メシヤ講座no.188出雲(平成28年10月)

<今月の御教え>
「『仏滅と五六七の世』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』38ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 出雲支部】

 

先月「課題」として取り組んだ報告

楳木代表

それでは支部長代理から一言、学んだ事、覚りという所、感ずる所を皆さんに発表してください。

 

支部長代理

先月の「課題」ですね。先月1ヶ月というのは、私が浄化を頂く前の状態に返りました。という事は、色んな事を整理しようと考えて、行動に移さんとした時にですね、前の浄化の様な環境が又現われて来た、と。という事は、人の世話をし過ぎだという事もありますけども・・・。

そういう事で、切っても切れないような仕事関係や信仰関係で付き合いがあった方の家庭が、奥さんが切迫骨折で動けなくなった、旦那は、交通事故で頭にヒビが入って入院した、という事で結局其処へ通って淨霊をしたり、お世話したりするという様な格好になってしまったという事ですね。私の所の事については、話し合って「何とかしないといかん。」と思いながらも、そういう事で結局心も時間も取られるという事と、秋の時期が来たものですから、畑のお世話も二か所ほど請け合ってやっておりますので、そういう所も片づけないといけない・・・。虫が湧く、何だかんだとしょっちゅう覘かないといけないような環境が又やって来た訳です。その中で大きな御守護を頂いたという事は、足が痛くて動けなかったんですね、それまでは・・・。だから靴が履けませんでしたけれども、お蔭で靴が履けるようになって、やらなければいけない仕事が片づけられたり看病が出来たりという、私の健康の方を回復させて頂いて、曲がりなりにも歩けて、今は、そうして仕事もボツボツ出来るようになったという事でございます。

農業の方は私が一切任せて知らん顔していたから、元々頼んであります請け負った農家の人が来てやってくれる訳ですけども、恙なく処理が出来てお蔭様で取り入れも終わりました。そういう事を諸々考えてみますと、『九分九厘と一厘』とかですね、それから『最後の審判』とか色んな事が有りますけれども、こっちに向かおうとする時に、必ず反対の事が起って来るという事は、昔からそうだけれども、“相も変わらず変わらないな”と思いながら、そういう事を一つ一つ乗り越えて来たという事で、今月は終わりました。

 

楳木代表

じゃ、先月「課題」にした事はチョッと出来なかったと・・・。

 

支部長代理

出来なかったというよりも、そういう事に向かった為にですね、そういう事を心にしながらも、そちらの方に手間を取られ、心も取られなければ片付いて行かなかったという事で、今言った最後の・・・、“正邪の闘いの事が、霊界では起って来るんだな”というふうに受け止めて、頑張ったという事ですね。

 

楳木代表

成程、はい分かりました。次は、奥出雲集会所責任者の方から一言。

 

奥出雲集会所責任者

先月申し上げましたように、腹が立って仕方がなかったんですけども、段々とそういう事も仮に起こっても、“まぁ、聞き流せ”というふうな気持ちになって来ましたので、少しは良くなってきたのかなと思いますけども・・・。どう言いますかね、ここに書いてありますけども、本当に『五六七の世』に入っている訳でしょうけども、『昼の世界』に入って来ますと、色んな事が色んなふうに思われて来るんですね。

一つは私自身の気持ちとしてはですね、腹が立って腹が立って仕方がない、と。“何でこんなにぶつかって来るのかな”という事が一つあったんですけども、それはやはり“自分にあるんだ”と。「お前が、それだけ受けなければならない事があるからぶつかってくる。」訳で、それをどうやって克服していくかというと、『光』を頂いて自分の魂を浄めて行く以外に何物もないという事だ、と私は思ったんです。先月も私は申したんですが、「全ての事は自分に起因している。」という、そういう気持ちで常に過ごしていくというのが私の考え方でして、それ以上でもない、それ以下でもない、と思っている所でございます。

本当に『順序正しく』と仰っていますけども、それが一番肝心要となってくるのではないかな、と。一つ間違えるとパッと来るという事ではないかな、と思っております。

 

楳木代表

はい、分かりました。じゃ、先月も報告してもらったので、その後怪我をしてしまったので、怪我をして感ずる所があれば・・・。

 

受講者

そうなんですよね。色々考えまして“曇りがあったからこうなったんだ”という事を・・・。まぁ、色々思ったんですけど、よくよく考えてみて其処に『御神体』を頂く事に対して、主人に言わなかったんですよね。それがやはり、仏壇について主人から言われていた事が残っていたんです。心の中に・・・。それがずーっと、“今日、話さなきゃといけない”という気持ちが、モヤモヤとしてハッキリしてなかったんです。そこで、主人に「月次祭に参拝して『御神体』を申し込んで来るからね。」と、話せたんです。それでチョッと楽に、それが何時かしら・・・怪我をした後ですね。やはり“言わなきゃ、こんな事になるんだな”と、自分の心の中にあると思って・・・、ふと、その言った後で、気付いたんですけどね。話した後は、“頂くな”とも、何も言われなかったけど、怪我した後でしたが、やはり主人には、何でも話さないといけないな、と思ったんですね。

 

楳木代表

その出来事を、本日の御教えに照らして考えた時に・・・。

 

受講者

奥出雲集会所責任者が言われた、曇りがある・・・。

 

楳木代表

曇りの、もう一つ、奥出雲集会所責任者が言ってくれた・・・。

 

受講者

自分で・・・。

 

楳木代表

今日の御教えの中には、物質的には『五六七の世』に成っているので、『五六七の世』というのは順序正しい世の中なので、先月御神体を申し込んだ時に主人に言わずに来たというのは、私は知らなかったので・・・。

 

受講者

御神体を頂くという事は話してなかったので・・・。

 

楳木代表

それが、順序が狂っていたという、その事に気付かないといけないので、実は怪我をしたんだ、と。而も左の親指だけに包帯をしている訳なので、左の親指というと神様から非常に愛されているという事なのですね。順序を正さないといけないというのを、怪我を通して、而も包帯を左の親指に巻かせた、という事で・・・。

 

受講者

ズーッと“観音様(霊壇用御神体)を仏壇に”と思っていて、許されなかったから、代表先生とお話ししている時に「御神体を頂かれたら良いじゃないですか。」と言われて、ハッと思い、自分になかった決断力を・・・、反対されながら“自分自身を乗り越えよう”として決心したのが、それが間違っていたのですね。

 

楳木代表

五六七の世というのは、そういう所がきちんと成って行かないといけないので、だから仏壇の事を調えるとしても、これもやっぱり順序を正すために仏壇を調えて行く訳なので、そうした所を先月から今月にかけて気付いて整理して頂ければ、来月には御神体が御奉斎されるので、そういうのが整った上で御神体御奉斎が許されると本当に素晴らしい事になると思いますね。

 

受講者

中々主人がこっち(信仰)に向いて貰えないから、(浄霊は頂きます。)言われたんですよね、私自身が淨霊を通して「魂」というか「最終的にはそういうふうになって行く浄霊をしなさい。」と、今は寝ている時とか・・・、分かりませんが、自分の中で「課題」です。

 

楳木代表

その点についてはですね、六月十五日から私が口酸っぱく言っているように、「私が覚りを啓けないと信者の覚りは啓けない。」と。という事は・・・“夫が啓けないという事は、まだ自分が啓けてないのだ”と。だから“夫を何とかこっちに向いて貰いたい”と考えるのではなくて、“私がもっと高まって行かないと、夫はこちらを向かないのだ”というふうに、私の話を自分に取り入れて頂けると・・・。

 

受講者

合わせ鏡だからな、と言われていたんで・・・。

 

信仰は『神性』を蘇らせる!

楳木代表

奥出雲集会所責任者が一番先に入会したのが昭和30年ですね。30年からすると、もう61年信仰している訳ですよね。それで支部長代理が入って、皆さんが入って来た訳ですよね。そうすると、少なくとも60年位信仰している訳ですね。60年信仰して、その事に今、気付こうとしているのだ、というふうに考えておいて頂いた方が良いと思いますね。

「魂」という所は、それ位、今、時間が掛かっているのだ、と。それが先月学んだですね、「魂」というのは、これが「本守護霊」なので、本守護霊は神様の分霊として我々は頂いている訳なので、これが本来の『神性』ですね。先月の33ページ7行目に

『第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。』

とあります。三千年前から『夜の時代』に入って来たので、神性が薄められているというふうに、今考えておいた方が良いと思います。本来神様の分霊だから神そのものの様な、「魂」がそういう存在な訳ですね。百八十段から一段まで霊籍はあるけれども、その中の自分は神様の御分霊を頂いている訳なので、それが魂なのです。しかし、三千年の間に物質文明をズーッと発展させる為に、この『神性』が薄まって来ている訳です、我々は・・・。だから薄まっているので、メシヤ様と繋がって信仰をするという事は、この『神性』を蘇らせるという事が実は信仰するという理由である訳で・・・。

 

『信者は常に魂を磨き』

楳木代表

もう一つは35ページ8行目に、

『本来魂なるものは一種の発光体であって。』

というふうに書かれております。この発光体が光を放っていれば、動物霊である副守護霊が顔を出して来ないので、だから問題を起こすような行動とか言葉も発しないので、問題が起きない訳なのですけれど、この発光体が曇って来ると、動物霊がウーッと顔を出して、好きな事を言ったり、行なったりして来る為に、問題が起きてくる訳なのです。その順序を今少し間違ったという事は、正しい事をやったのだけども、動物霊が未だ前に出ているという事なのです。順序が狂っているという事は・・・。未だ自分の発光体が弱いのだ、と。

だから、“もっともっと、自分の、この魂が輝くようにして行くのだ”という思いを持って、月次祭に来てお参りする時には、神様から『光』をスーッと入れて頂いて、魂が光って行くように、それを月次祭の大目標にして行かないと月次祭に来る意義が・・・。昔ながらの「行かないといけないから、行くわ。」とか、そういう様な程度で行くと、神様から頂く光も『そういう心掛けで来たのだったら、之くらい入れてやるわ。』という感じでしか入れてくれないのではないでしょうか。しかし“発光体を取り戻して、更に光り続ける様な光を頂きに来るのだ”という意気込みで来ると、神様の方も『お前、それだけの意気込みで来るのだったら、ウンと入れてやらないといけないな~。』と思し召す。之が、メシヤ様が『神様にも感情がある。』と仰った理由の一つですので、人間の想念次第だという事です。

来月御神体を御奉斎するのも、自分が「自立した信仰を築くのだ。」というふうに決心して御神体を頂く訳なので、それに向かって着々とした歩みを取って行かないといけないという、“今、時期なのだ”と。素晴しい時期なのです。だから、少々荒療治で、自転車で転んだりする訳なので、之は転ばしたのは、神様ではない訳・・・。之は先祖です。先祖が転ばしている訳です。「生ぬるい考え方を未だ持っているな。」と、胸の所で「早く主人に言わないといけないけど。」と、グズグズ言っているので、先祖が転ばせておいて気付かせる訳。そういうふうな仕組みになっているのだ、という事を、本日のこの『五六七の世の実相』という事に、照らして考えて行くとそういう事なのだ、と。それを人間がやって行かないと霊の世界の『五六七の世』は来ない訳。物質的にはもう来ている。この小さいのに(USBメモリー)2万頁が入っている訳ですよね。本からするとこれ位(約100㎝)の本が入る時代になっている。そういう世の中に物質的には『五六七の世』に成っている。それにタブレットはスイッチを入れるとインターネットにもう即繋がっている訳なので、世界中の事が手に取るように、もう分かるようになっている訳なので、物質的にはそういう時代を迎えているのです。

そこで、愈々精神面が『五六七の世』に成って行くという時に、本日の御教えの、この順序が先ずは大事だというふうに、今日は教えて頂いているので、実はそういうのを本当は、60年前に入会した時に当時の支部長か教会長か、その人達が懇切丁寧に教えて行かんといけなかった。しかし、口調は強く話すのだけれども生活の所まで降ろして、皆に考えさせるような話をしてくれてないので、中々そこの所は、整ってこなかった訳です。今日までね。そして挙句の果てに世界救世(きゅうせい)教にしてしまうし、世界救世(きゅうせい)教から更に分裂を起こすような事を起こしてしまったので、だから尚更『五六七の世』の建設は、霊的な建設が出来ないまま今日に来てしまった。

 

『一日祭』の御垂示

楳木代表

その事に対して、私は「一日祭」の時にチョッと文句を言った訳です。神様に、本当に失礼な・・・、何だかついついもう・・・。“60年も何をやっていたのだ、神様方は・・・。先達はメシヤ様という生き神様を知っている訳なのに。”生きている神様に出会って、そこから真理の教えを説いて頂いているのに、その説いて頂いた事を信者さん方に懇切丁寧に教えて、そして生活の中で『昼の時代』を築いて行くお世話を、何故させなかったのですか・・・、というふうに、「いい加減にしてほしい。」と。今、我々はこんなに苦労して、メシヤ教の信者さん方に「覚りを啓いて行きましょう。」と話をしているけれど、覚りを啓くという事はどういう事か、今覚りを啓くという事が中々難しい中で、而も支部長代理が正直に話して頂いたように、先月決意して色々話して行こうと思ったら、浄化者が出てそのお世話をする事で、肝心要のやろうとした事がそっちへ向かわざるを得ないという事が起きて来るから、こんな事が信者さんの中で起きて来る最大の原因は、御在世中からのお世話がきちんとしてなかったのだ、と。「何故、もっと強く先達の方に言って頂けなかったのですか。」と、ついつい「一日祭」の時に込み上げるものですから、ブツブツ言ってしまったのです。そしたら神様の方からですね、即座に『それをやってしまうと強制になってしまう。』と御垂示いただいたのです。

神界が人間界に対して強制してしまうという事になるので、そうすると人間を創った時の決め事が嘘になって来る、という意味だと受け止めました。之は先月、先々月で学んだ事の中にですね『人間というのは向上すれば神となる。堕落すれば獣となる。』というふうにかかれております。そして、神様は『人間は其のどっちを選んでも自由なのだ。』というふうにして創っている訳なのです。人間に与えている最大の自由は神に近づいて行こうが、獣になって行こうがそれは自由なのだ、というふうに仰っているので、だから今、大勢の方々がペットを飼ってですね、ペットに引っ張られるようにして生活をしております。動物へどんどん下がって、それも人間に与えている最大の自由なので、神様は咎めだてしてない訳。家の中でペットを飼うと其処は、それ自体は先祖が憑って飢えを凌ぐために、猫や犬に憑依して、そしてやっているのだ、と。或いは先祖供養をしないので、ペットに憑依すると先祖を大事にしてくれるので、だからペットの中では人間の言う事を聞かないで、人間を引っ張り回すペットも大勢いますよね。そして、家族の中でペットが一番という家もある訳です。之は先祖が完全に憑っている。そういう事が今の現象としては起きていても、それは人間の自由なのだ、という事で創っているので、『天国を創るも地獄を創るも人間の自由だ。』というふうに、創った以上は、それを強制は出来ないのだ、と神様は・・・。自分が創った訳なので。

だから、それは気付いた者がやり始めるしかないのです。気付いた者がやり始めると自然な流れで、そういう『五六七の世』の霊的なものが出来て行くのだ、と。そして、『今、お前が気付いたので、メシヤ教に、神界からは全幅の力を与えようとしている。』というふうな話なので、だから強制はしていない。だから、私も其処まで言われたら、“本当に不遜なお祈りをしてしまったなぁ”と思ったのですけれども、之もしょうがない、私も人間として腹の立つ事もやっぱりあるので、しかし、“神様に対してぶつけて行くのは良いだろう”と思って、今回はぶつけたのですけれども、そういうふうに諭されました。

そうして、諭されると同時に、『先達の者達もどうしても夜の時代の癖があったので、気付かなかったのだ。』と。気付けなかったので、充分出来なかったので霊界へ行って、今、気付き始めているので、その先達が今物凄いスピードで動き始めているそうです。之から起きてくる事は、全てその先達が霊界で働いている為に、起きて来る事なので、そういうふうに受け止めて貰いたい、という・・・。而も先達がどうしても気付かなった最大の理由が、本日拝読をした40ぺージ最後の行に

『そうして真如といふ文字は、真の如しとかくのであるから、真ではない訳で、此点もよく考へなくてはならない。』

と、『考えなくてはならない。』というふうに、この時点でメシヤ様が書かれているのですけれども、之が今当て嵌まるので、先達も真理をメシヤ様から教えられても、未だ真如の癖が残っていたので、充分対応が出来なかったのだ、と。之が先程話した答えの続きです。これから我々が『真』に目覚めて真理の具現を行なっていきたい、というふうに思いますので、どうかよろしくお願いしたいと思います。

 

洗練されるとは

楳木代表

そして、而もそういう事に気付いて、私達がさせて頂くと全ての物が洗練されて来るらしいのですね。どうしてもメシヤ様御昇天間近の時に、側近の執事に『自分の考えたような教団には成らなかった。』というふうに、漏らされていたというお言葉が残っております。その自分の考えていたような教団に成らなかった事を、之からメシヤ様がお考えになったような教団にして行くのが私達の取り組みなのです。それが実は洗練という事であります。洗練されて行きますので、だから(受講者に)来月御神体を頂いたら、その洗練が加速度のように自分自身が洗練されるような生き方をして頂きたいと思います。御神体を既に頂いている方は、更に洗練されるようにしていきたいのですが、洗練されるとは一体何かというと、判りやすく言うとキリスト教を考えて行くと・・・。

 

キリスト教

楳木代表

キリスト教は、本来は「天の父」を信仰する教団な訳ですね。皆は十字架をお祈りしています。而も十字架を良く見るとイエス・キリストは、この掌に杭を打たれています。十字架に杭を両手に打ち込まれて、そして足首にも杭を打ち込まれています。そういう像を見た瞬間に、普通人間は直ぐ杭を取ろうという動きに出る筈なのですよね。しかし、『文明の創造』の『キリスト教と善悪』という所に書かれている通りのことが生じております。だからキリスト教を見るとその杭を刺されたイエス・キリストをお祈りする時に、正しいお祈りをしているのですけれども、正しい方向に動くと、今の様な非常に便利な物質世界を造り上げてくる方に動く訳です。しかし、悪い方に動くと、十字軍の様に「自分たちは正しいのだ。」と、「異教徒は正しくないのだ。」という事で征服をして行きます。征服して行った証しが、今のイギリスの大英博物館に展示している内容です。あれは全部戦利品ですので、パレスチナとかアラブ諸国を全部制圧して行った時に、全て収集して来た物が大英博物館に飾ってある訳です。良い方向に動くと人類を幸せにするような物を造り出して行くのだけれども、悪い方向に行くと戦争で支配して行くという事に動いて行きます。キリスト教の世界は、そういう両極端に割れている訳です。

 

イスラム教

楳木代表

だから、之はおかしいという事に気付いたのがマホメットです。マホメットは天の父にお祈りしている時に、アラーの神として御啓示を頂いて、『人間というのはそんなに強い存在ではない。正しい存在ではないのだ。そこを分からないといけない。弱い人間なのだ。』という事で、御啓示をマホメットは受けて、イスラム教を造った訳ですね。イスラム教を造った時の象徴は何かというと、女性の服装ですね。目だけ出して後は全部覆い隠せという戒律を、一番分かりやすいのでそれを説明しますけれど・・・。何故そういうふうにしたかというと、男は弱い存在なので、女性の悩ましい色っぽい所を見ると襲いたくなる、自分のものにしたくなる、という男の弱さがあるので、弱さが出ない為にそういう肌を隠すという戒律が生まれて来ている。日本などとは違い、イスラム世界では、女性はそういうように隠さないといけない。しかし今、女性達は何とか世界の女性と同じような状態にしようという事でシュプレヒコールを上げて、女性の権利を取り戻そうとか、服装も自由にして行こうとかいう動きをしているけど、之はイスラム教徒としてはおかしい事な訳です。男性が弱いから肌を出していけないというふうな戒律なので、男性が強くなれば良いので、強いというのは力ではなくて、精神的に強くなれば、いくら女性の悩ましい曲線美を見たとしても、合意がない限り絶対手は出してはいけない、という、そういう精神面が育てば、どんな服装をしても良い訳なのです。アラーの神の御啓示に基づいて、男性諸君を教育すれば良い訳なので、イスラム教は・・・。しかし、イスラム教は、今、部族ごとの宗教なので、アラーの神という一神教なのに形式は部族宗教なので、部族長のいう事が絶対なので、この部族長がそういう事に気付かない限りそういう動きが起きて来ない訳です。(中略)アラーの神の御啓示を求める様な信仰になって行かないといけない、という事が起きて来ます。

そうするとキリスト教も天の父という事を求めて行くと、天の父とは一体何かという事を突き詰めて行くと「主神様だ。」という事に気付いてきますし、イスラム教も、アラーの神とは一体何かというと元々は天の父なのだ、と。そして天の父とは「主神様なのだ。」という事に気付いてくるので、こういう事の積み重ねによって主神様と御一体のメシヤ様の御存在を理解する事に成って、而も奇蹟が裏付けされて来るので、『メシヤの御手に帰一され。』という善言讃詞の祈りが現実のものに成ってくる訳です。

しかし、そのように現実的なものになって来る為には、我々の霊的な高まりが必要だという事なので、今皆さん方に必死にお願いしているのは「覚りを啓いて貰いたい。」という事なので、その覚りを啓くのは、地上天国建設をする為には三大宗教が一つに成って行かないといけないので、その下準備として今「覚り」を啓く道を私達は歩んでいく訳ですね。

 

仏教

楳木代表

そうしたら“仏教はどうか”という事になってきます。仏教が一神教という所へ辿り着くかという事になって来るのですけども、幸いな事に三重支部が先月「遷座祭」を執り行わせて頂いて、支部長代理も非常に今、布教意欲を持って色んな方々にメシヤ様の教えを説明する為には、御教えそのものをぶつけて行っても理解出来ない人もいるので、先ずは仏教の事を良く理解しようという事で「仏教講座」に一週間ご夫婦で出席しました。色々私に報告してくれたのですけれど、その中の一つは「本来仏教というのは仏像をお祈りしているけども、仏像の像を祈るのが仏教ではないのだ。」と「仏像の後ろにある光背、光の輪を祈るのが仏教なのだ。」という事を仏教講座で話してくれたのです。(種々考え方、捉え方はあるようですが)これが支部長代理夫妻が仏教講座に出た最大の学び、宝の様なものだ、と私は受け止めています。仏教とは本来光背、後ろの光の輪を祈るのが仏教なのだ、と。前の仏像は宗派によって違います。阿弥陀様をお祈りしたり、何々天をお祈りしたりする訳です。しかし、後ろの光背が実は主神様の光がそこへ出てきているという事の証です。そして、仏像の真ん中には水晶をはめ込んだり、様々な物をはめ込んでいます。之は点になるので、「丸にチョン」という事、仏教を突き詰めていくと『ス』という文字がそこには浮かび上がってくる訳です。

こういう事を、之から私達は高まりながら各宗教が、洗練されて行く時に気付いていきますので、その気付く事をリードして行くのが実は私達なのだ、という思いを持って、60年も前から歩み続けている皆さん方が、そういう人達を引っ張っていけるように、各宗教の指導者達を霊的に引っ張って行けるような存在になって頂きたい。そういう思いで主神様にお祈りをして頂きたい、と、毎日。今日までは、そこまでは大きい祈りをしてなかったと思うのですけれど・・・。

 

『本腰を入れる』という事

楳木代表

しかし『メシヤの御手に帰一され。』とは、どういう事で行われるかというふうに考えた時に、もう一度、六月十五日の地上天国祭の時の話を思い出して頂きたいのですが、私も世界救世(きゅうせい)教の中でズーッと専従生活をしていく中で、どうしても御教えと教団自体がおかしいという所から、もう一度メシヤ様の教えをズーッと整理しながら求めて行った時に、“之は本来のメシヤ様が御創りになった世界救世(メシヤ)教とは違うものに成っているので、もう一回世界救世(メシヤ)教に戻さないといけない”という事で様々な論立てをしてきて、大体整えたのですけれども、心の中は、やはりどうしても“教主様にお願いして何とか動いて頂こう”とか、それからこの前は○○元理事長に会って、“○○○光教団にも少し分かって貰おう”というふうに、連絡を付けようなどと色々しましたけども、中々自分達は自分達の組織を守っている所があるので、中々うまく行かなかったのです。“どうしたら良いかなぁ”と考えていた時に、六月十五日の御啓示というのに繋がってくる訳です。『そういう者達をあてにするな。その者達は、自分達が気付けないので、その自分の教団自体も変える事も出来ないので、そういう者をあてにしても成就出来ない。そういう事ではなくて、各教団の中で、真に御教えに目覚めて、そして、メシヤ様の願ったような御神業を進めさせて頂きたい、と強く思う人間と共に、手を携えて進んで貰いたい。』これが『本腰を入れるという事なのだ。』私自身は本腰を入れているつもりなのだけども、やっぱり会長とか理事長とか教主という座にある者を頼っている部分があるので、それでは本腰にならないので自分がそういう事を進めて行くという本腰を入れて貰いたいというのが地上天国祭での御啓示であります。

そういう事をやらせて頂く為には、全責任は自分に来るので自分が覚りを啓く所まで上がっていかない事には、進める事が出来ないので・・・。それで今私自身は、過酷な生活をせざるを得ないのですけれども、少しずつ毎月毎月こうして皆さん方とメシヤ講座を通して如何にして覚って行くか、という事に取り組む中で、少しずつ判って来始めたので、その判って来た事が今の三大宗教の洗練された時にどういう所に辿り着くかという・・・そういう事であります。それをやらせて頂ければ必ずメシヤ様の説かれた『万教帰一』も実現して行きますので、その為に本日の御教えでは善言讃詞の中に書かれている『実相世界』とか『大千三千世界』という意味が、ここに書かれておる訳なので、より一層善言讃詞を、メシヤ様の祈りがどの様にして書かれたものかという事を、本日の御教えを拝読すると、又、より我々は深く判って来るのではないかなと思います。

 

『言霊を練る』

楳木代表

善言讃詞は、最後に『妙智を賜ひ眞覺を得さしめ』というふうにお祈りしている訳です。神様に、皆、「真覚を下さい。」というふうに皆さん方はお祈りしている訳なので、神様の方からは真の覚りを下さろうとしている訳なのです。その覚りをどういうふうにして啓いて行くかという事を、善言讃詞を奏上する人ほど実行に移して行かないといけない。本当は○○○光教団が天津祝詞を上げないで、善言讃詞ばかり朝晩上げている訳なので、一番気付いて行かないといけないのに、善言讃詞を上げている割には殆んど気付いていない。そして医者や弁護士にミスリードされながら、教団運営を行わざるを得ない状態になっています。それが小泉元総理じゃありませんけれども、丸投げしている訳、医者とか弁護士に、そういう状態で本体の信者さんがドンドン減って来て、会員は維持する事が出来ても、本体の信仰宗団としては維持する事が出来ない状態を今、招いてしまっているというのはそういう所に、折角善言讃詞を奏上しても、善言讃詞を通して神様に祈った事と自分達がやるべき事を見失っている為に、そういう事が起きてくる訳ですね。善言讃詞には色々書かれてあります。『無医薬に』というふうに、書かれているにも拘らず、その善言讃詞を奏上しながら「薬を飲んでも結構ですよ。」と、『無医薬に』と奏上しているにも拘らず「薬を良いですよ。」という訳なのですが、もう言霊と行動が不一致になっている訳なのです。

こういう事が大きな混乱を信者さん方に招いている最大の理由ですので、そうした事にお互い気付きながら、そして先達が様々な方をご案内してくるので、ご案内して来た時に「俺たちは、早くから気付いていた。貴方たち、やっと来たのか。」というような言い方をしない様に、「あぁ、良くぞ其処までお気付きになりました。」というふうに称えて、本来○○Aというのは、一番御教えを求めて行っている筈なのだけれども、よからぬ連中が周りにくっ付いて、そして良からぬ知恵を与えてミスリードしている為に、現教団体制はおかしな方向に行っている訳なので、そういう所から来た人たちには、「あういう、組織の中から良く気付く事が出来ましたね。」というふうに称えてあげてですね・・・。そして「共々に本来の御神業を担わして頂きましょう。」というふうに、支部長代理、そういう声の掛け方をして頂きたいと思います。「わしは、もう何十年も前から、もうおかしいと思っていたのだ。」という様な言葉でないように、「あういう、かっちりした組織の中から良くお気付き頂きました。」という形でですね、リードして頂ければ有難いと思います。

(以降は、御神業進展に伴う重要な学びの御講話でありますが非公開と致します。)

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『最後の審判』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』42ページに記載されています。

『最後の審判』文明の創造は平成28年11月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.188 出雲支部 2016(平成28)年10月14日]