<研鑽資料 骨子>
教学顧問 庭山光太郎
12月骨子を11月3~5日の連休に書き上げ、6日早朝に提出しましたが、神界から「路線的には問題ないが、史実の訂正箇所の修正と、代表の帰幽からドタバタした数ヶ月の意図を一人一人に総括させ、そして12月23日という日に向かわせてやるという方向でもう一回書いて欲しい、その為の資料も用意する。」との神界からの要請がありました。そして、
「メシヤ教の人間は因縁で集められているのだから話せばよく分かる魂なんだ、ただ魂は一律ではなく上中下があり、因縁という意味すら解ってない位だから、まずそこを教えて他人事ではないんだ、一人一人が問われているんだと気付かせる感じで」との神界からのお言葉ですから、身に余る大役ですが全力で書かせて頂こうと存じます。
恐らく神界は、因縁のある身魂だから、今ある御神業の情況把握をしっかり認識し、実際の御神業に自ら参加し、神様の本物の使徒として御用をさせて手柄を立てさせてあげたい、眠ったままでは後々後悔するだろうから何とか心の岩戸を開けるように、との親心でこういう御指示があったものと感じ取って頂き度いと思います。
<因縁に就て>
「因縁」の「因」は原因の「因」で、それが元となり、「縁」(きっかけ・巡り会わせ・つながり)によって「果」(結果)を生み、その後にどんな「報」(むくい・事実)が残るかという法則の事で、昔から「善因善果」・「悪因悪果」合わせて「因果応報」という事は常識だったのですが、今の時代ではそういった事は語られていないのかも知れません。
良い事をすれば良い報いが来、悪い事をすれば悪い報いが来る、だから人の為に良い事をしなさい、そうすれば自分も幸せになれる、その反対に悪い事をすればその報いは全部自分が引き受けなければならないという事を肝に銘じていれば、悪い事など出来る筈はないのです。
ですから昨今の凶悪犯罪を行う人はそういう真理を知らないか、知ってはいてもあまりに曇りすぎていて、「魔」の虜にされてしまうのでしょう。
「業(ごう)」とは人間が行う全ての行為を言います。そして人間の行為(業)には必ず結果が生じるのです。現実に現れているすべては過去に行った自分の業の結果なのです(ネットから)。
ですから「魔」の虜になって人を害する人も、その被害を受ける人も結局はそういう事に巻き込まれなければならない原因を過去世に作ってしまっていたという事なのです。勿論その反対の現在幸せの人はそれなりの過去の善行が現在のそういう境遇に在らしめているという事が出来ます。
その最も善行の極致が「最高の神様との関わり合い」、「御神縁」を得ておられるメシヤ教の方々であるとすれば、それを先ず認識されれば、今こそ最善行を尽くす絶好の時という事がご理解いただけることでしょう。
それでは代表の霊界ご帰還から一連の流れを追ってみたいと思います。
<霊界ご帰還>
九州の新御本部が完成して2年目の平成29年2月3日、当日は節分祭で全国からご参拝者が参集する日であり、国常立尊様を押し込め奉った罪のお詫びの日であり、翌日は立春祭で、国常立尊様の新経綸の御祝いの日という重要な日であり、3日の晩は信者さんとの懇親会があり、代表先生共々ビールやお酒を頂き、楽しく和やかなお食事会となるのが通例で大いに楽しみな行事でした。
然し、今年(平成29年)の懇親会の席での代表は、お好きなビールやお酒を嗜(たしな)む事もなく、一口のご馳走さえも食する事なく、ただ信者さんにお酒を注いだりと、席を温める事もなくサービスにこれ務められるだけでした。体の具合はお腹がへこんでスリムになった位で別段心配する事もなく、御神業はこれからが発展段階に入るのだから、代表も一段と浄化して大きな力を頂くのだろうと確信的に思い込んでいました。
処が翌月の3月3日の箱根での「メシヤ降誕本祝典記念大祭」に於ける代表の表情と、力のない声から、これは尋常な浄化じゃないと、愕然としてしまいました。会報・№5・平成29年春号(2017.6)の1ページにそのお顔と、恐らく現界で最後となるお話が掲載されています。目は少しくぼみ眼光は爛々たる龍顔を呈し、お声も小さくなってはいましたが、凡そ30分のお話は理路整然たるもので、あれだけのご浄化の中であれだけしゃべれるのはさすがに代表を置いては他にはいないだろうと思わせるほどの気力でした。
一通りの行事が済むと自然食のお弁当をみんなで頂くのですが、役員は会議用の別室でお弁当を頂きましたが、その時も代表はお弁当を開かれる事はなかったのでした。何故か私の方に向かって、「石坂さんや野沢さんの様には絶対にならない」との言葉が発せられたのです。どういう事かというと、ご自分は「決して教主にはならない、教主は飽迄メシヤ様お一方だけ」という意味でしょうし、会報・№5に「今までの人生すべてがメシヤ様の御降誕本祝典(平成30年3月3日)を執り行うためのそういう人生であったと受け止めて頂いて、これから進めさせて頂く事に取り組ませて頂きたいと思います」という決意表明は、メシヤ様を世にお出しして世界メシヤ教の完全復興を成し遂げるという事であったと理解する事が出来るのではないでしょうか。
去年、神界から「誓詞を捧げるように」と言われたのに対して、元よりそのつもりで来たので『当然捧げさせて頂きます』と念じて、準備を整え平成28年12月23日に誓詞を捧げてから浄化が始まり食べれなくなり、平成29年3月3日の箱根でのメシヤ降誕本祝典記念大祭。時には20キロ痩せたとありますから、「誓詞を捧げた事は迂闊であった」と後悔の念を滲(にじ)ませますが、神界の思惑は然(さ)にあらずで、楳木代表に新たな役目を与え、メシヤ教復興をなさしめて代表に永遠の生命を与えるという大愛の御計らいによるものであったので、霊界にご帰還されて直ぐに、「全ては神様のお計らいによるもので宿命として決められていたものであった」ことを神界において示されるとともに覚られて、神界からの御指示は現界に居られた時には御指示という御指示などほゞ無かったに等しかったものが、いきなり難易度は高く、次から次へと発せられ、一挙に現界人は右往左往させられるくらいな局面に立たされる事になって了ったのでした。
<何故、世界メシヤ教復興なのか>
昭和29年6月15日のメシヤ降誕仮祝典に於て、メシヤ様に対し奉り「天照皇大御神(アマテラス・スメラ・オオミカミ)と御奉唱申し上げ、「明主様」から「メシヤ様」と御尊称申し上げる事となりました。
メシヤ様の左の御手の五本の指に天下筋が伸び、「メシヤは手に証しを持って生まる」という昔からの言い伝え通りの様相を呈され、熱海メシヤ会館での御祭典後箱根に向かわれ、夕方、
『私はメシヤとして最高の位に就いた。今日から皆で私の事をメシヤ様と言いなさい。私の事をメシヤ様と言えない者はここを出ていきなさい。最高の位に就いたのだから。最高の言葉、最高の扱いをしなさい』
と仰せられ、上記の御言葉を称える間、大変厳しくあられ、後ほど側近奉仕者の方に
『国常立尊様のお働きをしていたのだよ』と仰せられました。
これ程のメシヤ様の御発言に対し二代様は
『明主様がメシヤ降誕と仰った事は大神様に大変申し訳ないと言い、こっそり大本教の本部の綾部にお詫びと浄化平癒の御祈願に行った』
と言うのであり、幹部は幹部で余りに浄化がきついので、
『メシヤ様の御尊称を明主様の御尊称に戻して頂き度い』
旨を願い出られ、2か月後に明主様に戻られたのでした。
メシヤとなられて『光りの玉の力が百倍強くなった』と仰せられたというのですから幹部も堪らなかったにせよ、メシヤ様は昭和29年8月11日、
『目下の処メシヤとしての活動を十分に尽くされない感があるから従来通り明主の言葉にて唱える様に』
とのお達しとなるのですが、それが岩戸隠れとなり、神様を押し込め奉ってしまう事になって、それ以降教団は徐々にメシヤ様の御心とはかけ離れた教団に変質し、浄霊による決定的御力を頂く事も格段に減ってしまったのでした。
楳木代表は結局、「当時の幹部はメシヤ様の御神格というものの認識が出来なかった」事が原因なのであるから、復興させる為には認識の出来た人を集めてメシヤ教をつくり、それが核となり世界メシヤ教を復興させる力を頂くようになれば、メシヤ様の御心に叶い、メシヤ様の目指された地上天国建設の本来の使命を遂行する事が出来るとの思いを強くされて来られた訳で、それがいつの間にか流れに乗ってしまったのも、深い御神意の下での御経綸であった事が判ったのでした。
兎に角、メシヤ様の御神格というものを認識できず、押し込め奉ってはどうにも事は始まらないので、メシヤ様の御神格に目覚めた人たちが先ずはお詫び申し上げ、メシヤ様を世にお出しする事が何よりも一番先にやらなければならない核心的要件である事は間違いない事です。
<メシヤ降誕仮祝典>
平成29(2017)年3月3日、箱根でのメシヤ降誕本祝典記念大祭でのお話は、ご参拝した信者全員は、神界より「落第」の判定があった旨、代表より「私のお導きが足りなかったせいで」というお言葉を付け加えた上、言い渡されました。前述に「20キロも痩せて目は少しくぼみ、眼光は爛々たる龍顔を呈し、お声も小さくなっていた」と書いた、その日のお言葉です。信者一人一人の至らなさを、「私のお導きが足りなかったせいで」と自らの責めに帰しながらの落第宣言では、お声も小さくなるでしょうが、それから猛然たるダッシュが始まるのです。
神界通信が平成28(2016)年5月13日に始まり、徐々に頻繁になるのですが、私が出張所の月次祭の時に初めて代表より、神界通信の
・「代表の前世は藤原泰衡(やすひら)であった」
とのお話を拝聴した時に、「それは如来の知見ですね」と申し上げたのが、平成28(2016)年7月22日でした。この日は他に2件、
・「二代様には素盞鳴尊様が憑られてメシヤ様の砥石の役目を果たされていた」
と言うのと、もう一つは
・「『ゝ』は今や世界大に大きくなられている」
との重大発表が合わせて3件あったのです。
もうこれだけで如何にペースが速くなったかがお分りになられると思いますが、これらの事は人間がどんなに踏ん張ってあがいても分かるものではありません。神界よりのそれも最高度の神界からの通信と言っていいものです。兎に角ペースが上がっているのに、人間側のペースが、神界から見れば一向に上がりはしてないので、「落第」の判定になった訳です。そこに持って来て「ゝ」の御神体を奉斉させて頂いてますから、その「ゝ」が世界大になれば愈々大仕事が来て忙しくなると思えば期待の方が膨らむばかりで、誰が代表の帰幽に思いをはせる者がいるでしょうか。それなのに落第宣言から22日目に代表が突然消えたのですから、落第の事もすっかり飛んでしまいました。神様は実に大胆な事をなさるものだと思いました。結局、神界はこのまま行ったら人間側の気づきが遅れるばかりで御神業上支障を来す恐れが出たため、縁ある身魂を最低限度引き寄せられてメシヤ教を一つの団体と成した段階で、代表を霊界に呼び戻されたという訳です。
我々が追悼に浸る間も、将来の見通しも無い間に、覚悟を決められて霊界に入られた代表は霊界の情況を即座に把握されたのか、告別式の朝には第一報の霊界通信を発したのです。現界にいる時と同じような会話ですから、姿は見えないだけで何の違和感も感じません。御神業とあればご自分の命さえ惜しくはないという覚悟を我々は肝に銘ずべきでしょう。果たして自分はその位の覚悟はあるのだろうかと、ご自分の胸に手を当てて問うて下さい。
そうして霊界の状況に応じた発信は実に短兵急を知らせるもので、「兎に角6月15日の『メシヤ降誕仮祝典』を行える身魂に霊籍を上げよ」というもので、もしこれに失敗すればゲームセットになるというのですから、世界メシヤ教の復興もない訳で、まして三六九の世の実現もなくなり、メシヤ教の存在価値も無くなるというのですから、命がけでやってもまだ足りない位です。何せ6月15日までは82日(2か月半強)しか無いのですから。
指示を出される代表も頭を使われ大変だと思うけれど、指示を受け止めるこっちも緊張の連続です。こうして揉みに揉まれて、6月15日には箱根と熱海での「メシヤ降誕仮祝典」は、何とかクリアされたのでした。兎も角、代表や指導霊、それに宇宙の中心である地球のそのまた中心である処の御方を始め、取次の方、それに何よりもメシヤ様の御力添えがあっての成功なのですから、随分と御手数をおかけしたものです。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。そして拙い文を読んで下さった皆さんにもお礼を申し上げます。
<役割分担>
誰も予期しなかった代表の帰幽でしたから引継ぎなどは一切なく、御神体の御下付状況やら信者さんの連絡先などの必要な情報は、代表ご自身が一手にやられていた訳で、把握するのにパソコンのパスワードさえ誰も知らない訳ですから、パソコンがまず開けなく、全くの手探り状態からの出発ですから、各支部長さんはご苦労されて、ドタバタからの出発ではありましたが、徐々に祭典部や顧問等、組織が整備され、その役割分担等が機能し、漸く落第が及第に至ったという訳です。
6月15日のメシヤ降誕仮祝典に於て、顧問(筆頭相談役)の澤枝氏が司会を兼ねて祭典の始まる前に「地上天国祭の意義と想念のあり方に就て」を読まれ、御参拝参加者に改めて自覚を促されたのでした。
この文章に対し代表の評価は「パーフェクト」との事であり、確かに読めば読むほど良く出来ています。その部分は
「メシヤ様の力である人類救済の絶対力は、火と水と土の三位一体でありますが、先ず火の力の根原、即ち太陽神の力、次いで火と水の結合、即ち伊都能売神の力、火水土の三位一体力、即ち日月地大神の力と、正しい順序に世に現れなくてはならないため、メシヤ様に真向かいつつ、『天照皇大御神』様の御神名を奉唱し奉り、絶対力の根源である太陽の日の力を先ず現界に迎えんとしたのがこの仮祝典の意義であります」
という処で、恐らく全集の著述偏1・p407からの引用と思われますが、この部分は10月26日の北海道の伊都能売大御神様御出世奉祝大祭に適用出来、その次の12月23日のメシヤ様御降誕祭に於ける奉唱御神名にも適用できそうなので大いに助かり、有り難く感謝で一杯です。流石に澤枝顧問には頭が下がりました。
<伊都能売大御神様御出世奉祝大祭>
私に関して申し上げれば、代表よりのメシヤ講座の骨子の要請が月々にある中で、6月15日の「メシヤ降誕仮祝典に次ぐ二度目」のイベントが行われるのです。それが「伊都能売観音様」の御参拝です。
この御参拝には代表より度々勧められていましたが、代表ご在世中は到々ご一緒する事が出来なく、誠に申し訳ない限りでありました。然し今回は6月15日に「天照皇大御神様」をお迎えして日の神様をお迎えしたのだから、澤枝氏の「地上天国祭の意義と想念のあり方に就て」の中の「日の神様の次は水の神様」という事になれば水は六であり、観音様の数でもあり伊都能売観音様をお迎えするという事になれば、これは何が何でも外せないと思い、参加させて頂く事にしましたが、姉も何やら察したらしく、同道させて頂き、新たな幕開きの歴史的瞬間に立ち会えた事は誠に幸運でした。
抑々不勉強で伊都能売観音様がどういう意味を持たれているのかも知りませんでしたので、「観音様は伊都能売なのだから、敢えて伊都能売観音様とはどういう事なのだろう」くらいであまり関心もなく経済的にも無理な処もあり、最初から諦めていた部分もありました。それが一転して二人で行けるなどとは随分と霊層界が上がった思いも致しまして神様に感謝させて頂いた次第です。。
この伊都能売観音様の事に就ては、三重の濱口支部長代理より10月22日に資料が届いていたのですが、その資料に気付いたのが11月4日ですから、詳細を知らぬ間に、ただ「伊都能売観音様が伊都能売神様になられて御出世遊ばされる」という事のみでテンションが上がり、メシヤ様が本来の御姿になられるならば、当然に完璧に夜が昼になった事だから、本来の御力が存分に発揮される時に至った事は、誠におめでたい御祭りだから、是非「奉祝」という文字を御祭りの趣旨に入れて頂き度いと、お願いしたのでした。それかあらぬか奉祝と言うからにはお詫びが先という事で、澤枝氏はじめ札幌支部の心ある方々は参拝前々日にお詫びに行かれ、観音堂を管理している定山渓観光協会への挨拶と清掃奉仕をして帰られたというのですから、札幌での懇親会に至るまで何から何まで準備された事に就ては、如何に北海道の方であってもそこまでやって下さる事はまさに誠の人々と言うしかなく、全く頭が下がる思いでした。25日と26日の北海道のお天気は上天気で暖かく、北海道大学の紅葉も見事で、神様の御計らいには感謝の一語でした。何しろ季節外れの台風21号の元気の良さは、日本列島を丸ごと覆うくらいの大きさで、御祭りを目がけて直撃かとの危惧もありましたが、やはり祭典の為の御浄め台風でした。おまけに二日前には札幌に雪が積もり、その御浄めもすっかり溶けて清々しく、お目出度い事の念押しで、神様の「これでどうだ」という御声が聞こえて来る様でした。それにホテルが安くてきれいなのには驚きました。
こういう御陰を頂くからにはそれなりの参拝の意義というものも又大きく、この日の為に代表は平成11年からずっと毎年伊都能売観音様をお参りされて来たのです。それは濱口氏より送られて来た資料にありました。
断片的ではありますが掲載します。
・平成11(1999)年に、私は「世界救世(メシヤ)教復興運動」を推進するように企画したのですが、神様から「メシヤ教」を開教するように導かれました。奇しくも、「世界救世(メシヤ)教」開教五十周年記念日(平成12(2000)年)に発足することができたのです。
・ところが、この「御言葉」は門外不出にされ、公表の許可は今日まで出されませんでした。それが不思議にも、前回の「神界通信」(2回目の通信、平成28(2016)年5月13日か?)と機を一にして公開を許されたのです。これは、‘時期’の到来を意味するものと拝察いたします。(ですから代表は伊都能売観音様の事に就てはお誘いはされましたが、詳しいお話はされず、お誘いを受けてもやり過ごしていたのです)
・メシヤ様が改めて本当の世界メシヤ教としての動きを表す為に、体的な動きとしては先生がメシヤ教を立ち上げて、時期が来たら神様をお出しすべく、前世から縁が深かった方を集める為に全国を回られる事になりました。
また、定山渓において、札幌支部の北川支部長代理が参拝に参った時の、メシヤ様からの神界通信で、
・(私は)『伊都能売神こと明主でありけれ』
・メシヤの、救世(ぐせ)の神として、観音会、救世教、メシヤ教と継いでくれてありがとう。
・現在、世界救世教は三つになっているが、幹部の者達が根本を曲げて伝えて、苦しいのである。神を暗闇の中に押し込めた。神を閉じ込めた。
・御教え、一分一厘間違いない。そなた達が伝えてくれるのが使命。元は一つ。メシヤであるから。
・メシヤ教の方、教えを守って拡げてくれ、光を求めて今日まで苦労してきたの、儂(わし)は知っている。ありがとう。自信を持って。天と地と一対で働く。
・五十年前から食べ物のことを言ってきた。食べる物がなくなる。もう間に合わない。作る人の苦労があって口に入るのだから、有り難く有り難く生命力をいただく事。後は浄霊で。
・メシヤ教の方々達、気持ち痛いほど判る。伊都能売観音が働いている。今日、儂(わし)はそなた達を結んだ。力を合わせていってもらいたい。
というものがあります。
以上をご覧になられましてメシヤ様をどうしても世にお出ししなければならないお役目を、代表はメシヤ教発足の前年の平成11(1999)年に、「世界メシヤ教復興」という形で、既に荷われようとされたのです。それがメシヤ教をつくれという事になり、代表は因縁の者たちを集められたのです。それがメシヤ教として一通りの形となるや、ご昇天され、6月15日のメシヤ降誕仮祝典の為の霊籍向上を図るために、霊界から頻繁に指示を出され、やっと何とかクリアするや、伊都能売観音様の御出世奉祝祭典へと御神業は勧められたのです。
伊都能売観音様と言う御名は、「観音様が伊都能売神として世に出る」という意思表示をされた観音様という意味であり、完全に昼の世界に入ったが故に御出ましになられたのであり、夜の時代は観音様としての御力で限定的な御力であったものが、その日を期して神力となり、絶対力が振るわれる時期になったという事で、本当にお目出度い日という事が出来るでしょう。
佛力は 限りあるなり神力は 限りとてなく絶対力なる
愈々『伊都能売神こと明主でありけれ』は、『伊都能売神ことメシヤでありけれ』としてその本領を発揮される時が来たのであります。
<伊都能売観音様と代表との因縁>
楳木代表の前世に「藤原泰衡(やすひら)」という人物が神界から示されました。前述の<メシヤ降誕仮祝典>の項の平成28(2016)年7月22日、当出張所の月次祭の御講話の際にお話の合った重大発表の一つです。
何故いきなり代表の前世が示されたかというと、「伊都能売観音様(メシヤ様)と代表との因縁と代表の帰幽の意義」をその時点で暗示されていたのでした。勿論その時点でそんな事が分かろう筈はありません。それが伊都能売大御神様御出世奉祝大祭で明らかになったのでした。
そこで、その藤原泰衡(やすひら)とはどういう人物かというと、東北の平泉の地に、藤原三代(清衡・基衡・秀衡)で戦のない浄土を造った処に、四代目として登場するのですが、源頼朝より匿(かくま)っている義経を打つ様にとの要請に、父秀衡は泰衡、国衡に「義経を大将軍として立て、主君として仕え、中尊寺を守る様に」と遺言します。その際、泰衡は正妻との間の長男でしたが、国衡は側室の子である為、父秀衡は兄弟喧嘩をしないように手を打ちます。国衡には自分の正妻を娶(めと)らせ、国衡と泰衡を親子関係にしてしまえば親子の喧嘩はできないだろう、万一の場合は正妻が止めに入る事も出来るとの思惑でありました。そうしておいて泰衡は、義経の代わりになる首を差し出し、義経を逃し、自分も主従の関係になったからにはとて、共に逃れるのでした。
共に逃れる代償として、泰衡は自分の家来で義経に似た人物を探し出し、身代わりになるように説得し、泰衡が自ら首を切って、義経の首の代わりに差し出したのでした。
義経はメシヤ様の前世ですから、何とか泰衡の汚名を潅(そそ)いで、永遠の生命を与えてやろうとの大愛で、今生に於てメシヤ教の代表として生まれ出で、世界メシヤ教復興を主導する大役の立場を御与えになられたというのです。
それの第一段が「6月15日のメシヤ降誕仮祝典」での天照皇大御神様(火の神様「ゝ」)を世に出され、第二段として「伊都能売大御神様御出世奉祝大祭」によって水に当たる伊都能売大御神様「○」をお出しする事でありました。つまり文治5(1189)年9月3日、泰衡は、贄の柵(にえのさく)で無念の中に命をなくし、漸く平成11(1999)年、810年ぶりに、北海道で伊都能売観音ことメシヤ様に導かれて、無念を晴らされた事になったのでした。それは3000年もの間、観世音菩薩という化佛であられた伊都能売大御神様を世にお出しするのですから、今年の10月26日は代表にとっても晴れ舞台であったでありましょう。
代表は、「メシヤ教に集(つど)った方々に「手柄を立てさせる」とよく仰られていたのは、そういう因縁、背景があっての事で、神様の大愛が反映したものであった事が分かるというのです。
以上長々と代表と義経の関わりを取り上げたのも、今年(平成29年)10月26日の、定山渓の「伊都能売大御神様御出世奉祝大祭」が行われた事とも符節が合い、代表と伊都能売観音様の関わり合いが明確になったのでした。
言葉を換えれば、伊都能売観音様を世にお出しするために義経と泰衡の関係を作っておき、メシヤ様の親類筋の地崎工業の創業者によって伊都能売観音様を北海道にお祀りし、縁ある泰衡こと代表をして伊都能売観音様を本来の伊都能売大御神様として御出世するために、代表は平成11年から毎年この観音様をご参拝されていたのです。つまり「因・縁・果・報」を見事に表されている訳です。
<平成29年12月23日の意義と御神名>
平成29年度は、6月15日にメシヤ降誕仮祝典、10月26日の「伊都能売大御神様御出世奉祝大祭」、そして最後は12月23日の「メシヤ様御降臨祭」が、箱根・熱海で執り行なわれます。
偶々、平成28(2016)年7月22日、当出張所の月次祭に3件の重大発表の一つ、「『ゝ』は今や世界大に大きくなられている」とのお話がありまして、その事に関し『大メシヤの大経綸』には、昭和28年9月23日に、「私のお腹にある光りの玉はだいぶ大きくなってます。どんどん大きくなりつつありますが、これが世界的に大きくなった時がミロクの世です。まだ今のところの大きさはこの会場(日光殿)くらいの大きさですが、これがドンドン大きくなって行きます」という処を提示した時に、「60年以上も経てば地球大にはなる、肚に落ちた」と言われたのです。
その冊子「大メシヤの大経綸」をお渡しし、「昭和29年12月23日に、メシヤ様御在世時最後の祭典となる『明主様御降誕祭』を碧雲荘にて千手観音様を御神体としてお祭りされ、明主様御着座遊ばされ、天津祝詞奏上、御神名不明。」とある処に関して、今度の12月23日のメシヤ様御降臨祭の日にはどういう御神名なのか、去年、平成28年のこの日に、代表がメシヤ様に世界メシヤ教復興を御誓いし、誓詞を捧げられた日であり、この事と大いに関係がある。奏上する御神名も大事であるが、その意義の方が大切、先に意義を考えてからの方が分かり易い」との伝言が、11月2日に取次ぎの方にあったのです。
問題は「この時に何故この御神体だったのか、その意味を考えなくてはならない。伊都能売観音様御出世の時も御奉斎された御神体の意味が分かった上で御神名をお呼び申し上げないと神様としてのお働きが全く発動しない」という内容が、10月19日に既に取次の方の処に伝えられていたのだそうで、「この追加分には千手観音様の由来が悉しく述べられ、その意義を各々が納得してこそ、その御働きが発動されるのだから、どうしても皆の意思統一が出来てこそ本物になって行くのであり、こうやってお迎えさせて頂く事によって私達はこれからの御神業を担わせて頂くために知らなければならない事を一つ一つ神様から教育されている段階で、まだ私達は本来の御神業を担わせて頂ける資格がない状態であると受け止めなければならぬ」というのですから、本当に我々皆が神格を戴くには気が遠くなりそうですが、それでもやり遂げなければならない御神縁を得ているのは確かですから、めげずにやり遂げねばならないでしょう。
<千手観音様御神体の意義>
千手観音様を御奉斎し、仮発会式が執り行なわたその日に裏、表が千手観音像と千手観音という字の絵銭が献上され、千手観音様は一厘の御魂である事が証明されました。一厘の御魂は「ゝ」であり、この「ゝ」の一厘が九分九厘をひっくり返すという事ですから、大変な御働きがある観音様で、桃太郎で、メシヤ様そのもので、絶対に負けない御働きですから、どうしてもこの神様に御出まし頂くしかしようがないのですから、どうしても我々は桃太郎の家来(犬・猿・雉)となって、何処までもお供しなければならない御縁を頂いているのですから、自分で納得のいく御用をさせて頂いてこそ、満足を得て安心立命の境地に至ることが出来るのですから、率先して御用をお願いすることが肝心です。
この昭和10年前後にはメシヤ様は御浄霊による救済、観音講座、観音像の描画、善言讃詞の作成と御神業の基礎の部分を、日の出の勢いで将に千手観音様の御働きそのもので完遂されて、希望にあふれた時期でありました。この千手観音様の意義を我々はしっかりと認識し、どんな御用にもお使い頂ける人間として身魂を磨いていくべきでありましょう。メシヤ様の時代は土台部分でありましたが、愈々本番の時が来ますから、慌てないように気を引き締めて、且つ腹を決めていかなければならないでしょう。
という事は、この日は代表が誓詞を捧げた日でもある事から、ただの御参拝日ではなく、自分たち一人一人が持っている使命を悔いなく果たすためにメシヤ様にお誓いする日なのだと理解して準備をして頂きたいと思いました。つまり一人一人がメシヤ様に誓詞を捧げるつもりで誓う日であり、その日のお誓いで本格的に平成30年3月3日のメシヤ降誕本祝典に繋がり、その後の世界メシヤ教復興の歩みへと繋がって、お使い頂ける様に認めて頂く日という事を、認識させて頂く事が肝要かと思います。これで「観音会、救世教、メシヤ教と継いでくれてありがとう」が完遂される訳で、このお誓いで本格的に昭和と平成が繋がると見ていいのではないでしょうか。
<更に決定的な事を開陳すれば>
御垂示によれば
・人間は平成という時代に身を置いてはいるが、昭和に戻らなくてはならない。
・メシヤ様御在世当時より遥かに科学技術・物質文化は発展し、現在は極みに達しており、
極みに達した時点でないとメシヤ様が仰っていた事を体の体である人間は理解出来なか
った。
・その体的文化が熟した今が「○」であり、メシヤ様の顕して来た霊的活動「ゝ」に相応し
い「○」となった。
・だから人間は平成に身を置きながら昭和に戻らなければならない。
・忘れ物を取りに戻らなくては。
・体的には平成という時代になっているが、○とゝが一つになるのに丁度良い時になるま
で、霊的には止めて待っていた(霊的な流れの全てを止めていたのではなく、全体的に変
化しつつも最後に○とゝが一つになれる様、辻褄が合うようにしていた。
・霊的に向上しなければ、地上天国の住人にはなれない(天国的生活を指して「涅槃とはこ
れだ」と付け加えていました)。
・一番楽な方法で多くの人間を霊籍向上させるには、世界メシヤ教を復興して多くの人々に
地上天国の住人になる資格、人を救う御用をさせる資格を得させなければならない。
・だから、「御用させて頂きたいと思う」ではなく、「世界メシヤ教を復興します!」「(与え
られた仕事を)やります!」と言いなさい(言い切りなさい)。
とここまで神界から言われるという事は、我々も共有しなければならないと思います。というのも神様も63年間待ってたんだと、何度も強調されてたという事ですから、やはり一番大変なのも神様なんだという事です。
この63年間という数字は、前述の<何故、世界メシヤ教復興なのか>に、『メシヤ様の御尊称を明主様の御尊称に戻して頂き度い』と幹部が願い出たのに対し、2か月後に明主様に戻られたのでした、とありますが、メシヤ様は昭和29(1954)年8月11日、
『目下の処メシヤとしての活動を十分に尽くされない感があるから従来通り明主の言葉にて唱える様に』
と決断されてより、平成29(2017)年はちょうど63年で、全く長い間この時を待たれておいでになられた事を強調された訳です。
『目下の処メシヤとしての活動を十分に尽くされない感がある』というのは、取り巻きの方々のメシヤ様の御神格に対する認識の欠乏が、そういう御言葉になったのであって、「我々は最高の扱いはできません」と言うに等しいもので、今度ばかりはそのような事のない様に、との誡(いまし)めの意味での63年という数字を、強調されたものでありましょうし、故に我々一人一人の意識が問われているというのは後がないという事でもあり、そして皆の双肩にかかっているという事でもあるのです。
又、
・神様の御力が形となって現れて頂ける様に、そして一人でも多くの世界の方が、地上天国の
住人になれる様に働かせて頂きたい。
・次の時代の人達にバトンタッチが出来る様に、まずは現在進めなければならない事を遂行
させて頂きたい。
という事を意識するということです。
代表の誓詞の「石坂さんや野沢さんの様には絶対ならない」との堅い宣言は、勿論上に立つ者の立場として当然の事ではありますが、代表の反面教師にもなられるとすれば、それ又功績として評価される時が来ると思います。
将に神界通信の「光とは実際にどういうものなのか、人間や物事にどういった作用を及ぼすのかを知らせなければならなかったとの事」も功績となるのでしょう。我々は幸運にも光りがある中に生かされる事になりましたから、光があるとはこういうものだという事も示させて頂かなくてはならないのだと思います。
それには残された12月23日の御降臨祭、来年、平成30年3月3日の救世主降誕本祝典を一人一人が如何にその意義を理解し、その儀式に順応できる身魂とならなければならないか、着実に一歩一歩進む事が求められているのだと思います。
まさしく、「これに(御神業に)死する処を黙してみてくれよ」を地で行かれた代表の事を思うと「至誠の人」であり、葬儀に飾られた遺影の「真剣なまじめさ」に見入った事が忘れられないのである。
[研鑽資料no.13 学びの骨子 2017(平成29)年11月21日]