メシヤ講座no.116浜松(平成22年9月)

<今月の御教え>

「明主様(メシヤ様)と御対談(一)」

 

【メシヤ講座 浜松支部】

メシヤ講座no.115の御対談を拝読して

楳木代表

今月から解説も付けてありますので、これを読んで感じた事、学んだ事、それから祭典前の話のように解説を読んで気がついたことがあれば訊いてください。○○さんは手帳をきちっと持ち歩いているようになりましたね。いつも持っておくと良いです。

 

薬の影響

参加者

すぐに物忘れをしてしまいます。

楳木代表

でも、医者が言っていたでしょう。少し薬も影響があると。

参加者

いろいろな科でいろいろな薬が出ます。

楳木代表

そうですね。そうすると薬と薬が反応してしまう事があるので、やっぱり精査しなければなりません。先月も話したように、今最も警告を与えている医者をモデルにしたドラマが今晩(日曜日)放送される「踊れドクター」です。最後「ファイヤー!!」 と言って解答が出てくるのです。あまり難しいことばかりだと、ドラマ仕立てにならないので踊りの方をからんでやっているのですけれど、本題は、患者というのは医学的には素人ですので、素人が自分で考えて病院に行って、診察を受ける科を自分で選ぶことへの警告です。

医者に自分の症状を訴えると、医者は訴えられた症状を抑えようとして薬を処方してしまうのです。そうすると他の科でどんな薬を飲んでいるのかということを考えて処方しないので、それが体の中に入ってきて反応し合うととんでもないことになってしまうのです。その点を参考にしてやってみてください。今日のようにメモ帳を持ち歩いていると、忘れる事が手帳を見れば思い出します。見ることも忘れてしまうと駄目でしょうけれども(笑)。メモ帳を絶えず持っていると非常に良いですね。

 

徳によって治める

楳木代表

先ほど話しに出たここに引用している古事記の解釈という事があるのだけれど、古事記の内容というのは元々口伝です。そして、皇紀の起源に伴い持って逃げてくれた人がいて、その人が後々まとめていたのだけれど、表記が漢字になってしまい漢文になっているから、それを現代文に訳すときに訳し方が何通りも出てきてしまうので、インターネットで検索をしたときにこういう訳し方、こういう訳し方としてでてくることがあるのです。

捉え方がね、三重支部で採用した訳し方と○○さんが検索したものとではものの言い回しが、さっきのように「も」のところに点が入るものと入らないものという解釈の違いがあるのです。それから古事記というものは、これを作ったときにはもう漢民族の天皇に支配されたあとに作られたものだから、どうしても時の権力者に相応した文だてになっています。だから覇権主義が入ってきた後のストーリーになってきているので、内容が権力者に都合の良いような内容に変わっているのです。しかし、それでは地上天国は出来ないから、メシヤ様が私たちに真実、真理を教えてくださっているのです。

その本来教えてくださっている内容が、元々日本という国は徳によって治める非常に素晴らしい高い文化があった、ということです。その文化を検証できるところが、いつもお話しする青森の三内丸山遺跡です。今行くと、発掘作業をしているところを見せてくれます。

私がこの前行ったときには5500年前の地層までは線が引いてあるところまで見ることが出来ました。その少なくとも2000年間とか3000年間は同じ所にずっと定住していたのです。それだけ穏やかな、取り合ったりする事が全くない生活がそこにずっとあったのです。編んだポシェットが展示してありますから、そういうものを見にいくだけでも、縄文時代にすごく高い文化を育んでいたこと、秩序ある集落を営んでいた事がわかります。

そうして、3000年以上穏やかな生活が出来ていたところに、大陸から覇権主義として制圧しに来てしまったために、時の統治者である伊都能売神皇は絶対平和主義なので、皇位を天照天皇に皇位を譲ってインドへ下っていかれたのです。そして観音様になったわけです。だからそういうことの流れをメシヤ様は我々に教えてくださっているので、私たちが日本の歴史を見る歴史観というものが、今までの歴史観とは全く違った歴史観を身につけることができるのです。

これから地上天国を作っていくときに根幹になっていく内容というものは、《徳によって治められる》ということです。だから《徳によって治める》ために我々はどうやって《徳を積むか》ということをいつも課題に生活する事が大事なのです。

まあそういうことをこの中の古事記の解釈の仕方のなかで、そういうところから参考にしていただいて、より勉学に励んでいただきたいと思います。そしてそのことを子供達に話をして上げてください。最初はわからなくても話しているとわかるようになります。

 

浄霊ともに食生活に気をつける

参加者

今回のご対談ではメシヤ様が過激にお話をされているように思いますが。

楳木代表

どの辺が過激だと思いますか?

参加者

絶対廃止論です。

楳木代表

現代に当てはめて考えてみると、皆さんの記憶に新しいものでは“O157”です。O157も治療をした人が亡くなったのです。治療をしないで、寝てずっと排泄してしまえば治ったのです。それを抗生物質を入れたために腎臓を悪くして亡くなってしまったのです。あれは医学が殺したようなものです。その点をメシヤ様はおっしゃっているのです。

それから、盲腸は下痢で治るとおっしゃっています。盲腸は下痢で治るということはどういう構図になっているのかというと、盲腸というのは大体わかりますよね。初期の盲腸炎は直ぐに下痢で治ります。また、ひどくなった炎症は破裂して膿が腹膜に溜まってしまいます。この場合には小腸からそれを逆に吸い込んで、下痢として出てしまうのです。しかし現代人に当てはめられるかというとちょっと難しい面もあるのです。なぜかというと現代人は昔のメシヤ様が述べられたの頃の人の小腸と比べると、変化しているからです。特に肉食になっているから、なかなかそういう奇蹟の出にくい体になっています。だからこの点は気をつけておかないといけないのです。この昭和29年の時は、非常に粗食だったでしょ。その頃を思い出してください。まだ○○さんが生まれたばかりのころは。生まれたばかりというのは、ちょっと褒めすぎだね(笑)。例えば夏なら、かぼちゃとかなすとか、きゅうり、そういう夏野菜ばかり食べていたでしょ。そういう時代だったのです。だから腸が非常に綺麗だったのです。今は毒々しいものをいっぱい食べているでしょ。腸が汚れているのです。だからみんなポリープができてしまうのです。かつては粗食だったからそういうことが言えます。現代人に当てはめるためには、非常に安全なものばかりを食べている人は、盲腸が破れても、腸がすぐに吸収してやれるという事です。

だから我々は浄霊とともに食生活に気をつけていかなくてはならないということはこういうことにあります。

参加者

昔はたまごも滅多に食べる事が出来なくて、調子が悪いときにおかゆに入れて食べるくらいでした。

楳木代表

そうですね。ただ現代人はたまごを食べすぎです。どうしてたまごを食べすぎかというと、お菓子類、ケーキなどにたっぷりたまごが入っているからです。だから全体的に今の食生活はたまごを摂り過ぎているのです。その影響を我々は受けているのです。朝食のときに必ずたまごを食べるというのはちょっとたまごの摂り過ぎになってしまいます。

参加者

ついこの間、母から家はあまりたまごを食べないから、もっと食べないといけないのにおかしいと言われたのですが、そんなに食べなくても良いのではと話しをしたところだったのですが。

楳木代表

おかしいからお菓子を食べるのです(笑)。クッキーにもいっぱい入っているでしょ。だからああいうものを食べていたら、たまごはもうちょっと食べてはいけない。だから卵焼きを作って、みんなで2切れずつ食べれば大丈夫です。それを、いっぱい卵焼きを食べてしまうと、またこれも食べ過ぎになってしまいます。だからその全体的な食事を見て充分摂っているかどうか。何にしても摂り過ぎています。だからご飯中心に食べておかずを余り食べない方がかえって良いですね。

参加者

この前、会社のお医者さんにご飯は炭水化物だから脂肪がつくと言われたのですが。

楳木代表

だからその現代医学が間違っているという事です。だって昔の人たちは、大きな弁当にご飯をぎっしり詰めて、梅干を真ん中に入れていたけれど、それはどうみてもご飯の摂り過ぎでしょ。あれだけ食べたら。しかし全然太っていなかったでしょ。

参加者

ご飯を減らすと良いですよと言われてしまいました。

楳木代表

それはこういう体質なのだから。それ以上太るわけではないでしょ。だって会ったときから、そのお腹でしょ(笑)。初めて浜松で会った時からその体形で、全然変わってないでしょ。だから○○さんの持ち味で、それを変える必要はないでしょ。ずっと元気で過ごしてきている訳だから。あの頃もっと細くてね、今その状態だったら心配だけど、あの頃とほとんど変わっていません。そういうものなんだという事が、医者は全部数字でものを言ってくるから。だから平均より大きいですよとそういう判断で言ってしまうのです。小さくて細い人は何も言われないけれど、むしろ細い人の方が心配なのです。無理が出来ないからね。絶えず食べておかないといけない訳だから。平均、平均で言っているから、「平均よりも大きめですね。」という言い方ならば良いけれど、「平均よりも大きいから、病的ですよ。」とかね。今、こんな考え方だから、考え方がおかしいのです。そして私の場合は骨太なのです。ずっと骨が大きいので、このように見えるのですと。ということは骨が細い人と太い人とはもう体格が違うからね。だから昔の人がご飯だけ食べていて、どうしてあれだけ。例えば、山に行く人は夜明けから仕事に出かけて日が暮れるまで仕事をしてかえってきても元気だったでしょ。ほとんどおかずらしいおかずは持っていっていなかった。お弁当は。それにお茶も持っていない。竹の筒にお水を入れて、水だけでご飯を食べていたのです。そうやってみんな仕事をしていて、それはなぜかというと、メシヤ様がおっしゃっているように、自分の体が栄養を作り出しているのです。

 

生命誌

楳木代表

何故、人間の体は自分の体で栄養を作り出すことが出来るのかということが現代の科学でわかり始めたのです。

それが【生命誌】という学問の中でわかりだしたのです。【生命誌】の〈し〉は歴史の史ではなくて〈ごんべんに志す〉の週刊誌の誌です。生命誌というのは、我々の生命の中に刻まれたような情報があるという学問の体系のことです。そうすると38億年前から、現代までの、地球に初めて生命が宿ったときから今日までのずっと進化の過程が我々の人間には全部当てはめられている、というよりも、すべてを備えて生まれてきているという事です。

卑近な例として、蜂に刺されたときに我々は痛いですよね。何故痛くてショック症状が起こるのかというと、量的に多いからです。しかし同じ蜂の毒を人間は持っているのです。肝臓で作り出すことが出来るのです。しかし蜂から入ってくると、量が多いのでショック症状を起こしてしまうのです。そういう関係が最近はよくわかってきました。人体というのはあらゆるものを備えて生まれてきている。その事に医者たちも気がついていかないと、対症療法だけをやっていると、

 

人間の体は、本来万能

楳木代表

人間の体はどんどん弱くなってしまいます。人間の体は、本来万能なのです。生命の進化の過程の最後に出てきた生き物だから、万能なのです。地球上ですべての能力を持った体として生れて来ているのです。このすべての能力を持った体を最大限発揮することが出来るように、体を維持していかないといけないのです。その維持していくあり方として、メシヤ様は『鍛えなさい。』『酷使しなさい。』ということをおっしゃっているのです。酷使をすると思いもよらない力がグーッと出てくる。

「私、無理よ。これ以上出来ない。」という人は絶対その能力を発揮できないのです。「僕はもうこんなものだ。」と思っている人は全然だめなのです。「よーし!なんとかしていこう。」というようにやっていくと、段々身についていくのです。私が漢字を覚えるときには、覚えるまで書き続けたのです。難しい画数の、例えばここの中で言うと、画数の多い“黴菌”という漢字も、今は使っていないけれど、これを覚えるときに、ぎょうにんべんを書いて山を書いて系を書いてというように覚えるまで書けば覚えるのです。しかし「私は漢字が苦手だや~。」と思ってやらないと、漢字は永遠に覚える事が出来ません。覚えるまでやれば覚えていけるのです。そして忘れたらまた覚えれば良いのです。それを重ねていけば、漢字を充分習得できるのです。人より多くやれば、必ず覚えていけます。人よりやらないで「あーあ、なんでもっと頭の良いお母さんから生まれてこなかったのかな。」という事を考えてしまうので、大体平均までくらいしかいかないのです。それをもう少し努力するともう少し上までいけるのです。

こういう能力を持っているという事をメシヤ様は教えてくださっているので、その能力を磨くという事に挑戦していっていただきたいと思います。

これは何歳になってからでも出来ます。この前テレビに出ていたおばあちゃんは80歳をすぎてからパソコンを覚えていたから。だからおばあちゃんのお金を孫に渡して、「このお金で最新式のパソコンを買いなさい。今使っているパソコンを私にちょうだい。私はそのパソコンで出来るように覚えるから。」と。そのようにしてパソコンをやるようにしてみれば。家にはインターネットの

回線も引いてあるだろうから、それをはじめてみれば良いのです。

参加者

「やれない、やれない。」と言っていても駄目なので、最近新聞を読んだときに難しい漢字があると、間違っていても書いてみるようにしています。

楳木代表

机なりテーブルのところに辞書を置いて、辞書を引きながらやると一番良いね。それから、難しい漢字があったら、家族にすぐ聞いて、それでもわからなかったら辞書を引くという癖を家庭の中でつけていくと、子供達はメキメキと伸びていきます。

参加者

家の若い人たちが話していると、私も聞きたいなと思うのですが、私が行くと終ってしまうのですが。

楳木代表

だからね、少しパソコンを始めてみると良いですよ。きっと息子が回線を繋いでいるだろうから、私のも繋いでと頼めば。今はコンパクトで安いパソコンがいっぱいあるから。

参加者

テレビでパソコンをやっている人を見ると、私はとてもあのように手が動かないなと思ってしまうのですが。

楳木代表

指1本でゆっくりやっていけば良いから。そんな両手でカチャカチャそんな必要はありません。あれは上達したらそのようになるから。前に座っている人たちもみんなパソコンは持っているから。やっているかどうかはわからないけれど。そういう意味ではわざわざ百科事典で調べなくても良いようにインターネットで調べれば、ものすごい情報を取得することができますので、ものすごく良い時代になっています。やれないと思った瞬間は能力を自分で止めてしまっているのです。

 

地獄のような生活から救っていく

参加者

今、テレビでよくやっている院内感染のニュースも薬が栄養になって病原菌の活動が活発になるという事ですが、メシヤ様はこの時代からおっしゃっていることが現実に起きていて、私たちは薬毒について教えていただいているから何の心配もなく生活させていただいていますが、抗生物質や薬に頼って生活をしていたら心配と不安の中で生活をしなくてはいけないと思うと、とてもご縁をいただいて感謝しています。

楳木代表

だから同じ年代の人たちを救っていかないといけないのです。地獄のような生活をみんなはしているのです。消毒をしないといけないとか、ちょっと熱が出たらすぐに病院にいかないといけないとか、そんなのは地獄でしょ。だからそういうところからみんなを救ってあげるという事が、私の役割なのだということを受け止めていって、メシヤ様はここで物質の原則の話をしてらっしゃるでしょ。濃厚になっていくと固まっていくと。だから曇りも、例えばお花とかでよく実験しているでしょ。「お前は馬鹿だ。死ね。」とかいうと花は死んでいくと。これは悪い言葉をかけていくと、悪い言葉が段々濃厚になっていってそして毒素に変化すると。回数を重ねていくと、そういうことになっていくのです。だから子供を育てるときに一番大事な事は言葉の問題が一つあります。やはり伸ばすように言葉をかけていかないと。

参加者

以前、言葉の結晶の写真を見せていただきましたが、それを思い出しました。

楳木代表

そうですね。だからあれは瞬間にあのような結晶になるけれど、良い言葉をかければ良い結晶になっていくわけだから、絶えず良い言葉をかけるように心掛けなくてはなりません。そうかと言って甘やかす事ではないから。その点をきちっとしておかなければ。だから愛情を持ってきつく言うときには、言葉は綺麗なのです。腹をたてて言うと汚れてしまうのです。「お前!何言っているんだ!」と言うときにも、愛に基づいていうと輝いています。しかしうるさいから「なにやっているんだ!!」というと曇りになってしまいます。だからそういった原則を持って、言葉をかけていくことが大事です。

参加者

子供の学校の先生で、みんな怖がっている先生がいるのですが、息子は「その先生はみんなにわかってもらいたいから一生懸命に話してくれているから僕は全然怖くないし、とても大好きだ。」と言っています。

楳木代表

まあ、それは私の子にしては良い子に育っているなと思っていかないと。やっぱり先生のそういうところがわかる子供になっているということは素晴らしい事です。

 

代替医療について

参加者

代替医療のことですが、私は知らなかったのですが。

楳木代表

歴史はもう長いからね。ドイツとかヨーロッパでは現代医療に対して、それだけではいけないということで対抗して出てきた医療方法だから。200年くらいの歴史があります。で、この前まで、イギリスでは健康保険が適用されていたけれど、科学的根拠がないという理由で排除しました。まあこれは医学界がやっていることだけど。排除したのは。で、代替医療のほうが自然治癒力という事には着目しているのだけど、でも対症療法的なところがあるので問題点はやっぱりあります。

 

人生にとって必要な試練

参加者

検定試験に兄弟で挑戦して、弟の方は合格したのですが、兄の方はまだ結果がないのですが、もし不合格だったときにはどうやって慰めてあげたら良いのでしょうか?

楳木代表

それはやっぱり向き、不向きがあるから。それは弟の方が向いているという事です。だから向き、不向きがあるからこういう結果は仕方のないところがあるよと。年齢は近いの?

参加者

3歳違いです。

楳木代表

同じ試験じゃないでしょ?

参加者

同じ種目ではないです。

楳木代表

種目が違う以上、「年齢が上になるほど難しかったから、残念だったね。また挑戦してね。」と言ってあげれば。そして挑戦する心が人間には必要だからね。兄弟同士でそういうのは悔しくて仕方がないと思うよ。

参加者

それが私も心配なのです。

楳木代表

それが良いのだと。悔しくて仕方ない気持ちが大事なのだということです。そこを心配しすぎると駄目だから、非常に良い状態だと。悔しがっているのは。この前柔道で19歳の大学生が、初めて金メダルを獲得できるかもしれないということで期待されていたけれど、硬くなってしまってどうしても技が出なくて銀メダルになってしまったけれど、あれを見た時にやはりベテランの方が上手に試合運びをするので、可哀想だったけれど、あれをバネにしてあの男は次に挑戦して金メダルが必ず取れるようになるとそんな感じがしました。その落ちるという、受からないという事もその子にとってバネにはなるので、今度再挑戦をしてこれを乗り越えていこうではないかと。そのようにもっていってもらいたいと思います。だからもうね、柔道の試合とか見ていると、相手がズル賢く点数を重ねていくのを見ると頭にきて仕方がない事もあるけれど、これが現在のルールでやっているのでどうしても相手に加点されることも仕方がないという事もあるけれど、それをもう一回跳ね除けて自分が頂点に立つという練習をしていくしかないのでね、これは人生にとっては必要な試練でもあることなのだという風に親や祖父母が考えておかないと、あまり慰めしすぎてもいけないからね。心配しすぎてもいけないのです。

 

メシヤ様に真向かう認識が変わると浄霊の光が強くなる

参加者

先日、祈願参拝で浄霊を取り次がせていただくときに、出かける前にみくらたなの神様を認識させてもらえるように、御力をいただけるようにと、お参りさせていただいて、支部へ行き、いつもはバタバタと家を出てしまっていましたので、いつもと違う気持ちで浄霊の御取次をしました。その日は○○さんが「足が痛い。」と言っていたのですが、浄霊のあと、いつもと快復の早さが違うねという言葉を聞いて、浄霊をさせて貰う喜びを感じました?

楳木代表

○○さん、その日は明らかにいつもと違ったの?

参加者

支部へ来たときには、座っていられないほど足がすごく痛かったのです。浄霊をいただく時に、今日はとても足が痛いことを話ました。浄霊をいただいたあと、帰るときにはどこも痛くありませんでした。

楳木代表

そのときの浄霊の御守護が何でか、というのは今のが理由だから。やっぱりメシヤ様に真向かう認識が変わると浄霊の光が強くなるという事です。多くの方々が悶々とした生活の中で、このメシヤ教とであったので、一挙にメシヤ様に対する認識が高まったから、ものすごい御守護、奇蹟が出ているのです。だから先に歩いている浜松支部の人たちは、のほほーんとしているので、だから今のような認識を新たにして、《メシヤ様》に直により太く繋がるように取り組めば、もう手をかざすだけでどんどん結果が出てくるようになるのです。まあ大きな参考にしていただきたいと思います。ここまでの話しはね。

【御教え】霊界の不思議「地上天国」九号、昭和二十四年十月二十五日

霊界なるものは、実に霊妙不思議な存在であって、現世人の常識判断では到底理解し難いものである。それに就(つい)て人間の想念が霊界に如何に反映するかをかいてみよう。

霊界は全く想念の世界である以上、無から有を生じ、有が無になり変異極りないものである。その例として茲(ここ)に絵画彫刻等によって神仏の本尊が作られるとする。処(ところ)がその作者の人格によって、懸り給う神霊仏霊に自ら高下を生ずる。即ち作者の人格が然らしめるので、最も高い場合はそれに相応する高級神霊が降臨される。故に形は同一であっても、作者の人格が低い場合はそれに相応した代理神霊、又は分神霊が懸られるのである。

今一つは、凡て礼拝の的である御神体に対し、礼拝者が誠を以て心から念願する場合、その神霊の威力、即ち光明は偉力を発揮するに反し、礼拝者の想念が形式だけで、心からの尊信の念がない場合、神霊の偉力はそれだけ減殺されるのである。又礼拝者が多数あればある程、神威弥々赫々たる光明を増すのである。

よく昔から、「鰯の頭も信心から」というが、之(これ)はどういう訳かというと、何等資格もない下根の者が御神体を作り、巧妙なる手段を以て宣伝をすると、一時は相当多数の参拝者が礼拝するとすれば、参拝者の想念によって、霊界に神仏の形が造られるのである。従而(したがって)、相当の偉力を発揮し、利益も与えらるるので、之(これ)は全く人間の想念の作為で、実に不思議というより外はない。然(しか)し之等は或期間は繁昌するが、それは本物ではない。一時的架空のものであるから、いつかは消滅するのである。斯(こ)ういう例も少からずある事は誰もが知る通りである。所謂(いわゆる)、流行神というのは此(この)種のものである。

以上は、神霊に就(つい)てであるが、其(その)反対である悪魔に就(つい)ても解説してみよう。世の中に最も多い事、自己欲望の為、人に迷惑を掛け、人を苦しめ、不幸に陥れる悪徳者の余りに多い事である。無論之(これ)等は、吾々が常にいう処(ところ)の見えざるものを信じないという、唯物思想の産物ではあるが、之(これ)を霊的にみれば奇々怪々実に恐ろしいのである。

人を苦しめる以上、其(その)被害者は必ず怨んだり憎んだり、仇を打とうとする、その想念は、霊線を通じて相手にブッかってくる。それを霊的にみると、忿怒や怨みの形相物凄く、仮に眼に見えるとしたら、如何なる悪人と雖(いえど)も一たまりもなく往生するのである。処(ところ)が被害者が一人や二人処ではなく、何千何万の人数となると、多数の想念が集合し、いよいよ恐ろしい怪奇極まる妖怪が出来、種々の形となってその悪人を取巻き、滅ぼそうとするから堪らない。如何に英雄豪傑と雖(いえど)も、終には悲惨なる運命の下に滅亡するより外ないのである。之(これ)は古今を通じて、歴史上の大人物をみれば例外なく右(上記)の如き運命を辿っている。

其(その)他悪徳政治家の悲劇、成金の没落は勿論、多数の婦女を迷わせ飜弄した輩や、悪質の高利貸等の末路をみればよく判るのである。

右(上記)に引換え多くの善根を施し、多数者から感謝感激の想念を受くるとすれば、その想念は光となって、その人を囲繞するから、いよいよ有徳者となり、悪霊邪神もその光に恐れて近づき得ない以上、大いなる幸福者となるのである。よく神仏の像などにある円光なども、それを表徴したものである。

以上によってみても人間の想念は、如何に重要視すべきものであるかが知らるるのである。

(自観)

自分の浄霊力をいかに高めていくか

参加者

ここで急所を浄霊すると書かれていましたが、痛いところだけを浄霊されていたという事ですか?

楳木代表

ここでは痛いところではなく、急所です。痛いところが急所ではないのだから。下痢をするときにはおなかが悪いと思うけれど、脳天を。もどすときには胃が悪いと思うけれど、胃も悪いのだけれども後ろ頭をよく浄霊しなくてはいけない。これが急所だから。

参加者

この教団では症状を訴えられた時に、急所を浄霊されていたという事ですか?

楳木代表

そうそう。最初に症状を聞くのです。「どこが悪いですか?」と。でもそんなところを知る必要はないのです。

興味を持つ必要もないのです。自分の浄霊力をいかに高めていくかという事を考えて。よその悪い例を知っても意味がありません。

今月はお彼岸でもありますので、またより一層慰霊に取り組んでいただき、そして食欲の秋を迎えてはいますが、まだ暑いので充分気をつけてお過ごしください。

 

[メシヤ講座no.116浜松支部 2010(平成22)年9月]