祭典の意義と想念(平成30年2月)のあり方

平成三十年二月日「節分大祭」同四日「立春大祭」意義と想念のあり方

 

〇本祭典に至るまでの経緯

・節分祭の意義について

本教は、これまで節分祭を、お詫びの日、新たな誓いの日として、六月十五日とともに、霊界が切り替わる節目の日とし、祭典を執り行って参りました。我々は、世間一般的な「鬼(おに)は外、福(ふく)は内」の豆まきは、絶対に致しません。これは「正しい神様を、その厳しさ故に、鬼(おに)と呼び、押し込め、動物霊である副(ふく)守護神を内に入れ、欲望の恣にせよ」と、唱えることに外ならないことを知っているからです。また〆縄を飾ることも致しません。押し込め、縛り付けた、罪の証だからです。

この日は、何事かを祝う日ではなく、かつて三千年前の節分の夜に、正しい神様を押し込め、或いはこれに加担し、或いは我関せずと見て見ぬ振りをし、正義を曲げる罪、正邪を分かたず大勢に加担する罪、自己保身のみを図る我良しの罪の発生と、その後形を変えつつ、犯し続けた同様の罪を、お詫びする日であるわけです。

抑々この神様「国常立尊」様は、主神様の命により、天津神の代表「伊弉諾尊」様とともに、国津神の代表「大国常立尊」様として、地上の創造に当たられた、最も古く尊い神様です。妻神様である「豊雲野尊」様が形作り、「国常立尊」様が霊を吹き込まれ、この地上のすべてが作られ、後に鬼門として恐れられる程の、浄化力の強い清浄な霊気を、絶えず艮(東北)の方向より送り、この地上を浄めて来られました。

創造に当たり、龍体であった尊様の御姿は、日本の国土そのものであり、玉である九州を、今にも飲み込もうとしている龍の御姿に形作られ、同時に北海道、本州、四国、九州が、それぞれ北米、ユーラシア、オーストラリア、アフリカ大陸に相当する世界のひな型として、日本が世界のどこよりも霊的に高く、どこよりも早く正される運命を持っていることに相応しい、尊様のお身体そのものであるわけです。

その後、人の姿にお生まれになり、厳正至直な御統治をされていた尊様は、そのあまりの厳正さに耐えかねた神々の共謀により、三千年前の節分の夜、北海道芦別岳に押し込められてしまい、此処に夜の時代が始まるのですが、この間、霊界での審判に任ずる閻魔大王にまで地位を落とされる一方、自らを貶めた神々や、加担した人々を恨み、返報返しをするどころか、逆に一番救わねばならぬのは、これらの者たちであるとし、何の落ち度もない身を省み、厳正な善一方のやり方を改められ、現界においては、救いと慈悲の御働きをなさる「伊都能売神皇」様となられました。

夜昼の転換は、太陽神の光が、宇宙全体に及ぶまでに強いか、はたまた月の光しか頼りにならぬほど弱いかの、光の満ち干にあるのですが、この時は、夜に向かって太陽が沈んで行くように、太陽神の御力は既に無くなりつつあり、「伊都能売神皇」様も、もはや、世界大の統治の御力はなく、日本を中心とした、東洋のある範囲を照らす御働きしかできませんでした。

更に落日が近づくと共に、夜の御働きである「素戔嗚尊」様に地位を奪われんとした時には、日本を落ち延び、「観世音菩薩」に身を変え、インドにおいて慈悲を説く仏法を教え、いずれ日本に仏教伝来と共に戻る御仕組みをなさる外、術がない状態となっていたわけです。

その後、日本に残され、その地位を継いだ「天照天皇」様も、夜の時代とて、宇宙を照らす太陽神、「天照皇大御神」様としての御力は既になく、妻神である「天照大神」様に統治権を継ぐ形で、お隠れになり、日の光は、かろうじて女神である「天照大神」様に残されるだけで、月の光のみである夜の時代がすっかり完成され、人間の罪が積み重なるだけの世となってしまいました。

この図式は、女神「天照大神」以前の歴史が隠され、以後日本の天皇が統治権を直接行使せず、常に臣下の統治権争いが繰り返される中で、細々と系統を維持するしかなかった天皇家と日本の歴史に、よく現れています。

三千年後、夜の時代が終わり、再び日の光が照らんとする明治の代に、「国常立尊」様は、「艮の金神」と名乗り、大本教祖に御憑りになり、再び世が昼の時代に戻る準備の御神業をなされ、今に至るのですが、こうして地球の創世から今日に至るまで、重要な御経綸にすべて携わり、世を救い正さんとした神様に対して、一体我々人類は、かつて何をし、その後どういう態度で臨んできたのでしょうか。

この三千年にわたる大罪のお詫びこそ、この節分の真の意義にほかならないのです。

・立春祭の意義について

一方立春祭の二月四日は、昭和三年、実業家であったメシヤ様が、御神業一本で進むことを、御決意なされた日であり、昭和二十五年、世界救世(メシヤ)教が正式に発足した日、「明主」の御呼び名とともにメシヤ教教主として、メシヤ様が世に出られ、昼の時代の宗教が誕生した日であります。

昼の時代に戻るということは、太陽神である「天照皇大御神」様を、現界にお迎えする必要がありますが、このため仕組まれていた、昭和二十九年六月十五日「メシヤ降誕仮祝典」において、「天照皇大御神」の御神名とともに、太陽神を一度お迎えし、明主様はメシヤ様となられるも、その光の強さ故に、三千年の罪穢れの浄化が、まず教団の上層部から始まり、その厳しさに耐えかねた者たちは、感謝を表すどころか、再びその光を押し込め、三千年前の罪の上塗りをしてしまったのです。

この段階で、太陽神(日)を、人間側(土)が拒否するということは、その後予定されていた展開、日と月の結び、即ち「伊都能売大御神」様の御戻りも、日と月と土の結び、すなわち「日月地大御神」様の御出現も、それらの御働きである「救い」が、「国常立尊」様の「裁き」の御働きと結び付き、裁きと赦しを兼ね備えた救世主(メシヤ)の大神力の出現も、全く望めない事となってしまったわけです。

これは単にメシヤ様から明主様へ呼称をお戻しした御無礼、神格を認めない罪といった範疇で、収まるようなものではないのであり、この立春祭という日は、前日の節分祭におけるお詫びを踏まえ、昭和の罪の上塗りを心底よりお詫び申し上げ、二度とこの過ちを犯すことなく、昭和のやり直しをお誓いする日、すなわち「世界救世(メシヤ)教の復興」を宣言する日でなければならないのです。

〇本祭典挙行の意義について

さて、我々は、神界からの御垂示と天祐神助のもと、昨年六月十五日に「天照皇大御神」様を、現界にお迎えし直し、十月二十六日に「伊都能売大御神」様を定山渓にお迎えし、十二月二十三日には、メシヤ様に対して犯した昭和の大罪をお詫び申し上げた上で、「日月地大御神」様をお迎えするまでに至りました。

三千年前の逆回転の形で、太陽神「天照皇大御神」様の日の光により、次々と神様がお戻りになっている、この昼の時代の初めに当たり、まだ済んでいないのは一体何でしょうか。どなたに対して、今、何をなすべきでしょうか。

〇本祭典挙行に伴う想念のあり方について

これらを踏まえ、我々は、「国常立尊」様に対し奉り、当時と同じ芦別岳の御前において、「国常立大御神」の御神名をお唱えしつつ、三千年前に犯した人類の大罪と、その後積み重ねた諸々の罪を心よりお詫び申し上げ、その我々に対し、この三千年、姿かたちを変えつつ、救いと守護を与えられたその御働きに、我々が全く不明であったことを深く恥じ入りつつ、衷心より感謝を申し上げる一方、本部御神前においては、芦別岳に想念を馳せつつ、「主之大御神」様に対し奉り、その深くありがたい恩恵を理解せず、「国常立尊」様を始め、メシヤ様をメシヤ様たらしめている神々をお隠しし続け、最大の恩恵であるメシヤ様の御降臨を、ここまでお待たせし、御神意の実現と世の救いを遅らせてしまったことを、心からお詫び申し上げ、明日の立春大祭執行をお許しいただくととも、「国常立大御神」様の正しい「裁き」の御働きをお願い申し上げ、その御働きと結ばれた「救い」の御業、裁かれた者達を一人でも多く救う御業を、我々が担わせて頂くことをお許しいただいて、世界大にまで拡がるそのメシヤの大神力である救いを体現する「世界救世(メシヤ)教復興」の核心たらん事を、改めてお誓い申し上げ、「開教の辞」を「復興の辞」として心に刻みつつ、来る三月三日「メシヤ降誕本祝典」において、メシヤ様を、この世に再びお迎え申し上げることに邁進させていただくものであります。

 

[研鑽資料no.20 「節分大祭」「立春大祭」意義と想念のあり方2018(平成30)年2月3日]

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