メシヤ講座no.167三重(平成26年12月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』宗教篇 仏滅と五六七の世」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』313ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 三重支部】

12月23日は新年である

楳木代表

先月の宗教篇のところはかなりメシヤ様がおまとめになられておりますので、各支部でお話した中から重要なところをメシヤ講座・特選集のダイジェスト版にまとめました。

とりわけ、『文明の創造』出版する意義ということを普遍化したいがために三重支部でお話した内容を取り上げました。そして愈々本日の『仏滅と五六七の世』ですが本日拝読したことをもとに宗教篇をズーッと学んできて今年一年を過ごさせていただきました。12月23日はメシヤ様御降臨祭で太古の昔は新年でありました。キリスト教のクリスマスではツリーを飾りますが、キリストの誕生日を12月25日にしたのは本当は12月23日にしたかったらしいのですが何かの事情でずれて12月25日なってしまったらしいです。

本来は縄文時代には木を飾ってその年に収穫したものを飾りつけてお祝いをしたということも残っていますので、12月23日に新年のお祝いをするというのが本来のあり方であろうかと思います。私たちもメシヤ様から御教えをいただきつつ信仰をさせていただいておりますので、12月23日の意義というのは長年学んできました。12月23日の祭典は年々重要になってくるのではないかなと思います。

 

【キリストの誕生日(メシヤ講座no.83三重(平成19年12月)より抜粋)

楳木代表

キリストの誕生日はいつでしょう。12月25日ではないのです。もっと暖かい春だったはずです。ではなぜ12月25日にしてしまったのでしょう。12月23日にしようとする動きがあったができなかったのです。古代では12月23日は新年でした。12月23日を過ぎると翌日から日が長くなります。日本でも縄文時代は12月23日にツリーを飾っていました。そこにキリストの誕生日を持って来ようとした。雑誌の「ビックコミックオリジナル」に掲載の「玄米先生の弁当箱」にこのような話が出てきます。キリスト教文化圏の科学者は牧師が多いです。ニュートンも牧師でした。

【キリストの誕生日(「内藤景代が毎日更新する日誌風エッセイ」より)

冬至は、この星・地球の上半分の北半球では、太陽の高さが一年中で一番低くなる日です。冬至を境に「一陽来復(いちようらいふく)」で、日中がだんだん長くなっていきます。冬至(とうじ)は――古代の「魔術的な思考法」では――「太陽(=太陽神)」のチカラが一番弱い日で、この日を境に「太陽(=太陽神)」は、チカラを強めていきます。いわば、「太陽神が、闇(陰)から光(陽)へ生まれ変わる日」が冬至です。 古代から、「太陽神の祭り」が伝わってきました。キリスト教は、この「冬至の祭り」をとりいれて、「救い主=キリスト」の誕生日としたといわれています。「新約聖書」には、イエスが12月25日に誕生したとはかいてありません。】

 

 

1年の学びと新年の抱負

楳木代表

そういうことで、23日までに自分が今年生きてきたことを振り返って、今年はどういう年だったかということを12月22日までには整理をして23日から始まる新しい平成27年は私にとってこういう年にしていこう。こういうふうな生き方をしていこうということを整理していただきたいと思います。

その整理したことと本日の御教えを拝読したところをあわせて何か報告してくださるとありがたいです。

安子さんにとって今年一年はどういう年で来年はこのようにしたいと。急な話ですけども。

 

受講者

えー。今からですか。

 

楳木代表

今一言まとめておかないと23日にはまとまりません。23日にメシヤ様に御挨拶させていただくときにそのことを言わないといけないのです。

 

受講者

娘が結婚し、孫が生まれ、母の浄化といろいろありました。一年無事に過ごさせていただき来年もまたより一層お使いいただけるようにしたいと思います。

 

楳木代表

良いまとめ方ですが、そのことを通して何を学びましたか。大きな行事もありましたが何で無事に過ごさせていただいたのでしょう。

 

受講者

御光、御力、教え・・・

 

楳木代表

御光、御力、メシヤ様の教えこの教えは何だと本日は書いてくださっておられますか。

仏教の教えは真如で真の如しで真理ではないと・・しかしその点我々はメシヤ様から真理を教えていただいています。その教えがあるから色々な節目を乗り越えさせていただいて年末を迎えさせていただいております。ということではないですか。

だからこそ来年からはどうするかということです。これだけいただいた御守護にお応えしないといけないですからね。

 

受講者

何をすれば良いのでしょうね。

 

地上天国がわかれば答えが出る

楳木代表

この考えている時間に報告ですが、ある支部に、他の教団の信者さんなのですが、神様から霊視を認められて、その霊視のできる約束期間がもうすぐ切れる。という方が、参拝されましてずいぶん長く御神前に額づいておられましたので、支部責任者が声をかけましたところ、光が強くてありがたいので「広島では土石流が発生して大勢の方が犠牲になられたり、四国で大雪が降るなど様々な変動が起きていますが人類は大丈夫でしょうか」とメシヤ様に御質問申し上げたそうです。すると、「地上天国がわかりさえすれば自ずと答えが出てくるのだ」とのお答えだったそうです。〝地上天国を作っていくためのひとつひとつの出来事なのだと解釈していけば良い″ということですね。

「しかしメシヤ様は現界にいらっしゃらないのにどうしたらよいですか」と更に質問されたそうです。「お前たち信者がいるではないか」と一言お答えがあってそれで終わったそうです。

ですから今拝読させていただいている実相世界、昼の世界とは何かということが地上天国を実現していく上に置いては分からないといけないですね。

メシヤ様と御縁をいただいている人がどれだけわかっているかということと、私達信者が天国を作れるかどうかの分岐点だということです。やればできるしやらなければこのまま薬まみれになってこの世の中は滅びていくわけですので、最後の歯止めができるか否かというのが課題なのです。というようなことがこの前○○支部で起きたのでね。これは、皆さんにお伝えしとかなければいけないと思いました。

それでそういうことを踏まえて来年どうしますか。

今日拝読させていただいた315ページに『大とは一人とかくのであって主神御一方が主宰され給ふ意味である。』とあります。

三重支部を作った特にまだ御神体がかかっていない時に見せていただきましたね。他の支部では見せていただいていないのを安子さんは見せていただいているわけです。それを、ここを拝読した時にふつふつと思い出していただきたかったのです。

三重支部では節目の時に見せていただいたのですからそれを大事にしつつ、新たな人に教えてお取り次ぎをしていかないといけません。そんな安子さんになっていただきたい。

 

受講者

メシヤ様に繋(つな)がって来られた方に寄り添って親身になってお世話させていただけるよう人格と霊性の向上を目指します。・・・メシヤ講座のあとで決意されました。

 

楳木代表

それじゃあ安子さんの報告を聞いて支部長代理・・

 

支部長代理

今年は、校正作業というのはメシヤ教にとっても、メシヤ様に関わる人々にとって非常に重要な御用だと思いますのでこの御用を引き続きしっかりとやらせていただきたいと思います。『主神様とメシヤ様』を最初にまとめましたが今日のこの御教えの『大とは一人とかくのであって主神御一方が主宰され給ふ意味である。』に繋がってきているのだなあと思います。それと今年は母の浄化を通じて「食生活の大切さ」を再認識させていただきました。

 

受講者D

私は来年も自然農法に一所懸命取り組みます。

 

楳木代表

そう。それでいい。

 

受講者D

体が浄化したりしてなかなか野菜のお世話がいきとどかなかったので、来年はもっとがんばります。

 

楳木代表

それでもね。最後の月次祭のときにこれだけ御神前にお供えさせていただけたことは、大変ありがたかったのだと思います。

 

受講者D

百姓一本で行きます。

 

楳木代表

百姓一本というのは日本人の概念と学問上では違うのです。昔の百姓は商社のようなものでした。貿易もして大勢の農業者を抱えて取引もしていたのです。そのように観念を持ち直して、農業というのは日本人の一番基盤になっていないといけないのです。

そういうものを私は再構築しつつ、農業に従事させていただきます。という想いを持っていただきたいと思います。

 

(引き続き参加者の皆様に

①今年振り返っての学び

②12月23日よりの新しい年をどのようにしていくか

ということをそれぞれお話していただき、先生からコメントをいただきました。

ご自分のお話された内容と先生のコメントを受講者のみなさまにまとめていただきましたので、掲載できる内容について報告致します。)

 

M.Hさん

発表した事を思い出しながら、書かせて頂きます。

『今年は色々な体験をさせて頂けた1年でした。母の乳がんの浄化のご守護。一ヶ月以上浄霊を続けておりましたが、一進一退で中々症状の改善が見られず、焦りが出てきた時、メシヤ様にもう一度真剣に祈らせて頂いた時に、声にならない声で、集中力というメッセージが来たので、以前のメシヤ講座での学びを思い出し兎に角集中力を意識して浄霊をお取次した翌日、癌が跡形も無く消えていた奇跡。

父の晩年の浄化 を通じて、浄霊の仕方の極意を楳木先生から懇切丁寧に教えて頂き、数々の御守護を頂けた事。急所の浄霊のおかげで、危篤になっても何度も 持ち直したこと。兎に角浄霊を精一杯頂けて、最期は家族、近親者にちゃんと別れが出来て、眠る様に他界出来た事。亡くなった顔がとても綺麗で、若返って、葬儀の参列者皆様が異口同音に、「綺麗なお顔ですね」と言って頂けた事。先生に父の帰幽をご報告させて頂いた際、「浄霊 を沢山頂き、浄まり切って旅立たれた事でしょう。」とお言葉を頂きましたが、父の姿を見た時に、その事を確信しました。

今年は家族の浄化を通じて、メシヤ様のみ教えの正確さと素晴らしさ、浄霊の光のパワーの凄さ、そして的確に指導を頂ける事の有り難さを痛切に 感じ、感謝で一杯です。

縁有って三重支部にお世話になっていますので、京都で少し遠いですが、インターネットという文明の利器がありますので、できる限りメシヤ様のみ教え集等の編集のお手伝いができればと思います。

又、母の浄霊の奇跡体験については、以前に纏めています。先生から英文訳をして国際版に掲示したいと言って頂きました。よろしくお願いします。

 

H.Nさん

①1年振り返っての学び

・多くの方々の口を借りて、様々なメッセージ(厳しいメッセージも)を受け取ることができた

・「突き進む」「負けたくない」というような、夜(月)の世界のくせがでてしまう自分への気づき

②12月23日よりの新しい年をどのようにしていくか

・受け取ったメッセージを素直に受け入れ、実行していく

・「ひく」「負ける」「謙虚」という昼の世界の行いを身につけ、円満な人間関係を築いていく

・今いただいている英文HPの務めを誠意をもって遂行していく

③先生からコメント

・西洋(月の世界)にしばらく滞在していたことも要因

・文化的な修養を積むように

 

楳木代表

京都では権力の集中が続いたのと権力の集中が動いても残っているものがありますので、そこでメシヤ様の教え・真実を伝えていくということは中々難しい面もあるかと思いますが、知恵を出してお取次ぎしていっていただきたいと思います。

 

Y.Kさん

①今年は子供の入園入学があり、入学前には私も少し大きな浄化をしましたが、メシヤ様に直接繋がらせていただき、御守護をいただいた事に感謝しています。

②入学直後には学校に行きたく無いと言い出し、初めての事に焦り、悩みましたがすぐに支部に参拝、相談させて頂き御力を頂きました。

私にはそういう場があるという事に幸せを感じ、感謝しています。

③今年校正の作業や、支部のお手伝いはあまり出来ませんでした。

来年からは支部の近くに住む予定ですので、お役に立てるように頑張りたいと思います。

楳木代表からのコメント:

子育てをしていく中で食が大事ということ。

問題が起きる事と食生活が関係している。

現代とメシヤ様時代の浄霊の効き方が違うのは食べ物での影響が大きい。

添加物が圧倒的に増えている。

お母さん達と集まる時にそういう話をして欲しい。

実家や支部に相談出来る幸せを他の人、中には幸せじゃない人もいらっしゃるので、そういう人に話をする。困っている人を支部に連れて来る、広めていくという事をして下さい。

幸せになれる場所や心の支えが私にはあるので、やはりそれを多くの人に話していかないと駄目だとは思っているのですが、なかなか行動できず…今年は積極的になれなかったので今日を機にお話していけるよう、努力してみます。

 

S.Mさん

月次祭の時には色んな思いがあり、まとまらないまま言葉足らずで話をしてしまい、

自分の話した内容と一致しないかもしれないですが、こういう内容をお話させていただいたつもりです。よろしくお願いいたします。

いつも迷ったり、悩んだり、色々と考えてしまってばかりいるのですが、そんな時に、いつも相談できる場所、話を聞いていただける方がいて下さることに本当に感謝しています。そして、今年の大きな出来事の一つとして、お墓を新しく整えさせていただく事が出来たということがあります。その為に必要なことを一つ一つ教えていただき、また式典等でもお世話になり、沢山のことを学ばせていただきました。お陰さまで、家族の協力も得て気持ちを込めてさせていただけたと思っています。

我が強く、考え込んだりして、くせもなかなかとれないので、とれるよう常に課題にしているのですが、今後も心がけて、もっと皆が笑顔で過ごせるようにしていきたいです。

楳木代表のコメント:

我は必要なもの。我を内に秘めて行うようにするといいです。

こういう場所(支部)に人を案内できるよう、お力をいただけるよう、参拝させていただくといいですね。そういうお力をいただきに箱根へ行ってください。

 

供養が一番の親孝行となる

(I.Yさんのところで急に質疑応答になりました。)

I.Yさん

義理のが亡くなったのですが、四十九日経たないうちに納骨してしまいました。まだ霊界に行けていないのではないかと思うのですが・・

 

楳木代表

七日毎にお墓に行って『善言讃詞』をあげてあげると良いです。

遺骨は自分の亡骸なので執着がまだあるわけです。自分が体として使っていたものですからね。しかし死んだので位牌に移らないといけない。という思いがあったり、お写真を見ると私はこんな体だったなあ、こんな顔だったなあ。と移ったりします。そういうのが四十九日の間なのです。病院でお亡くなりになって亡くなる時に意識がはっきりしていなかったのであれば病院とかへも行って『善言讃詞』をあげてあげると良いです。

声を出すと奇異に思われますので、あの部屋だったなあとの想いで車の中から『善言讃詞』をあげるとかそういうことを重ねるのが四十九日の間なのです。そういうことをきちんとやってください。取り分け墓地ではきちんとやらないと・・本当はまだ納骨してはいけないわけですのでね。

四十九日までは白木の位牌にしているのはまだしっかり霊界に行っていないので白木の位牌で過ごしてもらっているわけです。黒塗りのお位牌にして初めてしっかり霊界人になったということなのです。それで遺骨をお墓に収めて良くなるのです。しきたり上も霊の世界においてもそういうことになってくるわけです。

それで先祖にお参りするときは拍手2回なのですけども、四十九日の間は音を出さない2拍手にします。それは四十九日の間、家にいる場合はお位牌と遺骨と遺影があるのでこっちへ行ったり、あっちへ行ったりしているわけです。それで移ろうとするときに拍手の音がすると、霊にとっては辛いことなのです。それで四十九日の間は音を出さない2拍手になっているわけです。

お墓に行って音のない拍手をして『善言讃詞』をあげてやってください。

それでお義母さんに生前の感謝と霊界でしっかり御修行されて良い所へ行かれますように。というお祈りをしてあげればそれが一番実は親孝行になるとメシヤ様は御教えくださっているのです。「親孝行したい時に親はなし」とよく言いますが、実は死んでからの方が親孝行が出来るのです。そのように心がけてやってください。

今日神様からいっぱい力をいただいてその力を持って『善言讃詞』を奏上しに行ってください。

今年からメシヤ講座に参加されるようになって息子さんの就職が決まって、家族にとってはものすごく幸せだったのではないですか。

 

I.Yさん

息子の同僚が事故で亡くなったので非常に落ち込んでいます。御家族がかわいそうでなりません。そういう時は気にしない方が良いのでしょうか。

 

楳木代表

息子さんと仲の良かった人であればメシヤ様に救っていただくように・・

事故死は大変なことになりますのでね。少しでも救っていただけるように御守護お願いをさせていただいたら良いと思います。

 

I.Yさん

どういうふうに対処して良いのかわからず途方にくれていました。

 

楳木代表

そういう時は支部に電話を入れて一緒に御祈願をしてもらうと良いのです。「御守護お願い」しかないからね。霊のことは。そういうふうにしてください。

 

I.Yさん

せめて家族にだけでも浄霊が取り次げるように来年はしたいと思います。

 

楳木代表

そうしてください。

最後になりましたけどもお母さん、体調はもう良いですか。

 

支部長代理の母

はい。

 

楳木代表

来年も月次祭の時だけはね、続けて来るようにお願いします。

 

支部長代理の母

はい。

 

楳木代表

これで纏まりましたので月次祭を終わらせていただきます。

 

一同

ありがとうございました。

 

『御教え 「祖霊供養最良の道霊衣と正邪の戦」 昭和23年

(答)祖霊の供養は、坊さんを招んで拝むのもお寺で拝むのも供養になる。

観音様―光明如来様をお祭りする時、祖霊も一緒に祀るのも供養だが、多くの人を助ける。これが一番供養である。親孝行は死んでからの方が大きい。子孫が徳を積むと大きく祖霊は救はれる。信仰して、神仏を拝むだけでは大した利益はない。神仏の目的は一人でも多く救ふ。幸福にする事である。宗教行為主義で、行為に表はさなかったら宗教の価値はない。

救はれた人が感謝する。それが来るのが大変なものである。円い円光があるが、仏の持っている光を、も一つ多くの人の感謝が集って大きな光となる。人間は霊衣を持っており、それが厚くなるほどいい。厚くする程仕合せになる。不仕合せの時など殆どなくなる。霊衣を厚くするには多くの人を幸福を受ける状態に導く。すると感謝する、すると光になってくるから霊衣が厚くなる。霊衣が厚くなると悪い霊が憑れぬ。邪霊が憑るには憑るだけの状態にある。特に狐など霊衣に光があれば憑れぬ。

邪神と正神との戦は、光の戦いである。神は光を発揮しやうとされ、邪神は光を遮らうとする。光明如来様は、光の仏様であるから邪霊が恐がる。光明如来の文字から光が出る。光が出ると全体の霊界が明るくなる故にお掛軸をかけると、どことなく明るくなる。掛ってない家に行くと何となく暗い。信仰者の作物がよく出来るのは、その田地全体が光となる。光には、熱が加はる。之は暖い熱とも違ふ。あついのは熱の体である。少し温いのは熱の霊である。

故に、熱の霊がゆくから、害虫なく作物も育ちよいのである。曇っている所は、虫が沸き易い。この信仰は、科学的に説明が出来る。』

 

『御教え「再生」(明日の医術三  昭和十八年十月二十三日)

人間の再生には非常に遅速のあるものである。そうしてその再生の遅速は如何なる理由に由るかといふに、それは其人の意志に由るのである。例へば、死に際し現世に執着をもった者ほど早く再生するのであるが、然し、之は結果が良くないのである。何となれば、霊界なるものは、最も厳正に浄化作用の行はれるものであるから、霊界に長く居れば居る程浄化され、霊体は浄まるのである。浄まった霊体ほど再生して幸福者となるのである。此理によって早く再生する場合は、汚濁が残存してゐるから、再生の後現世に於て浄化作用が行はれなければならないからである。勿論現世の浄化作用とは、病気、貧乏、災ひ等の痛苦であるから不幸な運命を辿るといふ訳である。故に、生れ乍らにして幸不幸があるといふ事は右の理に由る事が多いのである。故に、決して幸不幸は偶然ではなく、必然である事を知らなければならない。然し乍ら、今一つの原因がある。それは死後の霊魂に対し、その遺族が誠意を以て懇ろなる法要を営むとか、又は遺族及び其子孫が人を助け慈悲を行ひ、国家社会の為に尽す等、善徳を積む事によって、祖霊の浄化作用は促進されるのである。

右の理によって、親に孝を尽すのは現世のみではなく、寧ろ死後、供養や積徳によって霊界に於ける親に孝養を尽す方が、より大きな孝行となるのである。世間よく「孝行をしたい時には親は無し」--といふが、之は全く霊界の消息を知らないからである。

又、生れながらにして畸型や不具である場合がある。それは霊界に於て、完全に浄化作用が行はれない中、再生するからである。例へていへば、高所から顛落して、手や足を折った場合、それが治り切れないうちに生れてくるから、手足が畸型であるといふ訳である。

又、早く再生する場合、本人の執着のみでなく、遺族の執着も影響するのである。世間よく愛児が死んだ場合、間もなく妊娠し生れるといふ例がよくあるが、それは全く、死んだ愛児が母親の執着によって、頗る早く再生したのである。従而、斯ういふ子供は余り幸福ではないのが普通である。』

<来月の御教え>

「『文明の創造』宗教篇 仏教の起源」(文創  昭和二十七年)