<メシヤ様対談記・16>
メシヤ様が教団内外の人々との間で執り行われた対談内容は、私達の御神業推進の方向を再確認させていただけるものです。数多くの対談記中から、「世界救世(メシヤ)教」開教後になされた内容を順次掲載いたします。
実談・虚談 神がかりな話
日置昌一氏との対談の続き(後半)
(栄百八十六号 昭和27年12月25日)
天皇制で悩まされる
明主様(メシヤ様) そこで小間物屋を止めちゃって、神様の方をやった。それよりちょっと前から、私がやると病気がよく治る。私自身も自分でやっても、具合がいいし、これで食うだけは食えるという自信が出来た。食うだけは収入があったわけだ。そんなわけで大本教に入ったのだが、まあ、非常に重要な地位につかされて、出口王仁三郎さんから特別扱いされた。だんだんやっているうちに、どうも大本教にはいいところもあるが、欠陥もあると気づいた。欠陥というのは、あの人の個人的な行為になんかというと不敬にわたることがある。こりゃいづれは必ずやられると思った。ちょうど私が大本教から脱退した翌年、大本教事件が起った。で、私はつかまらずに済んだわけだ。それからそのころは岡田式指圧療法というのをやってた。
日置氏 “生長の家”の谷口雅春さんも大本教にいたんじゃないですか。
明主様(メシヤ様) 一緒でした。あの人は、わたしより上の役をしていた。わたしは平信者で谷口さんのところへ訪ねて行って話を聞いたことがあった。ところが、あの人はインテリ型で、つまり大本教とはソリが合わない。大本教は古い神道だからね。
日置氏 戦争中はずいぶん苦労されたでしょう。
明主様(メシヤ様) 戦争中も苦労したが、宗教法人になるまで、これには苦労したよ。官憲に誤解されたのは根本は天皇制で、ともすれば、官憲は信者に向って『君の方の教祖は、教祖と天皇とどっちが有難いといったか』なんてやらかす。ですから拝むもとは生きた人間ではいけない。死んだものならいいわけだ。天理教も教祖が生きている時はやっぱり圧迫された。死んでしまえば、もういいのだ。ちょうど昔、徳川時代に偉い人が出ると、当局は恐れてだましちゃう、あの思想だね。
日置氏 敗戦で解放されたものは、国民ばかりでなく、メシヤ教が一番というわけですね。
明主様(メシヤ様) そう、前のようだったら、とてもだめだ。
宿命と運命は別もの
日置氏 教祖さんは、運命ということをどうお考えですか。
明主様(メシヤ様) 人間には、宿命と運命と両方ある。よくこれを一緒にするが、これは大変違う。宿命はもう動かすことはできない。運命というのは宿命の中に運命という一つのワクがあるんだね。運命の方は下にいても上へ上ることもある、上にいても下に下ることもある。運がよくなることは出来る。つまり自分の与えられた最高に行くわけだ。しかし宿命というのはそうでない、天皇陛下の次に皇太子が出来る。これは宿命だ。それから人間で一番悪いのは、あせりだ、あせるから無理をする。一番心得べきことだ。大事なことは急所を発見する能力だ。いかなるものでも、どっかに急所が一つある。今の政治家など急所を知らない、だから、余計なことをしてしまう。
日置氏 鳩山さんに一度聞かせなければ。(笑声)もう遅いけれど。
明主様(メシヤ様) 鳩山さんが韮山から出てきて自由党でまごまごしている時に、少しあせりすぎた。あれでかえって、あの人の価値を下げたよ。それから広川弘禅もあせった。
私は不幸を免れた
日置氏 私なども、幾度かいろんなことに遭遇してきたが、やはり自分は不幸にはならぬという自信をもっておった。だから、いつも最後の場合には、それを切抜けている。面白いのは大正十二年の夏、私は本所の大石という当時の東京府会議長の家に下宿していたが、八月の三十一日になったら、その家がなんだかいやになってしまって、ひまをもらいたいといったところ、ちょうど九月五日が府会議員の選挙で、今忙しいから、だめだと断わられた、しかしどうでもいやになって、その晩家出して岐阜の家へ行った。ところが、その次の日が大地震で、そこの家にいた十七人中、生きているのはボクー人だけだ。
明主様(メシヤ様) そこに霊的の意味がある。つまり一人一人の人間に守護神――外国では守護霊というが――それが、ついていて助ける。
日置氏 もう一つは、昭和十九年の五月二十三日に豊橋の百六十部隊の工兵隊へ入るよう召集が来た。困ってしまったがいまさら隣近所に派手に送られるのは阿呆らしいし、こっそり一人で家を出て二十五日に豊橋駅前の宿屋へ行って、御飯を食べるときに、もって来てくれた静岡日報をひょっとみると、二十年ほど前に下谷での下宿で、隣の部屋に陸軍大学に行っている中西という人がおった。この人とは昔からとても懇意で、しまいには兄弟みたいにしていた。それがその静岡日報に偶然その人が、前日にシナの某地の部隊長からぼくの入る部隊長になって、いま宮中に参内して豊橋へ着いたという記事が出ている。驚いてぼくは、急いで電話をかけた。彼は出てくるなり「本当に日置か、オレは貴様に会いたかった」と言って、「すぐ行くからそこを動くな」と電話を切るや、ほどなく自動車でやって来た。そして靴のまま上って来て、ぼくを抱いてポロポロ泣いている。いろいろ話しているうち「実は召集が来て、しかもお前の部隊へ二等兵で入るのだ」と話したところ、「それは困るな。しかし、まあ今晩はうれしいから大いに飲み且つ食おう」というわけ。翌日は彼は一日休んで一緒に渥美半島を一回り回って帰ってみたら、表に馬が一頭つないである、応接間へ行くと軍医少佐が来ていた。部隊長の彼は、ぼくのことを軍医少佐に「上官としていうのでないが、自分の親しい友人でワシの部隊に入ることになっているが、ちょっと身体の具合が悪そうだから事前によく調べろ。この男はぼくの部隊へ入っては非常にぼくが迷惑するということだけ言っておく」といって帰った。翌朝迎えの自動車が来て軍医の部屋へ連れて行かれたが、軍医は看護兵にそれぞれ用をいいつけて外へ出してしまい、私を診断して両肺浸潤、再起不能で兵役免除と判をおした。そして閣下の方は、自分からお知らせするからという。そんなことで、ぼくは、さっさと東京へ帰ってしまった。その部隊が、全員硫黄島で三、四ヵ月のちには玉砕です。
明主様(メシヤ様) だから助けるべき霊がついている。理屈では説明できないね。
日置氏 こういうことはあまり信じないが、ぼくが璽光尊にはじめて会った時、「あんたには面白い人がついている、顔にホクロがあり肥って髪の毛が半白で六十前後の人だ」と言う。よく考えてみると叔父なんです。この叔父は、とにかく百姓をしながら歴史が好きでしようがない。郡一番の蔵書家で、長男のため自分は志をとげられなかったから、ぼくを引き取っていろいろなことを教えはじめた。二、三歳でいろんな物語を話し、四つのころには大抵(たいてい)の字は書かせるようにし、五つでは漢文さえ読ませる、七つのころはもう日本外史などスラスラ読んだ。叔父は早く死んだが、そういう育て方をしたから、ぼくはどっこも学校を出ないで今日あるんです。それを璽光尊がパッとあてた。あんたは危ないところを切抜けて四回逃げている。叔父さんのおかげだと言った。
霊魂のある仏像
明主様(メシヤ様) あなたの場合はその叔父さんが守護神なんだが、大抵(たいてい)これは一代おきのものだね。オヤジの霊というものは、ほとんどない。まあお祖父さんから孫です。病気もそう。お祖父さんの病気はよく孫に出てくる。隔世遺伝だが一つの法則だろうね。そうしたことは霊界のことが分るとよく分る。私なども面白いのは、いまでも、いろんな仏像が手に入る。なぜかというと、偉い寺の開祖とか仏教の開祖とかはメシヤ教の仕事をするということが大変な名誉なんだね。なんか手柄をたてたいので、自分の建てた寺の仏像などを、こっちへ入るように仕向ける。だから手に入ってくる。
日置氏 仏像は偶像といえば偶像かもしれんが、長い間の伝統で国民が拝んで来ている、その拝む魂が入っているのかもしれない。
明主様(メシヤ様) 大勢が拝むと魂も入るが、仏像は仏像で形作られるが、拝まなくなると消える。偉い高僧などの霊は霊界で修行できると、魂はその仏像へ入れるんだね。だから立派な寺のいい仏像は、みんなその霊が入っている。そこで仏像を美術館とか、いろんなところに並べることは、その霊は非常に苦しくなるんだ。
日置氏 人間でも仏像を趣味半分に集めた人は沢山いるが、みんな非命の最期をとげている。便所にまで古代仏像を飾っていた人があったが、ぼくなど、これはあぶないと思った。
明主様(メシヤ様) そういうことを知っている人は、いろんないいものを、ずいぶん集めても仏像だけは集めない。
日置氏 仏像を集めるのは明治になってからですね。徳川時代には、あんなことは絶対にしない。
明主様(メシヤ様) もったいないからねえ。寺では拝まれて丁重に人間以上に扱われる。
日置氏 おしまいに、これからの御抱負を一つ聞かせて下さい。
米国を救うのは世界革命の第一歩
明主様(メシヤ様) 世界を救うのです。いま論文を書いている。これだけは話したって分らないからよすが、共産主義はスターリンの死を契機として、だんだん没落して来る。それは割合に早い。それでは米国はどうか。米国の資本主義は、あれはまたなくなる。共産主義にあらず、資本主義にあらずという、そういう新しい思想が生れる。
日置氏 本当の自由主義思想ですね。
明主様(メシヤ様) そう、つまり、いままで右か左に片寄った。片寄るということは左が縦、右は横。そこで、これを組合せなければならない。その組合せる時期にまだ来てないが、組合せて、はじめて本当の大思想が生れるわけだ。それが生れて、はじめて世界国家ができる。それこそ戦争のない平和な、病気、貧乏、争いはなくなる世界で、わたしの方のバッジはそれを象徴したわけだ。これをわたしの方では伊都能売思想といっている。イズノメとは『五三』とも書くが『五』は即ち火、『三』は水、これが、世界の思想の中心になるという意味で、これからまず米国に働きかける予定になっている。というのは、とにかく今日、世界の覇権は米国が握っている、だから米国にそういう思想を打ち樹てるということが根本で『アメリカを救う』という本も、そのごく第一歩だ。
日置氏 結局、米国を救うことは、日本を救うことになるという寸法で・・・・・・。
明主様(メシヤ様) また、世界を救うことになる。そこでは米国は横の国、横の中心になる。日本は縦の中心になっている。だから両方結ばなければならない。それをいろいろ学問的にやってみると、はっきり出てくる。まあ、ひとロにいうと世界革命だが、世界革命でも、精神的な革命だね。
日置氏 どうもありがとうございました。
「メシヤ様御降臨祭」特集
≪体験報告≫
精神障害を克服、充実した高校生活に
愛知県豊橋市 松井友希
私には保育園、小学生のときの楽しかったこと、悲しかったことなどの記憶がほとんどありません。思いだしたくても思い出せません。
何故かと言いますと楽しい思い出よりも”寂しい”や”悲しい”思い出のほうが多く残っているからです。私は子供の頃母親が仕事でいつも帰りが遅くて祖母の家か自分の家で留守番をしていました。いてほしいときにいない、そんな毎日でした。
そして、中学2年生のときにある事情で自殺願望やリストカット、携帯依存、人間不信など様々な形で精神障害に陥ってしまいました。成績も最悪なものになり、水泳の部活もサボリがちになりました。
そしてついに、その年の秋に、母親と大ゲンカをして家出をしました。
結局はすぐに見つかりましたが、自転車で道路を走っているときに私を見つけてくれたのは母の妹で、母は捜しにもきてくれませんでした。
それから楳木先生を通して話し合い、母と別居することになりました。
母の妹の家のほうで住みはじめましたが、そこは新鮮なものばかりでした。手作りの料理、家に誰かがいる幸せ、たくさんの家の手伝い、自分の話をちゃんと聞いてくれる人がいる喜び…。私はこの家でたくさんのことを知り、たくさんのことを学びました。
中学3年生になって、受験のことについて家族と納得するまで話し合い、初めて自分で自分のことを決められるようになりました。そのときの喜びは今でも忘れていません。
学業の遅れを取り戻すために私は家庭教師をつけたり、母の妹から”勉強は毎日するものだから、少しずつでいいから復習をしなさい”と言われながら、理解できない問題は教えてもらいました。
別居してから一年がたち、私は高校に入学することができました。
高校に入ってからは、自分の意志をちゃんと言えるようになり、正しいことを正しいと言えるようにもなりました。友達関係においても、今までは一対一では話し合いができませんでしたが、今はそういったこともできるようになりました。喜ばしいことばかりです。
これは、メシヤ講座に参加して話の聞き方や掃除をする意味などを学んだから得られた喜びなのです。
また、母の妹から”掃除の仕方がなっていない”とか”やることはしっかりやれ”など毎日厳しく言われております。
そして今後の課題は自分に染み付いた悪い癖を改善していくことです。十何年として(続けて)きた癖は改善はとても困難なことです。それは母親の嫌なところが、自分にそのまま染み付いていることや嫌なことからすぐに逃げてしまうところです。
しかし、すぐにめんどうくさがったり、気に入らないことを言われたら不機嫌になるなどの癖は将来の自分のためには改善しなければなりません。なので楳木先生がおっしゃったように、これからも自分のためにも周りの人たちのためにも”掃除”や”家の手伝い”を徹底してやりたいと思っています。
娘のアトピー性皮膚炎、火傷に御守護
三重支部 吉田(浄霊力拝受段階で未入会のため名前は伏せてあります。)
「メシヤ様御降臨祭」おめでとうございます。三重支部から参りました吉田と申します。よろしくお願いいたします。
本日皆様に御守護報告させていただく機会を与えていただいて、ありがたく思います。先ず私とメシヤ教の出会いについてお話いたします。
私には現在2歳の娘がおります。生後数週間で乳児湿疹ができ、その後アトピー性皮膚炎になり薬を使用して症状を抑えていました。しかし、薬を塗っても完治することはなく、どうすれば治るのか悩んでおりました。
娘が4ヶ月の時、お友達から「御浄霊でアトピーを治した人が居る」という話を聞き「御浄霊とはなんだろう?」と思いながら「でも治るのなら何だっていい」と思い、御浄霊をしてくださるお宅にすぐに連れて行ってもらいました。
それから1、2ヶ月はとりあえず御浄霊をいただきに、その方のお宅に通いました。しかし「このままこの御浄霊というものをいただいているだけで、本当に娘のアトピーは治るのだろうか?」と不安に思っていました。
ちょうどその頃、友人は私に電話をかけてくれ「今、子供さんのアトピーを御浄霊で治された方と一緒にいるので一度お話してみる?」と提案してくれました。その時お電話で相談に乗ってくださったのが、メシヤ教三重支部の濵口さんでした。
それから数日後、友人が「今日は濵口さんのお宅に九州から先生が来られているので一緒に行ってみない?」と誘ってくれました。私は「何の先生なんだろう?」とわけのわからない状態でしたが「濵口さんに会ってみたいし、色々な話が聞けるのなら・・・」と思い友人について行きました。
そして、それが私が初めて参加させていただいた「メシヤ講座」でした。
恐る恐る部屋に入ると、先生と呼ばれる男の人がありとあらゆる相談に乗られていて、みなさんの質問等に真剣に答えていらっしゃいました。そして初めて会う私の相談に対しても親身になって答えてくださり、色々とアドバイスしてくださいました。
私は帰り道「少しこわい先生だったけど、あの先生についていって間違い無いのではないか・・・もっとお話を聞いてみたいな・・・」と思ったのを覚えています。
そしてそれから1年、以前から伺っていたお宅と、三重支部に御浄霊をいただきに通いました。アトピーの症状は随分落ち着き、顔や肌が綺麗になってきました。
娘が2歳になる頃、夜の食事を作る時普段は娘をキッチンに入れることはないのですが、その日は何故か「たまには作っているところを見せてあげよう」という気になり、私の隣に立たせました。そして、お鍋のゆで汁を流しに運ぼうとした時、お鍋が娘の体にあたり入っていた熱湯がこぼれ、娘にかかりました。
私も娘も一瞬何が起こったかわからず声も出ませんでした。私は我にかえり「メシヤさまーーー」と叫びお風呂場に走りました。冷水シャワーをかけた後、冷蔵庫から氷をとりだし、すぐに濵口さんに電話しました。
娘が泣いているので大変な事が起きたことをすぐ把握してくださり「今から行くから」と言ってくださいました。濵口さんはすぐに楳木先生に連絡をとってくださいました。先生からは「冷やさないほうがいい」との指導をいただきました。
娘が外に出たいと泣くので体をタオルに巻いて外で御浄霊しながら「もう少ししたら濵口さんが来てくれはるから、大丈夫だからね」と娘に声をかけましたが、実際心の中では「なんて事をしてしまったのか」と生きる気力さえ失っていました。
濵口さんのご主人は、仕事が終わったばかりなのに一緒に来てくださり到着するなり、歩きながらでもお二人が娘に御浄霊してくださった姿は今でも目に焼きついています。その姿はどんな救急隊員よりも心強く、そして大変ありがたく思いました。
鎮痛剤や睡眠作用の薬を使わなくとも静かな眠りに
不思議な事に、娘は御浄霊をいただくとスーっと眠りました。想像出来ないくらいの激痛を伴っているはずなのに、ましてや鎮痛剤や睡眠作用の入っている薬を服用したわけでもないのに泣き叫ぶ事もなく眠っていき・・・これもメシヤ様の御力なんだと感じました。
それから濵口さんは再度楳木先生に連絡してくださり、楳木先生は電話で私に「あなたなら大丈夫、乗り越えられるので、今日は一晩中御浄霊してあげてください」と言ってくださいました。私はその言葉にすごく励まされました。先生と濵口さんからの励ましのお言葉は真っ暗闇の中にいた私の心中に光がさしたように思えました。
お薬を塗ってしまうと火傷の跡が残ってしまうと先生に教えていただいたので、極力病院にいく事を避けたかったのですが、主人は日頃メシヤ様の御教えに理解がある訳ではありませんので、病院での診断は避けられませんでした。
翌日濵口さんと一緒に近くの皮膚科に行きました。症状を見せると医者は驚き、市民病院の診察を勧められました。医者の言葉や表情から「この母親は救急車も呼ばず今まで平気で過ごしていたのか」と不思議がられている事がわかりました。
次の日、市民病院に行くと同じように「この母親はどういう考えなんだろう・・・」と不審がられているのがわかりましたが、担当医は「お母さん、すぐに冷やされたんじゃない?病院に行っていないのにこの(綺麗な)状態ということは、最初のお母さんの処置がよかったんだね」と言ってくださり、少し驚いているように見えました。
私は「あー、それはすぐに御浄霊していただいたからだな・・・」と心の中で思いました。
それから2週間程経過して、傷もかわき症状的にも精神的にも随分落ち着いてきました。そして現在は、完全に綺麗に治ったわけではありませんが、焦らず気長にいきたいと思えるようになってきました。
娘の浄化は一つ落ち着いた頃にまた一つと起こり、私は「メシヤ様に試されているのかな?」と思っているのですが、その度に楳木先生、濵口さん、三重支部の皆さんに支えていただいて本当に感謝しています。
今までに濵口さんが九州、北海道に参拝に行かれた時に2度ほど娘が熱を出しましたが、一人で不安ながらも乗り切れて、最近は少しずつですが徐々に自信がもてるようになってきました。濵口さんに頼りっぱなしではなく「少しは自分でやってみなさい」とメシヤ様がわざとそうされたような気がしてなりません。
そして、この体験記を書き始めた今現在、娘の新たな浄化が始まりました。この浄化が始まる1週間位前から、グズグズと機嫌が悪く「おかしいなぁー」と思っていたのですが背中以外殆どの場所から膿が出始め、どこまで広がっていってしまうのか・・・と不安になる程出ました。
不思議なことにアトピーの時と火傷の時に浄化した箇所はポツポツと少ししか膿が出ず、今まで浄化していなかったお腹周辺は今回かなりの浄化でした。
夜中は痛い痛いと泣き叫び、いつ主人に「ちゃんと病院の治療で治したほうが良い」と怒られるかビクビクしていましたが、病院での診断を軽く勧められただけに終わり、夜中も起きて泣いている娘をあやしてくれて、主人に本当に感謝しています。
薬を一切使わず御浄霊だけで乗り越えられたので、大きな御守護をいただけたと本当にうれしく思っています。浄化の後、娘は以前より食欲が増し、すごく落ち着いたように思います。
そして濵口さんご夫妻がいらっしゃらなければ、このようなきびしい浄化、試練は乗り越えられなかったと思います。
最後に私事になりましたが、視力があがるという新たな御守護をいただきました。私はメシヤ様(の御教え)と出会ってから、常に「視力が回復しますように・・・」とお願いしてきましたが、視力があがることは非常に難しいことだと思っていますので、軽い気持ちでお願いしておりました。
先日視力を測りにいくと、0.05から0.1にあがっていました。眼科の方も「間違いではないか?」と思われ何度も測ってくれましたが、結果は同じで驚かれていました。私自身も信じられない気持ちと同時に、短期間でこれほど視力があがるという普通では考えられないことがメシヤ様の御力では起こり得るのだ!と確信し、この御守護をいただいたことで、メシヤ様に対する自分の気持ち(想い)が確かなもの、しっかりしたものに変わったと思います。
これからもメシヤ様に直接太く繋がる事ができますよう、努力していきたいと思います。
そして、いつなんどきでも家族のように温かく支えてくださる濵口さんご夫妻を見習い、御教えやメシヤ講座を生活の軸とし、御神業に邁進できますよう頑張りたいと思います。ありがとうございました。
御教えに沿った本来の在り方を求めて
神奈川県藤沢市 菅谷敬
皆さま。「メシヤ様御降臨祭」誠におめでとうございます。私は藤沢から参りました菅谷敬です。よろしくお願いいたします。
本日は、私がメシヤ教に御縁をいただくまでの経緯とこの3年間の感謝の報告をさせていただきます。
私は、昭和63年に神慈秀明会に御縁をいただきました。そして青年時代は実践に取り組み沢山の奇蹟を体験させていただきました。しかし、ご存じの方も多いと思いますが秀明会は極端な活動の為に世間からも問題視されたり、御教えに沿わない活動をしていたために、沢山の不幸な信者さんをつくってしまいました。
そんな中で私は本当にこれが天国なのかという疑問も常にありましたが、いただいた御浄霊の奇蹟の体験が秀明会全てを肯定してしまうのです。また秀明会だけが唯一のメシヤ様の御教えに沿った教団だという教義から抜け出せずにいました。今も多くの信者さんが同じようにそう思っています。
そして、他の教団や秀明会に反対する家族、辞めて行った信者さんを邪神と言います。これは昔も今も全く変わりありません。
今から4、5年前の話ですが、私は今東戸塚に在る出張所のあるチームに所属しておりました。当時はまだ建設に向かって取り組んでいる最中でして、私も建設委員として活動しておりました。他にも献撰員の御用もいただいておりました。秀明会は御教えがあまり無いのですが、拠点には『明日の医術』を書き写したファイルが何冊かありまして、私はある時から毎日拝読させていただいておりました。
しかし、読めば読むほど疑問が湧いてしまいます。頭だけの浄霊がメシヤ様から直々に御教えいただいた浄霊法ならば、何故メシヤ様はこの御教えをお書きになられたのか?腎臓の浄霊も必要ないのではと。昔の話なのかな?とか・・・。ただ、その時点ではそれ以上は深く考えずに御用に取り組ませていただいておりました。
それからしばらく経ってから出張所建設が始まりました。地元の住民の方々による大反対運動があり、説明会の時に秀明会の先生が虚偽の発言をするなど私としては納得できない事が重なりました。信仰者以前の問題だと思えたからです。
地鎮祭の時には200人余りの住民の方々が抗議に来ました。終了後先生方は逃げるように立ち去ってしまい、一般の信者さんだけが取り残されて地元の方々ともみくちゃになり土地から出られなくなってしまいました。本当に緊迫した中どうなってしまうのかと思いました。中には突き飛ばされて倒れる信者さんもいました。先生方は何故信者さんを置いてさっさと逃げてしまうのか?とても腹が立ちました。
並行して私は建設反対の掲示板などの印刷係を任されておりましたので、毎日色々な意見を読むたびに複雑な思いが込み上げていました。それは、私は秀明会の善くない部分も沢山知っていましたので、反対意見に対して納得してしまう面もかなり多かったのです。
その頃インターネット上で御教えやメシヤ様に関するサイトをよく閲覧しておりました。ある日、浄霊の手の写真がトップページにあるホームページを見つけました。そこにはメシヤ教と書いてありました。あれ?一体誰の手だろうと思いましたが、直ぐにわかりました。その後、私はどうしても御教えを沢山拝読したいという欲望が抑えられなくなり世界救世教に所属する友達に何か御教えを貸して欲しいと頼みました。彼は直ぐに全集のCDを渡してくれました。秀明会では秀明会発行の御教え以外は隠れて読まなければなりません。
それから印刷して拝読に取り組ませていただきました。拝読すればするほど秀明会に対する疑問が湧いて来ました。その後近くのMOAの分院に初めて行ってみました。
秀明会では世界救世教は浄霊も効かないと言っておりましたが、実際には全く嘘だと直ぐにわかりました。ただちょっと長いというのが気になりましたが。そして友達の誘いでいづのめ教団のセンターに参拝させていただきました。私は本来の御教えに沿った在り方を求めておりましたが、自分の目で確かめてみなければ判らないという思いがありましたので、熱海の聖地にも行かせていただきました。翌日、今までにない程の激しい下痢と嘔吐で一晩で3キロも痩せました。
浄霊力の強化をいただき数々の御守護
ちょうどその頃並行してメシヤ講座を拝読させていただいておりました。そして「浄霊」と「祈りの栞に寄せて」の冊子を申し込ませていただき、その直後に腎臓の浄化をいただき、その時初めて「おひかり」なしの自己浄霊の体験をさせていただきました。
翌月に楳木先生から川崎の月次祭にお誘いいただき、私は喜びで一杯になりました。その事をいづのめ教団の友達に話したところ、後日彼から電話でいづのめ教団の先生が「ベンツで日本一周している人の所だけは止めたほうがいい。」と言っていると聞きました。私はその時はそれは違う人でしょうと彼に言いました。
しかし後でよく考えてみたらやっぱり楳木先生の事だと思いましたが、むしろご参拝させていただく気持ちが固まりました。
そして、以前にもご報告させていただきましたが、川崎の月次祭にご参拝させていただき、その時に長男の難聴の御浄霊の急所を教えていただき、わずかの間によくなる御守護をいただきました。
その頃私は秀明会には全く行かなくなっておりましたが、ある日、秀明会の先生と専従者の方がうちに来られたので、私は思っていることをはっきりと言わせていただきましが、その時も「(邪神に)やられている」と言われました。私が「御教えにはこう書いてある」と言うと、「そうかもしれないが御教えを読むのは良いけれども、御教えの内容を他の信者さんには絶対に言ってはならないし、君にはその資格はない」と言われました。
その時に私はもう二度と秀明会には行くことはないと思いました。
しばらくしてから、今度は先生一人だけで来ていただき話した時には別人のように素直な態度で私の話を聞いておりまして、帰り際には「とても勉強になったよ。でも皆には言わないでね」と言って別れました。それから直ぐに緊急に世話人以上を集めて「菅谷君には近づくな」と、「やられている」と話したそうです。今では仲の好かったほとんどの信者さんが私達に会うことを嫌がっているようです。
それでも連絡くださる方も何人かおられます。また、最近秀明会では多くの方が病院のお世話になっているようです。とても胸が痛みます。「本来はこうなんだ」と伝えたい気持ちで一杯です。
秀明会は御教えからは程遠い教団ですが、私はメシヤ様と出会うきっかけをいただいたので、その点では良かったと思っております。
そして、メシヤ教に入会させていただき、メシヤ様と太く繋がらせていただき、浄霊力の強化に努めさせていただく中で沢山の御守護と体験をさせていただいております。
平成19年の8月から我が家では毎月楳木先生をお迎えさせていただき、メシヤ講座をお許しいただいております。
秀明会の頃からの同志の三浦隆之さんの伯父さんの中村正幸さんは、毎月月次祭にご参拝させていただき、今年の地上天国祭でご報告されましたが本当に素晴らしい御守護をいただかれました。毎日飲んでいた薬も今では全く飲まなくなり御本人も「大変感謝だ」と仰っております。
私は楳木先生に出会いメシヤ教に御縁をいただいてから、本来の在り方でメシヤ様と直に太く繋がらせていただくことで、心から充実した日々を送らせていただいております。
また秀明会の頃とは比較にならない程、浄霊力が強くなっていますし、何よりもメシヤ様を近くに感じることが出来ます。大黒様の大きな御守護も沢山いただいております。家庭内も明るくなって子供達ものびのび育っているように感じますし、地に足が着いたような気がします。
最近ではうちの家内も以前よりも積極的にいろいろな方にご浄霊をさせていただいております。
子供の保育のお母さんの何人かの方にご浄霊させていただく機会がありました。9月にある方は妊娠2カ月目に7センチ程の卵巣膿腫がみつかり手術を促されておりましたが、再検査の前日に我が家に来た際に御神前で15分間程御浄霊させていただきました。その際に全身がポカポカと温かくなり大変不思議そうな面持ちでした。何の説明もないままお帰りになりましたが、翌日家内が会った時に彼女が病院で診てもらうと7センチあったはずの卵巣が2センチになっていて手術も「必要なし」と言われたとの事でとても喜んでいたそうです。その後も順調なようです。
私も家内もそこまで見事によくなるなんて思っておりませんでしたので、驚くととももにメシヤ様に感謝させていただくしかありませんでした。他にも沢山ありますが時間もありますので、またの機会にお話させていただきたいと思います。
来年の1月11日には勿体なくも支部発会のお許しをいただきます。
今はそれに向かって工事の真っ最中です。今回工事にあたっても大黒様の大きな御守護をいただき普通では有り得ないほどの価格で材料や職人さんの手配が出来ました。
まだまだわからない事ばかりで楳木先生におんぶに抱っこですが、地元の同志と共に一人でも多くの方にメシヤ様と直に太く繋がっていただき、御浄霊の素晴らしさをお伝えしていきたいと思っております。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。
≪挨拶≫
メシヤ様に直に太く繋がるように
メシヤ教代表 楳木和麿
「メシヤ様御降臨祭」おめでとうございます。
ただ今、三人の方から体験報告をしていただきまして、「メシヤ様御降臨祭」に相応しいご発表である、とつくづく感じながら聞き入っておりました。
「メシヤ様御降臨祭」をどのようにしてお迎えさせていただければ良いのかは、かねがねお話しさせていただいておりますように『メシヤ様は地上天国を樹立するために御降臨されて、そして、人類を代表する形で様々な御苦労を重ね私達に人を救う力と方法を授けてくださった。』ので、まず感謝申し上げる意義が大きいのであります。
次に、『人を救う力と方法』をより一層磨いて、「多くの人を救わせていただく」という、新たな御神業推進のスタートの日として御誓いをするのがこの祭典であります。その意義に相応しい、それぞれのご発表でありました。
初めに、松井さんが発表していただいたことは、時代苦の一つを映し出しています。最近テレビのコマーシャルで抗うつ剤を目にすると思いますが、これについてある精神科医は「精神病産業が背後で取り組んでいるために、病気が乱造されて現代人は不必要な薬物を投与されている面がある」と述べ、警鐘を鳴らしております。(参照「乱造される心の病」クリストファー・レーン著・寺西のぶ子訳・河出書房新社)
それから各ご家庭で子供を育てる上での躾とか、人としての嗜(たしな)みとかいうものが(第二次世界大戦以後の占領軍の指導とそれからその後の教育機関の方針のために)欠落した上で勘違いされた民主主義というものが根付いてしまいました。
これについては、今拝読させていただいている「メシヤ様対談記」の、今月は日置氏との対談記の前篇ですが、その後篇に
『共産主義はスターリンの死を契機として、だんだん没落して来る。それは割合に早い。それでは米国はどうか。米国の資本主義は、あれはまたなくなる。共産主義にあらず、資本主義にあらずという、そういう新しい思想が生れる。』
ということを日置氏に答えています。次の「メシヤ講座・特選集」で読んでいただきたいと思います。
そうしたものがやはり早く実現していただきたかったですね。待ち望まれたのですが、メシヤ様の御昇天が早まったために実現しないまま今日を迎え、世情はさらに泥沼のような状態に陥っています。何か良いことをしようと取り組んではいても、民主党もマニュフェストで良いことを掲げたのですけれども、昨日大変失望させるような発表がありました。結局(理想的な世の中を作り上げることを阻む)圧力に絶えず押さえつけられるような中で事態は推移しております。
そういう世情の中で大変だった少女がですね、メシヤ講座に参加する中で、乗り越えつつあります。これは、メシヤ様の御教えに基づいて勉強会を重ねているからこそ解決を許されてゆくのだ、と受け止めていただければ有り難いと思います。
それから二人目に報告をしていただいた吉田さんは―。まあ三重支部というのはですね、3人の若いお母さんがメシヤ講座に参加して、しかも同い年の女のお子さんを皆お持ちで、お互いにずっと触発される面もあります。また、実際は若いのだけどもお爺ちゃんお婆ちゃんみたいな人が、支部の責任者でいます(笑い)ので、非常に親身になってお世話していただいている御蔭で乗り越えていけてますけれども、一つ一つ起きてくることは三種三様です。
その子が持って生まれた特性、それから因縁、そういうものに応じて浄化をいただいたり、いろんな壁にぶつかるようなことが起きてきますけれども、メシヤ様の御力によって一歩ずつ乗り越えている姿を見ることができます。お互いに力になっているのではないかな、と思います。
とりわけ吉田さんはアトピー性皮膚炎に始まって大火傷を負ったり大変だったのですけれども、その都度御浄霊によって乗り越えることができて、そうしたことにハラハラドキドキしながら取り組んでゆく中で、結果的に自分の視力をこんなにも回復を許されているという、そういうメシヤ様の御力をですね、我々が如実に知る写し鏡のような報告であったと思います。
それから菅谷さんはそうしたものをトータルした浄霊力と御教え拝読ということによって、それまでの帰属教団からですね、このメシヤ教に繋がるその経過を報告していただいて、そして今「鎌倉支部」づくりに取り組んでいます。
もう神様のお導きなしでは、この「鎌倉支部」発会に向ける取り組みというのは考えることができないようなことが次から次へと起きている訳ですけれども、まあ菅谷さんは内装が専門で御神床も自分で作れる訳で「部材はどういうものにしたらよいか」ということで、私と何度も打ち合わせをしながら、今月の月次祭の時にその部材とデザインを確認したのですけれども、まあ大工が本業ではないので“組み立てるのは大変だなあ”と思っていたところ、御発表のように同業者が「今手の空いている大工がいるから」ということで、急遽連れてきてくれて、しかも親子で来てくれて2日間で組み上げてしまいました。
また、一階の台所の床がちょっと抜けそうな感じで心配な状態だったのですけれども、その床は板を嵌(は)めこんで仕上げてくれて「しかも格安でやってくれました」と報告をいただきました。
御守護いただいて“大黒様もずいぶん働いてくださっているな”と思ったその日に、実は新「広島支部」も御神床が完成しまして、神様の来年から始まる・・まあ来年と言いましても今日からですけれども、その御神業の中身というのを『急がれているのだよ』ということをヒシヒシと感じさせられるような、そういう報告でありました。
そして「メシヤ様御降臨祭」を本日迎えております。東からお見えになった方々は皆、素晴らしい富士山の稜線を見ることができたのではないかと思います。それから西からお見えになった方々も遥かに望むことができたことでしょう。私も昨日西から来たのですが、浜名湖を渡る時に感動しながら富士山を拝しました。
古(いにし)えから12月23日というのは「一陽来復」と言われて祝ってきました。今年は特に大寒波が押し寄せて来たために、私も移動するのに今回はかなり雪道を移動して緊張させられるような日々があったのですけれども、そういうことがあっただけにこの「一陽来復」ということを特に本日感じました。
今朝ほど夜が明けて来たのでカーテンを開けてみると雲一つない、そういう素晴らしい朝焼けが始まった時にですね、“今日は正に本当に新年だなあ”というふうに感じました。例年になく感動的な夜明けでした。奇しくも夕べ蕎麦を食べたのですが、“あれは年越し蕎麦だったのだなあ”との思いが朝日を迎えるに当たって込み上げてきました。
そうして本日を迎えたのですけれども、本日に合わせて皆様方に報告してまいりました研鑚資料「主神様とメシヤ様」が出来上がりましたので、後ほど配布させていただきます。それに先立ち、本日は編集および校正の御用を担っていただいた三重支部の濵口さんに内容の一部を拝読していただきます。心静かに御教えの中身を聞いていただきたいと思います。
この御教えに関して私は解説を加えません。解説も何も、御教えに解説を加えるというと語幣がありますけれども、受け止め方とかそういうことを今日は説明しません。ただ、「メシヤ講座・特選集」として新年に更新した際に、拝読する御教えにタイトルを付けます。
そのタイトルこそが『メシヤ様の言わんとされていることだ』と受け止めて付けてありますので、まずは本日この場で御教えを拝聴していただいて、それからメシヤ様の御心を求めていただいて、そしてまたこの研鑽資料をお持ち帰りいただいて、じっくりと拝読していただきたいと思います。それでは濵口さん、よろしくお願いいたします。
≪御教え拝読≫
『一厘の力』に対する御解答
以上の如く主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其(その)結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって茲(ここ)に主神は愈々(いよいよ)一厘の力を顕現(けんげん)され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給う、之(これ)が九分九厘と一厘の闘いであって、今や其(その)一歩手前に迄(まで)来たのである。(文明の創造「悪と守護霊」昭和27年より)
地上天国建設を導く『善言讃詞』に織り込まれた御意図
それは経文(きょうもん)には三千大千世界とあるが、之(これ)も逆であるから、善言讃詞の中には大千三千世界と直してある。というのは三千世界とは、神幽現の三界であるのに対し、之(これ)を纏(まと)めて一つにすれば大千世界となる。大とは一人とかくのであって主神御一方が主宰され給(たも)う意味である。(文明の創造「仏滅と五六七の世」より)
『最後の審判』を開始、順序の一番は医学
時機の到来と共に、主神(エホバ)の真意の発動は、之(これ)以上の遷延(せんえん)は許されないからであり、最後の審判は目睫(もくしょう)に迫りつつあるからである。そこで神は先ず第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、此(この)事が先ず私に命ぜられた使命である。というのは曩(さき)に述べた如く人間生命の解決こそ、文明の根本条件であるからである。従って此(この)問題を解らせるためには、今日の人間に解し得らるべく、時代即応の説き方でなければならないのである。而(しか)も前人未開の真理であってみれば、猶(なお)更そうでなければならないので、之(これ)を以てみても此(この)著は、有史以来の偉大なる文献であって、此(この)大任を負わされた私としても、責任の重大なる、到底筆舌に表わす事は出来ないのである。(文明の創造「最後の審判」より)
『人間は此(この)前途の光明を胸に抱きつつ楽しんで天職使命に尽すべきである。』
本来主神の御目的とは何であるかというと、それは人間世界をして真善美完き理想世界を造り之(これ)を無限に向上発達せしめるにあるので、之(これ)こそ永遠不滅の真理である。従って今日迄の人智では、到底想像すら出来得ない程の輝かしい未来を有(も)っているのであるとしたら人間は此(この)前途の光明を胸に抱きつつ楽しんで天職使命に尽すべきである。そういう訳で主神の御目的を遂行すべき役目として造られたのが人間である以上、人間は右の使命を真底から自覚すると共に、生命のあらん限り、其(その)線から離れる事なく働くべきである。(文明の創造「人間と病気」より)
『或(ある)期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。』
或(ある)期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。従って仮令(たとえ)正神と雖も知り得る力はなかったので、正神は何処迄も正義のみによって天国世界を作らんとするに反し、邪神は何処迄も目的の為手段を撰ばず式で、悪によって野望を遂げんとしたのである。(文明の創造「救い主と贖罪主(しょくざいぬし)」より)
善と悪の解釈は『大宇宙の主宰者である主の神の権限に属する』
善と悪とに就て、徹底的解釈をするとなると、之(これ)は仲々難しい問題であって、今日迄此(この)問題を真に説き得た者は、殆んどないといってもいい位である。何となれば此(この)事は大宇宙の主宰者である主の神の権限に属するからで、即ち哲学的に言えば宇宙意志である。従って主の神以外の凡(あら)ゆる神でも分り得ないのは当然で、況(いわん)や人間に於てをやである。もし此(この)問題を説く人があるとすれば、それは人智から生まれた想像の範囲内であって、それ以外一歩も出ないのである。処がそれを私は茲(ここ)に解説しようとするのであるから仲々大変であるが、といって私の想像的所産はなく、神示によるものであるから別段困難はないのである。というのは時期来たって地上天国建設の大任を負わされた私としては、ある程度主神の真意が感得されるからで、読者はこの点よく心に止めて読んで貰いたいのである。(文明の創造「善悪発生とキリスト教」より)
『宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、此(この)本質が火水土である』
抑々(そもそも)、主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相そのままを表わす事である。というのはいつも言う如く、宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、此(この)本質が火水土であるから、此(この)三位一体の力によって、万物は生成され、化育され、世界は無限の発展を遂げつつあるのである。(文明の創造「天国篇」より)
「世界」を冠した際の宗教形態
ありがとうございました。拝読していただいた御教えをはじめとする御論文を収録してあります。今日お持ち帰りになって拝読していただきたいと思います。
今月の各地の「メシヤ講座」で「メシヤ様対談記」の1から15を再度拝読していただきたい旨をお願いいたしました。そしてメシヤ様の御心、メシヤ様の御精神を、あるいはメシヤ様の御姿勢というものを受け止めて、実像のメシヤ様に近付いて本日の祭典に臨んでいただきたいことをお願いしました。その解答に今拝読の御論文がなったのではないかと思います。
これはですね、原本は岡田茂吉全集やそれから教学委員会及びMOA研究所が纏(まと)めた御論文の定稿・未定稿の中にあります。それぞれお持ちの中から検索をしてここに印刷をしたと考えてください。それぞれの末尾に御論文名が書かれていますので、その題名を入力すれば検索にかかりますので、それでその御論文の全文を拝読することができます。まあ、そういう仕組みになっておりますので、この研鑽資料はあくまで御教えの抜粋だと受け止めていただきたいと思います。まずそれを最初にお願いしておきます。
メシヤ様という御存在はですね、3人の方がご報告していただいたように絶対的な救済力を私達に授けてくださって、そして最高位の神格として私達の前に降りてきてくださいました。すでに神界に御還りになられておりますけれども、我々に霊線を通して御光をどんどん日々送ってきてくださっております。そういう御存在ではありますけれども、肉体をお持ちになってこの世の中にお出ましいただいている間は、対談記を拝読すると非常にフランクであられた。非常に人間臭いところがありました。
そのために私達はともすると、メシヤ様像というものを捉えられなくなるというところに、突き当たってしまうことがあります。あまりにも偉大ではあるけども、実際に肉体を持って生きておられた頃のメシヤ様はあまりにも人間的過ぎる。今回は『今でもワイ談を大いにやりたいんですが』と仰っているくらいですから。
神格を持たれている御存在とその辺がどうも一致しないというところがあります。そうしたことも含めて、三重支部の今月の「メシヤ講座」の中で、「御尊影というのはそういう意味で御神体としては相応しくないという面も有している」ということを少し載せてくださっております。
それはどういうことかというと、次の「対談記・16」を拝読すると、『ですから拝むもとは生きた人間ではいけない。』と仰られています。何故かというと大本教の事例からどうしても生きた人間を拝んでいると天皇と比較しなければいけない事態が起きてきて不敬罪になってゆくということです。これはですね、現在の日本ではそういうことは起こり得ませんが、信教の自由が憲法で保障されて天皇制が大きく変わっておりますので、そういうことは起きません。
しかし、タイに行くと今度はそういうことが起きてきます。国王及びタイ仏教界の長が存在しているからですね。そして、イスラム教の世界に行くとたちどころに布教師はジハードによる危険性が発生してしまいます。偶像崇拝を禁止している国情では問題になります。このように、「世界」を冠した際には更に難しい事態が生じてくるので、メシヤ様御自身がお言葉の中で述べておられたことを次回の特選集でジックリと目を通していただきたいと思います。
そうしたことから、この対談記の中でより私達に具体的にメシヤ様の御心、御姿勢、それから御精神というものが迫ってまいります。そして私達の御神業がより明確になってきているのではないかと思います。
今回掲載の『運命は自由に作られる』という御論文とメシヤ様の解説がありますけれども、実はこの解説を一番強く感じたのは私自身でもあったのです。「何故、今日まで様々な苦労を重ねなければいけなかったか」との想いをずーっと持ち続けていた訳ですね。御神業にこれだけ真っ直ぐに進んで、御教えに忠実であるべく御神業に臨ませていただこうとしても、苦労というものが、大変なものが絶えず付き纏(まと)っていました。
そうした中においてメシヤ様の解説を再び拝読をしてゆくと、やはり、自分自身がいただいている(これは皆様方に置き換えて聞いていただきたいのですが)宿命というものがありまして、その最高位で使命を果たして生涯を終えるというのが人間として最尊最貴の生き方な訳です。
そうするとそれがここ(上限)までいかないでこの辺(中~下限)でうろうろしている人はここ(上)まで上がってゆかないといけない。上がってゆくためには、様々なものに出会ってそれを一つ一つ乗り越えることによって、この宿命の頂点にまでゆける訳です。我々一人ひとりが主神様、メシヤ様より使命というものが与えられていまが、「その使命を最高位で果たしてゆくためにそれぞれ苦労させられているのだ」ということが、今月は非常に込み上げてきました。
それで菅谷さんの報告を聞いていると、かつての帰属教団のなかで非常に苦労をしてきて、(今もその信者さん方は非常に苦労の中にいるのですが)実は主神様からいただいている使命を果たすために目覚めなければいけないために苦労しているのだ」ということに・・・・・目覚めることができればですね。「ご苦労さんでした」と引っ張って上げることができるのです。
「苦労して、よくぞ乗り越えてきましたね。」と、「お疲れさまでした」と、どんどん引っ張り上げてください。「私は先に苦労から目覚めたから、あなた達も苦労から目覚めなさい」と一人ひとり引っ張り上げていただいて、そして本来のメシヤ様が願っている御神業にお互い臨ませていただきたい、と願っております。
新しい御神業の一つは「文明の創造」を完成させる作業
それから今、濵口さんに拝読していただいたところは『文明の創造』という御論文の中から拝読していただきました。それ以外のところは拝読していません。それで何故『文明の創造』からのみ拝読したかというとですね。
これも次号の対談記の中で仰っているのですが、『アメリカを救う』という御論文と同時期に書かれています。冒頭引用しましたが、『新しい思想が生まれる。』とお述べになっておられますので、この御論文は『文明の創造』だと拝察できます。
まあ三重支部で「『文明の創造』の方が先だったんですね。途中から『アメリカを救う』の方にメシヤ様は傾注していかれてますね。」というような話が出ました。『文明の創造』という御論文を御執筆中に、『アメリカを救う』という御論文を書き始められて、『これからまず米国に働きかける予定になっている』と「対談記・16」で御述べになり『アメリカを救う』は『そのごく第一歩だ』と位置付けられています。
アメリカを手初めにして『世界を救うことになる』とも御述べになり、『ひと口にいうと世界革命だが、世界革命でも、精神的な革命だね』と示されています。その在り方を『文明の創造』で開示されるご予定で、一旦『アメリカを救う』を御執筆になり再度『文明の創造』に取り掛かろうとメシヤ様はなされていたと拝察できるのです。
しかし、それが途中で御浄化に入られて御昇天になっておられるので、これは完成しておりません。
だから今日から始まる新しい御神業というのを説明すれば『文明の創造』を作り上げるということになります。御論文を・・・。じゃ私が書くのですか、というと「私が書きます」とは言えない訳です。それは何かというと、メシヤ様は既にありとあらゆる御論文を書かれております。一つだけメシヤ様は『纏(まと)めるのは君達だ』と仰ってくださっておりますので、それを纏(まと)め上げるという作業をしてゆく訳ですね。
だから『文明の創造』の仕上げとは、メシヤ様の御論文を体系化してゆくという作業です。そして、仕上がった『文明の創造』を拝読すればメシヤ様の御精神、御心それから御神業に向かう姿勢とかですね、それから人間が生きてゆく上での御精神とすべきものとか、そういうことがわかるようなものを作り上げなければいけないと強く考えるのです。
その作業を今日よりさせていただきますので、その作業をしていく上において1年に2冊ずつ本日配布するものと同じような研鑚資料を発表してゆきます。それを半年間ずーと勉強してゆくと同時に、メシヤ講座でも『文明の創造』に沿った話をしてゆきます。そういう御神業が実は今日から始まる御神業の主軸なのだと受け止めていただきたいと思います。
幸いにして先ほど菅谷さんが報告していただいたように鎌倉支部が1月11日に発会します。それから広島支部は新たなところに移転して、私はこの帰りにですね、動座祭を執り行ってですね、御神体を新たな支部に御遷座申し上げます。そして来年からその支部において新年祭をスタートに御神業を推進して、それから関東の方でもですね、来年早々菅谷さんのところの支部発会式の翌翌日に埼玉県の新たな会場に御神体を御奉斎させていただいて、御神業推進に取り掛からせていただけることになっております。
動きはそういう形で、よりメシヤ様と直に太く繋がる人達を増やしてゆく、太く繋がれば御守護が日常茶飯事のように起きてきますので、その体制を築いてゆきつつ、御論文を体系化する作業に取り組んでゆきます。
最後になりましたけれども、本日は平成21年度の締めくくりであると同時に平成22年度のスタートでもあります。皆様方の真心なる支えによって、あるいは御奉仕によって御神業が飛躍的に進んでまいりました。しかしまだ形は小さいですので、この形を大きくしながらメシヤ様の大愛に、恩恵に浴する人達を大勢作っていくことを皆様方に一層お励みいただけることをお願いし、メシヤ様に感謝申し上げて、そしてより一層誓いを固めていただいて、「メシヤ様御降臨祭」を意義あるものとして終わらせていただきます。
本日は、誠におめでとうございました。