メシヤ講座・特選集no.1(平成12年12月)

<質疑応答形式です>

受講者

二十一世紀が目前に迫ってますが、どのような世紀となるでしょうか?

楳木代表

「どのようになるか」ということよりも、「どのような世紀にするか」ということの方が大切です。「二十世紀は、地球の距離が縮まった。二十一世紀は、宇宙の距離が縮まる」と言われていますが、大変楽しみですね。人類の知恵が磨かれ、科学技術が発展をみているお蔭です。しかし、進んでいると思われている国ほど様々な問題を抱えています。

例えば、アメリカの大統領選挙の様子を見ていてどのような感想を持たれましたか?最良最善の民主主義と言われた在り方に多くの問題を含んでいましたね。また、アメリカは「自由の国だ」「実力主義の社会だ」と言われます。自由や実力主義という言葉は、耳にした時には誰も異議を唱えるものではありません。しかし、度が過ぎるとどうでしょう?今、アメリカと日本の弁護士の数を比較すると、二十対一で、精神科医では六十対一ということです。様々な要素を考慮しても、この数字が何を物語っているか、一目瞭然ですね。

日本が出てきたので例をあげておきましょう。今年の十一月十五日、厚生省は非ステロイド系解熱剤のジクロフェナクナトリウムの使用を禁止しましたね。これは「インフルエンザ脳炎・脳症の臨床医学的研究班」の答申を受けてのことですが、二つの問題が指摘されています。一つは薬禍薬害の見地ですね。二つ目には、かなり前にアメリカで同様の事件が起きているということです。医療先進国と言われている所でこうしたことが続いています。ただ事件に対する政府の対応はかなり違いますが・・・・・。

受講者

かなり暗い事柄ですね。

楳木代表

話が前後になりますが、二十一世紀は理想世界になる可能性を十分に有していると言えます。可能性と申し上げたのは、幾つか心掛けておかなければならない事があるからです。第一に挙げておきたい点は「宗教と科学の一致」ということです。あらゆるものが生成発展している訳ですから、宗教と言えども発展しなければなりません。そして発展する時の鍵となるのが科学との一致ということです。もともと科学は神の啓示を証明するということで発展をみたという側面をもっています。人の免疫力をみても、宗教的な要素を抜きにしては解説できませんね。また、野菜を栽培する時に音楽を聴かせる試みがされてもいます。アメリカの方では、前世の記憶や胎児の時の記憶を持ったまま生まれてきた子供がかなりいるということです。私が相談を受けた人の中に、自分の子供の問題がかなりの割合を占めるのですが、胎児の時の親の環境が影響している場合が多いですね。この話をし始めたら時間がなくなりますから・・・。

受講者

・・・・・。

楳木代表

二十一世紀を理想世界にしていく上で根本的な話をしておきましょう。そこでメシヤ様の教えを引用します。少し長くなります。

二十一世紀は「神世紀」、つまり「神の世界」となります。

今年十一月十一日を以って国常立尊様がお出ましになり、仏滅が到来した。これより神世界が始まる。またそれに伴い、尊様は様々な神務に取り掛かられている。内外の情勢はその経綸の推移の結果として起きている。

受講者

森総理の失言などもそのひとつですか?

楳木代表

それは大いに関係がありますが、年明け早々省庁の再編がありますので、「天皇」発言や「神の国」発言と合わせて次回にお話しましょう。

楳木代表

仏教の起源と仏滅についてまとめておきます。

神代における事件・・・・・約三千年前、素盞鳴尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売大神様の地位を狙って要望したが、容易に応諾されないため、威圧や迫害等から進んで遂に生命にまでもおよんできたので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼をそらし、密かに日本を脱出し、インドに落ち延びた。

観世音菩薩のご本尊・・・・・伊都能売大神様は、観世音菩薩の御名によって当時インドの南方海岸にある補陀落迦という名の山に清き館を建てられ、安住せられた。この事は悲華経の中にある。曰く「観自在菩薩は補陀落迦山上柔らかき草地の上に、二十八部衆を従え、金剛宝座に結跏趺坐して説教をされた。云々」とある。当時まだ善財童子という御名であった若き釈尊は、この説教を聴聞して、その卓抜せる教えに感激とともに心機一転し、皇太子の御位を放棄し、一大決意の下に修行三昧に耽った。そうして行成り出山するや、愈々釈迦牟尼如来として仏法開示にとりかかられた。故に、実際上仏法の本当の祖は、日本の伊都能売大神様であったことは確かである。

観世音の御姿・・・・・その最も特異の点は漆黒の素直な頭髪であって、これは日本人特有のものである。それに引き換え釈迦、阿弥陀は全然異なった赭色、縮れ毛であるにみても、両如来がインド人であったことは明らかである。また、観世音の王冠や首飾り等も、高貴な地位を物語っており、頭巾をかぶられているのは御忍びの姿である。

仏滅の意味・・・・・伊都能売大神様がインドへ落ち延び給うた時、日本古来の神々はインドへ渡航し、化仏身となられた。故に、仏滅とは化身仏となられた神々が本来の神位に戻られるということであり、大変目出度いことである。この事に関連して「本地垂迹」という言葉がある。この「本地」とは本元の国、即ち日本の事であって、「垂迹」とは教えを垂れることである。つまり、最後に至って故郷である日本全土に仏の教えを垂れるとともに、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという密意である。そして、実った時こそ仏滅となるのである。

受講者

かなり複雑ですね。

楳木代表

複雑ですし、時間をかけてます。しかし生命誌に比べると解かりやすいですね。何と言っても三十八億年から四十億年ですからね。宇宙ですと百五十億年ですよ。私はDNAのラセンと地球が銀河系を移動する軌跡が深く関わっているように思うのですが、まあこれらのことは科学者の方々が明らかにして下さると思いますが・・・。

受講者

では何故、仏滅など必要だったのでしょうか。

楳木代表

神意・・・・・この地上に真善美完き恒久平和の理想世界を建設する経綸に際して「精神文明よりも物質文明を先に発展させよう」とされた。その端緒が約三千年前の出来事です。それ以来、善より悪が栄えるという理不尽な時代となっていった訳です。対立、闘争が繰り広げられ、そのことにより人類は物質的豊かさを生む知恵を磨くことになります。衆知の通りですね。因みに、物質の「物」はブツであり「仏」に通じ、仏滅が来るまで「物質偏重の時代」が続くとされています。また、「善より悪が栄える時代」が続くと、真理を見失い、人類は堕落し滅亡する危険性があります。その為、神意により宗教が創られました。宗教により人類に良心を持たせ続けると共に、世界の霊的中心地である日本を邪神から護る為に種々神業を執り行われました。

 

代表例

伊都能売大神・・・・・・・・・・・・・・仏教

分身・・・木花咲姫尊・・・・・・・富士山

金龍・・・ ・・・・ ・・琵琶湖

国常立尊

分身・・ ・閻魔大王・・・・・霊界の裁き

艮金神・・・・芦別岳(鬼門の源)

素盞鳴尊・・・・・・・・・・キリスト教

 

稽暦・・・・・・・六〇六〇年

ユダヤ暦・・・・・五七六一年

仏暦・・・・・・・二五六一年

皇暦・・・・・・・二六六〇年

孔暦・・・・・・・二五五一年

西暦・・・・・・・二〇〇〇年

イスラム暦・・・一四二一四年

 

楳木代表

暦については、またの機会にお話しましょう。ただ、各宗教宗派によって「三千年来の罪穢れ」を説いていますが、その根拠になっている事が今お話したことです。ですから、物質偏重の考え方を変革していかねばなりません。日本の場合、当面「経済至上主義」「民主主義」「マスメディア」をキーワードにして、その在り方を根底から問い質していかねばなりません。教育は民主主義と併せてIT革命はマスメディアに含めて考える事は勿論です。

質問者

一概に把握できない内容ですね。「神世界」を一言で表現するとどういうことでしょうか?

楳木代表

一言でということは大変難しいことですが、強いて言うならば「真理明らかなる世界」です。今日まで「真如」という言葉が示すように、真理の如く見えていたものが否であると判明して来ます。当然、悩みも解決できていきます。楽しみな世界ですね。大いに楽しみにして二十一世紀を迎えましょう。

質問者

以前、本来の年の始まりは十二月二十三日と伺ったことがあるのですが、どういうことでしょうか?

楳木代表

古より冬至を「一陽来復」と称し、その翌日を「陰が極まって陽に転じた日」、「善い方に向き始めた日」としてお祝いする慣しがありました。ですから、暦ができても、正月よりむしろこの日を大切にする向きがあったようです。クリスマスにしても、この日にあわせて設けられたと言われている位です。因みに、日本でも「一陽来復」のお祝いにツリーを飾り付ける風習があったという興味深い文献もあります。この話は、平成天皇ご即位に関連していますが、デリケートな内容を含んでいますので、ここでは教祖に関してのみお話しておきます。

ご承知のように十二月二十三日は教祖明主様の降誕日です。「陽に転じた」「善い方に向かい始めた」ということを象徴するような降誕日です。それもそのはずで、明主様のされたことは「この世の中を善い方に向かわせる為の具体的な在り方を人々に授ける」ことでした。その代表が「浄霊力伝授」です。浄霊力は「二十一世紀を善導する神恵の御力」です。また、浄霊をする行為は「神世界を建設する上で鍵となる行為」です。その意味するところを鑑みれば、明主様への感謝の念は強まるばかりですし、降誕日も非常に大切になります。私はこの日を「メシヤ降誕祭」として、以上の意義を踏まえ「感謝」と「門出」の心をもって執り行いたいと考えております。

それでは佳きお年をお迎えください。