

だって今だって、ユーラシアプレート、北アメリカプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートと4つもプレートの上に日本があるというのはもう定説でしょう。それに今回だってGPSで上から見たら、4メートルも引き込まれているということがわかっているのだから。プレートがあるから引き込まれるのです。引き込まれるとこっちは結果的にどうなる?結局丸いのを引くと沈み込む。だから70センチ沈み込んでいるから水が引かないのです。片方が動かなくて、片方だけが引っ張られているから沈み込むということです。その引っ張られたもので戻ったものが今の余震なのです。だから何年かで戻る可能性があるということです。だけど戻ってくると土が乾くからまた家を建て始めると、また被害が起きてしまうからできればそこは水のまま残したほうが良いという事になります。

参加者

引っ張られているということは東北以外のところも力が加わっているという事ですよね。

楳木代表

だから今度次は東海沖の危険が高まっているという事です。

参加者

環境科学研究所というところが正しく機能していれば…。

楳木代表

機能しているというよりも、信者さんたちにそういう話をするでしょ。わかっていれば専従者が月次祭や感謝祭などで。そのことがわかっていないと話さないから、みんなの意識も高まっていかないのです。

そういうことを喚起していくということも、宗教の役割の一つなのです。御教えに基づいた科学的見解を示すという事です。

御教えを読んで、自分がどういうことかと考えれば良いのです。どういうことか考えたときに実は科学的にはこういう風に説明できるということ、そういう考え方をしていくということです。

組み立てが出来るために大学に行って卒業できたのだから、卒業したという事はそういう組み立ての仕方の初歩的なことを勉強したという事だから・・・。それを今度御教えに基づいて、世の中のいろんな出来事をくっつけていくという仕方をしていく。思想体系の仕方というのは話した事があるでしょ。点があって、線になって、面になる。そうすると思想体系になってくる。時間軸を加えれば立体的になり、もっと思想体系の組み立てが出来てくる、という風にしていく作業を自分でやっていけば良いのです。やっと御教えを読みはじめたところだから、当然それで良いのです。点がうんとわからないと結ばれていかないのです。いっぱい点を作って、その上で線を引いてみるということでつながりが出来てくるのです。つながりがいっぱい出来ると面になっていくのです。今度それに過去はどうだったかということなどの時間軸を加えていくと立体的になってくるのです。で、その立体系が出来た時に、思想体系が生まれるのです。だからそこを目指していけば良いのです。その点を増やしていくため、それが御教え拝読です。この御教え拝読に科学的な事をちょこちょことくっつけて行けば良いのです。そうすると立体的になってきます。これが時間軸だから。だれがこういう解説をしていたということが・・・。

参加者

点を増やしていろいろなことが結び付くようになるのでしょうか?

楳木代表

御教えの読み方というのは人それぞれですから、そういうことを考えないで、拝読してください。そうして何故『文明の創造』を書き上げていこうとしているのか、「メシヤ講座」をしっかり読んで、『文明の創造』と『主神様とメシヤ様』を読みながら確認を取っていくと。

そういう作業を重ねていくと自分の中に思考に厚みが出てきますから。

 

【御教え 『御教え集』一五号、昭和二七年一一月一五日一〇月六日】

(略)

いま読んだ通り、すべての苦しみは浄化です。それで霊の曇りが除(と)れるのです。そこでいままでの宗教での難行苦行というのが、その方法なのです。というのは、ふつう世間で苦しむのは、やむを得ずなるのです。苦しみのほうがぶつかってくるのです。ところが難行苦行というのは、自分で一生懸命苦しむのです。それでも魂が磨けるのです。それでバラモン教のほうは、苦しんで悟りが開けるといっているのですが、苦しんで悟りが開けるということは、曇りがなくなると悟りが開けるのです。つまり曇りがないから、物事が良く分かるのです。すると悟りが開けるのです。悟りが開けるということは、物事が分かることです。つまり真理が分かるわけです。けれども真理にもいろいろあるのです。やっぱり上中下あります。だから、みんなが真理と思っているところが、ごく下の真理というのが多いです。それで前よりも魂が浄まるのです。迷いが少なくなってくる、判断力が出てくる。しかし、迷いというものは、ぜんぜんなくなるということはないのです。どんな偉い人でも……私でもあります。ただ迷いがなくなるのが早いのと遅いのとの異(ちが)いです。私などは、迷っても半日くらいです。私は、物事をみるとすぐ結論が分かるのです。ですから、こうして庭や建築とかいろいろなことをみても、すぐパッと分かるのです。首をひねるようなことはありません。もしそのときパッと出ないと、考えないでほったらかしておくのです。それはやはり時があって、なにかのときにパッと分かるのです。というのは順序があって、神様のほうで、早過ぎると知らせないのです。それで時期が来ると分かるわけです。ですから迷わないで分かるわけです。ところがいまの人は霊が曇ってますから、どんな偉い人でも始終迷いに迷い、考えに考えているのです。で、あんまり考えたりするのに、ろくな智慧は出ないのです。だからやり損なったり、自分で求めて失敗を作っているのです。特に政治家方面などは……よく新聞なんかに出てますが、実にあまりに智慧がなさすぎる。ということをよく感じますが、それは霊が曇っているからです。そこで人間は、その曇りをできるだけ除(と)ると、健康になるばかりでなくやっぱり頭が良くなります。そこで頭を良くするのに、つまり曇りを除(と)るのに難行苦行をしなくても除(と)れるというのは、おそらくメシヤ教だけだろうと思います。これはつまり天国的宗教、昼間の宗教だから、明るいから早く曇りが除(と)れ、魂が磨けるから智慧証覚が得られるというわけです。

すなわち病気を治す場合に、疑ってもなんでも治るということは、つまり難行苦行ということはいらないというのと、理屈は一つです。他力です。他動的です。そこにすばらしい値打ちがある

わけです。そんなわけだから運というものは、霊の曇りと平均するものです。つまり曇りのあるだけは、どうしても苦しみはぶつかってくるのですから、いっさいは相応の理といって、すべてなんでも食い違いはないのです。人間には、食い違いがあるように見えるのは、つまり人間が上っ面だけを見て判断するからです。仮に一家にどうしても信仰に入らない人があって、その人が反対したりするが、そうすると反対された人のほうは、始終やきもきしてますが、そのやきもきするほうに曇りがある。その人に曇りがなくなって魂が浄まると、他の人が悩み苦しめることはできなくなる。するとその人は信仰に入ることになる。あの畜生、人を酷い目に遭わせやがる、あいつのためにとんでもないことになった、あいつはとんでもない損をさせた。またいくら言っても入らないとか、そういうのはやっぱり御自分を見なければいけない。それはそれだけの曇りがこっちにあるからなのです。それによってこっちの曇りを除ってくれるのです。ですから自分を酷い目に遭わせたり苦しめたりするという人は、白分の曇りを除ってくれているわけです。浄化作用の仕事をやってくれているわけです。そこまで来ると、感謝してもよいことになってくるのです。この間裁判所で、公判がすんだときに被告の感想を言わせたのですが、ほかの人はいままで間違った調べをして、検事や検察官はけしからんと、いままでの言い足りない不満足を言ってましたが、私はいままで検察官やなにかのお蔭で、私はたいへん磨かれた、そのために教団も堅実になった、大いに御苦労であった、それを感謝する。ということを言ったのです。で、なにも迎合したり、そんなような意味ではないのです。いま言うように、大乗的に考えればそうなるのですから、大いに感謝してよいのです。だから、考え方というのはそこの点です。そういう考え方が信仰の価値なのです。価値ではない、それが芯です。本当なのです。だからこっちに反対する奴は、私も一時は癪(しゃく)に障(さわ)ったが、考えてみると、そのためにかえって結果が良かった、というように言いましたが、それが本当なのです。ですから、思うようにいかないということは、まだ自分に霊的に資格がないのです。で、霊が浄まって魂が浄まれば思うようにいくのです。そういうふうにできているのです。思うようにいかないということは、それはまだ自分に曇りがあるのです。その曇りを苦しんで除(と)らないで、愉快に除(と)るというのがメシヤ教の真髄です。それには人を助けるのです。そうすると人の感謝によってその人は始終光を受けますから、それでこっちの魂が浄まるのです。つまり難行苦行の代わりに人を喜ばせ、人を助ける、それによって同じ結果を得られるというわけです。そこで人を助けるには、やっぱり話や説明やなにかが上手くできなければならないから、そのために御神書を読む。また御神書によって、いろんな真理を知りますから魂も浄まります。それとともに人を救う力もそれだけ出ます。そうして人を救い、喜ばせながら、自分も向上するということになるのです。大本教のお筆先におもしろいことが言ってあります。艮(うしとら)の金神は神代の時に人から嫌われて押込められたのです。それで、「今に返報(へんぽう)返しを致すぞよ」……仇討ちです。それだけでは神様も人間みたいですが、けれども「艮(うしとら)の金神は喜ばして返報(へんぽう)返しを致すぞよ」そういうのがある。喜ぱして返報返しをするというのが非常におもしろいです。仇討ちといっても、忠臣蔵のように上野介(こうずのすけ)の首を取るというのではないのです。先方を喜ばすというのですから逆です。これが本当です。ですから私は大祭の余興のときに、講談の貞丈(ていじょう)に「忠臣蔵をやってはいかん」と条件をつけたのです。これは喜ぱせて返報(へんぽう)返しをするのとは逆です。私はそういうのは嫌いです。仇討ちという思想は非常に悪いのです。これを日本から絶対に除かなければいけないのです。けれども日本人はそれに非常に憧れるのです。曾我兄弟とか……と。その仇討ち思想を除らなければ、世界は平和にはならないのです。個人としても争いが絶えないわけです。支那の言葉に「怨に報ゆるに徳を以てする」というのは非常に良いです。それから蒋介石(しょうかいせき)が終戦後日本に非常に好意をもっているのです。日本に対しても良くしなければいけないというので、蒋介石はいまもって日本から代償を取ろうとは思っていないのです。そのためにいまも台湾だけでも地位を保っていられるというわけでしょう。そんなような具合で、ただ信者は浄化作用というと、病気だけに限るように思うきらいがありますから、それで話したのです。あらゆる苦しみというのは、全部自分にあるということを知れば良いのです。時間がないから短い論文を読ませます。

(御論文「爆弾を抱いている現代人」朗読)〔「著述篇」第一〇巻七〇二-七〇三頁〕

 

楳木代表

これで、今日のメシヤ講座を終りましょう。それではさきほどからお話していますように、被害に遭われた方々へのお見舞いする気持ちとお亡くなりになられた方々の霊界での救いをお祈りしつつ日を送っていただくと共に、我々も絶えず備えていくというようにですね、こちらは30年以上も前から地震のことが言われて来た事なので、自分たちのところにも必ずあると。だから多くの犠牲の姿を学びとして自分達もしっかりした生活をさせていただくように心得ておいていただきたいということをお願いしてメシヤ講座を終らせていただきます。

ありがとうございました。

 

[メシヤ講座no.122 浜松支部 2011(平成23)年3月]