メシヤ講座no.191本部(平成29年1月)

<今月の御教え>

『「救い主と贖罪主」 文明の創造』(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』51 ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 本部】

楳木代表

それでは、玖珠出張所から報告をお願いします。

 

玖珠出張所責任者

御報告申し上げたい事は、私の入信のお許しを頂きメシヤ様に御縁を頂きました時に、小さい子供が御浄化でそのお許しを頂いたのは私が30代の時でした。それで私の所から出張所まで行くのに13キロありました。

それで年頭に私が零時の参拝をさせて頂いた時に私は考えたのですが…。私はもう90代の坂を「よいしょ」と今上り始めているわけなのです。もう二年目になりました。それで、ここまでお許し頂いて来たことを考えながら零時の御参拝でお祈りをさせて頂き、御浄霊を頂きながら感謝を申し上げたのですが、その時に私は30代の時小さな子供を背中におんぶして二人の子供は歩かせて休憩しながら出張所までの13キロを歩いて零時に御参拝させて頂いていました。

そうやって、殆ど毎年三時に出張所に着いていたのですが、その出張所では零時と三時に御参拝をして御浄霊を頂いていました。子供達もやはり小さかったので13キロも歩くというのは難儀だと思っていたのですが付いて来ていました。

午前7時に豊後森駅から大分駅行きの列車があったのでその列車に乗って帰り、元日の御挨拶をお祖父さんにして、それからお正月の御馳走を頂いていたのですが、それ以前私は結核で御守護を頂き元気にならせて頂き子供が生まれて来たわけですが…。

そのようなことを振り返り、90歳を超えなお元気で元日には御抹茶を点ててメシヤ様に御供えさせて頂いくことを長年してきたのですが、今年はそれが出来ませんでした(笑い)。どうして出来なかったかという事を少し長くなりますが御話しても良いですか…。

 

楳木代表

簡潔にお願いします。今迄の経験を話すのではなく、“覚ったこと”を御話して下さい。

 

玖珠出張所責任者

今の私の「覚り」は、90歳を越えさせて頂き大変有難いということです。

このように御教えに導かれて来た事の幸せは、やはり段を上って来た時に初めてその幸せに辿り着いたのではないのかと思います。今そのような心境なのです。

かつて御抹茶を点てた時に考えたのですが、それは“この御抹茶によって栄養を頂いてきたな”と思いながら、私のお花の先生に御茶を点てて差し上げると「これで一食はいいです。」と仰っていたのですが…。ですから、そのような栄養を頂きながら今年も御茶を点てることが出来ました。

それからある人が御茶を頂いて下さりながら私に「お幾つになられましたか。」と尋ねて下さったので「90歳を越しましたかね。」と言いましたら、その方が「御茶のお蔭でしょうか。」と尋ねられましたので、「その栄養もありますが、私はこうして救われてここまで来られたのです。」と少し話しをしましたら、その方は「そういう事がありますか。」と驚かれました。

そして「第一に御茶を頂きましょう。それから困った時は助けて下さい。」とそういう人達に御話が出来、又私を一目でも見て下さりこの私の状態が人にうつって行くことが年を取って来た私の過ぎて行く人生ではないかと思います。だからこの事は本当に生きた『メシヤ様』の証しなんです。

私はこんなに長く生きる事が出来るような体ではなかったのに、こうして御教えや御浄霊を頂き、そして今タブレットを買って、その中に入れて貰った御教えを拝読しています。『メシヤ様』の御対談のところを拝読している時には『メシヤ様』から直に御答えを頂いているような錯覚を起こすのですが、タブレットの中の御教えを拝読している時の感覚は今までとは全く違います。ですからこのことを皆さんに実行して頂くと良いと思うのです。御力を頂けるのです。本当に違うのですよね。御浄霊の御力の頂き方とかタブレットの読み方とか…。“あっ、ここか”と思った時にタブレットがパッと消えるのですよ…。おかしいですよね。でも“ここのところを私は勉強して行かなくてはならないな”と思いながら、90歳を超えてもこのようなことを御教えの中から頂いているわけですけれど、本当に「御教え」が生きていますね。“今程この教えが生きてきて、世の中に施して行かなければいけないな”というような感覚です。

私共は“申し訳ない”と思う位、自由にさせて頂きました。反省する事もなく、自分本位に生きて来ました。しかし、こうした御教えを頂いて“もう一度原点に還って、『メシヤ様』が何をなされるのか”というところに心を置きながら“又、一歩一歩登らせて頂きたいな”と思っているところです。

未だお話ししたいことがあるのですが…(笑い)。今日はこの辺で終わらせて頂きますけれども、年頭にこうした御守護の御礼を申し上げる事が出来て本当に有難い事でした。以上で御報告を終わらせて頂きます。

 

熊本光の森出張所責任者

新年祭、おめでとうございます。

昨年は一連の熊本地震により、皆様には大変ご心配をお掛けした事と思いますが、お蔭様で12月初旬に家の修理が終わり、皆様から頂いた沢山の温かい思いに心から感謝しながら清々しい気持ちで新年を迎える事が出来ました。この場をお借りして御礼申し上げます。本当に有難うございました。

それでは先月の月次祭から御降臨祭を経て本日迄の、私が覚った事を御報告させて頂きます。

先月の月次祭で私達はそれぞれの『天職使命』を全うする為には、『御降臨祭』でどこに御力を頂きどのようにお祈りしたら良いのかを、代表より御指導頂きました。

その事に付いて、私は自分に与えられている『天職使命』に付いて御降臨祭迄の間真剣に考え「光の森出張所は一歩一歩丁寧に進ませて頂きます。そうさせて頂きながら本当の意味で、メシヤ教を支え続けて行ける人間になれるように課題を持って進ませて頂きますので、そう出来るように御力を頂きたい」と祭典では祈らせて頂きました。

その後、祭典での代表挨拶の中でメシヤ様に「『世界救世(メシヤ)教』を復興される」とお誓いになられたという事をお聞きしました。大変な思いの中での御決心だったのではないでしょうか…。

そしてサイトにアップされているその内容を何度も読ませて頂き、私もメシヤ教の一員として世界救世(メシヤ)教の復興を担わせて頂きたいと強く思っています。

最後になりますが、このように腹を決めたと言いますか、頭の中にある事と思いを整理出来たことによって、年頭から穏やかな日々を送る事が出き、去年の嵐のような日々を思うと、感謝の気持ちで一杯になり『人間は想念次第』という御教えが浮かんで来ました。

そしてこの御教えに書かれていることが、本当の意味を持って私の中に落ちたように思いますので、その御教えを拝読させて頂き御報告を終わらせて頂きます。

 

『人間は想念次第』

感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶとは正に真理だ、何となれば感謝の心は神に通じ不平の心は悪魔に通ずるからだ、此理によって常に感謝をしている人は自然幸福者となり常に不平不満や愚痴を言うひとは不幸者になるのは事実だ、大本教のお筆先に曰く「喜べば喜び事が来るぞよ」とは正に至言である。(光二十五号、昭和二十四年九月三日)

 

以上です、有難うございました。

 

楳木代表

それでは改めまして、新年おめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

今、御二人の方から御報告をして頂きましたが…。久し振りに来られた方は、祭典の仕方が変わったので驚かれたかと思いますが…。又今度来られる時にはこの『主神様とメシヤ様』の本を持参して頂きたいと思います。

 

「覚りの報告」の願いとするところ

そして、今の報告の願いとするところは、もともと私達は『主神様』から分け御霊として真の魂を頂いているので、この魂は三千年間の間に物質偏重の『夜の時代』の生活をずーっと続けて、『夜の時代の罪穢れ』が魂の周りにべったりとくっついている為に本来の光を発揮出来ていないので、どうしても『副守護神』に影響を受けながら生活をせざるを得なかったのです。去年の6月から魂の周りにべったりとくっついている『夜の時代の罪穢れ』を少しずつ取りながら、そして『夜の時代』の“癖”を取って本来の“魂の光”を取り戻し、『副守護』の影響を受けないような、本来の『神性』を蘇らせようという取り組みを今しています。

その中で二つの出張所の責任者に先ず報告をして頂いて、その後私が御取り次ぎをするという、それを本部の場合はずーっと続けていますので、そのようなところを了解していて頂きたいと思います。

 

受講者

はい、了解しました。

 

楳木代表

それと同時に南区は近いのでしょうか。南区の○○○という所ですが。

 

受講者

南区は近いです。

 

楳木代表

そこで仮に御祭りをすることになれば来やすいですか。

 

受講者

はい、行けると思います。

 

楳木代表

それでは、3月辺りからそこでの御祭りを始めようかな、と今打ち合わせをしているところなので、決まったら連絡しますので・・・。

 

受講者

はい、分かりました。

 

楳木代表

それでは、玖珠出張所の方から報告をして頂いて、私がストップを掛けていたので充分に話が出来なかったと思うのですが(笑い)…。

要は先月タブレットに御教えを入れて貰って御教えを拝読出来るようになったので、その御教えを拝読するようになって“どう変わったのか”というところを聞きたかったわけです。

その“どう変わったか”というのは“原点に戻る”とか、“やはり御教えは大事だ”とかいう抽象的な事ではなくて、例えば御教えを拝読することによって“自分の実生活がどのように変わってきたか”とか、90歳を超えたのだけれども、90歳を超えた人間として“本来人間はどのようにあるべきか”ということを御教えによって更に覚る事が出来たと…、そういう具体的な事を来月は節分、立春祭で月次祭はありませんが、又三月の第二日曜日に月次祭はありますので、そのような事をその時に報告して頂ければ有難いと思います。

 

玖珠出張所責任者

孫がタブレットに膨大な御教えを入れてくれて拝読をする事が出来るようになったので、“孫と同居するようになって本当に良かったな”と思います。中々あれだけの物をタブレットに入れるとなると、業者に頼むか自分のパソコンを通して入れていかないといけないので結構大変な作業になるので…。

 

楳木代表

大体2万ページあるので、これは御神体を申し込まれた方には同時に御下付するようになっています。メシヤ教で電子版に取り入れて、御論文集と御講話集と詩歌集をタブレットでもパソコンでも携帯でも読めるように今はしてあります。ただし家族とかの関係で御神体を頂く事が出来ない人は奉納金だけで先ず御教えを頂いて、家族が了解して下さり御神体を頂かれる時は表装代だけで頂けます。(この後、奉納金などに関しての御話がありましたが詳細は割愛します。)

メシヤ教は去年から「御神体」と総ての「御論文集」を一緒に御下附するという形で取り組んでいます。そして、『メシヤ様』の御教え総ての拝読をしていかない限り“充分な御神業を担う事が出来ない”ということで、そのような方針になりました。

そして次は、熊本光の森出張所の責任者から報告して頂きましたが、「世界救世(メシヤ)教」を復興するという事を共に決意して頂いたので有難いと思います。熊本の方々には、それを支えて頂けるように…。幸い今月○○家の御神体を申し込む事が許されますので、合わせて申し込まれた日に御教えをUSBメモリーにコピーして貰って下さい。それから少しずつ拝読を重ねて頂きたいと思います。

 

御降臨祭の報告、御歌の朗詠に付いて

御降臨祭の報告をさせて頂きたいと思うのですが…。もう既に皆さんネットで読まれていますか…。

大祭から少し変えた事は、『メシヤ様』が御在世中に御詠みになられた御歌を大祭の時だけ朗詠するようになりました。今回は八首朗詠させて頂きました。

それで今日は今年の年賀状に二首ありますので、私がどのような朗詠なのか一度ここで御披露しますので、“これを大祭の時にされているのだな…”と、立春祭の時にも致しますので、どのような節回しかというと

『兄の花の 香り床しも 天国の 苑より匂ふ 今年この春』

これは昭和二九年立春祭の時の御歌です。

それから二首目は

『薬毒も 肥料の毒も 目に入らぬ 物識達の 眼開かん』

これは昭和二九年二月三日の御歌です。

 

受講者

先生の朗詠は大変上手です。

 

楳木代表

上手でしたか。拍手がなかったですね…(笑い)。

 

受講者一同

(笑いながら)拍手。

 

楳木代表

まあ、それは冗談ですが…(笑い)。

「このはな」というのは「兄の花」と書いて梅の花のことです。富士山に御鎮まりの「兄花姫尊」と尊称申し上げるのですが、 “梅の花”ですので“楳木の楳”と“梅の花”をかけて「香り床しも天国の苑より匂ふ今年この春」、“やる気満々に匂っているぞ”(笑い) という私の決意を籠めてこの御詠を選ばせて頂きました。それがこの年賀状の富士山と御歌とを合わせた組み合わせになっています。それから次の『薬毒も肥料の毒も目に入らぬ物識達の眼開かん』という御歌がこの写真の稲の根の長さの違いを“どう見るか”ということを“眼開いて見て貰いたい”ということです。

 

肥料が作物の根の長さを形成する 

取り分け“薬毒”と作物の場合は“農薬だけ”を世の中は重視していますので、「無農薬の野菜です。」ということを強く言っているのですが…。

実は肥料がこの根の長さを形成するということです。農薬がこの根の長さを形成するのでは無くて、肥料がこの根の長さを形成するというのはどういう事かと言うと、肥料は栄養剤なので、栄養剤が入ると根をしっかりと張らなくても栄養をどんどん吸収することが出来るのでこの写真の根のように差が出て来ます。

この朗詠の節回しは昭和四六年頃、一度世界救世(きゅうせい)教の中で練習をしたことのある節回しです。それは『メシヤ様』御在世中に井上茂登吉先生という方が『メシヤ様』が御詠いになられた御歌を当時は一八首とかを朗詠されて、それを御教えの中から神様の御意図を受け止めるということでなされていた・・・。その朗詠をもう一度復活させようということで、先ず本部の大祭から復活させるということで御降臨祭から始めました。

ですから、立春祭の時にも朗詠をします。大阪支部の方などに練習をして貰っていますので、練習が整えばそちらでして貰いますし、未だ整わなければ、又私がなんとか朗詠をさせて頂きたいと思っています。

正式な朗詠は二回奉唱することになっていますので、二回目の節回しは少し高らかな節回しになるので、段々と練習が積み重なっていけば、そのような形でさせて頂きたいと思います。

 

御降臨祭で代表が誓詞を捧げられるまでの経緯

それで12月の御降臨祭では・・・、神界から「私自身が『世界救世(メシヤ)教』を復興するという誓詞を神界に捧げて貰いたい。」という御要望が以前から来ていましたので、“誓詞を捧げる”ということは、今までの各教団の総長とか理事長とか管長とか教主様とか様々な呼び名のトップの方がいらっしゃいますが、そういう方々になんとか気付いて頂いて『メシヤ様』が『世界救世(メシヤ)教』を開教されたのにも拘わらず御昇天後『世界救世(きゅうせい)教』にされてしまったので、それを“本来の『メシヤ様』が開教された時の御心に返って頂くように気付いて頂きたい”ということで、私は期待を持ちながらここ10数年取り組んで来たわけなのですが、神様の方からは『そういう淡い期待は持たないように。』と。それで「本腰を入れて『世界救世(メシヤ)教』の復興に取り組んで貰いたい。」という御意図で、去年の6月の地上天国祭から御垂示を頂いていたわけなのですが…。

『世界救世(メシヤ)教』の復興をそれらの方々に期待せずやるということは、私自身も“出来るかどうか”という非常に心配な部分がありましたので、決心をするのに時間が掛かったのですが…。

12月中旬から決心するに対してはかなりの御浄化を頂き…、先月ここで「『神格をいただく道』の内容が“神性が蘇った人”、“魂が光始めた人”のそういう人間像である。」というふうに御話ししましたが、その御教えを絞りだす為に私を非常な不幸な状況にしたという話をしました。「親友が私を裏切るような行為をして、私が立場を失ってしまった。」という話をしたのですが…。

その前段で全国に『世界救世(きゅうせい)教』の中で教団護持委員会をつくりだした時に、大阪で関西の150名の専従者の方々に御集り頂いて立ち上がる準備をして頂いていた時の話を御降臨祭でしたのですが、その時に専従者には「(常任理事、地区本部長と県本部長クラスの方々に対し)そういう先生方の言われる事の中で御教えに沿っていない事、神様の御心に適っていない事に付いては従わないで貰いたい。」と前の方に150人が並んで後ろの方にその幹部の先生方が座られて耳を傾けられていたのですが、その先生方の目の前で「あの先生方の御話の中で御教えに沿わない事、神様の御心に適っていないと判断される内容に付いては絶対に言う事をきかないで貰いたい。」という話をした為に、そして「皆さん方の貴い志を止めているのは、あの先生方です。」と名指しして批判をしたので、その先生方は腹を立てて会場から出て行かれました。

まあ当然です。私はその時は未だ29歳位だったので、その29歳の若造が幹部の先生方を目の前にしてそのような話をしたので…。それで150人の専従者達は「そういう事を言う人間がいるのか。」ということで、「自分達でやらなければいけない。」という事で立ち上がる準備をして下さったのですが、その内容は御降臨祭の話の中に出ています。

しかし、これだけでは手落ちなので、“その幹部の先生方をどうやって説得するのか”という課題が残っていたのでどうしたかというと、その先生方の行きつけのクラブに「楳木が御詫びをしたい」ということで先生方全員に集まって頂き「本日は非礼な事を申し上げ大変失礼しました。」と御詫びした後に“しかし、やはり先生方にも立ち上がって頂かなくてはならない”ので立ち上がって頂く為には、私より多くの知識を持ち、そしてこの度の教団浄化の情報をしっかり持たれているので、「私がどのような説明をしてもそのことを受け止めるという事は難しいと思いますので…。今日、私は体を張って先生方を説得させて頂きたいと思います。ここにある高価なブランデーを全員の先生方一対一でグラスを空けて行きますので、最後まで空ける事が出来たら立ち上がって下さい。」そして「もし私が最後までグラスを空ける事が出来なかったら、あんなやつの言う事は利けないと判断して下さい。」そういう事を言ったら「わかった、お前がそこまでやるのだったら、受けてやろうじゃないか。」ということで、ロックグラスに氷を入れて貰い10数名の先生方全員と一対一での乾杯をやりとげたので、「楳木がやりとげたから、自分達も立ち上がるからもう心配するな。」ということで、29歳の人間が大幹部の人達と対でやる為にはこれ位しか術がなかったので…。

御降臨祭の中では話していないそのような体を張った取り組みをして、そして「それでは宜しくお願いします。」と言った途端に酒が廻りトイレで戻し続けたのですが…。 その様子を見ていた幹部の先生方は「楳木があそこまでやったのだから、立ち上がろう。」という事になり、今の『主之光教団』の半分位の人達はその事によって立ち上がって下さったわけです。

 

12月中旬から代表が頂かれた御浄化に付いて

その時は若かったので私は体を張る事ができたのです…。実は12月中旬からの浄化で神様は私の体を所謂『副守護神』の影響を受けない体にする為に、先ず風邪からスタートして22日には子供の頃毎日呑んだ薬の色、今○○さんが着ている服の赤い部分のような色の鼻水と痰が出ていました。その一部は○○さんも見たと思うのですが…。それを通り越すと今度はインスタントコーヒーの粉末に少し水を垂らしてドロドロしたような物が鼻水と痰で出て、それが出終わって風邪は一旦終了しました。

それから今度は痛風が出たので、痛風は浄霊をする場所が分かっていますので順番に浄霊をして一日で右足は良くなり、次は左足が痛み出したので又同じように浄霊によって一日で良くなったのですが…。足の痛いところを庇って歩き、年末の大掃除をしたので右のアキレス健がパンパンに腫れて来たのと、左足のつま先が非常に腫れて一挙に足が痛くなったのと、下腹がずっーと痛み続けて食べる量と酒量を制限されるようになって、その決められた量を一寸でも超えると腹が刺しこんで来てトイレに駆け込むようになりました。あれだけ酒を飲めていた人間が、現在はこれ位の御猪口一杯又はビールもコップ一杯しか飲めなくなりました。

それで未だ体の調子がこのようになっていなかった時は、神様からビールはコップ一杯と制限されていたので「大きいコップを持って来て下さい」ということで(笑い)…。秋口はそのような冗談を言いながら飲んでいた事があるのですが、今は本当に普通のサイズのコップ一杯だけというようになってしまいました。

それ程『世界救世(メシヤ)教』を復興するということは、大変な事だと思うのですが…。やり遂げる決意を固めましたので、一挙にやり遂げられる方向に進めて頂いています。 それで進める時に何が一番大切かというと、今迄の私達の考え方は『夜の時代』の考え方なので、“これは良い、悪い”ということ善悪を必ず付けるという考え方で判断をして行きますが、私達は幸いな事に『主神様』の御神体を頂いて祭典を積み重ねて頂いていますが、先程タブレットの話が出ましたが著述偏の最初に『観音講座』が出て来ます。『観音講座』の最初のところに『天津金木』についてお説きいただいていますが…、「○さんもうタブレットで読めるようになりましたか。」。

 

受講者

未だ、読めません。

 

楳木代表

未だだめですか。

そうしたら、なんとかタブレットに御教えを入れられるようにされると良いですね。昨夜○○さんのところに娘さんから月次祭の確認の電話が入っていたので、娘さんに相談して頂くと良いと思います。そうしたら御教えが全部読めるようになりますので。

 

『天津金木』の捉え方

それで「主神様とメシヤ様」の205ページにも出ていますが、『天津金木』とは一体何かというと、四角の棒が下の十字に組んだ土台に立っている物ですが。下の方は十字に組んでいるのですが実は十字ではなく本来は四方八方に出るべきもので、この出るべきものを上から見ると実は16弁の皇室の御印という、本当は『天津金木』を上から見た状態なのだと…。しかしこういう事を知らない人達ばかりに今なっているので本来の意味が分からなくなっているのだ、と。それから『天津金木』は上だけに出ているのですが、実は本来は下にも出ていると考えなくてならないので、四方八方に出つつ上下に出るので実は球体になっている。

この球体になっている中で真ん中が“結び”で“縦”というのは“小乗的”で「良い事は良い、悪い事は悪い」というようにして行く、或いは東洋と西洋にしてみると“縦が東洋”であり“横は西洋”なので非常に広がって行く。その形というものをある程度理解して行かなくてはならないのですが、肝心な事はこの「縦と横を結ぶ働き」なのです。これが『主』という御文字に参拝する時の姿勢とはそういう意味合いがあるのだ、と。

ですから、先ず私達のこれからの課題は“結び”だという事ですので、「私自身もあらゆるものを結んでいけるような方向へ取り組んで行かないといけない。」と今思わせて頂いています。

それから、『主神様』という御存在に御参りする時には『主神様』というのは実は中性的な御存在で、中性的というとおかしいのですが、要するに“善”も“悪”も包含しているので“善であり、悪であり”、“善ではなく、悪でもない”という御存在なので中性と表現した方が分かりやすいと思うのですが。

その神様を我々は“最高神”として御参りさせて頂いていますので、自分自身も物事を考える時に「あの人はああいう人だよね。」とかついつい言いたくなりますが、実はそのような見方は『主神様』に御参りしている人間はそういう考え方から卒業して頂かなければならないということです。「あの人はこういう人だ。」という人間的な好き嫌いが多少有ったとしても、人を判断する時は、そういう考え方ではない方向に進んで行かないと此れから天国を創る事は出来ないわけです。

それから今中国とアメリカが、例えば台湾の総統にトランプ次期大統領が電話を入れると、今度は中国が軍事行動で少々荒々しく動くというようなことをやっていますが、それでそういう事をやっていると“トランプ氏も色々な事をフェースブックに書かなければいいのに”と思ったり、“習近平もやり始めたな…。そろそろ尖閣諸島も危ないのではないのか”などと考えたりするのですが、このレベルというのは実は『世界国家』という概念からすると非常にレベルが低いので…。日本も昔、武蔵の国とか九州で言えば肥後の国、豊前、豊後などそのような国がズーッとあったのが、日本として一つの国になりました。

それが今度は世界も色々な国があるけれど、『世界国家』という型にこれからもって行かないと『地上天国』というものは出来ないので“どこまでも自分の国だけ”というような気持ちが前面に出て来ると『地上天国』というところから離れて行くので…。

そうした事に対するものの考え方を皆に少しずつ持って頂かなくてはならないので、それを持って頂く為には今回の御降臨祭の時に「私が、世界救世(メシヤ)教』を復興する」という誓詞が23日の朝から腹の中で固まったので、その固まった事を『神界』には受け止めて頂き、『神界』からは非常に動きを活発化するという方向に動き出しています。

今度はそれを受けて参拝者の方々が、今日もそうでしたが司会者が司会の文言を言う10分程前から静かに祭典に臨む姿勢づくりが出来ていました。これを『神界』から見ると「『地上天国』を建設して行く一つの型が出来上がり始めた。」というふうに見て頂いているので今回の『御降臨祭』は非常に評価をして頂きました。

これから私自身が更に高まって行かなければなりませんが…。高まりつつ、皆さんと共にこの御神業を進めさせて頂くことによって、先ず『世界救世(メシヤ)教』が復興し、『地上天国』建設への動きがより…。『地上天国』建設の一番の中心は『結び』の働きですから、『結ぶ』というところに取り組みつつ進めさせて頂きたいと思います。そのような事をお願いして、年頭のご挨拶を籠めた『メシヤ講座』とさせて頂きたいと思います。

それでは、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

受講者一同

有難うございました。

 

<来月の御教え>

『『善悪発生とキリスト教』文明の創造』

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』57ページに記載されています。

『『善悪発生とキリスト教』文明の創造』は平成29年1月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.191 本部 2017(平成29)年1月8日]

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