脳溢血の麻痺に御守護をいただく

岡山支部 T.K

 

皆様、地上天国祭おめでとうございます。岡山支部のT,Kといいます。私がメシヤ教と出会い、いただいた御守護の数々をここに報告させていただきます。

 

仕事中に脳溢血で倒れる

私が32歳の時、平成24年2月9日、仕事中に脳溢血で倒れ、救急車で病院に搬送され入院、手術を受けましたが、その後、左半身の麻痺のため感覚は無くなり、左手左足は動かなくなり、その上左目の視野範囲は狭くなり左耳は聞こえず、ロレツは回らなくなり言葉がしゃべりにくく自分が話している言葉を相手は聞き取れないという状態になりました。

その後、リハビリをするため同系列のリハビリテーション病院に移りましたが、そこで医師から「残念ながら、脳の損傷が、激しすぎて治らないから、片手で、生きていく生活のリハビリをしましょう」と言われました。これを聞いてショックで、死にたくなったくらいでした。

しかし、少しでも良くなればと、気を取り直してリハビリに務めました。足は装具を付ければ歩けるからと装具を作らされ、歩行訓練をしました。その結果、装具をつければ何とかゆっくり手摺を持ったり、杖を突いたりすれば歩けるようになりました。手については、最初から動かないということでリハビリの対象にはなりませんでした。そして、6ヶ月間リハビリテーション病院でリハビリを続け、そういう状態で退院しました。

 

メシヤ教へ繋がる以前の状態

実は私の母親が、○○○○会の信者だったので、小学低学年頃に母親の独断で小さい頃から入信させとけば安心というようなことで、私も入信していました。実際、○○○○会の責任者も「何もわからない小さい頃から入信させとけばいいんです。大きくなり自我を持てば入信しないかもしれないから、今の内に・・・そして大きくなってから自分で信仰続けるか辞めるかを決めさせればいいんです。」というようなことを言っていたので、母親もそのようにしたのだと思います。

しかし、入信していても一切何も変わりませんでした。持病の先天性喘息は一切治らないし、小学3年生までは痩せていたのが、急に体がぶくぶくと太りだし、家庭内不和もあったので、私は宗教とはこんなものかと常々思っておりました。平成20年には母が亡くなり、平成24年には自分が脳溢血で倒れたので、やっぱり宗教って、また浄霊ってこんなものか!世間が批判するのも分かるわ!と思っておりました。

半年間の入院中、何回か○○○○会の責任者が、見舞いに来てくれましたが、病院では、浄霊は出来ないからと言われて、来ても直ぐに帰って行き、見捨てられたと思い絶望し生きる希望がなく無気力な日々が続いてました。

そして、病院入院から半年後退院、姉、妹が熱心な○○○○会の信者で、その支部に毎日通って浄霊を受けるように勧められたので、支部へ行きました。

その支部の支部長は、「痛みが出れば改善する」とか「早ければ2年くらいで治るよ」と言われたので希望を持って通い始めました。そして1日に浄霊を3回いただき、それを半年間毎日続けました。その間には支部の責任者が変わり、新たな責任者からは、「借金をしてでも、全財産を明主様に包まないと一生涯治らないよ」とまで言われたりしました。そうして、6ヶ月毎日浄霊をいただきましたが、痛み一つも出なくて体に何の変化もなく、毎日の交通費と浄霊の御玉串料奉納を繰り返した結果、終に30万以上あった貯金も底を尽き、ほとんどお金もなくなり、にっちもさっちも行かなくなり途方に暮れてしまいました。

 

メシヤ教との出会い

しかし、このままでは駄目だと思って、母が浄霊、岡田茂吉教祖を絶対的に崇拝していたので、その母に免じて信じて見るか!と思い、必死の思いで毎日ネットサーフィンをして○○○○会以外の教団を調べました。その中には、メシヤ教もありましたが、最初は敬遠していました。しかし、思いきって平成25年2月1日に、メシヤ教岡山支部へメールしたのが事の始まりで、メール内容は超ネガティブ全開な内容でした。

私の最初のメールの内容は、

「お伺いします。浄霊?で脳出血後の半身不随が元通りに治りますか?現在私は半身不随一年生です。あと5か月以内に完治しないと会社クビになります。そうとう焦っています。5ヶ月後、半身不随のままだと私は首を括らないといけません。」

というものでした。その時、岡山支部からは、

「脳内出血の時、患部を冷やしましたか?手術はしましたか術後、更に水や氷などで患部を冷やしましたか?全てに該当すれば、残念ながら浄霊しても元通りというわけにはいかないでしょう。

患部を冷やした為、脳内に溢れた血液が残っていて、神経を麻痺させているか、手術の時、神経に傷をつけたか、どちらにしても現代医学の被害者ですね。お気の毒です。

浄霊力伝授は無料なので、試してみる価値はあると思いますが・・・。」

という返信をいただき、メール交換が始まりました。

 

初めていただいた浄霊で変化が・・・

そして、平成25年2月9日、ちょうど脳溢血になって入院した日のちょうど1年後に、メシヤ教岡山支部へ浄霊をいただきに初めて伺いました。今迄毎日いただいても一度も痛みが出なかったのが、その日にいただいた浄霊で初めて頭に痛みを感じました。また、目の錯覚かとも思いましたが、御尊影から、手が出てきて私の身体を通りすぎて行ったように見えました。

このような事は○○○○会では一度もなかったことなので、「これは本物だ!」と思い、その日の帰り際に浄霊力拝受のお許しを頂き、それ以来、自己浄霊と毎週1回、週末に支部へ浄霊をいただきに行くようになり、その都度薄皮を剥ぐように少しずつ改善されてきましたので、その経過と現在の状況を報告させていただきたいと思います。

岡山支部へ初めて行った時の体の状態は、目は虚ろ、何処を見てるのか分からない目付きをしていたと思います。言葉は満足に喋る事ができず、自分ではちゃんと喋れているつもりでしたが相手は中々聞き取れず、同じ事をもう一度言うような、そんな状態でした。そして、感覚としては左側は存在してないような状態でした 。左手足の状態は、手は小指だけが何とか動く程度で、腕は右手で左手をつかんで動かさないと動かない状態でした。さらに、肩は四十肩みたいに毒素で固まっていて、右手で持って動かしても、肩より上には上がらない状態でした。また、足は、足首プラプラで装具を装着しないと立つのもやっとな状態で、装具なしでは歩けないという状態でした。

そして、週に1回ですが浄霊をいただく度に、頭や首、脇の下、肘、手首など、ほとんど左側ですが痛みが出るようになりました。そして時には、1週間毎日下痢が続いて、トイレと友達になったこともありました。

また、平成25年の夏以降、浄霊をいただいても改善しないという状態が1~2ヶ月続きました。理由が分からないので、月次祭に参拝させていただいた時、代表先生にお尋ねしました。代表先生からは、太りすぎているので体重を減らすようにアドバイスをいただきまして、その通りに実行するとまた体が改善に向かうようになりました。

そして体の具体的変化としては、平成25年5月頃、足の方は装具を外して5~6歩、歩けるようになりました。左腕は肩よりも高く上げることが出来るようになり、腕を回すことも出来るようになりました。また8月には、完全に装具を外して歩けるようになり、左手を振りながらだと500m程度は歩けるようになりました。

しかしその頃、休業補償で1年6ヶ月も休んでいた会社は退職せざるを得なくなりました。

そして、失業保険で生活するようになりましたが、ここでも御守護をいただき、障害者年金が別に貰えるようになりました。

 

自分が自分に叱られる夢を見る

そうした中、11月に入り、左目の視野範囲さえあれば免許更新ができると聞いて、眼科へ行き、医師の診断を受けましたが、

「左目の半分が見えてないから免許は諦めなさいと言われました、それに、この左目の視野は一生治りません」

と言われ、意気消沈していると岡山支部へメールしたところ、支部責任者から、

「今まで、メシヤ様の証し、奇蹟をいただいて来たにも拘らず、たかが医者にそういうことを言われて、消沈するとは今まで何を見てきたのか・・・。 情け無い限りです。そんなことなら、もう浄霊はしませんので来ないで下さい。」

という、非常に厳しいメールの返信がありました。

その時は、売り言葉に買い言葉で、「もう行きません」と返信したものの、2~3日して寝ている時、夢を見ました。

「お前は今まで何を見て来たんじゃ!わしゃ自分で恥ずかしいわ!お前は自分からその治る資格を放棄するんか?わしゃ、情けないわ!」

というような、自分が自分に叱られる夢でした。それから、反省してメールを書き直して岡山支部へ送り、再び浄霊をいただくようになりました。

私の家系は相当罪穢れがあるようです。自分が自分に怒られた場所は、周り真っ暗のそれこそ暗黒無明の世界で世界の果てまで真っ暗な空間で、足元には畳がそのスペース分だけ敷かれているだけの世界でした。これは私を気づかせるために祖霊様、亡き母が見せて下さったことなのでしょう。この夢が無ければ変われず仕舞でした。この事は今でも感謝しています。

 

就職についても御守護をいただく

そしてその月末、薄給ですが、安定した収入源を確保出来る今の会社に就職まで出来ました。本当なら私はB型事業所行きだったのだと思います。それが御守護で今のA型事業所に就職が許されました。メシヤ様本当にありがとうござました。因みにA型、B型について簡単に説明すると、A型は、一般企業への就労を目指した仕事訓練の職場で時給制、時給650~900円程度。B型は、重度障害者向けの職場で作業工賃制で、時給制に変換すると時給10~200円程度です。

そういう二つの事業所があったのですが、私のような重度障害者を雇った事がないから、就労まで準備時間がかなりかかりました。しかし、その結果、時給がいい事業所の方へ就職が出来たのですから、御守護と言う外、言葉が見つかりません。神様のご威光を感じられずにはいられませんでした。

その頃から本格的に支部の改修工事が始まりましたので、支部の都合で毎週いただいていた浄霊が月2回になり、それ以来現在もそのまま継続して月に2回浄霊をいただきに支部へ行っておりますが、浄霊をいただく度に今も体の色々なところから痛みが出ます。

支部の責任者からは、「痛みがある内は、まだまだ体は改善するから」という言葉を掛けていただいており、さらに明るい兆しも見えております。

 

最近の体の様子について

最近ではお陰様で、浄霊をお取次ぎして下さった皆様方のお陰で、左手、左脚も大分回復しました。左額の感覚が右額に少し近づいているように思います。また、聞こえなかった左の耳が、凄い耳鳴りがしたりして少しずつ聞こえるようになってきました。左腕はある程度自由に回せたり、動かしたり出来るようになりました。指先もまだ細かな動きが出来るところまではいきませんが、1本1本ある程度自由に動くようになりました。そして、握力の無かった左手もかなり回復しました。日によって違いがありますが、25~49㎏くらい出るようになりました。

足は触られても感覚が全然なかったのが、押えられると痛いと感じたり、ある時は左足の土踏まずが歩くと痛くなり、あまり歩けなくなるということもありました。このように感覚が戻りつつあります。また、バックを肩に掛けてなければ、両手を振って1.5㎞くらい迄なら歩けるようになっています。片手だけ振っての歩行なら最高10㎞くらいは大丈夫です。

ですから今では、駅から歩いて支部へ行けるまでになりました。駅から支部迄の距離は4~5kmあります。装具着けてようやく1kmしか歩けなかった人間が、装具外したら最高5~6歩しか歩なかった人間が、時間は一時間半程度かかりますが、片手のみ振るようにすると、これだけ歩けるのが素晴らしい!自分が一番驚いてます。

また、会社では皆より遅れますが、ラジオ体操が一応出来ています。そして、完全に麻痺していた左の掌にわずかずつ感覚が戻ってきており、机に両手を置いたり、左右の手を合わせて参拝することが出来るようになってきております。

さらに地上天国祭の数日前より、ずうっと両足の数本の指から水虫臭い汁が出るようになり、靴下に引っ付いて靴下が脱ぎにくくなっています。この事を報告すると、支部責任者は良かったねと喜んでくれて、入れた薬毒が足から排泄されているので、さらに良くなるから安心して一層自己浄霊を徹底するようにと言われて、そのように取り組んでいます。

之だけ自分の体が変わってきた事実に対して、この感謝を忘れないようにしないといけません!

私は自分では感謝していたつもりでしたが、完全に感謝が足りていませんでした。言葉に出すと嘘臭くなると思い、はずかしくて感謝の言葉が中々出ませんでした。これも私の悪い癖です。

 

最後に・・・

そして私に課せられた使命的なものも感じました。私がここに就職したということは、ここに居る障害者の方々の浄霊力拝受の導きをしなさいってことかなと・・・。

私の目標は今現在、私が勤めている職場に30人以上の障害者がおられますので、その方々の一人でも多くの方に浄霊力拝受の事を知らせたいです。

この体験記を書きながら、「ありゃまぁ感謝が、全然足りてないわ」と自覚致しました。メシヤ様申しわけございません。そして、メシヤ様ありがとうございます。この経験を元にさらなる高みへと行けるように精進、邁進して行きたいと思います。ありがとうございました。

 

[御蔭話(生活習慣病)地上天国祭 2014(平成26)年6 月15日]

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