「世界救世(きゅうせい)教」の内紛、分裂の真相を基に改革を 5
改革の必要性が浮き彫りにされた問題点は開教時まで遡る
「三派に分かれた後の動きに触れる」ということを記述して以来しばらく放置していたのは理由があります。
それは、教団紛争の出発点から“嘘”があった訳ですから、その後は“嘘の上塗り”状態で推移しているに過ぎない、ということです。重ね重ね信者の皆さんにはお気の毒なことを重ねている訳です。また、どうしてこのようなことを重ねるのかを探求しておりますうちに、数々の教団裏面史に関わる資料が集まってまいりました。
そうしますと、“もっと前に原因があるのではないか”ということにだれもが思いを寄せます。御昇天の時期が御言葉よりも早まったことも含めて、後に教団は変貌を遂げてしまったことに辿り着きます。
遡れば、「世界救世(メシヤ)教」開教後に御法難に見舞われたために、本来進められようとされた御神業の推進もできないままに来た面があります。それは、井上邸で行われなければならなかった御神務にも象徴されています。
そして、教団裏面史の中に閉じ込められた開教における妨害の実相、御法難の真因に辿り着きます。この内容は、さすがに真相を明らかにするとは言え、ここでは記述できないほどのものです。これまで記述した内容は、「そこまで明らかにしなくても良いのではないか」と当事者から非難されることもありましたが、更に深刻なものだからです。
教団浄化を終息させるために立ち上がるべきだ、と話した際に「今にメシヤ様が良いようにしてくださる」「今にメシヤ様が大鉈を揮ってくださる」ということを口にして、具体的行動をせずに来た面があります。このことと井上邸での御神務に関して、「神様が必要あってそうした形をとられたのでは」という達観したような話しぶりは同類ではあります。
メシヤ様は『宗教行為主義』を推奨されていますので、行動を起こさなければならないはずなのですが、メシヤ様が示されていた御自身の寿命を弟子たちの不始末のために縮められたことについてさえ、「神様の御経綸上のことではないでしょうか」という意味合いの言葉を口にしてしまいます。
原因がおおよそ掴めても行動を起こさない理由付として解釈論を展開しています。
メシヤ様の御肉体を持たれた人間としての“生き様”と“思想性”を探求して、自らも一歩でも近づいてゆこうとする姿勢、直向(ひたむき)さ、真摯さが欠落していることが原因であると考えられます。
そのことが解り易いのが専従者の飲酒の在り方です。仮に入信以来無医薬で過ごした、と豪語したとしても、癌の末路を迎える人が意外に多いという事象があります。その人の生活をたどると、添加物いっぱいのウィスキーや発泡酒、醸造アルコール入りの日本酒、防腐剤入りのワインを平気で飲んでいたり、食材に気配りしていない面が目立ちます。
そうした姿勢で、御教えに沿った正常な思考ができるとは思えません。
教団分裂を分析する上で、先の所信表明(故・中村力元総長)草稿者は“既成宗教化”により、教団が辿る道というのは「世俗社会の宗教」として分裂を繰り返してきた、と指摘しました。これはこれとして現象に対する解釈ではあったのですが、世界救世(きゅうせい)教の場合にはどのような意義があったのか、という探求はなされませんでした。「教団護持委員会」では初期的には試みたのですが、尻切れトンボとなってしまいました。「東方之光教団」や「いづのめ教団」は“嘘の上塗り”を重ねているために、当然のことながら望み得べくもありません。
そこで御在世中から信仰上の課題となっていることと、『世界救世(メシヤ)教となると随分とキリスト教的になります。』と仰ったメシヤ様の御心を求めるに当たり分かり易い事例を紹介しましょう。
一、 考えさせられるGHQからに「大罪」という指摘
昭和二十四年(一九四九)頃といえば、風が風を呼び、炎が駆(か)ける如く御神業は全国津々浦々に教線拡大の兆(きざ)しが見えはじめ、現在の自然農法は〔無肥料栽培〕と称され、実施農家も徐々に増えつつあった時も時、宮崎県下にて無肥料栽培実施者が進駐軍の呼び出しを受け、布教責任者たる支部長も召喚(しょうかん)されるという“事件”があったのです。
何しろ、日本の生殺与奪(せいさつよだつ)をにぎるマッカーサー司令部(GHQ)の隷下(れいか)にある進駐軍の取り調べというので、信者さん方には極度の緊張が走り、〔お光さま〕や〔無肥料栽培〕などインチキだとする批判者側は「それ見たことか」と勢いづき、「今に、マッカーサーが無肥料栽培などという非科学的農法は禁止してしまうにちがいない」などと噂が噂を呼んでいた最中(さなか)、厳重な尋問(じんもん)を受け拘留(こうりゅう)されるかもしれない、と固唾(かたず)をのんで心配していた信者さんの前に支部長は元気一杯で帰ってきて、こういう話をしたというのです。
「皆さん御安心下さい。そもそも、日本に信教の自由を保証してくれたのはマッカーサー元帥です。その信仰と一体的な無肥料栽培を取締るわけが無い。どういう理由で取り調べがあるのか? と、自分はそれを逆に問い質(ただ)すつもりでいたのです。すると係の将校から全く意外な質問を受けました。それは『無肥料でやるというのは、折角GHQの好意によって配給した化学肥料をヤミで横流しして、高く売っているのではないか?』とのことでした。自分は驚くと同時に、われわれは神に仕える信仰者である以上、不正なことをして金もうけするなど、とんでもない邪推です。と断言し、信者さんが日々頂いている奇跡を話し、無肥料栽培の原理について説明したところ、その将校は『それでは、信者は全員無肥料栽培を実施しているのだろうね』と聞かれるので、全体からいえば実施者はまだほんのわずかに過ぎません。と、ありのままに答えると、将校は『それはおかしい。一旦神の道に入った以上、その教団の教祖様の教えは、皆守り実行してこそ信仰者ではないのか? 肥料の横流しをしていないのはよくわかったから君は帰ってよいが、入信しながら教祖の教えを実行しない人達がいるというのは、理解できない。神の加護をもらっても、教えを守らないのは神を利用することで、キリスト教から言えば、それは大きな罪を作っている事になる』」
二、受け取り方、生かし方
支部長に対する進駐軍将校の此の言葉は、まさに脳天一撃の感銘であったそうです。聞いた信者さん方も『なるほど、そのとおりだ。われわれは甘えすぎていた。そのアメリカの将校さんに、信仰の心構えを教えられて恥かしいことだ。支部長先生、御苦労というより、大変情けない想いをかけて申しわけありません。明主様からおかげを頂戴したからには、御教えを実際に行ってまいります』
化学肥料横流しというあらぬ嫌疑(けんぎ)から、進駐軍に呼び出しをされた事が結果として、
―――信仰いかにあるべきか―――
を、米軍から教えられ、その支部長は奮(ふる)い立ち、凄い勢いで発展している有様を、わたしは宮崎県の現地で聞かせてもらい、強い感動を覚えたものであります。それにしても、支部長さんの「受け取り方、生かし方」に、わたしは深く心を打たれ、是非その支部長さんにお会いしたいと念じたものであります。〔吉田義春〕教師とお名前もわかり、後に、メシヤ教関係で約一千人に近い支部長の中でも、トップクラスの活躍をされました。
笑うと、喉(のど)のあたりでホロホロという、心地よい響きのある快男児でありました。
吉田義春さん、御健在なりや。懐かしく思い出されてまいります。
こういう御神業上の美談は、口から口へ忽(たちま)ち伝わり、お導き活動、自然農法の実施者にも随分波及効果があったのは、申すまでもありません。
「神様は、思いがけない人を使って御知らせ下さるものだ」
先輩からよく承(うけたまわ)っておりましたが、此の米軍将校の教訓は、その典型的なものであります。
三、二つの御教え
(1) 入信の意義
米軍将校の忠告と、吉田義春教師の絶妙の受け取り方、生かし方が御神業の美談となっている折も折、ある人の御伺いに対し、
この「入信しっ放し」っていふのは何にもなりませんよ。入信するって言ふのは人を救ふ力と、救ふやり方を教はるんですからね。丁度学校へ入って学問をする様なもんです。だからそれを生かさなくちゃ駄目ですよ。そして、それを活用した人を神様は御守護なさるんですよ。神様は一人でも多く助けようとなさるんですからね、人を救はなくちゃ駄目ですよ。それでなくちゃあ生存の価値がありませんからね、御守護だって頂けませんよ。 御光話録第七号 六頁 (昭和二十四年四月四日) |
この御言葉は、開拓布教、御浄霊、講習会に、只もう無我夢中で走りまわり、入信者は出来ても、信仰が育たないという悩みを抱えている我々にとって、宗教活動上最も大切な〔入信の意義〕の御垂訓でありました。
他人事(ひとごと)としてでなく、世界中の誰でもない、この自分自身に御与え下さった天の声として拝受実践し、かりそめにも『生存の価値を無くする』ことのない様に努めましょう。