メシヤ講座no.196広島(平成29年7月)

<今月の学び>

「地上天国祭」の意義と想念のあり方、「霊層界」

 

【メシヤ講座 広島支部】

 

原田支部長

それでは宜しくお願い致します。

 

今日は何時もの学びではなくて、こちらの方に資料を用意してさせて頂いてその資料に基づいて学ばせて頂きます。内容というのはですね、代表の方から7月は6月の地上天国祭の時の意義と想念のあり方の資料ですね、この1枚の資料なのですけれども、この資料と霊層界の学びをして欲しいという事で一度はしているところをもう一度して欲しいと、していなかったらその学びをもう一度して欲しいとその月は徹底して欲しいという事が有りまして、そういう事で霊層界の学びをですね、一からの学びを先先月だったと思いますけれども、しているとは思いますけれども、それと同じ資料を1つと、違う資料を付けていますので、その学びをさせて頂きます。その後は地上天国祭の時の様子としてですね、神様からのメッセージと代表からのメッセージが届いておりますので、その時の様子とですね、御言葉を取次せて頂きたいのと、其の時見えた霊視の報告が有りますので、その報告という事で、沢山資料が有ります。これを全部やっていると昨日も出雲でしたのですけれども、10時から祭典が始まりまして12時15分位まで掛かりました、2時間15分掛かりましたので、途中ちょっと飛ばしてでいく所がありますけれども、後は読んでおいて頂けたらなぁと思います。

 

御玉串料について

それから、もう一つは御玉串を上から見たら、個人名でしか御玉串がないのですけれども、出来る事なら以前来た時に一度言ったと思いますけれども、御在世時の御玉串の上げ方というのは、自分の名前なり自分の家族の名前を書いてですね、御玉串をお届けさせて頂きますよね、そういう風に過去もして来ましたけれども、祖霊は其の時に本来は皆様方の肩に乗っかって来るのですけれども、祖霊が神様に対する御玉串とか貢物として、当時は品物をですね、その時の旬の物とか、好きな物であるとか、そういった物を実はお供え物として持って行って、そのお供え物に祖霊の想念が乗かって御神前で御光を頂くというような事でずっと伝えて来ました。けれども、現代はそういうお供え物をするとかそういう風習が有りませんので家を出る時にはですね、自分の御先祖に向かって「今日も一緒に参拝させて頂きたいと思いますので、御一緒させて頂きます。」という様な形で、仏壇にまず御挨拶をする事が一つ大事な事と、そして、来られた時には御玉串に自分の名前の他に、もし出来れば○○家先祖一同とか○○家祖霊一同とかというような形で祖霊も一緒に御神前で御光を頂いて、霊界で働いて頂ける様なそういう有り方の御玉串をして頂ければ良いかなと思います。

 

その時には、申し訳ないのですけれど今迄、例えばの話なのですが、千円なら千円していたものが祖霊様を迎えて千円じゃあそれはあまりの事ですから、祖霊は何百とか沢山居ますので、まぁもう一枚足すとかそういう形で気持ちの問題ですから、そういう思いで神様からも自分も御光を頂くけれども、祖霊も一緒に御光を頂いて神幽現一体となって御神業させて頂くのだという姿勢を取って、頂ければもっと自分の家の霊界も高く成って行きますし、その縁に繋がる人も救われ易くなって来ると思いますので、そういう事に気を付けて頂ければなぁと思わせて頂きました。それでは、その内容に入らせて頂きます。まず、平成29年6月15日の地上天国祭の意義と想念の有り方に付いてこれを読んで行きます。

 

平成29年の地上天国祭とその意義と想念の有り方に付いて…

 

受講者

「平成二十九年六月十五日「地上天国祭」の意義と想念のあり方について」を拝読

 

原田支部長

はい有難うございました。茲に書かれているようにですね、昭和29年6月15日のメシヤ降誕仮祝典は有る意味失敗でしたね。そして本来メシヤ様という風にお呼び申しあげなくてはいけなっかたのがですね、それもメシヤ様の方から私をメシヤと呼びなさいという事で本当であれば、我々の方からメシヤとお呼びさせて頂きたいという風にして、お呼び申しあげなくてはいけなかったのですけれども、そういう事でですね、僅か2ケ月間だけメシヤという事の位置付をお示しに成られて後は、明主様という風に戻されて祭典はそのままになってしまいました。

 

それはですね平成の世はですね、昭和の時代の時の失敗を改めて無くして経綸を継続して行くという意味も有りまして、平成29年6月15日にその仮祝典を再度、挙行して天照皇大御神(あまてらすすめらおおみかみ)様をですね現界の地上に御迎えする様にという風な御垂示が有りまして、この度の祭典を執り行ったかという事で、今回の箱根での地上天国祭と、熱海でのメシヤ降誕仮祝典は皆さんにも報告が有った様にお出まし頂いて成功した訳ですけれども、成功したという事はもう二度とこの度の地上天国祭とメシヤ降誕仮祝典の意義に基づいた祭典はないという事で、人類にとって一つの大きな祭典でした。

そういった意味では一人でも多くの方にこの広島支部からもですね、本当は参拝して頂きたかったのですが、諸事情も有りまして今回許された方のみが当日参加したという事で有りますけれども、代参の御玉串をされた方であるとか、自宅なりで御神前に真向かって同じ時間に参拝をされた方、そういった方々に付いてはですね、行った人と同じ様な一応扱いをして下さるという事で御垂示を頂いています。その位大切な祭典だったのですけれども、無事に祭典を終わらせて頂く事が出来てですね、非常に安堵しました。

それから来年の3月3日、これも本祝典に成りますけれども、之も我々が生き還り死に変わりして行く中でもう無いという、祭典に成っていきますので、出来るだけ来年の3月3日は参拝が許される様にして頂けると良いのではないのかなと。自分達の未来に関わる事になって来ますのでその様にして頂ければなと思います。

 

これからの参拝に臨む姿勢について

原田支部長

後は色々書かれているのですけれども、大事な部分としてはですね、「正しい認識と想念の基メシヤ様に真向かえず御経綸を遅らせて正しい神を封じ其の教えを曲げ救われるべき人を救えなかった我々人間の不明とその罪を心よりお詫び申し上げる」という事と、此の仮祝典に対する御力を賜るという事をお願いするという祭典だったのですけれども、これからメシヤ様という御神格を認識する正しく認識するという事が非常に大事に成って来ますので、今迄の御守護頂きたいから参拝するとか自分は世話をされる側だとかいう物の考え方するとですね、御守護頂きたいという人に御守護はないのですよね。

 

御守護頂きたい人はね、どういう想いをしたら御守護頂けるかというと、御守護頂きたいという事は忘れてですね、人の為に尽くそうという気持ちに成って尽くせば自分の願いが叶っていくという風に教えて頂いていますので、その御守護の頂き方というのはそういう風な有り方で進めて頂くと本当の御守護がいただけるかなぁという風に思います。

そして、メシヤ様の御神格を認識してですね、これから一人でも多くの人を救いたいという想いがそう言風な願いを想いを持たれたメシヤ様の願いを我々が少しでも実現させて頂くという事に力を傾注すればですね、おのずとですね病貧争からですね、人も金も許されて来る健富和のですね生活に出来て行くと思いますので、そういう風な昼のリズムに物事が捉えて行ける様にして頂けると良いかなと思っております。

 

これは出来れば何回も読んで頂いて大切な所を言えばきりがないのですけれども、これをずっと説明して行くとその説明だけで終わるので、霊層界の学びに入らせて頂きます。霊層界と人間という御教えとですね、御教え集の30号から一つの御教えを取り上げていますので之を読んで行こうと思います。聞いておいて下さいね。で、大事な所は自分で線を引いて頂ければ良いかなと思います。読みながら簡単に説明を加えていきますので。

 

『霊層界と人間』

原田支部長

『霊界は天国・八街・地獄の三段界になっている事は既に詳説した通りであるが、之が人間の運命と密接な関係に有るという事を茲に説こうとするのである。霊界における三段界は大別しての事であって細別すれば1段は60に分かれているので合計180段界になっている。勿論層になっているので私は霊層と名付けるのである。そうして此の霊層に対し人間が如何なる関係が有るのか順次説いてみよう。』

 

という事で霊界というのは地獄が60段・八街と言われる中有界が60段・天国が60段というのは、之は皆さんも教修会で習われたと思いますので、それは良いかなと思います。その後ですね『私は人間は肉体と霊体と密着している事を説いたのであるが、此の霊体成る物は実は個体ではなく、今一つ或物との繋がりがあるので、その或物を名付けて幽体と言う。幽体とは霊の霊であるともいへるので霊体が肉体を、支配する如く幽体は霊体を支配しているのである。此の意味において人間生命の真の根源は幽体その物で有るといってもいいのである。

 

そして幽体とは霊界の生活者であるから人間死するや、霊体は直ちに幽体に引かれて幽体と密着する事になる。それは生前、霊体と肉体が密着していたのと同様の意味である。又幽体は、霊界における180段層の何れかの層に属している事は勿論である。然し乍ら、幽体の居点は常に一定する事なく、その層の段階を常に上下しているのが、普通時は或範囲内に限られているのである。稀には、その範囲外に出づる事がある、それが肉体的に表れる場合、運命の急転となるのである。

 

人間の運命即ち幸不幸は、幽体の居点である霊層の階級によるので、それは実に決定的である。』という風に書かれています。

 

この前の教習の時にも習ったと思いますけれども、人間の肉体という物は肉体と同じ形をした霊体がありますね。そして霊体と肉体と密着して生活を営んでおります。で、その根源として霊界に自分のですね、教修では幽魂という風に習ったかも知れませんが此処では幽体という風に仰っていますけれども、其の幽体が霊界に有ります。その霊界に有る幽体の居所に由って自分達の現界での生活環境が変わって来るという事ですね。現界では霊体と肉体とが一緒に成っていますけれども、肉体が離れて霊体でいくと霊体と幽体とが一緒になって霊界生活が始まるんだという事が茲に書いています。幸せ我々の運命・幸不幸というのは霊界にある幽体の180段層の階級の何処にあるかという事が自分達の生活に関係して来るのだという事ですね。

 

続けて読んでいくとですね、『そして霊界に於ても主宰神があり、八百万の神が分担管掌している事は、先に述べた通りであるが、幽体に対し、絶えずそれぞれの命令が下るのである。従って、その受命者の任務遂行が霊体に反映し、肉体に反映し、肉体がその如く動くのである。』

これは神様からのメッセージなんかは霊界にある幽体に来てですね、其の幽体に来たメッセージが自分の霊体に来て肉体を動かしているという事が書かれていますけれども、之はもういいと思います。

 

続けてですね、『如何なる人間と雖も、自己が計画し企図する事が、常に実際において意の如くならない事多いのは誰もが経験する所であろう。』自分の考えが考える様にならないという事は多くあると思いますけどもそういう事で、予想外の運命や意外な結果に逢着するという事は、実は現世の予想や使命はですね考え方とかこういう風にしていこうかとかこうなったらいいなぁと言う想いの全てがですね、幽体の運命に左右されなければならない法則であるからであると。

 

『又自分自身に対し、眼に見えない或大きな力が常に支配しつつあるような感想が大抵の人は有るものである。この支配者とは即ち幽体に於ける支配者即ち神であって、健康・富裕・平和の世界であり、之に反し、下降に行く程、病気、貧困、闘争等の絶間ない醜悪世界である。その中間帯である八街が丁度現界に相応しているのでから、現世は健富和の幸福、病貧争の不幸とが入り混っている事は、誰もが知る所である。』と言うのが状況だという事ですね。

 

次の段落ですけども此処はもう説明の様がないと思います。自分達の考え方、思い、こういう風に成りたい、ああいう風に成りたいという思いがあってもですね、それは霊界に有る幽体の位置によって決定的に決まっているので、思う事は思うように出来ないんだという事ですね。その事だけ理解して頂ければと思います。

 

で、次の段落ではですね、『右の理によって、現世における幸不幸は、幽体の住する界層の階級によって定まるものである。従って、人間が人為的に如何に幸福を求め、実現しようと努力しても意の如くならないのは、右の理に由るからである。然し、現世に於て、斯ういう例もある。それは富裕者であり乍ら足るを知らず、吝嗇(りんしょく)成る事貧困者と異ならない人があるが、之等は人為的に苦心努力の結果、一時的に富裕者となったまでで実は幽体は下層にあるから、この様な人が死後霊界に行くや幽体相応の貧困者となるので、大いに後悔するものである。故に幸福者たらんとするには幽体を上層に住し得る事より他に道はないのである。』

 

物事が上手い様に、生活もそうですし、仕事もそうですし、順調に行こうと思えばですね、実は茲にある自分の幽体を霊層会の上に住むようにして行くしか物事が上手く行かないのだという事を茲で仰ってます。

 

『然れば其れは如何なる方法に由るかというと 之は何人と雖も知らねばならない事であろうと 其れはどうやったら霊層界に上層に行くかと言う事をですね、次にお述べ頂いております。茲で幽体が何故上中下に分離するかという事であるが、其れは左の如き理由に由るので即ち幽体の重量に由るのだ 茲が一番ポイントなのですね、幽体の重量に由る 軽い程上層に重い程下層に行くのである。そうして軽いとは幽体が清浄であるからであり、重いとは混濁しているからである。混濁とは勿論、罪穢に由るのであるから清浄な幽体たらんとするには、罪穢を滅消しなければならない。然らば罪穢とは何ぞや言うまでもなく自己愛に由る不正・虚偽の手段を以って人を苦しめ世を毒するという悪の行為に由って発生し、堆積するのである以上、其れを滅消するには、其の反対である利他愛に因る正義・真実等の善的手段によって人に幸福を与え、国家社会の為になる行為を多くすることより外にないのである。勿論それは厳然たる法則で、人力の如何共為しがたいものである。

 

右の意味によって、私の説く現幽相互の関係を知ると共に、衷心から信じ得らるる人こそ幸福の門に一歩入ったといふべきである。』という風にあります。

 

だからですね、自分の幽体を軽くして行くと幽体を軽くするという事は自分の霊体を軽くして行くという事になります。霊体軽くするという事は霊体を濁らさない様にするという事になってきます。で霊体を濁らせない様にするには血液を綺麗にするという事になってきます。血液が濁る原因は何かと言うと食品添加物のある食生活・罪穢というのは直接人に対して悪い事をするという事になりますけれども、信仰している人は悪い事をするという事は余りないですよね。それよりは逆にですね、血液を濁らすという事の方が多いですから、それを減らしていくという事が大事になっていきます。

 

今言った食品添加物が一つの例ですね、それから後は皮膚科から直接入る要するにシャンプーとかリンスとか、又頭を染めたりする定着剤とかですね、昨日も朝、話をしていましたけれど筋腫になる原因はですね、頭を染める事です。頭を染める事によってですね、其の毒素が何秒間の間に子宮に降りて来ます。之が排泄出来れば良いのですけれども、量が段々多くなると、それが堆積して筋腫になっていきます。その為に婦人病に色んな影響を与えていきます。最終的には自律神経までいくようになったりしますので、兎に角、血液を綺麗にする体を汚さないと、汚れただけはどうしても重くなりますから、重くなった分だけはどうしてもですね、運命が良くならないという事になってきますので、そういう事を知ってですね、之は厳然たる天則とありますからね、だから少しでもそういう事をしない方が自分の思う事が思うようになって行くというふうになっていきますので、其の事を一つ茲で理解して頂ければなぁと思います。

 

それから罪穢という部分では、自分の前世とか前々世とか生き還り死に変わりして来た中、又自分の先祖がですね、自分が良い生活をする為にですね、例えば商屋であったりすれば、小作の人の上米を搾取して生活して来たりしていますね。それから商売人であれば利潤を普通以上に利潤を取ろうと儲けようとして生活して来たりして、そういういう部分が実は恨みとか憎しみとか色んな想念になって来ます。その想念が今の現在の我々に来たりしているという事もありますのでね、大切にして頂ければなぁという風に思います。

 

『右の霊層界に就いて、今少し言ふ事がある。天国に相応する所の上層界は、健富和の活力が生々として流通しつつ、上層程それが高度である事は勿論である。斯かる説は、私の観念による仮説と思はれ易いのであるが、決してそうではなく、事実である事を立證してみよう。私が長い間、本医術によって患者が治癒した場合、健康恢復のみではなく、性格も一変する事である。それは争いを厭い、親和的となり、楽天的となるのである。特に講習を受け病気とそれに関する霊的事象を知るに及んで人生観が一変すると共に、不思議な現象が起り始めるのである。それは健康のみではなく必要な物質も恵まれ豊かになる事であって、而も、人為的では更になく、惟神的に思はざる所から奇跡的に入手するのである。斯事は受講後の誰もがいふのであるから、誤りはないのである。又、今迄不和であった人と親和し、今迄よりも人から尊敬を受け引立てられたり、希望が実現したり、仕事の能率が上がり、試験にパスする等の幸福的の事象が非常に多くなるといふ話をよく聞くのである。』とあります。

茲で大事なのは 本医術によって患者が治癒した場合 要するに之、浄霊ですねよね。だから浄霊を頂くとしっかり頂くという事は実はですね、健康恢復のみではなく、物資も豊かに恵まれてくるという事になってきます、それは曇りが減ってくるから、魂が軽くなるから幽体や霊体が軽くなるから上に上がるので、幽体が上がって行きますから、そういった意味で幸せになってくるんだという事を茲で一つ言っています。

 

『病気とそれに関する霊的事象を知るに及んで人生観が一変する』 とあります。

だからですね、御教えで病気の事について御教えの7割近くは病気の事が書いてあります。そしてですね、霊的事象、そして人間としてどうすれば良いかという事が3割4割になってきますので、そういう部分が結局、御教えですのでその御教えをしっかり読み込んで行く事によってですね、実は魂に力が頂けるので人生観が変わって行くのだと、要するに良い方向に物事が切り換わっていくという事になっていきますので、『御教え私から眼を離すな』とメシヤ様は仰っていますけれども、私から眼を離すなというのは御教えから眼を離すなという事になってきますので、しっかりですね、最初の頃は御教え読むと眠たくなって30分も読めないというのが普通の人で、それで良いのです。そして段々と読んで行くうちに10分しか読めなかった物が15分になり、それが20分になり30分になり、一時間読んでも何ともないというふうに読む時間が長くなればなるほど魂が向上しているというふうに思って下さい。それによって、実は人も金も自分の思うようになっていきますので、それが実は御教えなんだと、ですからそういうふうにですね、御教えに求めていけば物事が改善していきますので是非ともそういうふうに切替えて頂けると良いかなと思います。

 

『右は如何なる訳かといふと、病患の治癒者、特に受講せし者は、人間の健康や生命の真実を知るに及んで』、茲にありますけども、盲目であった霊魂が、飜然と覚醒するとその覚醒するから物事が良くなって行くのですね。

『彼の釈尊が曰った等覚を得て仏となり、正覚を得て菩薩となり大覚を得て如来となるといふ意味と同一であろう。従而、受講者は等覚を得るのであるから即心即仏となり、霊的地位が向上する訳で一躍霊層界の上級に転位する事になるので、右の如き事象に恵まるる事となるのである。』と。

だから私なんかも設計事務所で商売していますけれども、物事がですね良くならないというのは、結局は自分に原因があって人ではないのですね、だからその為に自分の霊的地位を上げるという事が生活に困らない一つの原因です、商売されている方はよく分かると思うのですけれども、そういう風に考えて物事を対処してい頂けると良いと思います。サラリーマンの場合は一定のお給料を貰っていますけれども、運が良くなるという事は時所位が良くなるので立場の上の立場に上がって行くとですね、思わないボーナスが入って来るとかいう様なそんな感じになって行きますので、兎に角、物事が悪くはならない良い方になりますのでそういう風な姿勢で此の神様との御縁という物を考えて頂けると良いのかなという風に思います。

 

続けて御教え集30号を読んで行きますが、「今読んだとおり」というのは今読んだその内容です。此の内容を読んだとおり、『運が良くなる、思うようになるという事は、理屈を知ってみれば非常に簡単な話なのです。自分の幽魂を上げたらいいのです。一言ですね。ここを自分が知ると共に話してやればよいのです。ところがそういう肝心な事をやらないで、ただ人為的にうまくゆくように一生懸命やるのだからいくら骨折り損のくたびれ儲けという言葉がありますが、いくら頑張っても駄目なのですね。結局何にもならないので、無駄をやっているわけです。…結局、一切は浄化作用です。それで浄化作用とは一つの掃除ですから、ゴミがあるとどうしても掃除されなければならない事になっているのです。』というふうにあります。

 

浄化作用という事をよく、これから特に天照皇大御神(すめらおおみかみ)様がお出ましになったという事は、過去の神代の時代の火素の量と同じ量になって来ていますので、そういった意味ではですね、曇りがある所は溶けて行きます。だから、そう言った意味では浄化があります。 薬が沢山入っている人の場合は特に浄化が厳しく、信者さんの場合も浄化が厳しく出て来ます。

だからそれを浄化作用なんだという事で特に薬毒が入った場合キリキリとした痛みが来ますね、きりもみ上のようなものですね。何とも言えない痛みが来ますけれども、それはそれが溶けている時の痛みなので、それは我慢するしかない、我慢したくなければ薬を入れるしかない。薬を入れると今溶ける状況に来ていますから又、倍加してですね痛みが来ますので、その痛みを最初の痛みを乗り越えて行くとそうすると又数ケ月か数年して溶けますけれども、その時には最初の痛みよりも軽い痛みが来てですね、楽になって行くと、それが何回か続いて本当の健康体になって行きます。

ですから、そういう風になって行きますので、どうしても入れた物は出て来ますので、其処の所はですね、之は天則なのでどうする事も出来ないので、それを徳積みと苦しむという此の二つでしか物事が解決していかないんだという事を理解して頂くのと、もう一つ大事な事は、光で光に浴して改善して行くという方法があります。それはだから此処の場合だったら御神前、自分の家だったら御神前が高天原ですから、家の御神前が一番の光が強い所なので、其処で生活を浄化の厳しい方には其処で生活をするようにして下さい。そうする事によってですね、其の光でもって段々とその痛みというのは引いて行きますのでね、大切な部分になってきます。その様にですね、今迄とちょっと夜の時代に生活しているのが皆さん永いので夜の時代というのは水素があるので、月の働きですから、どうしても水分が多いので物事を固めるという時代だったので、だから観音様も薬師如来となって薬で物事を解決しようとしたし、御釈迦様も薬草いほんという本を書かれてですね薬でもって漢方薬でもってですね、治そうとしましたけれども今は、それが出来ない、メシヤ様が出られてからは夜から昼にですね、霊界が転換したそれが限界に愈々天照皇大御神(すめらおおみかみ)様が出られてですね、火素が強くなって来ましたので固めるという事が出来ない時代に入って来ましたので、固める事が出来なかったら溶かすしかないので、只溶かし方を楽に溶かすのと、一気に溶かして早く解決するのとそれは色々な方法がありますから、其処は其の人其の人の体の状態に合わせながらですね、其処の所を臨機応変に対応して頂けると良いのではないのかなと思わせて頂きました。

 

『霊界は層になっていますから、そのとおりが写るので、つまり層というのが人間の魂の居所なのです。ところがこの魂という奴が人間全体を支配しているのですから、魂の居所という事が資格です。だから魂の資格さえ上になっていれば全然苦しみはないわけです。…ただし魂だけが上に行っても、自分の霊や或いは肉体が伴わないという事は、そこにまだ汚れがあるからで、それの浄化が起るわけです。』という事でね、肉体が綺麗になり魂が上がっても肉体に影響しますからそう言った場合肉体の掃除があります。そういった場合に浄化という事になって来ますので、そういう事をよく分かって頂きたいという事と、家族が分からないという人に対しては遂、子供に言ったりしがちですけれども、子供に言っても聞かないですね。聞かない時と聞く時があるのですね、聞く時というのは自分の霊が高くなっている時、聞かない時は自分の霊が低い時という風に思って下さい。だから子供でも素直に言う事をハイと聞く時と、聞かない時があると思うのですよね、神様の事にしてもですね、聞く時と聞かない時があると思います、それというのはその時の自分の霊層界の位置という物が、実は何時も一定ではないので上がったり下がったりしているんですね、だからそれを一定の高さに保てるようにするのが実は信仰ですから、そういう風にして行くと今度は自分達の言う事が、その時にはこういう風にしたら良いよという風に子供に言っても、あっそうだねという風に素直に聞いてくれるようになって来ます。そういう風な自分を作っていって頂ければ良いかなと、その霊層界の御教えの中で大切なのは大抵の場合ですと、原因は人に転嫁する今迄は夜の時代だったからですね、あいつが悪いからこうなんだとかね、そういう風な物の見方をしがちなんですね、原因を相手に全部転嫁する、だけどそうじゃなくてですね、原因というのは全て自分にあるんですよと、だから自分が高くなったら物事は何事も上手く行くので自分の霊魂を上げるという事を考えてやって欲しいという事が一つと、それから後は全ては浄化作用という事があるんだという事を理解するという、此の二つの事に御教えを通して最低限理解して頂ければ良いかなぁと思わせて頂きました。

 

この後、「箱根参拝時に見えた情景」と楳木代表からのメッセージの解説がありましたが、割愛させていただきます。

 

原田支部長

それでは、これで終わらせて頂きます。有難うございました。

 

受講者全員

有難うございました。

 

[メシヤ講座no.192 広島支部 2017(平成29)年7月16日]