太陽神についての学び(平成29年6月)骨子その1

<研鑽資料 骨子>
主神様について-御教え

『・・・独一真神即ち万能の神とも申し、大宇宙の主神で被在(アラセ)らるゝのである。此主神に対しては、之を表現し奉る言辞もなく、文字もなく、唯だ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根元であると申すより外はないのである。・・・』
[宗教と科学  昭和24年1月25日]

『主神として天御中主大神が在り、次で高御産神、神御産神が現れ給うた。之で陰陽善悪が出来たのです。・・・』
[御光話録  昭和23年6月8日]

『・・・主神は体はもたれぬが唯その表現神はある。・・・ 』
[教えの光  大神、神、尊、命に就て 昭和26年5月20日]

『天地創造の神が表現神としてその神の経綸を行なわれる。天地創造のみでは未だいけないからもう一層完全にするために形を代えて表はれられる。それが日本でいふ天之御中主大御神、又支那の天帝、無極といふ。西洋ではエホバ、ユダヤではゴッド、ヂュウス、メシヤ、印度で大自在天などといふ。これが創造神の表現神である。・・・』
[「天地創造神と観音」昭和24年1月27日]

『・・・真に正しい、高位の御神霊は、何神で被在らるるかといふと、それは主の神の表現神で被在らるる天照皇大神様であられるのである。・・・ 此故を以て、主神は、伊都能売神を介して観世音菩薩に、救の力を与え給ふたのである。其格位に対する神律上、或程度より下らせ給ふ事は、不可能であるから、止むを得ず、神界より下位である仏界に、顕現され給ふのである。・・・』
[「鰯の頭も信心とは  大いなる誤りである」昭和10年]

『・・・火素は太陽の精気ですから。熱の本は太陽で、太陽は主神の御神体ですから、主神の熱の御働きが太陽です。まあ夫婦で言へば太陽が男性で月が女性ですね。日と月の両方の精気が放射されて人間は生きてゐる訳です。昼の世界になると火素は又強くなります。然し、火は霊ですが、火素は霊の又霊ですからね、現界に体的にはそんなにはっきりと表れて来ません。・・・』
[御光話録5号  昭和24年3月13日]

 

主神様について-御歌

只一人 吾只一人主の神の 任(よさ)を帯びて世ぞ救ふなる
[地上天国44号(昭和28年1月25日)御生誕祭御詠、道歌]

太陽の 黒点こそは尊くも 主の中心のポチにぞありける
[地上天国51号(昭和28年8月25日)○、道歌]

大宇宙の 魂こそは太陽の 黒点なるを世人(よびと)に教ゆる
[地上天国51号(昭和28. 8年25日)○、道歌]

太陽の 黒点こそは主の神の 尊き御魂と知れよ世の人
[地上天国55号(昭和28年12月25日)○、道歌)

 

メシヤ様について-御教え

『・・・メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神――エホバですね。』
[御垂示録9号  昭和27年5月1日]

『・・・日月地大御神はエホバでありメシヤであり天帝と同じものと考へたらいゝのです。・・・ 』
[御光話録  昭和23年10月28日]

『・・・国常立尊はメシヤであられ、閻魔大王であられる。・・・メシヤといふ神は国常立尊といふ審判の神様で、之は永久的のものでない。或時を限られたお働きで、長い。・・・キリストは救主で、罪の赦し主がメシヤで、日本でいふ国常立尊である。・・・』
[「御講話(速記)」昭和25年8月1日]

『 エホバは最高の神の御名前である。ユダヤでエホバといった。日本では天之御中主大神、支那では天帝、印度では大自在天である。今日のユダヤではメシヤといふ。ゴッドともいふ。つまり天の父の事。キリストは天の父の命により降ったといふ。日本では伊邪諾尊様にもなる。  私の病気を治す力はエホバから来る。エホバから観音様を通して私に来るのである。』
[「エホバ神」年代不明]

『・・・私が言つたりしたりする事は、神様が直接するんですから私が拝む事はない。それから、拝むと言う必要はないんです。私のお腹の中に居られる神様は最高の神様ですから、拝まれるのは当り前ですが、こつちで拝む神様はないんです。みんな下の神様ですから、私の思う儘にやつて居れば、それが最高の神様がやられているんですから、そこで私は、神憑り的な――私が御神体に向つて礼拝しないと言うのは、そう言う意味なんです。・・・』
[御教え集9号  昭和27年4月5日]

『・・・観音は化仏といって化身である。光明如来も化仏である。化身では絶対力が出ない。世の変り目に絶対力を揮はなくてはならぬ。二月四日からそういふ事になる。そして、観音様はメシヤのお働きになる。メシヤ観音の御姿は廿年以前お描(カ)きになった。今やっと表はれたのである。メシヤは救世主といふ事で、キリストもメシヤも同じである。ヘブライ語である。・・・』
[「これからの本教(廿五年救世教開教)」昭和25年]

『・・・絶対神の表はれとして日本では国常立尊となる。霊界で閻魔大王となられる。(善悪をはっきり決められる)善に徳を与えられ、悪を許さぬ。仏界へ表はれて観世音となられる。そして善悪無差別に慈悲を垂れて救はれる。支那の天帝、無極、ユダヤでメシヤ、ヨーロッパのヂュウス、ゴッド、キリストのエホバであらせられる。』
[「観世音は絶対神なりや」昭和23年11月17日]

 

天照皇大御神様について-御教え

『・・・天地の根本の神様の概略を知らせる(図1)。

(図1)

(図1-2)

此地球を統治する中心が何かと言うと、図の如き地軸又は地柱と言う。此の神様の事を天照大神と申上げる。此の神様が本当の統治権を持たれて居られたのである。つまり人としてお産れになったのでお姿があるのである(図2)。

(図2)

伊弉諾、伊弉册、御両神様が肉体を持って御現れになり、生殖作用をなされ、右の御三神をお産みになったのである。天照皇大神様は日本に生れられ、素盞嗚尊は朝鮮の祖(後ユダヤ方面迄も御出になられた)盤古神王は支那の祖となられたのである。支那では盤古氏が一番位が高いとなっているのも此の為である。是が天地経綸をなす根本なのである。是れにより日本、朝鮮、支那は兄弟であるということが判る。朝鮮・満洲が日本の手に入ったのも是れによる事である(図3)。

(図3)

世界御統治の為に、天照皇大神は別な神になられるのは前述の通りな訳であります。それでは何の様な神様と御成り遊ばすかと言うと、前記系図の如く国常立尊及び伊都能売大神となられるのであります。

古事記の眼目は岩戸開きであります。神代時代に天照皇大神は岩戸隠れをなされたのであります。天照大神様が岩戸隠れ遊ばされた為に、今迄代々天皇陛下が御稜威を犯され遊ばされて御苦労遊ばされたのであります。此の岩戸隠れの時国常立尊は艮の鬼門へ御隠退遊ばされて居られたので、一方又幽界に入られては閻魔大王となられたのである。

天照大神様が御隠退遊ばされたことも一方に於ては天地経綸上色々の意味のあった事は申す迄もない事である。

世界を大別すると左の如くなる(図4)

(図4)

国常立尊及素盞嗚尊がこの地上を治められたが、国常立尊の御経綸は非常に厳格の為に、一般の神々が反対して御隠退なされ、艮の金神と申されたのである。又素盞嗚尊が地上を治められた事もあったが、世が乱れてうまく治まらぬ為、根の堅洲国に居られます母神様の御許に行く決心を以て、一度天に座(マシ)ます姉神様たる天照大神様に御面会して行かんと天に登られたのであるが、余り勢よく御登りになったので山河動揺し、天照大神様は之を御覧になり、是は素盞嗚尊が謀叛なされ、御自分を征めに来るものと思召され、軍備をなされてお待ちになったのである。処が素盞嗚尊が、其の様な心はないと御弁解なされて御誓約をなされたのである。・・・』
[観音講座 第一講座  主神の御目的と天地経綸の真相(抜粋) 昭和10年7月15日]

『・・・も一つは天照大神様が観音様に化身される事で、此点はっきりしないと万一不敬に渉る事があってはならぬ。
天照大神、之は主神で全大宇宙は天の御中主の神の御神体で、之は漠然として掴み所がない。それと高御産霊神、神御産霊神で、之を造化の三神といふ事にしてあります。もっと違ふ説もありますが、之が一番根拠ある説で、高御産霊神は霊系の祖、凡ゆる森羅万象の霊を司られる。物質界即ち体の方は全部神御産霊の神で、此三性の個性を持っておられないから拝む事は出来ない。すべての中心として主神は天照皇大神様を表現神とする。要するに統一する中心の神様として御顕現遊ばされたのであります。でありますから、天照大神は人体をもって一度表れ給ふた方、之が主の神様で、一切の中心主でゐらせられる。』
[「御講話」  昭和10年7月1日]

『今日迄、観世音菩薩のみは、全く御秘仏とされて、御本体は誰も識らなかったといふ事は、寔に不思議な訳である。随而、多くの仏者は、菩薩の名に迷って、阿弥陀如来や、釈迦如来よりも、下位と思ひ、中には又、阿弥陀が本体であって、観音は阿弥陀の化身などと、途方もない解釈をなし、又、釈迦の脇立であるとさえ説くに到っては、沙汰の限りである。然らば、観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は、畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神仏で被在(アラセ) らるるのである。
天照皇大御神は、主神の表現神で被在られ最尊最貴の御神格を具し給ひ、一あって二無き大神で被在られ、・・・天地経綸上、国津神たる国常立尊に審判の権を与へ給ひ、同尊は幽界の主宰神として、閻魔大王となられたのである。又一方、伊都能売之大神に対し、救世の力を与え給ひしに由り、爰に、同神は観世音菩薩と化現され、絶対の慈悲を以て、一切衆生を救はせ給ふ本願を立てられ、今日に至ったものである、其事を、今一層判り易く申せば、如何に世を救はんとなし給ふと雖も、天照皇大神としては、御神格上、直接、人類を救はせ給ふ事は不可能であらせられるのである、・・・それが為、仏菩薩といふ下位に墜ちられ、如何なる卑下階級と雖も無差別的に救ひを施させ給ふのである。 ・・・』
[「大光明世界の建設  観世音菩薩の御本体」観運  昭和10年9月15日]

『・・・正しき信仰は、主の神が中心である。主の神は太陽神たる天照大神であるから、絶えず太陽の光明に照らされるのである。・・・』
[「霊と血と正しき信仰」医書  昭和11年4月13日]

『・・・天国に於ける一段階に一主宰神あり、第一天国は太陽神である天照大御神であり、第二天国は月神である月読尊及神素盞嗚尊であり、第三天国は稚姫君尊(ワカヒメギミノミコト)である。又仏界は神界より一段低位で最高が第二天国に相応し、第一天国はない。第二天国は光明如来(観世音菩薩)第三天国は阿彌陀如来及び釈迦牟尼仏である。・・・』
[「霊界の構成」天  昭和22年2月5日]

『・・・伝説によれば国常立命は非常に厳格な神様で、そのためその支配にやり切れず八百万の神々が一致して御引退を願った。結局輿論に抗し兼て御引退になったといふ事になってますがね。・・・艮に引退せられ北海道の芦別山に押し込められた。之は本当でせう。之が節分の日で、一般の者はそれから豆を煎って之をぶつける様になったんです。神々は此の煎豆に花が咲いたら出て来てもいゝといふことを言って節分の行事をしたんです。・・・国常立命は霊界で閻魔大王になられた。之は非常に苛しい善悪審判の役目ですね。然し厳格一方のやり方では可哀相なので、命は現界で観音様になられた。之は私の解釈です。だから観音様は善悪無差別で慈悲を以て救はれるんです。絶対の慈悲ですね。そういふ訳と思って大差ない。天照皇大神と観音様とは全然違ふ。天照皇大神は太陽を表現してゐるんです。・・・天照皇大神は太陽神で、仏界では大日如来です。仏とは全部神様が化けたもんですから。こゝにいろいろと神秘があります。国常立命は神の中の頭梁で引退と同時に家来の神々も引退した。そのあとは邪神が支配することになり、天若彦命がその総大将です。天のじゃくとは之で、天の邪鬼のことですね。人類が邪神に苦しめられるから、一方でその害を防ぐため、国常立命や正神界の神々――正神の中には邪神の方についた神もある――が、出られる時になったんです。・・・』
[御光話録  昭和23年5月8日]

 

天照皇大御神様について-御講話

―「天照皇大神と伊都能売大神の御経綸に就て――伊都能売大神に就きましては古事記にも出て居りませんが――」
―『伊都能売大神の事は昔は言へなかった。いゝ加減にボカしてあったんです。天照皇大神は太陽神で、位は上だが御働きは限られる。伊都能売大神は火と水で、仏界では観音様になる。之に土の御働きが加はって弥勒になるのです。天照皇大神は一つの力であり、伊都能売大神は二つ、弥勒大神は三つの御力となり、之が三位一体で完全になる。』
[御光話録  昭和23年5月18日]

―「天照大神様は女神で御座いますか。伊都能売之神様との霊的関係を御教説願い上げます。」
―『大変神秘がある。例えていえば、天照大神の父親といふ意味になる。夫神がある筈で、天照天皇と申し上ぐる。歴史にあるが隠してしまった。(発表にはちょっと時期が早い。観音様とも縁がある)』『天照大神――天皇は太陽神で、大神宮では天照大女神である。そして天照天皇は日になる。天照大女神は月になる。故に観音様と関係がある。これ等は未だいえぬ。』
[昭和23年7月]

 

天照皇大御神様について-御歌

綾(あや)に畏(かしこ)き 皇神(すめかみ)は 患に悩む 民草(たみくさ)を いたはり給(たま)ひ 神光(みひかり)(みひかり)を 恵(めぐ)ませ安(やす)きに 救(すく)はんと 五六七(みろく)の神(かみ)を 天(あ)降(も)らせぬ アヽ有難し 有難し
[岡田茂吉全集(未発表)、神の光(二)、道歌昭和11年]

 

日月地大御神・五六七大御神様について-御教え

『・・・日月地大御神はエホバでありメシヤであり天帝と同じものと考へたらいゝのです。・・・ 』
[御光話録[昭和23年10月28日]

『・・・日月地大御神は、主神の代りとか、代表神で、最高の位であり、五六七の力を持たれている。キリスト教のエホバ、支那の天帝とかである。』
[「五六七大御神は代表神」昭和24年8月18日]

『五六七大神と観音様は同じものである。光明如来、応身弥勒となり、最後に五六七大神となられる。』
[「五六七大御神と観音様 昭和23年6月27日]

 

日月地大御神・五六七大御神様について-御講話

―「御書体の御神体大光明如来様に向って御礼拝の場合も、日月地大御神守り給えと拝むべき?」
―『祝詞の通りである。大光明如来も日月地大御神も同じである。光は火、明は水で、大光明如来では土の働きがない。日月地(ミロク)は土の働きが入る。光明は逆にいって「日月の光」でもある。土が加はらなくてはならぬ。人間が拝む、そして人間の身体へ光明が入ると、三位一体の力が出る。今は光明如来のお働きである。二十五年から先になると、日月地(ミロク)のお働きになり、如意宝珠の働きになり、絶対力を発揮出来る。』
[「大光明如来と日月地大御神(光明の意義)」年代不明]

―『・・・ミロク神は、霊体両方を司る――といふので、天之御中主大神の直系である。国常立尊、豊雲野尊は傍系になる。故に、天の直系とは主神の表現神で、絶対力をもつ神といふ事になる。それが仏界へ表はれたのが観世音菩薩である。それで光明如来と現じ、応身弥勒と化し――とあるが、応身弥勒は未だ仏で、本当の意味ではない。それから、日月地大御神様となる。そして火水土三位一体の力を発揮せらるるのが、ミロクのお働きである。阿弥陀が水、釈迦が土の働きで、観音は日であるが、次に一層進んで、三位一体の五六七(ミロク)の御働きとなる。故に、観音は阿弥陀や釈迦の働きを備えられる。・・・』
[「五六七大御神」年代不明]

―「光明如来と日月地大神の相違に就て御教へ願ひたいのですが。」
―『結局同じもんですがね。つまり最高の地位になられた場合「日月地(ミロク)」です。「日月地」は大神で神の位です。これで五六七となって御働きが完全になる。光明如来の方は火と水です。観音様は火水土ですが、土が少しなんです。何故土が少いかと云ふと、之は私が出てから加はったからです。観音様は慈悲の御働きで善悪無差別、一切衆生凡てを救ふ御働きであって、あいつは悪いとか、こいつはどうとか云ふのは観音様ではない。観音様の御本体は国常立命で、北海道の芦別山におしこめられてから霊界で閻魔大王となり審判のお働きをされる。従って頗る苛しいんです。所がそれだけでは人間がやり切れぬから慈悲の神として現れたのが観音様であり、神や如来の地位では高すぎて衆生済度が出来ないから菩薩の位に下がられたんです。それが一段上ったのが光明如来です。今迄は観音様を拝んでも御利益はあったが弱かったんです。・・・そこへ土が加わると力が強くなる。土とは人体です。それが光明如来になると火と水=光が強くなる。今度離して御浄めする様になったのは、光明如来の御働きで、くっつけてしてゐたのは観音様の御働きです。そして土の力が完全に強くなられたのが「日月地」です。』
[御光話録  昭和23年3月28日)]

 

[研鑽資料No.2 太陽神についての学び(平成29年6月)骨子その1 2017(平成29)年6月4日]

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