メシヤ講座no.178岡山(平成27年11月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』基督(キリスト)教と善悪」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』366ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

メシヤ教の祭典形式について

楳木代表:

『文明の創造』の最後の締めの御論文が非常にですね、私達にとっては胸にズシッと来る内容でありました。

岡山支部の場合は、ちょっと時間が少なかったかもしれませんが、「メシヤ講座・特選集を一通り読んで、このメシヤ講座に参加して下さい」とお願いしておりましたので、メシヤ講座・特選集の中の北海道での観音様御奉斎80周年記念式典の「代表挨拶」、それから、その時の浄霊で霊視した高井さんの「霊視報告」、次に、来年の2月4日からメシヤ教の新しい御神業をスタートさせる訳なのですが、その中心になってくる書籍の校正の担当者が、今、大浄化をいただいておりますので、その大浄化をいただいている上に考えているその「所感」を載せて、大阪支部で「お詫びの御神業」に関する話を載せております。これをトータルで読んで、この「基督(キリスト)教と善悪」を拝読していただけると話が分かりやすいのではないかと思います。

今のメシヤ教の祭典は、こうして先達者が一人で祝詞を奏上させていただいて、そして「御神名」と「惟神霊幸倍坐せ」をみんなで奉誦させていただいております。

これは、メシヤ様が初めて大日本観音会を立教された時の参拝のあり方です。ですから、そのメシヤ様のですね、「夜昼転換」を執り行ってこの地上に天国を樹立するという、その御神業をですね、私達一人一人が担わせていただくために、メシヤ様が最初に執り行った祭典形式をですね、私達も執り行なわせていただこうとしているわけなのです。御神体をいただいている御家庭においてはですね、そこでも、先達者が、メシヤ様が進められようとされた御神業を担わしていただくという想念で、祝詞を奏上するということにお願いしているわけであります。

そうして、メシヤ様の御手足となってですね、動く人間が一人ずつ増えていかない限りですね、地上天国建設というのは可能にはなっていきません。

 

定山渓の伊都能売観音様の御神名について

楳木代表:

それで、本日拝読させていただいた中でもですね、この中に「最上級の詐欺を始めた」という項目があります。367ページの後から3行目です。その「最上級の詐欺を始めた」という内容が、現在までずうっと続いてきております。

そして、世界救世教となったですね、メシヤ様が御昇天されて世界救世(メシヤ)教から世界救世教になった後、さらにまた教団の中に詐欺が、詐欺行為が発生しております。で、その詐欺行為が発生しているという中身を、メシヤ講座・特選集のところからですね、読み取っていただきたいということで、今回これだけをまとめて載せましたので、そのように受け止めていただいて拝読をしていただきたいと思います。

それはですね、奇しくも岡山支部の支部長代理である○○さんからですね、「定山渓の伊都能売観音様に、どうして『主之大御神守り給え幸倍給へ』という御神名を唱えたのですか?」

という、そういう質問を受けたのですけれども・・・。

これはですね、「伊都能売之大御神守り給え幸倍給へ」と唱えてずうっと来たのですけれども、ある時、祭典を執り行う時、その御神名が私の口からどうしても出ずにですね、祭典が一時滞った時があります。

それで、どうしてこういうことが起きるのか、御神名についてですね、もう一度深く考え直していった時に、取り分け今回の特選集の中ではですね、三重支部の責任者が所感として書いている中に、『夜の時代』になった時にですね、国常立尊様は「艮の金神」と化身、分身霊を作られて、そして「艮の金神」として芦別岳にお鎮まりになって・・・『夜の時代』はですね、艮の方向から私達に清浄な霊気を送り続けてですね、この世の中の人間が『夜の時代』に滅びてしまわないように、私達の心にですね、善良なる心を残していくために、少しでも悪い方向に想念が向いた時には浄化を受けるように、そういう霊気をですね、芦別岳から送ってくれています。

ですから、家を建てた時にですね、艮の方向に不浄なものを造ると病人になったりとかですね、不幸が起きるという・・・その艮の方角とは芦別岳のことを指しております。

で、そういうことで『夜の時代』を守って下さるために、芦別岳に「艮の金神」としてお鎮まりいただいております。

で、もう一方ではですね、仏教を作るべく伊都能売観音様としてインドの補陀落山(ホダラカザン)にお鎮まりいただいて、そこでですね、お釈迦様がまだ悉達(シッタ)太子と呼ばれていた皇太子の時代にですね、まずは「インドを救うためにどうしたらいいか」ということで補陀洛山を尋ねて行って、伊都能売神皇様にずうっと質問をしております。そして教えを受けてそれが仏教になっております。

仏教はですね、今の字で行くとこういう字(仏)を書いておりますが、本当は言霊学上、物の教えだというふうにメシヤ様は仰っておられますから、物質世界の時代の教えが仏教なのだというふうに教えておりますので、『夜の時代』になってですね、物質文明を発展させる時に、物質文明が発展するのですけれども、その時に、人間の心に良心を留めるために、この仏教を造られたのだというふうにメシヤ様に教えていただいていますので、仏教は本来ですね、今使っている仏教の仏よりも物と書いた方が解釈しやすいという事が言えるのではないかと思います。

この伊都能売神皇様が、やがて観音様と呼ばれるようになりますが、この観音様のお姿をメシヤ様は、昭和10年の1月7日からご描画になりながら、10月17日にですね、地崎宇三郎という方に御下付しておりまして、このお姿は・・・絵姿はですね、御遺作集をこう見ていくと伊都能売観音様なのですが、「日之出観音」という名前を付けたというふうに資料としては残っております。

こういう不可思議なことが、どうしてあるかということを考えていくと、この国常立尊様の絶対的な裁きというお働きとですね、そして観音様というですね、全ての人達を救っていくという大慈悲心の固まりのような、そういう御存在が合わさったものがメシヤ様であるわけですので、このメシヤ様という認識をするために北海道の地にですね、芦別岳と、それから定山渓に伊都能売観音様の絵姿のご描画をした・・・、そういう観音様が掛けられたのではないかというふうに、三重支部の責任者は推測をして、ここに書いてくれておりますので、全くその方向で考えていただくのが一番いいかと思います。

 

お詫びをしなくても許されるという最上級の詐欺発言

楳木代表:

そして、主神様の御本体が・・・主神様という御本体の中から地球を救うためにメシヤ様がこうしてお出ましになっておりますので、国常立尊様と伊都能売観音様のお働きが合体したような形がメシヤ様という御存在になります。救いと裁きを同時にされるのがメシヤ様ですので、このメシヤ様のことを考えると、「メシヤ様を表に出したくない」という働きは、こちらの裁きの働きを前に出したくないということなわけです。ですから皆さん方との繋がりが大きいですね、お亡くなりになられた川合理事長は、国常立尊様のお働きには、これからはお詫びをしなくても、○○○光教団の経綸に沿った御用に邁進すれば罪が許されるという、詐欺発言をしてしまったわけです。

ですから、「お詫びをしなくても救われますよ」という表現を使ったのが、この後から3行目にある「最上級の詐欺を始めた」というのと同じ行為だというふうに、どうかお気付きになっていただいてですね、これから私達が進める御神業というのは、そういう、今迄、メシヤ様のお働きを止めてきたものをひっくり返していくような御神業なのだというふうなことをですね、本日の、この『基督(キリスト)教と善悪』を拝読しながら、そういうふうに受け止めていただけると大変ありがたいと思います。

 

一番重要な問題とは

楳木代表:

それでもう1回、1行目に戻っていきますけれども、一番最初に1行目に「一番重要な問題を説いてみるが」と書かれておりますので、この『文明の創造』の中でですね、一番重要な問題はこれなのだということです。

メシヤ様は、大切なことは幾つも書かれておりますけれども、重要な問題として本日学ばせていただきましたので、そのことをしっかりですね、受け止めていただけるような拝読をしていただければ、大変ありがたいと思います。今月はですね、この『基督(キリスト)教と善悪』という御論文とメシヤ講座・特選集をすべて突き合わせて拝読をしていただいて、自分の魂の覚醒をですね、促していただければ大変ありがたいと思います。

そのことを一つお願いさせていただきたいのと、その次はですね、今日初めて「国武彦尊様」という、そういう御神名が出て、しかもメシヤ様のお兄さんであるということまで書かれておりますので、このことはですね、長く御教えの中には登場して来ませんでした。

全てお蔵入りさせられていたので、古い信者さんの中でもこのことを知ることは中々出来ない状態を、今日まで迎えております。そういうことをメシヤ様はここで明かして下さっておりますので、そういうお働きが我々の上にどんと来ているので、それを浄めていくのが本日も奏上させていただきました善言讃詞であります。この善言讃詞の中に詠み込まれている「夜叉龍神も解脱なし」というのは、これが善言讃詞の核心的な内容の一つだということです。

 

霊視報告の意味するもの

楳木代表:

しかし、解脱させてしまいたくないというグループがいますので、そのグループが善言讃詞を改竄していったということです。今、○○○○教団もその改竄したままの善言讃詞を奏上しています。そして○○○光教団は少し変えましたけれども、まだ完全には元の善言讃詞に戻してはいません。主○○教団も元の善言讃詞に戻したと言っているけれども、2箇所ほど抜かしているわけです。

その抜かしている時はですね、私は当時の責任者に「こことここが元々の善言讃詞にはなっていないので、やり直した方がいいのではないですか?」と言ったのですけれども、その時もう大量に「祈りの栞」を印刷した後だったので、もうこれを替えることは出来ないと・・・たったそれだけのことで、主○○光教団も元へ戻すことが出来なかったわけですね。

そのように曲の障りは、我が教団の中にどっと覆っています。その覆った姿が、この霊視の中に出た「布を山に被せた」ということでありますので、そのように受け止めていただいてですね、私達が気持ちを切り替えてやろうとしても、いつもそういうものが覆い被さって来るということを、どうかお互いにですね、私は勿論、皆さん方も肝に銘じてですね、正しいことをやろうとすればするほど、曲の障りがあるのだというふうに受け止めていただいて、進んでいただきたいと思います。

これから愈々やるぞ、という時には必ずそういうもので止められて、こちらのヤル気も無くすようなことが起きてきますけれども、メシヤ様の御教えに基づいてですね、御神業を進めようという、この燃えるが如き気持ちは更に油を注がれましたので、更に今、燃えてきておりますので、一層このことはやらないといけないことだなぁ、と思わせていただいております。

ですから、御神業をさせていただく、それから皆さん方の個人の家で、これからこういうことをさせていただこうと思った時に、色々障害みたいなものが出てきた時には、大事なことほど、そういうことがあるものだという気持ちでですね、より一層進めさせていただこうという気持ちになっていただければ大変ありがたいというふうに思います。

 

人工授精について

楳木代表:

それで、次に本日拝読させていただいた所ではですね、人工授精の問題があります。これについては随分と皆さん方もご心配されたり、実際にはですね、メシヤ教の信者さんの中でも、不妊治療を受けて子供を儲けて入会してきた方々もいらっしゃいます。ここをしっかり拝読していきますとですね、夫婦で取り組んだ時の、夫婦で不妊治療をした時の問題をまず一つ整理しておきたいと思うのですけれども・・・夫婦で不妊治療をした場合には、ここの該当であるですね、いわば魂の宿っていない子供が出来るという危険性は、夫婦の場合はこれには該当しません。

しかし、該当しないですけれども、十分気をつけていただきたいのは、自然に妊娠していくというのが本来のあり方ですので、治療していきますと、親の執着が出てきますので、執着で子供を作ると霊界からですね、浄化不十分の魂を引っ張り出すということになります。生まれてきた子は、浄化不十分の魂で生まれてくるということになっていきます。

そうした時に、親はその治療をした場合には、親は相当、徳を積みながら進んでいかないといけないと・・・。その徳を積むということの決意を持たせるということが、お世話上、大切になっていきますので、しっかり徳を積みながらその不妊治療を受けた方には、そういうアドバイスをこの御教えに沿ってしてあげて下さい。

そうして既に生まれてきた子供は、浄化不十分で生まれてきているので、身体的にも、それから運命においてもですね、浄化不十分のところが出てくるので、その親達はしっかり徳を積んで進んでいくように、そういうことをアドバイスしていただきたいと思います。

しかしながらですね、今、シングルマザーが非常に増えておりますので、他所から精子を貰ってきてですね、どこの誰だか分らない精子を貰ってきて妊娠するということを考えている人がいれば、それは絶対的に止めて下さい。

それは止めないと、ここに(今回の御教え)関わってきますので、その生まれた子が次にですね、ロボット化した子供が生まれてくると邪神に占領されてしまいますので、更に不幸な形になりますので、それだけは是非ですね、止めてやっていただきたいというふうに思います。

 

地上天国建設の要とは

楳木代表:

そのことを確認させていただいて、最後にですね、369ページ・・・この369ページというですね、このミロクの数字がここにピッタリ来ているというのが、この「文明の創造」におけるメシヤ様の御神意が、ここにもう結集しているというふうに受け止めていただけるような文章が、この369ページの1行目からですね、

「右の如く悪魔の経綸の中心はクライスト教であるから、最後の審判はそのクライスト教と眷属を抹殺して悪魔の奴隷になっている大部分の人類を解放させるのでなくてはならないのは当然であろう。」

ということですので、そういうふうにですね、悪魔の奴隷になっている人類を解放させるのが、これからの経綸の中心です。薬を飲みながら浄霊するのが経綸の中心ではありません。これが経綸の中心です。この文章はしっかり頭に入れておいていただきたいと思います。そして、

「その為の福音書拝読で、その為の浄霊で、その為の幽玄力で、その為に私が生まれてメシヤ教を創立したのである。何故なら皆は霊と心を浄め、正守護神の霊力を強くして、邪神の頭目と闘って勝たねば天国人になるのは出来ないからである。」

というふうに書かれておりますので、地上天国建設の要はここだということです。この事から少しでもずれた話というのは、全て邪神にやられた話だというふうに受け止めていただかなければいけないということですので、この369ページ、ミロクのページに書かれたものをしっかり腹に入れていただけるように、一つお願いさせていただいて本日のですね、メシヤ講座の講義部分を終わらせていただきたいと思います。後は質疑応答に入らせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

悪魔の奴隷を解放する運動

楳木代表:

今日はもう、口角泡を飛ばすように喋ってしまいましたけれども、それほどこのミロクの369ページは大切なところですので、これからずれた話というのはですね、徹底的に指摘してあげて下さい。取り分け、○○○光教団、○○○○教団の場合は、ここが全く曖昧になっていますので、この点を徹底的に目覚めさせてあげるような会話をずっと続けて下さい・・・本当に溜息の出るような御論文です、今日の所はね・・・。

しかし、このクライスト教が全部悪いということではなくて、メシヤ様は、世界救世(メシヤ)教になると、体制が随分キリスト教的になってくるという御論文を同時に書かれておりますので、要は・・・大事なことは、悪魔の奴隷になっている人達を解放させてあげるということです。

だから、私達の取り組みというのは、悪魔の奴隷になっている人類を解放する・・・解放する運動だというふうに、受け止めていただきたいと思います。解放する為には、薬毒を知らせていかない限りは解放できませんので、薬毒の為に体力とですね、正しい思考力が奪われておりますので、薬毒を取っていって正しい思考力と、そして健全な肉体をですね、得ていただくということが私達の取り組みですので、そのことをですね、これから更に、来年から加速度的に進めていきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

だから、○君も障害が前にいっぱいあると思う、正しいことをやろうとすると・・・。そういうものがあればあるほど、遣り甲斐のあることだというふうに受け止めて、頭を柔軟にして、カチカチの頭じゃなくて柔軟にして、どんなところからでも御神業に臨ませていただこうということで、自然農法に取り組んでいただきたい。

 

参加者:

はい・・・。

 

楳木代表:

 

参加者:

よろしくお願いします。(笑)

 

宗教改革のスタートは

参加者:

先生、この中にも・・・お詫びの御神業の中に、仏壇の戒名の事とか、書かれていますけれども、「宗教改革」は仏壇を整えていくことだと書かれていますけど、後で報告していただきたい方は沢山おられるんですけれども、幽世大神様を仏壇の中に御奉斎させていただくことと、位牌をお祀りさせていただくことの意味を、ご説明いただきたいのですが・・・。

 

楳木代表:

冒頭、○○さんが言っていただいた、『宗教改革は仏壇を整えることだ』ではなくて、「宗教改革」という大きいものを取り組むのだけれども、進める時には一番小さい形としては仏壇を整えることからスタートするのだと、そういうふうに受け止めて下さい・・・仏壇を整えることが宗教改革ではありません。

「宗教改革」は、メシヤ様はですね、この中でも十分に教えていただいているようにですね、『夜昼転換』をするために細かく教えていただいているものを、世の人達に知らせていくという事が「宗教改革」ですので・・・しかし、その「宗教改革」を進めていく時にですね、我が家の仏壇・・・この○○さんのところの仏壇を見ていただければ分るように、この仏壇をですね、このような形に整えていくということが一番身近な取り組みだということです。

そして、一番奥に掛けられています観音様は、メシヤ様がご描画された千手観音様でありますので・・・千の手を持って世の人々の願いを叶えてあげて、そして問題を解決していくという、そういう力を持って現れた観音様であります。その観音様を中央にですね、お寺とのお付き合いの関係でですね、どうしても掛けられないというご事情の方もいらっしゃると思いますので、それは絶えず支部、出張所に相談しながら進めていただけたら結構です。

で、お位牌はですね、元々日本の場合は、神道形式でありましたので、白木の位牌にご先祖の名前等を書いてですね、三千年前は○○○毘古之神霊、○○○毘女之神霊・・・三十歳以上でお亡くなりになられた方は、毘古之神霊、毘女之神霊と書かれておりました。それから、十五歳から三十歳までは、比古之神霊、比女之神霊というふうに書かれておりました。

そのように、お亡くなりになられた年齢に応じて、送り名の付け方が変わっていたのでありますけれども・・・それが、伊都能売神皇様がインドへ下って行って、そしてお釈迦様によって仏教が出来上がって、その仏教がですね、中国大陸を通って日本に入って来る時に儒教を拾って来ました。儒教を拾って来た、その儒教の形式が今の位牌になったということです。

そうして、この今の位牌の形式と、三千年前の白木の位牌と比べた時にはですね、この儒教形式の、黒塗りの板に金泥で文字を書くという儒教形式の方が、先祖を祀るには非常に丁寧に感じるし、又、先祖が懸って来た時にもですね、非常に気持ちがいいだろう、ということで、日本中がほとんどこの位牌形式に変えてしまって今日を迎えております。

ですから、この位牌というのは、元々三千年前よりもっと昔からですね、先祖供養の時に使っていた白木の位牌を儒教形式に作り変えて、そして敬神崇祖のですね、一番中心に置いたという事でありますので・・・この日本の歴史の中では、この黒塗りに金泥で文字を書くという形式が、先祖を祀る上に於いては一番いいというふうに判断されて出来たものであります。ですから、こういう形でお祀りしていくのが、先祖が一番納得いかれるのではないかと思います。

ところがですね、日蓮上人のみが、お釈迦様の書かれた万巻のお経を全部読んだのですけれども、後の宗派の開祖は万巻の書を全部読んでいないので・・・例えば、浄土真宗の中には、この儒教の話が入って来ていませんので、「お位牌はいらない」というふうに言います。お釈迦様の教えを全部読んでいないために、或いは、その後のですね、仏教の中に込められた儒教の教えとか、そういうものが全部包含したものを理解していないお坊さんによって、「位牌が必要ない」とかですね、そういうことが出て来ております。そういうことに対処する為には、日本の歴史と仏教の歴史をもう一度お互い勉強し直しましょうという姿勢で「宗教改革」を進めていっていただければ大変ありがたいというふうに思います。で、そういう時に説明に窮する時には、いつも支部へ電話してですね、「こういうふうな話をしてちょっと話が詰っちゃったんですが、どうしたらいいでしょうか」というふうにお尋ねして、アドバイスをいただきながら話を進めていっていただければいいかと思います。そういうことでよろしいでしょうか・・・。

 

仏壇を整えた人の報告

参加者:

ありがとうございました。ここ2~3ヶ月、お仏壇を整えられる方が沢山おられました。その都度、状況を聞かせていただいているのですが、この場で報告していただければ皆さんの勉強になりますので・・・。

一番最近では、○○さんが仏壇を奉斎されたんですが・・・○○さん、どうでしょうか?

 

参加者:

今までは「みたまや」様で、凄く暗い感じでしたが、本当に明るくなりました。本当に変わりました。

 

楳木代表:

 

参加者:

□□さんは、どうでしたか?

 

参加者:

我が家は繰出し位牌だったんですけど、これはいけないと勝手に位牌を作って、それに変えていたんです。まぁ、諸々そういう位牌が沢山あって、気になりかけていたんですけど、そのままにしていた時に、今度御神体をお許しいただくので、神床の壁を塗るかどうかということで○○さんに来ていただいて見て貰ったんですけど、その時主人が一緒に居て、その時に位牌の話が出て、「お位牌をちゃんとせんといけん」と、その場で決まって、先日・・・繰出し位牌の中に沢山先祖が入っていたんですけど、○○さんが一柱一柱読み上げて下さって、本当に多分主人も感激したと思うんですけども、私も感激して、今まで本当に申し訳ないことをしてきたなぁと思いました。

仏壇をちゃんといいようにして下さって、頭もスッキリしますし、今までも色んなことを考えて、考えなくてもいいことが色々出てたんですが、何かスッキリしました。

その後、北海道では懇親会の時に、私の前が座っておられたのが北海道の○○さんだったんですけど、先祖の話を懇々と話されて、いつまでも聞いていたいと思いました。その話が終わって”ああ、人間ていうのは、自分が今生きているのは何十年という世界なんだけど、その魂というのは何百年、何千年も、その魂そのものを持ち続けているんだなぁと思って、それでその後、諸々の中でその霊を曇らせているものがあるんだから、そこを直すというのは、今どこを怪我したとか、そういうものではなくて、その深いところまでその光が届いて、その浄霊で身体というのは治していただけるのだなぁと・・・浄霊がなかったら誰も救われないんだなぁ”というふうに、ハタと気付いたんです。まあそういう一連のことで本当にありがたかったなぁと思って、感謝の限りです。ありがとうございました。

 

楳木代表:

○○さんというのは、北海道の札幌支部の責任者の方です。まぁ、□□さんの顔がもう全く変わったんでね。先月までの顔と、今月の顔は・・・。何千年の魂の繋がりを自覚できたら、それだけで顔が、ありがたい顔になって・・・。(笑)

 

参加者:

そういう浄霊を皆さんにさせていただけるんだなぁと、その想念を作らせていただけたんだなぁと思って・・・。

 

楳木代表:

それは良かったですね。

 

参加者:

△△さんは、どうでしたか?

 

参加者:

一番変わったのは、私のご先祖様に対する姿勢です。今までは○○会の青い屏風の観音様でしたが、本物の千手観音様が来られたんで、一番変わったのはこちらの・・・今までは「違うんじゃないかなぁ」という、うやむやな気持ちでやっていたんですけど、今回からは真剣に、何の疑いも、心に一点の曇りも無くお参りできることが一番ありがたいです。

 

楳木代表:

何が「違うんじゃないかなぁ」と思ったんですか?

 

参加者:

○○会の時の観音様だと・・・色々とネットで調べたりして分かってきたもんですから・・・今度はメシヤ教に繋がらせていただいた原因というのも、本物に触れたいというのがありましたので、色んな面でありがたいのですが、これで仏壇も本物になりましたので・・・。

 

楳木代表:

ああ、そういう意味でね、分りました。

 

お寺との付き合いを含め臨機応変に

 

参加者:

(観音様を)祀るということについては、その宗派によって祀り方が色々あるわけなので、ある日を境にころっと変えるという、そこの切り替えに時間を要するということです。それから、今までの祀り方というのは、本尊様というものがあるわけですね。本尊様の扱いと観音様の扱いを、どういう形で調和しながらお祀りさせていただいたらいいのでしょうか?

 

楳木代表:我が家もですね、祖父の代までは檀家総代をしていましたので、そのお寺の皆さんの面倒を見る側にいたわけなので・・・ですから、浄土真宗なので、阿弥陀様のお軸もこんな大きなのが掛かっているのですね。ですから、その前に硯?(けんびょう)型の観音様を今お祀りしているのです。

まあそれは、臨機応変に祀ればいいとメシヤ様は仰っていますので、本当は観音様の方が阿弥陀様よりも後に掛かるべきなのですけれども、お寺とのお付き合いで、どうしてもこのご本尊様が一番奥に掛かっている以上、その付き合い方としては、そういう付き合い方をしていくという形を取っていますけどね。

我が家が村八分になった理由は、寺が、檀家総代までやっている者が当時の世界救世教に入ってしまったので、檀家を全部布教して取っていくのではないかと、そういう心配をして、村人に対して「楳木は、けしからん宗教には入ってしまった」というふうになってしまったのです。その時、その上の大分県の責任者が、寺との付き合い方をメシヤ様の御教えに基づいて教えておいてくれれば、そういう問題は起きなかったですね。

メシヤ教に入ったらお布施は増やしなさいと、メシヤ様は教えて下さっているわけなので・・・例えば、五千円包んでいたお布施は、八千円なり一万円なり包んでいけば、メシヤ教に入ってからはお布施が増えたなぁ、と。お寺の為になっていくなぁ、と思えば、お寺も心配はしないのですけれども、そういうのを一切無くしていくとお寺の運営が出来なくなっていくので・・・。

 

参加者:

私も地域のお寺の世話人をやっていますし、親父も寺の総代までしていますので、そういう面もありまして・・・状況に応じてでいいわけですね。

 

楳木代表:

 

参加者:

非常に理解が出来ました。

 

今の自分に出来ることは何か

参加者:

先日、手が上がらない位の浄化をいただいたのですが、2週間くらいで良くならせていただきました。先月先生からお話いただいたように、自分の使命というか、そういうものから逃げずにメシヤ様を見つめて、「自分が出来ることは何か」ということを、しっかり考えながら自分の頭を整理してやっていきたいと思います。

 

楳木代表:

分かりました。おめでとうございます。(笑)

 

参加者:

子供のことについても、これからのことがあるので、入会に向けて話を進めていきたいと思います。そして、子供にもしっかりとした信仰継承をしてもらえるように、親としての責任を主人と相談しながら果たしていきたいと思います。

それから、私が専従したのは20年も前のことなんですが、自分の専従時代を振り返ってみた時に、沢山の人に支えられて来たことへの感謝を忘れてしまっていました。そうしたことをもう一度振り返って、今後自分が何をすべきかということを整理して進んでいきたいと思います。

 

楳木代表:

分かりました。どういう整理をするのかということですね。

 

参加者:

御教えの拝読と、ご浄霊をしっかりいただいて・・・。

 

楳木代表:

それでは整理できないので、ここの長女にね、○○家の長女にやり方を教えてもらって・・・。長女はこうしてノートをつけて、私が毎月チェックしているので、今度はノートに書いて支部へ持って来て、○○さん夫婦と書いたものを見ながらチェックして、自分の考えた事が専従者として相応しい想念か?やっていくことはどうなのか?ということを具体的に決めていって・・・。

長女も、そうしたことを通してやっとスタートに立ったようなもので、今まではスタート前の段階の整理だったので・・・。ここまでずうっと積み重ねて行って、自分の気持ちと考え方を整理する中で、やっと今、スタート台に立ったところです。

本当にこういうことを積み重ねていくと素晴らしいので、20年前に皆に支えられて専従者としてスタートしたわけなので、そういう事を思い出しつつこういう作業を20代に戻ってやってみて下さい。頭がグウッと変わっていくから・・・くるくる変わっていくから。

来年の2月からメシヤ教の青年部を立ち上げるので、青年部としてやることの御用を担ってもらうためにですね、御用を担うということは、その上の土台が出来ておかないといけないので、土台作りの為にずうっと整理をしてもらって、やるべき事が明確になりましたので、それに基づいて、お世話係はお世話係として進めつつ、皆を取り纏めていくようなことをやっていただきたいと思って、ずうっと私も頭を使いながら、このレポートをずうっと読ましてもらったところなのですね。

ですから、どのようなお立場でもですね、メシヤ様の御教えを拝読して、そして自分の置かれているご家庭とか、地域のこととか、そういうものを見つめていただいて、これは地上天国建設に繋がっていることだなぁ、これは地上天国建設を止めることだなぁ、というふうに解釈をして、その中からですね、”今の自分で何が出来るか”ということを見い出していただいて、その生活をしていくということが実は信仰生活なわけです。

今までの信仰はですね、”今度こういうことがあるから出て来なさい”とか、”あんた出て来れる、出て来れない、何で出て来れんのかねー(笑)、そんなことで御心に適うと思ってんのかねー”とか言いながらやってきたわけです。こういうのは信仰というのではなくて活動なわけです。

信仰というのは、神様から教えられた内容に基づいて、世の中とか我が家とか自分を見つめてですね、そして今、”自分のやるべきことはこういうことだなぁ”ということをある程度決めて、それを課題に毎日毎日向上に向かって生活していく、と・・・これが、信仰生活ですので、そういう信仰をですね、今日をまた新たなスタートにさせていただいて、進めさせていただきたいと思います。

来月の月次祭はですね、通常通りさせていただくのですけれども、私は本部の都合で来させていただくわけにはまいりませんが、○○さんを中心に月次祭を執り行っていただいてですね、そして、これから岡山支部としてどのような形で御神業に臨ませていただくか、或いは倉敷出張所としてどのような形で取り組ませていただくとか、それから「これから出張所を許されよう」としているところは、その塊でどのような取り組みをさせていただくかということをお決めになってですね、12月23日に報告できるような、そういう整理をしていただいて、月次祭を執り行っていただければ、大変ありがたいと思います。最後にそうしたことをお願いさせていただいてメシヤ講座を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

参加者一同:

ありがとうございました。