メシヤ講座no.107浜松(平成21年12月)

<今月の御教え>

「実談・虚談 神がかりな話(前半)」

【メシヤ講座 浜松支部】

メシヤ講座no.106 御対談を拝読して

楳木代表

今月は拝読させていただいて、どうでしたか? 

面白い内容あるね。○○のおばあちゃんは璽光尊を覚えている?

参加者

いえ。

楳木代表

覚えていない?

参加者

璽光尊は全国的にあったのですか?

楳木代表

そりゃそうです。この時有名だったのだから。

まあね、ここにいかにもメシヤ様がね、此(この)当時もう数十万人の信者さんがいらして、我々を救済して、私自身も命を救われた訳なのですが、そういう神様なのに非常に、こう人間くさくありたいという御姿勢がよくわかりますね。『今でもワイ談を大いにやりたいんです。』と仰っているのですから。昭和27年に。だけど『信者のいるところでは、どうも具合が悪い。』ということで言わないだけでね、それぐらい人間くさいというところがあります。

それから、今回はやっぱり3ページのところに病気に対して的確にお述べいただいているところがあるでしょ。

要するに『例えば手術は米国で非常に進歩しているが、手術の進歩というものは医学の退歩だ。治らないから手術をする、仮りに盲腸が悪いという場合、盲腸をとる。ところが臓器をとるということは医学ではない。臓器をそのままにして病気だけをとるのが本当の医学だ。』と仰っています。要するに手術をするということはみんな勘違いをしています。 「病院に入って手術をしてよくなりました。」と言うけれども、病気がよくなったのでない、臓器までとってしまって。しかし体としては不具者になってしまっているのです。だってそうでしょ、 例えば「胃がんで胃を全部とりました。」という場合、胃が無いのだから。という事は内部的には不具者になっているのです。不適切な表現と言われる可能性がありますが、これが正に現実なのです。

しかし、みんな小さい時から予防接種とかをいろいろな事をして“病院にかかる”ということがどうも当り前のようになってしまって、そして手術というのもなんか当り前の医療行為のように聞こえるようになってしまい、これが医療だと思い込まされてしまっています。しかしこんなのは医療ではないのだということをメシヤ様は強調していらっしゃるのです。そしてこの次に『日本の医学でもわたしの説に対して困っている。

病気はもともと毒素がそこへ固まって臓器を圧迫するんだ。だから、その圧迫する毒素だけをとって臓器をそのままにしておく。そうすれば元通りの健康体になる。』と仰っているのです。

これが、我々が浄霊というものを通して人々を健康にしてゆく時の最大の根拠です。

臓器の周りに毒素があり、それが臓器を圧迫してくるので、病気症状になる。だからその毒素だけをとりさえすれば健康になるのです。

だからガンが一番わかりやすいでしょ。ガンが出来るというのは、 臓器の一部分の細胞が突然変異してガン細胞になり、それがどんどん大きくなってくるので臓器の働きを弱めてしまうということです。そして栄養も全部とってしまいます。

そういうことで、もっと医学的に言えば、ガンというのは、本当は、例えば我々の胃とか、まあどこの細胞でもそうだけれども、大人になって細胞分裂をすると、二つの細胞ができた時、必ず片方の細胞は死んで外へ排泄される仕組みになっています。しかし、ガン細胞だけは分裂しても死なないのです。だから殖え続けてしまうので、本来の人間の健康な細胞のように分裂したら必ず片方が死んでいく、殖え続けないという、そういうメカニズムが狂ってしまっている細胞ががん細胞というのです。だから圧迫してきて、動かなくなってしまうのです。機能を弱まらせてしまうのです。

そういうおかしくなった細胞を浄霊によってとっていってしまえば良いのです。そうすればガンはなくなっていくのです。だからみなさんもせいぜい浄霊力を磨いて、そういうところにバチッと光を当てて、すぐよくならせるように、どうか能力を伸ばしていっていただきたいと思います。そういう点では非常にわかりやすい今回のお言葉であるので、大変力になります。ということを今回のご対談の中で受け取っていただきたいと思います。

後は何かあったら聞いてください。

参加者

今のお言葉を日置さんが聞いた時にびっくりしたのではないかと思ったのですが、薬に対することも考えもしなかったのではないかと‥。

楳木代表

いや、結構茶化して話をしているから、御教えをだいぶ読んできていると思います。日置さんは。これだけの物識りだから。

例えば昔、【天国の礎】の本があったでしょ。それを読む時、どのくらい時間が掛かりましたか?

参加者

ちょっとずつ読んでいたので、時間がかかりました。

楳木代表

だいたい、大学教授クラスの人で6時間くらいかかります。だから日置さんくらいの物識り博士だとおそらくちょっとした御教えの本だったら、僅かな期間で読むことができると思います。頭の構造が違うから(笑)それと物の読み方の方法が違うから。絶対的に天才と我々とは違うという感覚を持っていないと。自分達の感覚でこれをよんでしまうと。

だから「教祖さんはソビエト語、中国語、ユダヤ語、なんでもペラペラというワケなんですな。」と茶化しているのです。だけど尋ねないからお答えになっていないのです。何語で話したかを。

だから黙っているのです。そういう場合は「何語で話されたのですか?」と尋ねないといけないけれど、聞いてないからお答えになりませんでした。

参加者

実際には何語でお話されたのですか?

楳木代表

メシヤ様に聞いてみてよ(笑)

参加者

メシヤ様は何も仰っていないけれど、とても気になったのですが。

楳木代表

だから笑っただけじゃないのかな。尋ねられれば答えるよという御姿勢だから。

でも大体推測できるでしょ。今までメシヤ講座を聞いた人は(笑)

 

言葉を得たから人間になった

参加者

言葉は要らないのですか?

楳木代表

言葉は要ります。言葉がないと思考が出来ないから。人間は何故考えることができるのでしょうか?言葉があるから考えることが出来るのです。言葉がないと考えられません。

これは人間の進化ということで話したことがあるでしょ。何故人間は生まれたか?それは言葉を得たから人間になったのです。ではなぜ言葉を得ることができたのでしょうか?言葉はどうして身につけましたか?

○○君はどうして言葉を知ったのかな?お母さんが教えてくれたのでしょ。ね。お母さんやおばあちゃんや周りの人がお話をしてくれて、声を掛けてくれているから言葉を覚えたのでしょ。しかしその時にどうして言葉を出せるようになったのでしょうか?

生まれたばかりには泣いているだけだったのでしょ。兄から見れば弟は生まれたばかりには何も喋らず泣くだけだったでしょ。ではどんな時にお話をするようになりましたか?さあ、思い出してくださいよ。メシヤ講座の古いのを。

これはね、結局アフリカでジャングルに住んでいた猿が、ジャングルに残った猿と草原に下りてきた猿と二つに分かれました。ジャングルにいるのは 今の猿と一緒です。では草原に下りてきた猿はどうなった?

参加者

二本足で歩いた。

楳木代表

そうそう。二本足で歩いたのです。二本足で歩くのと四本足で歩くのものとの違いは?

参加者

頭が、重心が何とかかんとか。

楳木代表

そうそう、そのなんとかかんとかを思い出してもらいたい。要するに前足が細いから、脳を大きくすることが出来なかったけれど、皆さんみたいにでっかい尻に乗せると、私もでっかいからね、

そうすると脳を成長することが出来たというのが一つと、新皮質がそれによって出来たということです。動物には旧皮質しかないでしょ。新皮質のある動物はほとんど無いでしょ。新皮質のあるのだけ、少し聞き分けが出来ます。新皮質の無い動物は聞き訳が出来ないから、ダメと言っても悪さばっかりするでしょ。子供もそうね(笑)

それともう一つ、呼吸法が変わったということだけれども思い出した?犬を走らせるとどうなる?○○君、犬を走らせるとどういう風に息をする?舌を出して、こうやるやろ。結局ね、鼻で息をしないで、口で息をしているのです。二本足になったので、鼻で息をすることが出来るようになったのです。鼻から吸って、口で吐くという。これによって、言葉を得ることができるようになったのです。だから脳が出来るというよりも、呼吸法が変わったので言葉を発することが出来るようになったのです。そしてこの言葉を発することが出来るようになって思考が生まれたのです。で、思考するようになったのです。

だから元々はその600万年前とも言われているような、そういうときにまず得たのです。それから思考できるようになったのです。

 

大和言葉

楳木代表

そしてそれが、アインシュタインが日本に来たときに何て言ったか知っていますか?覚えていますか?

「世界の文化の発祥の地は日本である。」と。

これは何かというと言葉の一番の源流は日本であるということです。だから文字も日本から出ている、その一番の元がいつも教えているようなホツマ文字を代表とする神代文字です。

だから日本の中のあちこちの文字をずーっと今調べている人たちに聞くと、その中からアルファベットになった文字と、ハングル文字になったのとか、そういうことがわかってきているのです。しかしそれは表には出ていません。何故なのかというと、これがまたでてくると日本が世界の中心だということで政治に使ってしまうことがあるから、まだ出ていないのです。もうちょっとみんなの思想というか情操が上ってきた時に明らかになる、それが明らかになったときが実は地上天国になるということなんだけれど、そのことを考えていくと大和言葉で喋ったということがわかります。魂の一番もとだから。そういうことが推測できるけれども、メシヤ様に聞いておいてもらいたかったのです。本当は。日置さんに。

偉そうなことを言っているけれども、肝腎なことを聞いてないじゃないかというのが我々の気持ちです。

そして今、私が読んでいる本の中で、これ先月話したかね?「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト(ニール・シュービン 訳・垂水雄二 早川書房)」という本を読んでいるという話を先月したかね?

参加者

いいえ。

 

幸福論

楳木代表

本当?(大笑)要するにね、我々の手があるでしょ、肩、肘、手首、これが陸に上がる直前の魚にもあるのです。それは前鰭(ひれ)です。あれに人の手の原型があるのです。それが人間の手にこのように伸びてきたというのを解剖して骨を分解していくとここが人間になったというのがわかるという本です。すごい本が今出ているのです。それから人間の体の中にも魚の一部分があるということが大体わかってきている、解剖するとわかるのだそうです。その人の話は解剖学的な見地から見ているから面白いのですが、もう一つは、最初は動く生き物は海の中だけだったのが、陸上にあがるときに何故あがったのでしょうか?海の方が気持ち良いはずなのに陸上へあがったのかという仮説を言っています。ちょっと想像してみて。なんで水中動物が陸上動物にあがっていったのか?これは子供の方がよくわかるかな?なんで魚が陸にあがってイモリのようなものになってしまったのか?○○君は日曜日の夜7時半からNHKでやっている《ダーウィンが来た》を見ている?この前見た?

参加者

うん。

楳木代表

アンコウの話、この先にピロピロというのが出ていてそこに小魚が来るとガブッと食べるのを見た?えさに見せてね。

参加者

はい。

楳木代表

ということは魚同士での戦いがあるのです。その戦いが嫌な魚が陸上に上がってきたのです。ということは平和を求めた生き物が陸上にあがって来たのです。そうするとさっきの猿の話からすると、ジャングルでも縄張り争いとか闘いがあるからそれを避けたのが草原に出てきたのです。という事は平和を求めたものが進化をしてきたということです。我々の進化の系図は平和であると、キーワードは。そこまでは書いてありません。本には「これは魚どうしが食いあう世界だといって過言ではない。この状況で成功するための戦略は実に明白だった。大きくなるか、武装するか、水から出るかである。私たちのはるかな先祖は、戦いを避けたかのように思われる。」とあります。その本を土台に発展して考えていくと“平和を求めたものが進化を遂げてきたのだ”ということが、そういうものから類推できます。

そうするとメシヤ様の理想のね、今日読んでくれた「世界救世(メシヤ)教 教義」の中にある『病貧争を根絶し』の、この『争』を無くす、これが地上天国です。これは生命の進化と一緒だということです。まあ、そこまでね、実は御教えとそういう学問体系を組み合わせて考えていくと、我々のやっている御神業というのはごくごく自然な行為をやっているのです。先に気付いた人間が。人類の中で先にメシヤ様の御教えを読んで、気付いた人間が御神業に携わっているのだという風に考えたら、自分達の使命たるや大きいし、誇りを持ってやることなのです。まだみんな気が付いていないのですから。だから素晴らしいことを今やろうとしているんだ、ということで、合点してくれるかな。(大笑)

だから一つこういう言葉という事から考えても、ながーい生命誌というのをたどってきて言葉を得て、そしてその得た人間が更に平和を希求することで進化してここまで来ているのだと、その進化の過程で必ずキーワードになっているのが《平和》だということ、平和を求めた者達により進化をしてきた。だからこれからも平和を求めた人間がより進化してゆくのです。 戦い続けている人間は進化しないのです。

そういうことで今回の御教えで、幸福論が出てきているのです。 幸福を作ると。そうすると浄化の受け止め方も、争いごともこっちに原因がある、ということを読んでいくと平和に繋がってゆきます。相手が悪いから相手をやっつけるという論争をしても何の意味もありません。だからこれは自分の曇りを取ってくれるためにそういう悪口を言う人もいるんだと考え方を持つことができればより自分は平和になってゆきます。これがいわゆる魚の時代からずっと平和を求めている本来のあり方なのです。

参加者

悪口を言われている時、そのような考えを持つだけでいいのでしょうか?

楳木代表

いや、悪口の内容にもよります。筋は通さなくてはなりません。

参加者

間違ったことを言われている場合には違うことだとはっきりと言わなくてはならないのでしょうか?

楳木代表

それは言っておかないと。

参加者

相手にですか?

楳木代表

そうそう。相手に。誤解があったら、相手に直接会って、「こういうことを言われているようですが、違いますよ。」と言わないといかん。これは喧嘩じゃないでしょ。相手の悪口を言ったら喧嘩になるけれど、違いますよという訂正は喧嘩じゃありません。そうでしょ?それで我慢をしなさいという内容ではないのだから。ここでは。我慢しなさいという御教えではありません。メシヤ様も裁判をいくつか抱えていらっしゃったのですから。だから訂正はしないといけません。これをもう少しわかりやすく言うと、嘘の上塗りをしたら塗り返さなくてはいけない。嘘が出てきたら、「そうですね。」 と相槌を打ってはいけません。職場でも。「それは違いますよ。」は言っておかないと。「いや事実こうですよ。」とそういうことは言わないと。「そうだよね~。」と言っていくと嘘に加担した事になってしまいますから。これはよくありません。だからどこまでも嘘があったらそれは訂正をしておく。自分が悪口を仮に言われたら、訂正の文言だけは言っておかなくてはいけない。しかしそれでも尚且つ言っている人は放っておけば良い。

参加者

例えば「あの人がこういう悪口を言っていたよ。」というのを聞いた時には、私にそれを言った人にそれを言えばいいのですか?

楳木代表

そうそう。それでも又繰返すようなら、本元に問い質(ただ)す。そこは上手にね。いきなり捕まえて「あんた何よ!」なんて言ったら喧嘩になってしまいますから。

参加者

私は仕事場で「私はあなたが嫌い、いつも笑っていて媚びているから、何を考えているからわかりません。」と言われてしまいましたので、「私はおなかの底から笑っているのだよ。」と言うと、「そんないつも笑っているのがおかしい。」と言われました。「笑う必要がない」と言うのは‥。

楳木代表

だからそのように言い返すときに智慧を持って言い返さなくてはいけません。「普段笑う必要がない。」と言ったら、そしたらそういうときに脳科学者の茂木健一郎氏の話を出してくれば良いのです。

笑った方が頭は回転するということ。それから、病気すら笑いで良くなるというのがわかってきているのですから。吉本新喜劇を見たほうがガンを抑制する物質が出てくると言うことまで、今医学ではわかってきているのですから。ですから「あなた方、勉強不足ね。」と言えば良いのです。「茂木さんのお話、聞いてないの?」それから「最先端の医療のことを聞いてないの?笑った方が健康になるんだよ。笑った方がいい仕事が出来るということまで実証済なんだよ。私達は仕事をしているんだから、笑わないといい仕事が出来ないのよ。」と言えば良いのです。

参加者

私たちの仕事のモットーは笑顔で挨拶です。

楳木代表

わが社のモットーがあるのなら、「私はそれを守っているのよ。」と言えば良いのです。

そのために智慧証覚が必要になるのです。頭が回転していかないと、言われた事に対し言い返せないのです。しかも言い返すときにけんか腰の言いかえしではなく、高度に言い返さないと。レベルを上げた言い返しができないといけない。そういうところを目指していってくれると非常に良い訳ですね。

しかし笑えない人が笑っている人を見ると嫉妬します。自分が笑えないのでうらやましく思うから、うらやましく思った気持ちが出てきた時に悪口になってしまうのです。

素直ではないから。みんな素直に育ってないから。その原因の一つが種痘とかいうのだとメシヤ様は仰っているでしょ。予防接種をやると素直にならない。だってそうでしょ。最初から菌を抑えようと言うことで予防接種をするということはもうおさえ込みが身体の中に具わっているということだから。全部出してしまえば大らかに笑っていれるのね。予防接種が何故怖いかというと素直になれなくなってしまうということが一番怖いのです。病気が怖いと言うよりも、人間性が暗くなることの方がもっとこわいです。 病気になるよりも。暗い人って嫌でしょ?顔を見るのも。

参加者

本当に、いつも怖い顔をしていますから。

 

予防接種が暗い日本を作っている

楳木代表

そう、そんな人間ばっかりですから。それはほとんど予防接種が原因だという。

参加者

意地悪になるのも予防接種によって自分の表現が上手に出来なくてしてしまうようになるのですか?

楳木代表

意地悪になる原因は食べ物、薬物、親の愛情不足です。親から愛情を受けてないと意地悪になるのです。親から愛情をふんだんに受けて育った子は意地悪にはならない。ね、もやもやしているから意地悪になる。それからね、御教えにもあるけれど、気分の良い時に悪口を言われても笑えるけれど、気分が悪い時に言われると「何!」となってしまうでしょ。だからやはりね、喧嘩も突き詰めていくと自分の体調が悪い、その体調の悪い真因はやっぱり薬物が入っているからです。で、その薬物の中で良いと思ってやっているのが、予防接種なのです。この予防接種がこの暗い日本を作っている原因の一つになっているのです。

 

【御教え 『栄光』百四十二号 昭和二十七年二月六日】

『罪の因は薬』

此(この)題を見た誰もは、大いに驚くであろう。罪と薬と関係あるなどとは、テンデ夢にも思えないからである。処が事実大いにあるのだから、不思議も不思議、奇想天外といってもいい。それを今かいてみるが、私がいつもいう通り薬は毒で、身体へ入れると血が濁る。血が濁れば霊が曇る、霊が曇ると人間は不快感が起る。此(この)不快感こそ曲者(くせもの)で、此(この)結果どうなる

かというと気が焦々(いらいら)し、怒り易くなるから、どうしても争う事になる。何よりも人間は気持のいい時は、少々変な事を言われても笑って済ませるが、此(この)方が気持の悪い時は、僅かな事でも遂(つい)腹が立つ、というように人間は気持次第で明るくもなれば暗くもなる。処が此(この)気持という奴運不運にも大いに関係があるのだから、軽くは見られない。というのは人間生活上、感情位重要なものはない。例えば夫婦が別れるのも、親子兄弟の争いも、友人同士のいざこざも、酷いのになると失業の原因となる事さえある。

言う迄もなく官公吏や会社員など、上役から愛され、信任されるのも、同僚との交際や商人が御得意から引立てられるのも、技術家の成績も、学生の勉強も、全く感情が大いに影響するのは誰も知る処である。以上は普通ありふれた事だが、之が発展するとエライ事になる。

それは余程修業が出来ていない限り、普通人では、不快感を紛(まぎ)らそうとして、刺戟を求めようとする。其(その)為一番多いのが酒で、次が賭事であろう。近来競輪やパチンコなどの流行もそれである。中には少し懐が温くなり、地位や身分が出来ると、贅沢な暮しや、女遊び等の刺戟を求める。それには勿論金がかかるから、遂(つい)良からぬ手段で得ようとする。遣(つか)い込み、 誤魔化し、汚職なども其(その)為であるが、恐ろしいのは近頃僅かばかりの金が欲しさに人殺しさえする奴がよくある。斯(こ)うみてくると犯罪の蔭には女ありと言われるが、私は其(その)奥に薬ありと言いたいのである。以上の如く、近頃は心を紛らわそうとして、益々強い刺激を求めるので悪質な娯楽機関は益々増え、而(しか)も昔と違って交通の発達と相俟って、至極手軽に出来るし、又階級制度の撤廃もあり、真面目な生活は馬鹿馬鹿しくなるというのが現在の世相である。

以下は明るい面のみをかいたのであるが、では暗い面はどうかというと之が又大変である。勿論病気の原因が其(その)殆んどであり、而(しか)も近代人は矢鱈(やたら)に薬を服んだり注射をしたりするので、益々病気が殖え、不快感の人間が多くなる。そんな訳で医療費や仕事を休む為の収入減等で、懐は苦しくなるから借金はする、人に迷惑を掛ける事になるので、世の中が益々面白くなくなると共に、病気に対して医療は一時抑えで根本的に治らないから長引き、二進(にっち)も三進(さっち)もゆかなくなり、切羽詰った揚句、人の物を盗むとか、気の弱いのは自殺や一家心中を企てる事になる。此(この)様な悲劇は日々新聞を賑しているが、特に多いのが結核の為の悲劇である。此(この)様にみてくると犯罪の原因は人間の不快感であり、其(その)又原因が薬剤である。としたら標題の意味も分ったであろう。

 

参加者

では、最近のインフルエンザの予防接種で益々そうなってしまうということですか?

楳木代表

だって、もうインフルエンザの予防接種をやっている人たちはある種の精神病でしょ。真実がわからないのに不安だけでやってしまっているのだから。

参加者

病院でも最近は重症化を防ぐ効果があるといわれていますという説明をしているようですが‥。

楳木代表

で、今度は、それは頭が悪いという事になります。文章を読む力がないということです。「言われていますが。」 というのは官僚がそういう風な言い方をずっーとし続けているでしょ。国会答弁でもそうでしょ。上手に責任逃れの回答をするでしょ。あれ全体の頂点にたっている人がああいう言い回しをするので、みんなそれに流されてしまっているのです。だからみんなやっぱり頭が良くならなくてはいけません。頭が良くなるためには学業で言うと成績ではなくて、物事を考えていく、キチンと実態をみていくという頭の良さだね。それがメシヤ様の仰っている『智慧証覚』、あるいは『急所を発見する』と『ご神意を悟る』というのはそういう事になるね。まあそういう風にしていくと、相当みんな賢い人間になっていきます。

そういうようなものが集まったものが《おばあちゃんの知恵袋》というものだね。だから知恵袋の中身をみんなに分けてあげないといけないね。自分で活かしながら、孫、ひ孫に渡していかないと。こういう話をすると、「だから私の親が悪かったから、私もこんな人間になってしまったのよ。」という話になってしまうけれど、しかしこれでは今度はいけないのです。そういう人の責任にしているといけないから、自己教育というのはそこから始まるのです。「こんな親だったから仕方がないから、私は勉強しないといけないのよね。」と思わないといけないのです。そして自分が勉強した分、賢くなってくるのです。

だからこういう風に4代揃っていると、大体程度はわかってくるよね。その中から輝くものが出てくるということが大事なのです。

そして、少なくとも子供達は小さいので、まだ可能性を一番持っているのだからこの位の本を一晩で読めるほどのスピードを身につけてもらいたい。そしてそのスピードをつけるのに一番良いのが、新聞を読むことです。なぜかというと、普通の本は行の文字数があるでしょ。そうすると上から下まで読まないと読めない。しかし新聞はこの位で一行の文字数は少ないでしょ。だから縦に読まなくても横に読めば読めます。いっぺんに読んでいくことができます。パッパッと。だから新聞は早く読めるようにあのような組み方になっているのです。そういう風にして新聞を見ていくと、速度の上げ方の練習が出来るのです。このような事は普通高校くらいに教えていけば出来るけれども、肝腎なことは教えないで、へんてこりんな事ばかり教えているから、みんな頭が悪くなってしまうのです。だから組み方があるんだと。本や雑誌の一行何文字でいくかという組み方が書籍にはあるのです。そしてそれには意図があるのです。ということで組み立てていけば、子供達の能力がアップできるのだということになります。

参加者

新聞を子供が読むようにするにはどうしたら良いのでしょうか?

楳木代表

自分が読んでいれば良いのです。自分が読んでいれば、自分がスピ ードアップをしていれば、子供達はそれを見ているのです。それを見せておけば良いのです。

参加者

今、子供は全然読んでいないのですが、私が読んでいる姿を見せておけばそのうち見るようになるのでしょうか?

楳木代表

うん。四コマ漫画は?

参加者

見ています。

楳木代表

そういうものを見せておけば良いのです。それと見出しくらいは読みなさいと。そういう風にして教えていけば。小学生のうちは親が読む姿を見せておけば良いから。そして中学生になって読ませると今度はうるさくなってくるから。「お母さん、何にもわかってないね。」と。子供の方が頭への入りが速くなるから、ややこしいんだ、これは。(笑)

参加者

新聞にはここだけ読めば良いというポイントがあるそうですね。

楳木代表

それは編集方針の中にね、組み込まれているのです。

参加者

子供からそのように言われて、自分がついていけなくなった時には‥。

楳木代表

だから、絶対に追いつかれないようにしないと。ずっと走り続けないといけないのです。自分は。より早く読む練習をしないと。

参加者

子供に「追いついて良かったね。」 ではなく‥。

楳木代表

そうそう、「まだまだだな。」と言わないといけないのです。昔のお母さんは、武家社会のお母さんはそれだったのです。「なってない。」と言って、子供に教えこんでいったのです。教育は寺子屋が出来るまでは、全部お母さんの仕事だったのです。しつけから教養、全部。だからお母さんは主人以上に教養を身につけておかなくてはいけないのです。それが奥様というものです。そして下の女中たちをつかって家事をやらせて、自分は取り仕切っていったのです。それが奥方という役職だったのです。それが現在まで来て奥様というようになっていったのです。本当は奥方、主人は表方。そういう役割分担がきちんとあったのです。だから奥方は頭が良くないといけないのです。勉強が出来ないと。だからこれは勉強をしようと思わないと出来ない訳だから。今までの生活で教わった勉強は置いておかないと。今から勉強をし直さないと。しかもこれは何歳になってからでも始められるというのが茂木さんたち学者の意見です。だから80歳になって始めても良い訳です。孫の使っているパソコンを使って私もやっていこうと、そういう姿勢を持っていかないと。もうボケている暇は無いですよ。それで物忘れをしたら「ワシは最近物忘れがひどいやー。」と思ってはいけません。確認に行かないと。忘れたら何について忘れたのか、そこに電話をかけるなり、聞くなりして必ず確認をとる、そうすると物忘れはひどくならない。「ワシはもう駄目だやー。」なんて言わないで、確認です。それと新聞を読んでね。私の亡くなった祖母は88歳まで頭がしっかりしていたんだけれど、国会討論を全部聞いていて、「この議員の言うことはダメだ。」とか「この官僚の言うことは駄目だ。」とかいうことを、夜、孫の我々にベラベラと話したのです。そういうので耳学問で豊かになっていくのです。「暇なんだから国会答弁を全部聞いておいてくれ。」ということです。おばあちゃんとかおじいちゃんの役割はそういうところにあります。そして夜孫に「今日、鳩山総理がこんなことを言っていたけれど、まだまだ考え方が浅い。」とかいう風に話していけば良いのです。そして勉強できなかった分を家にいる人から聞いて情報を補充していけば良いのです。

参加者

家族でニュースを見ながらいろいろ話をするのは‥。

楳木代表

大事な事だね。わかってもわからなくてもその会話を聞かせておけばいいね。

参加者

ラジオが必要ですね。

楳木代表

ラジオがあったほうがいいね。

 

自分の中の獣性をとる

参加者

人間は二本足で歩くようになったという話を聞いて思い出したのですが、御神前で参拝をする時、自分の影が電気の下で映るのですが、足と足の間から棒みたいな尻尾みたいな影が映ります。散歩の時には見えないのですが、御神前で見えます。

楳木代表

ではそれを良い風にとってみれば良いのです。自分からその動物的なものをとっていかないといけないと。自分には棒がいっぱいあるから、少し柔らかい人間になろうと。そういう風に良い方へ考えていけば、それが私の課題だと、凝り固まった考え方をほぐして御教えに近づこうと。そして自分の中の獣性を人間に全部していこうと。そうすると怒りっぽいところも穏やかになっていきます。

参加者

闘争心とかいらいらして怒るということをなくしていくということですか?

楳木代表

そうそう。だからそれを穏やかな方向へ神様の御光によってならせていただこうと、そういう気持ちにしていけば、大いにそういうことを見せていただいたという事になるから。いい方向に繋いでいけば。有難いことですね。朝拝、夕拝をするたびに神様から見せていただける訳ですから。これを無駄にしないで、大いに活かしていくという思いでやっていっていただきたいと思います。神様にお祈りする時にそういうのが良い方へ行きますようにとお祈りしながら進んでいってくれると良いね。

そのように切に思います。

参加者

変な夢を見たときもいい方向へ切り替えて考えれば良いのですか?

楳木代表

変な夢ってどんなこと?具体的に聞かないと。言えなかったら言える範囲で。

参加者

子供が洪水に巻き込まれて行方不明になったという夢ですが。

楳木代表

そうか。いやだけど、そういうものはいい方向へ考えるというよりも、注意していないと。

これは何かのお知らせかもしれないので、 交通事故から守られるようにより浄霊をしていくと。また、朝出かける時に「きちんと確認しながら道路を渡りなさいよ。」 とかいう注意事項を言って送り出すと。そういうことをしていった方が良いです。

参加者

ちょうど子供が幼稚園に行きたくないと言い出した前日だったのですが、関係はありますか?

 

幼稚園児のストレス

楳木代表

それは何か幼稚園に行きたくないという理由があるんじゃないの? 幼稚園に言えないストレスがあるだろうから、それは、今度は、 『惟神霊幸倍坐せ』という、魂が弱っている可能性があるから、一緒に参拝をして、浄霊をいつもより長くして『魂を太く強くしていただけますように』とそういう気持ちで浄霊をしていけば良いです。

そうすれば乗り越えていけます。

それとあとは「幼稚園でいろいろ嫌なことがあってもお母さんはいつでも味方だから安心して何でも言ってくれたらいいからね。」

と、声を掛けて安心させてあげれば良いです。

 

運命と宿命

参加者

運命と宿命ですが、結婚や離婚は運命ですか?

楳木代表

それはそうでしょ。

宿命の範囲内だと三人くらいいるといわれています。

一番最高位の時に出会って結婚する人と、普通の時と最低の時と三人くらいは相手がいるといわれています。

参加者

ではそのとき自分が選んだということだから‥。

楳木代表

だから選んだのは運命なのです。出会いも運命です。

だから自分の霊層界に合わせた人と出会うのだから。

参加者

自分の霊が高まっていれば、身魂相応の人に出会えるということですか?

楳木代表

そういうことです。

参加者

うーん。

楳木代表

仕方がないでしょ。メシヤ様の笑冠句(わらいかんく)の中にもあるでしょ。

『馬鹿野郎 よく考えりゃ 俺の事』というのが。

参加者

自分が生れて来たところとか環境というのは宿命なのですか?

楳木代表

そうです。

参加者

命が終るのも宿命ですか?

楳木代表

いや、大体氏神様は生れて来た子にこの子には何石の米を与え、死ぬのはこういう形でということまでは決めているのです。

氏神様の会議で決めているのです。

参加者

お宮参りに氏神様に行くというのはそういうことですか?

楳木代表

そうです。挨拶とかに行くのです。

30日に行くのは「そういうことで生を受けました。30日を迎えました。」とそういう挨拶に行くのです。

参加者

今、お宮参りに氏神様ではなく、他の大きな神社に行く人もいますが、本来は氏神様に行けば良いのですか?

楳木代表

行けば良いというように考えるのではなくて、氏神様の本社というのがあるでしょ。分け御霊が来ているのだから。そのもとへ辿っていくのは良いのです。

参加者

違う神様のところへ行くのは筋違いになってしまうのですか?

楳木代表

筋違いではありません。神社ですから。

だけど地元の氏神様にも挨拶をしておかなくてはいけません。

参加者

七五三で氏神様にお参りに行くというのもそういうことですか?

楳木代表

しかし主神様はその全部の頂点だから、ここに行っておけばそういうものがおろそかになっても大体許される。しかし人としての礼儀としては氏神様には行っておかないと。

参加者

薬を飲んでしまって命が短くなってしまうということも、氏神様の会議で決ってしまうのですか?

楳木代表

まともにいけばそこ(最上段)まで生は受けているのです。しかし途中で変なものを入れてしまうと変わってしまうのです。例えばどんなに頑張っても大学の教授にはなれないという上限がある、また下はどこまで悪くなってもやくざにはならないという宿命はある。

で運命はここまでいけば一番幸せというのはある。自分の心掛け次第です。

参加者

職業も自分の御魂相応の仕事に就くということですか?

楳木代表

だから宿命の範囲内で最高の職業に就くのは専従者です。専従すれば良いのです。

 

【御教え 『栄光』 百四十五号 昭和二十七年二月二十七日】

「運命は自由に作れる」

人間は昔から好いにつけ悪いにつけ、どうも運命だから仕方がないと、諦めたがる癖があり、運命というものは不可抗力なものと決めているのは、誰も知る通りである。処が私は運命は誰でも、自由自在に変えられるという事を教えようと思う。というのは元来運命は人間が作るように出来ているもので、此(この)真相が分ったなら、此(この)世の中は悲観処か大いに楽観していいのである。

言う迄も無く精神病者でない限り、どんな人でも不幸な運命にはなりたくない、何とかして幸運を摑みたいと思うのは当り前な話で、 其(その)為血の汗を絞り、命を的にして迄も一生懸命になっているのは、人間通有の欲望であるにも拘わらず、本当に幸運を摑み得る人は、果して幾人あるであろうか、先ず百人に一人も難しいといってよかろう。とすれば幸運者たるにはどうすればいいかという事になり、迷いに迷った揚句の果が彼(あ)の世行となるのだから、 何と心細い人生ではなかろうか。お釈迦さんの言われた通り、全く諸行無常の娑婆である。とはいうものの偶には本当に幸運を摑む人も、万人に一人位はないではないから、そういう人を見る世人は遂諦め切れず、夢を追う事になるので、それで世の中はいいのだと悟りを開く人もない事はない。若(も)し本当に幸運を摑み得る方法があるとしたら、之程結構な事はあるまい。誰もそれが分からないので不幸な運命を作って了うのである。つまり自分で牢獄を作り、 其(その)中へ入って苦しむ訳で、事実此(この)様な愚劣憐れむべき人で世の中は一杯である。では幸運者となるにはどうすればいいかと言うと、分り切った話であるが、善の種を蒔けばいいので、昔からいう善因善果、悪因悪果の言葉通りであるから、悪の種とは人を苦しめ、損害を与え自分さえよければ人はどうでもいいというような利己的観念で、善の種とは他人を喜ばせ、他人に利益を与える利他愛観念である。としたら甚だ簡単のようだが、それが仲々難しいので、人世は厄介なものである。ではどうすればいいかというと、右(上記)の道理を信じ、守り得られる心を作る事で、そうなれば嫌でも実行するからである。それには勿論信仰より外ないが、 茲(ここ)で注意すべきは単に信仰といっても色々あるから、充分選択しなくてはならないのは言う迄もない。処で自画自讃ではないが、我メシヤ教こそ其(その)条件に最も合致している信仰であるから、不幸に苦しんでいる人は、一日も早く入信される事を御勧めする次第である。

 

[メシヤ講座no.107浜松支部 2009(平成21)年12月]