メシヤ講座no.100浜松(平成21年5月)

<今月の御教え>

「明主様(メシヤ様) レモン・カルティユ氏夫妻と御対談(後編)」

【メシヤ講座 浜松支部】

代参御玉串

楳木代表

今月は遠路はるばる本部の「御神体ご奉斎十周年記念祭」にご参拝いただきまして、お蔭で素晴らしい祭典を執り行わせていただきました。

とりわけ代参御玉串(参拝に来ることができない人が捧げる御玉串)を送ってきていただいた方も大勢いらっしゃいましたが、本部でのご参拝の時間に合わせてお参りをした方の中から「御神体から強い御光が出てきましたので、本部の光をいただけたような気がしました。改めて代参御玉串の意義がわかりました。身は参拝にいけなくても、大きな行事には代参御玉串を包むことが大切だということが解りました。」という報告がありました。

海外からも届けられましたので、当日の御光が隈なく行き届いたように受け止めさせていただきました。

また参拝にいらした方々からも「浄化をいただきました」という報告が前後にたくさんあり、光に満ち溢れた祭典が執り行われたことだと、重ね重ね感謝させていただきました。

来月はこちらで「地上天国祭」を執り行わせていただきますので、よろしくお願いします。

 

子供がピースをしているのでご覧になって

楳木代表

昨日テレビでダビンチコードを放送したと思いますが、観ましたか?その中で最後に謎解きされているところがあります。最後の晩餐の絵の構図について聞いたことがありますか?その中に女性がいるというものです。その女性の構図をキリストの横にくっつけると、ちょうどキリストに寄りかかっているように見えるそうです。ピースの形は女性を意味します。ちょうど形が子宮に似ているから、象徴的に女性を意味するというものです。この形を上下逆にすると男性を表わします。映画の中では、その女性とキリストとの輪郭の間が子宮の形になっていて、それが実は聖盃だという捉え方です。

そこから、キリストは結婚していて、現代まで子孫が連なって存在するという仮説で構成されています。ダビンチコードの最後の謎解きの部分で出てきますから、録画をしてあるようでしたら一つの仮説として家に帰ったら観てみると面白いですよ。

こうした捉え方は、一種の宗教観から来ています。たとえば、チェックの柄、格子は元々ドーマンと言われています。ドーマンは閉じ込めるという意味があります。悪いものを閉じ込めると捉えると、善人の考え方です。それがチェックの柄の原型になっています。

ですから、人間はそれを着ると安心できます。元々悪いもの閉じ込めるということが根っ子にありますので、それを着ると安心できて落ち着くのです。

参加者

チェックの洋服を好むのですが‥。

楳木代表

それは安心したいということです。何からかは知りませんが・・(笑い)

それともう一つ、星の一筆書きはセーマンと言います。ドーマンは何度も線を描きますが、セーマンは一筆書きですので完成された完璧なものであるということから「悪魔を入れず」いう意味があります。今回の5月5日は勾玉(まがたま)がキーワードになっています。どうして昔の人は勾玉をつくったのでしょうか?それは、災い事を祓って幸運がくるようにという思いを込めたということが先ず一つ。勾玉の形はどんな形をしていますか?胎児の形にみえますね。子宝みたいな、だから子供に持たせると守られるというようなことで昔から使われていたのです。5月5日という日がなぜ子供の日になったというのかはいろいろないわれがありますが、5月5日は桃太郎が産まれた日だとも言われています。メシヤ様も『桃太郎である』というお言葉が残っています。いろいろな意味でこれからの御神業を指し示していることではないかと思います。

 

【御教え】鬼ヶ島征伐(観音講座 第六講座)

五月五日から鬼ヶ島征伐となるのであり、五月五日は桃の実の節句であります。三月三日は桃の花の節句であります。私が桃太郎でありますから、信者は其の従者である犬、猿、雉に当るのであります。つまり臣であり、又桃太郎は千手観音であります。

楳木代表

出口王仁三郎の写真の中で二十年位前の写真に、お腹に日が宿っている写真がありますが、あれは胎臓の弥勒であります。

昨年私が大本を止める時、大本と大喧嘩をしたが、それは生みの大陣痛であり、又其の時の型が今度の伊太利エチオピヤ問題にからんで欧州方面のゴタゴタの型なのであります。

満州事変のときも其の型をやりました。私がいろいろ世界の型をやるので、是が全世界に拡がるのでありますから、私は予言が出来るのであります。神界へ出た事は必ず現界へ出るのが原則でありますからであります。今に観音会が非常に発展する事や、日本が世界的に発展を来す事も充分解っているのであります。

 

自分の体は自分が一番よくわかる

楳木代表

来月の「地上天国祭」では、毎日4時間自己浄霊をして大腸がんが完治するという御守護をいただいた方にお話をしていただく予定ですので、直接ご本人のお話を聞いてください。若い人はなかなか時間がないでしょうから、短い時間の浄霊でもいいですが、時間のある人は長い時間、徹底的に浄霊をしてください。自分の体は自分が一番よくわかるのですから。自分でおかしいと思うところをずーっと手をかざせば良いのです。何かやりながらでも、とにかく浄霊をしていけば楽になっていきます。でも浄霊でダイエットだけは出来ませんよ(笑)御教えの中に『誰でも太れる法』はあります。健康になっていくということです。

 

【御教え】誰でも太れる法(栄光86号 昭和26年1月10日)世間よく、生れ乍ら痩せている人で、太りたい太りたいと思って、色々な事をしても仲々効果がないので、悲観している人が随分多いと思う、又斯ういう事もよくある、目鼻立ちの、非常に美しい女性であっても、痩せている為に、天性の美を発揮されていない人があるがそれを見る度に、今少し太ったらどんなに美しいだろうと思い、実に惜しい気がする事があるが、誰でもそういう経験はよくあるであろう、又子供などにも腺病質と言われ、カンの虫みたいな貧弱なのをよく見るが之等も勿論身体が弱い為でその親は太らせたいと思ってやれ牛乳だとか、肝油だとか、色々な栄養食をやるが、仲々思うように太らないので、歎いている者も世間ザラにあるであろう。

処が右(上記)のどちらも必ず太らせる法がある。同時に顔色もよくなるんだから、何と嬉しい話ではなかろうか。では其方法を教えて上げよう。

右(上記)のような人の肩を見ると、必ず固く石のようになっているもので、其部に必ず微熱があり、其微熱の為に食欲が衰え、細胞が消耗される為であるから、右(上記)の塊りを浄霊によって溶かすと、その部が段々軟かくなるに従い食欲が増してくる。それにつれて太って来るという訳で実に百発百中である、之によってみても、神様の救いは人を健康にするばかりか、美しくもして下さるのだから、之が世間に知れ亘ったら、美人がドシドシ殖えるという嬉しい事になる、勿論健康児童も殖えるから、世間の親達は如何に喜ぶ事であろう。

今一つ見逃し難い一事は、右(上記)の如き男女並びに小児は、結核に誤られ易い事である、というのは、斯ういう症状の者は風邪を引き易く、常に痩せて元気がなく咳や痰が出るので、御医者さんは結核と見間違える、処が不幸な者は誤った療法などで本物となり、命を失くすものも随分あるであろう、としたら此方法を知る限りの人は、結核にならないで済むから命まで恵まれる事になる、何と素晴しい救いではなかろうか。

 

参加者

最近、ブヨブヨの肉が付いてきたのは健康になってきたからですか?

楳木代表

そうそう(笑)脂がのってきたのですから‥。ぶよぶよの肉で柔らかいのは良いですが、硬いのは良くないです。

参加者

先月の「メシヤ講座・浜松」の原稿を作るときに、頭が痛かったのですが、始めたところ、気がついたら痛みが無くなっていました。

 

話を聞いただけで、こんな御光をいただける

楳木代表

原稿を作る際には、御教えに関することが話の中に必ず入っていますから、御教えが響いてくると良くなってくるのです。不思議な事です。ものすごく古い話になりますが、今度帰ったら故人となられた中村力元総長の「所信表明」をアップしますが、それに基づいて○○委員会の活動をしていました時の話です。訪問して「実は○○委員会の話をしに来たのです」ということで、“本来のメシヤ様の御心に叶った教団運営をしないといけない”という話をすると、相手の人は、ちょうどすごい音楽を聞いたときにザワザワザワ~と言う感覚がしたりする時があるでしょ、あんな感覚を感じて、「はい、わかりました」と即答されたのです。それは、「話を聞いただけで、こんな御光をいただけるのは、そこが正しいと思いますから」という説明でした。

そうしたことの連続で、それまで北海道札幌市では支持者がなかったのですが、そんな奇蹟が相次いで大勢の支持者が出来たのです。

そのように御教えについて話をしていると、感じる人は光がふんだんに入ってくることがわかります。改めて御教え拝読が大切なんだということ、そして読んだことを人に話すことが貴いことだと言うことがそこで解ってきます。

 

手術について

参加者

手術が必要だと医者から言われている方がいらっしゃいますが、どのように取り組めば宜しいでしょうか?

楳木代表

どうしても手術が必要だと言われているのであれば、まず期限を切ってみて、例えばすぐに手術が必要だと言われたとしても、一ヶ月向こうに手術をお願いするというように期限を切り、それまでみんなで浄霊に取り組んで、それでも必要であれば手術をしましょうと言うように、先ずは期限を決めるとよいと思います。

手術も場所によっては切開しなくても済むような手術もあるので、そのような技術を持った医者に頼むようにしましょう。

外科医というのは皆さんが思っているように病気を治すのが仕事ではなく、技術屋さんですから。悪い部位を如何に早く発見し、その悪いところだけを取って、しかし病気を治すわけではなく、あとは自分の臓器が、医者に切り口を縫ってもらうことによって、きちんとつながりまた動き始める。そういうことです。手術をすると言う事は、手術によって治るわけではないのです。

悪いところを削ったり、切除したりして、あとは本人の臓器に任せているのです。医者は悪いところを切っても、そこを復元してくれる訳ではありません。復元するのは自分の肉体です。病気を治してくれると錯覚しているけれど、医者は切ったり縫ったりしているだけなのです。あとはすべて自分の体が元通りにしているのです。

しかし、浄霊は悪いところを切ったり貼ったりしないで、本来の自分の力をもっと強めてあげるためにしているのです。

その辺がわからないと「手術をしないといけない」、「手術をすれば治る」と勘違いをしてしまうのです。

手術は悪いところを切り取るだけの話です。

手術をしてよくなったと勘違いをしてしまいますが、どこまでも良くしたのは自分の力なのです。

浄霊を続けるという事は自分の力、『自然治癒力』が今以上に発揮されるために、光をずっと送り続けているということです。そういうことがわかった上で、取り組んでください。ですからずっと浄霊を続けていても悪いところが元の細胞にどうしても戻らない時は、そこだけ取り除くということがあっても状況や条件によっては仕方がない場合もあります。だから一ヶ月とか二ヶ月とか期限をきって、それまでしっかり浄霊を続けなさいということです。

また、一般的な常識として持っておいていただきたい点は、手術をするかしないかを一つの病院で決めないということです。最低三つの病院が共通して手術の必要性を説くならば、手術に踏み切るということです。あくまで浄霊を取り入れて実行しない方に対してのアドバイスですが。

今、神戸で渡航歴がないのにインフルエンザになったと言って大騒ぎをしています。

でも良く聞いてみると、通常のインフルエンザより毒性が弱い、しかも一回修復したら人にはうつらない、通常のインフルエンザの方はうつる力があるのに、新種だからといって慌ててしまっています。みんなマスクを買いに行っているでしょ。そういう写真を流すと、余計にまたみんな買いに行くという実に陳腐なことがテレビで流れているから、みんな惑わされているのです。惑わされて、訳がわからないようになっているのが、実は最後の審判の実情なのです。世の大峠と言うのは、このように真相がわからないでみんなが右往左往しているのが真相なのです。

しかし私たちは御教えと浄霊力があるから、どんなことが起きても対応していけますので、大変ありがたいのです。

 

インフルエンザ

楳木代表

インフルエンザはマスクをしていてもどうにもならないのです。みんなマスクをしても何にもならいのにみんなが買い求めているのです。

うがいも意味がないと言う事はわかっているのに、みんなに奨励しているのです。風邪予防のためにうがいをしているのは、日本人だけです。全世界、うがいはしていないのです。なぜかというと、ウイルスがのどについたら10分で中にはいってしまうのですから、10分間の外出には効果があるけれど、たとえば30分外出している人にはうがいしても意味がないのです。ですから10分おきにうがいをしないといけないということになってしまいます。そんなことをしていたらおかしな人になってしまいますし、ペットボトル1ℓ持っていても足りません(笑)実にばかげたことをしているのです。マスクをしているのは気休めです。エチケットです。咳が出る人がマスクをしているのは、人にはうつらないようにしようと努力しているという姿がマスクにはあるだけです。

 

それが世の大峠

参加者

このまえ、電車の中で咳き込んだ人がいたら、その前に立っていた人がタオルを取り出して、口を抑えていました。

楳木代表

それが世の大峠です。不安感に覆われてしまうからです。咳をする人がマスクをしていれば、みんなが安心するのでいいのです。

参加者

菌をしっかり落とすようにマスクのはずし方や手の洗い方が放送されていますが‥。

楳木代表

菌がないと人間は死んでしまいます。無菌状態になると人間は生きていけませんよ。

参加者

集団で参拝をしている時、具体的に個人のお祈りをしている途中で、先達の方が『惟神霊幸倍坐せ』と言われた時には、祈りが途中でも想念があれば祈りは通じるのでしょうか?                       先達は一番貴い祈りをしなくてはいけない

楳木代表

個人の願いは一人で御願いすればいいのです。

みんなでお祈りをするときには、先達の祈りが一番大事です。先達の祈りが終わった段階で先達の祈りが実現するような気持ちを持ってお祈りしなくてはなりません。自分の祈りではありません。 本来ならば祈らずとも好い位です。 月次祭はひと月のうちで最も御力をいただける日ですので、「御力をください」だけでも良いのです。しかし、先達は「祈りの栞に寄せて」に沿って宇宙の経綸に対する感謝の祈りと地上天国建設の祈りがありますので、少し長くなります。『惟神霊幸倍坐せ』という時には、それに合わせて心を込めて唱えることが大事な事です。もっと言えば、本当は天津祝詞も善言讃詞も先達だけが唱えるのが良いのです。

元々はそういうものであったのですが、信者がだんだん増えて来る中で教団が変遷し全員が奏上するようになったのです。

昔は善言讃詞と言うのは先達だけが唱えて、 『念被観音力 念被観音行 念被観音心』をみんなで唱和していたのです。その前のときは頭を下げ、先達が唱える善言讃詞の一文字一文字を聞いていたのです。だから先達の祈りこそが一番大事なのです。自分の祈りは祭典の前に来て、御神前で神様に個人でお祈りしておけば良いのです。先達は一番貴い祈りをしなくてはいけないのです。ですから支部でおまいりするときには、先達によくお願いしておくと良いです。今、浜松支部で目指していること、浄化をいただいている人はそのことを特にお祈りして欲しい、と言うことを先達によく御願いするという姿勢が大事なのです。自分の祈りがどうということは事前にお祈りをするという姿勢を持ってください。

参加者

家庭での朝・夕拝の時も、今日はこういうことがあるからこのようにお祈りして貰いたいと言うことを先達に伝えればいいのでしょうか?

楳木代表

そうです。先達にそのように報告をしておけば良いのです。そうすると先達がそういう意識を持って祝詞を奏上しますから。

祭典の場合は位からいくと、先達が一番上位なのです。その次が司会者、そして御教え拝読をする人、又そのほか連絡事項をお話しする人などそれぞれ役職を持つ人が次の時所位になるので、役割を担う人は祭典の前日から準備をして迎えないといけないのです。

先達への報告だけでは物足りないようでしたら、便箋に書いて先達へお渡しして御願いしても良いです。

参加者

先達と言うのはどのような人のことですか?

楳木代表

先達には2つの意味があります。

1つはメシヤ様の御神業を御在世中に支えた方々のことで、もう一つは祭典の時に先頭で祝詞を奏上する人のことです。

参加者

“浄霊をする時の想念として、例えば目上の人や世俗的に地位の高い人へ浄霊をするときには『虫けらだと思って浄霊しなさい』とメシヤ様は仰られています。”とありますが、なかなか出来そうで出来ないのですが‥。

楳木代表

出来そうで出来ないのではなく、そのくらいの気持ちでやりなさいということで気後れをすることなく浄霊をしなさいということです。本当に虫けらだと思って浄霊する人はいないでしょ。

参加者

経験の少ない私でも気後れすることなく浄霊をすれば良いのですか?

楳木代表

そうです。 浄霊をするときはメシヤ様の代理でするのですから、絶対的な高さがあるのです。

絶対的な高さということを認識するために、メシヤ様と比べたらどんな人も虫けら同然だというような気持ちで浄霊すればいいのです。だからいただく人も、浄霊を取り次いでくれている人からもらっている気分でいると光が弱いのです。浄霊をしてくれている人がいても、メシヤ様から直接いただいている気持ちでいるとものすごく光が強くなります。ですから子供に浄霊して貰う時、親に浄霊して貰う時も、親からだとか、子供からだとか思うと、ぶつぶつ文句を言ってしまったり、余計な事を言ってしまったりするのです。しかしメシヤ様からいただくのであれば、そんなこと言ってはいられませんよね。自然と私語も慎みます。

ですから想念の持ち方によって光の出方が違うというのはそういうことです。気合いを入れるとか、自力的なことではないのです。

参加者

以前、知らない人から浄霊をいただいた時に、光がとても強かったときがあったのですが、その人に先入観がなかったからでしょうか?

楳木代表

そうですね。どうしても私達は俗人ですから、俗世界のことを通して人を見てしまいますから、神聖なものを神聖でないものにしてしまいます。どこまでも浄霊は神聖な神様からの光を取り次ぎ者を通していただくのですから、自分の気持ちを整えておけば、相手がどうであれキチンと素晴らしい光が入ってくるのです。浄霊をいただく時も、する時も、メシヤ様をメインにしないと奇蹟というものはないのですから。そういう気持ちを持って、いただく時もする時も想念を高めていくと、より奇蹟が満ち溢れてきます。そういうことを忘れてしまったら、また思い出してやってください。

 

[メシヤ講座no. 100 浜松支部 2009(平成21)年5月]