メシヤ講座no.104浜松(平成21年9月)

<今月の御教え>

「明主様(メシヤ様)とダヴィット女史 ジャーナリスト会見記(後編)」

【メシヤ講座 浜松支部】

メシヤ講座no.103 ご対談記を拝読して

楳木代表

メシヤ教の中でもイボが取れたという御守護報告がありましたが、メシヤ様の ご対談を拝読しているとメシヤ様のご在世中と進み具合が同じように感じて、 今回のご対談はちょっとニンマリしてしまうところがありますね。

イボが取れたということが三重支部であって、その話をしていたところ、大阪では、小学校1年生の子で足に2つ、手には珍しいのですが指に1つ魚の目があ り、「これ、どうしたらよろしいでしょうか?」と言うから、「浄霊をしっか りしなさい。足の場合は足の付け根をよく浄霊をして、それからその魚の目を よくして下さい。手の指の場合には腋の下をよく浄霊したら良いですよ。」と話をしました。

月次祭を終えてから浄霊をしてみたそうです。足の付け根と魚の目をよく浄霊したら翌朝、小さいのがポロッと取れたそうです。そして翌日、「じゃあもう一回浄霊してみよう。」と浄霊してみると、今度は大きいのがポロッと取れた そうです。円錐状に穴が開いたらしいのです。そして「お母さん、手の指も取れるかね~」と言って腋の下を今度は長く浄霊をしてみたら、翌日指をこすり合わせていたら、ポロッと取れて魚の目が無くなってしまいました。この人はメシヤ教にはまだ入会をしていません。 浄霊力伝授だけをいただいている人です。とても喜んで報告してくれました。そして大阪のブログに書いて欲しいと言って来ましたから、そのうちブログに載ると思います。

これからそういう大奇蹟ですが、短い文章で良いからどんどんアップしてくだ さいと言いました。 大阪のブログも木曜日更新されていると思いますが、そのように日常的に浄霊が生活の中に定着しているという、そういう姿が、もっともっと各地でアップできたら良いなとそういう思いを持ちながら移動してきました。

参加者

楳木代表にこの前いろいろご指導いただきまして、その通りに浄霊をさせていただいたので、胃から逆流をしてくる事もなくなり、心臓も気にならなくなりました。胸に機器をつけて、心臓の検査をした結果がもう出ていると思いますが、 医者に行くのも忘れてしまうほどよくなりました。

 

敵対心が強いと心臓を悪くする

楳木代表

悪い時に検査をした結果だから、きっと悪い結果が出ていると思います。検査結果をもらってくるのは良いけれども、あまり参考にしなくても良いですから。心臓が痛くなる時は左胸の上のほうです。下が痛いのは胃です。その痛みが消えたら良いです。しかし、この前話したように継続して続けていかなくてはなりません。

それと心臓が痛くなる医学的な原因は何かというと、心からくる場合は敵対心が強いと心臓を悪くします。これは医学的に追跡調査をして判明したことです。ということは、浄霊でよくなったら、今度は敵対心が心の中に起きないようにしていかなくてはなりません。そういう環境作りを自分自身でしていくということが大事です。だから仕事がテキパキ出来る人が、仕事が出来ない人を見るとイライラしてしまいます。また上司が現場の状態がわかっていないと「なんでわかってくれないのよ!」と思うとまたイライラしてしまいます。こうした思いが心臓を悪くしますから。そういう意味で、トータルでいくと、 敵対心というものを持たないで済むような環境作りをするということが、生活で一番大事です。

だから浄霊を継続しながら、そういう環境を改善していきます。しかし改善しようとすると、人間は相手を変えようとしてしまいますから。そうすると相手を批判してしまうことになり、これもまた心臓を悪くしてしまいます。

自分がどうするかということを考えて、時間帯とか職場での位置関係を変えていくということを自分で考えてみる。そして努力していくと、もう心臓を傷めることは無くなってきます。

短時間で御守護をいただきましたので、本当に良かったです。大きなお蔭ですね。

そして調子が良い状態が続くと、また元の生活に戻る場合がありますので、戻さないように大事にしながら生活をしてください。年齢と共に働く時間を縮めていかないと、どうしても肉体的にも負担をかけてしまいますから。御守護をいただいて本当に良かったですね。

参加者

心臓が痛くなるのは、医学的にいうと敵対心をいうことですが、肺は医学的にうとどういうことですか?

楳木代表

肺は、急激な頭の使い過ぎ、知的な作業のし過ぎ。それに加えて劣悪な環境での過労とかが肺には影響を与えます。どうしても過労が大きな原因になっています。そうしたことを考慮して、浄霊をいただきながら、気をつけていくということをしていかなくてはなりません。倒れてから環境を改善しても何の意味もないですから。

 

おかしいことはおかしいと言い続けること

楳木代表

この辺の運動会はいつごろですか?

参加者

10月の初めです。

楳木代表

県単位の判断になるそうですが、文科省から、新型インフルエンザで1クラスでも学級閉鎖があった場合には、運動会を延期するようにという指示が出ているようです。また学級の児童数の1割が37度以上の熱を出したら、学級を閉鎖しなさいという指示も出ているようです。ですから、今やたらと学級閉鎖や学年閉鎖が多いでしょう?学校へ行く前も、毎日体温計で熱を測っているでしょう?

参加者

学校へマスクをして通うようにしましょうと言われました。

楳木代表

20世紀少年という映画があったでしょ。目の書いてあるマスクをして。あれは一つのそういう予告みたいなものです。 国民全体がマスクの生活に入るというね。これは官僚主導でやっている訳です。だから民主党はその官僚に対して姿勢を改めるようにするという政策を打ち出しています。自民党のままで行くともっと加速度的におかしなことが出てきてしまいます。 官僚の言いなりですから。よく丸投げと言っていたでしょ。官僚に丸投げのま まですから。

だから官僚が悪い訳ではないのだけれども、どうしても官僚は事なかれ主義というか、〔問題が起きない方向へ〕というのと、〔自分の責任を追及されない〕という思考をいつも持っているから、どうしてもいつも手洗い・うがいとマスクということを打ち出してしまうのです。ここまでやったけれども、蔓延してしまったのだと、努力したけれどこうなってしまったということを事前にいつも用意しておきたいためにそういうことをやっているのです。

先週の〈官僚たちの夏〉で風越が政務次官になったでしょ。そのときに、同期の中から二人政務次官になる事は異例だと言っていたでしょ。あれが官僚の世 界が不文律で形成している、同期からは政務次官は二人出さない、一人でたら同期生はみんな退職するということがあの時代からできたのです。しかしまだ辞めた人はまだ50代で若いのでそのまま退職して、家でぶらぶらしていく訳にはいかないので天下り先を作ったのです。そして天下り先を作るために意味のない事業所をいっぱい作ったのは、高度成長期、あの時代から確保するようになったのです。

なぜかというと昭和30年代のあの当時は、経済成長率は十数パーセントありました。そして天下りの事業に10パーセント使ってしまったと言われています。それ が現在も残っているからみんな経済不況を起してしまっているのです。 成長率が止まってしまったから。成長率が何パーセントでも上乗せされていればこの10パーセントがあまり見えないから今日まで進んできたけれど、成長率が0パーセントに近づいてきたので、一挙にこの疲弊した状態が浮上してきたのです。

そこへ民主党が官僚依存をやめると言ったので、みんなの感覚としてそれが正しいと思ったから民主党が一挙に議席を確保したのです。自民党はそこに気がついていたけれど、今までずっと官僚丸投げでやってきたので変更ができなかったのです。ということが今の政局の中の流れの中にあるのです。そういうことがわかって今の日本の動きを見ていかないといけないと思います。

そして学校からいろいろな指示がきたときに言いなりにならないように。「それおかしいと思いませんか皆さんは」というようにして言わないといけません。そういう風に言わないで言いなりになっていくとおかしなことが常識として生まれてきてしまいます。

先程も話になりましたが、風邪引いた人間がマスクをすれば良いのです。他の人がマスクをする必要はないのだけれども、とにかく全部一律にマスクをさせてしまおうということが上からの指示として出てきてしまいます。おかしいことはおかしいといつも言い続けなければなりません。

参加者

それはクレーマーとかではなくて、おかしいことだから言ってもいいということですよね?

楳木代表

だってアメリカには学級閉鎖はありませんでしょう?と言ってみれば良いのです。だって風邪は引くものなのです。風邪は学校を3日間休ませれば良いのですから。インフルエンザは一週間休ませれば治るのですから。ならないようにならないようにと努めることも大事ですが、なってしまったら、ゆっくり休ませるということをやれば良いのです。しかし日本の中では休ませないようにしているでしょ。 罪悪のように。学校を休むと。 会社だともっとそうでしょ。具合の悪い時は休ませないといけないのに、何日間も休むと罪人みたいに言うからね。会社でいう罪人は会社の金を使い込んでしまったとか、サボっている人のことです。

子供を育てている中で理不尽な事を言ってきたら、ちゃんと言っていかないといけません。

 

【静岡新聞 平成21年9月7日 火曜日 朝刊より】

「感染拡大 新型インフルエンザ 5・完」

ほとんどの人に新型インフルエンザウイルスへの免疫がなく、感染しやすい。日常生活の感染予防や感染が疑われる場合の対応について、県西部浜松医療センター(浜松市中区)の矢野邦夫副院長兼感染症科長(53)に聞いた。

 

― 流行の動向について教えてください。

「ピークは10月ごろとみている。新型は、冬期に流行する季節性インフルエンザと異なり、20代以下、特に幼児の重症化が目立つ。妊娠や腎臓、心臓などに疾患を持つ人たちの重症例も報告されていて、注意が必要だ。健康な人は感染しても軽症で回復することが多く、過度に神経質にならなくてもよい」

 

― 普段の生活の中で感染リスクを抑える工夫はありますか。

「咳(せき)をする時に口鼻を覆う『咳エチケット』や、手洗いを徹底してほしい。インフルエンザはくしゃみや咳をした時に出る飛まつで感染する。重症 化しやすいハイリスクの人たちは人込みを避け、ワクチンを打つまでは外出を控えてほしい。マスクに関しては感染者やハイリスクの人が着用するのは有 効。しかし、健康な人についてはWHOは有効性のエビデンス(根拠)がない ため必要ないとしている。私も着けなくてもいいと考えている。今後、マスクの数が足りなくなってくる。本当に必要な人の元に届くことが大事だ」

 

―どのような症状が出たら感染と考えますか。

「季節性と同じで発熱、咳、鼻水など。下痢や嘔吐(おうと)も多いようだ。 健康な人は治療薬を飲まなくても自然に治る例も多いので、まずは自宅で様子を見てほしい。むやみに医療機関にかかると、ウイルスの持ち込みや、患者集 中による診療の停滞が心配だ。ただ、息苦しいとか、1日以上、水も飲めない という症状がある場合は重症化の恐れがあるので受診する。ハイリスクの人は必ず医療機関にかかってほしい。妊婦は家族に感染者が出た場合、抗ウイルス薬タミフルの予防内服をしたほうがよい。発熱は胎児の神経系にダメージを与える可能性がある」

 

―治療薬やワクチンについて教えてください。

「タミフルの予防内服には条件があり、誰でも服用できるわけではない。健康な人が仕事を休みたくないという理由で予防投与したら、薬が足りなくなってしまう。ワクチンは国の方針で医療従事者、妊婦、基礎疾患がある人、幼児に優先接種される。ワクチンはあくまで重症化を防ぐための処置なので、接種したからと言って無防備ではいけない。県内でも新型の本格流行が始まった。感染自体を封じることは難しいが、一人一人が適切な予防策と受診行動をとることで感染力を極力抑えることができる」(新型インフルエンザ取材班)

参加者

インフルエンザは浄化なのに、かかってしまうと、その子が悪いように言われてしまうのでは‥。その子が悪いのではなくその子に浄化が必要だったからかかってしまったと考えれば良いのですか?

 

間違ったことには相槌を打たない

楳木代表

そのようにその子が悪いと考えてしまうのが日本人の一番の問題なのです。今は、学校だけではなく職場でもいじめが多いでしょ。もう職場でのいじめの相談はいっぱいあります。 一人意地の悪い人がいていろいろ言うからいきたくなくなるというような相談がいっぱいあります。そして大きい職場では意地の悪い人が他の人を使っていじめをするのです。もう学校と全く同じ構造になってしまっています。そしてその責任者にはわからないようにしているのです。「あの人は変だから相手にしないように」なんてこうなるのです。そんなことが職場の中で蔓延しているのです。

参加者

何故職場でそんなことが起きるのですか?

楳木代表

職場が学校生活の延長になっているのです。 学校でそういう癖を身に付けて大きくなっているから、イライラしてくるとそういう癖が出てくるのです。

参加者

村八分とか言うことと一緒です。

楳木代表

そういうことですね。だからいい会社はそういうことをきちっと認識して把握して指導をしているのです。これを社員教育の一番の根っ子においておかないといけないのです。

参加者

そういうことがあったらわかるようなシステムが出来上がっているということですか?

楳木代表

いえ、そういうことが起きないようにみんなの気持ちをリードしていっているのです。

参加者

いつ自分が対象になるかわからないです。

楳木代表

もし自分が対象になった時にどうするかという準備を今からしておけば良いのです。いじめの対象になったとしてもへっちゃらでいれば良いのです。そして今以上に挨拶をする、それだけすれば良いです。 落ち込むと面白いからいじめるのです。ですから、みんなに大きな声で「おはようございます。」と挨拶をすれば良いです。嫌な人にもします。挨拶がないとどんどんエスカレートしていくのです。

参加者

70代になってもそのように意地悪な人がいるのですよね。

楳木代表

それは現在の教育過程で身についてしまったのだというように考えて、これが現在の時代苦の一つだと考えていかないといけません。みんな病んでいるというのだと。

参加者

そのような事になっても、気にせず、挨拶をきちっとするような自分になれば良いのですね。

楳木代表

そうです。嫌だわ~と思うとそこへ付け込んでくるから。

参加者

悪く言う人と同じように口車にのらないようにしないといけないですね。

楳木代表

そうです。口車に乗らないのと相槌を打たないことです。 間違ったことには相槌を打たないことです。そのようなときに「そうねえ」とか「わからないわ」と言わないで「へぇー?」とか言っておけば良いのです。そして、いつも何かあったら絶えず「上司に相談した方が良いよ」と話すのです。「何かあったら全て上司に報告したら良いよ」と。そして「上司から指示を仰いだほうが良いよ」という常に自分の言葉の中に入れておいてください。

参加者

そのように言えば良いのですね

楳木代表

上司に言うようにすれば良いのです。

参加者

上司が駄目なときには‥?

楳木代表

駄目な人間でも。その人を批判すると自分も仲間になってしまいますから。だから「上司に相談した方が良いよ」と。「そのために上司がいるのだからね」と。そして自分の基本姿勢を崩さないで下さい。

・挨拶が全ての基本である。

・悪い話の相槌は絶対に打たない。

・相談を受けたら「私のようなペーペーではどうしようもないから上司に相談した方が良いよ」と言う。

こういう基本姿勢をもって職場で過ごしてください。

 

「浄化を誘発された」

参加者

もし学校で最初に新型インフルエンザに罹ってしまって、周りの人から悪く言っても気にしなければいいのですよね。

楳木代表

そうそう。そんなことを言う方がおかしいのです。だけどそのためには自分の中に

〈インフルエンザというのは流行性だから必ず罹る可能性がある〉という思いをいつも持っていないといけません。そして〈罹ってしまったら一週間寝ていれば良いのだ〉と。そういう基本的な事を自分の中の腹に“どーん”と、大分下腹も出てきただろうから(笑)“どーん”と入れておく。若い時にはそういう入れる場所があまりありませんから、“でーん”と構えていれないけれど。そのために下腹が出てくるのです。下腹の出ていない人は収めるところがないので可哀想です

が‥。これは冗談です。

参加者

友達にうつしてしまった時にも、罹るものだから仕方がないと思えば良いのですか?

楳木代表

そうです。だけど「ごめんね」とは言っておかないといけません。しかし心の中では〈仕方のないことである〉という風に思っていなくてはなりません。しかも御教えを知っている我々はインフルエンザに罹ったほうが良いのです。 毒素を排泄できますから。そのくらいの気持ちでいないと。

先日テレビで子供が新型インフルエンザになっても、親は一切罹らなく、兄弟も何ともなかったということをやっていたでしょ。ということは、御教えからいうと、その子だけがその浄化をいただかないとい けない位の毒素が満杯だったいうことです。だからなる人とならない人とが必

ずいるのです。それから、浄化作用ということを知った私達が「風邪をうつされた」という言

葉は慎まなくてはなりません。「浄化を誘発された」というのです。毒素排泄のために風邪をひくのですから、誘発なのです。

参加者

持っている毒素がインフルエンザになるべきだったのか、そうでなかったのかということですか?

楳木代表

そうです。そういう気持ちを持っていかないと、今一律に何でもさせろと指示が文科省から出ていますから。之が一番問題な訳ですから。

参加者

夏休みに参加した行事の中で新型インフルエンザに感染してしまった人がいて、外出自粛を指示されました。楽しみにしていたほかの行事は参加しないで、言うとおりにしましたがその判断はどうだったのしょうか。

楳木代表

そのような指示があったのなら、おかしいけれども、一旦は守っておかないといけません。そうしないと罹っていなくてもウイルスを持っている可能性はあるのです。そうするとウイルスの運び屋になってしまう可能性があります。そしてそこの会場で蔓延してしまうとそれに加担したことになってしまいますから。

参加者

子供が楽しみにしている行事に浄化をいただくとか、今回のように参加できなくなってしまうのは、親の心がけが悪いのでしょうか?

楳木代表

その子にとって、その式典自体に意味がなかったということです。その子にとって出ない方が良かったということです。

 

【御教え 『救世』四十八号 昭和二十五年二月四日より】

『今流行のインフルエンザ』

最近、全国各地に流行性感冒が猖獗(しょうけつ)しており益々蔓延の兆ありとの事で、当局も躍起となって、原因を検討しているが、今以て真の原因は判らないようである、その症状としての「特徴は悪寒、頭痛がはげしく、 首、背中、腰、手足の筋肉や関節が痛み出し、また鼻血が出たり眼が充血してノドが痛む事がある、場合によっては下痢や腹痛を伴う事もある、大体五日から七日位の間発熱し、此症状が現われるが、気管支炎や肺炎などの合併症を伴わなければ生命に危険はない」(厚生省若林技官談)

右(上記)の如くであるから、わが神医学からみれば単なる浄化作用で、非常に結構であるとみるべきである、放任しておいても簡単に治るので、此点医学でも容易に治るとされている、吾等からみれば、此感冒によって如何に罹病者が健康を増すかという事で、心配処か大いに喜ぶのが本当である、処が、それを知らない医学としては、心配するのも無理はないがその原因を徹底的に知っている吾等は斯ういう事がある度に、今更神に感謝し、その幸福に酔わざるを得ないのである。

そうして今回の感冒は、人体の表面の浄化作用であるからいいが、何(いず)れは内部に固結している毒素の大浄化作用が起る事である、此時こそ簡単には済まされない、続々重症者、死亡者が出来るであろう、その時、幸運な人は本教へ縋り助かるが、頑張って容易に縋らない人は不幸な結果になるので、これこそ神様が行う善悪立別けの一種のメンタルテストといってもよかろう。

 

【御教え 『栄光』百六十四号  昭和二十七年七月九日より】

『伝染病恐るるに足らず』

之から夏期になるに従って、諸種の伝染病が続出するとして、当局は大童(おおわらわ)になって、予防方法や色々な施設に懸命であるが、吾々からみると洵に情ないのである。何となれば医学は其根本が分っていないからでもあるが、根本さえ分ってみれば何も心配も要らないばかりか、寧ろ伝染病に罹ればそれだけ健康は増すのである。其何よりの証拠は伝染病が治ると当分は発(おこ)らないばかりか、病種によっては一生免疫となり、健康はよりよくなるのである。斯んな事をいうと現代人は到底信じられないだろうが、それが真理だから、仕方がない。そこで其理由を詳しくかいてみるがこれを読んだなら何人も成程と合点がゆくであろう。

抑々(そもそも)伝染病なるものは最も急速に行われる浄化作用であって、之程結構なものはないのである。というのは今日の人間は非常に血が濁っている。此原因はいつもいう通り無暗に薬を体内に入れるからで、薬は元々毒であって、其毒が血液へ吸収されて濁血者となるのである。処が濁血者は虚弱で病気も発り易いから、茲に自然は其濁りを排除すべき浄化作用が発るので、人体は実によく出来ているのである。処が面白い事には其濁りを解消する作用として、黴菌という微生虫が発生して其仕事をする。即ち黴菌は其濁りの微粒子を喰いつつ繁殖するのであるからつまり濁血の不純物こそ黴菌の食物になる訳で、殖菌作用ではなく食毒作用である。

右(上記)のように浄化作用が起るという事は、人間ばかりではない。地上一 切の物に対しても同様で、之が万有の原則である。即ち暴風雨も、雷火も空間の浄化作用であり、戦争も、火災も、洪水も勿論それである。従って人体も血液が濁れば浄化が発るのは、自然の生理作用であるから、伝染病に罹らないようにするには血液を濁らせない事である。では浄血者になるにはどうすればいいかというと甚だ簡単である。即ち薬を用いなければいい。何となれば人間が生きるに必要なものは自然に作られる。五穀、野菜、魚鳥、獣肉、水等がそれであるから、それを飲食していれば、決して病気に罹る筈はないのである。何よりもそれ等悉くに味があるという事は、其物自体が食うべきものである事を教えている。それをどう間違えたものか、苦い薬を服んだり不味いものを栄養などといって食うのは、如何に自然に反するかが分るであろう。そればかりか結構な浄化作用を悪い意味に解釈し薬という毒物で一時抑えをする。其方法が医療であるから、之程間違った話はあるまい。

以上の理が分ったなら伝染病は恐ろしくないばかりか、健康上必要なものである。そうして本教浄霊の意味であるが、浄霊とは黴菌の食物である血液の濁りを解消して了う神力であるから、黴菌の食物がない以上、仮令(たとえ)伝染しても繁殖出来ず、死滅して了うのは当然で之が根本的伝染病防止法である事が分るであろう。

 

子供が親の映し鏡

楳木代表

幼稚園で熱が出た子に「それは浄化だから浄霊をしていれば良いから」とみんなにお話している子がいます。親達は浄化の意味も浄霊もわからないから「それって何?」とお母さんのところに聞きに来るので「浄霊はこうやってやるのよ」と教えてあげて興味を持ったお母さんが3人その子のお家に来ます。その中の一人に卵巣脳腫の人がいて7㎝ほどもあるので、医者からは「手術しないといけない」と言われて、しかし薬はよくないからどうしたら良いかと言って、一回15分間浄霊をいただいただけで2cmに縮まって手術をしなくてよくなりましたという報告がありました。たった15分だけで。

だから子供達が素直な気持ちでポンポン言っていることで親達が浄霊する機会をどんどん作っていくのです。そういう機会を作っていくというのは親の信仰なのです。親が御教えをしっかり拝読して、そういう気持ちでいつも生活していくと、子供達もそういう生活をするようになっていくのです。そうすると子供達が社会に出て行っても平気でその事を言えるようになるから、そういう子供達の身辺で起きてくることを通して自分の生活態度を見直しながら進んでいけば良いと思います。まあそういうことが、子供が親の映し鏡だと言われる所以ですから。これからもそういう姿勢を持っていってください。

参加者

父親からそんなことを言うと嫌われるから言うなといわれている子供の場合はどうしたら良いですか?

楳木代表

調子が悪い子がいたという話を聞いたらその場で電話をして「具合が悪かったと子供から聞きましたが、大丈夫ですか?」と。そして「病院いきましたから、大丈夫ですよ」とかなったら、「そうですか。お大事に」と言って切れば良いのですから。その姿を子供に見せれば良いのです。

そして子供が何でもお母さんに言っておこうという事になります。誰でもが「浄霊をいただいたら良いよ」という子供になる必要はないのです。その家庭その家庭の状況で対応して「具合が悪かったら浄霊をしてあげたら」ではなくて、そんなことよりも、その子が元気でいることが私達の願いですから「どうですか」と聞けば良いのです。そして大丈夫だと言うことを聞いたら「もう大丈夫だって。よかったね」と言って子供に安心させてあげれば良いんです。

「何で浄霊をしてあげなかったの?」というと攻撃になってしまいます。子供を攻撃してしまうことになってしまいます。ですから、知っているがゆえに子供に束縛感を与えてしまうことになってしまうと、それが良くないですから。だから親はゆったりした姿勢を持っていて、自分は一途にメシヤ様を求めていくという姿勢を持っていってください。 無理やり型にはめてしまうのではなくて、おおらかな気持ちで自分の後ろ姿を見せておけば良いのです。

参加者

孫が最近よく風邪を引いてくるようです。浄化だということはわかりました。 子供が保育園で風邪をもらってくると、子どもはすぐに治るのですが、親はその何倍もひどくてなかなか治らないようですが‥。

楳木代表

保育園というのはまず雑菌の場だと思っておかなければいけません。だから絶えず雑菌をもらってくる、それが保育園に子供を通わせている以上当たり前なんだ、そしてその雑菌のやりとりで子供は抵抗力を身につけていくということです。しかし娘さんの場合にはお母さんの庇護の下に育てられたから、雑菌を持っていないのです。だから「子供を通して雑菌を自分がもらっているという気持ちでいなさい」と娘さんに言ってください。ただし「風邪薬だけは絶対に飲まないでね」とそれだけは頼んでください。

参加者

葛根湯は葛の根からできているものですよね。ですから葛根湯を良く飲んでいると思います。

楳木代表

葛根湯も漢方薬の部類に入りますから、後が大変になりますから、体を温めて、温まるものを食べてよく寝なさいと言ってあげてください。 子供がいるとなかなか眠れないと思いますがそういう気持ちを持ちなさいと。今回来る途中で、お年寄りの施設でお金をいっぱい持っている人たちがいる施設に勤めている人の話を聞きましたが、ものすごい深刻な状況がそこにはあるのです。

なにが深刻なのかというと、大学教授をやっていた人や有名な企業の役員をやっていたりした人たちが人格を失ってしまっているような認知症になってしまっているのです。そこで働いている人たちは時代苦の真っ只中に入っているような感じです。 大学の教授だったり、小学校の校長をやっていた人たちは退職金を何千万ももらっていて、しかも毎月何十万かの共済年金をもらっていますから、そのお金を全部使って生活をしていますから、とてもいい施設なのですが、実際は認知 症だから、あまりにも落差が激しい中にいるので可哀想なのです。

ではそうなってしまった原因は何かというとそうした風邪薬などの蓄積なのです。認知症は海馬というところの萎縮で始まるのです。その海馬の萎縮というのは、例えば体が熱を出そうとしている時に薬で熱を下げてしまう、この中枢神経の一番元を馬鹿にする薬なのです。そこに海馬があるのです。そこのつなぎ目が途切れるようなことがあると、いつご飯を食べたかわからな

くなってしまうのです。さっき食べたばかりなのに、「ご飯はまだかい?」ということになってしまうのです。そこが認知症の一番困ることです。

ただこれには個人差があります。肝臓の強い人は解毒能力がありますから同じ量を飲んだとしても蓄積量が少ないのですが、肝臓の解毒能力の弱い人はたくさんたまってしまい、海馬が萎縮してしまいます。これはお酒が強い、弱いとは別です。お酒の強い人は、アルコールの分解能力が強いからお酒をよく飲めるだけであって、他の化学物質の解毒能力が高いか低いかは全く別のものです。だから千差万別です。そういうものを体に入れてしまった以上、弱い人と強い人とは薬毒の蓄積量が違います。この薬毒が内臓系に溜まればガンになってしまいます。 神経系に溜まって、特に海馬を萎縮させてしまうと認知症になってしまいます。

ということがあるので、メシヤ様はよく延髄を浄霊しなさいと仰っていたのです。そういう関係なのです。延髄に薬毒が溜まりやすいので、よく浄霊していけば最後まで認知症にはならないのです。ですから認知症にならないためには、薬毒を溜めないということと人間の刺激を受けることです。テレビの人間を見て笑っていても、これは人間の刺激ではなく電波の刺激ですから。人間の一対一とか個人個人の人間のふれあいが認知症にならない最大の刺激です。

これをいつももっていてください。それから時間があるのですから、新聞の一面から最終面まで全部くまなく読む、そういうことを心掛けていけば認知症にはなりません。

もっと良いのは布教することです。メシヤ教を布教することです。そうすると自分と違う考えを持っている人にメシヤ様の教えを話すわけですから、反発があったりいろんなことがあったりしますから。そうすると頭を非常に使うようになります。こうしたら説得できるかしらとか。そういう作業によって認知症にはなっていかなくなります。

だからこうやって御神業に参加することが認知症にならない一番の秘訣なのです。素晴らしいことです。 支部のお宅が一番幸せです。皆さんに支部として提供して、皆さんを受け入れる。ここがいっぱいになるくらいに集まるとみんな認知症予防をしているということになるのです。このままいくと、認知症が始まってしまうことがあるかもしれません。(笑)まあちょっと冗談ですが‥。

参加者

そうですね。認知症にはなりたくないですからね。肝臓も浄霊したほうが良いですか?

楳木代表

したほうが良いです。それとやっぱり何も持たないで歩くということが一番の基本です。歩かないといけません。歩くと腎臓が活性化してきますから、肝臓と腎臓は絶えず活性化させてください。

参加者

自転車はどうですか?

楳木代表

自転車は腎臓によくありません。なぜかというと骨盤が固定されるから適度な刺激を与えないと。

筋肉増強にはなりますが、腎臓をよくするためには歩いた方が良いです。

とくに農作業は同じ姿勢をずっととっていることが多いですから、腎臓に負担を与えてしまいます。 固まってしまっていますから、歩いて帰るとそれをほぐしてくれます。 自転車も腎臓に負担をかけてしまいます。同じ姿勢でしょ。そしてブレーキ操作というのはものすごく肩に負担をかけているのです。止まる時にブレーキを掛けないといけないでしょ。この作業というのは肩こりを製造しているようなものです。

例えば、九州からここまで車で来るのとバイクで来るのと比較した時に、肩こりの具合はバイクの方が車の倍以上です。私は過去、車でもバイクでも移動したことがありますから、体験的にそう言えます。 肩こりの度合いは車の方がずっと楽です。バイクは本当に疲れます。それは指先を絶えず使わないといけないからです。ですから自転車も姿勢を固定させて、指先も絶えず使っていかないといけませんから、とても凝るのです。できるだけ歩いて畑に行ったほうが良いです。

参加者

娘は「薬は毒だ」と思っていると思いますが、葛根湯は葛の根でできていからという考えがあると思いますが‥。

楳木代表

だから風邪を引いた時には、その人その人によって違うのですが、簡単な料理としては、ラーメンを作って生卵をのせ、お酒を少したらして、それを食べて寝るのが一番良い、という考えもあります。そして早く休む。お酒を少し入れておくと、よく眠れますから、寝つきが良いですから。

睡眠が一番大事です。

参加者

少し風邪引いてしまうだけで風邪を引いちゃったという思いが強いので、心配してしまうのですが‥。

楳木代表

しっかり食べて安静にしてくださいといつも言ってあげてください。

参加者

昨年「春の芸術祭」初日で間違えて奉告された「立春祭 ご面会奉告」の内容が全てを物語っています。というところがわからないのですが‥。

楳木代表

祭典の時に月次祭祝詞を奏上していたでしょ。本部で。「かけまくもあやにかしこ・・・」と言っていたでしょ。祭服を着た人が月次祭祝詞というのを上げて、それから玉串奉奠して天津祝詞・善言讃詞を奏上していたのですが,今○○○では奉告詞というものを読み上げるようにしているのです。祝詞の代わりに。立春祭に挙げた内容を係の人が間違えて4月の春の芸術祭のときに理事長に渡してしまったのです。で、理事長もそれを読み上げてしまったのです。途中で気がついたそうですが、立春祭のときのものを2回読んでしまったのです。昨年に。そしてその読まれた所の一部分を書いているわけですが、やっぱりメシヤ様ということを強く認識しなくてはいけないと言うこと、○○○教団にはそういう神意がきているのにもかかわらず『メシヤ様』と申し上げていないということです。

 

キツイ浄化は力がないと起きない

参加者

腕にブツブツが出来、そこから魚の腐ったような臭いのする膿が出ていてとても痒くて辛いのですが、どうしたら良いですか?

楳木代表

腋の下とその出来ている部分をよく浄霊してください。これだけの浄化は力がないと起きません。今この時代になかなか起きる浄化ではありませんよ。とても有難い浄化です。

この浄化が治ると頭が良くなるよ。(笑)

参加者

とても酷いのですが、痕は残りませんか?

楳木代表

大丈夫です。きれいに治りますよ。 私も小さい頃、同じようなものがもっとひどく出来ましたが、今はこの通り痕は残っていません。

参加者

とても痒くて、掻いてしまいますが大丈夫ですか?

楳木代表

それでも大丈夫です。痒い時には水で洗い流せば楽になりますよ。

参加者

学校に行く時にそこが恥ずかしいので、ガーゼを当てて、ネットをして行っているのですが、それでも良いですか?

楳木代表

それで良いですよ。その時に痒くなったらガーゼの上からポンポン叩けば良いですよ。

参加者

この浄化はすぐに治りますか?

楳木代表

毒素の量にもよります。少なければすぐに治るし、多ければ長引くでしょう。

参加者

足のかかとの傷が膿んで足首が青く腫れ、傷の周りが緑色になってしまってとて痛い思いをしました。浄霊のお蔭でだいぶ楽になりましたが、まだ治っていません。急所はどこですか?

楳木代表

緑色だったのなら、然毒ですね。足の付け根とその部分をよく浄霊してください。親子でとても有難い浄化をいただいて、こんなに素晴らしいことはないですね。

 

10分しか集中力が持たないのは

参加者

僕はいつもお母さんからテレビは毎日一時間だけと言われていますが、もっと観たいです。やっぱり一時間くらいが良いですか?

楳木代表

どうしてテレビを長時間観るとよくないかを知っていますか?

参加者

肩が凝ってしまうからですか?

楳木代表

一つはそうです。首、肩が凝ってしまうからです。そして眼が悪くなってしまうからです。それともう一つ。テレビの番組を観ているときにコマーシャルは30分の番組の中で何回ありますか?

参加者

3回か4回だと思います。

楳木代表

では少ないほうの3回として、何分に一回コマーシャルがある事になりますか?

参加者

10分に1回かな?

楳木代表

そうです、10分に1回です。

ということは、お話が10分に1回で休憩が入ってしまうということです。テレビを観ているときにはそのお話に集中していますよね。しかし10分おきにコマーシャルが入るということは、10分で集中力が途切れてしまうということです。そうすると何事にも10分しか集中力が持たなくなってしまいます。ということはNHKの番組のようにコマーシャルがない番組を観るのが良いと

いうことになります。しかし観たい番組はNHKばかりではないでしょうから、そのときには工夫を して観れば良いのです。コマーシャルをカットして一度録画をしてから観れば休憩なしで一度に観ることが出来るので、集中力が途切れることがなくなります。せっかくの集中力を10分しか持たないようにしてしまうのは、もったいないですよ。計画的に1週間で観る番組を決めて、コマーシャルなしで観るようにすれば、もしかしたら、番組が一つ余分に観ることができるようになるかもしれませんよ。

参加者

そうなったら嬉しいな。

楳木代表

頭を使って、工夫して観ると良いですよ。

参加者

足のあちこちが痛いのですが‥。

楳木代表

足の付け根と痛い所をよく浄霊してください。

参加者

痛いところあちこちにペタペタ貼っているのですが‥。

楳木代表

それは薬を飲むのと一緒ですよ。 先程の話のように認知症になっては困りますから。やめたほうが良いです。 認知症になると子供達に心配をかけてしまいます。そうならないためにも、貼るのは止めて、浄霊一本で行った方が良いです。

 

【御教え 『明日の医術 第一篇』昭和十七年九月二十八日より】

『病気の真因』

凡(およ)そ人間が此世に生を受けるや、遺伝毒素即ち最初に述べた天然痘毒素を主なるものとして種々の毒素を保有している事は前項に述べた通りである。そうして之等の毒素の支障によって健康が完全に保持出来得ないから、体外に排泄せらるべく絶えず自然浄化作用が行われるように造られているのが人体である。そうして自然浄化作用が行われる場合或程度の苦痛が伴うので、そ

の苦痛を称して、“病気”と名づけられたのである。此例を説明するのに一般的に最も多い病気――即ち感冒をとりあげてみよう。感冒だけは如何なる人と雖も経験しない人はないであろうからである。そうして此病気は今以て医学上原因不明とされているが、私の発見した所によると之は最も単純なる浄化作用の一種である。それは先ず感冒に罹るとすると発熱・頭痛・咳嗽・鼻汁・喀痰・食欲不振・全身の倦怠感・四肢の痛苦――其他である。之はどういう訳かというと不断に行われつつある第一の浄化作用によって、全身の各局所に溜結せる毒素が第二の浄化作用によって排除せられんとする活動が起ったのである。

茲で、浄化作用なるものを説明する必要があろう。抑々(そもそも)浄化作用なるものは、体内の不純物質ともいうべき然毒、尿毒、薬毒等が不断の浄化作用によって漸次的に或一定の局所に集溜し、凝結するのである。そうして集溜する局所は如何なる所かというにそれは特に神経を使う個所であって、その個所は後段に詳説する事とするが兎も角右(上記)の毒結の排除作用が発生する――それが病気の初めである。故に浄化作用を二種に大別されるので、一は―― 体内一定の局所へ毒素が集溜凝結する作用、二は―― 一旦凝結した毒素を体外へ排除する作用である。故に前者の場合では未だ大した苦痛はないから病気とは思わない。併し肩とか首とかが凝るという事はそれであって、次に後者である其凝りの溶解作用が起るので、それが感冒的症状である。即ち其苦痛が病気である。世間よく肩が凝ると風邪を引くというのは右(上記)の理によるのである。

以上説いた如く熱は毒結を排除し易からしめんが為の溶解作用であって、其溶解されて液体化した毒素が即ち鼻汁であり喀痰である。又発汗・尿・下痢等にもなるのである。然し液体毒素と雖も尚濃度である場合、排除に困難なる為それの吸引作用が起る。それが嚏(くさめ)及び咳嗽である。嚏は鼻汁を吸出せんが為、咳嗽は喀痰を吸出せんが為の喞筒(ポンプ)作用ともいうべきでものである。ゆえに嚏の痕は鼻汁が出て咳嗽の後は吐痰するにみても明かである。

そうして食欲不振は発熱と吐痰と服薬の為である。また痛苦は、その局所に溜結せる毒素が溶解し液体毒素となって排除されようとして運動を刺戟するからである。咽喉部の痛みは、喀痰中に含まれたる毒素が粘膜に触れる為粘膜を刺戟して加答児(カタル)を起すからで声が嗄(しわが)れるのは右(上記)の理によって声帯や弁膜が加答児を起し発声弁の運転に支障を来す為である。頭痛は頸部又は頭部の毒素の発熱によって溶解した液体毒素の排除作用の刺戟である。

右(上記)の如きものが感冒であるから何等の手当も服薬もせず放置しておけば、浄化作用が順調に行われて短時日に完全に治癒するのである。故に感冒程容易に浄化作用が行われるという事は全く天恵的ともいうべきである。此理に由って感冒に罹るだけは毒素は軽減するのであるから、感冒を自然治癒で治せば次の感冒は必ず前よりも軽減し且つ感冒と感冒との間の期間も漸次延長し、 終には感冒に罹らなくなるのである。それは、無毒になるから感冒の必要が無くなるという訳である。此時期に到ると稀には感冒に罹る事があっても、それは微毒であるから発熱は殆んどなく少量の鼻汁・喀痰位のもので其他の苦痛はないといっても可(よ)い位であるから、日常通り業務に携わっていて殆んど知らぬ間に治ってしもうものである。

然るに今日迄の凡ゆる医学上の理論は之の反対であって、感冒は重病の前奏曲かのように恐れられるのであって昔から“風邪は万病の基”などと謂い、今日では結核の門のように恐れられているのである。然し右(上記)の理に由って、感冒は“万病を免れる因”結核に罹らぬ方法であるというべきである。故に、感冒に罹る事は寧ろ喜ぶ事で“感冒に罹るようにする”事こそ何よりも健康増進の第一条件である。

右(上記)の理に不明であった今日迄の凡ゆる療法は感冒を恐れ感冒による苦痛を悪化作用と誤認し抑圧すべきであるとして研究されたのであるから、感冒という折角の浄化作用を停止しようとするのである。その方法として第一に薬剤を用いる。元来薬剤なるものは全部毒素であって、昔漢方の某大家は「薬は悉(ことごとく)毒である。故に薬を用いて病気を治すのは毒を以て毒を制すのである」と言ったが洵(まこと)に至言である。

即ち薬という薬物を用いるから体内の機能を弱らす、機能が弱るから浄化作用が停止されるのである。又氷冷法も浄化作用を停止させるのであるから発熱や苦痛を軽減させる。湿布も同様である。元来人体は、鼻孔の外(ほか)皮膚の毛細管を通じて呼吸作用が行われているので、湿布はその呼吸を停止させるのであるから、其部の浄化作用が弱まり、苦痛が軽減するのである。此様な種々の方法は悉く浄化作用を抑圧停止させるのであるから、苦痛は軽減し病的症状が軽減して一旦は治癒の状態を呈するのであるが、それは毒素が排除された真の治癒でなく折角浄化作用の起った毒素を再び凝結せしめるのであって、いわば浄化作用発生以前の状態に還元せしめた迄である。従而(したがって)時を経れば再び浄化作用が発生するから又風邪を引く又停止させる復(また)風邪を引くというように繰返すのである。事実そういう人が世の中には沢山あるのは誰も知る通りである。そうして厄介な事には毒素がその都度加わる事になる から浄化すべき毒素が倍々(ますます)増加する事になる。従而漸次悪性の感冒となるのは当然である。其結果として肺炎が起るのである。

元来肺炎という病気は浄化作用の強烈なものである。それは感冒の重症であると言っても可(よ)いのである。前述の如く小浄化作用である感冒を抑圧するから其都度毒素が蓄積増大され、それが一時に反動的に大浄化作用となって現われるのである。

 

[メシヤ講座no.104浜松支部 2009(平成21)年9月]