メシヤ講座no.185出雲(平成28年7月)

<今月の学び>
「はしがき」
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』1ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 出雲支部】

楳木代表

本日は『主神様とメシヤ様』の第1回目の学びなので、1ページから18ページ迄を本来拝読する所なのですけれども、18ページは祭典の中で、先ほどU田さんに拝読して頂きました。それで、今月はここ迄という事にさせて頂きます。来月からですね19ページの『本教の誕生』という所から拝読を始めます。取り分けですね、この大きい文字は抜粋分ですので、小さい文字を拝読をして行きます。この小さい文字が読めるように、眼鏡等を調整して来て頂ければ大変有り難いと思います。そうした形で学ばせて頂きたいと思います。

 

『御倉板拳之神』様

楳木代表

「地上天国祭」の時に皆さん方には、突然大変な話を持ち出しましたので、驚かれた事かと思います。私はメシヤ様の腹中にある光の玉にですね、御倉板拳之神様が御宿りになったという事を、6年前に書類としてしっかり確認させて頂いたので、6年前の「地上天国祭」の時に、御倉板挙之神様の事を皆さん方に報告しました。その報告した時点では、光の玉に御宿りになった御倉板拳之神様が、意思を私達に伝えて来られるという事は想像だも出来なかったのですが、そこから御意思が御啓示として伝わって来たので、私も最初面食らってしまいました。中々整理が出来ないまま「地上天国祭」を迎える事になったので、皆さん方には色々とご心配をお掛けしお気遣いをいただきました。無事整理させて頂きましたので「地上天国祭」の代表挨拶の本文には、その整理した内容を付け加えて、そしてホームページにも掲載し、ここへ届いております「天恩地恵」の夏号にもその事を入れて印刷をしてあります。ご確認して頂ければ有難いと思います。

 

御倉板拳之神様からの強い御指示

楳木代表

それで御倉板拳之神様から、私を始めとして皆さん方の霊性を高めていく為に、先ず、『主神様とメシヤ様』の研鑽に早く入るようにという強い御指示があった訳なのですけれども、その御指示があった時に、〝それでは18ページから拝読を開始すればよろしいでしょうか。〟と、お尋ねした所が『「はしがき」を読まないと駄目だ。』と御指示されたのです。それは「はしがき」に纏められた内容というのが、今迄の先達及び世界救世教(三教団)或はそこから派生した教団では、論理的構築が出来てない為におかしな方向へ行ってしまっているので、この論理的な構築をキチンと皆さん方が胎に入れて、その上で次からの論文を読んで行かないと又変な方向に行ってしまう、と御垂示いただきました。

この「はしがき」をしっかり肚に入れて、それから進むように、という御指示だったので、私の文章ですけれども、拝読という形で読んで頂きました。その点をご理解いただいて、何度も読み返しながら、これから御神業を進めて行く根幹にこういう事がないと、おかしな方向に行ってしまうという事をですね、確認させて頂きながら、御教え拝読を進めさせて頂きたいというふうに思います。

 

今日までの御垂示と自らの経路

楳木代表

「地上天国祭」の時には、どうしても説明不足でありましたので、今回の御倉板拳之神様からの御垂示について、もう少し今日改めて説明させて頂きます。今迄メシヤ様からの御垂示というのは、私がどうしても乗り越えなければいけない行き詰った時に、メシヤ様から直接御導きを頂いて参りました。一番最初に御導きを頂いたのはですね、昭和48年に私が高校を卒業して大学に行くか、それともその当時出来た救世専門学院に行くかという事で悩んだのですけれども、救世専門学院には京都大学と大阪大学の教授陣が、当時の松本外事対策委員長の人脈によってお歴々が陣容を固めてくれてですね、そして講義してくれるという事だったので、これは一般の大学へ行くよりもその京大、阪大を一辺に出られる様な、そういう学校に行った方が得だなと思いまして、その当時皆様方も信仰されておりましたので、皆様方のお蔭でですね学院生一人に年間300万円の予算を組んで頂いて、私は貴重な勉強をさせて頂く事が出来ました。

勉強させて頂いたのですけれども、一番最初にですね強烈に感じたのは、当時ヤスパースの論理の第一人者と言われている京都大学の哲学科の酒井教授の講義は非常に強烈でした。2期生はですね、様々な階層の方々が勉強して来たのですけれども、非常に哲学的な論理を毎週120分も聞いていかないといけないので、時にはウトウトする人もいる訳ですね、ウトウトしていると「貴様、儂の講義を何と思っているんだ、儂の講義は、京都大学哲学科の者と大学院生とヤスパースを日本で研究している者しか受ける事が出来ないんだ。その講義に対して居眠りとは何だ、もうこの学院を辞めてしまえ、お前のような奴は。」と、こんな講義をどんどんしてくれるので、これだけ日本に情熱を以て教育する大学の教授がいるのかと、それが衝撃的だったけれども、毎回そういう熱を込めて哲学的な論理構成を教えてくれましたので、この講義が、非常に・・・、私がこの様な本を書く上に於いてもですね、整理をする一番基礎的なものになったので非常に有難かったと思います。

しかし一方ではですね、これも京都大学の農学部ですけれども、農業経営学の柏という教授が居ました。この柏という教授がですね開口一番「我々は戦後の食糧難を農薬と化学肥料によって、乗り越えて日本人の飢えを凌がせたんだ。」と「この我々の取り組みに対して自然農法とは何事だ。」「ふざけた教えだ。」というふうに、開口一番そういう事を言う教授がいた訳です。こんな講義を何でこの教団の学院で受けないといけないのかという、それを始めとして様々な学科で、『教え』に沿うものと、『教え』に反するものと、細かく教授が話すので、その内にですねこの講義を受け続けないといけないのだろうかと、非常に疑問が湧いて来まして悩み切っておりました。悩み切った時に京都『平安郷』のですね「春秋庵」を中心にして警備の奉仕が(1期生40数人、2期生も40数人居て)二人で組んで40日前後で1回、夜間の警備が当たるのです。最初の夜警の時に、懐中電灯を照らして不審者や不審物はないかと、色々確認しながら一周して来て、宿直の部屋に帰って来てですねウトウトとしたら、夢の中にメシヤ様が御出ましになって(情景:バス停の所にその頃のバスがすーっと到着して、その窓が開いている。その窓には当時の先達のお歴々が、中島一斎先生や渋井総斎先生、その他井上茂登吉先生とか、ずーっと座っていて、メシヤ様が乗り込まれるのを待っていた。)するとメシヤ様がステッキを手にツカツカと歩いて来て、そしてステップに足を掛け、一歩踏み上がろうとした瞬間に後ろを向いて、『おい、開拓布教に行くぞ。』と、私に声を掛けてくれたので「はい」と言って、ついて行こうとした所で、パッと目が覚めました。そして、『開拓布教に行くぞ』というふうにメシヤ様から声を掛けて頂いて、而も先達のお歴々がいる所に何で私がそういう所にいるかという事を考えた時にですね、やはりメシヤ様の教えに沿って、その教えを当時の学術的に裏付ける内容と、それから社会をミスリード(誤った方向・誤解に導いた)した、そういう論理等見極めて、そしてこれからの事を論理的な構築をしながらやって行かない限りは、布教は出来ないという事であろうというふうにその時は受け止めさせて頂いて、そういう『御意図』があるのであれば、徹底して各教授の講義を聞いて、全て吸収して行くように取り組んで行こうという事で腹が決まったので、勉学に励むことが出来ました。

この場をお借りしてですね、その当時年間300万円を私につぎ込んで頂いて誠に有難うございました。今月はずーっとこの御礼を言って居る所です。

 

総本部時代

楳木代表

それから無事卒業してから本部の編集部に配属になりまして、当時の『栄光』新聞と『地上天国』誌を編集する部署に所属して、現場に取材に行ってはその記事を書くという事を繰り返したので、大体北から南までの当時の世界救世(きゅうせい)教の信者さん方が総本部の方針に沿ってどの様な信仰を営まれているか、或は活動を展開しているかというのをつぶさに見ることが出来ました。つぶさに見た所ですね、当時は「天国の礎」と「神示の健康」とですね、それから「景仰」というのが、その他には御教えとは言えないかも知れないけれども「たまのいずみ」がありまして、そうしたものが信者さん方の言わば学びをする書籍としてはありました。信者さん方をずーっと取材して行くと、一つの・・・、例えば500世帯の布教所があった場合ですね、半分位の人はそういう御教えを購入していないという現状が、何処の布教所にいってもありました。しかし、お持ちでない信者さん方の多い布教所が多かったので、取材を終えて帰って来た時に、上司にですね〝今の様な状態では、この世界救世(きゅうせい)教はもう駄目になってしまいますよ。メシヤ様の教えを日々拝読しないような信者がいくら居ても、それは世界救世(きゅうせい)教の信者と言えないのではないですか。〟という事を絶えず報告をしてですね、記事も「この様に本部の方針に沿って取り組んでいるのは非常に素晴らしい、しかし課題もこういう事がある。」というふうにして原稿をいつも提出するものですから、課題の部分は何時も全部削られていました。「そういうものを書くと皆の気持ちが高まって行かないので、良い事だけを書いていけ。」というふうに絶えず削られていきまして、その内「地上天国」誌という部署から行事だけを書く「栄光」紙の記者に変えさせられました。其処でもやはり、総本部の祭典の時に集まってくる信者さん方の声を拾う時には、やはり色々問題点のある声も拾って、それを記事に纏めて行くような事をしたので、これもまた私は上司から疎まれてですね、それから5年後に現場に飛ばされました。

 

布教師時代の初期

楳木代表

現場に飛ばされて最初に行ったのが高知県という所で、そこの高知市内にある・・・、当時布教所の統廃合というのが積極的に進められました。そして高知市内にある三つの布教所を統合して、そして周辺の信者さん方をお世話をする布教所を、周りの市町村に造るという事をやって、その一つの地域を担当する事になりました。その布教所は田舎でしたが村会議員と、それから50人くらいの従業員を抱える中小企業の社長とですね、板金塗装屋の社長と、それから農業(自然農法)をやっている人、この4人が布教員として私を支える事になったのですけれども、何せその時私が26、7歳だったので、非常に先輩の信者さん方から小言が多くて、〝楳木さんはこういう所をもうチョッと、どうのこうのしてくれ。〟というふうに、そういう小言は非常に有難かったのですけれども・・・。

一番の悩みは祝詞奏上に対する声が高すぎるというのと、言葉をはっきり発声し過ぎるので、「神社の祝詞みたいに、余り聞き取りにくい位に言ってくれた方が有難味があるから、あそこのやり方でやってくれ」とかいう人もいるので、私もその時いざやっと布教所を造り上げて、これから愈々やろうかという時に、家庭集会をやるとそんな話ばかりな訳で・・・。それで、これから参拝する時に布教員に交代でやって貰おうかという様な事を考えたりしても、“どうもならんな”と思った時に、メシヤ様がまた御出座して頂いて、そして『天津祝詞』を最初から最後まで奏上して下さいました。メシヤ様(御存じのようにテープとかで聞かれている様に、あの甲高い声で早口でお話しされますけども。)の声はその声だったのですけれども、『祝詞』は朗々とですね、ゆったりと奏上して頂きました。このメシヤ様の奏上して下さった『天津祝詞』が自分の毎回の目標にして行けば良い、と。人が何と言おうと、何時もこの祝詞を自分の目標として奏上して行けば良い、と肚が決まったら、集会で小言を言われても〝すみません、これは私の地声なんで我慢して下さい。〟というふうに軽くあしらえる様になって、布教というのを段々進める事が出来る事になったのです。

 

御啓示の伝達者

楳木代表

その様に、メシヤ様からはこうやってメシヤ教として発足する時にも、直に色々と教えて頂いていたのですけれども・・・今回だけは、ある人を使って伝えてくるものですから、非常に最初は難解な所があった訳ですね。その人はですね昨年の3月3日に『メシヤ降誕本祝典記念大祭』を執り行わせて頂いた直後に、○○Aは御教えに沿った取り組みを全くしないので、もうここにいてもしょうがないという事で、それからインターネットを検索して辿りついたのがこのメシヤ教で、このメシヤ教で一から勉強し直して、自分の信仰を再構築して行こうというふうにして来て、月次祭に初めて来てですね、そしてメシヤ講座も聞いて、非常に〝これからよろしくお願いします。これでしっかり勉強させて頂きます。〟というふうに帰って頂いたのです。その帰りの時に、突然意思が入って来るようになった・・・意思というのは、神様の御意思の塊がこの額からドンと入って来るようになって、その最初の言葉は『今、メシヤ教というのはメシヤ降誕本祝典記念大祭を執り行う事が出来たという事で、ヤレヤレという気持ちになっている。』『あいつは(楳木)今ヤレヤレという気持ちだ。』と、それから『他教団は、そういう事を認識していないので、自分達だけがこういう事を認識して、更に進もうとしている。』という事で『わりと気持がいい気になっている。』この状態で進むと事の成就は出来ないので、他所の教団と同じような状態で終わってしまう、と。それから今も大分県の田舎にある本部ですので、田舎宗教で終わってしまう、と。だけど『楳木という者がもう少し変わって行けば、世界救世(メシヤ)教復興事業というのを真に担わしても良い、と神界は考えている。』と、『だからもう少し様子を見るので、お前はメシヤ講座を欠かさないように。』というふうに指示を頂いたそうなのです。その人は折角良い所に勉強に来たのに、田舎宗教で終わってしまうかも知れない教団に・・・というふうに指摘される。こんな事を言われると、もう自分の気持ちは立つ瀬がないというふうに、もの凄く悩まれた様なのですけれども、何処からかそういう指示が来たので、月次祭には私は、その人がそういう事を思っているとはつゆ知らずですね、色んな事を話をしながら勉強を積み上げて行ったのですけれども・・・。

 

現状の進め方に神界から御指示

楳木代表

皆さん方も御承知の様に、去年は法難に遭ったりですね、それから法人格を取得する為に、県庁とのやり取りが非常に難航しました。メシヤ教としては新しい体制をどうしても整えて行かないといけないという事に、去年は追われました。(詳細は割愛)それで経理の仕方を根本から変えるという事で、支部からの上納方式とか、そういうものを全部整えて参りました。それと同時にですね『入門と奥座敷』の出版に同時進行で、これを作り上げて来ました。そして去年の年末にですね、大体体制を整えたので、これからどの様な所から突っ込まれようとも、やり抜いて行けれるという体制をとっていた所、又その人に来ました。その方にメッセージが届くようになったらしいのです。そして現状の私の進め方とそれから信者さんとの取り組み方について、厳しい話が幾つも入って来ているので、〝そんな大切な事であれば、もう楳木代表先生に直接お伝えしたらどうですか。〟と、その方もお断りしたらしいのですけれども、『いや之は直接楳木に伝えると、楳木は神界からの指示で動いているという、そういう動機になってしまう。言われたからやるという事になってしまうので、それでは本来の御神業は担えない。』それから『指示を直接出すようになると、次の指示を待つ様な人間に成ってしまって、指示待ち人間に成ってしまう。之では創造的な御神業というのは担う事が出来ないので、どうしても間接的に伝えないといけないのだ。』という事で、〝じゃ、どうして自分が伝えないといけないのだ。〟というふうに、お尋ねしたら『之には理由があるのだ。それはメシヤ様が源義経として生まれて来た時に、義経の意向を受けて楳木がお前の首をはねたという因縁がある・・・』(神界からの御指示が続きます。以降受講者のみの学びとし割愛致します。)

 

御啓示の内容開示

楳木代表

地上天国祭の時には、整理が充分出来ないままに、皆さん方にお話しをせざるを得なかったので、その点をどうかお汲み取り頂いてですね、伝えられてきた内容をこれからお話ししますので、受け止めて頂きたいと思います。先ず、今迄の世界救世(メシヤ)教復興事業の取り組みの論立てというのは、正しい。しかし、その論立てにもっと熱が加わらないといけない。この熱を加える為には、先ず代表者の霊性がもう少し高まらないといけない。代表者の霊性が高まって行くと、今度は信者さん方の霊性が高まって行くので、信者さん方の霊性が高まって来ると渦が回って来て、其処に問題意識のある人が、ずーっと集まって来る。その集まって来た者が、世界救世(メシヤ)教の構成員になっていくのだ、と。そして、メシヤ様が本来進めようとされた、その御神業がそこからスタートするのだ、という、そういう御垂示であります。

その御垂示を考える時に、本当かどうかというのを判る為に、この主神様のですね、『⦿』という御直筆の御文字をメシヤ教に御神体として授けた瞬間から、他の教団には組織としての奇蹟が出なくなっている筈だ、と。しかし、信者さん方は必死に『明主様』という事で求めているので、求めている人には奇蹟が出ている。それは直接に求めるから奇蹟が出る。しかし、組織は御教えから外れた事をやっているので、奇蹟は一切出ないようになって来るから尻すぼみになっている筈だ、と。これが実情なんだ、と。その事を先ず比較して認識しろ、だからもうずーっとその時からは、力をメシヤ教に集中してやっているのだ。だから信者さん方に頂く奇蹟の素晴しさというのは、他教団の体験記と読み比べれば判るだろう。だから之からも皆の信仰がそういう信仰を維持すれば、力をずーっとやり続けるとというのが一つ。

しかし、私の中ではですね、そういう大任を頂いても、今は、淨霊力拝受お願いは2000人位にはしておりますけども、実質的にしっかりした信仰を持った人はまだまだ少人数。この様な組織でそんな大きな事が・・・、先ず日本を救って、日本の浄化が終了したら世界が更に浄化が始まるので、世界を救って行かないと・・・『その中心になってやれ』というふうに言われても、こんな小さい宗団では、それを担えるという事はチョッと無理ではないかなという事が、私の率直な気持ちとしては、未だ其処までの段階に行ってはないないのではないかなと思っていた所、『楳木は、御倉板拳之神様の御指示を真に受け止めていない。こんな小さな組織で出来るかというふうに迷いを持っている。しかし、この小さい組織だからこそ此の主神様と御教えの根幹部分が徹底できるのだ』と伝えられたのです。

而も徹底できると言っても、信者さん方皆判るかなという様な事を、私も思った瞬間に『信者を見くびってはいけない。メシヤ教に集めている信者は全てその事が判る人間しか選んでいないのだ』と。判らない人間は途中でハジキ出している。だから現時点で集まっている人間が、私(楳木)がこういう話をし始めると『全部判る人間だけなのだ。それしか、月次祭とメシヤ講座には集めていない。だから、そういうことを丁寧に話して行けば、皆判る者しか集めてない』と。だから神様から皆さん方も選ばれて判る身魂として、此処に集まっているという事なので、どうか共々にこの『主神様とメシヤ様』の本文をですね、しっかり肚に入れながら霊性を高めて頂ければ有難いと思います。

そして、これからも更に力を下さるというので、私は不遜ながらですね、出雲支部の4月度の月次祭前日から浄化している訳なんでね。直腸と大腸がもの凄く定期的に痛み出して下痢をするような状態がずーっと続いているので、腹の中が相当浄められていたので、じゃ私にそれだけの力をくれるという事は、私の腹に光の玉を入れてくれるのかなとかいうのを微かな願いを持った訳です。それも見抜かれて、皆さん方は浅はかな人間だと思うでしょうけども、光の玉は入れてくれなければそういう大それた事は出来ないという気持ちが私にはあったので、そうしたらですね、『今は、光の玉を入れてやろうにも入れられない位大きくなっているのだ』と、驚くべき御垂示をいただいたのです。

 

『散花結実』

楳木代表

そこでメシヤ様が御昇天した真の意味は何かというと、私は皆さん方に御法難があったので頭脳の拷問を受けてですね、そして脳貧血で何回もお倒れになっているので、その後遺症というのは5年後に脳溢血となって出るというのが普通の人間のサイクルですけども、メシヤ様は頭脳の使われ方が非常に激しかったので、3年半で脳溢血を起こしている、とご説明しています。ですからこの為に120歳まで御命があると仰ったにも係わらずですね73歳でお亡くなりになっているので、メシヤ様の御在世中に支えた先達がだらしなかったので、メシヤ様の命を縮めてしまった。だから先達のやってきた様な信仰では駄目だという事で、私はこのメシヤ教を一から積み上げて参りましたけども、その考え方は人間的には非常に正しい。しかし、神界からすると昭和25年6月15日にですね、光の玉に御倉板拳之神様が御宿りになりました。8月1日に『一厘の種』としてメシヤ様が御講話されてる内容は、この宿った種が成長して行って成人を迎える頃には、大威徳を発揮されるというふうに御話しをされていますけれども、その成人をする前にですね、それが大きくなり過ぎて、メシヤ様の御肉体の中には留められなくなったので、肉体を終わらせたんだ、と。だから、それが本当の意味で散ったという事なのだ。肉体が散ったという事で、之が『散花結実の本当の意味だ。』というふうに教えられたのです。私はチョッととんでもない話だったので、それも余りスッと受け入れる事が出来なかったのですけれども・・・。

御倉板拳之神様が成長して、光の玉はですね肉体を突き破って、今は地球全体を覆っている。だから全人類に遍在しているので、何処の国に行っても、どの様な民族でも、それからどの様な宗教を持っている人間にも、このメシヤ様という事が判れば、即時に奇蹟が出るようになっている、と、今は・・・。そういう時代を迎えているから、もう組織ではないのだ、と。そういう事を知らせて行くのがこれからの布教なので、どうかそういう事を信者さん方にお伝えして、信者さん方の気持ちがそういう所に成るように働きかけて貰いたい、と。

そして、この話は説得ではないのだ、と。私がこういう思いを持って話していると、信者さん一人一人の魂の中にその事がスッと判るものが出来て、そして代表者と共振しながら高まって行く、そういう関係を之から築いて貰いたいという事なので、私も共振の所までは充分判らないのですけども、精一杯こういう話をして行けば、皆さん方の魂が振るえて来るのではないかなというふうに思わせて頂いているので、こうしてお話をさせて頂きました。

 

霊性の高まりに努力を

楳木代表

これから大事な事が幾つかあるのですけれども、その大事な事が幾つかある中で、それではそれは4代教主様にお願いした方が良いでしょうか、と。連絡をとって繋がるように最大限努力した方が良いでしょうか、他教団の理事長クラス、会長クラスにも誠心誠意お伝えした方が良いでしょうか・・・とお尋ねしたところ、『そういう時代は、もう終わったんだ。』と。これからは問題意識を持っている信者さん方によって、本来の世界救世(メシヤ)教というのは創り上げられるので、そういう肩書を持った者に依頼するという気持ちは全て捨てるようにというふうに御指示があったので、そういう気持ちを之は一切持たないように、之から進めさせて頂きたいと思います。そして御縁のある方々に伝えて行きたいというふうに思います。そういうような形がですね地上天国祭の時に実は参拝に来ていた集団があるのですけれど・・・(プライバシー保護のため割愛します。)

今メシヤ教は新しいホームページのものに変えようとして色々作業をしていますけれど、その中ではですね、世界からどれだけの人がアクセスしてくるかというのを、世界地図の中に表記される一覧があってそれを毎日見てるとですね、何と世界の国の半分近くが、今メシヤ教のホームページを見てくれております。日本が一番多いのですけれども、ロシアとかそういう所の人もメシヤ教のホームページを見てくれるような、そういう時代を迎えてるので、神界から伝えられてきた事は〝満更でもなさそうだな。〟という様な今感触を得ながら、絶対やれるぞという所までは未だ私の気持ちが現状では高まっておりませんけれども・・・。

しかし、そういう事はやらせて頂こうと・・・。只一つ最初にですね主神様の意図を伝える時には、メシヤ様が身を以って、主神様の御啓示を信者さん方にお伝えした、その時代の日本人の霊的レベルというのは、肉体を以って伝えないと判らない位のレベルだった、そうです。霊的レベルが・・・。だからメシヤ様が、『お光』については全部メシヤ様が御揮毫になってですね、その御揮毫になっている御姿とかを周辺の奉仕者が見てですね信仰の貴さというのを学んで、それから口述筆記を毎日しながら手を入れられて、御論文をずーっとメシヤ様が御執筆になられました。そういう御姿を通して、当時の先達に信仰の貴さと、主神様の御啓示を伝える役の貴さというのを教えて来たんだ、と。

しかし、今の平成28年では体を持って示すものは何もないのだ、と。だから後は霊の高まりに努力をして行ってくれれば良くて、このメシヤ教が霊的宗団になってくれれば良いのだ、と。霊的宗団というのは霊がかり的なものではなくて、真に霊性の高さを持った者達の集まりになってくれれば良い。そうなってくれれば其処に大きな渦が回って来て大勢の方々がその中に吸い込まれて来るので、そういう宗団を目指すように取り組んで貰いたいという事でありましたので、私もですね心掛けて行きたいと、その様に思っております。

 

『天恩地恵』

楳木代表

この季刊誌『天恩地恵』というのはですね、出雲支部から献上された御直筆の御文字です。この会報の名前を決める時に、全国の支部とそれから本部にある文字の中でどれが一番良いかとずーっと調べて見た時にですね、これが雑誌としては一番良いだろうという事で之に決めました。天の恩が地に恵みを与えるという事で、これが相応しいだろうと思って命名したのですけれども、実はこの意味も神界からすると捉え方が浅すぎる、と厳しく伝えられました。

『天恩地恵』の意味というのは、一つはですね、宇宙の中心から主神様の御意図が太陽に届いて、太陽でその意図が変換されて地球にとって一番良い光と熱を届けるようにしてあるのだ、と。之が火素のもとが主神様だという、こういう意味なんだ。而もメシヤ様が、『黒点が主神の代表だ』というふうに御話している内容はこの事を指すのだ、と。そして、地球の周りを月が回って水素を与えて、元々の土素と合わせてこの三位一体の力が発生する。之が『天恩地恵』なんだ、と。それから目に映るように判り易く説明すると、この『⦿』という御文字が天界にあった場合、その『⦿』という御文字が地上に『⦿』が写った瞬間に回転が始まってそれで諸々の物が生まれて来る。之が『天恩地恵』という意味なんだ、と。だから、もっともっと大きい深みのある御文字なので、そういうふうに之から捉えて行くようにという事なので、これの編集長の濱口さんには「そういう意味だから、これから作る時にそういう意味で作ってくれ」と言っているので、責任の重さを一心に受け止めてくれています。しかし、その様に具体的に教えて頂いたので、一つ一つの取り組みが少しずつ、し易くなってきております。それで、霊性を高めていく為にですね『御神体』の申し込み方法を変更して参りますので、それを最後にお伝えしたいと思います。(御神体に関しての詳細は、割愛致します。)

 

想念を高めて頂く為に!

楳木代表

今日は、『善言讃詞』を奏上する時にですね「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」の前を、何時もより間隔が長かったと思います。それはどういう事情かというと、今メシヤ教の信者はメシヤ様、メシヤ様というふうに呼んでいる、『それは非常に良い』と。そして「メシヤ様に直に太く繋がる想念を確立する。」という事は言っている。『之も良い事だ。』と。しかし、メシヤ様に直に繋がるとは、光の玉に御倉板拳之神様が宿って初めてメシヤ様になったのだ、という認識が浅いということでした。それまでは、観音教の時からですね光の玉がずっとメシヤ様の腹中にありましたので、だから「世尊觀世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ應身彌勒と化し」まで、この間、ずーっと光の玉があったから奇蹟が出たのだ、と。しかし「救世主とならせ」という時には、その中に御倉板拳之神様が宿って、初めてメシヤ様になられたのだ、と。だから「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」というのは、御倉板拳之神様が光の玉に宿って、メシヤ様に御出世遊ばされた、その「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」という想念で行かないと、真にメシヤ様という事に繋がって行かない。

之が、教団が長い事ですね御倉板拳之神様という名前を伏せて、そして「みろく神教」の先生が井上茂登吉先生に尋ねて、そして実は、御倉板拳之神様だというふうに教えて貰ったと明らかにしたのです。それに基づいて、何人かの教団幹部等は御倉板拳之神様という事を知る事が出来たのですが、その時もそれを知っただけの話なので、どういう事で御倉板拳之神様がその光の玉に御宿りになったかという所の追求と、御宿になったからどういう事がこれから許されて行くかという事の組み立てが、一切出来てない為に世界救世(きゅうせい)教となって更におかしくなってきた理由はそこにあるのだ、と。

で、『御倉板拳之神様というのは、宇宙の中心の主神様のその御意図が地球に届いた時に、御倉板拳之神様という形になるのだ。』という事ですので、三千年前に素盞嗚尊が日本に押し寄せて来て、伊都能売神皇様に皇位を譲れと迫った。その迫ったのは、その御倉板拳之神を寄こせという事で迫った訳なので、それで急遽伊都能売神皇様は皇位を天照天皇に御譲りになったという事は、その御倉板拳之神様を天照天皇に御譲りになって、抜けてインドへ行かれた訳なんです。それで次は、素盞嗚尊は天照天皇にそれを迫って、絶対これは渡す事は出来ないと仰ったので、殺してしまった訳ですね。天照天皇を殺してしまったので、その殺された瞬間に御倉板拳之神様は戻った訳です。だから『夜の時代』になったのだ、という事です。ですから昭和6年6月15日にメシヤ様が、鋸山で行った神事というのは天照天皇を御迎えをして、そして東京の日枝神社に御鎮座申し上げたのが『夜昼転換』の御神事ですので、その天照天皇という御存在が世の中に出て来らて、そしてその事によって御倉板拳之神様が再度この地球に、また御出生する準備がそこから行われたという事です。そして愈々昭和25年6月15日に準備が整ったので、そのメシヤ様の腹中の光の玉の中に御倉板拳之神様が御宿りになったという事です。そして、今回のこの御啓示は御倉板拳之神様の二度目の誕生とも言って良いのだ、と・・・。しかし、之は誕生したという事ではなくて、人類が認識するという事だ、と。之を第二の誕生と言えるという事ですので、認識して貰わないといけない、これからは・・・。今迄どうしてそういう事が出来なかったかというと、やはりメシヤ様の腹中に御倉板拳之神様が宿った瞬間から、教団の中では二つに分かれはじめて、メシヤ様の存在を世に出さない働きのグループと世に出そうというグループに分かれたけれど、大半が出さない方に支配されて行ったので、最終的にはメシヤ様の御命が短く終わるのと、御倉板拳之神様の存在が一切知らされない状態がずーっと続いて来て、6年前に私が1回発表したのですけれども発表しただけで、それで私自身も判っただけで良い位に考えていたので、それから御倉板拳之神様を認識するという事は、実際どういう事かというのを具体的に考えて来なかったのです。

今回考えるようにという事で、御啓示が降った理由がそこにあるんだというふうに受け止めて頂いてですね、『善言讃詞』を奏上する時に「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」というその前には、メシヤ様の腹中にあった光の玉に御倉板拳之神様が御宿りになって、そして、メシヤ様という御神格に御出世遊ばされたその「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」という事が、之から行われなければいけないんだという、そういう想念で『善言讃詞』を奏上をして頂きたいというふうに思います。

そうした所を受け止めて頂いてですね、時間になりましたので終わらせて頂きます。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

『「本教の誕生」 世界救世(メシヤ)教早わかり』

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』19ページに記載されています。

『本教の誕生 世界救世(メシヤ)教早わかり』は平成28年8月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.185 出雲支部 2016(平成28)年7月15日]