メシヤ講座no.188広島(平成28年10月)

<今月の御教え>

「『仏滅と五六七の世』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』38 ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 広島支部】

 

御論文の学び、覚り、決意

楳木代表

これから支部長代理と○○さんに先月から今月迄、今月から来月迄に向かっての学びとか、覚った事を報告して貰いますけれども、皆さん方も自分自身の先月から今月を振り返って頂いて、“今月から来月に向かう自分はどういう気持ちで行こうか”という所が整理できているかどうか見つめながら報告を聞いて頂きたいと思います。最初にその事をお願いして、では支部長代理お願いします。

 

支部長代理

この御教えを拝読しながら、以前知り合った仏教の学校を出た若者を思い出しました。

仏教の教えは、諸行無常であり、人間がいくら努力して地位、名誉を得ても、最後は空であり欲望を抱く事は虚飾の人生だと言って希望を持たず諦めの境地で生き、そういう人生観や世界観を持っており、それが人間のあるべき姿で正しいと信じているのです。

その時、メシヤ様の教えの道を知っていれば、「真如とは真の如しで、真ではない。」と教えてあげられていたと思うのです。しかし、仏教の教えは『夜の時代』のものであり、『昼の時代』の到来、『五六七の世』が訪れるという事も知らずにいました。

諦めの人生で生きる若者に、主神様の御神意を伝え希望に満ちた生き方を教えてあげられたのではないか、と思います。

人間の癖や考え方、生き方を変えるチャンスは、自分や家族に関わる難問や病気などの時など多々あると思うのですが、知らない人に諦めを黙認せず真の安心立命に導く為、〝これらの教えをしっかり会得していかなければ“、と思いました。

既に『昼の時代』であるのに、考えや行動がいつまでも『夜の時代』では申し訳ないですし、自分をも、人をも救う事は出来るはずはない。まず自分自身“今日一日どうであったか?”、“御神意に叶った心言行をしたかどうか?” 、“真であったか?なかったか?” 、“悪ではなかったか?”と反省しつつ“間違った考えの癖を取ろう”、“日々努力する意外ない“、と思わされました。

 

楳木代表

続いて山口の方から・・・。

 

受講者

御教えを拝読して思った事は、釈尊の五六七の予言の様に物質的にはもうほぼ完成しており、精神面のほうがまだ弥勒の世には遠いと思うのですが、反面少しずつ弥勒の世に近づきつつある様な出来事が、豊洲や議員さんのお金の問題等の様にどこからともなく浮かび上がって来ているように思うのです。今までは“分からなかったら良い”とか、“自分だけ良ければいい”という安易な考えで行動した事が、このような結果になってしまったと思うのです。段々と順序正しき世が近づいてくる、と御教えにもあるように、登天に日が昇るということは今までは『夜の世界』で暗くて見えなかった物が、日が昇るごとに見えてくる『昼の世界』になり、悪いことをしても直ぐに分かる世の中になるので悪いこともしなくなり、出来なくなると思うのですが、その前にそういった事が出来ない、しない人間になる事が肝心だなと思いました。

そして、仏教は諦める事が肝心と書いてありますが、やはりそれ以上に救う力がなかったのだ、と感じました。以前所属していた宗教団体では実際に苦しんでいることについては指導がなく、只献金や奉仕活動に専念させられ、それで満足しており、『夜の時代』の救いだったのだ、と今思えばゾッとします。

その事に気づかずにそのまま進んでいたらどうなっていたのか、と思うと、メシヤ教に御縁を頂き本当に感謝で一杯です。

そして、弥勒の世に恥ない人間になるように、精神的にも肉体的にもまだまだ向上し、日々御浄霊を頂き、体を浄め、人に御浄霊を取り次ぐとともに、『昼の世界』になっても大丈夫な様に心身ともに浄まって行く人を増やして行けるように向かわせて頂きます。有難うございました。

 

三千年来の夜の癖

楳木代表

先月学んだ中、33ページの7行目に

『第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。』

と言うふうに書かれております。我々の魂というのは主神様の分霊を頂いているので、本来は神性そのものなのですけれども三千年前から『夜の時代』になって、その癖がズーッと付いたので本来の神性が薄まっている状態です。それと同時に35ページに

『本来魂なるものは一種の発光体であって、』

と言うふうに書かれておりますので、我々の魂は本来光っている訳なのですね。しかし、三千年来の『夜の時代』の癖がある為に、この魂の光が・・・、光の周りを曇りが覆っている為光りきれてないところがあります。この、光りきれていないと動物霊が跋扈してきますので、ついつい腹を立てたりですね、人の悪口、批判をしたりですね、自分が喋った事が何か問題になっていくという様な事が起きてきます。先月学んだ事を基に、魂が本来の発光体として輝き続ける状態にして行きたいという事を我々は願っている訳なのです。この発光体をより一層輝かせる為にどうしたらいいかというと、一つはですね、支部長代理が報告してくれたように『霊主体従の法則』にそって自分の心言行が『昼の時代』にふさわしいものであるかですね、喋っている事とかやる事とか行いとか、それから心の持ちようがですね、何時も清らかな事を目指しているかどうかという事が重要です。

しかし、目指してない分、曇りが発生する可能性があるという事です。曇りが発生する最大の理由は、その心言行によって相手から恨まれたり、相手が腹を立てたりする事が反映して、我々の曇りになって来ますので、そうした事の無いような心言行を心がけるという事が大切であります。

 

化学物質と霊主体従

そして、今一番問題なのは、『霊体一致の法則』に沿って悪いものを食べてしまうとか、生活の中で・・・。最近の出産では、羊水がシャンプーの匂いがするというご婦人がもう殆どらしいのですよ。昔ながらの羊水の匂いがするご婦人が非常に少なくなっている。それ程ですね、化学物質が体内に充満しているということです。取り分け、女性の場合は髪の毛を染めたりするために、化学物質を使用している場合ですね、直ぐ子宮に入って行くのでだから子宮の羊水がその匂いを伴ってしまうという事があります。ですから食べ物だけではなく、生活上使う石鹸とかシャンプーとか様々な物、それから我々が身に付ける衣服をはじめとするものもですね、すべて体に影響しているという事ですので、之は『霊体一致の法則』で体が汚れてくると血液が汚れてきて、血液が汚れてくるとですね、霊が曇って来て、本来の発光体としての光を曇らせてしまうことになります。そうすると、又動物霊の影響を受けてくるという事に繋がってくるので益々ですね。世の中が化学物質だらけに成っておりますので、充分気を付けて生活をしないといけないと思うのですね。

で、皆さん方が入信した時、最初の教団に入信した時に入信教修を受けたと思うのですが、3回受けたでしょう?その中で思い出して貰いたいのですが、幸不幸の原因は何かというと我々の体にはですね、体いっぱいに霊がずっと充満しています。その中心には心があって、その中心に魂があります。この魂を、自分達の肉体に宿っている魂を現魂と言って、そして霊層界に所属している魂を幽魂と言うのは習ったでしょう?久しぶりに思い出してもらえた?之が霊線で繋がっていて、この幽魂は霊層界が上がってくると全てが幸せになって来るのですが、この霊層界が下がってくると悲喜交々で、良い事もあれば悪い事もあるという状態であるので、この幽魂が絶えず上がるようにしておかないといけない訳です。どうやったら上がるかというと・・・、曇りによって重みが出てくるので、曇りが発生すると下がって来る。この曇りを取る事によって、幽魂が上がって行って幸せに成って行くという事ですので、この曇りをどうやって減らして行くかという事を考えなくてはいけないのです。

まず『霊体一致の法則』からいくと、食べ物と身に付ける物に気を付けて行かないといけないのですが、幸いメシヤ教の場合はですね。無農薬・無肥料のお米を手に入れる事が出来るので、どうしても添加物だらけの物を買って来ないといけない時には、それは汚れますので、もうご飯だけで終わらせると言う事でも良い訳で、お米というのは万能力があるので・・・。

 

経済至上主義の弊害

今回はノーベル文学賞でボブ・ディランが受賞したので皆、天と地がひっくり返ったくらい驚いていますけれど、本人と未だ連絡が取れないのでスウェーデンに来てくれるかどうか分からないくらい世を批判して、人間の本来の心のあり方を取り戻すために問いかけの歌をずっと彼は歌って、我々は若い時からその歌を聞いていました。ノーベル賞を選ぶ人達の想いと多少彼の間では差があるようですが、それと同時に日本人が受賞したオートファジーの問題からいくと、オートファジーというのは・・・。一番分かりやすい説明はですね、細胞の中で要らないタンパク質が出来るとそれを分解してしまう。そして又、再生するという事が我々の細胞の中では絶えず行われていて、普通に食事を食べている中では本来、体全体では200gのタンパク質が必要なのですが、我々の食事から採れるタンパク質は70gしか採れないらしいので、残りの約130gは自分で再生している。この再生が止まると自分達の体は病体に成って行く・・・。細胞の中で絶えず必要な物は再生されて行くのだけれども、再生されなくなると病気症状が起きるので、この最大の原因は、薬とか化学物質だという事ですから、私達の体を健康維持して行く為にはそういう物を体に入れない様にさえすれば、健康を維持出来るのということが理解できます。

今回の受賞の最大の要因は、それを創薬に変えてですね、薬を創り出して世の中に貢献したので、受賞の対象になっている訳ですね。しかし、元々の発見はですね、我々の体の中にはどのような緻密な再生能力があるのか、あるいは御飯を食べただけでですね、肝臓に栄養分が行って肝臓で様々な必要な物質を創り出して、体全体に送って我々の体を維持して行く事を確認出来たという事が、一番大事な事なので、それを創薬の方向に動いてしまうのは、現在、経済至上主義で世の中が動いてしまう事の最大の原因です。ノーベル賞を受賞した時には、その事を・・・。ノーベル賞を選んだその財団がそこまで言えば評価を与えられる訳なのですけれども、其処までは未だ人類は行けてないというのが、メシヤ様の説かれた所迄、まぁ、説かれた所の実証は出来始めているけれど、メシヤ様の思想迄人類全体に行くという所まで未だ行けてないというのが、今回の受賞の姿を見て実際に感じる所であります。

 

「官僚主導による学問の弊害」と「考えるということ」について

こういう所からするとですね、まあ○○家の孫もえらく熱が出て引きつけを起こしたらしいけれど、引きつけを起こしたら怖い・・・。しかし、私も子供の時、生まれて4年間1週間に1回以上引きつけを起こして、その都度、病院に親が担ぎ込み、腕とかに注射が出来ないので解熱剤をお尻に打って私のお尻は見せられないけど、注射の痕がボコボコ付いている。その4年間注射を受けた為、腎臓が働かなくなって、そうしてオシッコが出なくなって、まぁ、今の病名でいくとネフローゼになってしまいました。当時まだ透析器が無かったので「之は家に連れて帰って家族に見守られて死なせてやりなさい。この子の一生はこれで良かった。」と言うことで医者から言われ連れて帰った所へ、母親の叔母に当たる人が「おひかり」を頂いたばっかりで、「じゃぁ、家へ連れておいで。」と言って、浄霊を頂くとオシッコが出て、浄霊を頂かないと出ない・・・。そうして定期的に行くようになってオシッコが出るようになって腎臓が大体回復して、そうして、今、酒をある程度飲んでも、腎臓と肝臓がちゃんと動いてくれているので、こうやって健康体になっているのですけれど、その1週間病院に行かなかったら「今度はかなり行かなかったね~。」というのが家族の話題だったのだけれど、それは何故其処まで熱が出やすいようになったのかというと、実は母親がその前に結核に掛かって2年間、結核を抑える為に薬をズーッと飲んで、薬漬けになっていて、その後妊娠したので私の体が薬漬けで出て来たという事ですね。まあ、○○家は薬という物は余り飲んでないと思うのだけれども、しかし、こういう事を知るまでは、色んな物を付けたりしていた? 顔に付けたり頭に付けたり、その中に化学物質が入っていなかったかというとそうでもない。

それから、旦那さんが筋肉を増強する為に、プロテインとかをついつい入れてしまう。実はプロテインを入れてしまうとどうなるかというと、本来食べ物の中から栄養素を小腸が吸収して、それを肝臓で製成し直して筋肉などに送って、筋肉を増強しているというのが本来の在り方なのだけれど、プロテインを入れてしまうと小腸が動かなくなってしまう危険性があります。小腸がそれを抽出しなくていい、というように認識してしまうので怠慢になってしまう。小腸が怠慢になってくると人間の体というのは、小腸の一番頭に頭脳が出来て、一番尻尾の所から足が出来てきている訳なのです。小腸が人間の一番原型になるわけなのです。まあ、ミミズが人間の一番原型だと考えていけば、7mある小腸がおかしくなると人間はおかしくなってくる。だから今のコマーシャルを見ているとサプリメントのコマーシャルの中に7mの小腸の中には数百兆個の菌がある・・・、と。この菌を有効な菌にする為にこのサプリメントを飲みましょう、と。こういう説明をすると、“へえそうなんか~”と。7mの中に数百兆個の菌が有るのかという事を聞くと、そのサプリメントが良いように思えて来ます。之は何故、良いように思えて来るか、というと・・・。

実は小学校から大学を出るまでに我々の教育の方針に、官僚が使いやすい人間を育てる教育方針が入っていて説明書を読んで理解出来、そのままやれる、之は官僚が使いやすい人間なので、まず説明書が理解できない人間は使えないので、その説明書を理解でき、そのままやれるような人間にするという、之が、教育のシステムの中に全部織り込まれている訳です。それで、科学的な説明を受けると“ああ、いいのだ”と思えるように頭の中で直ぐ反応するようになっています。

これをメシヤ様は『学毒』と仰っている。それは官僚主導の世の中を作ろうとしている学問方式に対する問題点がそこにあります。西洋の場合は、その通りじゃなくて、考えさせる、という教育をしているので教育方針が一定ではない。だから、物を考えていく人が西洋に行くとそういう事が出来る人間なので、日本人の場合は、学校であんまり勉強できない人の方が何か言われてもまともな反応が出来る場合がある。只それが良いという訳ではなく、やっぱり勉強は出来た方が良いので、出来た上で物事を正常に判断できる。ああいうコマーシャルが流れてきても、“ちょっと待てよ”と考えられるような人間にならなければいけないので、あれの言いなりになると人間、おかしな人間になってしまう。しかし、そのコマーシャル主導で今行われているので・・・。

 

情報を鵜吞みにしない

お菓子の場合は・・・、特に餅の場合は、今新しく品種改良している餅米で、餅をついても翌日も柔らかいままような餅米も開発されているのだけれども、殆どの餅米はそういうふうになってないので、餅をついて翌日柔らかいのは全部柔軟剤が入っている、ということになります。洗濯機に入れる柔軟剤をそのまま餅に入れている。恐ろしいことなのです。それは何故入れて良いとなっているかというと、1日の摂取量がどれ位までなら許容出来ます、という事を、厚生労働省の方で基準を作っているので、その基準以内だったら入れても良いですよ、と製薬会社が製菓会社に絨毯爆弾のように説明して回っている。そうすると「長持ちしますよ。」と説明して売って行っている。そうすると会社が買ってくれると決まったら定期的に出荷していけるので、製薬会社がずっと潰れない方式が出来上がっている。で、一番の問題は今国民健康保険がパンク状態になっているので、何とかして、薬を使う量を減らそうという所から、やっと抗生物質を今の何分の1にしようという方針がやっと出て来た所です。抗生物質は細菌にしか効かないのでウイルス性の、例えば風を引いた時に抗生物質入れても何の効果もないのだけれども、病院は当たり前の様に抗生物質を処方しているところもある。之は病院と雖も人の体を治すのでは無くて経済活動の一環としてやっているので、この世の中は全てさっきのノーベル賞と一緒で、経済至上主義で動いていてお金になる事を主流にしている。だから学校に行くのも、「ちゃんと勉強しないと良い所に就職出来ないよ。」「良い所に就職出来ないと給料の安い所に就職しないといけないよ。」「生活困るよ。」というふうな教え方をしてしまう、といったような事も合わせえて考えて行くと、自分たちの体に之は大丈夫と思って付けた物を今の両親がシャンプーの臭いと同じで体の中には随分色んな物が入っているので、その体から子供が生まれてくると化学物質の影響をある程度受けているという事を分かっておかないといけない。

そうすると、その化学物質を受けていても、幸いな事に皮膚から出たので、かなり出ているのだけれども・・・、一番根っこの所は、熱を出さないと出きらないので、その為に高熱を発する。だから、高熱を発した時には頭の一番中心を浄霊するのと腎臓を浄霊しておけば大丈夫なので、あまり慌てないで、浄霊をしてあげるという事を自分に言い聞かせていっていると、只単に解熱剤とかいうのを打ってしまうと腎臓に負担が掛かって来るので、そうするとオシッコが出にくいとか、きちんとした便が出なくなるとかいう事が・・・、腎臓に影響を与えるとそういう事が起きます。

自分の子供の将来を考えて行けば、やはり、その引きつけを起こしてくれた方が良いのだというくらいに考えて、まあそこまで実際、子供の顔色が変わってきたりするともう怖くてしょうがないのだけども、その時メシヤ様によくお祈りして、浄霊をして行くというふうに取り組んでいくと少しずつ少しずつ変わってきます。そうすると、さっきのオートファジーが、自分の体の中で活性化してくるので、きちんとした細胞の中で、必要な成分を作り出してくれるようになるので、又健康になって来るのだ、と。そういう事を、今回の事を通して腹に入れといてくれると、又対応の仕方が変わって来るのじゃないかな、と、でプロテインはもう辞めているかね?

 

受講者

未だ飲んでいます。

 

楳木代表

あれはね、辞めさせておかんと痺れが続いたままでしょう?この中で一番長いこと痺れている。あれはプロテインが原因している。人間が本来持っている能力がプロテインを使う事で下げられている。こうたくましい筋肉が出来ているけれども、ちょっと出来すぎだから、「それをやめると、痺れがなくなるようになるよ。」と言っていた、と言っておいて。そういう所で判断出来る。痺れというのはなんで痺れる?ここを曲げる事によって(膝)血流が止まるから先端に血液が行かなくなるから、それで痺れる訳でしょう。何故血液が行かなくなるかというと、プロテインのせいだから恐ろしい事なのだから、だって同じような体格をしていても、そう痺れはわりとすっと無くなってしまう。あんなに動けない痺れというのは無い。しかも、あんなに若くてだから・・・。それは、そういうのが影響している、というのをそろそろ気付き始めてもいいし、折角ああいう立派な学校行ったのだから、その学業は「大学院迄の学業を修めるくらいに勉強し続けないといけない、と思う。」という事を言っておいて。奥さんからね。もう俺は出来たのだ、と思うところから、実は人間は成長が止まってしまって下降線を辿って行くので、勉強はし続けないといけないのです。そういう意味では○○さんのご主人を見習ってオタクのように(笑い)、試験勉強に取り組んで行く、あの世界にそういう医療の世界に携わった以上は筋肉を鍛えるよりは頭を鍛えて知識をどんどん増やして行かないと、そうしないとけないので、まあ上手い事言って勉強させるようにして 話が随分○○家に集中しましたが・・・。

 

私達の洗練と世界メシヤ教復興事業と世界の宗教

まぁそういう事をしながら私達は絶えず清らかさを保っていかなければいけないのですけれども。私達が清らかさを保って行くと先程の神性が蘇って来ます。そして、魂が輝いて来ますので、輝いて来るとメシヤ教自体がですね、洗練されて来るので、世界救世(メシヤ)教復興事業というのはずっと進んで来ます。で、この進んで来るときにですね、地上天国祭の時に皆さんにお伝えした根本の中身というのは、メシヤ様が御昇天以後、世界救世(メシヤ)教が世界救世(きゅうせい)教になってから、かなりの離脱教団が出来て、そして皆さん方が○○○○会等の中で信仰を育てて来られた訳なのですが、その中で、やはりメシヤ様という御存在に対する思いが薄れて来ると初代会長の思いとか、次の会長の思いとかが色濃くなって来ます。そうすると、メシヤ様の御精神からずっと離れていくので、色んな問題が起きてきます。

だから、世界救世(メシヤ)教を復興しなければいけない、と私は思って、この約17年間取り組んで来たのですけれども、こうしてくる中で、どうしても私の心の中では、それぞれの宗教団体の理事長とか会長とか教主様とか、そういう方々に“何とか気付いてもらって、一緒に世界救世(メシヤ)教を復興する取り組みをしてもらいたい”という依頼心がありました。何とか分かってくれるのではないか、と。しかし、そう思っていたのですが、「ミクラタナの神様」からは『そういう事はもう不可能だ。』と、組織運営に偏ってしまっているので、その人達に頼ると言う事はもう不可能なのだから、『本腰を入れて自分自身で世界救世(メシヤ)教を復興するという取り組みを進めるように。』という、そういう御指示があった訳なのです。

で、本腰を入れると、信者さん方にそれが反映されて少しずつ高まってきているので、○○さんの発表もですね、今日で3回目ですが、洗練されて来ているのです。皆さん方も洗練されて来るので、洗練されて来ると世界救世(メシヤ)教復興事業というのが非常に動いてくるそうです。『世界の宗教も、同時に洗練されてくる。』というふうに言われていますので、じゃあ、洗練されるとどういう風になっていくかというとですね。

 

主神様と仏教・キリスト教の関係

先月の三重支部の遷座祭の話を帰ったら読んで頂きたいのですが、遷座祭の前に「これから色んな方々を前に、メシヤ様の教えを説明するときに、仏教の信者さん方にも説明して行かなくてはならないので仏教講座を受けよう。」ということで、夫婦で1週間仏教講座を勉強に行ったそうです。その中で色々私が報告を受けたのですが、一番印象に残っているのは、様々な仏教者の考え方があるけれども、仏教の場合、御本尊をお祈りする時にはですね。阿弥陀様にしても後ろに光背がありますよね。頭の後ろにこういう丸いのがありますよね。之を光背といいます。光の背中と書いて光背と言います。仏像をしっかりお祈りするのだけども、仏教の場合、仏像を祈っているのではなく、その光背を祈っているというのが本来の仏教の考え方だという話をそこから報告してくれました。そうすると、ここ(額)にチョンが入るので、ずっと仏教の祈りを突き詰めて行くと、この主神様の御文字が浮かびあがってくるということなので、仏教も洗練されて行けばお釈迦様に誰が教えを垂れたのか、その教えの背景には何があるか、というと、主神様という事に気付くように段々なってきます。その為には我々が高まって行かないと全ての宗教の洗練さは出来ないということなのです。

キリスト教もですね、皆さんキリスト教の教会に行った時にですね。“おかしいなぁ”と思うことがあると思うのですが、それは十字架にはイエスのここにですね、杭を打ち込んであります。で、磔にされているのです。それから両足首にも杭を打ち込んで、それがあの十字架の姿です。普通そんな姿を見た時には、直ぐ取り外して杭を抜いて上げるのが普通の人間が行う事ですよね。しかし、その十字架を祈る信仰形態です。イエス・キリストが天の父にお祈りをするということから・・・。その経緯はですね。『文明の創造』の中の『基督教と善悪』という最後の御論文に経緯は書いてありますので、それに基づいて見ていただくと実は人間が錯覚をさせられているということですね。(中略)ですから、キリスト教は熱心になればなるほど人間というのは万能の生き物だ・・・と。本日の御教えの中にありますように、物質的には弥勒世界になってきているので、こういう物(ICレコーダー)も非常にこんなコンパクトにですね。何十時間という録音が出来るような装置が出来てきておりますし、この中で携帯電話を持ってない人はいないくらい、居ながらにして誰とでもどこの国の人とも話せる時代を迎えている通り、弥勒の世になっているのですけども、そういう風にキリスト教を主体にして発展してきている。

しかし、一方ではトランプ氏が言っているように戦争を起こしているし、アメリカは世界の警察に成り続けて来たけれども、トランプはもうそろそろ世界の警察は辞めたい、という事を大統領選で言い始めています。やはり戦争をしないと軍需産業が成り立たないので、何やかんや戦争を仕掛けてですね。戦争をずっとし続けるという世界もキリスト教が作り上げてしまっているのです。ですから良い方に動いていた時には物質的な弥勒の世をつくっているけれど、悪い方にすると戦争の世の中、限りなく戦争をし続けるというような世の中になってきているのです。これが本来ですね。天の父をお祈りしたのだ、という事に気付けば、天の父とは一体何かというと、主神様という事に気づき始めますので、キリスト教の世界も洗練されると主神様に気付き始めるという事になっていきます。

 

イスラム教の問題

そして今、イスラム国と言われている問題が非常に大きいのですが、イスラム教はこのキリスト教の中で磔になった十字架をお祈りする事がおかしいということから、偶像崇拝をしてはいけない、という事はそこから来ているのです。そして、今、原理主義化した者は仏教遺跡を壊し始めているのですけども、本来はあのイエス・キリストが磔になった偶像を祈る事がおかしいという所から、本来の宗教形態ではないという事にマホメットが気付いて、そして1400年前にお祈りをする中で、天の父はアラーの神として出てきたわけです。アラーの神として出て来たので、本来一神教なのですけれどイスラム教の世界を見ていくと部族宗教なのです。部族長の言いなりになって、それぞれの部族がまとまっている。そこにイスラム教があるので・・・。イスラム教はですね、キリスト教と反対で人間は強い存在ではないというところから戒律が生まれて来ているので、女性の場合は目だけしか出してはいけないのが基本的な服装であります。それは何故かというと女性のうなじとか色っぽい所が出ると男性が狂う場合があるので、襲いたくなるとか起きて乱暴をしでかす。今それがある大学で問題になっている集団暴行とかいう事が、そういう問題があるので、男はそういう魅力的な女性に弱い存在であるので、女性自身がそういう魅力的な所を隠さなくてはいけない、という事であの戒律が生まれてきているのです。ところが、今、これだけ国際的に交流が行われてきたので、イスラム教の女性達も何とか世界の人と同じような服装を取り戻そうという事で運動をしております。しかし、この運動は実はイスラム教の教義に基づいていくとおかしな事になりはしないかということです。それはどういう事かというと、男性が弱いので女性は自分の身を覆っておきなさい、というのがアラーの神の御啓示なので、男性が強くなれば良い訳です。どのような魅力的な女性を見ても、合意が成り立たない限り絶対手は出さない、乱暴は働かない、というように、男性の教育をし直せば女性は自由にあの服装を脱ぎ捨てる事が出来る訳なのです。アラーの神の精神に基づいて実践して行こうとすれば、男性教育こそ不可欠だという結論を出していけば、女性はもっと自由になって行くのです。まぁ、ちょっと日本は自由すぎて、くびれを取り戻そうとか言ってね。(笑い)かなり結構なお年寄りの人もクビレを元に戻そうとしているのですが、それをコマーシャルとして夜通し流しているのです。BSをつけるとずっとそんなコマーシャルばっかり。そんなに見せたいのかというような世の中に日本はなっていますけれど、イスラム世界はまだそういう途上にあります。

しかし、このイスラムの世界もアラーの神の教えとは一体何か、という事を突き詰めて行くと、天の父から出て来た存在であると、天の父とは主神様だ、という事に気付いていきますので、我々の取り組みが洗練されて行くと、その感化によって世界の宗教がそのように洗練されて行くと、みんな、主神様にたどり着いて行く。そして、主神様にたどり着くとメシヤ様の御存在が分かって来るので、このメシヤ様こそ、宇宙の主神様の地球を救おうという御存在がメシヤ様である、と。そして、しかもメシヤ様の事を認識すると絶大な奇蹟が現れる、という裏付けですね。ことごとく物事が良い方向に動いていきますので、どうか○○さんを中心にして、一層覚りの世界を歩んで頂ければ大変有難いと思います。

 

○○Aの変化

今、あまり皆様方とは関わりがないのですが、○○Aの世界でもおおきな変化が一方では統合医療の中で○○Aが認識されている、という動きと実際には浄霊力がどんどん弱くなっているという事が起きているのですが、その為に○○県に小さいメシヤ教の集会所があるのですが、その人は元々○○Aに所属していたのです。1年くらいメシヤ教に入って経っているのですが、元々の○○Aの人達が「集会に来てよ。」と誘いが来るようになったので、「私は行ってもいいけど、私はお光をかけていませんよ。お光なしで御浄霊をしているけれども、それでもよければ行きますよ。」と言ったら「良いです。」と言われ、そこへ行って御浄霊して上げたら、「物凄く楽になった。」と、「御浄霊で初めて楽になった。」という様な反応が○○Aの中で出ているので、其処の中心者が「今月もう一回来てくれ。」と言って来て、「悪い人ほど○○さんに御浄霊を頂きなさい。」と割り振って、御浄霊したら良くなって行っているので「お宅達のメシヤ教は何か凄いね。」という事で、今月の下旬に集会所に中心者が来て「御神体に御参拝させて貰いたい。」と、「少し詳しい話を聞かせて貰いたい。」と、いう事も出てきているので、思わぬ形の物がこれから出てきます。

どうか皆様方も一層高まりながら・・・、こちらが手を出さなくてもそういう事に気付いた人から繋がって来ますので、繋がって来たら懇切丁寧にメシヤ様の事を説明して上げて下さい。

「メシヤ様は昭和29年の4月に御浄化に入られて、お守りを御揮毫されなくなった時点で、『本当はもうお守りは要らない。』とおっしゃったのだ、と。その頃はお守りと言っていましたけれど、お守りは要らないのだ、と。その人の名前と職業と年齢をわし(メシヤ様)に報告すれば御浄霊力は直ぐ授かる、と言うふうに昭和29年にお話されているので、それを私達は実行しているのです。」

というように説明をして、「よく皆さん方もその事に気付きましたね。」と相手を讃えつつ、丁寧に説明して上げて頂きたいと、

 

『夜の時代』の癖と動物霊

とは言え、『夜の時代』の癖をお互い持っているので、何回言っても分からない場合、その時、決して怒らない。○○さんも割と優しい顔をしていて、腹を立てるのでね。イライラしてくる。このイライラしてくる時には、イライラは動物霊、副守護霊が腹を立てているのだ、と思って自分の発光体を更に輝かせて、その副守護霊が顔を出して来ないように、お互いに、そういう事に取り組みながら家庭生活も、それから、そういうお互いの取り組みも進めて行くようにして頂ければ大勢の方々がメシヤ様に繋がってくるのではないのかな、と思います。

で、『夜の時代』の癖というものは相手もあるし、自分達もあるので、之を少しずつ取れるような生活をさせて頂けると、皆が幸せになって行くのではないかな、と言うふうに思います。だから、○○さんも以前繋がって来た人達にも根気よく話をして上げながら、御浄霊を一度でも頂いた人は「御浄霊は心掛けて下さい。」という事を皆に話し続けて言って貰いたい、と。時には「私にも御浄霊してよ。」という言い方をして、御浄霊を実践出来るように持っていってあげれば有難いので、そういうふうに心掛けて下さい。話さないといけない事が沢山あって早口になりましたが、最後に確認したい事があれば・・・

 

支部長代理

キリスト教ですけども、カトリックとプロテスタントに分かれていますけども、カトリックの方が十字架のイエスキリストの磔でプロテスタントは十字架だけなのですよね。その違いというのは?そういう事に気付いたから古い体質から新しい体質になった人たちがより主神様に近づいているということでしょうか?

 

楳木代表

そういう事。そういう人達には「より本来天の父でしょう?」という事を中心にして。私達は主神様、日本人なので主神様とお呼び申し上げているのだ、と。そういう風な会話が続けられていくと非常に良いのじゃないか、と。そして、「イエス・キリストが御浄霊をした。」と言うのを皆知らないから。浄霊をして奇蹟が出た。その御浄霊と同じような事が「私達は出来るようになっているのです。」という話が相手に通じれば、「別にメシヤ教に入会しなくてもいいから、キリスト教の信者として御浄霊をしていきなさい。」と。それは入ろうが入るまいが、それはメシヤ様に繋がるようにお世話していけばいいので・・・。で、あれだけ「御守護頂いたのにあの人遂に入会しなかったわね。」(笑い)という様な事は思わないように。「全てメシヤ様に繋がったから奇蹟を頂いたのだから、今後もキリスト教の中に居ても良いので、メシヤ様との繋がりを太めて下さい。」と。そういう会話をずっと重ねていき、皆をメシヤ様に繋げるような・・・。組織は超えて良いので、「どうしてもメシヤ教でやりたい。」という人は入って来てもらえば良いのでね。「私はキリスト教の方が好きなんで・・・。」と言えば、キリスト教の中でメシヤ様との霊線を太めて頂ければ良いので、「一層奇蹟を頂いて下さい。」と、そういう風な会話をしていきながらお世話をして行って頂きたいと思います。

 

支部長代理

『夜の時代』の癖が抜けきれなくて、○○○○会でも入会された方は許しがあって、入会されない方は許しが無いとか、駄目なんだという感じが抜けきらなかったのですが、そのように伝えて行きます。

 

楳木代表

だから、もうそういう時代ではないのだ、と。今度10月26日にですね。札幌の定山渓の方でメシヤ様御描画の伊都能売観音様入仏記念大祭を執り行うので、その時の原稿を整理しているのですが、メシヤ様はですね。昭和25年の6月15日光の玉に「ミクラタナの神様」が御宿りになって、それ以後光の玉はずっと広がって大きくなって、28年9月23日の御言葉の中で『もう今は日光殿くらいまで大きくなっている。』と仰っておられます。私も、地上天国祭後に初めてお言葉に触れたのですが、『それが、今地球大に拡大しておられる。』ということです。光が・・・。

だから、何々宗とか何々派とか関係なしにメシヤ様の御神格を認識して、御存在に近づこうとする想念が大事。そういうふうに皆をお世話して行って貰いたい。でメシヤ教で御用したい人だけメシヤ教に入って貰えば良いので、ややこしい人が入って来るとかき回してくる事があるので、ここで「あなたの性格はそっちでやっていた方が良いよ。」と言いながら、しかし、心はメシヤ様に想念は向けるようにお世話して行って上げるようにすれば一層良いのじゃないか、と思います。そういう事でお願いをさせて頂いて皆さんがより一層輝く存在になるようにお祈りさせて終わりたいと思います。

最後に10月は神無月と呼びます。神様がない月と書きます。で、之は何故神様が居ない月と書くかというと三千年前に朝鮮半島から押し寄せて来た素戔嗚尊を中心にした出雲系の神様が10月になると出雲に集まって、そして故郷の朝鮮半島に帰っている時なので、その神様が居ない月を神無月といいます。ですから、この10月は今日の話のようなことを自分の出来るところから取り組ませて頂こうと考えて、実行に移せば、その事が飛躍的に進む月ですので、大事にしてお過ごし頂ければ有難いと思います。最後にそのことをお願いして、終わらせて頂きたいと思います。有難うございました。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『最後の審判』 文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』42ページに記載されています。

「『最後の審判』文明の創造」は平成28年11月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.188 広島支部 2016(平成28)年10月16日]