メシヤ講座・特選集no.6 (平成13年5月分)

 

<質疑応答形式です>

森前政権と小泉政権の違い  

受講者

森前総理の時と小泉総理では内閣支持率に大きな差があり、本当に同じ政党の政権だろうかと思います。日本は良くなっていくでしょうか?

楳木代表

そうですね。日本社会を覆う閉塞感を何とかしたい、と誰もが願っていますからね。耳ざわりの良い小泉さんの話には期待感を持ちます。それが支持率を高めているのでしょう。田中さんの人気もありますしね。それにしましても森さんは気の毒でしたね。私は、森さんの「失言」には大切な内容が含まれていたという立場を取っていましたから余計にそう思います。また大事な法案を幾つも通しましたから仕事はしたのです。ただ皆さんが見逃している点がありまして・・・。自民党の犠牲になっているのです。自民党は、実質的にマスコミ規制の動きを起こしていたのです。それに反発したマスコミ各社は自民党を攻撃するべく思案していて、間の悪いと言うのか、良いと言うのか、ちょうど「失言」が相次いだ訳です。徹底して「失言」に対する攻撃をするのは当然です。マスコミ操作によって、という面があります。小泉さんの掲げる構造改革などはマスコミが願ってやまないことですから。しかし、現実の改革は多難ですので、ミスリードされないように、順調に行くように祈っていかねばなりません。

それから、ワイドショー何とかと呼ばれていますが、そうした話題ばかりに目を奪われていてもいけません。例えば、冷戦が終わった後の世界は順調かと言いますと、決してそうではありません。ロシアでは権力の枢要の地位に元KGB幹部が配されつつあると言われますし、チェチェン紛争に対する対処法や言論統制には違和感を覚えます。また、原子力潜水艦の沈没事故に際して、抗議する遺族に治安当局者が鎮静剤を注射しました。皆さんも記憶に新しいと思います。自由社会と果たして言えるかどうか。中国もつぶさに見ていると、不可解な場面が多々在ります。この両国が様々な面で接近を図っていると言われています。これに対してアメリカでは、大統領選で民主党への中国人の不正献金疑惑が焦点の一つにされ、ブッシュ政権はロシアのスパイ網を摘発しています。「同盟国優先」を唱えて、外交を進めています。そうした点にも目を向けていませんと、いけませんね。小泉さんが靖国神社への公式参拝にこだわり過ぎるのもどうかと思います。それは、戦没者に対する考え、戦犯者に対する考えを明らかにしていないからです。それらも含めて戦後処理に終止符を打つ段取りを早急に進めねばなりません。ドイツなどはとっくに済ませています。日本の政治がまだ成熟していないということですかねぇ・・・。

こうしたことに併せて、日本の場合「公平」感が出てこなければ良くないですね。経済の構造改革の中身でいう、不良債権処理にせよ、財政再建にせよ、透明感と公平感が伴わねば良くならないでしょう。また、日本の人口は明治時代の四倍に膨れ上がっています。古い概念ではよき日本は築けません。今、竹中さんや石原さんは、既得権にしがみついていこうとする人達と対峙していると思いますが、初志貫徹していただきたいですね。そうしなければ、Oー157のような事件は後を絶ちません。これについては以前に話しましたのでお解りと思います。まあ、特殊法人や認可・公的法人などは実に時代に合っていません。これは天下り問題や民業圧迫の典型ですからね。過去の役割については評価しますが、時代に合っていません。

そして長期成長力の引き上げも言われていますね。中身としては、「ITの第二段階」や「都市の再生」などが謳われています。しかし、表に出ていない論議も数々ある訳で、それらも政府から国民に投げかけていかねばなりません。釈明会見に偏り勝ちの在り方を脱皮してほしいですね。中でも二百ボルト化問題など、広く論議を巻き起こしていきたい内容です。二百~二百三十ボルト位になると、瞬間湯沸し器も電気でよくなるし、様々な調理器にも都合がよい。そして火事など随分防げますし、何より地球温暖化の防止に貢献できます。ましてや絶大な経済波及効果が生じます。ただ、ガス業界は大変なことになりますから、十年後なり、十五年後なり期間を設けて移行していけばよいし、その為の助成をしていく事なら国民も納得するでしょう。そして、発電もアジア全体を視野に入れていけばよいと思います。少し長くなりましたが、まあ山崎幹事長もテレビ番組で「まやかし」の政治を認めたようですから、認めた以上は好転するでしょう。そうした意味では日本は良くなるでしょう。その為に、皆さん高次の祈りを一層捧げてください。

 

子育てについて

受講者

四月の末にメーデーに合わせてだと思うのですが、「三歳までの就労 人格形成に無害」という記事が新聞に掲載されていました。子供が三歳になるまでに母親が家の外へ働きに出ても、子の発達に悪い影響を与えない、というのですが・・・。いかがでしょうか?

楳木代表

問題行動については、五歳までなら幼児期に母親が働いていた方が少なかったそうですね。八,十,十四歳になると差がなかったとも報告されていましたね。 十五歳以上はどうなのでしょう。幼児期に母の就労が子の問題行動をむしろ抑えるように作用することについて、専門家は「子育てに多くの人が関わる『開かれた育児』が、ルールを学ぶ機会を子供に与えているのではないか」とみているようですが、そう簡単に考えて良いものだとは思えません。問題行動を抑えるということは、ストレスを抱えることに繋がります。心理の成長という観点からみると、ストレスを抱えることは好ましくありません。例えば、幼児のストレスはお母さんのオッパイを触ると消える、と言われています。幼児がオッパイを触りたい時に、すぐそばにお母さんがいない時はどうなりますか?我慢せねばいけませんね。心理的に無理をせねばなりませんね。こうしたことは、心理の成長に影響を及ぼします。

どのみち、子は母親の下を離れた時にストレス社会に出たことになります。しかしその時間はゆっくりの方が良いのです。早すぎてはいけません。最近保育園などで問題になっている事に、子供がよく転び怪我をするという事があります。その原因は、ハイハイする期間が短く、早く歩き始めるからだそうです。足首や足の指が鍛えられないままになっちゃうのですね。親は当然、早く歩き始めると喜びます。しかし、子供にとっては重大事になるのです。ですから親の都合の良いことが、そのまま子供にとって良い事とは限らないのです。赤ちゃんの首が据わるのは何ヶ月目ですか?寝返りを打つのはどうですか?時間がかかりますね。哺乳類の中で、立ち上がるまでに一年も要するのは人間だけです。何故かと言いますと、生まれてくる赤ちゃんの脳の大きさと、母親の二本足歩行に関わっています。人間は、二本足歩行できたことで言葉を取得しましたし、脳を大きくすることができました。そして知能の発達をみたのです。その反面、産道が小さくなり、大きくなった脳を通すことが困難になりました。その為未熟状態で出産するようになったのです。このように考えてまいりますと、子育てというのは「脳を護り、育てる」ということになるのです。親は、子供の脳のことを意識して子育てに当たるべきですね。しかも特性を見出してやるのが親の勤めです。

 

予防接種は野蛮行為

受講者

子育てに関連してですが、三種混合などの予防接種についてどのように対処したらよいのでしょうか?

楳木代表

様々な要因を加味していかねばなりませんが、一般に予防接種が行き届いていない時代の子供たちと行き届いた時代の子供たちを比べてみてもらいますと、年輩者なら以前の方が良かったと言います。何がと言いますと、性格的なことです。青洟を垂らしていた時代と現代を比べても同じような返事です。精神への影響を感じているのですね。メシヤ様の教えでは『予防接種や手術は野蛮行為だ』とあります。これは、霊体一致の法則により、「異物を入れると血が汚れ、血が汚れると霊が穢れる」ということです。また「肉体のある部位を切除すると、霊細胞も切除されてしまい来世の生活に支障を来たす」ということです。現代人は、薬などの異物を体内に入れることに鈍感になっていますが、覚醒剤などを例に引くと解りやすいと思います。アーチストなどが麻薬に惹かれる場合があります。創造的活動というのは脳内にドーパミンが分泌されるのですが、その前にドーパミンを誘い出す誘導物質が出ます。その誘導物質が豊富に出る人が天才的活動ができるのです。しかし、あまり出ない人は、人工的誘導物質の麻薬や覚醒剤に頼ろうとするわけです。ところが、脳内に自然に出てくる誘導物質は、すぐに分解します。依存がつかないうちに分解してしまいます。しかし外から入れる人口誘導物質は、分解しない訳です。そして依存がつきます。それが中毒です。人口物質にはこうした落とし穴がある訳です。

出産後の初乳には、赤ちゃんにとってとても大切な働きがあることは以前話しましたが、体臭もお母さんに似てきます。また離乳食を食べ始めると、便の匂いが強くなりますね。これは消化のための菌が正常に増えていっているからです。さてその菌はどうして赤ちゃんの体内にできたのでしょう?ご存知のように、口移しで食べさせてあげることによって菌も一緒に入っていくのですね。ですから大いに口移しをしなくてはいけません。中には、歯周病の心配をする方もいますが、その予防のために涎が出るのですよ。巧くできているのです。こうした生命の神秘に、驚いたり、感動したり、感謝して子育てをしていただきたいですね。先程の話ですが、麻疹などは人間にとって大切な役割があるので、安静にして浄霊をいただけばその子のためには良いのですが・・。ただ、浄霊力を知らない人では予防接種も仕方ないですね。個々人の自由ですから。

 

宗教のボーダレス化と使命

受講者

オウムの事件があったりしまして新興宗教に懐疑的な人が意外と多く、メシヤ教も警戒されますが・・・。「うちは先祖伝来の仏教だけしておけばよい。いらぬ事に手を出すな」と身内などに言われる場合どうしたらよいでしょうか?

楳木代表

そうしたことを言うのも解らないでもないですが、一般的に日本人は宗教に対する知識が浅いですね。オウムの問題もきちんと理解していません。厳密に言えば、オウムは修行にヘッドギヤーや薬物を使用した段階で宗教ではなくなっているのです。本来宗教というものは精神世界を求めておりますが、オウムの場合モノに頼り過ぎてしまったのですね。教祖が悟りを得たとします。信徒は同じ境地の悟りを求めて修行に励みます。この課程を追体験と言いますが、オウムの場合この課程において、モノに頼ってしまったきらいがあります。薬物の使用は、先程の話のように人体・精神に大きな影響を及ぼします。結果は自ずと解るというものです。ですから、色々なグッズも結構なのですが、その為に精神面が疎かになってしまったら逆効果ですね。あまりグッズに頼るような事はどうかと思いますね。私が、「おひかり」や「お守り」といった宗教的御下付物を受けなくてもその人の心の持ち方で浄霊ができると発表したのも、本来の宗教の在り方を求めたからなのです。

ただね、「うちは仏教」と言われても、「本当ですか?」と訊きたくなります。日本の仏教は仏教ではありませんよ。強いて言えば儒教の形式の方が強いですね。例えば位牌。あれは仏教ではありませんよ。黒塗りに金泥の文字は儒教です。それでは何故日本に位牌が定着したのかと言いますと、元々同じ形式のものがあったからです。神道の白木の札ですね。神道では、成人男子が亡くなると「〇〇〇〇毘古之神霊」とそれに謹書します。それと似ていますからね。また、「南無阿弥陀仏」と唱える人で、その意味を解って唱えている人は幾人いるのでしょう。「南無」とは「帰依する」という意味ですね。阿弥陀仏に帰依します、と言っていると自覚して唱えているのでしょうか。違う方が多いと思います。ですから、お葬式でご遺体に向かって「南無阿弥陀仏」と唱える時の心はどうなのですか。きちんと教えていますか。真理を説くと言いながらも、基本的なことも教導していないのが現状です。新興宗教の方がマシですよ。

マシとは言ったものの、真に人々を善導しているかと言うと、あまりそうとは言い切れませんね。例えば、霊障についての相談をしたが、「こういう人が浮かばれないで頼ってきているので、供養しなさい」と言われ、取り組んでも変化がないと、「誠が足りない」と責められる。供養料ばかりが嵩むという話ですね。これは宗教ではありませんで、霊感商法の類です。もし霊障の相手が判ったらどうすべきかですね。宗教家ならば、霊に対して諭してやらねばなりません。霊界の修行は何と言っても「我と執着」を取ることですから、何時までも恨んでいたり、心配していたら執着が取れないので、結局何時まで経っても救われないことになります。私は「救霊」を心掛けていくことが宗教の使命の一つだと思います。それから「慰霊祭」というのも人任せにせぬ方が良いですね。それぞれの宗教で、慰霊祭の斎行方法を知り得たならば、自分の霊性を高めつつ真心を込めて自分で取り組んでいく事も大切です。

私は、宗派にとらわれませんので、現在の信仰を続けていても「浄霊力」を授けますよ、と言ってます。それは、それぞれ各宗派によって尊称は違っても最高神を求めていることには違いがない訳で、その最高神が『誰にでも「浄霊力」を授ける』と仰っているのですから、その恩恵を取り次ごうとしているのです。言わば、宗教のボーダレス化ですね。その延長線上には民族紛争消滅の願いもあります。民族紛争などという悲劇を滅していかねば、宗教の意味が見出せなくなります。

 

地上天国祭を六月十五日に斎行

受講者

六月十五日は「地上天国祭」を斎行するとのことですが、意義について教えてください。

楳木代表

メシヤ様の教えによりますと、『立春を期して弥増す神威は、六月十五日を期して現界に移写される』とあります。神威が移写されると『浄霊力』と『浄化力』が強くなります。つまり、毎年六月十五日を期して浄霊力が強くなると思ってくださったらよろしいですね。ですから、まず強くしてくださる事に対する感謝ですね。その想念が第一です。そして、強くなる浄霊力を一層身につけさせていただけるようにお祈り致しましょう。それでですね、浄霊は霊の行使ですので、この機会に行使する心の高まりが自分にあるかどうかを顧みておいていただきたい。そして、霊の行使をするに足る自分づくりに努めて参りたいと思います。

また、地上天国祭というお祭りは、地上天国の雛型完成を記念して始められたという経緯もあります。元々は、昭和六年が起源です。教祖・明主様は、昭和元年から啓示を受けられますが、その内容の検証に六年弱を要しておられます。そして決意を固められ、神示のまま昭和六年六月十五日千葉県鋸山に登られています。その日『夜昼転換』のご神事に臨まれまして、天照皇大御神様を現界にお迎え申し上げて、東京の日枝神社にご鎮座申し上げておられます。ですから、私は時節ごとに日枝神社参詣を執り行うのです。それから、教祖・明主様は人類救済の具体的手段の一つとして「浄霊法」を確立され、昭和十年立教に踏み切られたのです。その由来からして、人類救済、地上天国建設の決意を更に強くする日であり、その為の力を頂く日でもあります。私の本に地上天国についてのメシヤ様教えを紹介していますから、よく読んでお臨みください。また六月に詳しくお話しましょう。