メシヤ講座・特選集no.153(平成25年10月分)

 <御教え>
『文明の創造』科学篇
婦人病

(文創  昭和二十七年)

 本文は『文明の創造』201ページに記載されています。(『文明の創造』購入方法は「出版案内」を参照ください。

また、研鑚資料『文明の創造 二・下』では48ページです。)なお、『婦人病』は11月に拝読し学び合う御論文です。今回は、北海道定山渓温泉にある岩戸観音堂での「伊都能売観音」様入仏記念式典での挨拶を掲載しました。各支部月次祭及び各会場で9月に拝読した『下半身の病気と痔疾』に基づく学びは、各支部ホームページでご確認ください。

≪「伊都能売観音」様入仏記念式典挨拶≫
『文明の創造』拝読により『地上天国建設』に不可欠である教団改革の在り方が鮮明に

メシヤ教代表 楳木和麿

『これから人民の歴史になる』という大いなる指針

皆さん、「伊都能売観音」様入仏記念式典おめでとうございます。

本日は、「伊都能売観音」様が御鎮まりになられてから満78年になる記念式典を皆さんと共に執り行なうことが許されまして、心から感謝申し上げます。初めて参拝された方もいらっしゃいますので、メシヤ様御描画の観音様が御鎮まりになられるに至りました経緯を先ずお話しします。

この定山渓温泉から太平洋側へ抜ける中山峠を通るコースと小樽へ抜ける朝里峠を通るコースがありますが、その道路を建設する際には厳しい自然の前に多大な犠牲者が出たと言われます。その道路工事を請け負っていた地崎卯三郎氏が大日本観音会を立教されたばかりのメシヤ様の霊験灼(れいげんあらた)かさを知り、観音様の御描画を申し込まれたのです。昭和10年1月7日のことです。

そして、十月十日を経た10月17日に御下付されて、津軽海峡を渡りこの地に御奉斎されたのが本日の「10月26日」という日であったのです。それ以後北海道の自然は徐々に穏やかなものとなり、その恩恵に感謝された地元の人々によりこの観音堂は護られてきたのです。

「伊都能売観音」様は「伊都能売神皇」様の御姿でもあります。

「伊都能売神皇」様は、三千年前に素戔嗚尊が朝鮮半島から攻めてきた折に絶対平和主義を貫かれ、皇位を天照天皇にお譲りになり、二十八部衆を従えインドへ降られます。そして、インドで若き日のお釈迦様に説法を垂れ実質上の仏教の祖となられます。

その後の日本では素戔嗚尊が治めますが、その性癖により世が乱れ、その隙を突いて中国から宮崎県の高千穂に移り潜んでいた神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)が東征して神武天皇となりました。

「伊都能売神皇」様が統治されていた頃の日本は『徳』によって治められ、三千年前から武力によって治められたことになります。三重支部が紹介した下記の『御講話』の通りです。

『素戔嗚尊が日本へ渡来し日本を征服した。それを又神武天皇が征服した。そして今日迄日本を征服した。要するに、朝鮮系と支那系が日本を征服したので、原住の大和民族は下積みとなり、埋もれてしまった。本当の日本人は被支配者となった。」

そして、今後の指針の一つとして今月各地でお話しした下記の『御講話』が、謂わば『地上天国建設』の要であり、教団改革の根幹です。

『日本の歴史は朝鮮支那両民族の天下の奪い合いで、大抵の戦いは此両民族の争いが多い。であるから、日本には人民の歴史はない。これは外国とは大いに違ふ。外国では人民の歴史が多い。日本だけは支配者の歴史である。これから人民の歴史になる。』

ということから、今月は皆さんへ大きな指針を示したことになります。

教団要職者のご逝去で確認したいこと

また、今月は「伊都能売観音」様の御名の「いづのめ」ということから「いづのめ教団」の理事長が突然帰幽されたことに触れねばなりません。「世界救世(きゅうせい)教」の三代教主様の葬儀委員長を務めた五日後ということですので、関係者は想像だにできなかったことでしょう。

三代様は、ご逝去になる一か月程前に夢にお出ましになり、長々とお話しをさせていただきました。三代様が教団紛争や教会離脱に大きく関わられていたことは、種々公開されているサイトでご存じかと思います。私の長年の疑問は、何故、「いづのめ教団」の前身である「正常化委員会」とお繋がりを持たれたかということでした。

また、「新生協議会」総裁として四国に御巡業をされた折に、現場の状況を報告申し上げるために、ご出発当日、当時の「教団護持委員会』支持の四国地区布教所長共々碧雲荘をお訪ねしたことがあります。この時は、お隣の敷地をお通りになってご出発になられ、ご不快をお与えした形になってしまいましたが、その経緯もご説明いたしました。遠い過去になりましたが、残念だったのは代理で申し出を聞く人も出てこなかったことで、結局は現場の声は届かないようになってしまっていたようです。

夢の話の続きですが、「正常化委員会」ご指示の理由は「私の意向を受けてくれたから」というものでした。理事長がそうされたというものでした。その内容は、故・中村力元総長からお聞きしていた詳細と一致するものがありました。

私は、その後の経緯と現在のメシヤ教の取り組みを報告し、顕著な奇蹟の源はメシヤ様の御神格への認識であることをお伝えしました。「信者がメシヤ様へ直に太く繋がる想念を確立さえすれば、多大な御守護をいただくことができます。」とお伝えし、怪訝なお顔になったところで目が覚めてしまいました。

一方、理事長の突然のご他界で「いづのめ教団」の方々は如何ばかりかと推察されるところですが、私にとっては、その日付けが大いなる意味を有します。

10月5日という日付ですが、私は昭和59年の10月5日のことを鮮明に覚えています。

その前年末「教団改革の精神」に記載したように不可思議な役員人事が行われ、それが何時の間にか元に戻るような不可解な様相を呈しました。これに対して「正常化委員会」なるものが「六億円疑惑」を騒ぎ立て混乱の幕上げがなされました。当然、当時の教団側は第一次「教団護持委員会」を設立し、対策がなされました。しかし、突如「新生協議会」なるものが設立されたのです。

この背景には、MOA美術館建設に纏わる所得税法違反に対する脅迫があり、そのことにより「正常化委員会」と第一次「教団護持委員会」の大半が野合したことがあります。

無知こそ最大の不幸

ここまで記述してくると、「何故また教団の恥部とも言えることに触れるのか」という声が聞こえてきそうですが、知らないということはお釈迦様が言われたように「無知こそ最大の不幸」なので、敢えてお話しするのです。これは世相と同じもので、例えば現在、中国や韓国から日本へ様々な圧力とも言えることがなされていますが、その内容に対して肝腎の日本人が余りにも知らな過ぎるのです。河野談話の根拠となる聞き取り調査が如何に公平性がなかったかということや、慰安婦募集の広告に見る当人の所得と当時の日本人男性の所得の顕著な差などは知れば識るほど驚愕させられるものばかりです。

また、中曽根康弘元総理が在任中に靖国神社へ公人として参拝した折の両国の対応と現在の対応の違いは、耳目を疑いたくなる程です。歴史認識の違いを言う前に捻じ曲げた歴史を明らかにすべきであります。

これと同じで、捻じ曲げた教団史の真実を明らかにしてまいらねば、メシヤ様の進められようとされた『御神業の本筋』には辿り着けませんし、本来の在り方を気付いていただくこともできません。仮に「そんな教団は叩き潰さねば・・・」という文言が飛び出したとしても、捻じ曲げた教団史の実態を明らかにするためには仕方のない手法なのです。これこそが大乗的信仰姿勢であるのです。本意ではないが組織の言うことに従ってゆこう、とするのは小乗的姿勢なのです。

しかも、疑惑をでっち上げて圧力をかけ、その結末を曖昧にするが如きは三千年来の出来事と酷似しており、このままの状態を看過していては到底『地上天国建設』には繋がらないことになってしまいます。疑惑をでっち上げた側は“政権奪取のためなら何でもやる”方式で進んできたことになり、脅迫に屈した側は“ウソの上塗り”を重ねなければなりませんでした。元々改革を謳ったにも拘らず教義論争に至らず、これこそ空白の29年を生んでしまいました。それ故に発信を継続してゆかねばならないのです。

御教えを再検証させていただく事象が続き信仰を質(ただ)される

さて、10月5日に戻りますが、10月末の幹部会に於いて故・中村力元総長から「新生協議会」解散の指示がなされ、第二次とも言える「教団護持委員会」設立の発表がなされました。この表明に先立ち、当時高知県本部伊野布教所長を拝命していた私は、自らの布教所を準備の場に提供し「教団護持委員会」支持を表明する打ち合わせを重ねました。そして、当時の高知県本部長が「教団護持委員会」支持を表明したのが10月5日なのです。全国の布教現場では初めてのことでした。

この日、実は大変なことが起きたのです。信者の子息で10名の小学生が御光や言霊、霊線を目視することがができるようなったのです。この内容は過去の「メシヤ講座・特選集」にも記載しましたが、布教姿勢を問われる内容でした。

例えば、お礼を口にしても心を籠めなければ言霊が本来の輝きを失うというものです。また、せっかく御用奉仕に取り組んでも、巧く行かなかったことから不平不満を口にすると「口から煤が出ている」と指摘されるのでした。

これらは、私が布教所長を拝命して4年になるところでしたが、当時の進められていた取り組みに疑問を有していた時期でしたので、深く考えさせられました。元々布教所長になった際に、御教えを持っている信者が余りにも少ないことに驚いて、全世帯に御教え(当時の「天国の礎」と「神示の健康」)と「景仰」を常備していただく取り組みを重ねていたので、尚更のことでした。

また、私達は当時役員から給料のカットを以って脅されて、取り組みの停止を迫られたのですが、教義論争もなく、ただ「生活ができるのか…」という意味合いでしか説得を受けず、『教団改革』への血潮は燃え盛りました。そうしたことから、次は全国で心ある人々を発掘して情報の交換をすることに奔走しました。

その中で、不思議現象とも思えることが起きました。共に立ち上がる決意を固めてくれた人や相槌を打つ人が次々と現れる中、その人々の名前と「教団護持委員会」の文字を紙に記すと、真に『教団改革』に立ち上がる腹を固めた人のみとしか繋がらず、その繋がりが浮かび上がるというのです。これが可視の霊線だったのです。

お蔵入りした御教えに出会い鬱積(うっせき)した日々に終止符

こうしたことをはじめとして、信仰姿勢を一つひとつ質(ただ)され、確認を余儀なくされました。しかも、故中村力元総長のご厚意で全論文(定稿・未定稿)を拝読することができたのです。これは長年疑問に思っていた御教えに対する疑義(教団方針による改竄に繋がるような編纂方法)を氷解させました。

そして、言霊学の積み上げと結び付けることができたことは何よりの宝となりました。小学5年生の際に「安」→「あ」となったことや「以」→「い」となったとする平仮名のルーツを知りましたが、その基になった古代文字や日本語の母音と子音の構成と働き、日本語そのものの変遷については専門書に求めるも不明なまま月日が流れました。そうしたことに起因する鬱積(うっせき)した日々にも終止符を打つことができたのです。

そして何より、メシヤ様の御神格に対する明確な認識を持つことができ、結果的に多大な奇蹟をいただけるようになったのです。冒頭の夢の話と重なることですが、現在のメシヤ教の進める御神業の原動力の一つとなっています。

それ故に、今、その恩恵を宣べ伝えることと、『本来あるべき信仰姿勢』を求めて発信をしているのです。今月のメシヤ講座・特選集に映画「飛べ!ダコタ」などを紹介しているのは、加えて日本人の持つ特性なども再認識していただき、幅広く『地上天国建設』に向かう姿勢を築くことを願っているのです。そうした意図をご賢察いただき、よく確認をしていただけることを願っています。

本日は、この後直会の会場を設定していただいています。メシヤ様の御事績を御称え申し上げて、時間の許す限り歓談をさせていただきたいと思います。お互いの地域の情報交換も大いに重ねてください。

以上もちまして挨拶とさせていただきます。(要旨)

直会での歓談エピソード

直会で話題になった内容は多種多様でしたが、その一部が本部と札幌支部から「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に書き込まれた内容ですので、重ねて紹介します。

***本部書き込みより***

本部です。

「伊都能売観音」様入仏記念式典を無事に終えました。

昨日までの雨も上がり、日差しに輝く紅葉に車内で感嘆の声が続きました。

札幌支部の皆さんの準備のお蔭にて、観音堂内もそれ程寒くなく過ごすことができました。

そして、直会では、事前に本部の方へ報告(メールにて)のあったことの紹介を皮切りに道内外各地の情報交換もなされました。

ご本人の了解を得ましたので、メール内容を添付します。

******

18日夕方5時半ごろ、妻から浄霊を受けていた時、一時的に眠っていたのですが、その時に不思議な夢を見ました。以下内容です。

山の風景が見えて、山頂に高い建物が確認できました。(秀明会の建物)そこから、和服姿の女性と10人ほどの付き添いの者が山から降りてきました。

すぐに秀明会の小山美秀子先生とわかりました。どうやら、箱根か熱海に向かう感じです。

 

険しい顔で「今からここを降りていきます。元に戻らねばなりません」と。

 

付き添いの一人が「秀明に残っている人はどうされるのですか?」と聞きますと、「わからない人は仕方ありません」と言って降りていきます。

内容は以上です。

今回の事で、小山先生は完全に秀明会から去り、メシヤ様の下に行かれたものと、解釈してもよろしいでしょうか?

******
これに対して、鎌倉支部責任者のご家庭でも同様のことがあったことが報告され、神界、霊界で大きな動きや変化があることを確認し合いました。
この他、種苗に関する深刻な内容も報告されるなど、『本来の御神業』に向かう新たな姿勢づくりをする良き機会となりました。

***札幌支部書き込みより***

皆様おはようございます。札幌支部ML担当です。

伊都能売観音様入仏記念式典、誠におめでとうございました。遠路、ご参拝された皆様、お疲れ様でございました。またお目にかかれる日を楽しみにしております。

直会で話題になりました、家庭菜園で自然農法を行う場合、種子を選ぶ際に留意する点について、改めて整理して投稿します。

もちろん、自然農法(無肥料、無農薬)の種子が手に入れば、それが一番良いのですが、手に入らない場合の留意点、ということで御理解下さい。

なお、○○自然農法とか○○自然栽培と謳っていても、人為肥料(有機肥料、ぼかし肥、動物性堆肥など)を使っているものもあります。また、有機栽培のものは、有機肥料はもちろんのこと、認められている農薬を使用しているものもありますので、ご留意ください。

○ 種子消毒していない種子
発芽後の病気を抑えるため、薬剤をまぶしている種があります。 「○○剤処理」「種子消毒済」と表示されているものは避けましょう。

○ 固定種(在来種)
種の袋に「○○交配」と書かれているものは、「交配種(F1)」と呼ばれる一代雑種です。交配種の中には、自然の営みとはかけ離れた方法で作り出された品種もあります。固定種(在来種)と呼ばれる、代々種を取り続けてきた品種がありますので、そちらを選びましょう。地元の種屋さんに、地域の固定種(在来種)を尋ねてみるのも良いでしょう。埼玉県の「野口種苗」さんは、固定種(在来種)に特化したオンラインショップを運営していますので、そちらでも購入でき、数量限定ですが無肥料種子が販売されることもあります。

○ 採種地はできるだけ近い所のものを
種袋の裏を見てみましょう。採種地(国名または都道府県)が書かれています。できるだけ「地元に近いもの」、なければ「日本国内のもの」、やむなく「海外のもの」の順で選びましょう。ただ、野菜の種の自給率は1割程度と言われていますので、国内産の種子を見つけることは、品目によっては難しいものもあります。国内の採種農家が高齢化により減少しています。国内産の種子を購入することは、希少な国内の採種農家を支えることにもなります。

○ 豆類はぜひ自家採種を
枝豆、さやいんげん、さやえんどう等さやの段階で食べる豆類や大豆、黒豆、インゲン豆などは、種採りが簡単です。ぜひ、自家採種に取り組んで、あなただけの「世界にひとつだけの豆」にしていきましょう。

******

参照・積み上げの話

また、御神業推進のために必要な原則的なことを岡山支部で先月から積み上げています。専従者研修で取り上げるような内容ですが、御神体に真向かう姿勢、御神業推進の姿勢を積み上げて話をさせていただいていますので、最後に掲載します。併せて参照ください。

***岡山支部より***

まず話を聞くというのはですね、相手が色々主張することがあるのと、それから、自分の心の中に持っているものを何か訴えたいとか、それが悩みであったり、いい話を聞いたんでそれを伝えたいとか、そういう話をするわけなんですけれども、それを聞くというのは一体どういうことかということです。

言葉というのは・・・例えば皆さん方がね、今まで御守護報告とか体験発表とか書いたと思うんですけど、その時自分が思っていることの何割くらい書けたかということなんです・・・大体一割くらい書けたら良かったなぁという感じでしょ。

では言葉にした時に、自分の思っていることの何割くらい言葉に出来るか、しゃべっていけるかということなんですね。自分の想いの何割くらい伝えられるかというと、これも中々割合的には非常に小さい、少ないものしか伝わっていかないんです。その時に、話を聞くというのは一体何かというと、相手の思いを吸収してあげるという姿勢がないと聞くことにはなっていないわけなんです。言葉ばっかり追いかけていると、話を聞いているということにはならないわけです。相手の思いを自分の胸で、ずーっと吸収する気持ちで話を聞いていかないと、話を実は聞いたという事にはならないということなんです。そうしないと、言葉だけ追っかけているから、途中で言葉を止めてしまったりということが起きてくるわけなんです。これが話の遣り取りの時に、相手の話を止めてしまう最大の原因です。向こうの思いを全部吸収するつもりで・・・。

だから、男の人より女の人の方が話を聞くのは上手なんです、本来は。おしゃべりの女の人はいっぱいいるけど、本当は聞くのが上手なんです。それは何故かというと、女の人はですね、体自体が吸収する力を持っているんです、色んな。だから人の思いを汲むということは、女の人の方が、実はそういう肉体構造を持っているんですね。だから、心掛けさえすれば、人の意念を吸収するという事が出来るようになっていきますので、話を聞くという点に置いてはそういうことが大事です。

それから今度は、こちらがしゃべった時に、実はしゃべるということは、話す人が主体か聞く人が主体かということを考えた時には、聞く人が実は主体なんです。「私はあの時に、ああ言って上げたのにねぇ」とかと言うような言葉がよくあるでしょ。しかし、「ああ言って上げたのにねぇ」と言っても、相手が聞いていなければ言ったことにならないんです。

だから話をして、自分が色んなことを話してあげた時には、相手がそれを吸収しない限り話したことにはなっていないということです。このことが分からないと、話というのが上手に出来なくなってきますので。

だからメシヤ様が・・・我々に人を救う言葉を身に付けさせて下さいとメシヤ様にお祈りした時には、実は話のしゃべり方とか聞き方というのを、そういうのを心掛けて話の遣り取りをしていかないと、人との話はしたことにはならないんだということですね。ちょっと高度な話になりますけれど、それを心掛けてこれからですね、メシヤ様に祈れば祈るほど、そういう話の仕方ということを心掛けて行っていただきたいと思います。

そうすると、大勢の人がですね、○さんと話した時に、気持ちが良くなって話すことが出来るようになってきますので・・・これがですね、人を救う時の話し方のテクニックの中にあります。絶えず心掛けていってると、メシヤ様のように、少しずつ近づいていくことが出来ると思いますね。

[print_link]