メシヤ講座no.161岡山(平成26年6月)

<今月の御教え>

御教え『文明の創造』宗教篇 「最後の審判」〈本文は『文明の創造』272ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

 

「最後の審判」の意味とは

 

楳木代表:今日拝読させていただいたですね、「最後の審判」というのは、今まで拝読をさせていただいた「最後の審判」というものの受け止め方と、本日拝読をさせていただいた受け止め方は一体どうかということを、少し自らに問いかけていただきたいと思います。それはですね、『文明の創造』をこれだけ皆さん拝読をしてきました。これだけたくさん拝読して学んで来て、その上でメシヤ様が改めて「最後の審判」の中身をこうして説かれております。

 

で、「最後の審判」と聞くとですね、一番の問題点は、宗教界及び日本全土をですね、かつて揺るがせたオウム真理教の起こした事件があります。これはですね、最後の審判を自分達が起こすということでやったことであります。サリンを使ってやったことであります。で、その後にさらに、旧ソ連からですね、大きいのでいうとヘリコプターをはじめとする戦闘機器類をですね、旧赤軍と旧ソ連軍の繋がりの中でサティアンという所に大分買い込んで蓄積しておりました。それによって最後の審判を起こそうということをやったわけですね。

 

で、これは、主神様の御経綸とは違うところから起こしたためにですね、言わば物によって起こそうとしたために、我々日本人に大きなダメージを与えるだけではなくてですね、本来の「最後の審判」という意味が分からないまま、今日を迎えてしまったところがあります。

 

それで、メシヤ様が説かれている「最後の審判」というのは、天変地異が起きるとか、そういうことではない。それから最近、去年随分話題になりました12月23日前後にですね、人類は仮死状態になって一旦倒れて、それから清らかな者だけがもう一回復活するというような、そういうかつての予言が随分流されたことがあります。それに加えて陰謀論が随分流れたんですけど、それはメシヤ様の御在世の時期からそういうことはずうっと繰り返し囁かれているんですけれども、しかし、メシヤ様はそういうことではないんだ、と。主神様の御計画というのはそういうものではないんだ、というふうに示されて、そして、今日非常に短い文章ですけれどもこのように纏めて下さっております。

 

 今こそ医学革命の時期!

 

楳木代表:で、「最後の審判」のスタートは、医学に対する審判だということですので、メシヤ様の御在世中の時には審判がもうすぐ始まるということはおっしゃっていたんですけれども、どうしてもまずメシヤ様の弟子の中の態勢が整っていかないためにですね、ずうっと時代がずれ込んできております。

 

しかし、今はメシヤ様の弟子の外からですね、先月お話しましたように、良心のある学者達によって、あるいは良心のある医学者達によって、今真理が語られ始めております。その語られ始めている内容が、メシヤ様の教えに裏付けられるような内容として、刻々と発表されてきております。私達の身近には近藤誠氏の書籍でありますし、最近脚光を浴びてきた宇多川久美子女史のですね、「薬が病気をつくる」というような、そういうセンセーショナルなタイトルまでついた本が出てきておりまして、いよいよメシヤ様がお説きになられた『医学革命』の時期を迎えているというふうに思います。

 

そして、この時期を迎えているという事はどういうことかというと、科学が進歩したからであるわけですね。もう今から30年前くらいからですね、アトピー性皮膚炎のキツイものは前世である病気になった経験者だというところまで、遺伝子の研究の中では判かってきております。

 

ですから、宗教的にですね、神秘的にしゃべらなくても、そういう遺伝子の中でそういったことが判る時代を迎えてきております。そして、皮肉なことは薬理学が非常に進んできているために、薬が何故体で効くかということと併せて、我々の生理作用というのが、肉体の中でおきている生理作用が、次々と解明できてきているということです。この生理作用が解明できてきた時に、薬を入れてくるとどういうことが起きるかというのは、大体薬理学を学んだ人達には、当たり前のように分かって来始めました。ですから、そういうものを、メシヤ様の教えに繋げていけば、浄化作用の原理というのは十分今は判っていく、そういう時代になってきております。

 

これが・・・、皆さん方が初めてメシヤ様に出会った時期は、まだまだ時代がそこまで進んでいなかったためにですね、教えを実証する・・・メシヤ様はここに、論理的、実證的、科学的、哲学的と書かれておりますけれども、そういう社会情勢がそこまでまだ時代が進んでなかったために、どうしてもメシヤ様の御教えを裏付けるような、そういう時代背景ではなかったために、ずれ込んできているところがあります。私自身もですね、幼少の頃から、それこそ親戚の間のですね、骨肉の争い・・・資産を巡っての骨肉の争いをずうっと体験して、それをずうっと見てきました。人間とは何とおぞましい生き物であろうかというのをずうっと幼少の頃から見て、これでは人間生きてて全く楽しいことがないなぁということをずうっと見てきて、このような人間というのは何故生まれてきているのかということは、まず幼少の頃の疑問でありました。

 

メシヤ様の教えの基になっているものは

 

楳木代表:それから併せて、病気が何故このように蔓延しているのかということが次に判らなかったことです。そして、小学校5年生の時にですね、当時の担任が非常に優秀な人だったために、黒板にある日、漢字で「安・以・宇・衣・於」、「加・幾・久・計・己」「左・之・寸・世・曽」・・・というふうにずうっと書いてくれました。

 

で、この漢字を読めるかというふうに示した時に、皆最初ポカーンとしていたんですけども、この安心という字の「安」が「あ」なんだと。以上の「以」が「い」なんだと。宇宙の「宇」が「う」なんだと。「衣」というのが「え」なんだと。於けるの「於」が「お」なんだと。加えるの「加」が「か」になったんだと。幾何学の「幾」が「き」になったんだと。久しいの「久」が「く」になったんだと。計算の「計」が「け」になったんだと。「己」が「こ」になったんだというふうに、示してくれました。

 

そうしたら、これが「あいうえお、かきくけこ・・・」という日本の、日本人が使う言葉の文字の原型に当て嵌めたものであれば、原型が必ずあるはずだと。その原型とは一体何かと・・・漢字を当て嵌めた原型とは一体何かということが、小学校5年生からのずうっと疑問であったので、それから言霊(ことたま)学と文字の学問に、そういう書籍があるのかを求めながらずうっと学んできて、メシヤ様の教えを、最終的には全御論文、全御講話を読んだ時に、そのメシヤ様の教えの基になっているのは、およそ三千年前に日本にあったものが、そういうものが基になっているんだという事が、やっと辿りついたのが専従してかなり経った時です。

 

その時に、教団浄化が起きましたので、この教団浄化自体はメシヤ様の教えに再度、専従者はじめ信者さん方がみんな立ち帰って、そしてメシヤ様が進められようとする本来の御神業を進めるというのが御神意であるというふうに気付いたことが、私の教団改革の原動力になりました。

 

メシヤ様の御真意は「文明の創造」の中に

 

楳木代表:そうして、そういう取り組みをしていく中で、こうしてまた「文明の創造」を拝読をさせていただくと、やはりメシヤ様の御神意というのはこの「文明の創造」の中に、凝縮されてエキスというものが書き込まれているということをつくづくと、皆さん方と学んでいる中で感じさせていただいています。

 

取り分け、今回の「最後の審判」というのは、今までの人類が思っていたような最後の審判とは違うんだと・・・真理が隠されてきているために人類は不幸な目にずうっと遭ってきているので、その真理を明らかにして、そして人類を幸福にするというのが最後の審判に対する主神様の御意図なんだという、そういうことを本日拝読したところから受け止めていただければありがたいと思います。最初にそうした確認をさせていただいて、いつものようにですね、質疑応答に入らせていただきたいと思います。

 

また、最後の審判とかですね、夜昼転換という教えということが、ちょうど6月にこうしてですね、拝読をさせていただくということは、非常に時期的にすばらしいことですね、地上天国祭を目前にして・・・もう2週間を切りましたけど、地上天国祭を箱根でさせていただきます。そういういい時期にですね、こういう御教えを6月に拝読させていただき、学び合うということは、大変なお導きをいただいているなぁ、というふうに感じますね。

 

それから6月15日はですね、箱根で・・・おそらくすばらしい報告もできると思いますので、楽しみにして箱根に来ていただきたいと思います。中身はその時にお伝えしますので、楽しみにして箱根を訪ねていただきたいと思います。言いたいけど言えないというのが(笑い)・・・また石が出来るのではないかなぁと思いますけど・・・。(笑い)

 

「天国の福音書 続編」の校正について

 

参加者:先ほど言われました、一瞬地球の空気がなくなって、みんなバタバタ倒れると。そして、その中で心の正しい者だけが、生き返ると・・・あれはメシヤ様がおっしゃっているんではないんですか。

 

楳木代表:いや、そういうことを言う人がいるけれども、或いはそういうことを言われて来たけれども、そういうものではないんだとおっしゃっているんです。これはですね、次のですね、「天国の福音書 続編」にその文言が出ていますから、楽しみにしておいて下さい。今回の「天国の福音書」はですね、最初の研鑽資料の「主神様とメシヤ様」という、あの薄い小冊子に載っている御論文の全部が載りますので膨大な量になります。

 

私はこの前から校了に向けてですね、369ページをつぶさに読んだ時に、こんなにすばらしい本になったのかという、そういう喜びがね、沸々と湧きながら校正して、そして印刷所へ渡しました。そしたら印刷所は直しが多いものですから、「もう一回見てくれ」ということで、印刷所が実は日曜返上でもう一回手直しをしてくれて、一日祭と月次祭が終わって三時頃、「やっとできましたので今晩もう一回見て下さい」ということで、もう一回チェックする機会があったので、4つほど見落としていたところがあったのをもう一度修正する事ができました。

 

そして、やれやれと思って印刷所に渡したんですけど、昨日移動中、また二時間おきくらいに電話が掛かってくるんです。この文字はどうしたらいいでしょうかと・・・メシヤ様は「此」の文字を「この」と一文字で読ませている場合と「の」を送っている場合があります。しかし、「これ」という場合には「之」を使用していますので、一文字で「この」のルビで良いのではということになりました。

 

それから「その」もですね、この「其」一文字で「その」と読ましている場合と、「の」を送っている場合があって・・・「それ」の場合は、「れ」を送った表記が辞書的には正しいと。ですから「其」の場合は、「の」を送った方が正しいと。それは何故かというと、「其」の場合は、「の」を送った方が明治から昭和初期にはその方が正しいということが今回判ったので、これに統一したらどうかという、そういう申し出がありました。それは、色んな書籍の中で編纂に当った人達の思いで、送り仮名の送り方が違ってくるので、この機会に統一していこうというふうな腹を昨日決めて、それにしてくださいと。

 

それで、「之」(これ)の場合はですね、「之」(これ)と言った場合も「れ」を送りません・・・「其」の場合は、送り仮名によって「れ」を送るのと「の」を送ることによって、「それ」と「その」と読ませるので、そういう時代背景をすべて見ると、やはりこの機会にですね、メシヤ様の御教えが、文字の使い方が各出版物によってばらばらだったのを、この機会に一層、当時の辞書に基づいて統一するということも、この際ですね、「天国の福音書 続編」を十編くらいまで作っていくんであれば、この機会に統一したらどうでしょうか、という印刷所の申し入れも受けて、この機会に統一しようということを決めましたので、随分読みやすくなっていくんではないかと思います。(しかしながら、御歌など、例えば短冊に御揮毫された場合などは送り文字をわざわざ入れておられます。そうした芸術的に、明らかにメシヤ様の御意図が拝察される場合には原文通りにします。)

 

で、まぁその中にですね、「天国の福音書」にそういうことが出てきますので、「天国の福音書」を大いに期待していただきたいと思います。

 

それから余り出ていなかったですね、観音講座と御講話の中で、頭が浄化する人の性格とか、心臓が浄化する人の性格とかが書かれています。これと、現代医学が発展してきたものと突き合わせていく作業もこれからできてくるのではないかなぁ、と思います。胃の悪い人は感謝がないからだとか、そういうことまで書かれているので、「私、今こういう浄化をいただいています」とか、中々言いづらい(笑い)御教えもあるのでね、この御教えによって切られたらどうしようかなというような不安もあるんですけれども・・・。

 

まぁ、御教えというのは人を批判するものではないので、あくまで自分に問い掛けていくものが御教えですので、そういう厳しい内容が出たとしても自らに問い掛けながらですね、御神書を拝読させていただくという姿勢をもって「天国の福音書」を読まないといけないなぁ、と思いました。

 

その校正をしながら、これの読み方をまた皆と一緒に、どういうふうにして読んでいくかなぁということをですね、考えながらも校正させていただきました。だから、楽しみにしておいていただきたいと思います。

 

参加者:その印刷所の方もすばらしいですね。

 

楳木代表:いい人達が作業に当ってくれていると思いますね。

 

何事も御教えに照らして考えること

 

参加者:最後の審判というのは、病気でバタバタ倒れるということで、天地異変のことではないんですね。

 

楳木代表:バタバタ倒れるというよりか、医学界を裁いていくということですので、主神様が最初にやられることは医学界の裁き、審判だということですね。

 

それから、i-PS細胞の中山教授のお母さんは、歌を詠む人で、五七五七七の中に凝縮するということをずうっとやって来られた人なので、その親に育てられたらああいう人になるのかなぁと・・・。

 

参加者:代表はどういうお母さんに育てられたんですか。(笑い)立派なお母さんなんですね。

 

楳木代表:それを言いだすと長くなるので・・・私はずうっと反発して生きてきたのでね、育てにくい子供だったなと思いますよ。

 

私の母親は、どちらかというと色んな人に浄霊をしていったのと、それから人が御守護いただいてくるんだけれども、御教えに照らして考えていく・・・この問題は御教えに照らすとどうかということが、そういうことが少し少なかったので、私が御教えでばさばさ切り倒していったんです、親を・・・そういうことは御教えに無いと、或いは御教えにはこう書いているからあの人にはこのように言ってあげないといけないとか、そういうことをやっていったから母親はずたずただったと思います。

 

中学生の頃から読んでいるからすぐ御教えを覚えてしまうんですね。親は40過ぎてから御教えを読むわけだから、中々頭の中に入っていってない分、よく堪えて親子の縁を切らずにいてくれたなぁと思いますけどね。(笑い)

 

○○さん、どうですか?

 

薬毒や化学物質は精神まで侵す

 

参加者:この人は、元気になりましたね。最近は、毎日楽しくて爽快だと言ってます。体が悪かったんですけどね。体も曲がってたんですけど、まっ直ぐになったみたいで・・・。(笑い)

 

楳木代表:○○さん、一言・・・。

 

 

参加者:ありがとうございます。

 

 

楳木代表:これはね、頭から余計なものが入らなくなってきたので・・・いくら魂が清らかでもね、汚していると駄目だから、頭から汚していたでしょ、今まで。

 

参加者:そうですね、御尤もです。(笑い)

 

楳木代表:人間は本当に健全に生きようとしても、やっぱり薬毒というのは、あるいは化学物質というのは精神まで侵してくるのでね、やっぱり人間がおかしなことを言い始めますよ。入れているとね。もうこの前の週刊誌なんか、酷かったですよ。要するに、抗鬱剤が精神病を作っているという、もう明確にそういうことを書いている週刊誌なんかありますからね。

 

今、色んな協会で数値を見直していますけど、あの数値も医学界が文句を言って元へ戻させようとしているし、酷い連中とこれから遣り合っていかないといけないなぁと思いますので、こちらも論理武装をきちんとしておかないといけないなぁと思いますのでね。

 

午後の直会から―因縁的な鬱ってあるの

 

参加者:因縁的な鬱ってあるんでしょうか。

 

楳木代表:因縁的な鬱ってないですよ。それは、癖なんです。精神の癖。鬱という言葉を覚えたからいけないんです。鬱という病名をつけるから駄目なんで、そういうのは誰でもあるんだと、だけどそういうことじゃ生きていけないんで、みんな立ち直ろうとするわけなんでね・・・。

 

今新薬が出来るほど、病人が増えているという・・・それは、医者がその薬に当て嵌めて病名を付けるから病人が増えるわけなんで。だから我々も病名を聞くと、体にちょっと変なところがあると、こういう病気じゃないだろうかと心配したりするんで、結局病気を作っているのは、そうした病名が病気を作っているんです。だからこれから切り替える練習をして、落ち込んだ時にはどうするかというね。

 

例えば親が亡くなってね、「四十九日」の間とか、あるいは1年祭の間まではみんな落ち込むでしょ、普通は。これを鬱病なんて言ったら(笑い)どうにもならないですよ。しかし、病院によってはそれを鬱だと言うんだから。そして、薬を処方して貰いなさいと言う、そんなの人間として当然起きる哀悼の念だし、親子の場合はそういう感情が起きない方がおかしいわけなんで。それを病気にしてしまうので医学はへんてこりんな医学になってしまっているんですね。

 

こんなことじゃ駄目だと思えないといけないですね。

(以下省略)