メシヤ講座no.161三重(平成26年6月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』宗教篇 最後の審判」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』272ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 三重支部】

日々御浄化を許されている人は実は神様から一番愛されている

楳木代表

先程紹介していただいた『恐怖時代』の御論文の

『大多数の人間は全身的極度の浄化作用発生し、到底堪え得られずして罹病後短期間、恐らく数日を出でずして死亡するであろう。この場合医学的浄化停止方法を行う時は、反って逆効果となり死を早める結果となる。』

これを読みますと『全身的極度の浄化作用発生し』ですので、日々御浄化をいただいている人はこれには当てはまらないので安心できますね。幸せな人なのですよ。

逆に浄化していない人は心配しないといけません。洟(はな)が出ている人は良いですけどね。(笑い)

 

支部責任者

先ほど紹介の御論文で

『それでまず、それが一番最初始められるのが観音会の人だけで、そのために観音会の人だけは軽くすまされるわけで、いまから掃除をされる。ここで掃除されなければ堪えきれず倒れるのです。このことを考えただけでも一般人は光が強くなったときはたいへんだと思う。』

とありますので、来るべき時に『全身の極度の御浄化』をいただかなくて済まされるようにメシヤ教の人が先に御浄化をいただいているのですね。そう考えますと有難いことですね。

 

楳木代表

有難いことなのです。日々御浄化を許されている人は実は神様から一番愛されている人なのです。大浄化作用が来た時にはもう浄化は済んでいるわけですから。

それから、○○さんなんかはいつも土を触っていますので、肉体的浄化をしなくても毒素は出て行くのです。土は毒素を吸い込んでくれるので、これまた幸せなことなのです。だからできれば裸足の方が良いのですがそんなわけにはいかないですね。昔は田植えとか裸足でやっていたでしょう。無農薬無肥料で裸足で田植えをするような人は非常に健康に恵まれていくのです。ですから土を一所懸命触ってください。

 

受講者

素手ですか?軍手は?

 

楳木代表

まあ軍手でしても軍手は網ですから。土素を触っていけます。そこまでこだわらなくて良いですよ。素手だったら爪の中が真っ黒になってしまいます。

ですから「恐ろしいわあ」というだけではなくて先にメシヤ様と御縁をいただいていますと、自分の中の霊体の曇りとかは〝先に浄化される″という有難い環境に今居させていただているのだということを読み取ってください。そうしないと恐怖信仰の方になっていってしまいますのでね。それでは折角いただいた御教えがもったいないです。

 

()づ第一番に医学に対し、審判を開始された

楳木代表

それから『最後の審判』につて、〝人類全体が大浄化する″というこの資料に対して、本日拝読した『最後の審判』は少し内容が違います。主神様は最後の審判を何からやると書かれていますか。

 

受講者

医学です。

 

楳木代表

後ろから9行目ですね。

『最後の審判は目捷(もくしょう)に迫りつつあるからである。そこで神は先(ま)づ第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、此(この)事が先(ま)づ私に命ぜられた使命である。』

ここが一番大事なところですね。そしてこの『文明の創造』を昭和27年に出そうとされた時に『先(ま)づ第一番に医学に対し、審判を開始されたのである』とここに書かれているのにも拘らず当時のお弟子さんたちがそのことを理解できなかったということです。

ですから医学に対する『最後の審判』は先送りされているということです。

しかし、現代は世界救世(メシヤ)教関係以外の医学の世界とか薬理学の世界の方々が『最後の審判』に拘わる発信をし始めています。「薬剤師は薬を飲まない」という本等は『医学に対して審判を開始』された中身そのままであると受け止めることができると思います。宇田川女史が次に出した「薬が病気をつくる」という本はもっと直接的な表現を使っていますので、素晴らしい本だと思います。それから医学者であれば近藤誠氏をはじめとする方々がどんどん発信しています。6月の文藝春秋でもかなりの頁数を割いて医学に対する警告を特集しております。週刊誌にしましても毎号医学の誤謬を特集に組んで指摘しておりますので、メシヤ教の信者さん以外の方々の目も覚まされようとしています。

これは主神様の御経綸が進んでいるということですね。ですから医学に対する審判というのが〝我々の目に映るようになってきた″という時期を〝迎えさせてただいているのだ″と受け止めてさせていただいて、メシヤ様と御縁のない方々がそこまでやられておりますので、私たちもより一層取り組まさせていただきたいと思います。

 

メシヤ様の手足である私たちは〝医学革命を共に進めていきたい″

楳木代表

今度の地上天国祭の時に3人の方々に発表していただきます。

この発表を聞いていただければわかりますが、日本全体も医学革命に向かって進みつつありますので、メシヤ様が『此(この)事が先(ま)づ私に命ぜられた使命である』とお書きになられております。メシヤ様の御手足である私たちは〝医学革命を共に進めていきたい″とそういう時期を迎えているのだとつくづく感じます。

しかもメシヤ様は

『既成宗教のそれの如き、信仰一点張りの独善的のものではない。言う迄もなく経文(きょうもん)、聖書、御筆先の如き、神秘幽幻な説き方ではない。飽(あ)く迄論理的、実證(じっしょう)的であって、寧(むし)ろ科学的、哲学的といってもいい程のものであるから、現代人と雖(いえど)も之を精読すれば、理解し共鳴しない訳はあるまい。』

こういうふうに書かれておられますので、この『理解し共鳴しない訳はあるまい』というところを私たちは作っていきたいと思います。『天国の福音書』続篇の(四)、(五)あたりからこれに入っていきます。今資料作りをしていただいておりますので、それが出ますと愈々本格的に進めさせていただけるのではないかなと思います。

校正作業ではより一層お世話をおかけしますがよろしくお願いいたします。

今回校正作業において通して何度も読まれたかと思います。凄い内容だと思ったのではないでしょうか。

 

『天国の福音書 続篇』で『観音講座』を学ぼう

受講者

『観音講座』は当時の入信教修ですよね。かなりハイレベルだったのですね。

 

楳木代表

当時の日本人というのはそういう基礎的勉強をしていたのです。

古神道などを大体皆勉強していたのです。ですから現代人とはその点のレベルが違うのです。

 

受講者

当時といいますと何年ごろでしょうか。

 

楳木代表

昭和十年代です。「花子とアン」を見ていてわかるでしょう。あれは少し前ですが・・・。

文字は読めなくても口伝(くでん)でしきたり等を伝えていたのです。覚えていたのです。縄文時代はもっとそうで、文字は必要なかったのです。すべて暗記できたからね。文字というのは皇室が各国の様子を記録する為に使っていたのです。

薬毒のない時代は、一個の人間にとって文字が必要ないくらい記憶力が良かったのです。昭和初期の人もある程度記憶力は良かったのですね。メモを取らなくて良いくらいはね。

それから病気に関しても今回は〝癖″を書いてくださっていますので、拝読をしていて今までとは異なった意味で参考になるのではないかと思います。

こうして全文を載せてみて〝素晴らしい本になったなあ″と沸々と喜びを感じながら校正をさせていただきました。

当時〝人を救いたい″と霊的修行をしている人たちがメシヤ様の下に集まって来ましたので、そのようなレベルの人たちにメシヤ様が御講話なされた内容です。今の入信教修とは対象者のレベルが違うのです。

 

受講者

私は、昔入信教修はなくお光を拝受しました。

 

楳木代表

今回校正でしっかり拝読しましたので入信教修を受けたようなものですね。(笑い)

 

『論理的、実證(じっしょう)的、科学的、哲学的』に説いていかなければいけない

楳木代表

『最後の審判』ということでは世間では〝陰謀論″とかいろんな噂が飛び交いますが、メシヤ様が仰せのように『神秘幽幻な説き方』ではなく、『論理的、実證(じっしょう)的、科学的、哲学的』に説いていかなければいけないのです。

去年は女性の出生率が1.43まで上がったそうですので、2年連続の上昇で、1996年の1.43以来17年ぶりとなる水準に回復したそうです。少しずつ女性が子供を産む数が増えてきているようです。

一方で自殺者は一昨年より昨年は少し減っています。動機は大人の場合はお金が主流なのですが、子供の場合は友達関係、人間関係が最大の原因です。

ところが、今の自殺の原因の一位はなんだと思いますか。

 

受講者

欝(うつ)ですか。

 

楳木代表

欝(うつ)と限定はされないですが、健康問題なのです。お金を追い越して健康問題が自殺の最大原因になっています。

 

受講者

健康でないからお金がないのではないですか。

 

楳木代表

まあ、それにお金が絡むかもしれませんね。

これから自殺という問題に取り組む場合も〝健康問題″をいかにきちんと把握するかということです。これは医学界の問題でもあるわけです。

たとえば親しい人がお亡くなりになった場合には暫く落ち込むでしょう。悲しい想いになったり喪に伏しているわけですからね。1年間くらいはみんなとワイワイしたりするのは控えたりするのは当然ですね。しかし、これを医者に相談すると「欝(うつ)状態」となってしまうのです。病気にさせられていくのです。友達に相談すれば「当たり前でしょう。肉親がお亡くなりになったのだから・・・」と言われるので〝ああ当たり前なんだ″と思えるわけです。

しかし、友達が「そんなに辛いなら医者に行ってみたら」と言うと、医者に行ってしまって病気が作られていくということが今非常に増えているのです。

それから「新薬が出来ると病人が増える」と言われています。新薬が出来ると医者はその新薬を使おうとして〝病人を作り上げてしまう″ということが起きているそうです。

このように恐ろしい時代を迎えていますので、様々に研究されていることを、メシヤ様の御教えに基づいて肉付けをして早く『医学革命』を進める本を出していきたいと思います。

一昨日発表されたアルツハイマーの原因は・・・アミロイドベータという物質が脳の中に増えてくるというのは以前からわかっていましたが、脳から「ILEI」というタンパク質が分泌されるとアルツハイマーを起こす要因が減少されることがわかったそうです。

私たちの浄霊によって正常に脳内分泌物質が分泌されていればアルツハイマーになる心配がなくなってきます。脳の中の分泌物が正常に分泌していきますと〝そのような病気にならない″ということがその研究でわかってくるわけです。ですから日々浄霊をしっかりして御教え拝読をしていけばそのような病気になる可能性は少ないのです。

物質的にその分泌物を欲しがると薬物依存になってしまうのです。

今世間を騒がしている歌手のように、過去の良い曲を作った爽快感をもう一度味わいたいために薬に手を染めてしまうわけです。その快感物質はひとつのものを達成した時に出てくるはずなのですが、芸術の世界に身を置く人は陥ってしまいやすい場合があるのです。

自分たちの脳の中で自然と発生したり、活性化させるような生活態度をとっておかないと、〝病気や薬物中毒とかに陥ってしまう″原因になっていくのではないかなと思いますので、救う対象が物凄く広がってきていると思います。

そうしたことを最初に確認させていただいていつものように質疑応答に移りたいと思います。

 

夜昼転換は繰り返し起こった

受講者

節分祭の時のお話で国常立尊様のお話と伊都能売神皇様のお話と時代がどうも混同してしまいます。国常立尊様が押し込められたのは9000年前の話で、それから3000年経て6000年前に前の昼の世界があって、その終わりの頃の3000年前あたりで伊都能売神皇様が日本で天皇であられて素戔嗚尊の上陸へと繋(つな)がって来ると思っていたのですけども、昭和29年のメシヤ様の立春祭の時の御講話では、3000年前に国常立尊様の事件があったとありました。昔にメシヤ様が仰っておられたのと昭和29年のお話と異なりますので変だなあと思いました。

 

楳木代表

これは系統の問題で、素戔嗚尊をみると一番わかりやすいのですが、神(かむ)素盞嗚尊、速(はや)素盞嗚尊、竹速(たけはや)素盞嗚尊と素盞嗚尊でも3000年前に伊都能売神皇(いずのめしんのう)様を失脚させようと武力で入ってきていますし、6000年前も入ってきています。9000年前も入ってきています。これで夜になって昼になって夜になって昼になってと繰り返されていますので国常立尊様もそういうことがいつもあるわけです。国常立尊様はどこまでも神界、幽の世界なので現界は伊都能売神皇(いずのめしんのう)なのです。分身されて人間の体を持って生まれてこられたのが伊都能売神皇(いずのめしんのう)様なのです。そういう役割を担っております。

神様のことはメシヤ様も『神の奥には奥がある、そのまた奥の奥の仕組であるから、人民には分りようはずがないぞよ、神界の事は分らんと思う人民は、判ったのであるぞよ』と、御筆先を引用して説明しておられます。

ですので、9000年前も3000年前も国常立尊様であって、〝繰り返されているのだ″と、受け止めて行った方が良いと思います。

今脚光を浴びている出雲大社も元々は素戔嗚尊を祭る神社なのですが、今は大国主尊を御祭りしていまして、今回、皆の前で「大国主の大神のお導きによって・・・」と記者会見で言う時代を迎えていますので、〝かなり変わってきているなあ″と思います。

 

受講者

天孫系と出雲系の系統のご結婚ということでしょうか。

 

楳木代表

そういうことになりますね。

 

受講者

すごくビックな歴史を感じるご結婚になりますね。

 

楳木代表

そうした内容のことも次の『天国の福音書』続編には出てきます。古い御教えも掲載していますので拝読して自分の頭の中で構築して行ってください。

 

受講者

はい。わかりました。

 

『御教え「素戔嗚尊」

単に素盞嗚尊と言っても、三つの神名がある。神素盞嗚尊、速素盞嗚尊、竹速素盞嗚尊であるが、私の考察によれば右の順序の如く、三代続いて次に生れたのが大国主命であろう。茲に注目すべき事は、出雲神社では古くから今日に至る迄、不消(きえず)の火と言って、燈明を点け、其灯を移しては取変えて、今日迄決して絶やさないそうである。それを二千年以上続けて来たという事は、何か余程の意味がなくてはならない訳で、考えようによっては、再び復権する日迄血統を絶やすなとの意味かも知れないと想うのである。

之も余談であるが、大国主命に二子があった。長男は事代主命(ことしろぬしのみこと)、次男建御名方命(たけみなかたのみこと)である。処が長男の命は至極温順で、降伏に対しても従順に承服したが、次男の命はどうしても承服せず、敵に反抗した為、追われ追われて、遂に信州諏訪湖の附近に迄逃げ延び、湖に入水して、あえない最後を遂げたという事でそれを祭ったのが、今日の諏訪神社である。

茲で、話は又最初に戻るが、右の数々の史実は、神示によれば斯うである。初め神素盞嗚尊が日本へ渡来した時、最初に上陸した地点が出雲国であった。処が当時日本の統治権を握っていたのが伊都能売神皇(いずのめしんのう)で、此神皇は余程古代からの、日本の真の主権者であったらしい。先ず、大和民族の宗家といってもよかろう。処が大和民族の性格としては、闘争を極端に嫌い平和愛好者なるが為、素盞嗚尊が武力抗争の態度に出たので、無抵抗主義の為生命の危険を慮り、海を渡って某国に逃げのびたという事である。それで後に残ったのが御世継である天照天皇と其皇后であったが天皇は、或事情によって崩御されたので、皇后は其大権を継承される事になったが、事態の切迫はやむなく素盞嗚尊の要求に応じない訳にはゆかなくなり、一種の講和条約を締結したのである。其条件というのは、近江琵琶湖を基点として、西は素盞嗚尊が領有し、東は天照皇后が領有するという事になった。之が古事記にある天ノ八洲河原の誓約である。今日琵琶湖の東岸に野洲という村があるが、其処であろうと思う。何故其様な講和条件を作ったかというと、素盞嗚尊が一旦国土平定をしておいて、次の段階に進もうとする予備的前提条件であって、結局日本全土の覇権を握るのが狙いであった。というのは当時と雖も一挙にそうするとすれば、国民の声がうるさい。今でいう、輿論が承知しなかったからであろう。そんな訳で、時期を待っていた素盞嗚尊は、機を得て遂に萠芽を表わすに至った。即ち天照皇后に対して、日本の東方の主権をも渡すべく要求すると共に、若し応諾せざれば皇后の生命をも脅かすので、茲に皇后は決意され、潔ぎよく全権を放棄し、僅かの従臣と共に身を以て脱れ、逃避の旅に上ったのである。之を知った尊は、尚も後顧の憂いを断つべく、追及が激しいので、逃れ逃れて遂に信濃国の、今の皆神山に居を定められたのであるが、此処でも未だ安心が出来ず、山深く分け入り、第二の居を定められたのが彼の戸隠山である。昔から岩戸開きの時、扉が飛んで此山に落ちたという説があるが、それを暗示したものであろう。

又話は別になるが、天孫瓊々杵尊が、日本へ渡来したのは、素盞嗚尊の渡来より余程後であったらしい。そうして瓊々杵尊は支那周代中期の英雄であって、此尊の祖先は有名な支那の天照大神ともいうべき、盤古神王という日の系統の神様で、一名盤古氏とも言われている神人である。そこで尊は当時の日本を観た処、主権は已に素盞嗚尊の手に握られていたので、機を待つ事にしたが、其機が来ない内に崩御し、遂に三代目の偉人、神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)によって、目的が達せられたのである。』

 

『御教え「素盞嗚尊三代」

(問)素盞嗚尊は三人おいでになると伺いましたが、如何なる方々で、その御関係、並びにお働きにつき御教示お願い申し上げます。

(答)親子関係である。初代が神素盞嗚尊で、妻は乙姫、西洋に行った。朝鮮から渡って来て、日本を占領統治した。そして阿弥陀如来となる。

二代は速素盞嗚尊で、大蛇を退治した神。櫛名田姫と結婚した。三代は竹速素盞嗚尊――次に大国主尊である。第六天魔王となった。大自在天、帝釈天――インドの神である。』

 

受講者

キリストも1代ではないと言われていますね。

 

楳木代表

神話とか聖書とかは弟子が作ったものですから聖者から聞いた内容を覚えているものを纏めていきましたので現代に残っているのはご本人の言葉ではない部分があります。日本の古事記も稗田阿礼が暗記していることを書いたわけですので、総て口伝で覚えたことを古事記で伝えて行っているわけです。

 

受講者

近い時代でも混同が起きています。例えば国盗物語の斎藤道三の話は親子二代の内容が一つの物語になったという説もあります。

 

楳木代表

それから神様の名前をあまり追いかけていくとややこしくなりますので神様の性質を見つめて行くことが大切です。国常立尊様は絶対的に善悪を立て分ける〝ちょっとした間違いも許さない″ということでそれが息苦しいために引退運動が起こったのです。その時には人間だけではなく神様も一緒に運動を起こしています。そういう性格の神様もいらしたのだと言うことです。それで国常立尊様を押し込んで夜の時代にしてしまったのですけども、しかしそのように押し込めたことも主神様の御経綸では〝許可をした″ということなのです。

絶対的な御存在の主神様が国常立尊様に厳正なる性格を持たせて生まれてこさせたのですが、その神様を押し込めるということを御経綸のもとに許可をされて夜の時代を作らせて、そしてこれだけ〝物質世界を発展させた″ということですので、そういうことを考えますとメシヤ様の仰っておられるように『神の奥には奥がある、そのまた奥の奥の仕組であるから、人民には分りようはずがないぞよ』ということが言えるのではないかなと思います。

 

受講者

善も悪も主神様がお作りになられたと、今までの宗教では善だけを説いていますのでね。

 

楳木代表

今までの宗教では、悪の必要性ということが分からなかったということですね。

お作りになった御存在からの御啓示ですから、メシヤ様は我々にそういう意味をお伝えになられたのですね。激動の世の中を迎えていますので、国常立尊様の話から現代に置き換えて世の中の動向を見据えて行かないといけないと思います。

テレビから流れてくる国際情勢だけを眺めていると幼稚な判断しかできなくなってしまいます。これからは相当情報を収集しながら物事を考えていかなければいけないと思います。

三重支部では校正作業を担っていただいていますが、社会情勢を分析する支部があっても良いかなと思います。

6月15日はメシヤ様の御神業を進める上で、節分祭、立春祭、地上天国祭、メシヤ様御降臨祭と大きな節目の月でありますので火素も増量してくるということで、火素の増量に伴って私たちも一層力をつけていく月でありますので、そうしたことを心得ておいていただきたいと思います。

6月15日に皆様にご苦労いただいた『天国の福音書』続篇も発刊されますし、メシヤ教としても新しい報告がいくつかありますので、大きな節目になることと思います。一層祈りを集中していただければ大変有難いと思います。

それでは時間になりましたので終わらせていただきます。

 

一同

ありがとうございました。

 

※支部責任者:本日拝読しました『最後の審判』についての他の御教えを以下に紹介いたします。

 

『本紙再刊に就て「栄光」66号(昭和25年8月23日)

(前略)朝鮮問題が勃発したのである、今は朝鮮という一区域に限られてはいるが、どちらも米ソの二大勢力の冷たい戦争が熱の戦争になった前奏曲といえよう、これも無論世界的大浄化の最初の表われであって、最後の審判の予告篇ともいえよう、かような状勢を見るにつけても、吾らの救世的活動舞台は刻一刻と近寄りつつある事を意識せずにはおれないのである。』

 

『本教の誕生「世界救世教早わかり」(昭和25年11月20日)

ゆえに神は天国の設計を時々刻々私に対(むか)って啓示され給うので、私はその命のまにまに経綸を行いつつあるのである。それと共に旧文化の中からも役立つべきものは残され、そうでないものは革正して役立つものにされ給うという事である。それが神の大愛である。それ以外のものは遺憾ながら永遠に滅びるより外はない事になろう。これが最後の審判でなくて何であろう。実に有難くもあり、恐るべきでもある。』

 

『文明の創造 序文「栄光」170号(昭和27年8月20日)

しかし私は天国は近づけりとは言わない。天国はすでに来れりというのである。何よりも私は目下天国の基礎的準備に取り掛っており、はなはだ小規模ではあるが、日々驚くべき力と奇蹟を顕わしつつあり、人々は驚嘆している。そうして右のごとき模型的経綸が漸次発展するに従い、他面世界的には旧文明の清算の幕が切って落される。それが最後の審判の開始であって、眼目は善悪の立分けである。すなわち悪は亡び善は栄える段階に入るのである。これがためいかに多数の犠牲者が出るかは計り知れないものがあろう。しかしながら神の大愛はこれら犠牲者を最少限度に喰止めらるべく、救いのその第一声がこの著出版の理由である。といっても旧文明世界からも、神は善悪正邪を選り分け善にして役立つ者は残されると共に、悪にして見込なき者は永遠に滅びるの止むなきに至るのである。

以上のごとく、最後の審判が済むや、続いて新世界設計の順序となるのはもちろんだが、その転換期におけるあらゆる文化の建直しこそ、空前絶後のものであって、言うまでもなくそれは旧文明の誤謬の是正と共に、新文明の指針を示すのである。ところがここに悲しむべき事がある。というのは人類が数千年の長い間に堆積されたところの罪穢であって、当然この大浄化作用が発生するのである。それをこれから詳しく説いてみるが、幸いこれを読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何らの躊躇(ちゅうちょ)なく掴まれん事である。それを前もって人類に知らせ、悔改めを私は神に代って勧告するのである。これぞ神の大愛でなくて何であろう、従ってこれを知った以上、一時も早く頭の切替えは固より、心の準備に取掛るべきである。そうして最後の審判に到っては、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、これを信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来における地上天国の住民として残るのである。そうして主神の経綸の深くして、そのスケールのいかに大なるものであるか、また現在までの文明がいかに野蛮極まるレベルの低いものであるかを、この著によって充分知らせ確固たる信念を得させるのである。』

 

『一の世界「栄光」111号(昭和26年7月4日)

ところがここに残された厄介な問題がある。それは何千何万年も掛って、今日のごとき文化を作り上げたのであるから、これまでにはいかに多くの罪悪が行われたか分らない。罪悪とはもちろん霊体の汚穢で、それが溜り溜っている以上、このままでは新世界建設に障碍(しょうがい)となる。ちょうど家を建てる場合、木屑、鉋屑(かんなくず)、その他種々の塵芥(ちりあくた)が散らばっているようなものであるから、ここにその清浄作用が行われなければならないが、これもまた止むを得ないのである。キリストの最後の審判とはこれをいわれたのであろう。』

 

『神に愛される「地上天国」4号(昭和24年5月25日)

信仰の妙諦を一口に言えば「神様から愛される」事である。「神様の御気に入られる」事である。しからば神様はどういう人を愛されるかという事であるが、それは後にしてその前にまず知っておかなければならない事がある。それは本教団の使命である。この使命たるやキリストのいった世の終り、または最後の審判、釈迦の言われた仏滅の世という時節がいよいよ迫り来った事である。これに対し神様や仏様は大慈悲心を発露させ給い、この世の大峠を一人でも多く無事に乗越させようとなさる事で、その方法として神様はどういう方法をお採りになるかというと、もちろん人間を通して行わせられるのであって、その重大な任務の担当者として選ばれたのが私であると思っている。』

 

『巻頭言「地上天国」16号(昭和25年8月15日)

右はまず、常識的判断であるが、いずれにせよ無軍備日本は、その間にあって、いかなる歩みを続けるべきや、下手をすれば未曾有(みぞう)の窮地に陥るのは必定である。と言って運命のまにまに委す訳にもゆくまい。実に危機は迫っている。しからばこの世紀的大災厄をいかに切り抜けるかで、吾々は大なる覚悟を要するのはもちろんである。基督(キリスト)の世の終りの聖言も最後の審判の警告も最早一片の空文ではない。眼の前の現実となって来たのだ。ただいかなる様相と経路をとるかが問題である。吾らはこの時こそ神を信じ神に縋っていた者と、その反対であった者との差別が万人の眼にも明らかに映る時の来る事を確信している。

以上のごとく、空前の大惨禍はいかなる悪人といえども悔改めざるを得ないところまで押詰められるであろう。これが最後の審判である、吾らが叫んでいる大浄化である。かくして汚穢は清められ、地上天国は出現するであろう。』

 

『恐怖時代 未発表(昭和23年4月28日)

前項に述べたごとく、世界が夜から昼に転換する結果として、人類に対しいかなる変化が起こるかという事である。それは現界の昼夜と等しく「暗黒は全く消滅し、明々白々たる世界となるのである」――という事は、霊界における火素の大増量である。それは人間霊体に対し徹底的浄化力の発現となり、霊体に堆積固結せる毒素が固結の力を失い、剰(あま)す所なく溶解作用が行われる事になるので、すなわち肉体的には病気発生となる事は言うまでもない。しかも夜の世界の期間は浄化作用は局部的であるが、昼の世界におけるそれは全部的であるから、大多数の人間は全身的極度の浄化作用発生し、到底堪え得られずして罹病後短期間、恐らく数日を出でずして死亡するであろう。この場合医学的浄化停止方法を行う時は、反って逆効果となり死を早める結果となる。人々は恐れおののき、戦争や飢餓以上の恐怖時代出現は最早免れ得ない決定的運命であって、その前夜としての現在の時である。この結果として、全人類は何分の一あるいは何十分の一、またはそれ以上に減少するかもしれないであろう。キリストの予言せる「世の終り」または「最後の審判」とはこの事であると私は信ずるのである。(後略)』

 

『御講話(昭和10年12月1日)

今晩の御讃歌の中に、大審判ということがありましたが、あれは、あの御讃歌の通りなんで、昔からいう世の終わりとか、最後の審判とかいうことを言いますが、もうそろそろ始まりかけてるのであります。それはどういうことかと言いますと、今度すばらしい光明世界ができるにつき、世界的大掃除をせられる。大掃除するとは、ご承知の通り汚いものをなくし、きれいにすることですが、それは物と事柄によって、いろいろな形式で行なわれる。そのうち一番判りやすくお話すれば、人間にしますと、人間がいかに汚れているかということについて、私が実見してるところをお話いたします。

毎日ここで病人の方を扱っていますが、まずどんな方でも私がみると、実に汚いものがたくさん溜まっている。勿論、汚いものが溜まっているから病気になり、病気になるからここへ来られることになりますが、ここが悪いという所、病気の所だけが汚いのじゃなく、なんでもない所にもたくさんにある。大人によらず子供によらず、一様にある。ちょっとみて健康そうにみえていても、触ってみると、とてもよく判る。してみると、本当の意味からいうと、百%の健康の人は一人もないでしょう。上等の人として、九十%の人が一番上で、これもごく少ないだろうと思う。遠慮なく言ってみれば、よく今日の人が生命を保っていられると思う。実に体中が毒血と膿で埋まっていると言っていいくらいです。これは全体ですから、お互いで、お腹の立つこともなかろうと思います。これが本当に審判が始まれば、ほとんど助かる人はないと思う。

審判とは、どういう意味かというと、神様の御光りがだんだんに強くなる。つまり、東方の光がだんだん強くなって出る。それは、ちょうど太陽が黎明からだんだん天の中心へ上って行く形で、天心へ上って行くほど太陽の光が強くなる。一遍に昇ってはたいへんですが、神様の大慈悲によって、だんだん昇っている。そのなによりの実例としては、観音様を祭るとおデキができる。おデキが出るというのは、汚いものが光に照らされるために浮いて出る。そして、排除されるために皮膚へ出るのです。それでいまはごく緩慢に穏やかにされているのですが、だんだん日が経ち、光が出ると、汚いものはいよいよ出てくることになる。そうなると汚れが多いと堪えられぬ。それに堪えられるのは、よほど汚れの少ない人でないといけない。倒れてしまう。

それでまず、それが一番最初始められるのが観音会の人だけで、そのために観音会の人だけは軽くすまされるわけで、いまから掃除をされる。ここで掃除されなければ堪えきれず倒れるのです。

このことを考えただけでも一般人は光が強くなったときはたいへんだと思う。今度は本当の真善美の光明世界ができるんですから、立派な家を建てるには、どうしてもその辺を浄めて、雑草など刈りとらなければならぬ。それがまず土台であります。そういうことはきっと行なわれるわけで、そう考えると今後は、早く観音会へ入り、少しでも浄めておかなければならぬ。少しでも浄められてた方は安全ですが、そうでない方は、生命の安全は期せられぬ。ですから、神様は一人でも多く助けられるんで、そのために観音運動は発展となるんであります。

東方の光、すなわち太陽は一つしかない。太陽の光は観音会が照らすだけで、これ一つなんですから、観音会へ入らなければ陽に照らされぬから、掃除ができないことになっている。これは決して手前味噌ではない。そうなっているんであります。これが最後の審判であります。

世の終わりは、夜の暗が終わるということで、今度は昼間の世界になる。ちょうどいまその境目になって来たから、一人でも多く観音会へ入れて、救い上げなければならない。それが観音運動の根本なんで、だいぶその時期が近づいてきたんであります。そしてちょうど、観音会の発展が、日が上へ昇って行くことになるんです。』

 

『御講話(昭和11年1月21日)

田谷さんの夢は一月十日の夢で、その夢が火と水とに分かれてる。これが『聖書』にある、火の洗礼、水の洗礼という、それに当たるんであります。

観音様のお知らせが始終あるんですが、それはちょうどこういうふうになるんです。ちょうど、遠くのほうから人が歩いて来るのを見ているようで、最初は、向こうから人が来るなという程度に判る。しかし、男か女かどういう人か判らぬ。ところが、だんだん近づくに従って、はっきりして男か女かも判り、どういう目的をもってるものかまで、ぼんやり判ってくる。そして、いよいよ側へ来ると、いよいよはっきりして、先の用件までも判ってくる。あらゆることが、そういう具合に知らされるんであります。でありますから、最初はぼうっと判る。たぶんそれらしいなと思われるくらいに判る。それが時期が近づくに従って、だんだんだんだんはっきりして、終に絶対に目に見えるように判ってくる。

それはなにかというと、昔から『聖書』にもあるし、経文にもありますが、最後の審判であります。『聖書』でいえば世の終わり、釈迦が言った仏滅の世であります。仏滅は仏が滅するとありますが、仏は物質世界ということになる。そうすると、仏滅ということは非常に恐ろしいことになる。ところが、そういうことが実際あるかないかというようなことはかなり漠然としていた。それがだんだんと時期が近づくに従って、あるか否かがはっきりしてきたんであります。どういうわけではっきりとあることが判ったかというと、この神様の大審判が、私らの想像よりももっともっとずっと激しい、すばらしいことです。それで、私は愕然として驚いた。そしてこの観音会の出現は、そのための使命であることまでが判ってきたんであります。

大審判というものがあるということは、ちょうど田谷さんの夢が万事を物語っていますから、この夢によってすべて想像してもらいたいと思うのであります。でありますからして、この大審判が始まると、滅びる人間がいくらあるかしれぬ。とにかく、一カ国で何千万人、世界中で何億万人か判らぬ。そうして、これは新しく、何千年間の掃除をされるんであります。

これは、いつか話しましたが、昨年の九月に閻魔大王がこの世に表われられたとお話しました。その閻魔大王が総大将となってやられるんであります。これは天照大神様が国常立尊に審判の権を委ねられ、伊都能売之大神様には絶対慈悲をもっての救いの力を与えられたということになっております。

それはそういうわけで、国常立尊という神様は、非常に力のある神様で、むしろ絶対の力をもつ神様であります。また、善悪に対して裁かれるのが、非常に厳重で一歩も仮借(かしゃく)しないという神で、閻魔大王となられて、長らくの間霊界で審判をなさっておられたのです。ところが、今度の大掃除について出現されたのであります。

観音様は、絶対の慈悲をもって、善人だろうが悪人だろうが、差別なく救ってくださるのであります。そうして、観音様は私の体を通じて、慈悲をもって救われるが、閻魔はぜんぜん人の体をお使いにならない。霊で審判されるのであります。

これが、最初は日本から始まって、そして最後に全世界に行き渡る。これについて、新聞や雑誌に出すつもりで、論文を造ったのです。ごく穏やかに書いて、だれにも刺激することではない。温和的に書いたものであります。}

<来月の御教え>

「『文明の創造』宗教篇 霊的病気 癌病」(文創  昭和二十七年)