メシヤ講座no.173岡山(平成27年6月)

<今月の御教え>
御教え『文明の創造』宗教篇 「キリスト教」〈本文は『文明の創造』342ページに記載されています。

【メシヤ講座 岡山支部】

仏教は何故日本に定着したのか

楳木代表:今月は非常に短い文章ですけれども、メシヤ様は、キリスト教はですね、細々と世間で書かれているので、今迄何人もかかなかった事を書いていくのですよ、ということで、342ページの最後の行から読んでいきます。

「私が常にいふ如く、神は何千年に渉って、天国的文化を形成する目的の下に経と緯の経綸をされて来たのであるが、其経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教であった。」

というふうに書かれておりますので、経のですね、経綸の代表的宗教が仏教でありまして、その仏教についてはですね、この「文明の創造」の305ページから本日拝読した前の所まで、342ページ、これが大体仏教についての内容ですので、この点はですね、是非頭にスラスラと浮かぶくらいにですね、読み込んでおいていただきたいと思います。

それは何故かと言いますと、「祈りの栞に寄せて」の本の最後のまとめの所にですね、メシヤ様は「いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申し付ける」と仰っています。

で、因縁通りの御用、使命が与えられる時にですね、そのチャンスが何回かありますので、チャンスが何回かある時のですね、そのチャンスは何かと言った時に、自分の廻りの人とか或いはご家族の中でですね、お子さんとかお孫さんが、日本では何故これほど仏教が行き渡っているのか、仏教はですね、インドで出来た宗教なのにどうしてこれだけ日本に定着したのだろうか、というような質問が仮に出た時に、その時にメシヤ様から因縁通りの使命が下る一つのチャンスであります。その時に使命を引き出してあげることが出来るか、出来ないかは、その時にですね、質問を受けた人の肩に掛かっておりますので・・・。

そういう瞬間を見逃さずに、「どうしてだろうね」というような形で終わらせてしまうと、使命はそこでいただけなくなりますので・・・、その時にこれだけの事をですね、このページ数を話してあげていただきたいのです。その時に、すぐ話しが出来るように頭の中に思い出しておいて、そういう時、聞かれた時にスッと出るようにですね、しておいていただきたいと思います。

それで、今月のメシヤ講座・特選集・・・、皆さん行き渡っていると思うのですけれど、この中で挨拶の中で取り上げた内容に、この中国地区では山口県萩市で教会を開かれた先生のメシヤ様からいただいたお話しというのがあります。その○○教会長自身がメシヤ様から話をいただいた内容というのは、三千年前にですね、朝鮮半島と中国大陸から瓊々杵尊と素盞嗚尊が萩に上がって、そして日本のその当時の統治者である伊都能売神皇様に皇位を譲るように迫ったという部分があります。

実は、この時に『夜の時代』を迎えたわけなのですけれども、伊都能売神皇様は当初、その「皇位を譲れ」ということはお断りしております。しかし、お断りしているのですけれども、日本人の命が係わってきたので自分が皇位にいることで日本人自体の生命が危うくなることを避けるために皇位を天照天皇にお譲りになってですね、そして二十八部衆を従えてインドへ下って行かれております。そして、補陀洛山という所に居を構えて、昔の言葉で言えば、結跏趺坐されている所へ、お釈迦様がまだ皇太子の時にですね、悉達(シッタ)太子と言われている時に訪ねて行って、伊都能売神皇様から色々教えを受けております。その教えの中身は一体何かというと、それは日本の教えをお釈迦様に教えたわけです。

それが今形として残っているのが、武士などで高い地位で亡くなった人たちのお墓に五輪塔を使ったりしております。この五輪等はですね、一番上から空、風、火、水、地という意味があります。一番上の空は、一切空なり空ですね。風とは、風(カゼ)の風ですね。そして火、これは燃える火です。そして流れる水ですね。そして一番下が土地ということであります。これは、今形として確かに日本の教えを垂れたということの証拠として残っている形が、五輪塔であります。

この五輪塔の空、風、火、水、地というのは、『あ・い・う・え・お』という意味ですから、『あ』と言った場合には、すべてが始まるとかそういう意味が込められていくわけなのですけれども、『い』と言った場合には、風を起こすとかそういうことが働きとしては出てくるというようなことを基本にしたことを、まず言霊について教えられたということが推測できます。

そして、次にはですね、その当時インドというのは、バラモン宗で悟りを開いていくという難行苦行を中心にした悟りの開き方をしていたので、このままではインド人が本当に幸せになっていくことは出来ないのではないか、というふうに悉達太子は思っていたので、そのことについて伊都能売神皇様にお尋ねしていると思います。お尋ねしたことに対して伊都能売神皇様はなんとお答えになっていたかと言うと、『日本というのは武力で治めているのではないのだ』と・・・『徳によって治めているのだ』ということを、その時に恐らく強調されたと思います。

「道法礼節」について

楳木代表:で、「どうしたら徳によって治めることができるのか」というふうにお尋ねしたところ、その回答というのはですね、恐らく「道法礼節」で説かれていたのではないかなと思います。これは、以前のメシヤ講座でもお話しましたように、道というのは道(ミチ)ですので、何事にも道があるのだ、と。

ですから、分りやすいのは、お花の生け方を習う時に「生花教室で習うよりも華道教室で習え」というふうに言われております。それは、道を習わないと・・・アレンジメントのようにですね、花の生け方だけを習ったところで人間としては成長ということはできないので、何事にも道があるということを教えてもらう華道というのを習ったほうが良いと昔から言われております。そういうふうに何事にも道があるのだということを分かっておかないといけない。

それから法というのは、法律の法ですけれども、この法の語源は炎からきておりますので、炎というのは触ったら熱いですので触れない。ですからこの世の中には触ってはいけないものがあるのだ、と。触れてはいけないものがあるのだ、と。そういう犯してはならないものがこの世の中にはあるので、それを知って生きていくことを次には教えられていると思います。

それから礼節の礼というのは、皆さん方手の平に礼を書いてみてください。旧字体で書いてください。旧字体で書くと、示偏に豊と書きます。これは豊かさを示すということなので、金銭的な、物質的な豊かさだけではなくてですね、精神的な豊かさがあれば礼を尽くすことができるのだということですね。

まあ我々卑近な例で考えていくとですね、気分の良い時に自分の奥さんからごちゃごちゃ言われても腹が立たないのですけれど、疲れている時とか、今月の支払いどうしたら良かったかなぁ、とか悩んでいる時に、ちょっと変なこと言われると「何、うるさいなー」というふうになってしまいます。しかし、自分が精神的に豊な時には、丁寧に答えてあげることが出来ると思うのですけれども、それくらい礼を尽くすということは、やはり物心両面で豊かでないと礼を尽くすことはできないと・・・。

それから節というのは・・・、竹というものは、中は空洞ですけれども節があるので非常に強いわけです。それと同じように節目、節目でですね・・・、今後ろに小さいお子さんがいらっしゃいますけれども、例えば七五三とかの節目の時に・・・その時々にですね、皆さん、現代人は写真を撮ることを中心にお宮参りに行きますけれども、実は七五三ではですね、「三つ子の魂、百まで」というようなことがありますように、一応自我ができた時に心得ることは何かということを訓示するのが本来の七五三の時にやらないといけないことなわけですね。

それから、論語などにもありますように、「十五にして学を志す」とかいうようなことが出た時に、なぜそういうことがあるかというと、我々の脳細胞というのは十五歳まで細胞分裂を積み重ねていって十五歳の時に脳細胞が完成します。そして、それから細胞分裂はなくてずっと死滅していくわけなので、十五になった時から学びをしていくとですね、万全な体制で勉強ができるということを、神様から教えられた上でこういうことが言葉として残っているのだ、と。

そういう節目、節目を大事にしていくということをやっていけばですね、人間としての成長が図れる。こういうことを「道法礼節」という言葉を基にですね、悉達太子に話しをされたと思います。そして、その話しをですね、「なるほどそういう教えがあるのか」ということで悉達太子は意を決意してですね、このインドのバラモン宗でしか悟りを開くことをできないところを、こういう日本の教えで救っていこうということで出家をしました。

仏教は伊都能売神皇様の精神・教えが基

楳木代表:出家をするというのは皇位を捨てて家族も捨ててですね、そしてさらに悟りの道に入ってお釈迦様になっていきます。そうしてお釈迦様になった人が説いた教えが仏教として残っているのですが、元々は日本の教えなので、それが中国を通って日本に入ってきた時に日本人はですね、それがインド語で入ってきても、インド語は中国を通る時それを漢文に書き換えて、そして漢文で入ってきたけれども、読み方はインド語で読んでおりますので、インド語は理解できなくても精神が伊都能売神皇様の教えなので、日本人はすっと受け入れることができたわけです。

そうしたことをそういう質問がでた時には、すっと口に出して言えるようなお一人お一人になっていただきたい、と思います。それが頭の中にカチッと入った時には、一番低い神格くらいはいただいていける境地に段々入っていけますので、そういう頭の中に想念の中にカチッと生まれないと神格は永遠にいただくことはできませんので、そうしたことを日々練習してですね、日を送っていただきたいと思います。

しかも、インドから中国を渡って日本に入ってくる時にですね、儒教を拾って入ってきておりますので、その儒教がこの仏壇の中の現在のお位牌という形になっております。黒塗りに金泥で文字を書くのが儒教の形式ですので、こちらの方が我々の先祖をお祀りする上で非常に敬う姿勢がより込められるということで、それまで白木の位牌だったのが黒塗りの位牌に日本人はすっと取り替えることができたわけですね。

「経綸」という単純な言葉で人心をコントロール

楳木代表:そうした日本に仏教が入って来た時の背景というのはですね、説明をすっとできるように是非お願いしたいと思います。これが縦の経綸ですので、経綸と言った場合にはこういうことしかないのだということを、とりわけ○○○光教団で、耳の中に「経綸」「経綸」と言って聞いて来た人達は、その経綸の概念を元に戻しておいていただきたいと思います。ここで書かれていることが経綸なのだと・・・それを人間の都合でですね、現代の経綸とかいう言い表し方は、実は相応しくない表現だというふうに分かっておかないとですね、今度地上天国祭の時に少し詳しくその辺を書いていこうかと思うのですけれども・・・。

例えば戦時中にですね、八紘一宇とか鬼畜米英とかいうスローガンを掲げてですね、そして日本国民を、ずーっと欧米と戦う姿勢づくりを単純な言葉でしていきました。これが実はですね、言葉の御守り的な使用法ですね。御守り的な言葉によって日本人の心を戦争に向くように向くようにしていきました。その方法を○○○光教団はとっているということです。それは、「現在の経綸」というような表現でですね、みんなの心を鷲掴みにするために「経綸」という言葉を使っているわけです。

言葉の信仰に頼ってはいけない

楳木代表:で、同じ方法なのだということを実はですね、哲学的には解明されておりますので、その解明されている人がメシヤ様の教えの中に入ってきているですね、プラグマチズムです。天国の礎という本を読んでいくとその中に、「宗教プラグマチズム」という言葉が出て来たことを覚えていると思います。この「プラグマチズム」をメシヤ様がなぜこの御教えの中に取り上げたかというと、実はそういう御守り的言葉の使用はいけないということをメシヤ様は指摘されているわけであります。だからこそ、メシヤ様はすべての事に対して具体的に救いをもたらすお言葉を述べられております。

ですからメシヤ様の御教えは膨大にあるわけです。具体的に救っていくという・・・そういうお言葉をお述べになっているから御教えというのは多くなっているのだということを分かっておいていただきたいと思います。

日本人は仏教が入って来た時にですね、どうしてもインド語で入ってきているので、分からないけれども、精神が日本の教えなのでありがたいということで受け止めたので、お経を聞くとですね、実はありがたいという気持ちが起きるのと同時に、分からないことを聞くとありがたいという、そういう精神の癖がこの2600年間の間にずうっと出来てきております。ですから明確に物事を考えていくという癖が日本人の中から無くなって来た部分があります。ですからお経というのは、仏教に対しては大変申し訳ない話なんですけれども、この文章を普通にこう読むと日本語なのですけれども、逆に読むと何か分かりませんけど、これに節をつけるとお経のようになります。

それは何故かというと元々はインド語なので・・・、だから日本人がそのお経を聞く時、インド語で分からないのでこの抑揚をつけて、そして気持ち良さを味わったわけです。それが現在では、ご詠歌になってきておりますし、その流れで演歌になっているわけです。その日本人の中に染み付いた、こうした精神構造というのを私達はですね、今『宗教改革』をメシヤ様が訴えているこの時期に、しっかりとですね、歴史を認識した上で、メシヤ様が何故『宗教改革』を唱えられたのかということを分かった上で、今「文明の創造」のですね、これからキリスト教に入っていくところを勉強しているのだという認識で読んでおいていただきたいと思います。

そうしないとですね、メシヤ様の御神業を私達はいつまで経っても担うことが出来ないという状態で進んでいってしまいます。そして、組織だけが出来上がって、その組織が運営されているということだけで、要は終わってしまうということが起きてしまいますので、メシヤ様の御教えに基づいて御神業を進めるということは、もっと具体的なのだというふうに受け止めていただきたいと思いますね。

浄化作用は人間の進化の為にある

楳木代表:そういう事をまずお願いさせていただきたいと思います。その上で、次に『キリスト教に移るが』と書かれておりますけれども、この

『キリスト教に移るが、緯の経綸こそ物質文化の進歩発展の基本であって、即ち科学である。』

ということで、昨夜ですね、夜中の12時前後にNHKで、哺乳類が地球に初めて生まれた頃のことを放送していたのですけれど、見ましたか?

皆さん、子育てする時におっぱいを出しましたけれど、おっぱいの元は何だと思いますか?

参加者:血ですか?

楳木代表:血液がおっぱいになるのだけれども、その前・・・爬虫類から哺乳類に変わる時に、おっぱいが実は出始めるのですけれども、この哺乳類になる時におっぱいは何が変化しておっぱいになったと思います・・・これは実はね、汗なのです・・・というふうに科学的に説明しています。

汗は何のためにかくかというと、暑いからかくのは当然なのですけれども、同時に汗というのは殺菌力がありますので・・・鶏の卵は殻が硬いですよね、これが段々進化していく中で、爬虫類とか鳥とかが生む卵は殻が段々薄くなっていきます、進化していく中で・・・。

で、薄くなると・・・固い殻の場合は、細菌に感染しないのですけれども、薄くなってくると細菌が入りやすくなってくるので、それで親が汗を流して卵を守っていたらしいですよ。で、守っている時に、地球のマグマが吹き出て9割位の生命が死滅していった時に、生き残ったものの中で今度は、卵で生むと恐竜とかに食べられてしまうという中で、どうしても卵を体内に宿す方が子供を産むのにいいということを思うのですけど、卵を外へ産んで育てていた時にですね、それである時、生命がある病気に侵されたらしいのですね。

その病気に侵された時に・・・卵を開けた時に体になる部分と袋がついていることを知っていますかね。中で子供が成長していきますよね。そうすると栄養は卵の中から取るのですけれども、尿とか排泄しないといけないので、排泄した尿を溜める袋が卵の中にはついています。実はこの卵の中の尿を溜める場所がウイルスに感染する中でですね、突然変異を起こして、これが胎盤になったということが最近分かったそうです。

その胎盤がですね、感染によって尿の袋になるところに病気のウイルスが入って突然変異を起こしながら、これが胎盤の基を作り出すということが起きて、それがお腹の中に胎盤が出来るということに繋がっていっておりますので、男はとても理解できませんが、女の人の中にある胎盤とかですね、それから母乳は汗から作り出すようになったのだということは、全てその都度生き物は病気になっています。

病気になってDNAの中の構造が少し変わってですね、新たなものが体の中に作り出されています。ですからこれを理解していくことが出来ればですね、メシヤ様の浄化作用というのは、人間が進化するためにあるのだということがよく分かっていくと思いますね。

来月から横の経綸の学びに・・・

楳木代表:皆さん方もですね、様々な浄化を重ねながら自分自身の体が元気になっていくのと同時にですね、頭の中が非常にクリアーになっていっていると思いますので・・・この時に薬に頼ると余計に鈍化するわけなのですけれども、そういうのをなしに全部出して行っているとですね、そうすると・・・その分かりやすいのは、今回取り上げているメシヤ講座の中の最後の方に発表者の体験を書いております。

先月もここでお話しましたように、○○さんという人が発表する時にですね、原稿を書き始めたらコールタールのような便が1週間、書く間中出てですね、その後、「後頭から首にかけての固まりが取れて非常にスッキリした」という話を書いておりますけれども、そういうように浄化を許されると体が変化していく、こうしたメカニズムを、実はキリスト教が元になった科学によって実証していく、その一番基礎的な勉強が来月から始まる内容だというふうに受け止めておいていただきたいと思います。

そうしたものを積み重ねることによって、メシヤ様の御教えをですね、縦横両方から理解していけるようなことが実は来月から始まるんだというふうに思ってですね、「文明の創造」をもう一回、この間(P305~P342)をもう一回頭に入れて、何か聞かれたらすぐ答えられる練習をしておいて下さい。そういうことを最初にですね、お願いさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。

お坊さんにはどのように話したら・・・

参加者:お寺のお坊さんは、この解釈とは随分違うのですけど、どう説明をすれば伝わるのかなぁと・・・我が家は真宗なのですけど、メクリ位牌だけでよろしいと・・・それで年に2回位、来てくれなくてもいいのですけど来て下さるのです。それでその時に、どういう説明が出来るかなぁと・・・。

楳木代表:仏教自身としては、お位牌がないというのは正しいわけなのです。だから、「さすがですねぇ」と・・・。

「さすがですね、インド型の仏教を極めておられますね」というところから・・・そういうところから話をしていきたいですね。

「しかし仏教はインドで出来たのだけれども、それが中国を通って日本に入ってくる時に儒教を拾ってきたので、現在のお位牌があるというのはご存知ですよね。」というふうに・・・。

相手が知らなくてもそういうふうに言ってあげる・・・そうすると「うん、そうだそうだ」と、知ったかぶりする人はそのように言うし、知らない人は「うん?」という顔をするだろうし(笑い)、そうしたら正直な人だなぁと思えばいいし・・・実はそういう事を私は勉強したので、元々約2600年前に仏教が出来る前までは、日本には白木の位牌があったそうなので、それが、仏教が儒教を拾って入ってきた時に、日本人はみんな切り替えたらしいので、そのことを勉強したので、これは如何なる理由があろうとも、この位牌を置かなければいけないと思った次第でございますと・・・「ですから、この私の学びをどうか受け止めて下さい」というふうな話し方をしていってもらいたいと思いますね。

で、このことを一番指摘したのが日蓮上人なわけです。日蓮上人がそのことが判ったのです。万巻のお経を全部読み、日本の伊都能売神皇様がインドへ行って、お釈迦様に仏教の基を教えたということが分かったので、日蓮上人は仏教改革に立ち上がったのですね。だから『夜昼転換』の黎明期を迎えることが出来たわけです。遥か昔に『夜昼転換』の黎明期を迎えて、そして昭和6年6月15日に皇位を譲っていただいていた天照天皇様が、素盞嗚尊に殺されてしまったので、それから3,000年間ずうっと出てきてないわけです、現界に・・・それをメシヤ様の鋸山の神事によって天照天皇がお出ましいただくことが出来たので、『夜昼転換』が出来たわけです。で、その前提が日蓮上人の出現であると・・・こういう時系列の話が次には出来るくらい、お坊さんが勉強してくれると、これは大変な『宗教改革』に繋がっていくのではないかと思います。

お坊さん方もこの辺に何かもやもやしたものを持っているのですけれども、明確な教えを今までいただいたことがないので、もやもやのままです。それを、そのもやもやを晴らしてあげるのがメシヤ様の御教えなので、そのメシヤ様の御教えと出会った我々が、そのもやもやを全部晴らしてあげないといけない・・・これを晴らしてあげない限り、地上天国建設というのは有り得ないわけなのでね。

参加者:大変な仕事ですね。

楳木代表:大変な仕事なのです、実は・・・。それがね、のほほんとした信仰をみんなしてきたために、大変な仕事だという認識が今までなかったのです。メシヤ様が御昇天してから余計にそのようになってしまったのですけれどね。しかし、私達はそういうことに少しずつ気付き始めたわけですから・・・もう、気付き始めたら、ワクワクしてくるでしょ、本来の使命というものがこの中に、湧き起こってくるわけだから。(笑)

参加者:・・・。

薬を飲ませることが「経綸」ではない

参加者:先ほどの話ですが、外敵にやられるから体内に宿って・・・あっちに逃げたりこっちへ逃げたりして生きてきたのでしょ、それは本当なのですかね。

楳木代表:そうですね、だけどその前に病気になったのですよ。ウイルスに感染したために尿を溜める袋が胎盤に変わったということです。

だから、これが経綸なのですよね。これが経綸なのです・・・最終的に人間というものを作り出すという主神様の御計画の基に、ああいう初期の動物の時に変化を与えて変化を与えて哺乳類を作って、哺乳類の中から人間というものを作り出すための過程なわけですよ。

参加者:経綸というものの捉え方が全然違いますね。

楳木代表:経綸というものは、地球を造った時から地球上の経綸が始まっているわけなので・・・。その地球の中に天国を造るために、最終的には人間を作って、そして神の代行者としてこの地球に天国を造るということ、これが経綸ですからね。

薬を飲ませることが経綸ではない、これはもう経綸に逆行しているわけなのですから、まんまとやられているわけです。戦時中の言葉による信仰をさらに単純化して、経綸という二文字でみんなをコントロールするというやり方にまんまとやられてしまっているわけです。経綸というのはもっと・・・45億年の長さがあるわけなのです。宇宙はもっと、150億年とも120億年とも言われていますけど・・・。

仏教の話が出来る信者に・・・

参加者:そうしたら「霊界に於ける夜昼転換」のところから、ここまでのことがさっとお伝えできるようにならないといけないと・・・。

楳木代表:そうですね、是非よろしくお願いします。今大体話した仏教の歴史は大体頭に入ったでしょ・・・(笑い)。だからその入ったことを、話す・・・とにかく話す。話すことによって頭の中に構成されていくわけなので、話さないとどうしても頭の中に記憶として止まっていかないですからね。

参加者:そういうことは一人一人が高まらないといけませんわね。”メシヤ様、ありがたい”のレベルから・・・自分を筆頭にそういうところで止まっているようなのですよ。このことを本当につらつら言える・・・○○さん・・・(笑い)勉強させていただきますそうです。

楳木代表:言う練習をしてください、お父さんとね。そして話してみて、お父さんが「お前の言っていることはさっぱり分からん」と言えば、「もう一回練習するから」と言って練習していけばいいのです。

参加者:今日は○○さんが初めて来られて少し戸惑っておられると思うのですけど・・・。

楳木代表:まぁ、みんな疑問をですね、心の中に閉じ込めてしまっているのです。仏教を、インド語のお経をいつも法事の時とか聞いているわけなのです、インド語を・・・それで供養になっているのかとみんな疑問に思っているはずなのですけれど、その疑問を閉じ込めてしまっているわけなのですね。

だけど、そのお経の精神が日本の3,000年前の教えなので、ありがたく聞こえてくるという、この仕組みを分かっておけば、仏教に対する考え方も大いに変わってくるのではないかなぁと思いますね。

それからイエス・キリストは、キリストとしてですね、力を発揮する前に7年間ほど空白の期間がありますよね。その時に日本に来ていたのじゃないかという仮説があります。

それから青森県の戸来(へらい)村というところにはですね、イエス・キリストの墓もあります。ですから日本との繋がりは深いものがあるのではないかなぁということが、そういうところから推測されますけれども、それもですね、この御教えを来月から拝読を続けながら、段々と深めていきたいというふうに思います。

しかもこのキリスト教が出たからこそですね、学問の体系・・・現在我々が使っている学問の体系が出来上がってきたわけなので、物質的な学問の体系を造るためにキリスト教というのが生まれてきているわけなので、この学問の体系の中からメシヤ様の御教えを裏付けるものが・・・現在も出ている訳なのです。実はこれからも一層出てきて、それでメシヤ様の御教えを十分理解できるようになっていく・・・愈々そういう時代を迎えたのだという思いでですね、この「文明の創造」をこれからも勉強させていただければ大変ありがたいというふうに思います。

参加者:愚夫愚婦では使い物にならないと仰っておられますが、ここに来られるという事は愚夫愚婦ではないのですね。

代表:そういうことですね。

メシヤ様を魂は求めている

参加者:ここに来れるということは・・・。

楳木代表:それは、魂が求めているから、それで来る訳ですね。今日は来ていないのだけれども○さんが、(地上天国祭で発表の)原稿を纏めているのですけど、あの人は最初「真光」ですね、それから天聖神美会、それからいづのめ教団、そしてメシヤ教と・・・これは魂がメシヤ様を求めているということなのです。メシヤ様を求めているのだけれども、その廻りにですね、3,000年間の色んな罪穢れからくる因縁がこびりついているので、それでメシヤ様という御存在というのは分かるのだけれども、行く道が因縁によってですね、遠回りして行っているということです。だからすぅっと入って来た人というのは、その因縁が割合少ないということです。しかし、遠回りするというのは、そういう因縁が周りにくっついている為にそれが愚かに見える部分でありますので、それが取れて来れば、本来の魂が輝いてくればですね、これはもう主神様の分け神霊ですので、神格をいただけるところまでずうっと登り詰めることが出来るということです。

参加者:この度、○が学ばせていただいたのですが、分からないけど何となく分かると言うのですけど、本当なのでしょうかねぇ。(笑い)

楳木代表:分からないというのも本当だし、分かるというのも本当なのだけれども、この分からないという所をこれから具体的にやっていかなくてはいけない、これがレポートなのですよ。分からない所をハッキリしていくというのがレポートなんでね。だから気付いたことを書き留めていって、そして作り上げていくと、分からないけど分かったというのが、全部分かったという話になって行きますので・・・。

参加者:よろしくお願いします。ここに来られるというのは愚夫愚婦ではない・・・これが、やっぱり大事だと思うのですよ。ここへ来るということがね・・・。

楳木代表:大体、この本をずうっと勉強して、よく飽きないなぁと思うのですね。この飽きないということが実は愚かではないという、真理を求めているという、その魂の輝きがそこにあるという事です。

 

参加者:4、5年前、メシヤ講座を束にしたのを貸して下さったのですよ。それをこの人に貸したら「面白い」と言って読んだのです。

参加者:「面白い」もそうだけど、「なるほど」の方が多かったです。

楳木代表:元々ね、「いとをかし」という古典を勉強していますよね、「いとをかし」というのは、大変興味深いという意味なのでね。高校時代習ったでしょ・・・「いとをかし」と言った場合は、大変興味深い、なるほどという事なのでね。言葉的には「面白い」でいいのですよ。

参加者:もっともっと聞きたいという気持ちになってくるのですね。そして聞いたら、いいようには伝えられないのだけれども、それを伝えたいと思うのです。

いばるほど、人は逃げて行ってしまう

楳木代表:もっと聞きたいという所をノートに書き留めていってくれるといいと思うのですね。だから、こういうことを知りたいと思うことを書いていくのです。どんなことでもいいから、もっと知りたいわということを書いてみてください。

それがね、今回「いばるナ、おこるナ、はやまるナ」ということで中島一斎先生のことを麻生という作家が書いた文章をね、最後に載せていますけれども、

「いばってはいけない。いばればいばるほど、人は逃げて行ってしまう。おこればおこるほど、神は離れ去ってしまう。」

これは名言ですよね。

「そして、はやまればはやまるほど、自分の中の自分が分からなくなってしまう」

ですから、「いばるナ、おこるナ、はやまるナ」というのは、そういうことがメシヤ様からいつもですね、高弟の方々に教えられた中身だということなのでね。そういうことも参考になると思って濱口さんに抜粋してもらいました。

ですから、今月のところは私の挨拶の後の所もですね、非常に、参考にしていただければ大変ありがたいというふうに思います。

教団幹部は認知症?

楳木代表:それから話は違いますが、今大変なことが起きているのですよ。今度、○○光教団の御神体が○○○光と同じ、「大光明」の御神体になるのですけれども・・・(重要な内容だけに割愛します)・・・もうみんな精神状態がおかしくなっているので、これを何とつけようかと思っているのですけど、「世界救世教幹部認知症」とつけるのがいいのか(爆笑)、「役員認知症」とつけるのか「執行部認知症」とつけるのかと・・・そうしないとですね、メシヤ様の御教えと違うことをやっていって、しかも信者さん方を「今の時代はこれなのだ」ということでお導きしていこうとしていますけれども、これは御教えに照らして考えるとおかしな方向に行っておりますので、やっぱりそういう状態に陥っていってしまっているのではないかなぁ、と思います。

ですから今、やはりメシヤ様の御教えに還っていく、メシヤ様に直に繋がらせていただく、という、そういう信仰をですね、皆さん方に喚起していかないと幸せということには繋がっていかないというふうに強く思いますのでね、一層そういう取り組みをですね、皆さんと一緒に取り組ませていただきたいなぁ、と思っております。

御神体の下の所に輪が5つ

参加者:御神体のことで少しよろしいですか。みなさん御神体から光が出たりしているのを見られているのですが、私には全然見えない・・・それが今回、御神体の下の所に輪が5つ、それがくるくると動いたのですよ。それ以来、(御神体の)ここから上に目がいかない、見られないのです。不思議なことが起きたのです。

楳木代表:その5つというのが、非常に意味があるのですよね。箱根の光明神殿が完成した時に御奉斎式というような形で、御神殿が出来上がった時にですね、あそこに御神体を掛けたというふうに言う人がいるけど、掛けてないのですよ、箱を納めたのです。その箱の中に「大光明」とか「五秘仏観音」とか、メシヤ様の御書五体が入れられていたらしいのですよ。それをあの光明神殿の中に安置して、それを御神体としたのです。ですから全部巻いていたのです。

だから、光明神殿を造った時には、その御書体を入れていたのです。それを総括するお文字がこういう文字だということを、今の話を聞いているとですね、愈々の時期が来た時に・・・この前、フリーメーソンの本を読んでいましたらですね、フリーメーソンが一番嫌がっているのはこのお文字なのですけど、世界の御神体を総統括すると「○・(ス)」になるというのが、フリーメーソンのその小説の中に書いてあるのです。

「メシヤ様」を出す立場と隠す立場、あなたは・・・

楳木代表それは作者が勉強して、そういう物語を書いたと思うのですけれど、これが愈々表に出てくるとフリーメーソンとかのそういう企みが全部壊れていってしまう、それを隠すために今まで色々やっていたわけなのでね。

メシヤ様も文部省の方から、信仰の対象は何かと言われて、大草管長がすぐ「メシヤ」という御名を取り下げたりしているように、色んなところから圧力を掛けて、「メシヤ様」という御存在を消すために今まで働いてきているけれども、”そんなことは許さないぞ”という精神で「メシヤ様」という御存在を表に出そう出そうとしている固まりが段々増えてきているので、これをずうっと拡げていけば、そういう企み事が全部消えていって、我々人類が天国に住することが出来るような状態に持っていくことが出来ると思うので、今は非常に凄い時期だと思いますね。

それに3月3日に、記念大祭を執り行わせていただいてから、神山も大きく変化しておりますので、人数が少なくてもですね、「メシヤ様の御教えに基づいて地上天国建設をさせていただこう」という、そういう固まりが大きくなってくることによって、時代は大きく移り変わっていくと思いますのでね・・・御神体については、いいお話でした。

3月3日もですね、神山の圧力があの御神体にそのまま来ているような感じで、御前に進むことがちょっと出来にくいような、そんな圧力が当日はあったのですけどね。ですから6月15日も相当心してお迎えしないといけないなぁという思いが、ここにあるのですけれども・・・あまり慎重になりすぎるとね、顔がこわばって来ますから・・・。(笑い)

国と国の言葉や文字は何故違うの?

参加者:他愛もない質問ですが、国と国の言葉や文字は何故違うのでしょうか。

楳木代表:それは御教えにあるでしょう。色を着けるためです。地球全体が一つの絵画になるために、一つ一つの国とか民にね、色を着けて、色の一つが言語であるわけですね。その言語が多彩であればあるほど、その絵というものはすばらしいものになるわけなのでね。そういうふうに変えた一番根っこは日本だということです。

で、日本の言葉からずうっと広がっていって、韓国の場合は対馬に一旦「阿比留(あひる)文字」というのを教えて、それが変形してハングル文字になったのです。そういうふうにして、日本の精神とか、神様が神界から教えられたことが発展して世界に広がっていっているのです。で、これが、全ての言語が芸術の姿だというふうに受け止めていっていただきたいと思いますね。

今もうちょっとでイスラム国、ISの方が勢力を広げようとしたり、アメリカを中心にして押さえ込もうとしたり、この遣り取りの実態がもうちょっと分かっていかないといけないので、この時にこのキリスト教を拝読していくと、イスラム教というのはキリスト教から出て行ったわけなのだけれども、キリスト教の攻撃的な思想では世の中が幸せになっていかない、人類が幸せになっていかないということで、弱い部分を守るために戒律を持ったイスラム教が出来上がってきたのだけれども、このイスラム教の中にまた元々のキリスト教の性格を持った者達が生まれてきたので、ISを今それが作り上げていっているので・・・。

ですからメシヤ様のこの御教えをずうっと伝えていかないと、その部分が救われていかないという、そういう今時期を迎えているのだ、と・・・ですからメシヤ様に直に繋がるという人達が増えていかない限りですね、そうした作用が世界に広がっていくことは出来ないのでね。そういう時期を迎えている時の疑問なのだ、と、それは。で、その疑問というのをいつもですね、支部や出張所で話し合いをしながらですね、メシヤ様の御教えに基づいて物事を考えていくという、そういう訓練をしておいていただくと大変ありがたいと思いますね。

それでは時間になりましたので、終わらせていただきます。ありがとうございました。

参加者一同:ありがとうございました。

(以下省略)