メシヤ講座no.184岡山(平成28年5月)

<今月の御教え>

『宗教について』

本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』47ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

宗教というものをもう一度考えていただきたい

楳木代表

この「入門と奥座敷」に沿って、今年になってからですね、『世界救世(メシヤ)教教義』、それから『開教の辞』、先月は御論文の『天地創造記』を拝読させていただきまして・・・、そして、拝読した上でもう一度ですね、私達は“何の為に宗教をやっているのか”ということを整理したいためにですね、この「宗教について」というものをここに載せております。

これは、宗教というものをもう一度考え直すところから「信仰の奥座敷」に入るということであります。奇蹟をいただいた・・・浄霊によって奇蹟をいただいた、それから支部や出張所に相談をして問題解決した、御守護いただいた・・・ここはどこまでも入口であります。

その入口から、人間の歴史の中でメシヤ様の御教えに基づいて考えると、一旦『夜の時代』になってですね、物質文明を発展させて、そして発展した後、精神文明を発展させて物心両面の相俟ったですね、理想世界を造るという時に、この宗教の役割というのは一体何かということが分かっておかないとですね、地上天国建設ということは中々進めることが出来ないので、ここでですね、メシヤ様の御教えを根底に置いて物事の考え方というものをここにですね、短い文ではありますけれども纏めさせて頂きました。

 

「自然宗教」と「創唱宗教」

楳木代表

この、纏めた上でですね、もう一度考えていくと、宗教とは一体何かということを考えた時には、宗教は大きくは二つに分かれます。「自然宗教」というものとそれから「創唱宗教」というふうに分かれていきます。

「自然宗教」というのはですね、自然に発生した宗教であります。それから「創唱宗教」というのは・・・、「そう」は創造の創と口篇に昌と書いたですね、唱えるという・・・この「創唱宗教」と二つに分かれていきます。「自然宗教」というのは、山の形が美しい、日本でいえばですね、富士山ですね。富士山には自然と手を合わせたくなります。それほど美しい完璧な形をした山でありますので、自然と手を合わせたくなります。そして手を合わせている内にどういう神様が宿っていらっしゃるか考えて、信仰というのがずうっと発生していきます。これが「自然宗教」の発生の仕方です。

「創唱宗教」の発生の仕方は教祖という人がいて、その教祖が神様から天啓を受けて、そして人類を救っていく方法とか人々が幸せになっていくということを皆さん方に教えていくために宗教を打ち立てていきます。これが「創唱宗教」というものになっていきますので・・・大きく分けると宗教というものはそういうふうに分類できるんだというふうに考えておいていただきたいと思います。

 

自然宗教から現在の文化形態に発展

楳木代表

そして分類した上でもう一度ですね、「自然宗教」というのを見つめていくと、「自然宗教」というのはそういう形で・・・取り分け日本の場合はですね、八百万の神々が様々な物に宿っているという、そういう考え方をしておりますので、より「自然宗教」というのは理解しやすい訳なのですけれども、ここに書かれている三内丸山遺跡について見た時にですね、ここではどういうことが営まれていたかというと、まず栗の栽培、それから鹿を狩猟して、それを食卓に並べていたのと、それから鯛をはじめとした海産物を漁獲して、そして生活を営んでおりました。この生活を営む上で大事なのは、陸上ではですね、人間が歩いて行って明るい内に歩いて行って帰って来ないことにはいけない訳ですので、何処まで行ったらいいのかということと、何処から先には行ってはいけないという、そういう規則を作り始めます。

それから、ここに出ている大きい構造物ではですね、10m位高いですね、この辺でいうと火の見櫓というのが昔あったのですけれども、その火の見櫓のようなものを建てて、海に漁に出た人達が帰って来られるかどうかというのをずうっと監視する場所がありました。それでそこの集落に住む人達が安全に生活できるという事が一番大事なので、その安全に生活できるという事に基づいて、何処まで行ってもいい、何処から先へは行ってはいけないということを村の中でですね、決め事を作っていきました。これがですね、現在では法律とか政治という分野に発展してきている訳であります。

それから海の中にもですね、食べられる物と毒をもっている生き物とか、それはこの地上にもそういうものはいますので、もし毒にやられた時には解毒をしないといけないのですけれども、この時代の解毒の場合は・・・。

まず若い人が、あの土地より向こうへは行ってはいけないという、そういう決め事を破って、興味本位で突っ走って行ってしまいました。そうすると、毒蛇に咬まれたとかですね、何かの毒をもった大きな蜂とかの巣にちょっかいを掛けて刺されてですね、瀕死の状態で帰ってきます。そうして帰って来た時にですね、すぐ解毒の処置をするのですけれども、その解毒の処置をする前にですね、当時の村のトップがですね、まず集落の者全員を集めて、“この者が村の決め事を破ってあそこまで行って、あそこを超えてしまったので、こういう猛獣毒蛇にやられてしまったのだ。だから、こういうことをやってはいけない”ということを、もう一回みんなで申し合わせをしないといけない。“必ず守ってくれるか”ということを確認して、全員が“分りました”と言った時に解毒を始めるというようなことを積み重ねてですね、そうして決まり事を守ってきたという、そういう事を通して1500年間秩序を守ってきたところがあります。

この秩序を守る方法が現代では行政とか裁判とかいうものに進化してきております。それから解毒の方法は、現在では医療という形に段々発展してきているという事でありますので、現代の文明というのはそうした、縄文時代に構築したですね、集落運営のやり方の要素が発展してきて現代の文化形態になっているという、そういう長い歴史の見つめ方を、まずメシヤ様の弟子である我々はですね、持っておきたいというふうに思います。

 

人類の歴史に見つめながら御教え拝読を・・・

楳木代表

そういう歴史の見方を持った上で、もう一度メシヤ様の御教えに基づいてですね、三千年前に『夜の時代』になったということを理解した上で、それに基づいて御教え拝読をしていかないとですね、メシヤ様の御教えを非常に狭い捉え方をしてしまうことになってまいります。メシヤ様の御教えは人類の歴史をずうっと見つめた上で、私達に御教えを説いて下さっておりますので、その御教えを拝読した時に、画期的な教えであるが故にですね、私達は人類の歴史というものを見つめながら拝読していかないと、どうしても見誤るところがありますので、それでこういうことを纏めて書いております。

ですから、この「自然宗教」の担ってきた役割というのは、その集落の人々を守るために「自然宗教」というものはあったのだ、と・・・そして少しずつ文化が発展してきた時に、この文化の発展した発展の仕方がより理想世界になっていくために、「創唱宗教」というものが次には出てきたのだ、と・・・。

で、私達が今信仰している「世界救世(メシヤ)教」を復興して、「世界救世(メシヤ)教」の信仰をやっていこうというのは、この「創唱宗教」の頂点を目指していっているということであります。この頂点を目指すということが、『善言讃詞』を唱える時に「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」ということになってきますので・・・そういう私達の頭の中を人類の歴史をずうっと見つめながら、御教え拝読をしていくのだ、というような心がけをですね、そういう考え方を持って御教え拝読をしていく、世の中の動きを見ていく、というふうに考えていただければありがたいと思います。

 

世界平和も『善言讃詞』の奏上から

楳木代表

いよいよメシヤ様の御教えの中ではですね、原子爆弾の・・・そういう物のお蔭で戦争の自然淘汰が執り行なわれるということでありますけれども、中々戦争の淘汰というのは出来ない状態にあります。今月の27日にはですね、オバマ大統領が広島に来てくれることになりましたので・・・今から7年前だったと思いますけれども、この地上からその兵器を無くしていくということを発表してですね、それでノーベル賞を受賞したにも拘らず、中々具体的な手を打つことが出来ない中で、ロシアが変な動きをし始めたためにですね、この核兵器については中々廃絶というところまでは進まない状態でありました。日本の広島の地で新たな取り組みの声を発してくれれば、少し動きが出てくるのではないかなぁ、というふうに思っております。これを進めていく原動力というのは『善言讃詞』の意味が分かった人達が、『善言讃詞』をですね、想念を高めて奏上する中で、少しずつ進んでいくというふうに思われますので、ここで今年学んだこと、『文明の創造』を学んできて、さらに今年から新たな取り組みをする上で学んできていることを、絶えず自分の血肉としながら取り組んでいただければ大変ありがたいと思います。

 

教団資格と集団浄霊について

楳木代表

お蔭でですね、岡山支部は5月5日に、今まで原田さんのことを「支部長代理」というふうに言っておりましたけれども、5月5日から晴れてですね、「教導師第三位」をいただきましたので「支部長」と呼んでいただくようになりました。しかし、原田さんはまだ設計事務所の経営もありますので、時には奥さんが代行しないといけないので、5月5日からは今度は奥さんが「支部長代理」という立場になりました。ご主人が忙しい時には奥さんが「支部長代理」として動くという形になりました。

皆さん方の取り組みのお蔭でですね、こうして支部長誕生になりましたので心から感謝申し上げたいと共に、一層発展を続けてですね、「教導師第二位」というのをですね、今度は取得できるように、一つ、皆さん方のお取り組みに期待したいところであります。

勿論、私の斜め前にいる富山さんも入会者を許されてきておりますので、富山さんも○○人に達した時に「教導師第三位」を授与いただく試験を受けることができるということになっていきますので、出張所もより一層頑張っていただければ・・・頑張るというのはおかしいんですけど、メシヤ様の御手足としてですね、共々に御神業に臨んでいただければ大変ありがたいというふうに思います。

それでですね、集団浄霊をするというのはですね、個人浄霊の拡大でありますけれども、個人浄霊をする時の取り次ぎの仕方というのは、この中に大まかに書いておりますけれども、想念で最も大事なことは、メシヤ様の御光がですね、私達を通して、この肉体を通して、土の働きが加わって、そして絶対的な救済力が生まれるということでありますので、自分達の体を通る時が一番大事であります。その御光を通す自分の体が如何に美しいものになっていくかということが課題としてはありますので、絶えず浄化をいただきつつですね、身体を浄めて、そしてその身体を汚さないような姿勢で日を送りながら浄霊力の強化に努めていただきたいというふうに思います。と同時に、浄霊を取り次ぐ時にはですね、メシヤ様の御光が自分の体をスゥーと通って相手に入っていくような、そういう想念を高めていただきたいと思います。

そして、光が相手に通ったら、相手の後に無数に、皆さん方の後に無数にある霊線を通して、その霊線に繋がる人達に光が行き渡るような、そういう想念の広がりを持って浄霊を取り次いでいただきたいと思います。それが集団浄霊になると、この掌から一筋の光だけではなくて、ここにおられる方々全員に対して人数分の光がすうっと出る訳ですので、参拝者が多ければ多いほど、この光の量が増えてくるということであります。支部へ集う人達が一層ですね、月次祭を中心に増えていくことを、お互いのために、参拝者全員のために増やしていくということが、大きな御光をいただくということに繋がっていくということを、この機会に改めてですね、心に置いていただきたいと思います。

そして、次はですね、集団浄霊というのは個人浄霊の拡大なのですけれども、参拝席の上座から浄めていきます。そして下座を浄めて真ん中を浄めて終わります。この場合ですね、神様側は、ここを中心にこちら側が上座で、こちら側が下座になってきます。ですからメシヤ様の御尊影は、上座に掛かっている訳です。それで、大黒様が下座にお座りになっている訳なのですけれども、この神床からこちら側は今度は逆になります。こちら側が上座になって、こちら側が下座になります。

ですから私達も歩く時には、御神業(神事)で歩く時には左足から出るとかいうような、そういう方法で進んでいくというのが一つ一つには合って来る訳ですね。ですから、こういう中で祭事を整える時にも左進右退で動くということです。左足から出て行って右足から下がるというのは、絶えず上座下座という関係があるのでそういうふうになっていきますので、こうして皆さん方の支部長がですね、集団浄霊が出来るようになって今日で六日目になりますので、そういう時だから、こうした事をもう一回確認をさせていただいて、部屋での上座下座の関係、御神前での上座下座の関係とかを、いつも確認しながら私達の霊性を高める、そういう一助にしていきたいというふうに思いますので、今日改めてそういう話をさせていただきました。

 

二度と同じ問題を起こさないために

楳木代表

次はそういう歴史のことを考えていきましたけれども、これからですね、宗教というのは問題解決をしていくのが第一の使命としてあります。で、問題解決をしていく時には、原田さんが発表しましたように、御教えに沿って取り組んでいけば解決方向に進んでいきます。しかし、一旦解決したものが御教え通りの生活をしていかないと、また元の木阿弥で問題が発生するということになりますので、一旦問題解決を許された人はメシヤ様の御教えに沿って生活をするという、そういう生活を営んでいただきたいというふうに思います。

その営み方を学ぶ場がこの支部でありますので、或いは出張所でありますので、メシヤ様の御教えに基づいてどのように生活をさせていただくかということを、今後の課題にしておいていただきたいと思います。それがですね、「時代に活き活きと生きていく」ということになっていきます。

それで、時代に活き活きと生きていくという点に於いては、現在はですね、司会の方から祭典5分前になったら、「携帯電話はマナーモードにするか電源をお切り下さい」というように、ほとんどの方が携帯電話を持って歩いております。そうすると、話したい人と、或いは連絡を受けたい人とか連絡を伝えたい人と瞬時に繋がる機械を我々は持っている訳ですね。ですから、メシヤ様がずうっと唱えて実践してこられた『即時性』というのは、物質的にはもう完成している訳です。

しかし、物質的に完成していても、霊の世界は完成しているかというとそうではないので、霊の世界を完成させるということが、実はメシヤ様の御教えを実践するということになっていきます。色々課題があったらすぐやる、すぐ取り組んでいく、そうしたことを・・・今日も誰かとですね、これから掃除をしていかなくてはいけないという話になったんですけども、この掃除の話が出たらすぐ帰って玄関を跨いだらやり始めるということでないと、現代に生きているということには、そういう生活にはなっていないということです。物質的にはもうすぐにやれる体制が出来ているのですけれども、霊の世界はすぐやれるかというとその人の心掛け次第ですので、一つ一つをそういうふうに見つめて行ってですね、折角体が良くなったり抱えている問題が解決したら、二度と同じ病気にはならない、二度と同じ問題は起こさないということに取り組んでいく、それは御教えを実践する生活にあるのだ、というふうに受け止めていただいてですね、そうしたものを“練り合っていく場所が支部であり出張所なんだ”と心がけて、そういうことを積み上げていっていただきたいというふうに思います。

どうしても私達は長い歴史の中で、生まれ変わり死に変わりしてきてですね、色んなことを勉強してきたのではあるのですけれども、過去のですね、取り分け三千年来の唯物中心のですね、生活を営んできたために、物事を唯物主義で捉えてしまう癖とかですね、それから『夜の時代』の宗教のやり方の癖がびっしりと自分の中にですね、染み付いておりますので、それを取り除いていきながら進んでいかないといけないということです。

それから、この染み付いた染みをですね、染みのように染み付いた『夜の時代』の癖を取り除くためにはですね・・・、その癖はどういう時に出て来るかというとですね、無意識で何かをやる時に出て来る訳ですね。ですから頭では“『夜の時代』の癖を取り除かないといけない”と分かってはいても、その癖というのは無意識で動く時に出てくるものですから、中々癖が出ていることに気づかない訳ですね。

だから取り組んでいるようで、実は取り組んでないという状況に私達は陥ってしまいます。それを何とかするのが支部への参拝であるし、支部での奉仕、出張所への参拝、出張所での奉仕、それから御教え拝読、浄霊をいただくということになっていきます。一つ一つのことがですね、初心者の浄霊、或いは初心者の参拝から、『夜の時代』の癖を取り除く、そういう浄霊、参拝というところにお互いが高まっていかないと、皆さん方に繋がる、霊線に繋がる人達に光がずうっと入っていくということには中々繋がっていきません。

ここに来ている方々が、そういう境地に高まっていただきながらですね、進んでいくということが大事ですので、そのことも今日は宗教を考えていくという点に於いては改めてですね、肝に銘じていただければ大変ありがたいというふうに思います。最初にそうしたことをお願いさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいというふうに思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

 

「天恩地恵」の季刊誌について

受講者

この冊子、「天恩地恵」の創刊号が出版されましたが、この冊子について少し説明していただければと思いますが・・・。

楳木代表

これは何処までもですね、この支部をはじめとしてですね、既に報告している3月3日の代表挨拶とそれからその時の体験発表、報告を載せたものでありますので、既に皆さん方もう読んだり学んだりした内容なのです。こういう季刊誌を宗教団体は出していかないといけないという決まり事があるもんですから、今回から発刊することになりました。それで一年に4回出していきます。これはメシヤ様の御書の『天恩地恵』という、その御書が本部に掛かっておりますので、それを写真撮影してですね、お文字一文字一文字をこれ位に拡大してですね、そして全ての染みとか汚れとかを消しながら作業してくれて、このような文字を表紙に載せられるようになりました。そして、5月5日に編集出版部長に任命しました濵口さんが編集者としてやってくれておりますので、これから私以外の名前が色んな所に出てくるような体制を取っていきたいというふうに思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

 

日本の「道」について

受講者

この中で「日本の誇りは“道”に見出すことができる」ということでありますが、縄文時代には争い事は全然なかったんでしょうか?そこで随分商いができて、それで道ができたと・・・。

楳木代表

そうですね、日本で初めて戦争が行なわれたのは、素盞嗚尊が朝鮮半島からですね、瓊々杵尊を引き連れて大挙して山口県に上陸してきたところから戦いが始まっていますので、それまでは日本人は戦争をしていないのですよ。だから、戦争用具を持ってなかったので、素盞嗚尊の言うことを聞かざるを得なかったということです。それで、伊都能売神皇様は自分の皇位を譲って出て行かなければ、日本人が毎日何十人と殺されていくので、そういうことでは可哀相だということで、伊都能売神皇様は急遽インドの方へ降っていかれたということです。だから、この山陽道とか山陰道というものは、元々は商いで出来たのだけれども、素盞嗚尊が入り込んできて、およそ日本の半分くらいを押えて、それから東の方も押えようとしていた時に、素盞嗚尊の癖が出てきて、それで治世が乱れたので、そこで一挙に宮崎県の高千穂から出陣した、後の神武天皇になる方がこの山陽道をずうっと通って行って討伐していったということです。その時から戦いの道になってしまった訳なのです。

ただ神武天皇が悪いかというと、神武天皇は現代の主食の稲作を教えながら統制していったようなので、日本としては栗を食べていたのが米を食べるようになった、豊かな食生活に切り替わる時でもあるので、日本がずうっと発展していく上においては、そういうことも一つは必要だったのかなぁとも思いますけどね。(中略)

 

生活そのものが本来の宗教

受講者

「自然宗教」ということを教えていただいたんですけど、「自然宗教」というのは、今考える宗教とちょっと違うような感じで、今一つピンと来ないんですけど、もう少し教えていただけますか。

楳木代表

それは分類した時に「自然宗教」だと言える訳で・・・元々その生活自体が本来の宗教なんだと・・・。日本では伊都能売神皇様が頂点にいらして、そしてこの三内丸山とかですね、あちこちに大きな集落があって、そこへ古い文献でいくと、舟に乗ってそこへ天皇が巡幸されていたという・・・空飛ぶ舟ですよね。だから「羽」という字が付いている土地は、ほとんどそこの飛行場だっただろうと、そういうふうに言われている訳です。しかし、その文献が残ってないので、日本というのは文字を消してしまったので・・・古い神社の木片の中には、古代のホツマツタヱの文字が刻まれているのが少しは残っているのですけれども、ほとんど消されてしまって現在の漢字とひらがなとカタカナになってしまったのでね。どのような形で巡幸されていたかということは、一つは判らないところがあるのですね。

受講者

伊都能売神皇様と人間の関係が何となくぼやっとしているんですけど・・・そういうふうに巡幸されていたということなのですね。・・・ということは、かなり明確な意識で人というのは、神様に対して真向かっていたということなんですね。

楳木代表

そうですね。そしてここに書いてあるように、墓の埋葬場所が成人者と成人者で無い人とを区別していたのが現在のですね、神道の送り名である毘古、毘女は30才以上ということになっていきますよね。それまでは、比古比女で、流産とかそういう形で亡くなった人は児之神霊というふうに呼んでいます。そういうふうに年齢を区分していたのです。それで、三内丸山からさらに時代が現在に近づいた時に、細かく分けていったということです。

受講者

今は余りそういうことは残っていませんね。

 

宗教を忘れた現代人とペット問題

楳木代表

今残ってないということが、実は宗教を忘れたという事を言っている訳ですね。それから忘れた人達が更に、樹木葬とか散骨とかということをやり始めているのです。

それからペットを飼っている人は、およそ餓鬼道に落ちた人達の先祖がペットに懸って、ペットを飼ってもらっているのだけれども、ほとんど先祖が餓鬼道に落ちた人達が懸っている訳ですね。それでペットが家の上に上るということです。家の土間とか外で飼っているペットは関係ないですよ。それには先祖は懸ってないけれども、家の上に上って我が者顔で動き回っているペットは、ほとんど餓鬼道に落ちた先祖が懸っているということです。

受講者

今、ペットが隆盛を極めているということは、そういうことなんですね。

楳木代表

そういうことですね。だから、宗教を忘れた先がそういうふうになってしまっているということです。だからそれで、人間の神聖さが無くなってきているので、犬とかに引っ張られて交通事故とかに遭う人がいるでしょ・・・あれは全くその成れの果てだということです。人間性が失われているから、動物に引っ張られてしまうということです。動物をこちらに引っ張って、自分の言う通りに動かさないといけない立場の人間が、動物に引っ張られて事故を起こしてしまうというのは、人間性が薄れていっているからです。

そうして、それが更に進んで、動物愛護団体とかというものが出てですね、変な世の中にさせられていっている。之が実は、宗教を忘れていっているということになるのだということですね。それをメシヤ様は立て直そうとして、世界救世(メシヤ)世界救世(きゅうせい)教にさせられてしまった、と・・・。

そして、今は更に細分化されて、何々教団、何々教団というふうになってしまっている訳です。それをもう一度メシヤ様の御教えに戻して、この日本全体の人間性が無くなりつつある方向に行かされているその日本を、もう一回元に取り戻してですね、そして、その日本を中心に世界を天国化するというのが私達の願いですので、生半可な取り組みではこれは実現していかないので、皆さん方の奮い立つような立ち上がりがないとですね、こういう御神業というのは進めていくことが出来ないので、まず、岡山支部の使命たるや大きいと・・・。(笑)

 

水耕栽培の誤謬について

楳木代表

それから、5月5日に時間があれば話そうと思っていたのですが、時間の関係で話せなかったのですが、前の日にですね、新しい農業ということで、「水耕栽培」というのが未来の農業だと言って、もの凄く大々的に捉えられているのですけれども、実はあれは人間が痴呆化していく危険性のある農法ですので・・・警鐘を鳴らしておいて下さい。

というのは、私達の神経の中を通っていく電気信号というのは、実は鉱物を伝わって信号が伝わっていっている訳なのです・・・土の中の鉱物・・・それがですね、土の中から野菜とか、そういうものが吸い上げてくれて、その野菜を食べることによって、鉱物が我々の体の中に入ってきて、それが神経の中に定着する訳です。その鉱物を伝わって電気信号が我々に伝わっているのですが、水耕農業の中に鉱物を入れてくれれば「水耕栽培」はいいのですけれども、鉱物が入ってない、ただ水と栄養だけの、そういう所で出来たものを食べ続けていると、我々の体の鉱物が実は減っていってしまうのです。そうすると電気信号が伝わりにくくなるので、神経系が弱まっていくという結果になりますので・・・。

こういうことが全て宗教を忘れた所から、進んだという言葉の元に変な農業が出来上がってきている訳ですので、土の中から鉱物を吸い上げてくれる、そういう野菜を食べていかないとですね、私達の神経細胞は弱ってしまいます。神経細胞自体は弱らないのですけれど、働きが弱まっていきますので、そうしたものをテレビでどんどん取り上げていくと間違った知識が広がっていくので・・・ですから○君には、そうした所に警鐘を鳴らしていくような感じで、農業に取り組んでいただきたいというふうに思います。

 

<来月の御教え>

『メシヤ様の御垂示』

本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』82ページに記載されています。

『メシヤ様の御垂示』は平成28年6月に拝読し学び合う御論文です。

 

[メシヤ講座no.184 岡山支部 2016(平成28年)5月11日]