メシヤ講座no.186岡山(平成28年8月)

 

<今月の学び>

「『本教の誕生』世界救世(メシヤ)教早わかり」

本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』19ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

「『本教の誕生』世界救世(メシヤ)教早わかり」を拝読して

楳木代表

今月から、月によっては長文の御論文になりますので、拝読を担ってくださる方は一仕事ですけれども、一緒に学びを深めてまいりたいと思います。それでは先月もお願いしましたように、最初に支部長の方から“覚り”の部分を(笑い)・・・覚ったことを皆さん方にお話していただきたいというふうに思います。

 

支部長

覚りの部分と言われますとちょっと心苦しいんですけれども、この御教えを学ばせていただいての感想と言いますか、そういうところで話をさせていただければなぁと思います。

まずこの御教えでは、「本教誕生の理由」ということで、非常にそれをメシヤ様が具体的に時代背景を述べながら、説明して下さっておりますけれども、その中でも23ページ後ろから2行目のところにある、『今迄の過誤を認識して再出発する事である。』というふうに人類の事を言われてますけれども、我々にこのことを置き換えてみた時に、大きくは生まれ変わり死に変わりしてくる中での『夜の時代』に身に付いたものであるとか、又以前の教団での間違った信仰のあり方であるとか、ということを改めてですね、御教えに照らして、そして『精神に偏らず物質にも偏らない両々一致した中正的新しい文化形態』と次に書かれていますけれども、「いづのめ思想」というものを身に付けていくようにしていくということが大事だということとですね、次のページ、24ページからですね、「現在という時の認識」ということと、「神、主神ということの認識」を通して自分達自身のですね、「精神革命」が今一番、実は大切なんだと、求められているんだということをメシヤ様がはっきり我々に示して下さっているかなと・・・。

ここで「精神革命」というふうにメシヤ様が言われているところが非常に大事な部分ではないかなと・・・と言いますのは、昭和11年に『観音運動とは何か』という中でメシヤ様は、宗教というものについては、「宗教の是正」と、それから医学に対してはという表現でお述べになっていますけれども、ここではメシヤ様は「改革」とかという言葉を通り越して、精神の革命なんだということを、信者というか、読む我々に求めているんではないかなぁと思います。

それで、「是正」ということになってくると、悪い部分を直していくとか、「革正」ということになってくると、改めて正すことをしていくんだというふうなことになっていきますけれども、やはり「革命」ということになってくると、今迄の自分達の考え方であるとか、それから常識的な物の見方であるとか、そういうことを根本的に改めて、ひっくり返していかないと自分自身の精神というものは治っていかないんだということを、ここでメシヤ様がお説き下さっているのではないかなぁと・・・。

そして、そのことが次のページの、26ページになりますけれども、『私という者』ということで、主神様はメシヤ様を選んで真理を、今まで閉ざされていた真理を開示して下さったのだと・・・だから、そのことを通して、そしてそれを学んで我々は「精神革命」をしつつ、また「精神革命」ができるようにですね、自分自身の魂を根底から目覚めさせていくんだと・・・。

そのことが実はこの『最後の審判』に残る魂になるかならないかというところに、実は立ち還っていくんだということを次のページで述べて頂いて、最終的には最後のページ、29ページになりますけれども、「本教誕生の理由」として、最後の3行、4行ですね・・・可能な限りの人間を地上天国に住する資格のある人間として、そういった人間を作っていくと・・・そのために、「メシヤ教」というものが生まれているんだと。

だからメシヤ様の、29ページの前から5行目ですね、『本教の教によれば・・・』というところが、メシヤ様の御教えを通して、その「精神革命」をコツコツと積み上げていくことによって、実は『有徳者となる』と書かれていますけれども、そのことが最終的には地上天国に残る魂を一人でも多く作っていくということになっていくんだと、そしてその集団が出来ていくことで地上天国が出来るんだということで、証しとしては浄霊ですけれども、やはり御教えを徹底する、拝読するということと共に、実践をしていく。そして『夜の時代』の癖を取っていくということをですね、この御教えを通して求められているのではないかなぁというふうに思います。そういう簡単なところで・・・。

 

楳木代表

はい、ありがとうございます。続いては○○さん。出張所長・・・。(笑い)

 

出張所長

全部言い尽くされました。

 

楳木代表

右に同じと・・・。

 

出張所長

はい、(笑い)

 

楳木代表

敢えて、一言、付け加えるならば・・・というのは・・・。

 

出張所長

私は支部長のように理路整然とは無理なんでございまして、ひたすら自分が生きてきた人生の中で培わせていただいた「病貧争」から抜けることの苦しさを味わう中で「精神革命こそが喫緊事」だと、常に言ってきました。導いた人とか専従していた人が会う度に私のことを・・・。

いつも「精神革命こそ喫緊事よ」と、いつも言っていたと・・・言われるんですけれども。

「精神革命」と簡単に言われても、とんでもない『夜の時代』の癖がイヤというほど魂にこびりついているんで、それが一つずつ剥がれるための浄化、苦痛・・・これはもう死に物狂いでした、私はですよ。

それくらい何千年も『夜の時代』を生きてきて、今やっと霊界が『夜昼転換』のお許しをいただいて、メシヤ様に直結を許されることで、自然体であまり苦痛を感じないで何かこう浄化されながら、気がついたら素晴らしい世界を見せていただく時を許されたんじゃないかなと思うんです。

で、先月の代表のお話の中でね、代表ご自身がご浄化の中で色々と考えられないことが起きて、私はとても嬉しかったんです。この時を迎えて、“我がメシヤ教こそは”とメシヤ様が仰っておられる。でも天界におられる、やっぱり私達人間を使うしかない。その中で選ばれた人として今本当に最後の時を迎えた代表先生を含め、ここにいる私達信者達がいかに今後、御教えに適い御神業にお使いいただけるのかなと、それこそは精神革命を伴い、絶対そのことがなかったら前に進めないし、お使いいただけないと思うんです。とっても厳しい時を迎えているなとつくづくと感じております。ここに書かれておりますことは、なるほどと、それなりに分らせていただいております。

 

何故『夜の時代』になってしまったのか

楳木代表

ありがとうございました。その他に皆さん方の中で、これだけは伝えたいということがあったらお伝え下さい。まぁ、少しずつ慣れていって下さい、この勉強会の形式に・・・。

それで、この1ヶ月間の間に、気付いた事とか覚った事を話せるような、そういうお互いにならせていただきたいというふうに思います。

それでは私の纏めに入らせていただきますけれども、今ですね、「メシヤ講座」はですね、昔は「メシヤ講座・特選集」というのを、1ヶ月間の「メシヤ講座」を纏めてずうっとやってきましたけれども・・・今ですね、各支部の「メシヤ講座」を全部、メシヤ教のホームページの中でアップしております。

何故こういう風な形になってしまったのかなぁ・・・と、私も、自分でやりつつ不思議な感じがあったのですけれども、実は皆さん方とこうしてですね、一つの御論文を通して、何をお互いに覚らせていただいたかというのを話し合いをしていく中で、各支部、非常に特徴がありますし、それから前に所属していた教団との関係とかがありますので、実に支部毎にですね、今月はですね、もう事前に、中々覚りというのを皆さん方に報告することは難しいので、「自分の感じたことを読んでみて下さい」と事前にメールを送ってくる責任者もいらっしゃいます。様々な形で皆さん、懸命に取り組んでいるという事がよく分るのです。それを各支部がアップしたメシヤ講座を順に読んでいくと、私自身の中に起きてくるですね、覚りもその中ににじみ出ていくので、そうしたものを皆に目を通していただいて、共に感ずるところとか、或いは魂に響くこととか、それに触発されて、又自分の中で込み上げてくるものとか、そういうものを得ていく、そういう機会にしていただければありがたいと思います。

取り分け先月はですね、出雲支部の月次祭の時に、ご参拝をさせていただいている時にですね、この世界が何故『夜の時代』になったのかということを、真剣に求めてお祈りをさせていただいておりました。しかし、そのきっかけを作ったのは素盞嗚尊でありますので、何故素盞嗚尊が行なったことで『夜の時代』になってしまったのかということを考えている時に、出雲支部はですね、10月のことを・・・日本全体では10月はですね、神無(カンナ)月ですね、神様がいない月ですけれども、出雲地方だけは、神有(カミアリ)月なんですよね。10月の事を神有(カミアリ)月と呼びます。それは何故かというと、出雲系の神々がですね、日本全国から出雲に集合して、そしてあの岬からですね、朝鮮半島の方へ里帰りする月が10月になっておりますから、日本全体からすると出雲系の神様がいなくなりますので神無(カンナ)月になりますけれども、出雲地方だけは全国の出雲系の神様が集まってくるので神有(カミアリ)月というふうに、昔から呼んでいる訳ですね。そして、そこから朝鮮半島に1ヶ月間里帰りをしてくるのですね。

だから、実は御神業もですね、岩戸開きの御神業というのは10月が一番進展します。「世界救世(きゅうせい)教」が浄化をして大きく教団分裂を起こした時にもですね、この教団を何とかしないといけないという、そういう取り組みで立ち上がったのが実は今の「主之光教団」の前身の「教団護持委員会」、二回目の「教団護持委員会」ですけれども・・・この二回目の「教団護持委員会」を作り上げたのも10月でした。

そして、この「教団護持委員会」が出来たことによって、辛うじて「世界救世(きゅうせい)教」はですね、御神業が何とか担い続けることが出来るところまで、神界からは一応許可を得てずうっと進んでおります。そうしなければですね、あれだけとんでもないことをやった教団に神界からのですね、力が頂けるわけがないので、それを何とか「教団護持委員会」の取り組みでですね、踏み止まった訳なのです。内外の評価も辛うじて常識的なところで留まったのです。それが「主之光教団」になった時点で「教団護持委員会」の精神が全く薄れてしまったので、それで「世界救世(きゅうせい)教」は益々酷い状態になって、皆さん方がご承知の通りのような現状を迎えております。

これでは地上天国は出来ないので、何とかメシヤ様の御心に適う、そういう御神業を進めていこうということで、私も発心して立ち上がった訳なのです。こうして皆さん方、大勢の方にご尽力いただいて、今御神業をですね、大きく進めさせていただいております。

そのことを踏まえてもう一度ですね、出雲支部でお祈りをさせていただいた時にですね、込み上げてきたものは何かと言うと・・・。

素盞嗚尊がですね、中国の瓊々杵尊を引き連れて山口県の萩へ上陸をしてですね、そして素盞嗚尊だけが東に向かって行って伊都能売神皇様に「皇位を譲れ」というふうに迫りました。しかし、伊都能売神皇様は皇位を「譲ることは出来ない」というふうにお断りしたところ、皇位を譲らなければ「日本人を毎日何人ずつ殺していく」というふうに、そういう脅迫を持ってまた迫りましたので、伊都能売神皇様は日本人をこれ以上犠牲にすることは出来ないので、急遽天照天皇にですね、皇位を譲って、そしてインドに降って行かれました。

そして、その後、インドでお釈迦様にですね、日本の徳によって治める教えを説いてあげて、仏教の源を作られた訳なのですが、その時ですね、伊都能売神皇様から天照天皇に皇位を譲った証しが御頸珠であるという事であります。その御頸珠にお懸りになっていた神様が「ミクラタナの神様」であられたということです。その、伊都能売神皇様から天照天皇に皇位を譲った段階では、「ミクラタナの神様」はまだそこにお宿りになられていたのですけれども、素盞嗚尊が天照天皇にまた「皇位を譲れ」というふうに迫り、迫ってもまた天照天皇は武力によって迫ってくる者に「皇位を譲ることは出来ない」というふうにお断りしたので、毒殺をされまして、崩御されました。

で、崩御されたので、その御頸珠を奪った訳なのですけれども、その御頸珠を奪った瞬間に「ミクラタナの神様」は御本体の主神様へスーッとお戻りになったために、それで『夜の時代』を迎えてしまったというふうに、そういうことが真の理由であろうと私が覚って・・・それは「ミクラタナの神様」からすると、人間側からするとそれは正しい考え方だと、そういう経緯があったのだ、と。

しかし、神界からすると実は『夜の時代』を迎えるために、「ミクラタナの神」という御存在を少し、主神様の元へ少し引き上げる形で薄まってきたのでバランスが崩れて、バランスが崩れたために素盞嗚尊が謀反を起こし始めたのだ、と・・・。だから神界からするとそういう働きをしたけれども、現界では素盞嗚尊はそういう行いをしてしまったということになるのだということを後で教えて頂きました。

 

二代様は、メシヤ様を鍛えるために・・・

楳木代表

それに加えてですね、古い方はご存知かと思いますけれども、二代様が出雲大社にお参りした時に、二代様に懸っていた素盞嗚尊がすうっと出雲大社に入って行ったのを霊視した、当時の信者さんや専従者の方々が大勢いらしたというのは聞いたことがあると思うのですけれども・・・。

それもですね、二代様を使って、最初はですね、メシヤ様が観音様の力からスタートしておりまして、最終的に御神格がメシヤ様に御出世遊ばされるための、その御神業をですね、人間の言葉でいけばですね、メシヤ様を鍛えるために二代様を付けたということであります。

そして、二代様によって徹底的に御神業を邪魔させて、そしてメシヤ様を洗練していったのだというのが、神界から二代様を夫婦として付けた最大の理由だということを教えて頂きました。だから、二代様の間違いというのは指摘していかないといけないのだけれども、しかし二代様も使われた身なので、『敬意を持って、そして批判するように』という、そういう御指示でありました。

皆さん方もですね、振り返ってみるとメシヤ様と繋がった中で、様々ですね、家庭や地域や、様々なところで、ご苦労がお有りになったと思います。しかし、それは、全て皆さん方の信仰を謂わば鍛えるために、信仰をさらに高めるために全てのことが起きているのだというふうに受け止めていって、そして相手に恨み言を言いたいこともあるでしょうけれども、恨み言は言わずにですね、神様から選ばれて自分を鍛えるために、私の側にこうやって寄り添ってくれた人なのだから、敬意を持って、しかし間違いは間違いとしてきちんと伝える・・・と。そして、共々に御神業に身を捧げさせていただきましょうというような会話をですね、出来るように、皆さん方の魂、或いは想念界が高まっていただけるように、この場を借りてですね、お願いをさせていただきたいというふうに思います。

振り返えると、涙がぼろぼろ流れることもお有りかと思いますけれども、それも全て神界からですね、皆さん方がこの時期に、先月からの学びが自分達の中でずうっと実を結んでいくために、過去苦労させられたのだというふうに受け止めさせていただいてですね、神様の深い深い御神慮があって、今私達は人生を歩ませていただいているのだ、というふうに受け止めていただければ大変ありがたいというふうに思います。

ですから、人間的に考えると、もうどうにもならないところが実はあるのですけれども、そうしたことをメシヤ様の御教えによって、自分の中で整理をさせていただきながらですね、御神業を担わせていただけるような一人一人にならせていただきたいというふうに思います。

 

天の数歌に沿って進む御神業

楳木代表

それからもう一つはですね、実はこのメシヤ教を、「世界救世(メシヤ)教」復興事業というものを貫徹させるために・・・天の数歌というのはこの世の中が出来ていく数字のですね、意味がありますけれども・・・まず一(ヒト)、二(フタ)、三(ミイ)、四(ヨー)のですね、一(ヒト)というのはこれはメシヤ様が肉体を持って神様が神界から降りて下さって、メシヤ様の身を以てですね、御神業というものが、その当時の霊性の人間が分かるように身を以て教えた時代だと・・・。

そして、それが二(フタ)に移った時に、一旦メシヤ様の所にお集まりになった先達がばらばらにさせられて分裂をする状態にさせられたのだ、と。そしてその役を担ったのが二代様と当時の役員達なのだ、と。だから今冷静に見つめると間違った事をやっているというのが分るのだけれども、しかしこれも全て、その人達がその時代に、メシヤ様の御神業をしっかり担わせていただきたいと思って精一杯やったことなので、『どこまでも敬意と感謝で見つめて、その上で冷静なる批判的な精神をお互いに持つように』と・・・その根底には尊敬と感謝というものがあった上で批判をしていかなければ、自分達も道を誤ってしまうので、まずそういう姿勢でいてもらいたい、と。

そして、三(ミイ)の時にですね、これを一旦ばらばらにしたのを纏めて行くというのが、これが世界救世(メシヤ)教を復興するということなんだと。しかも、この世界救世(メシヤ)教を復興するという時には組織は使わないんだと・・・ですから教主様とか、理事長とか、会長とか、そういう立場の者は使わないと。真にメシヤ様を求めて、そして御教えを拝読をして、そして御教えを身に付けていった者達の中で、気付いた者達を使って、その集まりが世界救世(メシヤ)教になるのだ、と。

ですから、そこで組織だとかいうものは、本当の意味では関係なくなるのだけれども、世界を救済する時点では世界救世(メシヤ)教がないといけないので、世界救世(メシヤ)教として取り組みを進めていくようになるので、どうかそのメンバーになるように、皆さん方にしっかり学びをしてもらいたいということであります。

で、私が気付いたこととかを話していくと、皆の魂の中に奮い立つものが起きたり、或いは魂と魂が震えるという状態が起きるので、これを共振と呼ぶのだ、ということであります。魂の共振と呼ぶので、その共振を起こす機会を色んな場所で設けていくように、ということでありました。これから一層、感じていることとか、思っていることとか、或いは疑問でも結構ですので、お互いにですね、フランクに話し合いをしながら、そして御神業を担う、そういうものを一緒にですね、培っていただければ大変ありがたいと思います。

それから、私自身は絶えずですね、ちょっとでも、この中でこの御神業を担うことに於いてですね、ちょっとでも疑問を持ったりするとですね、たちどころに注意が飛んできます。(笑い)これはもうどうにもならないと思うくらい嫌なものですよ。例えばさっきのですね、御教えにありますね、天の数歌の説明が・・・これは間違いがないようにちょっと話しておこうと思ってですね、印刷してきたんですけれども(原稿を探すも場所が見つからない)・・・。

 

【『御光話録(昭和23923日)』より引用】

お伺い  天数歌の言葉の意義について御教示をお願い申し上げます 。

 

御垂示 これは天地ができたときの順序で、だいたい七が完成で、七は「ナリ」「ナル」です。殖えて発展することが八です。

一は独一神であり、それが陰陽に別れる(二)、そこへ子が生まれ(三)、そして四方へ発展し(四)、火が燃え(五)、水ができ(六)、それで完成(七)です。キリスト教は七でできたから日曜を安息としています。九は「つくし」と言って極点であり、いまは九の世の中です。十で結び、十一で始まる。

天の数歌は天地創造の順序を数で表わしたもので、これを唱えれば 霊界で順序・・・活動力となる。つまり神の力徳が順序の言霊で力を発揮するのです。気持ちよくゆっくり上げ たらよい。

 

楳木代表

まあ御教えを思い出していただくといいと思うのですけれども、一というのは、独一真神様御一方ですね、それが二ということになると陰陽に分かれるというふうにメシヤ様は御解説されておられます。

で、そういうものは、人間的に考えていくと、果たして論理的と言えるのかということを、私がふっと思った瞬間に、『何で論理的でないんだ!』と御指摘されます。そういうことの遣り取りをしていく時に、実は私は、浄霊というのは神科学だというふうに、浄化作用とかですね、浄霊の原理は神科学だというふうに御教えには書かれておりますけれども、実はこの神科学というものの実態は一体何かということが少しずつ今、分かりかけております。

それが天の数歌の原理であるとか、それから言霊については以前かなりお話をさせていただきましたが、そういうものが実は、全体が全て神科学であるんだということが、少しずつ分かり始めてきたので・・・ですから、人間的に考えると中々分らないことなのだけれども、神様側からするとこういうものだということで、“そうなのか”というふうに受け止めていくしかないので、そういうふうに受け止めていく作業を何回も重ねさせていただきながらですね、進めさせていただかないといけないというふうに考えていた所、又次の話が来まして、実は神様が分からないということも二通りある、と・・・。

人間としてとことん考え抜いて、そして論理的に積み上げて、こういうものだろうというふうに積み上げた上で、尚且つ分からない。今の天の数歌のですね、この世が出来ていく数字というものがどのように作用しているのかというのが、やはり分らない。これが人間的には分かったことなのだ、と。しかし、大半の人間はそういう事を言うと分らないから、“ほっておけ”という感じで、そして今生活に追われていると・・・。

分からない振りをして、みんな分らないと言って自分の生活だけに没頭して生きている・・・それがですね、さっき支部長が皆さん方にお話したようにですね、『夜の時代』の癖を形成して、或いは人間の癖を形成して生きております。これは神様の言う事は分らないということだけで、全部そういうものを押し退けて人間の考え方だけでずうっと来たのが、この『夜の時代』の中で築いてきたものです。

そういう人間は本当に分からん奴等なのだけれど、この「分からん」と言って、そういうことをずうっと跳ね除けて生きてきた人間が、これからどうして生きるか・・・いよいよ神の時代が再来してくる時に、そういう人間達はどうして生きると言うんだ、というふうに投げかけられております。もう救いようがなくなってしまうかもしれない。だから、人間的にずうっと積み上げてきて、尚且つ、神様のことは分らないところがお有りになるというふうに、そういうふうに考えられる人間が、初めて人間らしい人間になったということなのだと、まあそういうことが、私と神様との遣り取りの中で分かってもらいたい、と。で、分かったことを分ったなりに皆に話して欲しい、と。話せば何となく皆の中に、湧いてくるものが起きるはずだ、ということでありますので、○○さん湧いてきましたか。

 

受講者

はい、湧いてきました、少し・・・。(笑い)

 

主神様とミクラタナの神様

楳木代表

まぁ、今月はですね、支部長、それから出張所長、お二人から学んだこと、覚ったことを報告していただいて、今まとめとしてこのような話をさせていただきましたので、今の話などでまだ3分ありますので、確認したいこととか質問などありましたら・・・。

 

受講者

一神で多神ということがありますけれども、主神様も一神で多神ということがあるのでしょうか。

 

楳木代表

実は主神様という御存在はですね、今日の御教えの中にもあるように中性、左も右もない、陰も陽もない、全く中性の御存在であるのです。その主神様から分かれた存在が、二になった時に分かれた存在が実は多神になっていくのだということです。だから主神様はどこまでも一神であられる訳です。そこから生まれた存在が多神ということです。そういうふうに受け止めていただければ・・・。

 

受講者

そういうことは、「ミクラタナの神様」がメシヤ様の腹中にお宿りになったということは・・・太陽の黒点のような神様なのかとも考えるんですけれども、「ミクラタナの神様」はどういうところから分かれられたのでしょうか・・・。

 

楳木代表

まあ、太陽を見て考えていくと、黒点が天照天皇と考えて、太陽全体が天照皇后というふうに考えると分りやすい、というふうに別の時に教えていただいたのです。これは御教えにはないですので、今回教えていただいたのです。

それから主神様が絶対的な霊で地球が体に当たると。で、その体の中に主神様の地球を思う、そういう思いが「ミクラタナの神様」として宿って、そして天国を建設されようとしているのだ、というふうに、理屈で言えばそういうふうに解釈していただければいいと思います。

だから「ミクラタナの神様」が王権のシンボルというのは、王権というのは徳によって治める、その王権なので、戦いによって治める王権のシンボルではないので、戦って座に着いたものにはこの「ミクラタナの神様」は御宿りにはならないし、形は授けても霊の籠った宝物というのは授けられないのだというふうに受け止めていただいて・・・だから、徳の象徴的な御存在だというふうに受け止めていったらいいと思います。我々が有徳者になるということは、そこへ一歩ずつ近づいていくという・・・私は「ミクラタナの神様」に“あいつ”と今呼ばれているんですよ。(笑い)『あいつはこの点がちょっとまだだ』とか、『この点は評価してもいい』とか、そういうふうに絶えず言われてきているので、神様が『あいつ』呼ばわりするのかなぁと(笑い)思うのですけれども、こればっかりはそうかなぁ、と・・・結構、親しみがあるなぁ(笑い)と思っているのです・・・。余りにも高く貴い御存在なのに、身近な御存在として感じられる神様だなぁというのは、そういう御表現の中から時々感じることです。内容は厳しいのですが、神様というのは非常に親しみのある御存在でもあるのだというふうに思わせていただいております。

それでは時間になりましたので直会の場で、「あの時は聞けなかったけれども、この点どうでしょうか」ということがあったら、その時にお聞きしていただければ、と思います。それではありがとうございました。

 

受講者一同

ありがとうございました。

 

<来月の御教え>

「『悪と守護霊』文明の創造」(昭和二十七年)

本文は『天国の福音書続篇(一)主神様とメシヤ様』30ページに記載されています。

「『悪と守護霊』文明の創造」は平成28年9月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.186 岡山支部 2016(平成28)年8月10日]