学びの骨子(平成30年1月)訂正の件

<研鑽資料 骨子>

平成30年1月骨子訂正の件

 

返信が遅れまして申し訳ありませんでした。

ご指摘の訂正箇所、自分としても思い切って書いたものだと思いました。流石青枠の方は鋭い御指摘で、曖昧な点は逃さないと恐れ入りました。

そもそも「ゝ」とは「日」という字であり、ゝが黒点とすれば「〇」は太陽であり、観音様の魂「〇」に「御倉板挙之神様」が御降臨遊ばされた事を意味するもので、そこからは伊都能売神様が水の神様とは程遠い、解釈に困るかなという懸念は確かにありました。それをさりげなく書いた処に、私の詰めの甘さがありました。

普段の仕事は御守護で何とかやれましたが、家に帰ってこれを書こうと思っても全然やる気が出なくて直ぐにでも寝たいだけで、朝もこのところの寒波で全く起きれなくなり、ラインも開けずにいたのですが、27日に浜口氏の書き込みをお昼休みの覗いたら

 

・『日』の神様➝『日月』の神様➝『日月地』の神様を現界にお迎えさせて頂いた。

・日月地大御神様は三位一体の完全なお働きの神様である。

・愈々御経綸の総仕上げの時となった。

・平成30年3月3日メシヤ降誕本祝典では、熱海で『大彌勒大御神』様の御神名を御奉唱させて頂く。

・『大彌勒大御神』様の御経綸の直前の節分祭であり、お詫びさせて頂く最後のチャンス。

 

チャント答えが載っているではありませんか。

28日になると風邪気味の浄化も終わったらしく、訂正は「水の神様」をお出しするのではなく「火水(日月)の神様」をお出しするにすれば何の問題もなかったのですから、とんだチョンボでしたが、ご迷惑をおかけしました事を謹んでお詫び申し上げ、訂正をお願い申し上げるものであります。

 

<間違いの追求>

この風邪の休憩時間に種々考えさせられました。何故そんな間違いをしたかというに、1月骨子の4ページ下から6行目

「・本来神霊は肉眼に見得るものではないが、霊界に於ては想像出来得ない程の大いなる光と熱とを放射し給うもので、その御神姿は崇高善美なる人間と同一の御姿である。そうしてその御本体から放射され給う処の、その光と熱とは余りに強烈である為に、常に水霊によって包まれ給うものである」

という箇所で、黒点のゝが霊としたら、太陽の〇は体(水)に当たります。伊都能売神様は御自身で「カとミ」を有しておられるのに、更に五男三女のスタッフが居られる。三女は水・月の精ですから、黒点の強烈な火は時としてこの余剰の水霊を必要とされるならば、ゝの神様への水霊の供給は可能であるが故に、安直に水の神様と書いてしまったのでした。そしてこの時点で、「日・日月・日月地」の御経綸進展の流れを見失ってしまったのです。

もしそのまま行ったら次は単独としての「地(土)」の神様をお出ししなくてはならない事になります。全くの混線で、お恥ずかしい限りです。

伊都能売神様も御困りになられたでありましょうし、お詫びして甘んじて降格をお受けしたいとの思いであります。

 

<気を取り直して>

人間が一向に鈍くて神界の意を汲み取れないので、急にピッチを上げられてH30年3月3日のメシヤ降誕本祝典で、箱根と熱海での奉唱する御神名を明かされました。箱根は「主之大御神」様、熱海は「大彌勒大御神」様ですから、急に御経綸が早まった感を受けましたが、勿論人間が「大彌勒大御神」様を奉唱するなど逆立ちしても分かるまいとの御慈悲でお知らせ下さったものである事ははっきりしているのですが、愈々どん詰まりまで来てしまったんだなァという感慨を懐きました。

この御神名を拝見し、真っ先に思い浮かべたのが

「大神の 仕組みの奥のその奥の 又その奥の奥ぞ尊き」

という御詠でした。開教宣言(T8・p324)には、「祝詞にもある如く観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変わるのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのである」

の中の「観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神等」に奥を当てはめれば、仕組みの奥=観世音菩薩、その奥=光明如来、又その奥=メシヤ(救世主)、の奥ぞ尊き=彌勒神等となっていますから、最後の奥(4番目)こそ大彌勒大御神様という事になりはしないか。

つまりメシヤ様はH30年の3月3日には、究極のお立場、御位に立たれるのです。我々はその歴史的瞬間に立ち会う事が出来るとしたら、これほどの幸せはないという事を感謝申し上げる外はないのであります。    拝。

 

2017・H29年・12月29日         庭山光太郎

 

[研鑽資料no.15 学びの骨子訂正の件 2017(平成29)年12月29日]

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