「世界救世(きゅうせい)教」の内紛、分裂の真相を基に改革を 4
三派のその後の動き
まず、三派に分かれた後の動きに触れる前に、一元化後に信仰が喪失されたという内容を見つめてみます。対策のために全国を回って驚かされたことは、当時の地区本部長、県本部長クラスへの信者からの盆暮れの付け届けの内容です。都市部ほど、付け届けが物ではなく商品券であったり現金であり、しかも高額になっているのです。また、専従者の結婚式での信者からの祝儀が200万円(昭和59年当時)を超すこともありました。組織信仰にどっぷりつかっている姿を目の当たりにして、教団改革に立ち上がることの困難さを痛感いたしました。
これは何を意味しているかと言いますと、専従者のお世話が信仰指導というよりご機嫌伺いになりがちになるということです。何故なら、付け届けの高で幅を利かす信者が生まれるからです。一元化後の専従者は落下傘部隊状態となり、人事異動により赴任地が決まり、他の人が開拓し広めた場所で御神業に励むようになりました。そのことにより、専従者と信者の双方に錯覚を生んでしまう場合があるのです。
信者にとっては骨を埋める地であっても、専従者にとっては骨を埋めるところではないから、専従者は体当たりで信仰を説き、何が何でも御教えに沿って相手を救うという姿勢が薄れてゆくのです。そして、問題を起こさないように努め、次により良い赴任地を得られるように心掛けるようになります。そのため布教現場はやがて成果を上げる場となり、事務職は上司に気に入られるような動きをとるようになります。やがて専従者の目は上ばかりを向き、下を向いても一部の信者へ絞られてゆくのです。組織信仰を形成してしまった所以です。
このような布教現場ですので、信者にとっては、新たに赴任してきた専従者は自分が救われた際に立ち会った人ではなくなります。すると自分の全て(病気や諸問題)を知られていない人だということになります。自らの因縁の全てを曝(さら)け出していないため、真の救いを得辛くなります。また、より良い関係を築くと称して世俗的な慣習が用いられるようになります。こうして、冒頭のような関係が生じるのです。
錯覚とは、信者が無意識の内に専従者を上手に使おうとすることです。逆に専従者は、無意識の内に成果に繋がることや付け届けの内容に動きを左右されてしまいます。
人事異動がない場合、専従者はその布教現場で生涯を過ごすことになります。すると、布教力のないものは自動的に現場を去らねばなりません。また、その場が嫌になった場合、新たに開拓布教を行い地盤を造らなければなりません。しかし、人事異動があれば、問題から逃げることができ、他の者が築いた地盤をも奪うことができるのです。
それでは問題を起こして専従者が辞めざるを得なくなった場合、人事異動しなくてどのように対処するのか、という問いが出ます。『因縁の人が因縁の人を導く』のですから、導かれた次の人が昇格すれば良いのです。その人が信者であっても、多くの人を導いた経験があれば資格は存在するのです。
また、一元化後に給与制度が改まりましたが、等級に学歴が加味されるようになりました。これにより意欲に水を差すようなことも起こりました。例えば、高卒で専従し4年間経験を重ねてかなりの質量の仕事をこなせるようになった者よりも、大卒で専従したての者(同年齢)の方が多額の給与を受け取る事態が生じたのです。布教という特殊な職種の中で、後輩の方が先輩よりも給与が良いという事態が生じたのですから、熟練者の間で混乱を招くこともありました。
こうしたことが重なったことと相俟って御教え拝読より総長指導の学びを重視する教団方針により、結局、真に人を救うことへの意欲は失せ、人々の人生観をメシヤ様の御教えに沿うところまで導くこともできなくなり、宗教の使命を果たせなくなってしまうのです。
そこへゆくと、「主之光教団」では、当初所属した全ての専従者は上司の意向に関係なく教団改革に燃えておりました。また、現場の信者一人ひとりに現況を知らせ同意を得て一体となっておりましたので、新生協議会側の給与カットの脅しをはじめとする圧力に対して精神的に屈することはありませんでした。
前回触れたように「主之光教団」が十倍の信者に膨れ上がりましたが、飛ぶ鳥落とす勢いが止まったのは、まさに人事異動と不明瞭な昇格人事を行ったからでした。
どんなことでも下意上達の姿勢を持つことができたからこそ広がりを見る訳ですが、これはともすると上位の者からは煙たい存在になります。そこで、結果的に力ある専従者と信者を分断する措置として執られたのが、またしても人事異動と昇格人事でした。勿論信者から問題視された専従者もいたので、従来から常套手段として行われたものでした。しかし、こうした人事が繰り返されることにより、次第に専従者から改革心が薄れていったのです。
これは、教団改革を進めようとした時に、「黒白がハッキリしてからだ」という中村総長(当時)の声に大半の役員が縋ったからでしょう。というのは、中村総長(当時)による「所信表明」に謳った教団改革の内容を大半の役員が理解していなかったに等しかったのです。仮に理解していたならば、現在のような世界救世(きゅうせい)教の体たらくに黙っているはずがありません。
理解者は、草稿に当った人物とごく一部の人物に限られていたからです。これが、改革の機を逸してしまった原因です。
一旦澄んだかに見えた泥水が、元の姿を滲ませてきたのでした。下意上達を謳った組織に上意下達の姿勢のみが色濃く出てきたのでした。
改革の精神を継続させることは困難を極め、最もクリーンであったはずの「主之光教団」内でも体制が落ち着くと、不適切な金銭の授受が起こります。布教施設建設の中でも信者さん方の思惑とは異なるところで不適切な遣り取りがあり、盆暮れの挨拶にしては破格の贈答があったりします。そうして、資格者信者がお互いに籠絡されてゆくのです。
一方、元々そうしたことに気付かない「いづのめ教団」では、ただ単に教会制を復活させたに過ぎませんでした。資金が最も潤沢と言われていた時期がありましたので、体制が上手く行ったかのように見えましたが、改革への分析が不十分であったために地方で問題が渦巻き、センター制を執るなどしたのです。それも今では問われています。
三派に分かれた時点で潤沢な資金の主な財源はEM菌の販売で得た収入ということでした。これは改革を謳うこととは全く逆に御教えに矛盾する取り組みになってしまったのです。
このことについては象徴的な話を耳にしたことがあります。御在世当時から自然農法を実施して、メシヤ様へお米の献納をされていた方が神奈川県に在住しており、勿論EM菌の導入に反対をしていたそうです。ところが、担当者が実施者へ無断でEM菌を混入させた土をダンプで搬入してしまったというのです。一瞬にして、長年積み重ねてきた土壌を汚してしまったのです。
このような姿が指導者側にあることが全てを物語っています。何でも有りのアバウトなところがある、と言っても程があります。やはり抑々内紛を生じさせた張本人の行うことだと言える訳です。
また一方、「東方之光教団」は、光明会館建設を謳い資金集めをしましたが、もともと布教力のない集団ですから実現を見ることはありませんでした。しかも、新たな資格を創設して進めている浄霊法は、信教の自由が認められていない時代にメシヤ様が執り行った手法です。これは時代に逆行するものと言わざるを得ません。
大変な矛盾を内包している点は、節分祭で神言を奏上しなくなった理由も善言讃詞の内容を一部変更している理由も、時代の推移(火素が増量して、『昼の時代』に移っていると称して)としているにもかかわらず、御光の弱い時代の浄霊法を復活させているということです。
勿論、「いづのめ教団」「東方之光教団」とも三大聖地の維持管理に努めていることは、既成宗教的には評価されるものです。
[print_link]