メシヤ講座no.192岡山(平成29年2月)

<今月の学び>

「『善悪発生とキリスト教』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』57ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

この度の支部長の覚り

支部長

それでは私から学びの“覚り”の報告させていただきます。

今日の『善悪発生とキリスト教』というのは非常に文章が長いのですけれども、長いだけにですね、本来なら沢山の気付きといいますか、話したいことはあるんですけれども、その中の数点だけに留めさせていただいてですね、後は支部長代理や出張所責任者の方からフォローしていただきたいと思います。

私がまず気になっているのはですね、58ページのところの“善と悪とに就いて”というところで、この善と悪ということについては“主神の権限に属する”ということでですね、八百万の神々では判り得ない部分もあるし、当然人間に於いてそうだということで、特に我々人間はですね、人に対して又その人の言動に対しても「あの人はいいだ。」とか、「あの人の事は悪いだ。」とか、ついつい決めてしまうようなこともあるんですけれども、それをメシヤ様は慢心であると・・・。『人間の善悪は神様でなくては分からない。』とも仰っておられますし、又別の御教えではですね、信者が支部長の批判をしたり、支部長が教会長に意見したりするような、そういうことについてですね、それは信仰のない人の言うことであり、『神様に対する大変な冒涜だ。』というふうに言われておりまして、人ではなくて常に自分自身を裁いていればいいというふうに言われているので、改めてですね、自分自身、人を見るのではなくてですね、自分自身の心言行を見つめていくことが、さらに一層ですね、必要かなというふうに、この部分を拝読させていただいて思わせていただきました。

それからですね、59ページに移っては4行目のところに、主神の神意が感得されるということで心に留めて読んで貰いたいということが4行目にありますが、本来メシヤ様の御言葉というものは全てですね、どんな御論文にしても主神様の御神意というものがちりばめられているわけですけれども、改めてメシヤ様がこのようにここでお説きになっておられるということを通してですね、この御教えというのは一層ですね、重要な内容を含んでいるということで何回も拝読をさせていただきました。

そうする中でですね、63ページですね。大事なのが最初の2行目から3行目に掛けて、

『神の実在を認識させることであって、其方法こそ本教浄霊である。』

というふうに、無神論者を救う手段としてここに書かれておりますけれども・・・。私は元々東方之光、MOAだったんですけれども・・・MOAの場合はですね、浄化療法ということで浄霊を捉えておりまして、そういうふうに捉えていく為に多少の効果は認められるのですが、中々奇蹟が起きないし、奇蹟が起きてもですね、神の実在を伝えていくという事は出来ませんので、無神論者を有神論者に転向させるとかというようなことは、中々そういうところまで話が出来ませんし行けません。本当にそういったジレンマがMOAの場合はあります。

だから余計に奇蹟も起きませんし、そういうところまで到達するということが中々出来ないというふうに思っております。

それでまた、『浄霊は幸福を生む方法』という御教えもありますけれども、やはりそれを今一歩進んでですね、ここにあるように『神の実在を認識させる』という、そういう姿勢で浄霊を取り次いでいく、と・・・。そして、奇蹟が起った時にはですね、“やはり神様の御存在ということを伝えていくということが非常に大事なことである”ということをここで改めて感じさせていただきました。

それから次のですね、3行目の

「見よ本教に救ひを求めに来る数多の重難病患者等が忽ち全快の恩恵に浴して、此世に神は確かに存在する事を知って、飜然と目醒め、今迄の無神論の誤りを悔ひ、忽ちにして有神論に転向するのは、百人が百人皆そうである。何よりも此実例は、お蔭話として数へ切れない程本教刊行の新聞雑誌に掲載されてあるにみて一点の疑ひを差挿み得ないであらう。」

という、この5行ですけれども、メシヤ様が御在世中に「地上天国」誌とか、それから新聞は、「光」「救世」「栄光」というふうに変わっては行きましたけれども、それに載せられている、ここに“お蔭話”がありますけれどもですね、之が実はメシヤ様御在世中のですね、「救いのリズム」ではないかなぁというふうに思わせていただいております。

だからお蔭話を読むことによってですね、ここに書かれてあるように、その浄霊の奇蹟、又はメシヤ様からの恩恵をいただいて御守護いただいて、無神論が有神論に変わっていく、そして御神体を御奉斎して日々祈りを捧げていくというような、そういう生活のリズムですね、そういうことが非常に大事だ、と・・・。そういうリズムを一軒一軒の家庭に定着させていくことが今非常に大事かなぁというふうに思っています。

特にメシヤ様は御教えでは、教団もですね、信仰を理論化した活動になると宗教としての活力がなくなり、浄霊の力が弱くなるというふうに警告されておられます。まさにですね、東方之光やいづのめ教団を見ると、浄霊の奇蹟ということがですね、中々薄れて、効果はいくらか見えるんですけれども、顕著な証しということになると、やはり中々少なくなっているのではないかなぁというふうに思います。

そうした中でですね、浄霊による救済活動を中心にして、やはり神の実在を認識してもらうという、そういうことが本教の使命でもあり、又我々の・・・、本教の使命ということは我々の使命でもあり、ここの最後のお言葉にある『大神命』ということになってくるのではないかなぁというふうに思わせていただきました。

それから65ページに入らせていただいて、65ページに非常に大切なことがあるんですけれども、まず『自然淘汰』というお言葉がですね、前から3行目のところにあります。それは『人間と雖も自然の法則から免れる事は出来ない』ということをここではっきりと仰っておられます。

そして、それは何かというと『人間に内在する悪』だということを次の行で言われておられます。そして後から5行目ですかね、『獣性を除去して全人間にするのが今や来らんとする神意の発動』というふうにここで仰っておられます。

無神思想の広がりと共にですね、目に見えるものを主として、どうしても目に見えないものを無視していく考え方というのが現在では主流を成しています。そういったことで現在まで来ましたけれども、そういう考え方ではやはり淘汰される時代が来たんだということでですね、ここに書かれているように『人間に内在する悪』というものですね・・・。例えば、不平不満とか、愚痴とか、悪口とか、呪いとか、嘘ですね、それから憎しみ、妬み、怒り、そしてやられたらやり返すという復讐心とか執着ですね、そういったものをやっぱり取っていく努力というものが、今我々がしていくことだということではないかなぁ、と・・・。そして自分を、また自分自身を変えていく努力ということが、ここに書かれている『神意の発動』ということになっていくのではないかなぁというふうに思わせていただいております。

代表からいつもですね、「『夜の時代』に身につけた癖を取るように。」ということで指導いただいておりますけれども、じゃあ、自分に身についている癖というのはね、何だろうかということをやはりもう一度ですね、自分に返して、そしてその部分を改めていくようにしていかなくてはですね、その後のお言葉にあるようにですね、『それに服従出来ない者が、自然淘汰によって滅亡の運命となる』というふうなお言葉になっていくのではないかなぁ、と・・・。私もですね、自分ではそうではないと思っているんですけれども、家族に言わせるとですね、“非常に自己中”だというふうに言われるんですけど(笑い)・・・。中々ですね、そうかなぁと思いつつもですね、そういうふうに言われるとやっぱり考えて、人に対して接していくのにも考えていきますのでね、そういった、家族から言われることというのはやはり真摯に受け止めて正していくという事が必要かな、というふうに今思わせていただいております。

また、必要悪ということもありますけれども、常に自分の中の副霊をコントロールできる自分作り、又魂の覚醒ということと共にですね、メシヤ様が我々に求めておられることではないかな、と・・・。そして、浄霊を通して奇蹟を通して神の実在を知らせることが我々の、先程も言いましたけれども、最後の行にある『本教の大神命』という言葉と一緒にですね、我々の御用であるのではないかなぁと思わせていただいて、コツコツとですね、今日よりは明日、今月よりは来月というふうに、やはり精進させていただかなくてはいけないなぁと思わせていただきました。私の方からは以上で終わらせていただきます。

 

司会者

続きまして、支部長代理の方から覚りの報告をしていただきます。

 

支部長代理の覚り

支部長代理

先日の節分祭、立春祭のご参拝をお許しいただいて、早速昨日よりぎっくり腰のご浄化をいただきまして・・・。本日はずっと座れる状態になりましたので、ここで発表させていただきます。

今、支部長の方からもありましたように、今回の御教えの中で

『悪の発生源である無神論は、最早有害無用の存在となったのである。』

と・・・。今までもこの事に関しては言葉を変えてずうっと御教えの中にありましたけれども、今回は結構はっきりと『無神論は、有害無用の存在なんだ』ということが、はっきり書かれているところに、私もハッキリした気持ちで臨んでいかなくてはいけないなぁ、と思わせていただきまして、その後にある『本教の大神命』は、この

『滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である。』

ということをやっぱり思ってきてはいましたけれども、無神論者では駄目だというところではなく、医学や添加物の間違い・・・、そういうことの間違いを知らせていくことだなぁ、と思わせていただいていましたが、ここまでの事をはっきりと言われますと何か決断をしたハッキリした自分の考えを持っていかせていただかないといけないなぁ、と再度思わせていただきました。

それで先月私が発表させていただいた中に、医学に対する知識にしても色んな本が沢山出ていますけれども、その本を活用して知らせていかないといけないなぁと思っていましたら、先日ご近所の方で、私の家が宗教をしていることもご浄霊のこともご存知の方なんですけれども、「こういう本があるけど・・・」という話をしたら「見せて欲しい」と・・・。それで「自分の子供達にも見てもらいたい」というふうに言われたのでお貸ししました。それから後のことはまだ聞いていないのですけれども、そうする内に、先日、結婚以前に勤めていた同期の方から連絡がありまして、話を聞くと病気の話ばかりなんですよね。同じ年なんですけれども・・・。あちらは「心臓にペースメーカーを付けないといけないような状態である。」と、それから「ピロリ菌があったので、それを殺す薬を飲んだ。」というふうに言われまして、早速そのピロリ菌の情報も知っていましたのでお伝えしまして、それで病院に毎月検査に行っていると言うので、「病院に毎月検査に行って、医者の言う様にして治っていくんだったら、これ以上病人が増えることもないし、本当は病院が閉鎖していくのが本当じゃないか。」という話をしましたら、「それはそうじゃねぇ。」ということで・・・。「もっと色んな本が出ているから、色んな情報を入れて調べて、それから選択して行ったらどうか。」という話もさせてもらったら「本当に何も知らないな。」ということで今度又会うことになりましたので、その時に浄霊の話とかしていこうかなぁ、と思わせていただきました。そういうことで1ヶ月が終わりました。

最後に一首、あのこういう気持ちでいつも御神業させていただいて今迄来ましたので、御歌を

『病きに 悩める人びと 見るなべに 胸の血潮は 燃え沸るなり』

という御歌を、いつも頭の中に思い出しながら今まで来させていただきました。どうか皆さんもそのように思われて努力を・・・。私は努力させていただきますので、よろしくお願い致します。以上で終わらせていただきます。

 

司会者

ありがとうございました。それでは次に出張所責任者より覚りの報告していただきます。

 

出張所責任者の覚り

出張所責任者

昨年の12月23日より霊界に大きな変化が起きているなぁ、と思わせていただいております。と言いますのは、1月中休む暇が無いくらい色々なことがありまして、ワクワクするような喜びの日々でした。

一人ずつのことを、ここで報告させていただければいいのですけれども、時間がありませんので、皆さんが個人の救い、家の救いに向かって、愈々の時が来たということを自覚されているという事と、そういう中アメリカ人でクリスチャンの50代のご夫婦が出張所に来られまして、茶会を開いてご浄霊もさせていただきました。それで、支部長に英文サイトの情報を本日いただいて帰って、今度お会いした時にお渡ししようかと・・・。

それから、皆が集まった時に気がついたんです。メシヤ様に今御縁をいただいて来られる人達は、全人類の元の先祖のような人達が集まってくるのかなぁ、と話し合う中で、自分自身の正守護神様に何か凄い感謝の気持ちが湧いたり、ある時に全人類のお詫びと救いということをはっきり思わせていただいて、感謝献金、御玉串料としてさせていただいたり・・・。メシヤ様から『世界人たれ』という御言葉をいただいておりますが、その原点は13年前に箱根に奉仕研修に上がらせていただいた時だったと思いますが、観山亭での奉仕でルームの前に立った時、突然涙が出て涙の粒が床に落ちたので一生懸命それを拭きながら、その時に何故か“我々全人類がしてきた罪穢れをお許しいただきたい”と、何故か泣き泣き拭いてる時に突然、やさしい声で『もう泣かなくていいんだよ。』と聞こえてきたんです、吃驚しました。

それから奥津城の奉仕の時、ドームになった御墓所の石を磨かせていただきましたが、ここがアメリカ、ここがフランス・・・、全世界の、全人類の「罪をお許し下さい。」と言いながら一生懸命磨かせていただきました、その事を思い出しました。

それと言うのも、この度、節分祭で全人類のお詫びをということで、その祭典に参拝させていただいて、これからは・・・、いよいよ夜の、長年してきた、夜の帳は開かれて、この度御本部であの『散花結実』の御書を拝見させていただいて、愈々の時を迎えているんだ、と。それだけに心正しくメシヤ様の御教えに謙虚に学ばせていただきながら『下座の業』と、これからは信者同士が世話をしたりされたり何十年もしてきましたが、そうではなくて一人ずつが自立して『一人が百人』という御教えがあります、それから『世界人たれ』という大なき想念でやらせていただこうと思っております。そういうことで終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

司会者

それでは代表先生よりご挨拶をいただきます。

 

大神命とは・・・

楳木代表

改めまして月次祭おめでとうございます。

今日は、素晴らしい覚りの報告を三人から、それぞれのお立場から話して頂きましたので、非常に聞かせていただいて、積み上げてきたことが今年はいよいよ極まってくるなという感じが非常に致しました。

三人の方だけに報告頂いておりますけども、それだけでは本来のメシヤ様の願いにはなりませんので、どうか参拝者のみなさん方が、一つ一つ支部長がお話した事を、“自分の場合はどうか”というように自分に当てはめて考えつつですね、そうした頭の柔軟性を持って、このメシヤ講座に臨んでいただければ有り難いと思います。

それを今年一年間ですね、ずーっと積み上げさせて頂いて、来年が本番ですので、来年には皆さん方が一人一人、今度は色んな場所に行ってですね、倉敷だけではなくて岡山県下、広島県下へ、色んなとこへご縁がある所へ行って、「今月はこういう覚りを私は啓いたのよ。」という話しが出来るような、そういうお一人お一人になっていただければ有り難いと思います。

今日の御論文の中では『大神命』という事にみんな着目してですね、報告をして頂きました。この『大神命』というのは、節分際の時にもお話しましたように、三千年来の罪穢れというふうに一言で言っても、私達は具体的に自分の頭の中で三千年来の罪穢れというのを中々思い描く事は出来ないのですが・・・。素盞嗚尊が押し寄せてきた時にですね、伊都能売神皇様は日本人の命を守るために、急遽二十八部衆のみを従えてですね、インドへ下っていかれました。日本人は残されたわけですね。その当時の大和民族は残されたわけなので、残された者達にとってみれば、皆さん方が三千年前にそういう目にあった時に、今まで自分達の徳によって納めるこの大和の国の一番トップが急遽自分達の命を守るとはいえ、いらっしゃらなくなったわけなので、急にいなくなったのに私達はどうしたらよかったのですか、と、神界に文句を言いたいぐらいだと思うのですよね、皆さん方は・・・。

 

伊都能売神皇様を慕って、そして、その徳によって治める生活をずっとしていたのに武力によって支配されるという、そういう目にあったわけなので、人間としてはどうしたらよかったのですか、というふうに神様に言いたい所なのですけれども、しかし、それを受け入れざるを得なかったということであります。それを受け入れざるを得なかった自分達なのだ、と・・・。一緒にじゃあ後を追ってですね、次の一行でまたインドを目指していくグループを作ったかというとそれは作ってないわけですので、そういう行動までは自分達は起こさなかったわけですね。

それから次はですね、神武天皇の祖父にあたる瓊々杵尊が、伊都能売神皇様の皇位を狙って素盞嗚尊が押し寄せてきた時に、従者として来たわけなのですけれども、一緒に圧力を掛けることなく、自分だけは宮崎の高千穂にですね潜んで、そして“素盞嗚尊は必ず失敗するから、失敗する時に我が一族(中国系)が一挙に日本を支配すれば良い”というふうに、ずっと三代も虎視眈々とその時期を狙っていたわけなのでね。

だから我々の三千年前の所を見つめていくと、武力によって押し寄せていくというそういうものに自分達が、まぁ押し寄せて来た側かもしれないし、魂が。それからそれを受け入れた側かもしれないし、約三百数十年間高千穂にずっと潜んでそして失政を待っていたという、そういう性格が自分の中に、どの性格がずっと流れてきているかというのをこの機会に見つめていただきたいと思います。

 

節分祭でのお詫びとは・・・

楳木代表

そうしないとですね、今は世界救世(きゅうせい)教を初めとしてですね、節分祭は全部今やっておりません。神○○○会だけはやっているのですけれども、その時のお詫びは何かというと、「昨年の入信目標は達成できませんでした。」だとか、「献金目標が達成できませんでした。」だとか(笑)こういう現界のお詫びしかしていないわけで、三千年来の罪穢れのお詫び等はしている教団は殆どない状態となっております。私は、世界救世(きゅうせい)教の職員時代でもですね、この節分祭だけはメシヤ様は『節分祭はしなくても良い。』というふうに(メシヤ様御自身はする必要ないわけなのですけれども)・・・、しかし、信者側は皆三千年来の罪穢れをお詫びしないといけない内容があるので、節分祭は続けてきたわけですね。神様が認めて下さっている内容というのはそういう事を続けてきたというのが一つあるわけですね。

今年の節分祭というのは、そのことを皆さんにお取り次ぎをさせていただく中で大結集してくれましたので、大結集したという事がまず神界からは『非常に評価をする。』と・・・。しかし参拝者全員のお詫びというのは、『まだ浅いものだ。』と・・・。それからその他の者達も、お詫びと言ってもまだまだ浅いお詫びなので、ここから深いものを今年1年ずっと積み上げてもらって、来年の2月3日には具体的に、自分達の三千年来の罪穢れは何だったのかというのをある程度自分達が自覚する中で、しっかりお詫びしていただければ、それで一挙に扉が開くという事でありました。立春祭の浄霊の時に霊視を見た方は、ほんの数ミリから数センチ開いて、そしてそこから燦々と光が出ている姿を見た人がおりますけれども、今年の節分祭でそういう事が許されたと思いますので、来年の節分祭では一挙に岩戸が開くような、そういう節分祭をさせていただきたいというふうに思っております。一年間積み上げさせていただいて、そして、今、私達がメシヤ様の論文を学びながら覚りを啓こうとしている内容というのは、実はそういう事が一つはあるのだ、ということをですね、ご自覚して進めさせていただきたいと思います。

 

自らの癖を見つめ特性を生かす

楳木代表

そして、もっと深く行くためには、なぜ素盞嗚尊は日本に押し寄せてきたのか、そして瓊々杵尊はなぜ高千穂に潜んで、素盞嗚尊の失敗を待って日本を押さえようとしたのか、そういう事を考えていくとですね、昭和29年の6月15日にメシヤ降誕仮祝典が執り行われた時に、メシヤ様御自身に向かって、「天照皇(スメラ)大御神守り給え幸倍賜へ」と唱えた理由がそこでやっと分かってきます。これは御頸玉を押えたいという・・・地球全体の全権を握る、それを押えたいというのがそこにあった、と。だからひたすら願っているのだけれども、素盞嗚尊はですね、伊都能売神皇様からその御頸玉を天照天皇にお譲りになったのだけども、その天照天皇を素盞嗚尊は殺害した瞬間に、その御存在は主神様の元へ御戻りになられたわけなので、後いくらジタバタしても、もうその御存在はなくなっているのです。全くなくなってしまったのだけれども、それをどうやって補うかということで『夜の時代』はですね、権力欲とか金銭欲とか、そういうものでそれを補おうとして、『夜の時代』をずっと我々は培ってきたわけですね。その為に起きた色々な思いというのは、支部長の方から先ほど報告してくれましたので、そうしたものが我々の中に色濃く残ってきているわけなので、その色濃く残っている自分の中にずっと残った、三千年来の『夜の時代』の癖というのを見つめていただきたいわけであります。

そうするとあまりにもですね、天○○○会流に言うと、“お前達、なってないんだ!”というふうな、そういう指導になっていきますけれども、そういうことではなくて、癖というのと同時にですね、私達は魂に主神様から頂いた特性というのを頂いておりますので、この癖が分かると特性も分かってきますので、特性も同時に発見して行かないと立春祭の時にですね、その特性に弥増す神威を一身に頂くことができませんので、お詫びの内容が具体化すると共に、自分の魂に頂いてるですね、特性をわかってそこに弥増す神威を頂いていくような、そういう祭典を来年はですね、させていただきたいというふうに思います。

 

御神体をお迎えして日々の生活を送る

楳木代表

そして、無神論が有神論に変わってくというのは一体どういうことかというとですね、善言讃詞の中身が分かり始めるということです。善言讃詞の中身とは一体何かというと、頂点にですね主神様がいらして、そしてその主神様に繋がる『結びの働き』を有する、観音様から始まってメシヤ様が御神業を進めさせていただいて、そしてメシヤ様に御出世遊ばれた時に、このメシヤ様に繋がる全ての神々によってですね、そして、その神々が御神業を担った時に神々が色々作り上げていく内容が善言讃詞にメシヤ様が御書き下さっているということでありますので、これが真に『一神にして多神』という意味であります。

多神によって地上天国を作り上げていくという、これが善言讃詞の中身でありますので、私達がですね、支部長がお話ししたように、まずは有神論に目覚めて、そして日々神様にお参り出来るように御神体を我が家に迎えて、そして天津祝詞と善言讃詞を日々奏上していく時に、この善言讃詞を奏上していく時には、その神様のお働きが現界に移った時に様々な位の神様が執り行うことが、ああした内容に現界に起こってくるのだということが分かりながら善言讃詞を奏上させていただくとですね、そうするといくら“今日は会合があるから急いでお参りしないと・・・、敬しく惟るに(早口で言う)・・・”とかいうようなお参りは出来なくなるわけです。『一神にして多神』によってこの現界に地上天国が出来ていく、その姿が盛り込まれているわけなので、その言霊を奏上するということは、分かった上で奏上するとそのような奏上の仕方は出来なくなってくるわけです。まぁそうしたところにですね、御神体をお迎えしつつ、日々そういう生活をさせていただきながら・・・、又、御神体を申し込むと同時にですね、全御論文、全御講話、全詩歌の電子版をいただくことができますので、それを日々拝読しながら、立春祭の時に原田舞さんが全集を全て読みきったという発表をしてくれたので、皆さんに非常に大きな刺激を与えております、ここに茂樹君がいますけれども(笑い)・・・私も読もうと思ったよね。(笑い)

 

受講者

はい・・・(笑い)。

 

楳木代表

もう全国にそういういいですね、影響を及ぼしたので・・・。まずは一通り読むという目標を達成したので、今度は噛みしめながら、舞さんは噛みしめながら、そして自分の魂に「神様の御言葉」をいただいていくというような姿勢で拝読をこれから、更に深まる拝読をこれからしていただければありがたいと思います。

どうか皆様方も、まだの人は御神体を我が家にお迎えして、そして全御教えを日々拝読していけるような、そういうご家庭になっていただけると、より一層今私達が進めておりますですね、「覚りを啓く」という取り組みが進んでいくのではないかなぁと思います。

 

33日を迎えるための整理を・・・

楳木代表

それでどうしても今、支部長と支部長代理と出張所責任者だけに、こうして覚りの報告をしていただいておりますので、他の方々は、どこまでもその報告を聞くということで来ております。どうか3月3日のメシヤ降誕本祝典記念大祭の時には、自分達がどういう覚りをここまで啓くことが出来たということを整理しながら、臨んでいただきたいと思います。

で、3月3日にですね、祭典を行なうと、これは桃の花が咲くわけなので、その桃の花が咲くと5月5日にですね、桃の実がなるということになっているので、それで本部のですね、この世の中に初めて主神様の御神体を御奉斎したのがですね、平成11年の5月5日だったのですけれども、4月の終わりにですね、表装が出来上がってきたのだけれども、御奉斎日を何日にしようかなぁと色々考えた時に5月5日が良いだろうと思って、私は5月5日に初めて御奉斎したのですけれども、それも今回

『実は、あれも神界が5月5日に決めていたのだ。』

と・・・。それが三三と五五で桃の実がなるという日として5月5日に決めて、私にですね、『色々と日程を考えて決めただろうけれど、そうじゃないのだ。』と・・・。 『そういうことは後々分かるように、或いは分かるようにだけではなくて、そういう日にちの決め事が神界にはあるので、その日を御奉斎日にしたので、そういうふうに受け止めて、これからも3月3日、5月5日の祭典を執り行ってもらいたい。』

というふうに、今回懇々と言われましたので・・・。まぁ自分の名前も自分でメシヤ様からいただくということで考えて、平成11年に名前を替えたのですけれど、『それも神界が許したから決まったのだ。』と言われたので、要するに和麿(わすまろ)なので、『全てを和していく、そういう男ということを役として与えたので、これからそういうことで進めていって貰いたい。』ということであります。

 

メシヤ教に力を与えるとは・・・

楳木代表

それでですね、立春祭の時に、祭典後一部帰られた後にですね、臨時ニュースを私が発表しました。その臨時ニュースの内容というのは、○○さんの知り合いに○○○○教団の信者さんが大勢いらっしゃるのですけれども、救世会館の中でですね、教主様が、「現在○○○○教団の□□理事長以下、役員と対立している。」と発表し、○○○○教団は「教主中心の信仰体制が出来なくなった。」とも話され、会場は騒然となったそうです。まぁそういう一報が入ったので、皆さん方に“臨時ニュースを申し上げます”ということで私が発表したのですけれども、その発表した時間にですね、御垂示が届いていたらしくて後から報告してもらったのですけれども、

『これがメシヤ教に力を与えるといった内容なのだ』

と。メシヤ教が誓詞を捧げたので、力を神界から与え始めるということに決めた以上は、メシヤ教だけではなくて、世界救世(きゅうせい)教やその他の教団にも力を与え始めた、と・・・。しかし、その力というのは、本日の御論文に照らして考えていくとですね、淘汰されることにも繋がっていくわけですので、御心に適っている教団は発展していくし、様々なものをこれから築いていけるわけなのですけれども、御心に適わないと淘汰される、力を与えるという事は淘汰されることにもなっていくわけなので、『その一つの現われが教主の発言なのだ。』と・・・『分かっただろう』というふうに強い口調で言われたので、『神界が伝えることというのは、よく分かっただろう。』というふうに言われたので“ハハハー”というふうに、私も言わざるをえなかったです。

 

節分祭、立春祭の霊視の意味するものは

楳木代表

ですから、こういうふうに力をですね、どんどんいただけるということになりましたので、その一つが節分祭、立春祭の浄霊の時にですね、大阪の松原出張所の○○さんという方に霊視があって、その中に、そうしたことの中身が見えておりまして、それがさっきもお話したように扉が少し開いたということと、浄霊の時には紫色に包まれるような光を今迄いただいていたのだけれど、今回は緑色が浄霊の光の中には有ったというふうに仰っていたのです。縄文時代の色の使い方というのはですね、縄文時代から漆というのは使っておりまして、汁物をいただくお碗は中が赤ですよね。何であれは赤かということを・・・、昔のメシヤ講座に書いているけれども・・・。今首を縦に振った人・・・。

 

受講者

生命力。

 

楳木代表

いいねぇ、さすがだねぇ。生命の息吹を赤に象徴していくのでお碗の中は赤に塗っているのだ、と。そしてそこにですね、色んな汁物を入れたりして食べるのは、生命の息吹を自分がいただくということで、そういうことで縄文時代からそういうお碗を作っているのだということですね。

それから、あの緑色というのはですね、その当時は新潟県の翡翠に象徴されるのですけれども、これは再生するという意味を緑色に求めておりましたので、緑色があるということは、教団もそうですけれども全ての人間の本来の神性を再生させるという、まぁそういうことがそこには込められているのではないかなぁ、というふうに私は報告を読んだ時に感じました。

それで、私達は今神性を蘇らせるということを目標にしておりますので・・・、そして集団浄霊というのはですね、聖業を進めることが出来る、人類救済のですね、聖業を達成する事が出来る魂になっていただく為に集団浄霊をメシヤ様は始められた訳ですので・・・。そういう事を全て含めて考えていくとですね、本来の御神業に再生して、そして人類全体を主神様からいただいている分身魂(ワケミタマ)として本来の神性を蘇らせて、そして魂が輝きながら動物霊の影響を受けないような、そういう人間を目指していく、そういう人間に再生させていただける、そういうことをですね、浄霊というのは今後より一層意識しながら・・・。そうすれば無神論から有神論にみんな替えて行くことが出来るので、ただ単に“あそこが良くなった”とかいうような浄霊ではなくてですね、昨夜は私も腰が痛くてですね、今日立てるかなぁと思っていたのですけれども、腰を浄霊していたらさっき、10分前にトイレに行ったら結石が出まして、いつもだったら石を拾い上げるのですけれども、水を流してしまったので取れなかったのではありますが、今日は左側の腎臓から左側の腰が痛かったので、石が出て大分身体が楽になりました。

 

浄化作用の意味をしっかり理解する

楳木代表

それで、この私の細くなっている身体を見られると思うのですけれど、昨夜も腰だけではなくて腹も相当・・・、腸の中をヘラでこさげるような痛みが一晩中続いたのですけれども、そういう浄化を何の為にいただいているのかというと、やはりこれだけ神性を蘇らせる、皆さんと神性を蘇らせる取り組みをしているわけなので、そのお世話をする上に於いては、相当魂や身体が綺麗にならないことには、そういう世話が出来ないので、それで『徹底的に浄めているのだ。』と・・・。

『そういう浄化と受け止めて、しかし、こうやって祭典をする時には一切影響が出ないようにするので、浄化はしばらく続くと思って貰いたい。』

というふうに御垂示いただいたのですが、皆さん方もそれぞれのお立場でですね、今後、“よし判った、自分も神性を蘇らせよう”というふうに取り組んでいくと、浄化というのは必ず付き物ですけれども、その浄化というのをですね、ちょっと心配になったり不安になったらですね、すぐ支部や出張所へ連絡してですね、相談をしながら乗り越えていただきたいと思います。

まぁ先程、支部長代理の方からピロリ菌の話が出たり、様々しているのですけれども、今医学会もやっと気付き始めてですね、抗生物質の弊害ということを話し始めています。気付いただけじゃなくて、テレビなどでですね、そういうのを発信するようになりました。抗生物質で我々の中にある菌は殺せるのだけれども、耐性菌が必ず生まれてくるので、その耐性菌が他の菌が全部死んでしまうと耐性菌が体の中を覆ってしまうので、これが大変な病気症状を次は作っていくのだ、ということを言える医者が出始めております。このことに対してはですね、ピロリ菌を始め浄化作用の原理というのが分かっていかないと、この我々の体に纏わるですね、菌の働きとかいうのを理解することが出来ないので、浄霊の意義は更に高まりつつ、浄化作用の意義というのはですね、より一層自分がしっかり受け止めた上で人にですね、力を持って取り次げるような、お伝え出来るような、そういうお一人お一人になっていただければありがたいと思います。

まぁピロリ菌は丁度、今回の新年号に載せてありますので、必要があって眠っているわけなので、そして余りにも胃の中が酸性になってくるとピロリ菌が目覚めて来て、アルカリ性にして中和してくれるので、そして胃の中が中和されたら又ピロリ菌は眠ってしまうのだ、と・・・。そういう装置が我々の胃の中にはあるわけなので、そういうふうに神様が御造りになって下さっているわけなので、その神様の御心通りに我々の体は浄化をしていくわけなので、その浄化の意味が真に分かったならばですね、多くの人達にその恩恵を伝えることが出来る、という・・・、これが御神業の一番の喜びでありますね。

皆さんが知らないことをメシヤ様の御教えに沿って知ることが出来たので、それで知った以上はお伝えしていく、伝えないとですね、“ここちょっと言う時じゃないかなぁ”とか言うと、包み隠しの罪が生じてきますので、また来年お詫びする内容が増えてくるので(笑い)・・・。

ですから、まずはですね、メシヤ様はどういうふうにせよと仰っているか・・・、『まぁ、一言言いなさい。』と、『まぁ、一言言って相手が乗って来れば、もっと深い説明をすればいいし、向こうが乗って来なければそこで止めればいいのだ。』と。まだ時期が来てないのだと、又の機会に話してあげようと捉えてですね、話していけばきっといい方向にいくと思いますので・・・、まぁ必ず口には出すというふうにして取り組んでいただいてですね、そして、出し方が分からない時に、支部の勉強会の時にですね、支部長に相談して、「こんな場面の時にはどういう風に言ったらいいでしょうかねぇ。」とか言うようなことを・・・。出張所で浄霊会をしてもですね、そういう知恵の出し合いをやっていけば、これからの御神業が非常に素晴らしいものになっていくんではないかぁと思いますので、時間も大幅に過ぎてしまいましたけれども、そうしたことをお願いさせていただいて終わりたいと思いますが・・・。

 

メシヤ教の信者は地獄へ行けない

司会者

代表、○○さんから一つ報告をしていただきたいと思いますので、その後、コメントをいただければと思いますが・・・。

 

楳木代表

○○さん、どうぞ・・・。

 

受講者

去年、初めて節分祭の参拝を許されましたが、節分祭の意味も知りませんでした。その時の、代表の話でお詫びの為だと知りました。そして、その時の節分祭で初めて神言を聞いた時に、体が動き始め涙が止まらなくなり、その時“自分は神様を押し込めた側なのかな?”と思いました。
また、今年の節分祭で神言が始まると、涙が溢れ始めたので止めようとしたのですが涙が止まらなくて、代表の神言を言う時の気持ちと心のこもったメシヤ様の寛大な心のようなものをちょっと感じて、お詫びと感謝と感動で言葉には表わせられない様な感覚になりました。
その参拝 (2月3日、青年参拝日、節分祭の日)に行った時に、子供を実家に預けて参拝へ行かせて頂いたんですが、その日の夜に長女が「夢を見た。」と教えてくれました。

夜に友達と提灯がたくさん並んだ綺麗な神社を歩いていたそうなんですけれども、進んで行くと女将さんみたいな人が出て来られて、その人が奥へどうぞということで通されたらしいのですけれど、その先は地獄への道で友達はすぐ地獄へ落ちて行ってしまった、と。それで自分も地獄へ行かないといけない状況だったらしいですけれども、そのまま進んで行こうとすると、その女将さんに「メシヤ教の人は地獄へ行くことは出来ません。」と止められて、「じゃあ行きません。」と言ったところで夢が終わったそうです。以上です。

 

楳木代表

娘さんの夢だったのだね。恐ろしくもありありがたい夢でもあるのですけれど、今日の御教えにピッタリですね、淘汰されるというのは・・・。だからその我々の『大神命』というのは、その淘汰される人を一人でも目覚めさせて、そしてお救いさせて頂くということに邁進する事が『大神命』でありますので、その夢を拠り所にして一人でも大勢の人が地獄へ落ちないで済むように、このお道を教えていけるように共々に頑張らせていただきたいというふうに思います。素晴らしい報告をありがとうございました。それではこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

受講者全員

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『天国篇』文明の創造」 

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』66ページに記載されています。

「『天国篇』文明の創造」は平成29年3月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.192 岡山支部 2017(平成29)年2月8日]