メシヤ講座no.202本部(平成30年1月)

【メシヤ講座 本部】

 

菅谷メシヤ教代表執務代行(以下、菅谷代行と表記)

新年祭、おめでとうございます。

今月は先ず「日と月」の御論文を拝読していただいて、それからメシヤ講座の骨子を拝読していただきたいと思います。それではお願いします。

 

司会者

御論文「日と月」を拝読

『日と月』

『 宗教上より見たる日と月に就て説明してみるが、之は甚だ神秘幽玄にして、コジツケとみらるる節なきに非ず、然し之は真理である以上、心を潜めて判読されたいのである。日本古代に三種の神器がある。之は璽(タマ)、剣(ツルギ)、鏡という事になっているが、即ち玉は日であり、剣は月であり、大地は鏡によって表徴されている。玉は太陽の形であり、剣は三日月の形であり、鏡は八咫(ヤタ)の鏡と唱え八凸に分れている。即ち東西南北、艮  辰已 坤  戌亥の八方を型どったものである。此三種の中で大地は判り切っていて説明の要はないが、日月に就ては深い意味があるから、それを書いてみよう。

茲で解り易くする為、天理教で唱える説を借りてみるが、それは月は突であり、日は引くという意味で、日月とは引きと突であるという。之はなかなか面白い解釈と思う。それは夜の世界に於ては何事に於ても突く事を好む。大にして国と国とが互いに突き合う。戦争がこれである。衝突という事も突き合いである。古代に於る戦争は剣で突き合った事は明かである。それが転化して交際することもつき合いという。文字が違うだけで言霊は同一である。突進むという言葉は勝利を意味する。全く月の働きであり、夜の世界を表わしている。

右に引換え、ヒキ、ヒクは、退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する、腰を低くする-というように凡て月と反対であり、此理によって昼の世界は凡てがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。人間では謙譲である。之では争いの起りよう筈がない。吾々の方では風邪を引く事は良いとしている。本教団の目的が病貧争絶無の世界を造るという。その争がなくなるのは以上の意味から考えらるるのである。本教団は日即ち火素の活動が主である以上、月でなく引きを心に銘じて活動すべきで、それによって多くの人が引寄せらるるのである。

又日は玉であるから、円満清朗。円転滑脱でなくてはならないのは勿論である。』

[『地上天国』9号、  昭和24年10月25日]

 

司会者

メシヤ講座1月の骨子を拝読。(拝読部分割愛、全文はこちらからご覧ください。「メシヤ講座no.202(平成30年1月)の骨子」

 

菅谷代行

改めまして、新年祭おめでとうございます。

この骨子は大分前にホームページにアップされていましたが、何度か読まれましたか…。それでは、初めて読まれた方…、大丈夫でしたか…(笑い)。

『開教の辞』は4月に学ばせていただいてから繰り返し学ばせていただいていたのですが、御論文『日と月』は8月に一度学ばせていただきましたが簡単にスルーしていました。

この「日」と「月」というのはここにも書いてありますが、「日」というのが「昼の世界」、「月」というのが「夜の世界」のことだと…。そして「昼の世界」とはどういう事かというと、我々が去年の(平成29年)6月15日に昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」のやり直しということで、「メシヤ降誕仮祝典」をさせていただきました。そのことによって『天照皇大御神様』をこの現界に御迎えさせていただいたのですが、その『天照皇大御神様』は太陽神であり「日の神様」なんですね。

そしてこの「日が昇る」ということについては、「勿論夜昼転換と言ってもいきなり昼とはならないもので、黎明期があって、夜が明け、徐々に中天に日は昇るので…」と、ここに書いてありますが…。その「日の神様」を御迎えさせていただく事によって初めて『開教の辞』に書いてある内容が現実になってくるんです。

それはどういうことかと言いますと、「日の神様」を御迎えさせていただいたことによって

「日と月」=「火と水」の神様である『伊都能売大御神様』(『伊都能売大御神様』を庭山さんは「水」の神様と書かれて訂正されていましたが…。)を御迎えさせていただいたのが10月26日だったんだと。それから12月23日に「日月地」=「火水土」、「五六七」でもある『日月地(みろく)大御神様』を現界に御迎えさせていただきました。

そして、そのことによって『三位一体』の『絶対力』の御力をお持ちの神様を現界に御迎えさせていただくことが出来ました。ですからそのことによって、「観世音菩薩」は神の御働きになられると『開教の辞』の中に書いてあります。「伊都能売大御神様」が「観世音菩薩」になられたことも書かれていますが…、そして神の御働きになられて「土の精」が加わって「三位一体」という「絶対力」が、「日月地大御神様」を御迎えしたことによって「救世主(メシヤ)」の御働きになられたんです。

「救世主(メシヤ)の御働き」とはどういうことかというと、「開教の辞」にも書いてありますが…、お分りになりますか。

 

受講者

救いと裁きでしょうか。

 

菅谷代行

そうなんです。『善を育て悪を滅する絶対的な御力』なんです。それで『国常立尊様』が何千年もの昔、世界を統治されておられたのですが、大変厳しい神様であられたということで窮屈になられた神々が、北海道の芦別という所へ国常立尊様を押し込めてしまわれたということなんです。それから3千年経って大本教祖の出口直子刀自という方に憑られて「三千世界…」と怒鳴られたんですよね。

それから、『国常立尊様は昭和29年の2月4日に現界に現れて御裁きをされる。』とメシヤ様が御講話されたのですけれども…、その昭和29年2月4日が平成29年2月4日に写ったんではないかということで…、去年のことですよね。“現界での御裁きをされる初日が去年の2月4日であったんではないか”とここには書かれています。よくよく考えてみると国常立尊様を押し込めたということが、我々人類が持っている最大の罪なんですよね。

その出来事によって「夜の時代」に入って行くのですが…。

メシヤ様が御現れになられ、そして昭和元年にメシヤ様の御腹に光の玉(観音様の魂)が入られ、昭和25年6月15日に日本の中心の静岡でその光の玉に「ミクラタナの神様」の御魂が御降臨されたと。そのことによってメシヤ様がメシヤになられて行く訳なんですよね。しかし、人間側がそのことを受けとめることが出来なくて…。

話を戻しますが、なぜ静岡の庵原署にいらっしゃったかといいますと、そもそも人間側であるメシヤ様の弟子達の一寸したミスによってメシヤ様が拘留されてしまったんだと…。そしてメシヤ様は御一人でずっーと拘留されて、最終的にはその日本の中心の庵原署内で最高最貴のミクラタナの神様の御魂がメシヤ様の御腹の中の光の魂に入られたということなんです。この事に付いて、結局は『善も悪も神様は御使いになられる』ということなんです。

ここでも国常立尊様を押し込めてしまった人間の持っている罪というものが型として現れています。メシヤ様が拘留されている時に、だれも助けようとしなかった…と。そして昭和28年に井上邸での御神事を経て29年に救世主(メシヤ)になられたと。そして、「救世主(メシヤ)降誕仮祝典」をなさったんですが、その時も御言葉を一言も発せられなかったと…。

それから、6月5日には碧雲荘で主だった幹部がお集まりになられましたが、そこには粗莚が用意されていたのにどなたも気付くことが出来ず、誰一人御詫びを申し上げることも出来なかったと…。そして最高の位のメシヤになったので、『今日からメシヤ様と呼びなさい。』と仰られたんですが、幹部の方達が厳しい浄化をいただかれました。ここにも書いてありますが、メシヤの御働きをされると御裁きをなさいますよね。そのことによって浄化が大変厳しくなるんです。「裁き」というのは「善と悪」を真っ二つに切るんだと…、例えば浄化作用でいうならば、膿のような悪い物だけが出ると…、そのようなお働きなんだということなんですね。ですから善と悪を真っ二つに切って悪だけが出て行くと…、そのような働きが裁きなんです。

幹部の先生方は厳しい浄化によって大変苦しくなられたので、御尊称を『メシヤ様』から『明主様』に戻していただかれました。このことが、又同じことの繰り返しの型をしてしまったということなんですよね。この時に『メシヤ様』という御尊称を『明主様』に戻していただいたということは、「日の神様」天照皇大御神を御迎えさせていただくことを人間側が拒否したということなんですよね。ということは何もかもが、又夜の時代に戻ってしまったんです。

それから63年が経って…、先程の話に戻りますが、去年我々人間が改めてその罪を自覚しながら祭典を執り行わせていただきました。しかし6月15日、10月26日に関しても代表を含め神界からの御導きの下であったから執り行うことが出来たんです。

12月23日は『メシヤ様御降臨祭』に於いて『三位一体』『日月地』の御力を備えておられる『日月地大御神様』を御迎えさせていただくということに当たっては、我々が、人類が犯した罪、そしてその繰り返しとして「世界メシヤ教」を「世界救世教」とし、メシヤ様を又もお隠ししてしまったというその大きな罪、この同じ罪を我々も持っているんだということを神界から厳しく御注意いただきました。「なぜ気が付かないんだ。」と。

私達人間はですね、もっと大きな視野で言うと「人間という括り」で考えていただきたいんですが、例えば「自分はそのことを憶えていないよ…。」とか「前生のことなので分からない…。」とかあると思います。だけど「人間という括り」で考えて人間と神様だと…。

人間とは…、庭山さんの骨子にも書いてありますが、「神様は人間の為に凡ゆる喜びをお与え下さり、浄霊法という自分でできる健康法までお与え下さっているのに、何のお返しもできていません。これでは神様からの借金が増えるばかりで、増々曇りが増えるばかりでこれではしようがないのですが、人間は愚かなもので、神様には要求する事ばかりで、それが叶わなければ嘆くばかりで、それが過ぎれば神様に無関心という、全く手に負えない悪の権化であります。

人のものを盗むとか、危害を加えるというような悪はやらないにしても、神様に対しての御無礼や無関心という悪こそどうしても取って行かなくてはならない最大の課題で、本当の心からの御詫びが第一等と肝に銘じてお詫びを申し上げる次第です。」ということなんですが、これは本当に夜の時代の人間全員が持っているものだと思うんですよね。ですから昼の時代になって初めて「開教の辞」「世界メシヤ教」が出来るということなんです。63年前は先程お話ししたようなことで日の神様をお隠ししてしまって、そのようにはならなかったんですが…。

それから63年経った今は、今年の3月3日に向けての最終段階に入って来ました。我々一人一人がその罪を自覚した上で、「何の為に「世界救世(メシヤ)教」が出来たのか。」と。そして我々一人一人が『世界救世(メシヤ)教 開教の辞』を「復興の辞」として魂に刻んで進ませていただきたいと思うんです。そして今月はこの骨子と資料を併せて何十回も拝読していただきたいんですね。それで分からない事が有ったら遠慮無しにどんどん聴いて下さい。もう総て分かるまで聴いていただきたいんですよね。何の為に自分達は生まれて来たのかと…。このことの為なんですよね。そしてメシヤ教のだれ一人も欠けてはいけないし、我々皆で3月3日の『メシヤ降誕本祝典』を御迎えさせていただく為にも、今月の学びは本当に大事になって来ます。

そしてその前に2月3日の「節分祭」2月4日の「立春祭」を迎えるわけですが、節分とはそもそも国常立尊様に対する人類が犯した罪の御詫びをさせていただく日なんですよね。国常立尊様は、その昔、盤古親王の息子の天若彦之尊様で通称は天邪鬼といわれていたのですが…。当時、善一方で国常立尊様は世を治められていたのですが、一寸の間違いも許さないという非常に厳しい部分が有りましたので、その部分を人間達や神々達がやりきれないということで…今で言うと排斥運動のような御引退を迫ったということによって、その天若彦之尊という神様は盤古親王を起てて御自身で実際にされたと…。そして最終的には国常立尊様を北海道の芦別山に岩戸隠しといいますか…押し込められたんです。只し国常立尊様はご存知だと思いますが、一番強い神様なんです。本当は。邪神でさえ“姿を見られたらまずい”と思い逃げ惑う位の神様なんですね。その強い神様が押し込められたということですから、これは深い意味が有ったというふうに受け取れるのと…、そしてそれから夜の時代に入って行きました。要するに夜の時代は日が沈んだということですから、月の神様が主宰されていたということで、ここに「月読尊様」「素盞鳴尊様」と書かれていますけれども…。ですから夜の時代というのは、そのようなことで神様が神としての御働きが出来ない時代だったんです。

ですから「日の神様」『天照皇大御神様』は『国常立尊様』と『伊都能売神皇様』になられたということなんですが、観音様になられて世を救うということをこの長い期間されて来たわけなんです。

そしてメシヤ様が御出座になられて、これから愈々地上天国を建設する時期に入ったわけなんです。昭和に成された事と夜の時代に成されたこ事、我々は人間としてメシヤ様を御迎えさせていただくという使命をいただいている反面、人類としてはその罪を負って御詫び申し上げるしかないんです。“御詫びさせていただいた上でメシヤ様を御迎えさせていただくんだ。”ということを肚に落としていただいてこの2月を迎えていただきたいと思います。

この骨子の中でここは聴いておきたいなというところは有りませんか。

 

受講者

ありません。

 

菅谷代行

『開教の辞』の中で、開教の辞に書いてある事の意味が非常に大事だということですので、もう一度お話しをさせていただきます。

 

『…祝詞にもある如く観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変わるものではない。時期の推移に従って漸次発表する段取りとなる。…』『…これまでは観世音菩薩の御働きであったから、言わば東洋的であった。然るに時期切迫の為どうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならないとすれば、世界的に拡充する必要がある。世界メシヤ教の名に因る所以である。…』と。これは簡単に言うと昼の時代から夜の時代に入っていたのが又昼の時代に戻って来るということなんですよ。それを我々はさせていただいていて昼の時代とは日が昇っていますよね。太陽が昇ったら昼ですよね。太陽が沈んだら夜になって月が出て来るじゃないですか。ですからそういう時代が夜の時代でこの3千年間は夜の時代だったのですよ。昼の時代というのは日が昇っていましたが、その日を要するに岩戸隠し…隠してしまったんですよね。我々が…。

そのことによって夜の時代になってしまったのですよね。そして長い間の夜の時代に、今の人間が持っている色々な心の癖は形成されたもので、正直に言って我々はその心の癖を持っていると思うのですよ。まあ…私も有ります。例えば簡単なことで言うと、「ああー、転ぶ転ぶ、あっ転んだ。」とかね、そういうことであったりとかですね…(すみません、笑い)。そういうような癖があったりとかね。「あっ、ぶつかるぶつかる、あっぶつかった。」とかね…。喜んでいるわけではないんですよ。だけどそういうのがあったりとか…。人の上げ足を取ってしまったりとか、一寸何か言われただけでやる気をなくしたりとかね。そんなこと一つを取ってみても、これは夜の時代の癖なんですよね。そして一番の罪というと神様を隠してしまったことでして、これ以上の罪は無いんですね。それによって、総てが起きて来たわけですから…。

ですから“今度神様をお出しさせていただく、メシヤ様をお出しさせていただくにはどうしたら良いのか”ということなんですが…、これは自分達の持っている総ての癖を取り払っていただくしか無いんですよね。その為には心からメシヤ様にこの2月、御詫びを申し上げた上で自分の中にある善と悪を真っ二つに切り離していただくしかないんです。その為に去年の12月23日に代表は誓詞を御捧げになりました。そして…御自分の中にある善と悪、浄化をいただかれ帰幽されて…。そして代表と私達、勿論先達の先生方も御一緒なんですが、一体となって地上天国を建設するんだと…、世界メシヤ教を復興するんだと…。

そして我々のこの働き、向上して行く働きそのものが「実」なんだということを仰ったんですよ。「我々が実」という意味は、我々が向上していく取り組みのことなんです。ですから何が一番大事なのかということを今一度この骨子と資料を勉強していただきながら、今月はしっかりと肚に落としていただきたいと思います。そうする上で4月からの学びもずっーと振り返っていただいて、この為に全部があるんだということを学び直していただきたいと思います。

資料の方に全く触れていませんが、中身としてはお話しさせていただいた事が今回の資料には書いて有りますので…。ですから、このメシヤとしての御働きを国常立尊様がなさいます。これは日の神様が御出座しになられて、今迄の夜の時代では神の働きが出来なくなっていたということは、殆どの神様,龍神様が仏になられていたんですが、日の神様が御出座しになられたことによって、総ての神々が仏から神様に日の力でお戻りになることが出来たわけなんですね。

それと同時にメシヤ様が本当の意味で完全体となられて現界に現れて下さるということを我々が讃えて、歓喜によって御迎えさせていただくのが3月3日の「メシヤ降誕本祝典」になるわけなんです。それにあたって国常立尊様、伊都能売大御神様がメシヤとしての御働きをなさるということなんで…、これはもう全部がそういうふうになっていて我々人間もしかりなんですよ。神様が仏から神に戻られるということは我々人間も人間に戻らなくてはいけないんですよ。この三位一体の御力の発動によって我々が本来の人間になれるんですよ。公正されて行くし正されて行く。ですからそう思われてこの1ヶ月間毎日これを拝読していただきたいんです。そうすると分からない事が必ず出て来ますので遠慮されずに責任者の方々に聴かれて下さい。教えて下さる方は沢山いらっしゃいますので、皆で協力しあって…、今日からがゼロからのスタートだと思ってこれから先の一歩一歩を進ませていただきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

時間をオーバーしましたが、何か質問は有りませんか。

 

受講者

本祝典の時の御神名が箱根は『主之大御神様』で熱海が『大弥勒大御神様』なので違いますよね。メシヤ様なのにどうして御神名が違うのでしょうか。

 

菅谷代行

メシヤ様なのにどうして御神名が違うのかという質問ですよね。

御神名に関して今回はお教えいただきましたけれども…正直に言いますと、我々が幾ら考えても到達出来るような御神名ではなかったのです。去年の6月15日から箱根では『主之大御神様』、熱海では『天照皇大御神様』。そして10月の定山渓では『伊都能売観音様』に対してダイレクトに『伊都能売大御神様』とお唱えさせていただき御参り致しました。12月23日は箱根に於いて『主之大御神様』、熱海に於いては『日月地(みろく)大御神様』とお唱えさせていただきました。ですから3月3日は箱根に於いては『主之大御神様』、熱海に於いては『大弥勒大御神様』となるんですが、『大弥勒大御神様』とお唱え申し上げることに関してはこれからしっかりと学んでいただいて、来月もしっかりと学ぶことではっきりとした御答えをいただけるのではないのかと思います。今の段階では正直に言いますと結論がはっきりと分からない面が多いです。只、御神名をお唱えさせていただいたからといって、メシヤ様を御迎えすることが出来るのかというと、そのような訳でもなくて…、もしお迎え出来たからといって、御神名の渦と言いますか光の波に人間が呑まれてしまうかもしれないしと…、非常に大変な事なんですね。ですから今迄私達は非常に御神名ということに気持ちがいってしまって…私もそうだったのですが…、12月には祭典の意義を考える前に御神名を考えてしまいました。そして「五六七」「火水土」を意識して「日月地大御神様」とお唱えさせていただくんだということを先に考えて…、それからメチャクチャにお叱りをいただいたのですよ。祭典の意義を分からず御神名をお唱えするのかって…。今回は御神名をお教えいただきましたので、質問をいただいたようにこれからしっかりと学びなさいということをいわれているのだと思いますので、一緒に3月に向けて来月もしっかりと学ばせていただきたいと思いますので…。今月の今の時点では御神名はこうだとしか言えません。只、「大弥勒大御神様」という神様は御経綸をなさっていると言いますか…、国常立尊様でも御経綸に関しては分からないというような神様ですので大変な御存在であるということだけは分かるんですね…。

来月は『善言讃詞』について確信に迫って、御神名とメシヤ様に対しての学びになって行きますので…、その学びの為にも今月しっかりと学ばせていただいて2月3日に全員で人類を代表して御詫びをさせていただきたいと思います。そしてこの『開教の辞』を「世界メシヤ教の復興の辞」とし、そのような決意を持ってメシヤ様に真向わせていただきたい他に質問はありますか。

 

受講者

御神名のことですが、この御神名に付いて御教えの中にありますか。

 

菅谷代行

はい、『大弥勒の神様』というのは御教えの中にあります。しかし殆どありません。ですから…やっぱり神秘なんですよ。総てが。昭和の時代では言えないということも多々あるとメシヤ様は仰られていましたが、これからは昼の時代になって来ますので、本気で地上天国建設をさせていただきますので…、それに向いながら色々な事を覚り学ぶことが出来ると思います。

只、我々の気持ち一つなんですよね。人間というものは自由を与えられていますので…。やるという自由とやらないという自由がありますのでが、今私達にはチャンスを与えて下さいましたので…。今度の節分と立春も地上天国の建設と世界メシヤ教を復興させていただく為の御詫びの最後のチャンスなんです。ここで本当に精神誠意人間の代表として我々皆が共に御詫びをさせていただいて、地上天国建設の為にメシヤ様を御迎えさせていただいて、世界メシヤ教を必ず復興させていただくというその決心を併せ持って御迎えさせていただきたいと思います。

それから2月10日は教祖祭もあります。「教祖祭に付いて」と「2月の祭典の意義と想念」というのも併せて作らせていただきます。勉強することが一杯ありますので今はそのことに集中していただいて、自分達の役割はこれなんだと…。2月と3月に向けて早2ヶ月を切りましたが、ここに人生の総てを掛けて進ませていただきたいなと思います。

それでは、有難うございました。

 

受講者一同

有難うございました。

 

[メシヤ講座no.202 本部 2019(平成30)年1月7日]