学びの骨子(平成31年2月)

「平成31年の節分祭・立春祭を思う」

 

新潟出張所 庭山光太郎

私は前から気になっていた事がありました。

全集講話篇のp188に「私は三年も前から努力していたのです」との一節の意味が判らなかったのです。「メシヤ様がそんなに努力した事とは何なんだろう」という謎、疑問がずっとあったのですが、今回それが解けたのです。御存じの方には「そんなのは先刻承知で別に驚くには当たらない」と言われそうですが、私にとっては発見、快挙でした。

この発見の元は、昭和29年2月4日「立春祭の御教え」として

・全集講話篇12巻のp187に「私は一昨日の節分の日に大変な神秘、奇跡があったのです」とあり、

・同p174に「まだ発表は出来ませんが、昨日、今日素晴らしい事があったのです。いずれ話をしますがそれは神様の型です。それで、非常に目出度い事なのです」とあり、

・同p192に「面白いのは、節分の日は大きな奇跡があったのですが、昨日(立春)は小さな奇跡があったのです。というのは、道具屋が古い掛物を持ってきたのですが、それは支那の元時代の物で、今から400年近く前に描かれた絵ですがそれが閻魔大王なのです」

という処から、大きな奇跡を探せばいいんだという事になり、全集別巻の年譜を見た所が、「入手した光琳作の『紅白梅図屏風』が碧雲荘に届けられる」と出ていたのです。「大メシヤの大経綸」にもその事が載っていました。ついに発見したとはいえ、その事柄の重大さに気付かされたのです。それは「神様って用意周到というか段取りの良さにはもう叶わない、お手上げです」と申し上げるしかないからなのですが、これも一つの極め付きの一件と言っても良いのではないでしょうか。

・「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。竹は外国であるぞよ」という

・それが大本教祖出口なお教祖の最初の獅子吼(ししく)です」とあり、

・「今度は炒豆(いりまめ)に花の咲く時節が参りたから、神も嬉しいぞよ」とのお筆先にはどうしても、三千世界一度に開く梅の花が必要であり、それが『紅白梅図屏風』で、明治以前の元禄の世に、メシヤ様の前世であられる尾形光琳によって準備されていたのだという事らしいのです。

尾形光琳の描いた時期は晩年で、1716年59歳で亡くなられていて、尾形光琳がメシヤ様として再生されるのが1882年・明治15年・12月23日ですから166年後に再生され、その10年後の1892年・明治25年元旦に国常立尊様が満を持して出口なおさんに憑られてお出ましになられたという訳ですから、光琳が亡くなられてから176年後に国常立尊様がお出ましですので、晩年に描かれたというのですから、4年繰り上げれば約180年前に準備がなされたと言ってもいいでしょう。その180年前に御本人が描いた『紅白梅図屏風』が何処に行ったのか探された期間が3年もあって、漸く見つかって手に入ったのが1954年・昭和29年・2月3日節分祭の日というのですから、まさに神業としか言いようがないでしょう。風聞によれば、津軽家から所有者が変わり色々と渡り歩いて石炭会社の社長が持っていたというのですから見つからない筈です。

光琳が心血を注いで描いた『紅白梅図屏風』は国常立尊様がこの世の閻魔として現れる為のお祝いとして描かれたものとしたら、その絵の見方は全く別次元の見方にもなるでしょう。

兎に角絵画の技巧が斬新であった事は最近のテレビでも放映されましたから、御存じの方も多いでしょう。それまで紅梅のバックの金箔は、金箔を張り付けたものと思い込んでいたところが、張ったのではなく金箔自体を描いている事が判ったのです。

絵画の事はよく分かりませんが、もし金箔を使っていたら工芸品とみなされ、あくまで絵画としての意地を貫かれたのではないかと思います。又その意地を貫く程の慶事が秘められているとしたら、それはどういう事か。

「紅白」は目出度い時に使われる色です。勿論、「火と水で伊都能売」でもあります。そして真ん中に川が流れています。その川の流れが国常立尊様の9000年の時の流れを表しているとしたら、実に深い神秘をひそめ、その神秘の完結のお祝いを表現されたのだとの結論を得るのです。

しかもそれが昭和29年2月3日に御手元に入られたのであり、それも昭和29年の6月15日の地上天国祭は『メシヤ降誕仮祝典』と銘打たれ、明主様の御肉体に向かって『天照皇大御神』とお称えし、

“夕方箱根に帰られると

「私はメシヤとして『最高の位』に就いた。今日から皆で私の事を『メシヤ様』と言いなさい。私の事をメシヤ様と言えない者はここを出て行きなさい。最高の位に就いたのだから最高の言葉、最高の扱いをしなさい」

と明主様はメシヤ宣言をされたのでした。その宣言は大変厳しくあられ、後ほど側近奉仕者の方に「『国常立尊様』の御働きをしていたのだよ」と仰せられたのでした。„

ここから見えて来るのは『天照皇大御神様』は最高の位でありますが、『メシヤ様』も『国常立尊様』も同じ神様という事が分かります。即ち、主神の表現神であらせられる『天照皇大御神様』の御働きに応じて、言葉を換えれば御経綸の進展に伴い御神名も変わる訳で、主神様の役者の多様性を示されたものという事も出来るでしょう。という事になれば昭和29年という年は大きな変革の年である事になる筈だったのですが、メシヤ宣言から約2ヶ月後に「明主様」に戻られてしまうのですから分らんものです。明主様からメシヤ様に変わられて、余りに強い光を受けて浄化が激しい故に、メシヤ様の呼称を明主様に戻して頂き度いとの幹部の要請は、結局再び国常立尊様を押し込め奉ったと同じ事で、岩戸隠れでもあり、その結果世界救世(メシヤ)教は分裂、浄化状態となり、その解消が63年後「世界メシヤ教復興」を目指すメシヤ教によって平成29年6月15日に辛うじて、昭和29年6月15日の地上天国祭の『メシヤ降誕仮祝典』はやり直され、平成30年3月3日に、本来あるべき筈であった昭和30年3月3日の『メシヤ降誕本祝典』も、「メシヤ教」によって何とか無事に挙行されたのでした。

昭和で行われた御神事は人心の未発達というか、御神意に叶うべき成長にはなり切れておらず、物質的準備も今一つ世界が一つになるには時間を要するが故の平成の年代まで延ばされたというのですから、愈々名実ともに本当の変革期は今年からという事になる訳で、平成30年の「節分・立春祭」こそ本当の意味での現界に於ける審判の第一日目に相当することになるのではないでしょうか。

ところが我々の未熟さは勉強と習熟が必要との事で、一年間の猶予期間を頂いたのでした。とすればつまり2019年の立春祭が実質的審判の第一日目となる事になります。

それに就いての裏付けの決定的御御論文があるのです。

<世の終り近づけり 汝等悔い改めよ>(s24年12月31日 光42号)

・抑々夜昼転換の順序であるが、これは私の常に言う如く眼に見えぬ幽幻界から始って、それが霊界に移写し、それが又現界に移写するのである。茲で最初の転換である幽幻界とは三次元の世界でこの時が西暦1881年で、次の霊界則ち二次元の転換が1930年であり、次の現界の転換こそ今や目睫に迫りつつある一大危機の開始である。・・・この部分の年表を書いてみました。

このように見てくると、紅白梅図屏風の意味が単なる絵画ではない事がお分り頂けるのではないでしょうか。過去を繋ぎ未来を見通す照明塔の様な絵画という事も出来るでしょう。

お筆先には「遅れただけはいっぺんに来るぞよ」というふうな一節があったような気がしますが、兎に角、残された期間は余りないと思われますので、今という時を大切にしてメシヤ様の進められる御神業への奉仕を通して悔いのない信仰生活を送る事が大事ではないでしょうか。

平成30年・3月・3日の「メシヤ降誕本祝典」には箱根光明神殿では「主の大御神」、奥津城にては「メシヤ大御神」、熱海救世会館では「大弥勒大御神」「メシヤ大御神」、とお称え申し上げ事が出来ましたが、準備のハレルヤコーラスは残念ながら不発でしたが、メシヤ様も先刻ご承知のようで、御自らチリン、チリンという涼やかな音と共に、梅の高貴な香りを漂わせお出まし頂けたのは有難い事でした。

本来ならこの日の為に描かれた超国宝の紅白梅図屏風は飾られるべきでしたが、梅の高貴な香りはそれを偲ばせるという何とも言えない演出には只々感涙の外はないのであります。

 

<どういう変革か、大メシヤの大経綸から>

・最後の審判の初日

「国常立尊様すなわち艮の金神はこの世の閻魔と現れるぞよ」とありますが、今までは霊界の死んだ人を審判されたが、今度は現界で生きた人間を審判される。

・梅で開くというが、梅というのは花は五弁になっています。これは五大州を形取ってあるのだそうです。ですから「一度に開く梅の花」というのは世界が一度に開くという事なのです。

・艮の金神様は火の系統の神様ですから、そこで非常に光が強いのです。やっぱり霊界が明るくなるのです。だから今まで隠していたり隠ぺいしていたものが現れるのです。目に見える訳です。

・今年から一段と病気が多くなります。それと共に薬毒がだんだんはっきりしてくるわけです。以前も言った通り恐怖時代の一歩に入った訳でもあります。

・そうなると救世(メシヤ)教というものの発展が著しくなり大いに発展する訳です

 

<どういう変革か、「世の終り近づけり汝等悔い改めよ」より>

・昼の世界に入るや火素が主で水素が従となるのである。即ち暗が明に変わるのである。それだけなら別段心配する事はないが、実はこれによって空前の大変化が起こるのである。というのは未だ嘗てない程の破壊と創造が行われる。即ち霊界に於ては濁が清となり、そのまま現界に移写されるから、現界は如何に大いなる変異を起こすか想像に余りある。勿論霊界に火素が殖える結果として、浄化力発生と共に時の経過に正比例して漸次強化されるのである。その現れとして善悪正邪は明らかとなり全人類に浄化が行われる。

・元々人間の病気とは火素による浄化作用であるから、体内に汚濁を多量に保有している者ほど強烈なる浄化が行われるのは当然である。併し今日迄の病気なるものは、浄化が至極緩慢に来たので生命の危険にまでは及ぼさなかったが、最後の世の病気は頗る急激なる大浄化であるから、極めて迅速な経過をとる。例えば頭痛、咳嗽、下痢等二つか三つ位の症状なれば生命が脅かされるまでには至らないが、これが七つも八つも一度に発生するとすれば到底耐えられるものではない。

・以上の意味に於て、大審判が今や全人類の頭上に覆い被さらんとするこの秋、一人でも多くの人間を救い給うのが神の大愛である以上、大審判の執行者であり、人間の生命を握られ給うのであるから、神の御手に縋って罪を許されるより外にこの難関を切り抜ける方法は絶対ないのである。

・人類が負える罪の重荷を神の御手によって取り除かれ清められる以外救われる道はないからである。

 

<どういう変革か、「大恐怖時代来たらん」より>

・今までなら直に効いた飲薬も注射も、全然効かない処か逆結果となって、医師が手を付けるや忽ち悪化したり、死んだりするという様な恐怖時代が来るであろう。こうなると政府始め専門家も一般人も医学の真価が分って、医療をボイコットせざるを得なくなるから、これこそ大問題である。そこで初めてメシヤ教の説に頭を下げざるを得なくなると共に、アノ時随分変な説と思って悪く行ったが、実に申し訳なかったという事になり、茲に初めて目が覚めるのである。

・お筆先にこういう一節がある。

「愈々となりてから神に縋りて来たとて後の祭りであるぞよ。不断から神の申す事を上の空で聞いていた人民には、神は構うて居られんから、どうしようもないぞよ。俄か信心は間に合わんぞよ」

・「今度の建て替えはこの世に神が有るか無いかを分けて見せてやるのであるから、神ある事が分りたなら、如何な人民でも往生せずには居れまいがな」

・愈々来るべき最後の審判に際しては、宗教は何の役にも立たない事になるのである。というのは、その宗祖、開祖の殆んどが、最早世を救う力がない処か、御自分及びその信徒が救われねばならないから、近来、私に対して後から後から嘆願に来る有様で、これに見てもその辺よく分るであろう。

・成程凡ゆる宗教は、今までの世界が続いているとしたら、それ相応の役には立つが、愈々世界大転換という空前の事態となった以上、既成文化は一度は破局的運命とならざるを得ないからである。それと共に万教帰一の時となるので、茲に一切の宗教は一団となって、本教を中心に人類救済は固より、地上天国建設に協力する事になるのである。

 

以上の事から今我々はどういう気構えで、どうしなければならないかが見えて来るのではないでしょうか。この度の「節分祭」では、今までの感謝と共に人間として真の御詫びをお許しいただき、そして、いよいよ神様が現界に御出まし下さる御降誕という一大慶事に対しては、我々は感謝と喜びを持って御礼と共にお祝いも追加させて頂けるのではないかと思うのですが如何でしょうか。

 

待望の メシヤ生まれぬ警鐘を ひた打ち鳴らし世人醒まさむ

 

我々現界人は一個の人間ではありますが、元をたどればどれくらいな先祖さんを抱えているか分からないほどの多くの先祖さんも抱えているという事でしょう。つまりどのくらい御詫びしてもし尽されないほどの御詫びも背負っている訳で、生まれてから一服の薬も体内に入れていないにも拘わらず、自分の体内の薬毒の量を思うにつけ、お詫びを以て罪の解消を図るには、実質的に世人を救わせて頂くより道はない、今こそ残された時間を悔いなく御神業の一端にお使い頂く不退転の覚悟を沸々とたぎらせる時と言わずして何でありましょうか。

 

以上で骨子は終わるのですが、平成は4月30日までで、5月が「改元」であり、まだどう命名されるか分かりませんが、5月5日はメシヤ教の記念祭でもあります。その日までに後続の方達の為に、「彌勒講座」として今までの学びや祭典の模様を冊子としてまとめてみてはどうかと思いましたが、しかしまあ、観音講座が分れば彌勒講座もいらない訳ですけれども、ふと、表紙の絵柄を紅白梅図屏風で出来たらいいなあというような思いを持ちましたが、どんなものでしょうか。

この平成29年から今年に至るまでの間に、我々が学び取り組ませていただいた内容というのは、人類にとってかけがえのない内容であって、またこの期間というのは数千年来の人類の分岐点とも言える大変重大な節目であって、目まぐるしく過ぎ去ったこの間の内容を把握してこそ、しっかりした芯を大きく強くすることが出来るのではないでしょうか。

平成30年の「メシヤ御降臨祭」に救世会館で御遺作展に、「大彌勒様御出世」の御文字とその隣に御直筆の「大彌勒」様のご尊像が掛けられておりました。

勿論国常立尊様が伊都能売神様になられ、慈悲を取り入れられて、悪も認められるのですが、国常立尊様は一方で裁きは厳然としてあり、伊都能売大神様は救いとしての御働きも厳然としてあり、裁きも救いの内として伊都能売大神様と国常立尊様の合体的お働きがメシヤ様であります。大彌勒様の御発動と共に世界大のお働きになられるわけです。

そうして、裁きと慈悲と許しと救いを、待ったなしでメシヤ様が展開される大いなる時を迎えている時であるからこそ、我々人間の自覚と改心、覚悟が必要なのであります。

我々全員、国常立尊様を押し込めた張本人達であり、世界的規模の罪穢れを背負っております。我々がその型であると自覚して本当に悔い改めて、その上で御詫びの御神業を是非ともお許しいただきたいと大神様に申し上げてこそ、そのお力が現界に現れるので、それが「世界救世(メシヤ)教の復興」の始まりでもあり、また世界単位での御経綸の始まりなんだというふうに受け止めさせて頂いて、この度の祭典に臨みたいものであります。

皆様、よろしくお願い申し上げます。

 

平成31年1月16日10時30分

新潟出張所   庭山光太郎

 

[研鑽資料no.34 学びの骨子 2019(平成31)年1月17日]

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