メシヤ講座・特選集no.25(平成15年2月分)

1月分の内容について「神様の話は難しい」という感想が多くありました。『神様のことは解らないと思う人が、神様のことが解った人である』という教えがありますし、根掘り葉掘り尋ねる人に対して、『神様のことを詳細に知りたがる者もいるが、知ったからといって人を救えるのか』と諭される教えもあります。メシヤ講座にご参加の方々の反応は概ね良かったということでしょう。

そこで今回は、神話に触れる上で心掛けておきたいことを説明し、次の内容に移っていきます。

自らの特性や精神のクセを探る手がかり

楳木代表

神様のお話に触れる折に心掛けておきたいことは、自分にどのように繋がってくるかということであり、そこから何を得ていくかということです。まず、霊統から来る因縁使命が判明することがあります。次に、魂にシミのように残り、精神のクセとなって現れてくる源が解るということです。

例えば先月のお話で、天邪鬼(あまのじゃく)の語源になっている事件がありましたね。国常立尊様を排斥し、おとなしい性格の盤古神王様を看板にして立て実権を握った天之若彦命。そうしたやり方が、染み付いているところがありはしないかということです。

私達が日常生活で何気なく考えたり、しゃべったり、行なったりする内容に強く影響を及ぼしています。私たちの精神のクセは両親をはじめ成長する過程で出会った人や環境から刷り込まれものもありますが、それは表層のものです。やはり三千年来の罪穢れに由来するものが大きいですね。

そのことを認識した上で人格形成に取り組むことが大切です。本当の意味での自己教育力ですね。そして浄霊は魂にシミのように付いている曇りを取り除くという想念で取り次ぐことが大切です。

また目的のためには手段を択(えら)ばぬという素盞鳴尊。尊の降臨地は朝鮮ということになっていますので、現代の北朝鮮対国際社会の情勢に照らし合わせて考えると納得できるところがあるのではないでしょうか。

同じ霊統の対立構造

イラクを巡る情勢もその点で深い関わりがあります。アメリカがなぜ武力攻撃を急ぐのかは、種々議論があります。根っ子は深いようです。もっともらしく言われていることは石油ですね。イラクの原油埋蔵量は、未開発の地域に眠っている原油を含めるとその量はサウジを大きく凌ぐと言われています。これは世界一ということです。

もしイラクに外貨が自由に入るようになれば、5年でサウジと同レベルの原油生産が可能になると言われています。そうなってくると、世界の原油価格に大きな影響力を持つことになり、OPECは一気に弱体化してしまうでしょう。アメリカがイラクをはじめ中東の石油支配を狙っている、という見方はそこから来ているのでしょう。

もっとも、イラク攻撃の前提には国連で‘イラクが大量破壊兵器を所有している’ということを以前に議決しているという事実があり、イラクはそれを廃棄したことを証明する義務があることも事実です。

もっと、水面下で囁かれている、ネオコン(新保守主義派)の目標である‘中東地域の再編成’というものもあります。イラク攻撃を強行しようとするチェイニ-さん等は、親イスラエル派で‘シリアの次にイラクを潰すことで、イランを軍事的に包囲でき、対イスラエル強硬派の両国を封じ込めればパレスチナの力は削がれ、イスラエルの圧倒的な軍事力で一気にパレスチナ問題を片付ける’目論見だ、と。

また、イラクに西欧風の民主主義体制を樹立させれば、独裁体制のシリアや石油からの利益を国民にばら撒くことでかろうじて体制を維持しているサウジなどの国民に与える影響は大きい。民主化を求める声が高まり、不安定な国情となります。‘再編成’の布石ですね。

しかし、対立する両者が先月の教えからすると素盞鳴尊の霊統であるというところに、まだまだ深い意味があると思われます。平成12年11月11日に国常立尊様が立ち上がられたということを知らされています。国常立尊様は、地の底まで誤りを正していくということですので、そのことと深く関わっています。

霊統について

また先月の教えからは、日本人の代表的な霊統が理解できます。天照皇大御神様の系統が大和系です。盤古神王の系統が天孫系で、素盞鳴尊の系統が出雲系です。神話に照らし合わせれば、それぞれの霊統の性格的なものが類推できると思います。

霊統は親兄弟といえども異なる場合があるということですので、私達は様々な霊統の影響を受けていることも確かです。ですから、自分の霊統判断にのみ興味を持ち過ぎるということよりも、主神様の御意図に沿う自分づくりをするためにこの教えがあると受け止めていくことの方が大切です。

もっとも、いくら神様の話をしても興味を示さない人や理解しようとしない人がいます。これは霊統の違いが顕著に出ている事例と言えるでしょう。『解らない人に無理して解らせようとしなくて良い』という教えはそこから来ているのです。どうか興味本位にならず、信仰読本で基本を反復して思索してください。

人間の霊的構成

私達がどの神様の霊統に繋がり、どのような影響を受けていくか、ということを知るためには、次に掲げる『守護神』『神幽現三界の実相』という教えが非常に参考になります。

『人は神の子であり、神の宮であるといわれるが、それは神から受命されたすなわち神の分霊を有しているからで、これが本守護神であり、後天的に憑依(ひょうい)せる動物霊が副守護神であるが、動物霊とは狐、狸、犬、猫、馬、牛、猿、いたち等の獣類もしくは種々の龍神、天狗、あらゆる鳥類等が主なるものである。たいていは一人一種であるが、稀には二、三種以上のこともある。

本守護神は善性であり、良心であり、副守護神はその反対で悪であり、邪念である。仏教においては良心は菩提心(ぼだいしん)または仏心といい、邪念を煩悩(ぼんのう)という。そうして本副両守護神の外、正守護神がある。これは祖先の霊であって、人が生まれるやそれを守護すべく祖霊中の誰かが選抜されるのである。この場合普通は人霊であるが、同化霊である龍神、狐、天狗等もある。

よく人間が危険に遭遇した場合、奇蹟的に助かったり、また暗示を与えられたり、夢知らせや虫が知らせる等のことがあるが、皆正守護神の活動によるのである。また芸術家が創作の場合や発明家が熱中する時一種のインスピレ-ションを受けるが、これ等も勿論正守護神の暗示である。

その他人間の正しい希望が実現したり、信仰によってご利益を得る場合、神が正守護神を通じて行なわれるのである。昔から至誠天に通ずるとか、真心が神に通ずるとかいうのは、神が正守護神を通じてその人に恩恵を垂れるのである。』

神幽現三界の実相
1、龍神界

『龍神界は霊界にあるのである。龍神は主として天然現象を司っているものである。

地球踏み固めの時は国常立尊、豊雲野尊がたくさんの龍神を生んで踏み固められたのである。谷または谷川は龍神がくねって歩いた痕ができたそれなのである。これらは皆大きな龍神であったことは、色々の龍神の通った痕等で判るのである。この龍神が死んで霊体となり色々の御用をしているのである。天地の浄化作用をするのは龍神である。

白龍―雨を降らし、また水を清める。
青龍―人間はだいたいこの青龍(青大将)となるのである。
山龍―風および雲を起こす。高山に雲の多いのは山龍が製造しているのだ。風も高い山から起きることが多い。
木龍―木に宿り居る龍神で松と柳が多い。鱗のようになり居る。
火龍―雷を起こし大きな火事で焼き払う。大火事の時または飛び火は火龍が持っていくのである。
地龍―地震を起こすのはこの龍神である。
赤龍―サタンである。
黒龍―強悪最も甚だしい悪龍である。
海龍―龍宮の乙姫のことである。
九頭龍―八大龍王の頭である。

九大龍王というのが本当であるが、伊都能売金龍を匿したのである。乙姫の乙の字にノの字を加えれば九となるので、乙姫より上の龍神であることも判る。また龍の一番上の龍神であるのだ。

女龍は水の働きをした。水を配ったのは女龍である。今地下から水の出るのはこの龍神の歩いた道であって、此れの為この道も曲がりくねっているのである。また太いのと細いのとあるが、龍神の大小によるのである。』

 2、天狗界

『この天狗界は現界活動である。天狗は男ばかりである。天界、中界、下界とある中で、天狗界は中界であって、山岳地帯にあるのである。絵で見る彼の鼻の高い顔の赤い彼である。天狗の総大将が猿田彦命である。鞍馬山に居るのである。牛若丸は鞍馬山において猿田彦命から色々教えられたのである。牛若丸は非常に神様に因縁のある人である。

天狗中に人天、鳥天の二種ある。人天狗は神官、僧侶、学者等がなるのである。これらは良くも悪くもなくて天国へ登れず、地獄へも行かなかった連中のための中界で、天狗界に入ったのである。

鳥天狗はまた烏天狗と木葉天狗との二種がある。烏天狗は烏がなるのであって、烏は天照大神の御使であると言われる位で、神様に因縁のある鳥である。木葉天狗とは烏以外の他の鳥が死ぬと皆木葉天狗となるのである。猿田彦命は元は第二天国の神様であったが、悪い事をしてその罪により天狗界に落とされ、天狗界の総大将となったのである。

道了権現、秋葉、半僧坊等は皆天狗である。道了権現は鷲である。天狗界は非常に問答が好きであるところから問答や議論が職業である。問答をして勝ったところに位が上がっていくのである。またその間に碁や将棋をやる。とにかく勝負好きである。天狗の言葉はサシスセソである。

天狗は翔けることと、字を書くことが好きである。とても上手な字を書く。天狗は皆高い山に居る。霊力があるから此方の山から向こうの山へ人間をやる等造作なくできる。子供等十里位僅かの時間に運ぶのである。今までの霊術者等というのは皆此れの類である。

天狗は山を穢されんように守護しているのである。山で死んだり、迷ったりするのは山を穢したので天狗にやられたのである。山に登るには敬虔なる気持ちで、山の霊気にふれさせていただくという気持ちで行かなければいけないのである。』