<メシヤ様対談記・27>
メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。
明主様(メシヤ様)
新聞関係人に御面会賜る
(メシヤ会館に於て)
(栄光二百八十四号 昭和29年11月24日)
明主様(メシヤ様)には、六月十五日以来、信者は勿論、一般人の御面会も一切御取止め遊ばされておられましたが、新聞社関係より、御面会戴きたいとの再々の申込あった為に、十一月九日メシヤ会館(向って左側御廊下)に於て御引見賜わる事となった。
明主様(メシヤ様)には、御奥様御同伴、阿部執事随行されて、午後一時半頃御着き遊ばされ、御着座の後、大草管長より御挨拶あって、御引見となった。
只今のところは長時間の御引見は御許しなく、約五分程にて御退座遊ばされたが、その折賜わった御言葉を左(下記)にお伝えさせて戴く。
新聞人 私達、お会いしてお話を伺いたいと思っておりましたのですが、如何でしょう、今の日本について、何かお話はございませんか。
明主様(メシヤ様) 沢山ありますが、今は、中途半端ですから、いずれもう少したったら、ゆっくりと話します。
新聞人 「アメリカを救う」ですか、アメリカを救済するという事についての御構想を承りたいのですが。
明主様(メシヤ様) 一言いっておきますが、全部メシヤ教信者になれば、アメリカは救われますよ。
新聞人 全部がメシヤ教信者にならなければならないんですね・・・・・・そういう訳ですね。
≪「世界救世(きゅうせい)教」の内紛、分裂の真相を基に改革を≫の続き(指導者向け解説)
神界の秘儀を明らかにして激変
メシヤ教代表 楳木和麿
情報公開により水晶世界へ
前回の末尾で、「つまりは『水晶世界』に近付いているばかりではなく、その素晴らしさを社会情勢が見せつけているのです。本来宗教が善導すべきですが、人類の英知が自然な形で求めているということです。このことを宗教の世界にいる者は、しっかりと自覚せねばなりません。」と述べましたが、教団(世界救世教)を取り巻く情勢でも、教団裏面史の情報公開が進んでいることを実感いたします。
今年の「地上天国祭」で神界の秘儀を明らかにさせていただいてから、心ある方々と更なる出会いが許されて、広範に亘って、しかも深奥なる情報が入手されています。メシヤ様の御導きを賜ってのことであり、感謝申し上げずにはおれないと共に、そうであるからこそ、その内容は慎重に取り扱ってゆかねばならないと受け止めています。
また、その内容は教団裏面史であり、当然のことながら非常に深刻な内容です。それだけに「教団や信者のためには知らせない方が良い」という意見もあろうかと思いますが、そのように考慮する時期はとっくに過ぎている、と判断せねばならないと思われます。信者に対して嘘の上塗りを重ねてきたために二進も三進もゆかなくなっている現状を捉えた時に、全ての情報を共有して解決に向かわねばならないのです。
私が今回入手した情報と同じ「真相」を知る者は、その顛末(てんまつ)を明らかにせねばならず、そうしたことを躊躇(ためら)うならば、知っているが故に重い罪を背負って霊界に赴かなければならないことを自覚せねばなりません。
今回知り得た内容には、「世界救世(メシヤ)教」の開教は寸前まで絶望視されていた、というものがあります。開教に対して反対者があったためにです。「世界救世(メシヤ)教」復興運動を進めている身としては、「尚も知らないことがあったのか」という衝撃的な事実を耳目にしたのでした。
しかも、薄氷を踏むような思いで開教できたのも束の間、ご承知のように御法難に見舞われましたが、その具体的かつ詳細な経緯(いきさつ)が含まれているのです。私がその真因の概要を知ったのは今から26年前の、丁度この時期でした。教団紛争の遠因としての「御法難の真因」を聞かされたのでした。衝撃的なことでしたが、今回は当時の教団経理担当であった先達の説明が含まれており、その文章を目にした時に戦慄が走りました。
掻い摘んでお話しますと、メシヤ様の取り調べの後渋井総斎氏の取り調べが開始されると、御法難の責任を渋井氏お一人に負わせ、開教反対者グループによって体制づくりが行なわれました。その過程で五六七会自体も解体させられ、当時の教団財政の大半を担っていた渋井氏の下部組織を反対者グループの配下に全て入れてしまったのです。大黒様の奉斎が廃止されたのもこの時でした。このことも初めて知ることでした。
その専横の動きを見ると、メシヤ様の御神格に対する認識があったとはとても思えません。また、大黒様の奉斎を廃止したことについては、信者の幸福を願う心も希薄であったと断ぜざるを得ません。
こうした過去があるために、昭和58年に教団紛争の火種となったクーデター的政変が起きた時に、「御法難と逆の構図だ」と教えられたのですが、先ほど述べたようなことを検証してみると、この構図は必ずしも適確ではありません。何故なら、五六七会直系と言われる先達の中には、渋井氏を守ることすらせずに専横グループ内に納まってしまい、しかも政変の首謀者であることが判明したのです。これが最も驚愕すべきことでした。
重要なことは、昭和57年に執り行われた「教祖御生誕百年祭」奉祝が箱モノの祝賀に終わり、メシヤ様の御神格を明確に再認識させていただき、全人類を可能な限り救う再出発の式典にでき得なかったことです。つまり、形(活動と建設)に囚われ、想念の高まりを欠いたために、上層部は≪「世界救世(きゅうせい)教」内紛、分裂の真相を基に改革を≫で記述したようなことを繰り返したのです。それがそのまま現在まで続いているために、紛争の終結が頓挫していることを知らねばなりません。
役員会による教団専横化
こうしたことを情報に基づいて更に検証してゆきますと、御守の印刷に踏み切ったことにまで辿り着きます。
私は、「信仰読本」に下記のように記述しています。
「昭和二十九年四月十九日、明主様(メシヤ様)は浄化のため、お文字をお書きいただけなくなりました。その後役員会で当時理事長であった木原義彦先生は、お文字を印刷して、ご神前でお願いし、御守として下付しようと発言され了承されました。しばらくして明主様(メシヤ様)から『御守りはどうしているか』とのお言葉があり、側近の阿部執事が「木原さんがこのように申しましたので、このようにさせていただいております」というふうに申し上げたところ、『ああ、それで良かった。それでいいんだ。本当は御守りはなくてもいいんだけどな。入会者の氏名、年齢、職業を私に報告するだけでよい』との言葉があったのです。」
以前にも触れました通り、「役員会で議決する前に、何故メシヤ様へ直にお伺いしなかったのか」という疑問です。今の今まで、疑問であったのが今回の情報で瞬時に氷解したのです。
一言で言い表わすならば、「役員会がメシヤ様を道具のように扱い、教団を専横化していた」ということです。現にそのような発言をしている先達の姿を証言している文章も残されているのです。
「信仰読本」に引用した文章にジックリ目を通していただければ、ご理解いただけることでしょう。救いの御力を授かる根源的な存在であるが故に、御自ら御揮毫になられたメシヤ様の御心を慮(おもんばか)れば、役員会でこのような発言ができるはずがありませんし、また了承するはずがありません。この一事が全てを物語っています。
ただしかし、ここで私は“個人攻撃をするためにこのような記述をしている訳ではない”ことを明記しておかねばなりません。そのため先達の個人名を挙げて論究しません。どのような形であれ、教団の礎を築く一端を担った人々である訳ですし、ご遺族もいらっしゃいます。
起きた事象を感情論ではなく冷静に見つめて検証を行なっておかなければ、本来の御神業に結びついてゆきません。開教への反対行動、権力奪取のために当局へ密告するという蛮行、責任を一人に押し付け人の地盤を横取りする専横行為、そのどれもは、不完全な人格が為(な)すものでもあります。
「自分のみが正しい」という思い上がりを持つ先達がいた、ということを意味していますし、誰かを悪人に仕立ててゆかねば、自らの存在価値を見い出せない、という幼児性から脱却できなかった先達がいた、ということを意味しています。そこには、余りにも掛け離れた奇蹟を許されるために、力のない宗教が積み上げてきた学習を見習わず、真理を手にしているのにもかかわらず自己変革を怠るきらいがあるのです。
そうしたことを考えた時に、メシヤ様が戒めのように垂れている御論文は、教団指導者に対して御記述されていると拝することができるのです。そういう捉え方を認識するために教団裏面史を取り上げているのです。
そして、どこまでも、「メシヤ様の御神格を明確に認識する人間を増やさないための働きが幾重にもあった」ということの自覚を希求しているのです。その上で、個々人がメシヤ様に直に太く繋がる想念を持たれて、大御光に包まれ、御守護の生活を送っていただきたいことを願っているのです。
正に伊都能売神皇の御姿勢
こうした教団としての恥部を口にすると、「神の御存在であるメシヤ様が何故そうしたことを見抜けなかったのか」というご意見が決まって出てきます。また、御法難で再三陥った脳貧血の後遺症とも言える症状で本来の御寿命を全うできなかった、という話にも、「神様が何故それを阻止できなかったのですか」という声も聞かれます。更には、井上茂登吉氏の家で極秘裏に行われた御経綸上の御神務に対しても、「何故本部内でお出来にならなかったのですか」というご意見が出ます。
そうした話は、どれもがご尤(もっと)もな話であります。我々を救ってくださるほどの御力を有する御存在が何故・・・・・?と考えるのは、人として当然でもあります。神の座にある御存在について論ずることはできませんが、こうした話が出る度に、私は『伊都能売神皇が三千年前に皇位を譲られてインドへ降られた』ことに思いを馳せます。
その事実をメシヤ様から教えられたから、本地垂迹説の真意も知り、何故日本に仏教が定着したのか、ということも理解できました。観音信仰の歴史が何故あるのかも理解できました。浅学の身なれども、御教え拝読により一歩ずつ真理に近づいてくることができたのです。
メシヤ様の歩まれた御姿こそ、伊都能売神皇の足跡に類似するものです。伊都能売神皇に同行したのは二十八部衆のみでしたが、後年、仏教に形を変えての恩恵を日本人全体が受けるのです。
しかし、私は即座にメシヤ様の恩恵を受ける人々を増やしたいのです。そうしたことを考えていただきたいために、「メシヤ講座・三重(平成22年11月分)」から二項目引用いたします。
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〇メシヤ様を意識している人を想えば霊線を通じて光が流れる
それなら大統領に御守りをかけさせると良いとお話されているので「御守りは必要ではないか」と言われる人もおりますが、要は全人類がメシヤ様という救世主を待ち望んでいて、待ち望んではいるのですけども、救世主という御存在の実態をわかっていない、ということがあります。
ですからメシヤ様という御存在がどういう御存在なのかということがわかれば、霊線によって光が繋がってくるわけですから、そうすると光が流れてきて、今度はいつもメシヤ様のことを意識している人のことを想ったらそこへ霊線が通じて光が流れてくるという事になります。そうするとメシヤ様の御存在は何かと言うと、この「〇」に「・」つまり『ス』という形ですので。
もう少し具体的に説明しますと、メシヤ様の腹中の光の玉に『ミクラタナの神様』が宿ったという、そういう形が「〇」に「・」の『ス』という形です。ですから、メシヤ様の御存在そのものがこの「〇」に「・」の『ス』ということであります。このことがわかりさえすれば、存分に光がくるので、わざわざ大統領に御守りをかけなくても認識さえ改めて頂ければ良いという事ですので、我々はこういう方々にメシヤ様の御存在を認識して頂けるところまで御神業を進めて行きたい、と、そういう気持ちを今回この御対談を拝読させて頂きながら強く思わせて頂きました。
〇メシヤ様の御性格について
ぜひ今回のメシヤ講座・特選集の「伊都能売観音様記念式典」での
≪「伊都能売観音様」入仏記念式典・挨拶(「メシヤ講座・特選集no.117(平成22年10月分)」)≫
を自分の中に取り込んで考えてみてください。
我々の信仰対象というのは、メシヤ様であるしメシヤ様の御本体というのは伊都能売神皇、それから天照天皇、こういう御系統ですので、その御存在というのは時によっては世の中を治めていくという御姿勢と絶対平和主義ということですね。間違ったことには間違っているとキチンと言うけれども、人と争っていくという、そういう御性格は一切ないのでね。ですからメシヤ様ご自身のお姿を見ていくと、『私というもの』という御教えに終結しているわけです。
あれだけの信者のトップにおられた方でも、朝起きると家族の者の御機嫌はどうか、ということを気になされてね、それくらい家族とか周囲の者に気を使われて『一人でも御機嫌が悪いと私も気持ちが悪い。』のであるという御性格であられたのです。
そのメシヤ様を信仰の中心に置いている自分が、そこへ近づいていかないといけないわけです。家で喧嘩するとかいうことはその信仰じゃないのです。ですから、〇〇さんが機嫌が悪いと自分も気持ちが悪い、そうしたらそこへ光を頂いて改善していく、というのが本来の信仰なのだということです。とにかく、売り言葉に買い言葉をするから喧嘩になるわけです。売り言葉を受けても、それを光によって浄めて行く位の想念を持っておかないと信仰者とは言えないわけです。正しいことを言っておいたら相手がまたそれに対して攻撃してきても、もうそれには一切返事しない。そういう姿勢を家庭の中に置いておかないと、家の中は喧嘩だらけになっちゃうからね。『私というもの』という御論文を通して、その様な姿勢をどうか自分の中に身につけていって頂きたいと思います。
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こうした組み立てができていませんと、先ほども述べたように、高い御存在に繋がったために道を踏み外すことになりかねません。
人格を磨き学習を重ねるることを怠ると問題を発せさせる
それはどういう訳かということを考える際に、参考にしていただきたい内容を「メシヤ講座・浜松」から引用いたします。
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そして、印刷の資料3ページの真ん中辺りに『世界の正義を守るというのに一種の威力が出るのです。つまり大統領の意志が思うようになるべく霊的力を与えるわけです。』と、こう書かれています。
私達がね、例えば、皆さんに高町や鴨江で私が皆さんに一番言ったことは、「メシヤ様と繋がって浄霊ができるようになった人というのはその辺の霊能者よりもすごい力を発揮するようになるのだ」ということです。だからご参拝をするときの、天津祝詞や善言讃詞を奏上するときの、「そのときの想念が非常に大事だ」という話を繰り返してしたと思います。結局メシヤ様と繋がっても日常生活は乱暴な言葉を使ったり、近所の人に配慮をしなかったり、そういうような生活をしていると悪影響がより出てくるので、メシヤ様に繋がる人ほど心言行により気をつけていかなくてはいけないという事をよく話をしたと思いますが、それがこういうことです。一種の威力が出てくるからです。
何故なら、浄霊は『霊の行使』です。だから、浄霊を取り次ぐということは霊の行使が出来るようになる、という意味合いもあります。そうすると、「我々の心言行というのは、非常に影響力を及ぼすようになるので、気をつけていただきたい」という事を、繰り返しお話したのです。それはこういうメシヤ様のお言葉に沿ってお話したということですね。
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以前霊能力者の努めるべき三原則をお話したことがありますが、『体験を積み重ねる』ということは業務上なすことができるのですが、『人格を磨く』『学習を重ねる』を怠ると、問題を発生させてしまいます。
根源的視点で直にメシヤ様に繋がってゆくことこそ肝要
こうしたことを述べつつもう一度整理しておかねばならないことは、昭和25年6月15日に執り行われた神界の秘儀は、本来「本」も「仮」も付かないない、「メシヤ降誕祝典」として教団全体で執り行わねばならなかったことと拝察できるのです。しかし、実際には御法難が勃発したために、メシヤ様御一方のみで執り行わざるを得なかったのです。そのため、メシヤ様御自身『法難手記』で触れられたような御表現を用いらざるを得なかった と拝察されます。
それでは何故、「世界救世(メシヤ)教」開教に対する反対者がいたかということです。これは、『夜の時代』の精神の癖の一つである覇権主義から抜け切れずに、“天上の王権のシンボル(「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会(2010年10月)」 御神名について(8) 参照)を手中にしたい”という動きが生じてしまった、そして、それは厳正な国常立尊様の御性格と勘違いして捉えられて、独善的行動となり、それを正当化するために悪人を仕立てて追及する姿勢に出てしまったのではないかと思われます。
これが、『みくらたな』の神様という御存在に対し奉る姿勢の浅薄さを露呈しています。これでは既成宗教の域を出ることができず、今も続いている教団紛争は、更に世俗化してしまっています。
「世界救世(メシヤ)教」開教に対する反対者グループは全ての責任を渋井総斎氏に負わせ、五六七会を解体し、反対者グループの配下に全ての支部、教会を納めるという教団専横化に出ました。その行為は、「6億円疑惑」をでっち上げ一人の代表者に責任を負わせたことと共通しているものがあります。何故なら、首謀者は昭和58年にクーデター的行為に出るも失敗したために、翌年「6億円疑惑」をでっち上げて混乱に陥れたからです。
現在まで紛争が続いて多くの人々の心を痛めている原因は、御神意に沿わないからであることは明白です。
冒頭述べましたように、今年の「地上天国祭」を期して奥深い情報が寄せられるようになった理由は、『根源的なことに目覚めよ』という御神意であると受け止めています。
今こそ、メシヤ様の御存在に対する認識を新たにして、直にメシヤ様に繋がってゆかねばならない時です。どうか気付いた人から働き掛けをして、魂を揺り動かして差し上げてください。
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