メシヤ講座・特選集no.34(平成15年11月分)

<体験記>
指の機能回復にビックリ
豊橋市  松井友子

私は、佐藤さんのレポ-トを目にして現在の仕事を始めた時のことを想い出しました。以前エステの仕事をしていた娘から‘化学合成添加物’‘合成界面活性剤’‘防腐剤’など毒性の強い化学物質やそれらがもたらす毒性の話を聞いていましたが、‘自分が変えていこう’という意識は少なかったのです。

メシヤ教にご縁をいただいて様々な学びを始めた頃、知人から「安全な食材を広めていくお仕事をしてみないか」と話がありました。メシヤ教の教えでも、農薬や化学肥料を使用しないで作物を生産する『自然農法』の普及推進の内容がありましたので、勉強をかねて仕事をすることにしました。

しかし、その仕事を決めてから間もなく、私は脳梗塞で倒れてしまいました。娘達がメシヤ教で浄霊の仕方を教えてもらえたので、私は幸いでした。長女は仕事で忙しい面もあり、次女が毎日浄霊を取り次いでくれました。お蔭様で後遺症も軽く済み、退院することができました。

そしてこの時大変なお蔭をいただきました。それは、精神的な苦しみを患っていた次女が浄霊を取り次ぐことで変化をしていったということです。またメシヤ講座へ参加することで、飛躍的な好転を迎えてくれたのです。勉強の熱心さは眼を見張るものがあります。

私も発見、娘も発見という日々が続きました。退院直後はすぐ頭が混乱したり、カ-ッとなったり、物忘れがあったり・・・と不安材料がありましたが、浄霊のお蔭で薄紙を剥ぐように回復しました。そして我が家に御神体をご奉斎させていただき、毎月先生に立ち寄っていただき基礎的なことを教えていただくようになりました。

私の人生観は一変致しました。食に対する教えをはじめ、子育ての上で足りなかったことなど‘もっと早く知っておけば…’と思うこともたびたびでしたが、有り難い内容の連続です。私も過去色々と信仰の世界に触れさせていただきましたが、こんなに神様が身近に感じられ、見守っていただけるとは思いもよりませんでした。

大黒様のお蔭

まず、何よりも御神体をご奉斎させていただいてから、困ったことや願い事などがあるときは御玉串料を捧げてご祈願させていただけば『人事を尽くして後は神仏へお任せする』という心境になります。そして結果を許された時は感謝献金を捧げて御礼を申し上げることで、『安心立命』の生活が積み重ねられていくように感じます。

後悔したり、何時までもクヨクヨしたりということが少なくなっていくようです。また、月に一度の家庭祭において1ヶ月間の御守護に感謝申し上げますと、改めて『神様に守られている』という喜びがこみ上げてまいります。とりわけ、気に掛かる家族や親戚、知人のことについてご祈願や感謝を重ねることで、人生の不思議さや美しさ、そして生きていることへの喜びを感じます。

そして我が家にとって有り難いことは大黒様も祭らせていただけたことです。60日に一度の祭典は、当初準備に苦労しましたが、娘が良くやってくれるので次第に充実してまいりました。不思議なことに、主人の工場が忙しくなってきたのです。不景気のあおりで低調だったことがウソのようです。

本当に有り難いことです。

祭服のお蔭

有り難いことはもう一つありまして、楳木先生が祭事を執り行なわれる時の『祭服』づくりの話がありまして、先輩の大石さんから「あなた、やらせていただきなさい」と言われ、臨ませていただくことになったのです。

見本になるものを見せていただいたり、生地を探したりと準備に時間を要しました。そしていざ縫い始めると不思議なことが起こったのです。というのは、脳梗塞の後遺症で手に痺れが残っていたのですが、作業を進めていて、ある時ふと「何か不思議なんだけど、楳木先生の祭服を作るようになってから手の痺れが消えちゃった」と、娘に漏らしていたのです。

娘はそのことを先生に報告してくれ、『祭服というのは神様事にのみ着用するものだから、言わば神様にご奉仕させていただいていることです。そのことに対する御守護です。』との説明をいただきました。

私は涙が溢れてきて、ご神前で手を合わせました。そして、この信仰は間違いないと確信しました。

私は元来、針と糸を持っている時が一番心が落ち着きます。神様からいただいた特徴だと思います。そのことに改めて気付かせていただいた出来事でした。また冒頭述べさせていただきましたように、安全な食材の提供というお仕事にも関わらせていただけることは二重の幸せです。

現在は‘飽食の時代’と言われていますが、安心して食べることのできるものを手にすることは困難になっています。私達の肉体だけでなく精神まで蝕まれている現代の食生活を改善し、合わせて環境に対しても配慮する生活を提案していかねばならないと思います。

私はちょうど良い時期にメシヤ教へご縁をいただいた、と感謝致しております。そして最後に、主人をはじめ家族のお蔭で二つの仕事に没頭できるまでになったということを沿えて御礼と致します。ありがとうございました。

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<お話>
言霊(ことたま)
メシヤ教代表 楳木和麿

言霊を眼にした少女 

昭和59年10月5日、教団改革の現場サイドの第一声を上げた時に、その一言一言を凝視する少女がいました。実はその少女、不思議なことに言霊が見えていたのです。

世界救世教は昭和58年暮れから内紛が起こり、宗教性を教団内に取り戻し本来の在り方に向けて改革を進める「教団護持委員会」が設立されました。しかし魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類が暗躍し、二転三転しました。内容は以前お話した通りです。

そこで、現場サイドで初めて高知県の教団職員・信徒が一体となって「教団護持委員会」を支持することになり、高知県本部月次祭の折に「支持表明」を行なったのです。その準備を私が責任者であった布教所で進めたことも前回までにお話致しました。

さて、その少女に言霊はどのように見えたのかというと、一言一言の言葉が一つひとつ金色に輝いたり煤けたり黒く見えたりするのです。いくら格好のよいことを述べても、真実でない場合は煤けたり黒く見えたりするのです。そして、「教団護持委員会」に対する支持表明は、輝いていたそうです。

一方、その取り組みをないがしろにしようとする関係者の発言は、黒かったようです。それまで雲の上のような存在と思われていた教団上層部の発言が、煤だらけだったのです。この出来事は、改革を志す者達に大きな励みを与えたことは確かです。しかしそれだけではありませんでした。

言葉に込める心が重要

その少女の両親は、信仰熱心な夫婦でした。ある時、ご主人が竹で灯かり消し(当時御神前に設えていたボンボリのお灯明用)を作って、奥さんに手渡したそうです。当然奥さんは「ありがとう」とお礼を言います。ところが、少女は「今、心を込めて言ったがあ?」と指摘したのです。言霊が光らなかったからです。奥さんは、慌ててお礼を言い直したそうです。

一事が万事言葉が光るかどうかが見えるのですから、これは大変なことです。布教所内での何気なく発する言葉の中身や想念が解ってしまうのです。これには緊張をさせられます。一言一言吟味して発しなければならないからです。私は、学生時代に京都の嵯峨野で拝した仏像を想い出しました。口の先に幾つかのロウソク立てが一筋設えられていました。そのロウソクの明かりのように、私達の発する言葉に正しく心が込められていれば、一つひとつがポッポッと灯るのでしょう。

よく「習い事をする場合は、‘道’の付くものをしなければいけない」と言います。‘お花教室’ではなくて‘華道教室’です。‘お習字’ではなくて‘書道’というようにです。それは何故かと申しますと、形は確かに大切ですが‘道’を習うことが重要だからです。

例えば、華道の場合花の活け方ばかり習っても人間的な成長は望めません。形の背後に流れる精神、願いを学ばねばいけませんし、花を活けたら、余った花材の片付け方、活けた花のお世話の仕方を学ぶことが大切です。また茶道ならば、茶の道の発祥理由、流派の伝承経緯などから背景にある精神を学ぶことに意義があります。そうした眼には見えない背景にあるものが大切なのです。そうしたことを重ねる中で人間としての‘道’を心得ていくのです。

それと同様で、教団という組織ではなく本来の宗教性が大事なのです。そして、これはもちろん壇上で話す私達の講話の時も同様で、内容は見られている訳です。ですから、このことが取り組みを重ねる上で貴重なことになりました。お解りのように、心の込められていないお話は見透かされます。偽りなどもってのほかです。神様はこの少女を通して私達に何を教えようとされたのか、と申しますと、『神様は腹の底の底まで見ておられる』ということです。

教団改革はまず正しいということを裏付けされましたが、それを進める私達の心に一点の曇りもないという姿勢を神様は求められたのです。私はそのように受け止めました。信仰の原点には、『人の目は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ない』ということがあります。これは自他共に通ずることで、心得違いをしてはならない、というように自戒したのが第一歩でした。

想念によって霊線が繋がる

そして、高知から始まった現場での取り組みは、本部側の関係者と私達の連携で少しずつ全国へ広がっていきました。その拡大を進める取り組みの中で痛烈に感じたことがあります。取り組みは、かつての同僚などに声をかけたり、紹介を得て働きかけたりするのですが、対面した時に口先でどのように唱えようと、想念によって分かれた執行部それぞれへの繋がり方が異なっていくということでした。

それは、紙の上に取り組んでいこうとする相手の名前を記入して、それを少女に見せると霊線が浮かび上がって見えるのです。どのように正義感を振りかざして論舌するような人でも、想念に実行心がない場合は「教団護持委員会」へ繋がって見えないのです。これは百発百中でした。

願いが伝わったように感じ、継続して取り組もうと考えても、はぐらかされたりして結局その霊線のままになってしまうのです。拡大への取り組みでは出張費が掛かりますので、このことで経費節減に繋がったことも笑えない事実です。

そして、『人間は想念次第』という教えそのものでした。

『感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶとは正に真理だ。何となれば感謝の心は神に通じ、不平の心は悪魔に通ずるからだ。この理によって常に感謝をしている人は自然幸福者となり、常に不平不満や愚痴を言う人は不幸者になるのは事実だ。』

想念によって繋がっていくところが違う、ということが得心させられました。

厳然たる霊の働き

こうしたことは、肝に銘じなければならない霊現象でした。眼には見えなくとも厳然たる霊の働きがあるということを強く知らしめられたのです。しかも取り組みと同時進行で起きる現象ですので、全て裏付けが取れました。当然のことながら、人間の都合にあわせて起きるというものでもなかったのです。

何故なら、その少女は当時小学6年生で、思惑など持ち合わせず、淡々とあるがままを喋っていたのですから。

やはり中身です。『景仰』の中に‘リンゴ’の話が出てきます。『リンゴは見てくれは良いが中身が…』というお言葉をいただいた側近者が、「明主様はリンゴがお嫌いだ」と受け止め、伝えてしまう。しかしそんなことばかりではなくて、側近者に対して『君も中身が大切だよ』と教える部分があったはずなのです。

これは先ほどの習い事の話と同じで、中身を磨いていかなくてはいけない、ということです。しかしせっかく生き神様のお側近くで奉仕を許されていても、ボ-ッとして仕えていると取り違いをしてしまうのです。とりわけ浄霊をはじめとして奇蹟が顕著ですから、中身を磨くことが時として疎かになることに警戒しなくてはなりません。

そのために、『陰徳』『下座行』という代表的な教えがあるのです。例えば、神社などでは「金〇〇円」の寄付として掲示致しますが、『あれは陽徳になってしまう。本来は誰知れずに徳を積むことが大切で、陰徳が本当である。』と教えられています。

神社仏閣では、人の目に触れるところは毎日掃除を致しますが、肝腎の御本尊のあるところは‘すすはらい’などと言って1年に数回程度です。これでは本末転倒です。既成宗教が力を発揮できない理由も解る気が致します。

また『実るほど 頭を垂れる 稲穂かな』というように、人間的に備わった人ほど腰が低くなり、人目のつかないところでコツコツと静かに取り組みを重ねます。『本教で修行があるとすれば、浄霊の時に手の力を抜くことと下座行くらいだ』と教えられている通りです。

私は、教団改革の根底に「信仰の徹底がなくてはならない」と考えました。それが前回お話した、改革の正しさに対する神様の‘御守護の前渡し’としての奇蹟であるという受け止め方です。必然的に、改革の精神を歪めずに貫いて継続すれば大きな成果を許されていきます。しかし、そうでない場合は結果は見えています。

貫く過程での数々の奇蹟は次回ということにします。

なお、紹介した少女は悪用されることのないように信頼できる人の手で厳重に庇護されて成長しました。

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『信仰即生活』レポ-ト(Ⅱ)
色々な有害物質

前回、合成界面活性剤の危険さについて述べました。今回は、どのような有害物質があり、どのように危険なのかを報告したいと思います。

日用品と経皮毒性(2)

現在ではほとんどの日用品に有害物質が使われている場合が多いと言われています。シャンプ-やリンス、歯磨き剤、家庭用洗剤、化粧品、ハンドクリ-ム、マウスウォッシュ、整髪剤等、果ては赤ちゃん用のお尻拭きにまで使われています。それらに使用されている有害物質を挙げてみます。身の回りの物を点検してみてください。

  • プロピレングリコ-ル(PG) 皮膚や粘膜を刺激してただれや発疹を起こす。心臓や肝臓などの臓器や脳の障害を起こすので、誤って飲み込まないよう注意が必要。化粧品やシャンプ-、リンス、歯磨き剤等に保湿剤として使用しているが、肌や髪の保湿というよりも製品の保湿、保存のために使用している意味合いが濃い。
  • ラウリル硫酸ナトリウム(SLS) 脂肪を除くので皮膚が乾燥し、肌が荒れる。目に悪影響を及ぼし傷害を招く可能性がある。アレルギ-を引き起こすことも。皮膚に接すると心臓、肝臓、肺、脳に達し残留するとも。歯磨き剤、洗剤、洗顔クリ-ム等に発泡剤、洗浄剤として使用している。
  • エデト塩酸(EDTA) 皮膚、粘膜、目を刺激する。喘息、皮膚発疹等のアレルギ-を引き起こす可能性がある。経口摂取されるとカルシウム欠乏症の原因となり、血圧降下、腎臓障害の原因ともなることがある。基礎化粧品、ボディソ-プ等に保存剤、変質防止剤として使用している。
  • タ-ル色素(色と数字の名前がついている) 多くのものに発ガン性があると言われている。アゾ色素系には皮膚吸収されアレルギ-反応を起こし、黒皮症の原因とされるものもある。変異原性、発ガン性を示すものもある。キサンチン色素系には光毒性があり、皮膚への刺激、発赤等の強い症状を起こす。各化粧品に着色剤として使用している。
  • 直鎖型アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム(LAS) アレルギ-を起こすことがある。皮脂を奪うので、皮膚が乾燥し肌が荒れることも。主婦湿疹の原因物質と言われる。また精子や卵子に影響を及ぼし将来設ける子供に奇形が起こる可能性があると危惧されている。受精卵を死亡させるという報告もある。シャンプ-や石鹸等に陰イオン系界面活性剤として使用している。

ここでは比較的頻繁に使用されている有害物質を掲げましたが、これはほんの一部です。この他にも数多く使用されています。一般に有害物質の摂取は口から(経口毒性)と思われがちですが、ガンやアレルギ-等を誘発する原因の25%はシャンプ-やリンス、歯磨き剤、化粧品等で、皮膚からの摂取(経皮毒性)が指摘されています。

口から入るにしろ、皮膚から入るにしろ、人体に悪いものは地球環境にとっても良いものではありません。私達が「健康」や「安全」を意識することは、そのまま『地球の「健康」や「安全」を考える』ことだと思います。

私自身、気付きが浅く偉そうな事は言えませんが、今では物を買う時、表示成分や産地を確認したりと少しずつですが意識は高まってきました。以前の私だったら考えられないことです。改めて考えると、楳木先生が日々言われていた事が無意識の内に下地として出来上がっていたのだと思います。今では、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

佐藤将宏
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