メシヤ講座no.193本部(平成29年3月)

<今月の御教え>

「『天国篇』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』66 ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 本部】

 

一月度月次祭からこの度の月次祭までの覚り

光の森出張所責任者

3月度月次祭、おめでとうございます。

1月の月次祭から『善悪発生とキリスト教』及び『天国篇』を読み進めつつ、2月の「節分、立春祭」及び3月の「メシヤ降誕本祝典記念大祭」を経て覚った事を御報告させて頂きます。

神性を蘇らせる為の取り組みとしての「覚り」をさせて頂いていますが…。『善悪発生とキリスト教』の御論文中(P.65)の「最後に至って人間と雖も自然の法則から免れる事は出来ないのは勿論である。としたら人間に対するそれは何かといふと、勿論人間に内在する悪である。さきに述べた如く今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されて了ふのは当然な帰結である。之を一言にしていへば、進化の道程として動物と同様の人類が進化し、半人半獣であった人間が即ち外表は人間、内容は獣であった、その獣性を除去して全人間にするのが今や来たらんとする神意の発動であって、それに服従出来ない者が、自然淘汰によって滅亡の運命となるのである。

以上の如く善悪の人間が清算され、善の人間が大多数となった世界こそ、本教で謂う処の地上天国の実相である。」

この部分を読んで、私達が今取り組ませて頂いている神性を蘇らせる為の諸々の事柄、例えば安全な食事や日常品に関しましても魂を清らかに保ち副守護神の持つ獣性や野蛮性を取り除き全人間になる為には不可欠な事柄だったのだということが、この事に対し意識を変えて生活が出来るようになったお蔭で、時間は掛かりましたが心底腹に落ちたように思います。

それから節分祭での御詫びに付いてですが、司会という大役を頂きこの場でこういうことを言うのは大変申し訳なく思いますが…。

節分祭の時には自分がして来たであろう三千年来の罪穢れに付いては精一杯御詫びさせて頂いたと思っていました。しかし、節分立春祭が終わって数日経ってもこの度のお詫びに付いては、何故かスッキリとせずモヤモヤとした気持ちが着き纏っていました。このモャモヤの原因が判然としてはいなかったのですが…。

立春祭の日に待望の『岡田茂吉全集』の書籍が許されたこともあり、考えていても“これでは”と思えるようなお答えを頂けませんでしたので、先ずは御教えを毎日の日課として読み進めさせて頂くことにしました。

御教えの拝読を続けながら過ごしていた2月中旬に、節分祭後のモヤモヤしていた理由に付いて「救世教の信徒さんにより「メシヤ様」と御尊称されなかったことと何か関係があるのではないのだろうか?このことは三千年前に私達の祖先が国常立尊様にしたことと似ているのではないか?」とフッと思わされました。そしてこのメシヤ様の御尊称及び御神格を下げてしまったことに対する御詫びを(私も平成11年から19年春迄天聖真美会に所属していましたので)させて頂かなくてはならないと強く思わされ考えを整理し、ここに御詫びをしなくてはならない諸々の私の夜の時代の癖が潜んでいたことにも気が付きました。

具体的には、10年程前最初に代表と御逢いした時に、代表は「メシヤ様」と御尊称されていらっしゃったのにも拘らず私は「メシヤ様」と御尊称申し上げることに抵抗を感じていて『メシヤ様』と心から御呼び出来るようになるまで時間が掛かったこと。

それから、長い年月メシヤ講座を通し『御神格』に付いて学ばせて頂いていましたので『御神格』に付いての知識はありましたが、この「覚りの旅」が始まったお蔭で『御神格』を再認識出来たように思えたことなどなど…でした。そして節分祭での御詫びの意味がようやく分かったように思い「大変申し訳ありませんでした。」と改めて心からお詫び申し上げました。

皆さんも経験されたことがあると思いますが、このように御教えを読み進めて行くと読んでいる内容と違っていても、その時思い悩んでいることの原因などの「お答え」を頂くことができます。そして同じ御論文であっても読んでいる人のその時の時所位により「メシヤ様」の御言葉の受け取り方にも変化があります。

私自身これからの御教え拝読を通し、間違った受け取り方をしてしまう自分の癖に気が付き即修正して行く為にも、なぜ『メシヤ様は』このように仰っているのだろうかという高く広い視点で物事を判断出来るように努力して行かなくてはならないと思っています。

そして今更ながらですが、御教え拝読と言いますか、言葉を変えると御教えと共にいる時間というものの重要性を大変有難いことに感じさせて頂いています。

それから3月3日は『メシヤ降誕本祝典記念大祭』を皆様方と共に向かえさせて頂くことが出来感謝の思いで一杯になりました。『メシヤ様、本当にありがとうございました。』

祭典前の代表からのお話の中で「私達の魂は神界が望まれているところまでの高まりを経ていない。6月15日の地上天国祭の時まで時間をいただいたので、それまでしっかりと取り組んで貰いたい。」というお言葉を頂きました。

この「神性を蘇らせる」「覚る」という取り組みは去年の8月からさせて頂いていますが、

この事は一日たりとも頭から離れることはなく、絶えず「覚る」という思いを持って過ごさせて頂いています。しかし、中々思うようには覚れずこの度の御垂示のように「高まっていない」というのが私自身の現状だと思います。

このことは、「6月15日の地上天国祭に向けて、御教えを通して覚りながら高まって行けるように精一杯努力させて頂こう。」と真摯に受け止めています。

それから、『メシヤ降誕本祝典記念大祭』の時に頂いた「なぜ昭和29年6月15日の祭典はメシヤ降誕仮祝典なのか。」「その祭典の中で『メシヤ様』に御参拝された時になぜ『天照皇大御神』様として御奉唱申し上げたのか。」という課題に付いては出張所の皆様と共に御教えに答えを求めさせて頂こうと思っています。

来年3月の『メシヤ降誕本祝典』を迎えるにあたり、神界からこの地上に天国を樹立すべく『メシヤ様』が御降誕された事に対し、私自身「どのように感謝申し上げ、どのような形で御祝福申し上げるのか。」ということに付きましても、信仰に入ってから現在までの道程を具体的に振り返りながらお迎えする姿勢作りに努めさせて頂きたく思っています。

最後になりますが、代表がこの度の御浄化にはいられて粛々とそして一心にメシヤ様を求め真向かわれている御姿を拝見し、12月23日に代表によって捧げられた「『世界救世(メシヤ)教』を復興する。」という事の重大さを再認識させて頂いています。

このことはメシヤ教の私達信徒一人一人が自分に下ろして「なぜ代表に、このような御浄化を下さっているのだろうか。」ということを考えて見つめる時間を頂いているのだとしか思えませんし、その「なぜ」を考えそして気付き自分達の意識を高めて行くことが、今後の『世界救世(メシヤ)教』の復興を担わせて頂く私達の「覚り」に繋がっていくのだと強く思わせて頂いています。

今、全国の信徒さん方が代表の御快癒を祈られ御元気になられることを心待ちにされています。

「先生、どうか一日も早く御元気になられて下さい。お願いいたします。」

長くなりましたが、以上で私の「覚り」の御報告とさせて頂きます。ありがとうございました。

 

楳木代表

改めまして月次祭、おめでとうございます。

一寸もどしたりが激しく声が出ないので、今日は光の森出張所責任者に祝詞を奏上して頂きました。

この御浄化に付いて少し説明をさせて頂きます。

先ず2月3日、4日とずっと本部で祭典をさせて頂いて、そしてそれ以後の3月3日の『メシヤ降誕本祝典記念大祭』までに全国の支部長、支部長代理、そして出張所責任者、その人達までは「霊性が高まって神性を蘇らせる」ということを達成するように神界から言われていたのですけれども、全員不合格でした。

それで「不合格」というのは、神界が望んでいるところまで達していなかったということです。これは総て私の御導きの仕方の不足が生じているので、神様には充分に御詫びを申し上げたのですが…。

 

御浄化の大きな二つの理由

楳木代表

先ず、私がなぜこれだけの浄化を頂かなくてはならないのかという最大の理由はですね、今母は疲れとか言っていましたけれども、そのレベルではなくて…。

昭和29年の6月15日に『メシヤ降誕仮祝典』を執り行わせて頂いて、それから2ヶ月間当時の教団は『メシヤ様』という御尊称をお称え申し上げるということが決まりまして、そのように御称えしていたのですけれども…。実は、先達の先生方の浄化がかなり激しく始まったみたいで、一つはそれに耐え切れなかったが為に『メシヤ様』に「この御尊称を取り下げて頂きたい。」というふうに御願いされたことがあったというふうに聞いております。

ですから『メシヤ様』と御称えすると、『国常立尊』様の御働きが非常に強くなるので浄化が厳しくなってくるので、その浄化に耐え切れなかった先達方が御願いをされて取り下げて頂いたということです。それで、それと同じ浄化を今私が頂いているということです。

それからもう一点は、今度はこれからのことなのですが、『世界救世(メシヤ)教』の復興というのはメシヤ教の論立てでいくと、これからいっきに加速して発展していくそうなのです。しかし発展していくとどうしても慢心が出てくるので、やはり私自身が神様の御蔭で発展しているにも関わらず「私の力量が凄いのだ。」というふうに勘違いをしてしまったりするので、そういう意味で「絶対に間違いを起こさないように。」ということで、そのことが腹に落ちるまで浄化し続けるということです。

 

人間の体というものに付いて

楳木代表

この二つが大きい理由だということと、それから私達の体の使い方というのは、今私自身の体はご飯を食べても十二指腸よりも下には行かなくて、順番に先に食べた物をもどすというようなかたちで、体の中である程度消化して「霊気」を食物から頂いた後、上から外に出すということが続いています。しかしこれ自身はですね、人間の体というのは『主神様』が宇宙を創造されてそして地球を創造されてその中に人間を創造されて、人間の体はそういう宇宙の1つとしてこうやって生きているわけなのですが、人間の体の使い方というのは悪い思いで使うというのは論外ですけれども…。例えば麻薬を密輸する時、手術して腹の中に入れてそして日本に持ってきて腹を開けると、これはもう論外な話ですけれども…。例えば戦後戦地でお亡くなりになられた方の遺骨などをどうしても持ち帰りたい為に、油紙のような物に包んでそしてそれを飲み込んで帰って来て吐き出して、そして遺族に届けるとかそういうこともありました。しかしこれは遺族に対する願いなので正しいのですが、行いとしては胃を別なことに使ってしまったということです。

それからお釈迦様が『見真実』に達せられ、最後に法華経二十八品をお書きになられて、その中の一つは「将来、弥勒正代が出来る時に不可欠な祝詞なので、これは日本に持ち帰らなければならない。」と…。しかし海を渡って帰ってこなければならないので、大しけにあって巻物とかを海に流出してしまうようなこともあるので、そのとき小さく書いたものを溶けないように包んで胃の中に入れて持ち帰ったようです。

 

本来の人間の体の使い方

楳木代表

例えていえば、そういうように人間の体というものは本来の使い道があるにも関わらず、自分が正しいと思うが故にそのようなこともしてきたということがあるので、その一つ一つを今私は痛みに耐えながら考えて、人類が犯して来た「本来の『主神様』が御造りになられた内容」と自分達が良いと思ってしてきたことのあいだの、その罪穢れなどを充分見つめながら今取り組ませて頂いております。

そうしたことをある程度自覚できて、これから人類を救済して行く為には、そうした一つ一つの細かいことまで御取り次していかなくてはならないという、そういうことが分かった上で神様に更に御詫びをして、お誓いをする中で痛みの方は段々と取れてきました。しかしながら、出張から帰ってからずーっと寝た状態でいるので、なんせ腰が痛いので皆様の前で不恰好な姿勢で祭典に臨まなければいけなかったことを大変申し訳なく思っております。

しかしこの浄化を乗り越えて行って、そして御神業に臨ませて頂ければ、きっと人類の為、将来の地球の為、将来の宇宙の為に、そういう動きが出来ていくのではないかと思いますので、どうか今後も皆さん方には支えて頂いて御神業を共々に担って頂ければ大変有難いと思います。

一寸声が出難いので、これで終わらせて頂きます。

本日は有難うございました。

 

<来月の御教え>

「『五六七大祭』救世五十三号」(昭和二十五年三月十一日)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』68ページに記載されています。

『五六七大祭』文明の創造」は平成29年4月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.193 本部 2017(平成29)年3月12日]

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